全29件 (29件中 1-29件目)
1

2020年2月9日、東武鉄道・下今市駅(栃木県日光市)にあるSL展示館を見ました。SL大樹がどのようにして復活したのか、そのプロジェクトの流れがよく分かりました。また駅構内の陸橋にレトロポスターが展示してあり、楽しい空間になっていました。↑ 東武鉄道・下今市駅のターンテーブル周りの手すり。SL大樹のヘッドマークと車輪。↑ 下今市駅のターンテーブル。山口県長門市の長門市駅にあったターンテーブルを移した。↑ SL展示館。↑ 大桑じゅり(SL大樹機関士)鉄道むすめ。SLが走る東武鬼怒川線「大桑(おおくわ)駅」とSL大樹の「樹(じゅ)」から「大桑じゅり」と名付けられました。パネルの隣にあるオブジェは、なんと「チェーンソー」で彫られたもの。地元のチェーンソーアートの方のご厚意で彫っていただいたそうです。↑ 大桑じゅり 鉄道むすめ。↑ 東武鉄道1720系 デラックスロマンスカー「けごん」。ボンネット型。↑ 2015年8月10日 SL復活運転プロジェクト始動。昭和41年に東武鉄道のすべてのSL運行が終了して以来、約50年ぶりの蒸気機関車の復活を目指す。↑ 2016年1月~ 機関士・検修員の派遣を開始。JR北海道、大井川鐡道、真岡鐡道の協力のもと、SLの修理や点検を行う検修員や、SLやディーゼル機関車を走らせる機関士・期間助士、併せて20人以上の教育訓練を受け入れていただいた。↑ 全てを分解する全般検査。2014年(平成26年)まで北海道内を走っていたSLを、約7か月間もかけてオーバーホールする全般検査を行った。分解されたSLは北海道札幌市苗穂工場にて再び組み上げられ、試運転を行った。↑ 2016年6月25日 広島県より車掌車が到着。JR貨物からヨ8634、JR西日本からヨ8709がそれぞれ一昼夜かけて、トラック輸送により、南栗橋車両管区に到着した。↑ 2016年8月19日 北海道よりSLが到着。検査の終わったSLはトレーラーに積み込まれ、苫小牧港から本州に向かった。翌日、茨城県大洗港から南栗橋車両区間に到着したSLは、クレーン2台でつりさげられて、線路へ慎重に下された。↑ 2016年10月5日 香川県より客車が到着。多度津工場を出発して瀬戸大橋を渡り、JR山陽本線、東海道本線、秩父鉄道等を8日間かけて走ってきた。甲種輸送のヘッドマークは往年の寝台特急「瀬戸」をモチーフにし、協力いただいた鉄道各社のロゴマークがあしらわれている。↑ 2016年12月1日 SL名称「大樹」に決定。「大樹」は日光東照宮から連想する「将軍」の別称・尊称であり、自立式電波塔として世界一の高さを誇る「東京スカイツリー」を想起させることから、力強く大きく育ってほしいとの思いが込められている。ヘッドマークはC11形らしく3つの動輪を表した。↑ 2016年12月23日 秋田県よりディーゼル機関車が到着。JR東日本秋田総合車両センターから、ディーゼル機関車DE10-1099が到着した。秋田を出発してから羽越本線、信越本線、上越線、高崎線、秩父鉄道を経由し、4日間かけて陸路を走った。 ↑ 2017年1月1~2日 転車台を設置。鬼怒川温泉構内には広島県のJR三次駅にあった転車台を、下今市駅構内には山口県のJR長門市駅にあった転車台を移設し、塗装や改修を行った。旧長門市駅運転台は、SL定期運行廃止以来43年ぶりの復活。↑ 2017年5月2日 SL機関庫を新設。SL発着の拠点となる下今市駅構内に、SLの日常点検などを行う機関庫を新設した。下今市駅も全面的に改修を行い、かつてSLが走っていた時代を彷彿とさせる昭和レトロ感ある拠点に生まれ変わった。↑ 2017年8月10日 SL「大樹」運転開始。東武鬼怒川線 下今市~鬼怒川温泉間 12.4キロ。↑ SL大樹の運転室。↑ 火を絶やさない”SL24時”。SL「大樹」は走っていないときも、24時間ずっと火を燃やし続ける。車体を清掃・点検したりボイラー圧力を見て、石炭の燃え具合を確認しながら、24時間体制でSLの調整、準備をしている。↑ 真夏の運転室の温度。石炭を火室に投げ込む運転室は、とても暑い。火室の温度は約1000~1500度になるので、SLを走らせるために石炭を燃やすと、運転室は50~60度の暑さになる。↑ SLに積める石炭の量。SL「大樹」は、石炭を約3トン、水を約7.5トン積むことができる。下今市駅~鬼怒川温泉駅を3往復すると、石炭を約2.5トン、水を途中で補給しながら焼く10トン使う。↑ SL運行を支える人々。SL「大樹」の乗務員は全部で7人。SLの機関士が1人、期間助士が2人、ディーゼル機関車の機関士が1人、客車に乗っている車掌が1人、SLなどの点検や入換えを行う車両係が2人乗っている。↑ 協力・支援JR北海道、JR東日本、JR西日本、JR四国、JR貨物、真岡鐡道、秩父鉄道、大井川鐡道、東武博物館。【下今市駅の陸橋に展示されてあるレトロポスター】 見て楽しい。↑ 日光金谷ホテル。
2020.02.29
コメント(0)

