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河合奈保子さんはインドネシア・バリ島から帰国され、1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演し、バリ島で自分が撮影したハレー彗星の写真と、UFOらしき物が写っている写真を紹介しました。そして、1986年4月1日発売の新曲「涙のハリウッド /作曲:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を熱唱しました。この「涙のハリウッド」は本当に良質のポップスで、聴いていると曲の世界に引き込まれます。私のお気に入りの歌です。ーーーーーーーーーーーーーーー↓1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」。河合奈保子さんが「涙のハリウッド /作曲:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を歌った。
2024.11.12
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河合奈保子さんは1986年4月11日からインドネシア・バリ島で、雑誌「スコラ」の撮影や、ハレー彗星の観望、写真撮影を行いました。帰国後、1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演し、古舘伊知郎さんと芳村真理さんの司会で、奈保子さんの衣装、奈保子さんがバリ島で撮影したハレー彗星のカラー写真と、UFOらしきものを撮影したという写真が紹介されました。奈保子さんはハレー彗星について「見えました。でも予想していたというか、色々な話ではもっと大きく見えるのではないかと言われていたんですけど、本当に星の大きさとあまり変わらなくて、それにちょうど白く周りがぼけている感じで」と話しました。また、UFOらしき物体も奈保子さんが写真に撮ったという事で、その写真も紹介されました。UFOを見たことがある人が他にもいるという話題になり、吉川晃司さんが米国マイアミで見たと言っていました。その後、奈保子さんは1986年4月1日にリリースした「涙のハリウッド /作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄」を番組で歌いました。涙のハリウッドは大変ノリの良い曲で、私はお気に入りです。奈保子さんは自分で作曲のアルバム作成以外にも、新曲のプロモーション、TV、ラジオ番組出演、コンサートなどをこなし、本当に忙しい日々を送られていました。ーーーーーーーーーーーー↓ 1986年4月23日の「夜のヒットスタジオDELUX」に出演した河合奈保子さん。↓ 司会の古舘伊知郎さんと芳村真理さん。↓ 古館さんが「東南アジア風」と言って、奈保子さんの衣装を話題にした。↓ 「後ろをちょっと見てみましょう」と言われ、背中を見せる奈保子さん。↓ 古館さんに「いい背中持ってますね!」と言われ、恥ずかしがる奈保子さん。↓ 芳村さんに「東南アジアに行ってたんでしょう?」と言われ、「バリ島にこの前行ってきました」と答える奈保子さん。↓ 古館さんに「ハレーすい星を見たいと言っていましたが、どうだったですか」と聞かれ、「見えました!!」と答えた奈保子さん。↓「(ハレー彗星は)見えました。でも予想していたというか、色々な話ではもっと大きく見えるのではないかと言われていたんですけど、本当に星の大きさとあまり変わらなくて、それにちょうど白く周りがぼけている感じで」と奈保子さんが説明します。↓ 古館さんが「奈保子ちゃんが撮ったハレー彗星、苦心惨憺して撮ったのがこれです!」と言って、写真を見せました。↓ 奈保子さんが自分で撮ったカラーのハレー彗星。↓ 森進一さんが奈保子さんのハレー彗星写真を見る。↓ 古館さんが「奈保子ちゃん、ハレー彗星意外に何か見なかった?」と聞いた。↓「UFOらしきものを見たんです」と言う奈保子さん。↓ 古館さんが「そのUFOも撮ったんですよね」と言い、「そうなんです」と答える奈保子さん。↓ 古館さんが「これです! すごい! ただ真っ暗!」と言い、芳村さんが「でも(UFOを)写したつもりなのよね」とフォローした。↓ 芳村さんが「UFO見た人いるでしょう、最近」と言うと、吉川晃司さんが手を挙げた。↓ 吉川晃司さんが「マイアミで、ライトが5つ、ピューっと飛んで行った」と話した。↓ 奈保子さんは新曲「涙のハリウッド」を歌い始めた。
2024.11.11
