貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシアの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしか存在しないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの国や自分たちの価値観がただの虚構であることは受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。
p.181 ユヴァル・ノア・ハラリ(著)柴田裕之(訳)『ホモ・デウス』(上)
31 服装と待遇
p.36 昭和14(1939)年「近きより 31」『近きより2』第三巻第一号<新年号>
大震災のドサクサまぎれに、日本人はいろいろの国辱的の行為をなした。
このドサクサまぎれに事をするという風潮は、甚だ卑怯な、武士道に反する行為であることを、反省しておく必要がある。
p.52 昭和14(1939)年「近きより 20」『近きより2』第三巻第二号<三月号>
80年前より―その63(『近きより』をな… 2020.02.22 コメント(6)
80年前より―その62(『近きより』をな… 2019.12.14 コメント(1)
80年前より―その61(『近きより』をな… 2019.10.22 コメント(2)
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