2020年2月9日、東武鉄道・下今市駅でSL大樹がターンテーブルで回転し、SL機関庫に入るところを見ました。機関庫の中では、SL大樹の掃除、油の注入作業が行われていました。下今市駅のターンテーブル(転車台)ですが、これはJR西日本・長門市(ながとし)駅(山口県長門市東深川)に1958年6月に設置され、1974年12月のSL定期運行廃止まで使用されていました。長門市駅には機関区があり、車両検査所や扇形の車庫・留置線も備え、SLのD51が多数配置されていました。1973年3月にJR西日本から、この転車台が東武鉄道に譲渡されました。SL大樹を見ていると、下今市駅に入る東武鉄道100系スペーシアを見ることができました。スペーシアの「サニーコーラルオレンジ」、「日光詣(にっこうもうで)」、「粋(いき)」を写真に撮りました。↑ 東武鉄道・下今市駅。↑ SL大樹の客車と、6050系。↑ SL大樹。↑ SL大樹とスペーシア「サニーコーラルオレンジ」。↑ スペーシア「日光詣」。↑ スペーシア「日光詣」とSL大樹。↑ SL大樹が走り始める。↑ ターンテーブル(転車台)。↑ SL大樹がバックしてくる。横は東武鉄道6050系。↑ SL大樹が機関庫へ進む。↑ 機関庫に入る。↑ ターンテーブルは、山口県長門市駅にあったものを譲り受けた。↑ 下今市駅転車台の説明。↑ 下今市駅のSL大樹車両庫。↑ SL大樹のメンテナンス風景。↑ スペーシア「粋」。
2020.02.28
コメント(0)

2020年2月9日、東武鉄道・鬼怒川温泉駅で、カラフルなJR東日本の特急きぬがわ(OM-N01)を見ました。JR新宿駅と東武鉄道鬼怒川温泉駅間を走っています。ターンテーブルで向きを変えてプラットフォームに戻ってきてSL大樹が、客車と連結しました。鬼怒川温泉駅から下今市駅まで、SL大樹3号に乗車して戻りました。↑ 特急きぬがわ(OM-N01)。鬼怒川温泉駅にて。↑ JR新宿駅行き。↑ 北千住起点 133.7㎞ 鬼怒川温泉駅。↑ 特急きぬがわと、SL大樹。↑ バックしてプラットフォームへ進む。↑ 客車との連結準備。↑ 鬼怒川温泉駅で記念写真。↑ 日光市の新高徳駅で、特急リバティとすれ違う。↑ 鬼怒川を進む。↑ 女峰山。↑ 下今市駅に着く。↑ 下今市駅を出発する。↑ 東武鉄道下今市駅にあるターンテーブル。↑ 下今市駅の6050系車両。
2020.02.27
コメント(0)

鬼怒川温泉駅前にあるターンテーブルです。このターンテーブル(転車台)は、JR西日本の三次(みよし)駅(広島県三次市十日市南)に1933年12月に設置され、芸備線を中心に福塩線および三江線へ車両を送り出していましたが、1971年のSL定期運行廃止やほかの列車運行本数減少により、1999年7月にその役割を終えました。その後、JR西日本から東武鉄道に譲渡され、2017年3月に設置されました。↑ 鬼怒川温泉駅前のターンテーブル。↑ 鬼怒川温泉駅転車台の説明。↑ SLの形をした「ホテルサンシャイン鬼怒川」のバス。↑ SLの形をした「ホテルサンシャイン鬼怒川」のバス。↑ ターンテーブルに進入するSL大樹。↑ ターンテーブルが回る。↑ アイスホッケークラブである、H.C.栃木日光アイスバックスの皆さん。サッカー評論家で、アイスバックスのシニアディレクターをされているセルシオ越後さんと、選手の皆さん。↑ 東武鉄道 特急スペーシア「粋」。隅田川の淡い水色を表している。↑ 特急スペーシア「粋」。↑ アイスホッケーチーム 栃木日光アイスバックスの選手たち。↑ 左側、セルシオ越後さん。↑ 鬼怒川温泉駅。↑ SL大樹 日光埋蔵金弁当 1,350円。
2020.02.26
コメント(0)

東武鉄道・SL大樹に乗車し、下今市駅から鬼怒川温泉駅へ行きました。H.C.栃木日光アイスバックスという日光市のアイスホッケークラブとのコラボで、アイスホッケー選手とファンクラブの女性が、車内で司会をしたりじゃんけんゲームをしたりと、車内を盛り上げていました。鬼怒川温泉駅の前には、蒸気機関車のターンテーブルがあり、その傍に、アイスバックスのトーク会場が設定されていました。↑ JR四国から譲渡された14系客車の内部。↑ 大谷川と日光連山。↑ 男体山。↑ 女峰山と大谷川。↑ 女峰山。↑ 女峰山。↑ C11形207号蒸気機関車と14系客車。↑ 座席に設置されていた「SL、DL大樹の楽しみ方」。↑ 沿線見どころマップ。↑ SL、DL大樹のご案内。↑ H.C.栃木日光アイスバックスの選手とファンクラブの方。↑ 記念撮影。↑ SL大樹1号 記念乗車証。(大桑じゅり、大川まあや)↑ 鉄道むすめ。↑ 右 鉄道むすめ 栗橋あかな (特急スペーシア車内案内員)↑ 左 鉄道むすめ 桜沢みなの (秩父鉄道 駅務係) ↑ 右 鉄道むすめ 桜沢みなの (秩父鉄道 駅務係)↑ 中 鉄道むすめ 家山かなか (大井川鐡道 SL専務車掌)↑ 左 鉄道むすめ 大桑じゅり (SL大樹機関士)↑ 右 鉄道むすめ 鬼怒川みやび(特急スペーシア車掌)↑ 中 鉄道むすめ 大川まあや (会津鉄道アテンダント)↑ 左 鉄道むすめ 春日部しあ (特急スペーシア車内販売員)↑ 東武ワールドスクエア。↑ 東武ワールドスクエア駅。↑ 鬼怒川 川治温泉郷。↑ 鬼怒川温泉駅に到着。↑ 蒸気機関車と客車が離れる。↑ 東武鬼怒川温泉駅で見かけた、会津鉄道会津線の「AIZUマウントエクスプレス」。↑ 鬼怒川・川治温泉。(キヌちゃん、カワちゃん)↑ 鉄道むすめ 鬼怒川みやびの自動販売機。↑ 鉄道むすめ 鬼怒川みやび。(特急スペーシア車掌)↑ 鉄道むすめ 鬼怒川みやび。(特急スペーシア車掌)↑ 鉄道むすめ 大桑じゅり。(SL大樹機関士)↑ 鉄道むすめ 栗橋みなみ。(北千住駅 駅務係)↑ 鉄道むすめ 姫宮なな。(東武鉄道お客さまセンター)↑ 鉄道むすめ 栗橋あかな。(スペーシア車内案内員)↑ 鬼怒川温泉駅前のターンテーブル。↑ アイスホッケー栃木日光アイスバックストークイベント会場
2020.02.25
コメント(0)