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1986年の河合奈保子さんですが、歌手・アイドルとしての活動以外に、全曲奈保子さんが作曲するアルバム『スカーレット』を作成すべく、多忙な日々を送られていました。オーストラリアのスケジュールが急遽変更になったため、1986年4月11日にインドネシア・バリ島に行き、雑誌『スコラ』の取材を受けたり、奈保子さん自身がハレー彗星を撮影したりしたそうです。「かなりや VOL.28 昭和61年(1986年) 5月 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」で、その時の旅の様子が記されているので下記紹介します。ーーーーーーーーーーーオーストラリアでハレーを観測するつもりが、直前にビザの関係でバリ島に急遽変更。そんなわけでなんともあわただしい出発になったけど、ハレー彗星が見えればどこでも同じ。奈保子は期待に胸をはずませ、(1986年)4月11に旅立ったのです。バリ島でくつろぐスナップとともに、奈保子のハレー彗星レポートに耳を傾けてくださいね。【感激のハレー彗星体験】オーストラリアには入国できないって知らされたのは、なんと出発予定日!なんでも私のビザがワーキングビザなのに、他の人が観光ビザでおかしいっていうクレームがついたかららしいんですね。私はすでに荷物をスーツケースに詰め終わり、いつでも出発できる状態でいただけに、飛び上がるほどあわててしまいました。それにテレビやラジオや雑誌や、ファンクラブの会報や・・・とにかくいろいろなところで、「私、ハレーを見てきます!」って公言していただけに、行けなくなったら、どう言いわけしよう・・・なんてオロオロドギマギ・・・。旅行社の人が、”ハレーのよく見える国”へ行けるように奔走してくださって、結局バリ島行きが決定したのが、次の日の夕方。ホーッとして、翌朝、成田を出発したのです。今考えると、まったく笑い話みたいだけど、本当に真っ青でした(笑)。家でずっと連絡を待ってて、全然落ち着かなかったし(笑)。無事飛行機に乗ったときは、スタッフや取材の方々と一緒にグーッタリ(笑)。でもグーッタリするのは、まだ続くんです。ジャカルタ経由で6時間半でバリ島へ着く予定だったので「現地に着いてから食事しようね」ということで、5時間半たったときも、機内食を断って「お腹すいたねー、でももう少しだもんねー」なんてニコニコしてたら・・・。スチュワーデスさんが「まだ4,5時間ありますよ」って(笑)。気流の関係で、飛行時間が延長したらしいんですが・・・。「それじゃあ機内食ください!」って、全員であわてて食べました。ああグッタリ・・・。さて、バリ島に到着したのは夜。空港に降りたときから、全員で空をキョロキョロ。どれがハレーかなぁーなんて見上げたけど、満天の星空でわけがわからない。というか、つまりみんな、ハレーに関しての知識があんまりないんですよね。とりあえず海岸に行って空を見上げ、「あのいちばん光っているのがハレーに違いない」って決めつけて、カメラマンさんがバシバシ写真取り出したんです。そのカメラマンさんが、「そんなに大きくなくて、他の星と変わらないのがハレーだ」とおっしゃるので、うん、それじゃあ、やっぱりあれだね・・・って。なんか半信半疑だったけど、2日間はずっと、そんな調子で観測してたんです。・・・と言うのも・・・。現地の方って、ハレー彗星のことを全然教えてくれないんです。”不吉の星”だって言って、話をそらしちゃったり、まったくの嘘を教えられたり・・・。だから「たぶん」と言う感じで、2日間過ごして・・・。そして3日目にバッタリとお会いしたのが、前回バリ島にきたときに、コーディネートをしてくださった、日本人の和子さんという女性。実はこの和子さんにお会いしなければ、私たちは本物のハレーを見ることができなかったんです。それまで私たちがハレーと信じて観測してたのは、なんと火星(笑)。ハレーは、和子さんに教えられて、いちばんよく観察できる丘の上に行き、夜の11時過ぎから2時間ぐらいにわたって、ハッキリと見ることができたんです。さて、それでは奈保子のハレー観察報告をするとしましょうか(笑)。まず肉眼で見ると、まわりにフワーッと綿がかぶっているんです。望遠鏡を通すと、尾が短く見えて・・・。状況的には天の川があって、それに南十字星がかかってて、ハレーはそのそばのさそり座をゆっくり通過しているわけです。ただ、よく見るハレーの写真ってサーッと流れて写っているから、流れ星のイメージが強いと思うんですけど、地球から見ると、ゆっくりゆっくりと流れているんです。でも望遠鏡で位置を合わせといて、少したってまたのぞくと、他の星はそんなに動いてなくても、ハレーの動きはやはり早いんですね。ああ・・・もう本当に感動しました。それから滞在中は、昼は撮影をして、夜はみんなで天体観測隊員になって、夜中じゅう、ずーっと星を見てました。飽きないんですよね。不思議と。最初は見上げてて、首が痛くなっちゃったから、次の日からはバスタオルを敷いて、みんなで寝そべって見てました。その丘の上ってね、けっこう湿ってるから、バスタオル敷いてても背中がジメーッとしてくるんです。でも、星見てるとそんなこと全然気にならないの。とにかく数えられないし、ちりばめてて、星が束になっているんですね。