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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.10.26
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昨日は、

またそれが、子どもが自分の感情に気付き、感情表現の方法を学ぶ手助けにもなるのです。


というところで終わりましたが、大人がそのような関わり方を大切にしていると、子どもはケンカからも多くを学び成長する事が出来ます。「ケンカしなくても良い方法」に気付くかも知れません。

人は他の誰かに真剣に話を聞いてもらうだけで、自分の心の中が整理され、自分が見えてきて、何をしたらいいのかが分かるようになるのです。

でも、大人が子どもの言葉に耳を傾けずに、大人の価値観だけでジャッジしたり、問答無用でケンカを止めてしまうと、子どもの心の中に恨みが残ります。すると、子どもの意識や感覚がその恨みに囚われ不自由になります。

ちなみに、支配者が誰かを洗脳、支配しようとする場合は、自由な言葉を封じます。自由な会話や自由な発言を禁止します。相手が何を言ってきても耳を傾けません。そのようにして、言葉を不自由にしてしまうと心も不自由になり、自由に考えたり、自由に活動できなくなってしまうのです。

もうすでに心が不自由になってしまっている人の話を聞いていると、同じ所をグルグルと回っているだけで一向に新しい展開がありません。こちらが何を言っても受け入れません。当然、成長もありません。何らかの宗教や思想に洗脳されている人と話をしているとこんな感じです。
都合が悪くなると「すみません。まだ勉強が足らないので・・・」と逃げようとします。

だからいくら説得しても無理なんです。そんな場合は、逆にいっぱい話をさせるといいです。自由に色々な表現活動をさせるのもいいと思います。 自由を与えられることで自分の中の不自由に気付くからです。

今、日本中の学校で「コロナ対応」ということで、子どもたちの自由な会話や発言や活動を封じています。でもそれは、子どもの成長にとっては非常に危険なことなんですが、でも、大人達はそのことに気付いていません。
まあ最も、それ以前から日本の学校では子どもたちに自由に発言させたり行動させたりはしませんけどね。



これは、学校の中だけでなく家庭の中でも同じです。「屁理屈を言うんじゃありません」「ワガママを言うんじゃありません」「訳の分かんないことを言うんじゃありません」などと、子どもの言葉を否定することが多い人は、もしかしたら心の自由を失ってしまっているのかも知れません。

そのような状態の人が一番恐れるのが「自由」です。「他者から束縛されない自由」ではなく、「表現の自由」です。「自分の言葉で語って下さい」と言っても、誰かの言葉を借りる形でしか話すことが出来ません。

あと、子ども同士のケンカは基本的に見守っているだけでいいのですが、でも、止めた方がいい場合もあります。
それは、戦う意思がない相手を一方的に攻撃し続けているような場合です。これはケンカではなくイジメです。

でも、からだが小さくても、腕力が弱くても、一方的に負けていても、本人が戦う意思を見せているのなら黙って見守っていてあげて下さい。
ただし、決着が見えた時点でドクターストップは入れる必要はあります。

負ければ悔しいでしょう。泣くでしょう。でも、その「悔しさ」は子どものエネルギーになります。もっと、努力をするようになるかも知れません。

でも、本人が戦う意思を見せているのに大人が一方的に止めてしまうと、相手と、止めた大人に対する恨みが残ります。

「悔しさ」は成長へのエネルギーになりますが、「恨み」は成長へのブレーキになります。





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Last updated  2022.10.26 12:02:03
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