夏希ヒョウの世界へようこそ

夏希ヒョウの世界へようこそ

2016年09月22日
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カテゴリ: 漫画道
★★★の部分を書き足しています。
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私のブログ ​「あしたのジョーに足りないもの」​
「わたしさん」という方から「わたしはそうは思わない」という 反論
2015年12月01日に、いただいていました。
今さらながらですが個人的な見解を述べることにします。

1、力石は矢吹丈と試合する前に、一度バンタム級に減量して試合をしていた。
これでは、丈と少年院以来の決着をつけるために、過酷な減量をする説得力が弱くなる。
まずは、 契約体重(今でいうS・バンタム級)で試合をさせるが、その減量も凄まじいものであった。
さらに丈との試合でバンタムへ……としたほうが、より過酷さが伝わる。

という私の記事ですが、以下が反論です。

1.あしたのジョー連載時にはスーパーバンタム(旧ジュニアフェザー級)は存在しない。レオ戦があってこそ力石の胸の内の不気味さが強調された。丈攻略へのフラグにもなった。

という意見ですが、私とは食い違っています。(というか、よく分かりません。レオ戦は力石のバンタム級転向、第一戦ですが……)
もちろん、連載時にはS・バンタム級は存在しませんが、あくまで契約体重です。これは現在の世界戦でも適応されています。
「キャッチウエイト」といいます。
たとえば下のクラスから上がってきた選手(元王者)が、上の階級の王者に挑戦するときに正規の規定体重ではなく、 事前に両選手間の話し合いで決められた体重で試合を行うこと。
……ですが、私が言いたいのは丈と試合をする前に同じ階級(バンタム)まで凄まじい減量をするよりは、もう少し上の体重での試合で過酷な減量を表現したほうが、読者は「力石は丈と試合をするためには、もっと体重を落とさなければならない」と、なるわけです。(伝わるかな?)

2、力石には命日がない。
つまり、亡くなった日付が明記されてない。これは、致命的なミスだろう。
もし命日があるとすれば、それは力石が死んだ雑誌の発売日か?

という記事に、以下が反論です。

2.ストーリーに何の影響もございません。

ということですが、ただ命日はあったほうが読者にとっても記念というか出版社側にとってもビジネスにはなりますね。

3、白木ジムの資金力は、バックである白木財閥であるが、それがいかに凄い組織力・事業なのかが分からない。

という私の記事に対する、以下が反論。

3.それが丈の青春が燃え尽きるまでのストーリーに必要ですか?はっきり蛇足です。

……しかし本来のストーリーとは脱線しますが、少しでも何かもっともらしい(事業の)エピソードがあったほうが物語にリアリティが増すし、漫画の中の「白木財閥」はいかにも作り話っぽくて薄っぺらい。

4、丹下ジムは、橋の下のおんぼろ道場から、いつの間にか新しい近代的なジムへと変わっているが、 丈のボクシングだけで金銭的に潤うわけがない。
スポンサーがついたとしか考えられないが、それに関するエピソードは皆無である。
やはり、 丹下ジムはおんぼろ道場のままで良かった。
最後まで、 段平は貧乏だったとしたほうが、愛着・親近感がある。

という私の記事に反論。

4.カーロス戦では後楽園球場を満員にしてます。他の試合でも相当お客が入ったはずです。しかもテレビ中継が入れば当然お金が入る。そしてテレビ関東がバックアップに付いたんだから
ジムくらい新設してもおかしくありません。あれだけ人気がでれば当然練習生が入門してきます。なのにおんぼろジムのままじゃ狭すぎです。そしてストーリーもここから変化していく訳ですが・・・

いやいや、ボクシングはそんなにおいしい商売ではないです。
世界王座を2度防衛して、オプション(興行権)を取得できれば話は違ってきますが。
それから(3度目の防衛戦で)負けてしまえば、すべて終わり。
思い出とベルト以外、おそらく何も残らない。
「あしたのジョー」に限って言えば、
確かにテレビ関東が後ろ盾になって、数試合ぐらい会場を満員にする規模で興行を催したわけですが、それでも鉄筋のジムを新設……は無理がある。
入場料収入、テレビ放映権料、スポンサー料などは一時だけ。
一番あり得るのが、長期的にスポンサーがつくことですが、物語では具体的な金額の数字や金にまつわるエピソードが全くないために、(ある日、突然に鉄筋の新ジムが建っていたというのは)私から見たら唐突感があるわけです。
丹下拳闘クラブに練習生は漫画で見る限り、あまり入っていません。
確かに、浮世離れしたほうが夢があって漫画っぽいと言われればそうですが。
拳闘クラブを改築した程度ならリアリティもあるけれど、それより私は「橋の下のおんぼろジムの段平」が好きなので。