2020年2月9日、東武鉄道下今市駅で、SL大樹(たいじゅ)C11型207号と14系客車を見ました。この蒸気機関車は1941年に山口県下松市の日立製作所笠戸工場で製造されました。1974年に現役引退し、2000年からJR北海道で「SLニセコ」、「SL冬の湿原号」として走っていましたが、東武鉄道がJR北海道から借り受け、2017年から東武鉄道の下今市~鬼怒川温泉間の12.4キロを走っています。ブルーの14系客車は、JR四国から譲り受けたものです。蒸気機関車が汽笛、蒸気音を出しながら下今市駅に入ってくるのを見ると、胸が高まりました。↑ SL大樹(たいじゅ)C11型207号。↑ ヘッドマークは、「H.C.栃木日光アイスバックス」。アイスホッケーチームの特別バージョン。↑ 記念写真。↑ SL大樹 下今市駅 9時2分発、鬼怒川温泉行。
2020.02.24
コメント(0)

2020年2月9日、東京足立区・東武北千住(きたせんじゅ)駅から栃木県日光市・下今市(しもいまいち)駅まで、東武鉄道500系特急Revaty (リバティ)に乗車しました。特急Revaty (リバティ)は2017年4月に運転開始をしており、色々な路線を走る多様性を意味するバライエティ(Variety)と、自由を表すリバティ(Liverty)を組み合わせた造語の名前になっています。↑ 東武鉄道北千住駅に入ってきた特急Revaty (リバティ)。↑ 内装は東武スカイツリーの白を基調とし、シートは江戸紫色となっている。↑ ドアの手のマーク部分に振れると、ドアが開く。↑ トイレ。↑ 天井は隅田川、鬼怒川をイメージして波型になっている。↑ シートは江戸紫色で、印伝革で使われる模様が配置してある。↑ 埼玉県春日部市の東武春日部駅で停車。↑ 漫画家・臼井儀人(うすいよしと)さんの有名な漫画「クレヨンしんちゃん」で、春日部は漫画の舞台になっている。野原しんのすけとシロの絵が見える。↑ 春日部の車両基地。↑ 春日部の車両基地。 正面が赤い70000系が見える。↑ 南栗橋の車両基地。赤い70000系が見える。↑ 南栗橋の車両基地。オレンジ色の50000系が見える。↑ 利根川の鉄橋と赤城山。↑ 利根川を渡る。↑ 筑波山。↑ 富士山。↑ 渡良瀬川を通過。↑ 東武鉄道栃木駅。↑ 栃木市から見た筑波山。↑ 栃木市から見た富士山。↑ 新栃木の車両基地。黄色と黒のラインがある20400形が見える。↑ 東武鉄道・新鹿沼駅。↑ 女峰山。↑ 下今市駅到着。東武鉄道500系特急Revaty (リバティ)と、6050系車両。↑ 特急Revaty (リバティ)。
2020.02.23
コメント(0)

2020年2月9日、東京都足立区にある東武鉄道北千住駅に行き、東武鉄道200系特急「りょうもう」を見ました。赤城駅行きです。↑ 東京都足立区の東武鉄道北千住駅に行く。6時半頃。↑ 7時02分 りょうもう1号 赤城行き。↑ 改札口。↑ 特急専用ホームへ移動する。↑ 北千住駅。↑ 特急専用ホームへ行く。↑ 特急専用ゲート。↑ 特急専用ホーム。↑ 特急りょうもう号の停車案内版。↑ 東武鉄道200系特急りょうもう号。↑ RYOMO TOBU LIMITED EXPRESS / りょうもう号↑ りょうもう号が出発し、伊勢崎線を進む。↑ この先は荒川と鉄橋がある。
2020.02.22
コメント(0)