私の歌で「星屑シネマ」ってあるけど、あぁ星屑ってこういう状況のことを言うんだろなって、改めて納得させられました。それに、星と私のいる距離って、何万光年もあるはずなのに、手を伸ばせば星が取れそうな感じなんですね。遠くて近くに感じる空間・・・不思議でした・・・。そして宇宙って、偉大であって、やさしくて、でも怖いものも感じて・・・。そうそう、ハレー彗星が不吉な星であると信じているのは、バリ島の人だけじゃないですよね。星の動きでものごとを判断する人たちや、宗教心の強い人たちは、そう信じているようです。私は・・・と言えば、古くからの言い伝えの中でも、いいことは信じるんですけど、不吉とか悪いことっていうのは、信じたくないんですね。調子がいいかもしれないけど。だから76年ぶりに地球にやってきたハレーに「Wekcome!」って言いたかったんです。出発の日が遅れたり、ハレーと火星を間違えたりと、アクシデントだらけの旅でしたが、毎晩宇宙と接して、いっぱいのエネルギーをもらったような気がします。とてもすてきなハレー彗星体験でした。できるなら、76年後にもう一度、ハレーを見たいけど、こればっかりは無理かな・・・。ーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL.28 昭和61年(1986年) 5月 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↓ 感激のハレー彗星体験。↓ 奈保子が撮影したハレー彗星。やはり他の星と比べると、ひときわ輝いています。↓ バリ島の奈保子さん。↓ 昼間は取材の合間に、カメラを持ってパチリパチリ。↓ ランチは新鮮なフルーツをお腹いっぱい食べました。↓ 雑誌「スコラ」の撮影中。天体観測で昼間は少々眠たいけれど、元気はつらつ。↓ プールサイドでひと休み。「バリ島って、どんな風景もみんな絵のように美しいんです」↓ 「スコラ」の編集さんと、撮影の打ち合わせ中。↓ 美しい海を見ていると、心が洗われます。
2024.11.10
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1986年夏、河合奈保子さんはノルウェーに行き、オスロ―の街や、ガイランゲル(Geiranger)フィヨルドなどを巡り、同年10月に発売する奈保子さん全作曲のアルバム「スカーレット:SCARLET」用のビデオ撮影が行われました。それと同時に、その旅で写真家の五味彬さん、河合奈保子さんが撮影した写真による「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」が出版されました。この写真集を見ると、ノルウェーだけでなく、オランダでの奈保子さんの写真が沢山入っていることに驚かされます。写真集には撮影場所は記載されていないのですが、私は1991年から1994年までオランダで生活しており、ノルウェーにも行ったことがあるので、これはオランダだろうと思える写真が多かったです。ビデオ撮影も、ノルウェーだけでなく、オランダの奈保子さんも入れて欲しかったと思いました。ーーーーーーーーーーーー↓「河合奈保子写真集スカーレット SCARLET / 撮影:五味彬、河合奈保子、文:吉元由美/別冊スコラ36/スコラ/講談社/昭和61年(1986年)12月25日第1刷発行」↓ 河合奈保子さん「スカーレット」ーーーーーーーーーーー↓ オランダでの撮影と思う写真を一部紹介します。ーーーーーーーーーーーー↓ ノルウェーで撮影された写真を一部紹介します。↓ ノルウェーのオスロ駅。後ろの車両は、オランダからオスロに到着したオランダ国際列車だと思う。↓ 河合奈保子さんのメッセージ。
2024.11.09
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河合奈保子さんは全曲を作曲したアルバム『スカーレット』を、1986年10月21日に発売しました。それに合わせ、1986年夏にはノルウェーに行き、ビデオ撮影をしました。私は「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」を持っていますが、このDISC 1 には、奈保子さんの海外ビデオ映像(アメリカ西側、ニュージーランド、アメリカ横断旅行、ノルウェー)が収録されています。奈保子さんのアルバム『スカーレット』用にノルウェーで撮影された映像があるので、アルバムに収録されている曲「ハーフムーン・セレナーデ」の映像を一部紹介します。ーーーーー【スカーレット】1986年12月10日に発売された奈保子オリジナル・イメージ・ビデオ第4弾で、こちらは10月21日に発売された同タイトルアルバムの映像版。同ビデオには、アルバム未収録の奈保子作曲のインストゥルメンタル「やさしさの岸辺」と「夜明けのエチュード」がLPのA面、B面にあたる各5曲をサンドする形で収録されており、彼女のメロディー・メーカーとしての魅力を添えている。