世界のプロボクシングを見渡せば、
《地球が揺れる日》と言われたメイウエザーvsパッキャオは興行収益が600億円。
二人の報酬の合計が、最終的に500億以上という例もある。が、この数字は今後もないでしょう。
ただ、ボクシングは、それだけの可能性と夢がある競技。


そして、ラスベガスよりボクシング熱が高いのは英国です。その英国出身の元ヘビー級王者であるアンソニー・ジョシュアとタイソン・フューリーが(英国で)2022年に対決する予定でした。(当時、ジョシュアは3団体王者でフューリーはWBC王者)
その時の報酬が、両者150億ずつ。メイvsパッキャオのときも、当初は(両者合わせて)300億と言われていた。

5、段平は、いつの間にか常識的に大人しくなってしまっている。
比較するのもなんだが、 亀田の父は長男のフライ級・初防衛戦での初黒星の後、WBCの役員、JBCの事務局長を控室に呼び出して恫喝した。
まさに漫画以上の キャラクターである。
段平はやはり、ホセ・メンドーサとの世界戦で ジャッジに食って掛かるぐらいの破天荒さがあっても良かった。
その言動を見かねた西やドヤ街の子供たちが止めに入る……。
丈は、そんなことは無関係とばかりに燃え尽きた充実感を味わう。
(実際、試合では丈が優位なシーンも多々あったし、ホセは怯えていたし、引き分けで良かったのでは?)

という記事に対して、以下の反論……。

5.段平が大人しくなったのは丈に対して親心が芽生えたから!
たぶん力石戦での後遺症で丈がイップスになった頃からだと思っています。心配性になったというかもともと小心モノというか・・・
それはおいといてホセ戦後、判定に不服で食って掛かるですって??丈が『燃えたよ燃え尽きた・・・真っ白な灰に』と呟き
葉子に血だらけのグローブを託した判定のさなか段平がレフェリー相手に乱闘しろと?せっかくの読後感の余韻が台無しです。亀田の試合みたいに茶番劇にして面白いとかありえません。
まあ、これがわたしの感想ですね。

……一心同体・一蓮托生といえるジョーが大差とは思えない内容で負けたことに(ジャッジに対して)逆上しても面白いのでは?……と。
「なんだとぉ~わしのジョーが負けただと!? お前らどこに目を付けてるんだぁ?」
と号泣しながら、リング上からリング下のジャッジへ怒鳴り込むが、西やドヤ街の子供たちに必死に制止される場面を想像してください。
「燃え尽きた」ジョーと対比する意味でも、そのほうが面白いと感じたしだいです。
その後、段平は真っ白になるジョーに気づいて呆然と立ち尽くす……。

そして、亀田の試合は茶番ではないです。あくまで真剣勝負です。
特に一番騒がれた最初の(長男の)世界戦&奪取ですが、第1ラウンドのダウンと11ラウンドと12ラウンドは採点を取られたので印象が悪いですけど、ジョー小泉さん(世界的なマッチメーカーでボクシング博士という意味でも小泉さんの右に出る人はいない。2008年、世界ボクシング殿堂入り)のコラム記事では「1ポイント亀田が勝っていた」と、書かれてありました。
ボクサーは、どんな悪態をつこうが暴言を吐こうが、リングで強い姿を見せれば勝てば官軍。メイウエザーやタイソンなども、そういった類。いわゆるアンチヒーローで、世間知らずだが喧嘩は強いという単純明快なキャラクターが米国では人気者になれる場合がある。理由は、そのアンチヒーローが負けるシーン(姿)を見たいという欲求から→報酬(ファイトマネー)の高騰へ。
これが格闘技とスポーツの違いでしょうか。だから長男は山中と対戦するべきだったし、残念。
あと、あの三兄弟は世間的には評判悪すぎですが、彼らは東日本大震災のときも被災地にボランティア活動をしていますし、試合の報酬の中から寄付もしている。(「わたしさん」は、何かしましたか?)
私は個人的に何もできていないので、そのことに対して後ろめたさもある。