2020年2月8日、千葉県流山市・流山キッコーマン株式会社の白壁に掲示されてある「流山本町まちなかミュージアム」を見ました。流山発祥の白みりんの歴史が紹介されています。歌川広重の「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図(たかなわにじゅうろくやまちゆうきょうのず)」が大きく飾られていました。江戸時代、旧暦7月26日の夜、高輪の浜辺で月を拝むという行事で、沢山の夜店が並んでいます。特に、タコの着ぐるみを着た男が目を引きます。↑ 流山キッコーマン株式会社の白壁にある「流山本町まちなかミュージアム」。↑ 流山キッコーマン株式会社 万正(マンジョウ)本みりん。↑ 野田醤油株式会社流山工場内引込線(現・流山キッコーマン株式会社)昭和4年(1929年)頃。↑ 野田醤油株式会社流山工場(現・流山キッコーマン株式会社)昭和15年(1940年)頃。↑ 歌川広重・東都名所 高輪廿六夜待遊興之図。↑ 左半分。↑ 右半分。↑ タコの着ぐるみを着た男。 とても目を引く。↑ カニが描かれた扇子を持つ男。↑ 果物屋。↑ 江戸前寿司屋。↑ 水屋。↑ イカ焼き屋。↑ 天ぷら屋。↑ 二八そば屋。↑ 麦湯屋。↑ 団子屋。↑ ほおずき売り屋。↑ お汁粉屋。↑ 流山白みりん200周年記念まちなかミュージアム。↑ 流山小学校生徒が万上丸に乗って奉迎に出発する光景 明治30年代。↑ 流山キッコーマン株式会社。↑ 白みりんを開発した二代堀切紋次郎とその妻。↑ 「手製酒味淋本直志印鏡」堀切家のラベルデザイン。二代堀切紋次郎が詠んだ歌から「万上」の商標ができた。↑ 現存する流山最古のみりんラベル「万上泉」 弘化3年(1846)↑ 秋元家の「天晴(あっぱれ)」ポスター。↑ 堀切家の「万上(まんじょう)」ポスター。秋元・堀切両家が流山のみりん醸造を牽引した。↑ 明治28年(1895)の堀切紋次郎のみりん工場の銅版画(千葉県博覧図)。↑ 「万上」堀切紋次郎。↑ 明治18年(1885)「万上」の商標登録書類。↑ 堀切家の白みりんラベル。大正6年(1917年)以前 「萬上泉」。↑ 秋元家の白みりんラベル。大正11年(1922年)以前 「天晴(あっぱれ)」。↑ 博覧会における「万上」の受賞メダル。(右上)明治36年(1903) 第5回内国勧業博覧会にて二等賞牌。(左下)大正4年(1915) パナマ太平洋万国博覧会にて名誉賞。↑ 昭和15年(1940)頃 野田醤油株式会社みりん部の製品。
2020.02.21
コメント(0)

2020年2月8日、千葉県流山市の近藤勇陣屋跡を見ました。慶応4年(1868年)に新選組が本陣とした酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)の跡地です。新選組は文久3年(1863年)に京都で結成されましたが、鳥羽・伏見の戦いで戦死者を出し、甲陽鎮撫隊として甲州勝沼で官軍と闘うも敗れ、流山で再挙を図りました。新選組の近藤勇は「大久保大和」、土方歳三は「内藤隼人」と名前を変え、流山の酒造家「長岡屋」を本陣としましたが、板橋の官軍本営は二人が偽名を使っていると見抜き、流山を包囲しました。近藤勇は「大久保大和」として、官軍側に話をしに行きますが、近藤勇と知っていた官軍は、流山から板橋に近藤勇を連れて行き、斬殺します。土方歳三は流山で近藤勇と別れた後、東北へ行き、最終的に北海道の五稜郭の戦いで亡くなります。株式会社秋元の店で、「本陣長岡屋」という極辛口の酒を購入し、家で飲酒しました。手元には新選組に関する司馬遼太郎さんの本があります。「燃えよ剣」、「新選組血風録」に詳しく記載があります。特に「燃えよ剣(下)」p261~p289の「流山屯集」、「袂別」に、流山での新選組の動きが書かれており、近藤勇と土方歳三が別れた場所だと分かります。↑ 流山市の近藤勇陣屋跡。↑ 酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)の跡地。↑ 長岡屋 土台石。↑ 近藤勇。↑ 新選組 局長近藤勇、副長土方歳三 離別の地。 ↑ 流山の新選組と官軍の動き。近藤勇は矢河原渡から板橋に行き、斬殺される。↑ 矢河原の渡し跡。↑ 株式会社秋元の店。↑ 新選組 流山本陣跡の写真。 酒造家「長岡屋」(現・株式会社秋元)。↑ 近藤勇の写真。↑ 酒の秋元。↑ 株式会社秋元敷地内にある秋元稲荷大明神。新選組が到着、陣立ての際、近藤勇、土方歳三らが戦勝祈願をした。↑ 矢河原(やっから)の渡し跡。幕末、流山に駐屯した新選組隊長・近藤勇は、新政府軍に包囲されて出頭。盟友土方歳三と別れ、この渡しで流山を去った。↑ 江戸川。矢河原の渡し付近。↑ 「本陣 長岡屋」↑「燃えよ剣」、「新選組血風録」 司馬遼太郎。↑ 燃えよ剣(下)/司馬遼太郎/新潮文庫。↑「燃えよ剣(下)」p261~p289、「流山屯集」、「袂別」。
2020.02.20
コメント(0)