アルバム「スカーレット」は、初の全曲河合奈保子作曲の第1弾ということで、(一部でデーモン小暮みたいと揶揄された)アルバム・ジャケットと共に当時話題を呼んだ。この映像版『スカーレット』は、全体にドキュメンタリーのような印象を受ける。これは、ノルウェー・ロケということもあるが、やはり初めて全編フィルムで撮影されたクリップ集だということが大きいだろ。シングル「刹那の夏」のプロモーション時期(1986年8月)を縫っての真夏の撮影だったが、その柔らかな画質の穏やかな色彩が、奈保子メロディーに非常によく馴染んでいる。~そして、何といっても圧巻はラストの「ハーフムーン・セレナーデ」。荘厳な景色と壮大なスケールの楽曲が見事にシンクロしている。DVD化ゆえの各段の解像度アップで、ファンの方にとっても今回のリイシューで、更に評価の高まる1作であるに違いない。本作はオリコン・ビデオチャートで最高位5位、また翌年1月に発売されたLDも前3作以上に高セールスとなった。このことからも、この作品でより高品質を求めるファンが急増したことがうかがえる。ーーーーーーーーーーーー↓ 「河合奈保子 DVDコレクション PURE MOMENTS / 2002年3月30日」『スカーレット』↓ 「ハーフムーン・セレナーデ」↓ スカーレット。↓ ハーフムーン・セレナーデ。 ノルウェーの河合奈保子さん、
2024.11.08
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河合奈保子さんが全曲作曲したアルバム『スカーレット:1986年10月21日発売』をレコーディングするため、1986年6月下旬に奈保子さんは神奈川県三浦半島の観音崎のスタジオで合宿しました。今回のプロデューサーは売野雅勇さんで、作詞は作詞家の吉元由美さんです。「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」の中に、観音崎のレコーディング合宿と、売野雅勇さん、吉元由美さんのコメントが記されていたので紹介します。ーーーーーーーーーーーー6月下旬のレコーディング合宿を最後に、無事すべての曲の録音が終了しました。ハッピーソングあり、バラードありのバラエティに富んだ曲の数々。また、さすがに音楽の基盤がしっかりしているだけあって、優れたメロディラインに思わず唸ってしまいます。今月は、レコーディング合宿の報告とともに、スタッフからのメッセージを紹介したいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【合宿エピソード】本当にがんばってくれました。前々から根性のある人だとは思っていたけど、今回のレコーディングで、増々奈保子の音楽に対する熱い姿勢を知ることができました・・・。と、これはレコーディング制作に立ち会ったスタッフたちのコメントです。たった一音の微妙なズレを見逃さず、詞とメロディーを吟味していくその様は、まさにアーティストそのものだったということです。ところで今回、レコーディング合宿の中ですべて制作されたわけですが、何日間も東京を離れることで、合宿の前後は相当キツイスケジュールだったことも確かなのです。例えば6月は、7月24日に行われる”EASTコンサート”の曲目を決定させる時期でした。現在、コンサートにおける選曲や構成の会議では、奈保子の希望やアイディアを中心としてくりひろげられているため、合宿前はじっくりと案を練っていた奈保子。そのために一睡もしない日もあったとか・・・。「今日は夜遅いから明日にしよう・・・なんて考えていると、どんどん日が伸びていって、レコーディング中に考えなければならなくなってしまう。それでは合宿の意味がなくなってしまいますよね。だからできる限り東京にいるときに、他のことをやるようにしました」これほどまでの徹底した意気込みが、素晴らしい音を生み出してくれたのでした。さて、では合宿中のエピソードをご紹介しましょう。起床は前の晩のレコーディングによって変わりましたが、スタジオ入りは正午なので、奈保子は午前中に譜面を見ながらレッスン。そしてそのまま本番へ突入し、一応午後の6時にUP。1時間ほどの夕食の後、休憩をしたら今後は8時から再開。終了するのは平均して12時だったということです。ところで6月に行われた合宿は観音崎で、スタジオから海が一望できるステキなリゾート地。だから普通なら機材ばかりで無味乾燥なスタジオも、実に優雅なムードが漂っていました。このような環境なので、奈保子も録音中はTシャツに短パンというリゾートファッション。だけど表情には常にピリッとした緊張感も漂っていました。こうして完成された奈保子全作曲のアルバムは、10月21日に発売される予定です。タイトルは仮で「スカーレット」とつけられましたが、これはもしかしたら変わる可能性もあり。とにかく本当にいい曲ばかりで、時間を忘れるほどのめり込んでしまいます。発売になったら、ぜひ御愛聴くださいね。