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彼女を小さくしたようなかわいい中学生だ。4月から入ってきて、まじめに勉強してる。礼儀正しいし、笑顔が明るい。何にもまして、机に向かう姿勢がいい。姿勢と言うのは、こころの姿勢だ。分からないところをヒントを与えると考えて「あぁ、そうか!わかったわかった。」と叫ぶ。答えを間違うと「うわー」と叫んで自分の間違いを自分で残念がっている。明るい性格、と自分をオープンに控え目に表現するのはサンドラ・ブロックとちっと違うが。誰か知ってますか?映画「スピード」でバスの運転をした女優。 我が塾にきたサンドラは、必ず帰り際に頭をさげて「ありがとうございます」とお礼をして帰っていく。色の白い、それでいて沖縄出身のきらきら光って両親のしつけのよさがにじみ出ている女生徒だ。彼女の成績は、この1ヶ月で飛躍的に伸びている。当然でしょう。勉強は心でするもんだから。頭など問題にするのがおかしい。本当に彼女の顔は、サンドラに似ている・・・・。
2003年04月28日
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再来月6月6日と7日、1泊2日で健全な教えを健全な方法でしていない現実を、考えるシンポジュームがあると聞いて、早速参加申し込んだのが2,3週間前。 夕方、電話がなって受話器を取るとその会の発起人だ。先生が最初の参加申込みでした。楽しみにしておりますので少し話していただけますか?「いや、私はま学ばれておられる方の話を聞きに行くのとその被害者の方たちのためにどうすればよいかを知りたいために参加申込みをしたので、・・・・」と戸惑いつつ応えたが、正直言って、私が参加するのを喜んでくださっているのはうれしかった。 健全な食事の料理の中に毒を入れて出されているならそれを食するものたちが、病気になったり死んだりするのは当たりまえ。だから、その毒を盛るものとたちに自分のしていることがどんなに恐ろしいことか気づいてもらいたい、それも毒を栄養剤と思い込んで入れている場合が多いからことは複雑きわまりない。 世の教えの中には、健全なものでも、正しいものでも、それを権威あるものとしてその権威を振りかざしてドラを鳴らしながら教え、指導している偽りの教師がのさばっているのは、もう我慢できない。その教えをありがたがって聞いている平凡な、庶民も自分の健康が害されていることに気づかねばならない。 そのシンポジュームがまちどおしい。人を支配するのは世のサダムフセインや金成日などであって、それもおそかれはやかれ世から消えていくが、リーダーや教師は、仕えるものであって健全な教えを待ち焦がれているものたちの僕である。
2003年04月26日
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日本人自身が知らない自分たちのおいたち、過去そして現在知らないで行っていること、伝統だということだけで毎年繰り返している大切にしていることなどをシリーズものにしてみたい。脚本らしきものを書いて、その筋の専門家にみてもらった。脚本もビデオ撮影も素人の私たちだから手探りだ。このシリーズものは、何かひどく意義あることのように思えてならない。一緒に手を貸してくれる人を捜し求めていたら、ビデオを写すのが長けている人が、見つかった。その人と今日は脚本からの打ち合わせを少しした。ビデオを編集するためには、専門家であるプロが必要だ。費用など検討したが、お金はどこからくるのかなんだかこころわくわくするポイントだ。働き手も必ずどこかからやってくる。そのことを5月4日仲間があつまって富士山の麓で相談する。30名から50名は集まるので誰かがいいアイデア出してくれるだろう。ビジョンを描いてそれを実行する。これこそ人生そのもの、すばらしき人生!(失敗するかも?)当たりまえでしょう。失敗しない人生など退屈でしょう?でもそれでも前に進むところが人生の醍醐味ですね。
2003年04月25日
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4月20日(日)に私の体験記をメールマガジンで3年半にわたって続けてきたのが終わった。塾に来ている生徒の両親に読んでいただきたいと10年間にわたって毎月発行してきた塾長の声だった。 終了して数名の方々から暖かいお礼のメールをいただいた。数百名(500名くらい)の人が登録してくださっていたがこんな暖かいメールをいただくと本当にうれしくい。これを栄養にして、今度は気楽に塾長の声を発行し続けるつもりだ。教育とは何かを書いてきたつもりだが今度は子どもと塾長の気楽な声にしたい。メールマガジン・・・まぐまぐNO.17691です。よかったらまた登録して配布してもらったらどうですか?現代の子どもにほんろうされて踊らされている初老の塾長の叫び声が聞けるかも。
2003年04月23日
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入り口に人の気配がするので行ってみると彼だ。4,5日前に来たところだ。1年に2,3度来る彼がめずらしい。「サダムフセインが・・・・・」「シーア派が・・・・・・・」わからないことを口走っている。「世界に平和が・・・・来ないとだめだ」赤ら顔はアル中の模様を浮かび上がらせて私に何を言いに来たのか付き合ってられない。水をコップに一杯手にも持たせて「飲め」と言うと手にもったまま飲もうともしない。「飲まないなら返せ」と取り上げると、帰ってしまった。遠い世界のことを人はあれこれ述べたもう。自分が○○中毒であって狂っているのによその世界やよその人のことをうだうだ言う。まず自分が正気になって、ごく近くにいる人のことを思いやることを忘れているのはこの憐れなアル中のホームレス一人じゃない。私には何もできない、と彼に言って君にできることは、水一杯あげることしかできない、としても彼はそれを飲まない。何か憐れな姿を彼にも私にも見る。でも上を向いて求めるものに報いがあることを信じてみよう。