2020年2月8日、流鉄流山駅から歩いて散策しました。流山は新選組の近藤勇、流山キッコーマンが有名ですが、それは別に紹介するとして、それ以外に見た所を書きます。1)浅間神社:江戸時代初期にできた神社で、富士山の岩石を積んでできた富士塚があり、富士山に登山できない人たちが富士塚に登ったとのことです。2)丁字屋:イタリアンレストランになっています。3)呉服新川屋:国登録有形文化財に指定されており、大黒、恵比須の鬼瓦です。TV東京の「アド街ック天国」にも紹介されていました。4)あかり館@雑貨Konocono:雑貨以外に焼いたパンも売っていました。2階に流山出身で切り絵作家の飯田信義氏の切り絵作品が置いてありました。5)常与寺:鎌倉時代創建の日蓮宗寺院です。教員養成の「印旛官員共立学舎(現千葉大学)が設立されました。6)閻魔堂:江戸時代の閻魔像を祀るお堂があります。義賊の金子市之丞と恋人の三千歳の墓があります。7)万華鏡ギャラリー見世蔵:明治22年(1889年)に建築された「寺田園茶舗」がギャラリーになりました。流山市在住の世界的万華鏡作家の中里保子さんの作品などがありました。8)一茶双樹記念館:みりん醸造で財をなした「秋元本家」跡。俳人小林一茶と五代目秋元三左衛門(俳号:双樹)との親交があり、一茶はこの地を数十回訪れています。9)杜のアトリエ黎明:洋画家の故笹岡了一氏、故秋元松子氏の創作活動の場所でした。10)長流寺:江戸時代初期の浄土宗寺院。新選組隊士らが分泊したと言われています。11)光明院:新選組が分宿した真言宗寺院です。12)赤城神社:群馬県の赤城山が崩れて流れ着き、高さ10mの山ができたという「流山」の地名伝説発祥の地です。巨大な大しめ縄があります。13)流山寺:新選組が分泊した曹洞宗寺院。14)寺田稲荷。↑ 流山本町江戸回廊マップ。「ようこそ白みりん発祥の地へ」。↑ 新選組 近藤勇の切り絵。1)浅間神社:江戸時代初期にできた神社で、富士山の岩石を積んでできた富士塚があり、富士山に登山できない人たちが富士塚に登ったとの事です。↑ 富士塚。↑ 富士塚山頂。2)丁字屋:イタリアンレストランになっています。3)呉服新川屋:国登録有形文化財に指定されており、大黒、恵比須の鬼瓦です。TV東京の「アド街ック天国」にも紹介されていました。4)あかり館@雑貨Konocono:雑貨以外に焼いたパンも売っていました。2階に流山出身で切り絵作家の飯田信義氏の切り絵作品が置いてありました。5)常与寺:鎌倉時代創建の日蓮宗寺院です。教員養成の「印旛官員共立学舎(現千葉大学)が設立されました。6)閻魔堂:江戸時代の閻魔像を祀るお堂があります。義賊の金子市之丞と恋人の三千歳の墓があります。7)万華鏡ギャラリー見世蔵:明治22年(1889年)に建築された「寺田園茶舗」がギャラリーになりました。流山市在住の世界的万華鏡作家の中里保子さんの作品などがありました。↑ 流山市在住の世界的万華鏡作家の中里保子さんの作品。↑ 巨大な万華鏡。顔を写して写真撮影ができる。8)一茶双樹記念館:みりん醸造で財をなした「秋元本家」跡。俳人小林一茶と五代目秋元三左衛門(俳号:双樹)との親交があり、一茶はこの地を数十回訪れています。↑ ↑ 夕月や 流残りの きりぎりす 一茶。↑ みりんの「天晴」看板。9)杜のアトリエ黎明:洋画家の故笹岡了一氏、故秋元松子氏の創作活動の場所でした。流鉄展がありました。10)長流寺:江戸時代初期の浄土宗寺院。新選組隊士らが分泊したと言われています。11)光明院:新選組が分宿した真言宗寺院です。12)赤城神社:群馬県の赤城山が崩れて流れ着き、高さ10mの山ができたという「流山」の地名伝説発祥の地です。巨大な大しめ縄があります。13)流山寺:新選組が分泊した曹洞宗寺院。14)寺田稲荷。
2020.02.19
コメント(0)

2020年2月8日、流鉄流山線の流山駅で、流鉄の車両の写真を撮りました。西武鉄道で使われていた車両が、流鉄で走っています。また、流山駅の外にある「流鉄開業100th 1916年~2016年」の掲示板も見ました。↑ 流鉄5000系 さくら号。↑ 「にゃんにゃん記念号 令和2年2月2日」のヘッドマーク。↑ なの花号。やjる↑ 若葉号。↑ 流星号。↑ 検車区。↑ あかぎ号。↑ プラットホームの自動販売機。↑ ↑ 座布団。↑ 流山1丁目長寿会。↑流鉄流山線 流山駅。↑ 流鉄開業100th。「普通の女子高生が【ろこどる】やってみた。」の「流山ガールズ」。↑ 小日向縁(こひなたゆかり)役の三澤紗千香(みさわさちか)さん。↑ 漫画家の小杉光太郎さん。↑ 宇佐美奈々子(うさみななこ)役の伊藤美来(いとうみく)さん。↑ 流鉄の新キャラ「りゅうのしん(流之進)」。↑ 鉄道むすめ「幸谷なのは(こうやなのは)」。↑ 流鉄流山駅。↑ 流山駅。↑ 幸谷なのは。↑ 流鉄開業100th。2016年3月14日、おかげさまで流鉄流山線は100周年を迎えます。1916年(大正5)年に町民の出資によって開業して以来、流山市民の通勤、通学、買い物等にかかせない身近な足として親しまれています。都心から25キロ圏内でありながら、単線でワンマン運転であることや、全車両に愛称がつけられるなど、レトロな雰囲気たっぷりで鉄道ファンにも人気です。
2020.02.18
コメント(0)

2020年2月8日、千葉県流山市の「流鉄流山線」を見に行きました。流鉄流山線は千葉県流山市と松戸市の5.7キロを結ぶ鉄道で、2020年2月2日から22日まで、「にゃんにゃん記念号 令和2年2月2日」と書かれたヘッドマークを付けた電車「さくら号」が走っています。ピンク色のさくら号の前方に、丸いヘッドマークが付いており、文字の周りに猫の顔やしっぽが描かれています。神奈川県鎌倉市の立体イラスト作家、杉本聖奈(まりな)さんがデザインしました。車体上部には、「ワンマン」の文字が「ニャンマン」になっていました。↑ 千葉県松戸市のJR馬橋(まばし)駅。画面左が流鉄馬橋駅と「さくら号」。右は常磐線。↑ JR馬橋駅。↑ 流山鉄道の「さくら号」。↑ さくら号のヘッドマーク「にゃんにゃん記念号 令和2年2月2日」。↑ JR馬橋駅から流鉄流山線の馬橋駅に移動する。↑ さくら号の車内。↑ 流鉄流山線の路線図。↑ 流山、平和台。↑ 平和台、鰭ヶ崎、小金城址。↑ 小金城址、幸谷、馬橋。↑ 流鉄キャラ りゅうのしん(流之進)。↑ 流鉄の鉄道むすめ「幸谷なのは」。↑ 流鉄の「あかぎ」。↑ 小金城址駅にて。↑ 鰭ヶ崎(ひれがさき)駅。↑ 平和台駅。↑ 流山駅。↑ さくら号。↑ ニャンマン。
2020.02.17
コメント(2)

