森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

このメルマガ New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2025.05.25
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
最近の子ども達と接していて感じるのは「考える力(想像力)が弱い」ということです。まただから「闇バイト」のような、ちょっと考えればヤバイということが分かるような犯罪に軽い気持ちで手を出してしまうのでしょう。

イジメも同じです。相手の苦しみや悲しみを想像することが出来ないから、平気で他の子をいじめることが出来るのです。そしてまたそれを「イジメ」として認識することが出来ないのです。

これは子どもだけに起きている現象ではありません。大人でも同じです。
薬やワクチンやマスクや消毒薬には良い面もあれば悪い面もあるのです。だから、状況に応じて自分の感覚や心で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で判断して使い分ける必要があるのです。

でも、多くの人が何かを信仰するように思考停止して医者や国の言うことをそのまま信じてしまっています。それは、薬やワクチンやマスクや消毒薬を全否定する人も同じです。だからこの両者は会話が成り立たないのです。

「正解」を求め、「正解」にすがるような人は自分の頭で考えていないのです。でも、人生に正解など存在していません。存在していないものにすがって生きていたら迷子になってしまいます。子育ても行き詰まります。

でも今、「正解」を求める人が多いのです。「親ガチャ」「子ガチャ」という考え方も、自分の頭で考えない人の発想です。カスハラを繰り返す人も自分の頭で考えない人です。
子育てでも多くの人が「正解」を求めています。その正解に囚われることで、「子どもが苦しむようなこと」や「子どもの成長を阻害するようなこと」でも、「これは子どものためなんだ」と思い込み、虐待にまでなってしまっている人もいます。

「学校に行く、行かない」ということは、子ども一人一人の状態や事情に合わせて個別に考えるべきことなんですが、多くの人が社会的な常識を正解として受け入れ思考停止してしまっています。


というか、「考えるということはどういうことなのか」ということ自体が分からないような子が増えてきたのです。

また、やってみなくても分かるようなことでも、やってみてから「あれ! どうして?」という反応をすることも多いです。それは例えば、犯罪を犯したら警察に捕まるのは当たり前なのに、警察に捕まってから「あれ! なんで?」と反応するようなものです。

椅子を作るときに足の長さをバラバラに切ったら、出来上がった椅子がガタガタするのは当たり前なのにそれが分からない子が多いのです。

見るからに触れたら簡単に壊れてしまうようなものに触れて壊してしまったのに、「壊れるとは思わなかった」と言う子もいます。
ちゃんと測らず、適当に切ったのに「長さが合わない」と言って来る子もいます。「いや、それは当たり前だろ」と思うのですが、最近の子は私の想像を超えて来ます。その原因は想像力の欠如です。

弓矢をやらせると「飛ばない」と言ってくる子がいます。それで「どうやって飛ばしているの?」とやって見せてもらうと、矢を弦につがえることなくただ矢と弦を一緒に持っているだけだったり、弓を逆向きに持っていたりします。
それでは飛ばなくて当たり前だし、それで飛んだら魔法です。でも、子ども本人はなんとなく弓を飛ばすような格好をするだけで矢が飛んでいくと思い込んでいるのです。
これは子どもだけではありません。お母さんたちに弓矢を渡しても同じようなことが起きます。

想像力がある子なら、飛ばし方を教わらなくても、ちょっと見て、触れてみればどうやって飛ばしたらいいのかがすぐに分かるのですが、それが出来ないのです。数回失敗を繰り返して方法が分かる子もいれば、何回失敗しても分からなくて放り出してしまう子もいます。
このような状態の子どもたちにとっては、因果の論理で成り立っている算数や数学や物理を理解するのは非常に困難だと思います。

私が教室を始めた頃、子どもに知恵の輪などを与えると、一生懸命に、「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤していました。でも、最近の子に知恵の輪を与えると、自分で試す前に「どうやって外すの」と聞いてきます。



じゃあどうしたらいいのかと言うことですが、文中にも書いていますが、幼い頃から手やからだを使って遊んできたような子は、造形などの場で「思い通りにならないこと」と出会っても、自分の頭で考えて何とかしようとすることが多いのです。

どうして、手やからだを使って遊んでいる子にそのような能力が育っているのかというと、「手やからだを使った遊び」は自由度が高いので、自分の頭で考え、色々と工夫することで楽しく遊ぶことが出来るからです。
というか、おもちゃや、ゲームや、遊具といった「遊ばせてくれるもの」がないようなところでは、自分の手や、からだや、そこにあるものを使い、自分の頭で色々と考えて工夫しないことには楽しく遊べないのです。

何もないところで楽しく遊ぶためには、自分の頭で考えて工夫するしかないのです。でも、自分の頭で考えて工夫すれば、無尽蔵に楽しいことを発掘することが出来ます。

それに対して、人工的に作られたゲームやおもちゃには「遊び方の正解」が与えられています。その「決められた遊び方」の中での工夫は可能ですが、遊び方をゼロから考えるような自由度はありません。



自分の頭で考える能力が育っていなくても、学校という「やることが決められている場」ではそれほど不自由を感じないかも知れません。
でも、自分の頭で考える能力が育っていない子は、学校を出て「自分がやることは自分で決めなければならない」という状態になったら、急に不自由を感じて身動きがとれなくなってしまう可能性が高いのです。

今日、ネットのニュースを見ていたら、以下のような記事を見かけました。
29年間で中3の正解率が2割も減った「数学者が異常を感じた設問」 背景にある教育の歪みの正体とは





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.05.25 10:21:42
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: