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森の声

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2025.09.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間以外の生き物たちは「見えるもの」しか見ないし、「聞こえる音」しか聞かないし、「触れることが出来るもの」しか触れません。

でも人間は、「見えないもの」を観て、「聞こえない音」を聴き、「触れることが出来ないもの」にも触れることが出来ます。などと聞くと、何か怪しい話、スピリチュアル系の話かと思われるかも知れませんが、これは皆さんが普通にやっていることです。全然怪しい話ではありません。

例えば、「不安」は「見えないもの」を観て、「聞こえない音」を聴き、「触れることが出来ないもの」に触れることで生まれます。

自己肯定感が低い人も、「見えないもの」を観て、「聞こえない音」を聴き、「触れることが出来ないもの」に触れています。そうでなければ「自分で自分を否定する」などというような芸当は出来ないからです。

それが、「長さ」や「重さ」といったようなものを調べる「絶対的判断」であろうと、「美しさ」や「賢さ」といったようなものを調べる「相対的な判断」であろうと、何かを判断するためには必ず「判断する基準」が必要になります。でも、自己肯定感が低い人は、「自分の価値」を「自分の価値観」を基準にして判断しているのです。「実際には存在しない理想的な自分」を基準にして、「思い込みが作り出した自分」を評価しているのです。そんなことしたって「本当の自分の価値」が分かるわけないのですが、自己肯定感が低い人はみんなそれをやっているのです。

そして、この「見えないものを観、聞こえない音を聴き、触れることが出来ないものに触れることが出来る能力」こそが、人間の「人間らしさ」を特徴付けている、人間最大の能力でもあるのです。夢や、希望や、勇気といったものも全て、この能力が創り出したものです。恐怖や、不安や、絶望といったものも全て、この能力が創り出したものです。

実は「ありのままに観て、ありのままに聴き、ありのままに感じる」というのは、非常に難しいことなんです。それが出来るようになるためには厳しい修行が必要になります。ほとんどの人は、「自分の心の状態」に合わせて、「見えるもの」、「聞こえるもの」、「触れるもの」を歪めてしまっているのです。

「好きなもの」は美しく見え、「嫌いなもの」は醜く見えます。この場合、美しいから好きになるのではなく、好きになったから美しく見えるのです。嫌いになったから醜く見えるのです。

自分の意識や無意識の状態が、自分が見ているもの、聞いているもの、感じているものにフィルターをかけて、「見たいもの」が見えるように、「聞きたい音」が聞こえるように、「感じたいこと」を感じることが出来るようにしているのです。



空を見上げ「宇宙の音」を聞こうと耳を澄ませて下さい。素直な気持ちで耳を澄ませば「宇宙の音」が聞こえてくるかも知れませんよ。お花を見て「お花の歌」を聞こうとしてみて下さい。聞こえてくるかも知れませんよ。これらの音は、「物理的に存在している音」ではなく「心が作り出した音」(心が宇宙やお花と共鳴して創り出した音)です。でも確かに聞こえる音です。なぜなら「音」を認識しているのは「耳」ではなく「心」だからです。

このようなことを「遊び」として子どもと一緒にやってみて下さい。子どもは素直に反応してくれますよ。というか、子どもたちはこのようなことをいつもやっています。だから「訳の分からないこと」をよく言うのです。「親ガチャ」などというものは存在していないのですが、自分のことを否定的に見ている人には見えてしまうのです。





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Last updated  2025.09.25 08:31:08
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