2020年2月14日、娘と妻からバレンタインデーのプレゼントを貰いました。娘からは広島の「もみじ堂ナッツ」というドーナッツで、妻からは北海道の「マルセイバターサンド」でした。↑ もみじ堂ナッツ。↑ マルセイバターサンド。
2020.02.16
コメント(0)

2020年2月1日、新宿駅でKEN'S CAFEの「ケンズデニッシュ」を売っていました。「食べログ全国チョコレート店ランキング7年連続第1位(2014年~2019年)」とあり、350円は高いと思いながらも、どのようなものか購入しました。家でパンを切ると、中にチョコレートの棒が入っていました。そのまま食べましたが、もしかしたらレンジで温めて、チョコレートを溶かしてから食べるものだったのかもしれません。けN
2020.02.15
コメント(0)

娘が上海に留学していた時、蘇州に遊びに行ったので、撮った写真をもらいました。夜の蘇州の水郷の景色だそうです。蘇州というと、「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)」をすぐに思い出します。李香蘭(山口淑子)さんが1940年に歌った有名な曲です。河合奈保子さんが「蘇州夜曲」を歌っており、中国の本を読むときは、いつもこの歌を聴きいています。奈保子さんは歌うとき、声が自然にビブラートになりますが、それがとても魅力的です。(河合奈保子さん JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION DISC 4 「蘇州夜曲」作詞:西條八十 /作曲:服部良一 / 編曲:服部克久 /歌:河合奈保子)↑ 娘からもらった蘇州の水郷の写真。↑ 河合奈保子さん JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION。↑ DISC4 13番目 「蘇州夜曲」。↑「蘇州夜曲」作詞:西條八十 /作曲:服部良一 / 編曲:服部克久 /歌:河合奈保子。
2020.02.14
コメント(0)

以前、漫画家・新沢基栄さんの「ハイスクール!奇面組」の漫画に、河合奈保子さんが「小河井菜緒」として描かれていた事をブログ(2020年1月25日付け)に書きましたが、新沢基栄さんがデビュー作品として奇面組の中学時代を描いた「3年奇面組 1~6巻」の6巻で、初めて「小河井菜緒」が登場しています。3年奇面組 6巻の「婦組登場! 春休みモテモテ奇面組の巻」で、「子役締ひろと婦組」のメンバーとして河合奈保子さんが「小河井菜緒」として出てきます。↑ 3年奇面組 1~6巻/新沢基栄/集英社↑ 1巻、2巻。↑ 3巻、4巻。↑ 5巻、6巻。↑ 6巻 さらば一応中。↑ 「婦組登場! 春休みモテモテ奇面組の巻」。
2020.02.13
コメント(0)

2020年2月1日、タワーレコード新宿に行くと、麻丘めぐみさんのプレミアムベストCDが紹介されていました。河合奈保子さんのCDも並んで置いてあり、楽しい光景でした。私が小学生の頃、麻丘めぐみさんがテレビで歌う姿をいつも見ていました。麻丘めぐみさんは美人で、お姫様のような段々カットの髪の毛が印象的でした。麻丘めぐみさんの歌というと、「芽ばえ」、「女の子なんだもん」、「私の彼は左きき」など有名な歌がありますが、私が個人的に一番好きな歌は「アルプスの少女」です。テンポとノリが良く、カラオケに行くと、必ず「アルプスの少女」を歌います。↑ 麻丘めぐみさん。↑ 麻丘めぐみさんの限定版CD。↑ 麻丘めぐみさんのCD棚と、河合奈保子さんのCD棚。↑ 河合奈保子さんのCD棚。↑ 河合奈保子さんの前期CD(LOVEからデイドリームコーストまで)のCDが見える。↑ 河合奈保子さんの後半CD9枚が紹介されている。(さよなら物語からエンゲージメント)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【アルプスの少女を歌う麻丘めぐみさん】
2020.02.12
コメント(0)

2020年2月1日、タワーレコード新宿店で、河合奈保子さんのCD棚を見ました。奈保子さんの中期以降の作品9枚が、タワーレコード限定で発売されており、上段に奈保子さんのCDを見る事が出来ました。【今回限定発売された、さよなら物語からエンゲージメントまでの9枚】
2020.02.11
コメント(0)

2020年2月1日、東京新宿のタワーレコード新宿店に行き、エスカレーター近くにある河合奈保子さんの展示を見ました。タワーレコードが奈保子さんCD(さよなら物語からエンゲージメントまでの9枚)を限定発売するに合わせて展示がありました。↑ タワーレコード新宿店のエスカレーターそばにある、河合奈保子さんの展示。↑ 十六夜(いざよい)物語の楽譜。
2020.02.10
コメント(0)

家で飼っているカメですが、以前高さが20センチの水槽で飼育していた所、勝手にふたを開け、自力で脱走することが何回もありました。そのため、大きな衣装ケースをを購入してカメを入れました。ケースの高さが31センチあります。ところが最近は、前足と後ろ足のバランスを取りながら、衣装ケースの側面に立ちます。それ以上前足を伸ばそうとするとバランスを崩して、水の中に落ちてしまいますが、何度も繰り返し行います。今は甲羅の直径が20センチあり、足と首を伸ばすと、25センチ以上になります。いつかケースの上に爪が届くのではないかと思います。本当は自然の中で自由に生きた方がカメも幸せだろうにと思いながら、飼っています。(2020年1月12日撮影)↑ 高さ31センチ、幅40センチ、奥行き74センチの衣装ケースの中のカメ。↑ 側面に前足を掛ける。↑ 後ろ足を踏ん張る。↑ 体を側面に近づける。↑ 仁王立ちをしたカメ。 この後、水の中に落ちてしまう。 これを繰り返す。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 以前、高さ20センチの水槽に入れていると、勝手にふたを空け、首を伸ばして外に脱走していた。
2020.02.09
コメント(0)

