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森の声

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2025.09.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
現代人は「自由」が大好きです。私もいつも「自由の大切さ」を書いています。でも、「自由」は「不自由」とセットになることで、初めて「自由」としての意味と効果を持つのです。「自由」しかなければ、「自由」の意味も、価値も、使い方も分からなくなってしまい、かえって人を不自由にしてしまうのです。

現代人は「情報選択の自由」を持っています。ネットを使えば自分が求める情報だけを集め、自分が見たい動画だけを見て「自分が大好きな世界」だけに浸ることが出来ます。

それに対して、紙の新聞の場合は、新聞社による偏りはありますが、でも、政治から芸能から国際情勢まで、一応一通りのことが書いてあります。ちゃんと読むか読まないかは別にして、ざっと見ただけでも「いろんなことが書いてあるな」とか「世の中全体の動き」ぐらいは気づくでしょう。

でも、自分が「自分の価値観に従って集めた情報」を見ているだけでは「世の中全体の動き」に気づくことはありません。他者の価値観や意見とも出会えません。そのため、「自分の考え」を強化することはできても「自分の考え」を検証することも広げることも出来ません。そうして「自分という檻」に閉じ込められてしまうのです。それは、自分にとっては「自由な状態」かも知れませんが、でも、いつまでも同じ価値観や、同じ考えの中をぐるぐる回っているだけなので、実際には不自由な状態なんです。でもそのような状態の人は自分が不自由であることに気づきません。

それは、小さなボールの上を歩いているアリのような状態です。ボールは丸いので、それがどんなに小さくてもどこまでも歩くことが出来ます。アリはいつまでも歩き続けることが出来るので「自分はこんなにも広い世界にいる」「自分は自由だ」と思い込んでしまうのです。でもそのような状態の人は、他の人と助け合って活動することが出来ません。他のボールの上を歩いているアリとは大地を共有していないので一緒に活動することが出来ないのです。

子どもたちも同じ状況です。最近の子どもたちは、基本的に一人だけで遊びます。ですから自分が好きなことだけやって遊ぶことが出来ます。オモチャを使った遊びでも、一人遊びなら「自分が好きなこと」だけをやって遊ぶことが出来ます。ゲームはその象徴です。

でも、群れて遊ぶときには他の子と協力し合ったり、妥協したり、時にはケンカをすることもあります。ですから「自分がやりたいこと」だけをすることが出来ません。そういう点では非常に不自由です。

また、便利な機械を使わない「アナログ的な遊び」で自由に遊ぶためにはそれなりの努力が必要になります。ゲーム機は初心者でも簡単に遊ぶことが出来るように出来ていますが(実際、サルにゲーム機を渡すと遊び始めるようです)、コマや、凧や、竹馬といったような昔のオモチャは子どもに合わせてくれません。コマで遊ぶときには「コマの論理」に従う必要があります。凧で遊ぶときには「凧の論理」に従う必要があります。竹馬で遊ぶときには「竹馬の論理」に従う必要があります。

でも、大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんが楽しそうに遊んでいるのを見てその姿にあこがれ、「自分も出来るようになりたい」と努力するのです。「便利な機械や道具に依存しない遊び」で楽しく遊ぶためには、それなりの努力が必要になるのです。そしてその過程で「コマの論理」「凧の論理」「竹馬の論理」を学ぶことが出来たのです。そうやって「自分の世界」を広げることが出来たのです。また、この学びは子どもが物理学を学ぶときの手助けにもなります。



でも、幼い頃から「便利なオモチャで一人で遊ぶ自由」に慣れてしまった現代の子は、「他の子と一緒に遊ぶ時に生まれる不自由」や「不便なおもちゃで遊ぶ不自由」を嫌います。また、その不自由を乗り越えたいとも思いません。お手本となるような「あこがれるお兄ちゃんやお姉ちゃん」がいないからです。

造形などの場でも、最近の子は「自分の自由にやりたい」と言います。ナイフやノコギリが使えないから教えようとすると「自由にやりたい」と言って、教えてもらうことを拒否します。でも、使い方を学べばナイフやノコギリは「便利な道具」ですが、使い方を知らない子にとっては「危険で、不便で、不自由な道具」に過ぎません。

そのため、そのような子は、ちょっとやってみて「頑張らないと出来ない」という現実に突き当たるとすぐにやめてしまいます。「頑張る」という発想がないのです。そして、改めて取りかかることはないのですが、「後でやるから」と体裁を取り繕うのです。うちにはそんな子の未完成品が山のようにあります。

また、「自由にやりたい」と言うのですが、自分でも「自分が何をやりたいのか」がよく分からないのです。ですから、手助けしようとして「何がやりたいの」と聞いても答えることが出来ません。何かやりたいのですが、それが何なのか自分でも分からないのです。今そういう「自分のことを知らない子」がいっぱいいます。

ちなみに「群れて遊べる子」は造形などでも積極的に取り組むことが出来ます。





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Last updated  2025.09.11 09:43:33
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