ーーーーーーーーーーーーーーーー【売野雅勇さんからのメッセージ:(今回のレコードをプロデュース)】今回のアルバムテーマを「スカーレット」にしたのは、いろいろと意味あってのことなんです。奈保子さんの特徴を考えた時に、女性が本来持っている”優しさ” ”素直さ” ”やわらかさ” が浮かんだんです。そこでそういった女性を表現していく・・・ということがまず第一にあって・・・。また、彼女は自分の中から湧き上がるものを表現するにおいては天下一品で、日本のトップアイドルの位置にある人ですよね。アイドルを越えた部分っていうのもすごくありますし・・・。それで彼女の人柄や存在感などを総合的に見たときに、いちばんフィットしているイメージは”スカーレット”だったわけです。この”スカーレット”には2つの意味があって、ひとつはスカーレット色、つまり緋色(ひいろ)。もうひとつは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラによるもの。スカーレット・オハラって、女性のひとつの形だと思うんです。自由で愛情が深くて、とてもチャーミングで。ただ、ファンのみなさんは、奈保子さんに緋色というより、パステルタッチのイメージをお持ちかもしれません。確かに彼女は人間的にやさしくて、ひとつ遠慮しちゃうみたいなとこもある・・・。淡い感じの女性ですよね。でもそういう人にも、胸の中には真っ赤に燃えた緋色が絶対あると思うんです。夢を見たり、あるいは恋をしたり、前向きな明日に向かって生きようとする命の輝きみたいなものが・・・。これは本来彼女が持っているものなんです。それを初めて今回、ソングライターとしてアーティスティックに出したわけです。アイドルから出発して、このアルバムでひとつの答えが出るとおもいます。それはもちろん、よりよい形でね・・・。ーーーーーーーーーーーーーー【作詞家 吉元由美さんからのメッセージ:(今回のレコードの作詞を担当)】今回奈保子ちゃんの作った曲に詞をつけさせていただいたんですが、すべて曲が先で詞を後でつけるという作業でした。最初テープで曲を聴いたとき、やっぱり好きなだけあって、バラードは相当完成度の高いものだと思いました。また奈保子ちゃんは職業作家じゃないから、非常に素直な感覚で自分の歌いたい曲を作ったように思います。それはテープの中に熱く込められていて、そういう意味ですごい生身なデモテープという感じがしました。また、レコーディング中も彼女の音楽に対する真剣な姿勢が垣間見えて、私もそういうものに近づきたいなってすごく思うようになりましたし。歌は10曲あって、詞の中に10人のまったく性格の違う女の子を表現したんです。情熱とか衝動などが、色々な形になって詞にでているというか・・・。曲ごとにいろいろなストーリーがあって、10人の奈保子ちゃんがいるっている感じでした。彼女のひたむきさや思い入れがスタッフの私たちに伝わったように、アルバムを聴くみなさんにも、それはしっかりと感じてもらえると思います。ーーーーーーーーーーーーーー↓ プロデューサーの売野雅勇さん、作詞家の吉元由美さん、そして中央は河合奈保子さん。↓ 海が一望できるスタジオは、澄んだ空気に包まれていました。↓ 注意すべきポイントをチェックして・・・。↓ 小池ディレクターとの打ち合わせも、熱いムードが漂います。↓ ピアノを自己レッスン。「生ピの音ってすごく落ち着きます」。↓ スタジオから見えるプール。ここで泳ぐことは一度もなかったとか。↓ 観音崎スタジオの一室。休憩タイムに奈保子はここでレッスンをしてました。↓ 「奈保子しんぶん Vol.37 /昭和61年(1986年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」
2024.11.07
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1986年10月21日、河合奈保子さんは全曲を自分で作曲した『スカーレット』を発表し、同年11月26日には、アルバムに収録されていた『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル曲として発売されました。上記のアルバム作成のため、河合奈保子さんは1986年5月から山中湖畔のスタジオで合宿されました。学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜きがあり、その頃の記事があるので紹介します。ーーーーーーーーーーーー「河合奈保子 LP合宿も無事打ち上げ。あとはレコーディング、そして発売を待つのみだぞ!」1986年5月7日から14日まで、全曲奈保子ちゃん作曲というLP作りの為、山中湖にあるスタジオに合宿。全10曲のうち1曲は無伴奏の曲ということで9曲の音作りに専念したわけ。合宿メンバーはスタッフ、ミュージシャンあわせて総勢25名ほどという大家族。1日のスケジュールは朝食と昼食を兼ねた食事が12時なので朝はゆっくり寝坊ができる。