東京千代田区神田錦町に「学士会館」があり、敷地内に「日本野球発祥の地」、「東京大学発祥の地」の碑があります。「日本野球発祥の地」。この地に元東京大学およびその前身の開成学校があった。1872年(明治5年)、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校で、アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(1843~1927年)が学課の傍ら生徒たちに野球を教え、翌1873年に新校舎と立派な運動場ができると、本格的な試合ができるようになり、これが「日本の野球の始まり」といわれている。1976年初夏には、京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。「東京大学発祥の地」当学士会館の現在の所在地は、我が国の大学発祥の地である。明治10年(1877年)4月12日に神田錦町3丁目にあった東京開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創設された。↑ 「日本野球発祥の地」。学士会館。 (2019年11月9日撮影)↑ 学士会館。↑ 学士会館。↑ 東京大学発祥の地。(学士会館)
2020.02.08
コメント(0)

東京上野公園に、正岡子規記念球場がありあす。正岡子規は愛媛県松山市出身の、有名な俳人、文筆家です。明治時代に日本に紹介されたベースボールに夢中になり、本名の升(のぼる)にちなみ、雅号として「野球:のぼーる」があります。「打者」、「走者」、「直球」などの言葉も付けました。明治19年から23年頃、子規は上野公園で野球を楽しんでいたそうです。子規の随筆「かぜまかせ」には、明治23年3月21日午後、上野公園博物館空き地で野球をしたことが記されており、子規は捕手をしていたことが書かれています。平成14年(2002年)に子規は野球殿堂入りをしました。手元にある「坂の上の雲 1~8巻/司馬遼太郎/文春文庫」ですが、1~3巻に正岡子規の事が色々と書かれています。松山から東京に出てきて学んだ青春時代、陸羯南(くがかつなん)、高浜虚子、川東碧梧桐、秋山真之、夏目漱石との関わり、新聞「日本」と雑誌「ホトトギス」の編集、日清戦争で従軍記者となった事、新しい俳句の探求、結核の病と死について記載されています。1巻286ページには、正岡子規の野球につき下記記述があります。「人一倍疲れやすいからだをもっていながら明治20年ごろからベースボールに熱中し、仲間を組んでほうぼうで試合をしたりした。ちなみにベースボールに「野球」という日本語をあたえたのはかれであった、と河東碧梧桐などはのちしきりに書いているが、そうではなく子規と一高の同窓の中馬庚(ちゅうまんかのえ)だったともいわれている。いずれにせよ、子規はこの喀血後10日ほどしてようすがよくなるともう寄宿舎の門前の路上で球を投げたりした。球は硬球であり、この当時はミットもグローブも無く、素手でうけた」。次は1巻303ページの記載です。「『全国に知られた松山の野球は、正岡子規によって伝えられた』と、昭和三十七年刊行の「松山市誌」のスポーツの項に書かれている。子規は明治17年大学予備門に入学するとまもなく野球を覚え、これに熱中した、とある。その後、これを松山にもちかえった。ちなみにかれはのちに新聞「日本」に書いた「ベースボール」という一文のなかで野球述語を翻訳した。打者、走者、直球、死球などがそうであった」。↑ 上野公園内の正岡子規記念球場。↑ 「春風や まりを投げたき 草の原 子規」↑ 正岡子規記念球場の紹介。↑ 明治23年3月 ユニフォーム姿の正岡子規 (松山市立子規記念博物館所蔵)。(写真は2020年1月19日撮影)↑「坂の上の雲 1~8巻/司馬遼太郎/文春文庫」。
2020.02.07
コメント(0)

2020年1月19日、東京国立博物館で髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)を見た後、即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀における服装を見ました。また、即位の礼に当たって、儀式の威厳を整えるために持つ、太刀、弓、やなぐい、ほこ、楯など、威儀物(いぎもの)の展示もありました。↑ 束帯(文官)/即位礼正殿の儀における服装。↑ 五衣・唐衣・裳(女官)。↑ 束帯(武官) 威儀の者。↑ 束帯(武官) 威儀の者。↑ 束帯(文官) 威儀物捧持者。↑ 鼓(こ)。↑ 弓(ゆみ)。↑ やなぐい。↑ 楯(たて)。↑ 楯(たて)。↑ 太刀(たち)。↑ 東京・上野にある東京国立博物館。
2020.02.06
コメント(0)

2020年1月19日、東京国立博物館に行き、「特別公開 髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)」を見ました。天皇陛下の即位礼正殿の儀が、皇居の宮殿において、10月22日午後1時から行われました。その儀で使用された髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)が展示されていました。↑ 東京国立博物館。↑ セキュリティゲートを通る。↑ 髙御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)の説明。↑ 髙御座(たかみくら)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 御帳台(みちょうだい)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 御帳台(みちょうだい)の後ろ側。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 髙御座(たかみくら)の後ろ側。
2020.02.05
コメント(0)

2020年1月19日、東武10000系で東武東京スカイツリーから浅草駅へ移動しました。「スペーシア:東武100系」、「東武10000系」、「特急りょうもう」の写真です。↑ 特急スペーシア「雅」。東武鉄道とうきょうスカイツリー駅。↑ 東武鉄道とうきょうスカイツリー駅。↑ 東京スカイツリーと東武とうきょうスカイツリー駅。↑ 東武10000系。↑ 東京スカイツリー駅。↑ 東武10000系。↑ 東武10000系 運転席。↑ 東武浅草駅へ進む。↑ 隅田川の鉄橋。↑ 隅田川。↑ 東武特急りょうもう。↑ スペーシア(東武100系)。↑ 東武浅草駅。↑ スペーシア「雅」。↑ 東京メトロ浅草線。
2020.02.04
コメント(0)