「わたしさん」は漫画編集者ですか?(笑)それとも漫画オタク?
いずれにしても有難うございました。

それはさておき「あしたのジョー」はキャラ・ストーリーともに 漫画界NO.1 だと思っていますが、一番好きなのは韓国人の ​金竜飛​ (きん・りゅうひ)。
思い出しながらこの記事を書いていますが、
1、金は表の世界に出てくるべきでない(訳ありの)軍人。幼い頃に飢餓状態だった彼は、妹か弟を食べてしまった。
2、そんなトラウマがあるから、今でも食欲がなく、したがって減量の必要もない。
3、ジョーも力石のように凄まじい減量で苦労していたが、そんなジョーを金は「満腹ボクサー」とバカにして揶揄した。(力石が減量を強いられた理由は、元々ウエルター級なみの体格の彼だがジョーと闘うため)
4、金は必殺技を持っている。「 舞舞 (チョムチョム)」という、ロープ際での連打。
5、金にとって一番恐ろしいものは「戦争」で、ボクシングなど、のどかな遊びに過ぎない。
6、金が、洗面所で一生懸命に自分の手を洗うシーンがあります。不気味な雰囲気で焦っているかのように、ただひたすら洗っている。汚れてもいない自分の手を、まるで汚いものでもあるかのように。つまり手は自分自身を表しているわけです。 (このエピソードは凄い)
3と5の内容を、
金は計量が終わったジョーに(試合前にレストランで)話した。そして、金は席を立つ。
それを聞いたジョーは、死ぬほど苦労した減量後の待ちに待ったはずのステーキを少し口にしただけで終えてしまった。それは金の飢餓のエピソードを聞いてしまっては、とても食事をする気になれなかったからだ。
そのレストランに訪れた段平に、ジョーは「たっぷりと頂いたよ」と、セリフを吐いて店を出る。
「なぁにが、たっぷりとだ? あの野郎、ほとんど食ってねぇじゃねぇか!」(段平)
​​ ​「俺は今日の試合、勝てる気がしねぇな」​ ​​ (ジョー)

話は変わりますが、最後に紹介したい逸話があります。
女子ボクシング漫画「女子ボクシング」の原作をK社にメールで持ち込んだところ、(編集K氏の)返事の中に以下の一文がありました。

「ボクシング漫画を読みたい」という欲求事態がかなり珍しいものです。
「格闘技ものが読みたい」「戦うマンガが読みたい」と拡大して初めて、ようやく市場として成立するかと思います。
ここからジャンルの性質と競技の必然性について考えます。
「何故、組み技も足技もないボクシングを選ぶのか」
「キックボクシングや空手では駄目なのか」
「階級制度と減量は自分より体格で劣る相手と戦うための後ろ向きな努力ではないか」
などの問いが想定されます。

……以上が編集者からの返信メール(一部)ですが、
「階級制度と減量は……」
について、私は声を大にして言いたい。
まるで、ボクシング競技そのものを否定するかのようなコメント。(空手やキックも階級はあって、選手は減量をしている)
しかも、 自社の代表作である「あしたのジョー」において、力石やジョーの壮絶な減量をめぐってボクシングの過酷さを伝え読者を虜にした、あのエピソードは何なのか。
だいたい、自分が勤めている会社の代表作と今の一番人気「一歩」について、この編集はどう思っているのだろうか?
悲しいかな、これが現状の漫画編集者のレベル。(この低度が漫画家に書き直しをさせたり、連載の決定権を持っていることが問題)

ここ10年以上、原作の持ち込みを拒否する替わりに「ネーム」(漫画の下書き)を募集する出版社および編集部が多いけれど、それは単に「読みやすいから」という理由だと思われる。
しかし 「ネーム募集」から、どんな作家が輩出されただろうか?
漫画は 「物語」と「絵」 融合 であって、 下書きはあくまで漫画家の仕事 である。
話を作る人間に「コマ割り」などやらせたところで技術もないし、仮にその持ち込みネームを採用したにせよ、編集者や漫画家が勝手に弄(いじ)って無視することは目に見えている。
だから ネーム募集などナンセンス。
彼らにしてみれば、初めからネーム(コマ割り)を尊重するつもりはなく、あくまで参考にするていどなのだろうが、だったら原作者にそんな畑違いのことをやらせるなよ。と言いたくもなる。

それに特に講談社は、自社の代表作である 「ジョー」 「巨人の星」 がともに原作付きなのだから、 もっと原作者をリスペクトしろよ! と。
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最終更新日  2024年07月17日 12時09分20秒
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