そして午後1時頃からプレイヤーと打ち合わせをしながら音作り開始。奈保子ちゃんは各ミュージシャンの演奏する音をチェックしながら、その都度自分のイメージを説明し、曲を作っていくという作業にはいる。今回は本人のボーカルのダビングはなかったものの、時々歌ったりして曲調を合わせていった。夕食は7時頃。にぎやかな食事タイムが終わるとすぐにまたレコ―ディング開始。こうして夜中の12時ちかくまで音作りに没頭するという合宿ぶりだった。番組も取材も一斉シャットアウトした合宿生活なので、奈保子ちゃんにとっては充実した毎日だったという。全部自分が作曲したLP作りの作業とはいえ、人気者の歌手にはなかなか作れない機会なので、奈保子ちゃんにとっては貴重な体験になったはずだ。合宿を終えて帰京した彼女の顔はやり遂げた満足感でいっぱい。あとは本人のボーカルを吹き込むだけだが、6月後半からレコーディングに入っているので、現在仕上げにむかってラストスパートというところ。発売は10月ごろになるというから楽しみに待っていようね。きっと力作が出来ると思うよ。5月17日からはコンサート”ジャスミンの夢飾り”が、大阪よりスタートした。18日米子市公会堂、19日鳥取市民会館、20日出雲市民会館、24日川崎市産業文化会館、6月2日岩国市民会館、3日徳山市民文化会館と続く。ご存じのように奈保子ちゃんは地方のコンサートがあると、必ずその土地の名所、旧跡を見て歩く。もちろん本人の社会勉強の為でもあるが、ステージでもその日行ってきた名所の話なども織りまぜ好評をよんでいる。今回も岩国では錦帯橋へ行ってきたり、徳山では動物園へ行くなど熱心に見て、歩いている。そして今回のコンサートの特徴のひとつにステージ上から奈保子ちゃんがカメラを構えて客席を激写というシーンがある。結果はナイショだそうだけど、ぜひ一度撮った写真を見てみたいものだね。コンサートの合間に、日立のコマーシャル撮影があった。商品は暖房器具で、これから真夏へむかおうという頃なのにCM界のシーズン先取りの早いこと。5月28日にはチャゲ&飛鳥のコンサートを見に行ってきた。一度ステージを見たいという念願がかない、ごきげんなコンサートに酔ってくる。6月15日渋谷公会堂でのコンサートをラストに、いよいよ7月24日のよみうりランド・イーストのコンサートリハーサルに入る。今年で4年目のイーストのバースデーコンサートに奈保子ちゃんの力はみなぎる。同じ7月24日に新曲『刹那(せつな)の夏』も発売されるし、コンサート、レコードともファンの応援を楽しみにしているよ。ーーーーーーーーーーーーーー学習研究社MOMOCO「IDOL情報局」の切り抜き。河合奈保子さん。↓ 番組スタッフにも人気者の奈保子ちゃん。局の控室でせっせと色紙にサイン。
2024.11.06
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1986年の河合奈保子さんは、歌手活動以外に、インドネシア・バリ島でハレー彗星を撮影したり、夏にビデオ収録でノルウェーを訪れたり、夜のヒットスタジオのマンスリー(毎月、奈保子さんの特集が設定された企画)をしたりと多忙の中、継続して作曲作業を続け、1986年10月21日に全曲を自分で作曲したアルバム『スカーレット』を発表しました。また、『スカーレット』の中に収録されている『ハーフムーン・セレナーデ』の反響が大きく、1986年11月26日には『ハーフムーン・セレナーデ』がシングル盤として発売されました。1986年春頃に発行された雑誌の切り抜きが手元にあり、「河合奈保子 作曲家修行」という記事があったので紹介します。奈保子さんがアルバム『スカーレット』の曲を作成する頃の様子が書かれています。ーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】いま、こつこつと自作の曲を書きためている奈保子。今年中に、全曲オリジナルのLPをつくろうと思っているのだ。そんな作曲修行の生活を紹介してみよう。ーーーーーーーーーーじつは2年ほど前から、曲は書きためているんです。河合奈保子・作曲の第1号は、『秘めやかなラブ・ストーリー』という曲で、コンサートで歌ったりして、けっこう評判がよかったりして・・・。でね。気をよくして『夢かさねて』っていう曲を、去年モルジブに行ったときに作ったの。涙が出るほど、綺麗な夕暮れで、波の音を聴きながら、ホテルの前のブランコにのってたの。ポータサウンドをいじくってたら、メロディがうかんできて、あ、これだっ!ってね。どちらも、愛着があって自分の娘みたいな感じだから、『奈保子22』(アルバムレコード:1985年7月24日発売)っていうベストLPに入れました。ーーーーーーーーーー私の作曲法って、イイカゲンなの。仕事が終わって、眠れない夜とかに、自宅で近所迷惑にならない音でエレピを弾くの。それで、「ラララ・・・・・」とか「ヌフフ・・・・・」ってハミングして、カセットに録音するの。