2020年1月19日、東京スカイツリーでフロア450の天望回廊からフロア345の天望デッキに移動しました。赤い私設の「スカイツリーポスト」があり、投函すると記念スタンプが押されるとの事で、売店で絵葉書と切手を買い、ポスト横の机にひもで付いているペンを使い、家宛てに葉書を書いて送りました。人が並んでいたので、ポスト横の台で、急いでキャラクターを描きました。↑ 東京スカイツリー・フロア450の天望回廊のエレベーター前にて。↑ フロア345の天望デッキにエレベーターで移動。↑ 東京スカイツリー・フロア450のフロア。↑ ソラカラちゃんの人形。↑ スワロフスキーでできた東京スカイツリー。↑ フロア350からフロア345にエスカレーターで移動。↑ スカイツリーポスト。↑ 手紙を書く台。スタンプと、ひも付きのペンがある。(私が投函して、家に届いた葉書)↑ 東京向島の郵便スタンプが押されていた。↑ ポスト横の台で、急いで描いた絵。↑ 東京スカイツリーの影が伸びる。↑ ガラス床。↑フロア345からフロア4まで、エレベーターで下りる。↑ エレベーターの中。↑ お土産フロア。↑ 「幼稚園」の付録。↑ 付録・紙で作るスカイツリー。↑ 2020 東京晴空塔。
2020.02.03
コメント(0)

2020年1月19日、東京スカイツリーのフロア450・天望回廊に行き、最高到達点 451.2mで記念写真を撮りました。天望回廊からの景色を紹介します。 カメラはCanon Power Shot SX720 HSです。↑ 東京スカイツリー最高到達点。451.2m。↑ 最高到達点で記念撮影。↑ 富士山遠望。↑ 富士山。ズームで撮影。↑ 富士山と、手前に新国立競技場。↑ 隅田川と月島、晴海付近。↑ 両国付近。↑ 江戸東京博物館(画面左の白い建物)。中央付近に国技館の屋根が少し見える。↑ 大手町。中央の赤白のタワーは気象庁。奥は皇居。↑ 隅田川。手前はアサヒビール本社ビル。対岸は浅草。↑ 浅草寺と境内。↑ 浅草寺。↑ 浅草にある「花屋敷」遊園地。子供達が小さい頃、家族で何度も遊びに来た。1日券を買うと、遊具に乗り放題だった。↑ 隅田川と桜橋。対岸は台東区のスポーツセンター。↑ 隅田川と荒川。↑ 手前が隅田川、奥が荒川。江北橋、五色桜大橋が見える。この近くに「あらかわ遊園」があり、子供達が小さい頃、何度か遊びに行った。↑ JR南千住駅そばの、JR貨物基地。↑ JR貨物基地。↑ 東京ガスのタンク。↑ 東京スカイツリーの影が見える。↑ 東京スカイツリーの影。↑ 北千住、荒川、堀切。手前は北千住で、東武伊勢崎線が走る。首都高速6号線は荒川を越えて堀切ジャンクションがあり、首都高速環状線に入る。京成本線は荒川を越えると堀切菖蒲園駅がある。↑ 墨田区の曳舟付近。東武伊勢崎線、東武亀戸線、京成押上線が密集している。↑ 線路に囲まれたイーストコア曳舟。↑ 画面左から、東武伊勢崎線、東武亀戸線、京成押上線。↑ 東武曳舟駅。↑ 荒川を越える中央の橋は、京成押上線。その先に四ツ木駅がある。↑ 荒川と中川。↑ 荒川と中川。↑ 手前は旧中川。奥が荒川。JR総武線で荒川を越えると新小岩駅がある。↑ 奥の橋がJR総武線。荒川を越えると新小岩公園がある。↑ 横十間川。川の近くに亀戸天神社、奥に普門院の森が見える。↑ 亀戸天神社をズームで写す。↑ 東京ディズニーランドが見える。↑ 東京ディズニーランド。↑ 葛西臨海公園の大観覧車。↑ 東京ゲートブリッジ。↑ 東京ゲートブリッジと中央防波堤。↑ JR錦糸町駅付近。↑ 猿江恩賜公園。↑ JR錦糸町駅。↑ 中央防波堤と、羽田空港遠望。 飛行機が飛んでいる。↑ 羽田空港から飛び立つ飛行機。↑ 中央防波堤のコンテナ埠頭。↑ 羽田空港へ降下する飛行機。↑ 着陸手前の飛行機。↑ 東京スカイツリーアート。↑ 2019年度 東京スカイツリーアート最優秀賞。ワタナベカズコさんの作品。↑ 2019年度 東京スカイツリーアート優秀賞。近藤賢司さんの作品。↑ 天望回廊のトイレ。
2020.02.02
コメント(0)

2020年1月19日、東京スカイツリーの第一展望台(フロア350 天望デッキ)から、エレベーターに乗って第二展望台(フロア445 天望回廊)へ行きました。フロア445からフロア450までは、なだらかなスロープを歩いて行きます。壁には「にゃんこ大戦争」のにゃんこが沢山描かれています。最高到達点(451.2m)には、ソラカラちゃんと、#777にゃんこの絵がありました。↑ 東京スカイツリーの第一展望台(フロア350 天望デッキ)から、エレベーターに乗って第二展望台(フロア445 天望回廊)へ移動する。↑ エレベーターの内部。↑ フロア445に到着した。↑ にゃんこ大戦争大集合。↑ 壁はにゃんこだらけ。↑ この先に#777のにゃんこの気配がするにゃ!。↑同い年と書いて「タメ」と読むにゃ!。↑ #777のにゃんこは一番高い所が好きにゃ!。↑ ミラクルぐっちの絵。↑ 最高到達点。451.2m。↑ ソラカラちゃんと#777にゃんこ。#777:よくここまで来てくれたにゃ!。
2020.02.01
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1