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森の声

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2025.08.29
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カテゴリ: カテゴリ未分類
現代人はあまり「真・善・美」というものを意識しません。考えようともしません。むしろ「偽」や「悪」や「醜」を遊び、楽しんでいます。

少し前までは「写真や映像は真実を写すもの」と考えられてきました。でも今では写真も映像も自由自在に加工できてしまいます。記録も「紙の記録」は書き換えればすぐに分かる痕跡が残りますが、「デジタル記録」の場合は、書き換えられてもそれを検証するのは非常に困難です。

細胞の中のDNAも「命の歴史」を記録するものとして受け継がれてきました。ですから、DNAを調べれば、個人の「命の歴史」を調べることも出来ます。でも、そのDNAも書き換えることが出来るようになりました。先祖に白人が一人も居なくても、自分の子に白人の遺伝子を組み込むことが出来るようになったのです。人間の社会から「命の真実を記録するもの」が消えかかっているのです。

昔は「出来る子」と言われるような子は、「イジメを止める側」にいたのですが、今では「イジメ」を止めようとするといじめられてしまうそうです。「善」が共通の価値観として共有されなくなってしまったからなのでしょう。今では、いくら正しいことを言っても、勉強が出来ても、「みんなと一緒」「みんなと同じ」が出来ない子は、「イジメのターゲット」になってしまうのです。

それはつまり、みんなが「万引きしようぜ」と言っているときに、「それはいけないことだからやめようよ」と言うような子がイジメのターゲットになってしまうということです。

みんなが「正しい」と言っていることに異論を唱えると、その真偽を確認しようとすることなく「みんなと違うことを言っている」というだけで陰謀論者扱いされてしまいます。

また、多くの人たちが、「美しい」よりも「かわいい」を求めるようになりました。そして、その「かわいい」を決めているのはメディアが作り出した流行です。ですから、一昔前だったら気持ち悪く感じたようなものでも、SNSやテレビなどでそれが肯定され、流行に乗ってしまえば「きもかわいい」などという不思議な言葉でもてはやされます。不気味な妖怪や鬼でも、その流れに乗ってしまえば「かわいい」と言われます。

私には万博のマスコットキャラクターの「ミャクミャク」は「不気味な妖怪」にしか見えないのですが、テレビを見ていると、あれを「かわいい」と言っている人も多いみたいです。でも「美しい」と言っている人は見たことがありません。

絵や音楽や芸術の世界で大切にされている「美」は、100年前のものでも、500年前のものでも、人々はそれを美しいと感じます。(もちろん好き嫌いや個人差はあります。)芸術の世界にも流行はありますが、流行に流されない普遍性も含まれているからです。だから「美の歴史」には連続性があるのです。



「美しいもの」対する感性が目覚め、「美しいもの」を求め始めるのは10才を過ぎた頃からです。ですから、まだその精神が育っていない幼い子どもたちは「美しいもの」よりも「可愛いもの」を求めます。

でも、現代人は大人になっても「精神性」などというものには興味がないようです。「かわいい」は消費につながりますが、「美しい」は消費につながらないからなのでしょうか。また、「子どもたちの精神性」を育てようともしていません。学校の成績は気にしても「精神性の育ち」には無関心です。また育て方も分かりません。その結果、今では、大人になっても「美しいもの」対する感性が目覚めない人がいっぱいいます。私たちの社会はどこに向かっているのでしょうか?

ちなみにその精神性は「言葉の育ち」と共に育ちます。日本人らしい精神や美意識は日本語を学ぶことで育ちます。でもいま、その「言葉の伝承」が困難な状態になってしまっているのです。

<続きます>





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Last updated  2025.08.29 09:33:23
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