それを、バンドのギタリストの永島さんに渡して、いい曲かどうかを判定してもらうわけ。たいていボツになるんだけど、30曲は作りましたねー。コーラスの部分とか、出だしだけできてる曲みたいなハンパなものもあるの。それで、採用となったら楽譜におこしてもらうの。悲しいことに、譜面書けないし、コードもつけられないから。TVの楽屋とかで、理論とか永島さんに教えてもらってはいるんだけど、時間がトビトビになるので、前の復習に手間取ってしまうんです。なさけない作曲法なんだけどねー。もっと勉強しなくっちゃ!ーーーーーーーーーーーそれで、詩は書けないから作詞家の吉元由美さんにお願いしてるの。「この曲は海っぽく、こっちは爽やかな風の雰囲気で・・・」とか注文して、またもや、イイカゲン。そんな感じで、なんとか10曲ぐらい作って、今年中にオリジナル・アルバムを制作したいんです。できれば、カラオケの音録り(おととり)にも立ち会いたい。自分の曲なんで・・・。今までの曲を永島さんにアレンジしてもらうと、全然ちがう流れになってしまうのね。そういう楽しみもあるんです。ーーーーーーーーーーー目標なんていうのは大胆すぎますし、そんな才能もないんだけど、ライオネル・リッチー大好きです。あんなバラードが書けたらいいなって。影響されたのか、私の作る曲ってほとんどがスローバラードなの。みなさん、なが~い目で、暖かく見守ってやってください。1986年4月1日に24枚目のシングルの『涙のハリウッド』を出します。もちろん、自分の作品ではないんだけど、こんな素敵な曲を、早く自分で書けるようになりたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子 作曲家修行】↓ バンドのギタリスト・永島さんと相談したがら、コードの進行などを決めていく。和気あいあいだ。↓ 雑誌の切り抜き。「♬バラードで私の心伝えたい♬」↓ 河合奈保子さん作曲の『シンデレラ・バケーション』の自筆楽譜なのです。
2024.11.05
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1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売されました。この歌は河合奈保子さんが作曲しました。1986年10月21日発売のアルバム「スカーレット」に入っている曲で、1986年の紅白歌合戦で奈保子さんがピアノを弾きながらこの曲を披露しました。同曲は1987年に香港の歌手である李克勤(ハッケン・リー)さんが「月半小夜曲」としてカバーし、中国語圏で大ヒットしました。いまだに歌い継がれている素晴らしい曲です。「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」には、シングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」とアルバム「スカーレット」の記事があり、少し紹介します。新曲『ハーフムーン・セレナーデ』11月26日発売に決定!!ファンのみんなからの強い希望によって決まった今回の新曲。奈保子は、自分の作曲した歌がシングルに選ばれ、感激もひとしお。絶対、大ヒットさせたいですね!【今年の冬はこの曲に賭けます】ここのところ奈保子は、ヘアースタイルや服装などシンプルでさりげないおしゃれが光ってたりします。しっとりと女っぽく、でも時々無邪気な笑顔ものぞかせたりして・・・。大人のような少女のような、不思議な魅力を持っている人ですね。その奈保子の魅力を上手く引き出したのが、すでに放送された『夜のヒットスタジオ』マンスリーであり、先月発売されたアルバム『スカーレット』でしょう。奈保子の世界がこのアルバムで、ひとつの形となって出来上がったといえます。さらに、シンガーソングライターとしても高い評価を受け、今後の活動に大きな期待がかけられています.さて、待望の新曲が11月26日に発売されることになりました。タイトルは『ハーフムーン・セレナーデ』。この曲はアルバム『スカーレット』の中に収録されていますが、以前からファンのみんなから ”ぜひシングルに!”との声が強かったのです。「アルバムに収録する前に、レギュラーのラジオ番組でこの曲を紹介したことがあるんです。そうしたら反響がものすごかったんですよ。山のようにハガキが届いて・・・みんなの素直な気持ちがとてもうれしかったんです」何よりも奈保子の作曲でもあり、最近のステージではいつもラストに「ハーフムーン・・・」を歌うなど奈保子も気に入っている歌なので、今回のシングルリリースにうれしさいっぱいみたい。奈保子が作り、ファンの声によって実現した新曲。しっとりした切ないバラードはこれからの季節にピッタリ。ぜひとも大ヒットさせたいですね!ーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子さんのメッセージ】お元気ですか?奈保子です寒い日が続いてますケドカゼなんかひいてませんか?気をつけてくださいネッ!さて、アルバム『スカーレット』もう聴いてくれましたか?ぜひ感想をきかせて下さいネッ!それではきょうはこのへんでNAHOKOーーーーーーーーーーーーーーーー↓「かなりや VOL.31 昭和61(1986年11月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」ーーーーーーーーーーーーーー↓ 1986年11月26日、河合奈保子さんのシングル曲「ハーフムーン・セレナーデ」が発売された。私が学生のときに、アルバイト先の地元放送局で頂いた見本盤。
2024.11.04
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タワーレコードから定期的にメール案内が送られてきます。2024年10月17日付で、「ヨルに聴きたい アイのウタ」のCD予約案内が来ており、「河合奈保子」と記載があったので詳細を見ると、CDの10曲目に河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」が入っていました。ーーーーーーーーーーーーーー
2024.11.03
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2024年10月31日(米国30日)、2024年ワールドシリーズ第5戦がニューヨークのヤンキースタジアムがで行われ、ドジャースが7対6でヤンキースに逆転勝ちし、対戦成績を4勝1敗としてワールドチャンピオンになりました。ーーーーーーーーーー↓ ヤンキースタジアム。↓ ヤンキース先発はコール投手。↓ 1回表 大谷選手。↓ センターに打ち上げた。↓ 大谷選手のセンターフライをジャッジ選手が捕球した。↓ 1回裏、ジャッジ選手。↓ ジャッジ選手の2ランホームラン。↓ ヤンキースが2点リード。↓ 1回裏 チザム選手。↓ チザム選手がソロホームラン。↓ ヤンキースが3点リード。↓ 2回裏 ボルピ―選手が出塁。↓ バードゥーゴ選手がヒット。↓ ヤンキーズが4点目。↓ 3回裏、スタントン選手がソロホームランを打った。↓ ヤンキースが5点目。ーーーーーーーーーーー↓ 5回表 ドジャースの攻撃。K・ヘルナンデス選手↓ ヒットで出塁。↓ エドマン選手。↓ エドマン選手がセンターフライを打った。↓ ジャッジ選手が落下地点に移動した。↓ ボールをキャッチしようとするジャッジ選手。↓ 捕球に失敗!↓ ボールが落ちてしまった。↓ 悔しがるジャッジ選手。↓ 1,2塁で、スミス選手が三遊間にゴロを打った。↓ ゴロを捕ったボルピ選手が3塁に投げるも悪送球で、満塁となった。↓ その後、ラックス選手、大谷選手は三振し、ツーアウトになった。ベッツ選手が1塁へ緩いゴロを打ち、万事休すかと思われた。↓ コール投手がなぜか一塁カバーに入らずベッツ選手はセーフになり、ドジャースが1点を返した。↓ 満塁でフリーマン選手。↓ フリーマン選手がセンター前ヒットを打ち、2点追加となる。↓ ドジャースが3点。↓ T・ヘルナンデス選手がセンターへ2ベースヒットを打ち、2点が入り、5対5の同点となった。5回に5対5の同点となる。↓ 6回裏、ソト選手、ジャッジ選手が四球で出塁し、チザム選手のセカンドゴロで、ソト選手が3塁に進んだ。スタントン選手の打席。↓ スタントン選手が犠牲フライを打ち、3塁のジャッジ選手が帰り、6対5になる。↓ センターへの犠牲フライ。↓ ヤンキースが6対5でリードした。↓ 8回表。ウィーバー投手。↓ E・ヘルナンデス選手、エドマン選手のヒット、スミス選手の四球で満塁となった。ラックス選手がセンターへ犠打を打ち、6対6の同点となった。↓ 6対6の同点。↓ 大谷選手。↓ 振ったバットがキャッチャーミットに当たったと主張する大谷選手。↓ キャッチャーの打撃妨害が認められ、1塁に進んだ大谷選手。↓ 1死満塁。↓ ベッツ選手。↓ ベッツ選手の犠牲フライで1点が入り、7対6でドジャースが逆転した。↓ 7対6でドジャースが逆転した。↓ 8回を終わり、7対6でドジャースがリード。↓ 9回裏、ビューラー投手。↓ 2死、バードゥーゴ選手が三振してゲームセットになった。↓ 大喜びの大谷選手。↓ ロサンゼルスドジャースがワールドシリーズ優勝。↓ 大谷選手。↓ 山本由伸投手。
2024.11.02
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2024年10月31日(米国30日)、2024年ワールドシリーズ第5戦の始球式で、松井秀喜さんが始球式を務めました。また、2009年ワールドシリーズで松井秀喜さんが大活躍をされた映像が映し出されました。ーーーーーーーーーーー↓ 松井秀樹さん。ーーーーーーーーーーーー↓ 2009年ワールドシリーズ。
2024.11.01
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