2003年04月21日
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18日の大阪のオーキャットで夜、25名の人が集った。日本人とはどこからきたのか?と題して講演者が二人、語った。第一部は外面的証拠からそして第2部は内面的証拠からこの人種は、あるところからやってきたと。集った人は東京から、山梨から、姫路から、京都、そして地元の大阪からやってきたが・・・。長距離バスでまたJRでそして地下鉄、バス、自家用車、自転車で。おかしなことがおこった。この集会の準備をしてくださった方がやってこなかった。会って間もない方で、大変熱心に私を励ましリードしてくださった方なのに。携帯に電話しても、事務所に電話しても電話に出られない。2ヶ月ほど前に知り合って、今までそんなこと一度もなかった。3度私の事務所に来てくださったことがあり、メールもすぐに返事をくれた方なのに、18日にも19日もなしのつぶて。不思議なことがあるものだ。集いは大成功!こられた方が、「日本人の持っているものがあることで大嫌いになったが、今私は、自分をとりもどしたようだ。」と言われた方が印象深い。6月20日に同じところで、また開きますと案内して集会を終えた。一人一人また集いましょう、と握手をしてお別れした。それにしても、この集会を始めてくださった方はどこに行ってしまわれたのだろう。
2003年04月19日
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彼はアル中、真っ黒けの顔。いつもケロケロ笑い声を上げて大変マジメな話をする。今日の午後もブラッとやってきた。酒のニオイをさせながら、「聖徳太子はね・・・・・」と話し出す。話をさえぎって、「水飲んでいくかい?」と言うと突然涙ぐんだ。そして風呂に入っていないんだろうその手で目をぬぐった。涙が彼の目からこぼれた。「死ぬまでイエスを忘れるなよ」と言うと「忘れません」と言って帰って行った。人は、暖かいことばを必要としているのだ。水いっぱいが欲しいのだと、つくづく思った。彼は、35年以上もホームレスだ。私にできることは、彼に水を一杯飲まないか?と勧めること以外に何もできない。今日友人の告別式だった。彼がいつも暖かい笑顔を私に向けていてくれたことが脳裏から消えない。主よ、みもとに近づかんと歌っているとき、私は涙がでてとまらなかった。私は明日の夜、大阪オーキャットで話す。たった30分だと思うが、“日本人の心”を話すつもりだ。その心はどこから来たのか?を。
2003年04月16日
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すなおに驚いて「へーすごい!」という人。中ぐらいに感心する人、「あぁ、そうですか」と興味を示さない人、人さまざまだ。でも私はひとり喜んで写真を見せびからして「やったんですよ」と自慢している。まるで子どものようだ。人の反応なぞ、どうでもいい。私が一番びっくりして一番驚いているのだから。中学生たちが一応に興味を示して先生「ようやるわ」と感心してくれているのは、自分もいつかわやってやる、という気持ちもうちに秘めているに違いない。若者よ、我れに続け!そして心で空を飛べよ!
2003年04月15日
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ニュープリマスの友人S.H.を訪問したら、彼は立派なひげを生やしていた。たしか去年家内と11月会ったときあごにも口ひげもなかった。理由はラストサムライに出演するためにはやしている、と言った。4月10日彼の出番がある。それも予定が3回も遅れていたのでまた延期になったかも。その撮影現場に連れて行ってもらう。(これは4月3日)江戸末期の横浜がそこに建てられていた。旅館、「○逢亭」港の倉庫、黒船の一部が建築中、もちろん旅行者などは一切立ち入り禁止でマオリの屈強な6フイートはあるガードマンが早速やってきて、「立ち入り禁止」「カメラ厳禁」と言う。立ち話を友人としていたが、彼は撮影のエキストラで金持ちの英国商人になると話したり、パスを忘れていたが、このジェントルメン(私と友人の日本人)はラストサムライの撮影所をどんなものかを見に来たのです、と話している間に彼はニコニコしはじめて、「どうぞ私が横に着いているなら、何も言わないから一緒に中に入ってあげましょう」と言う。日本語の立て札を訳してあげた。定 1.万引きするな 2.悪行するな、仲良くせよ 3.たちしょんべんするなこの三つが横浜港に立て札として掲げられていた。3つ目は、笑ってしまったが現地の人も大笑いで撮影現場の人もひどく面白がっていた。 そのうちに、このガードマン、J.は「カメラOK.私がとってあげましょう」あとで、このことをニュープリマスの人に話すと、もう信じられないという顔をしてびっくりそして「ウソでしょう?」と驚きをすなおにあらわした。つい先日500人くらいのおもに日本人の男たちがニュープリマスの町にあふれていたとのこと。土曜日に14,5時間撮影をして、その次の日の日曜日にショッピングしてもう月曜日には日本に帰って行った。今、ニュープリマスの町の中心商店街にはLast Samuraiと書かれた真っ赤な横断幕が垂れ差がかかっている。それをくぐらないと車の往来ができない。日本の富士山(Mt.TARANAKI)をこれで4回目の訪問だが、雲にはばまれて、今回はその雄姿はあらわしてくれなかった。雪をかぶったMT.Taranakiは私は富士山ではありませんとはずかしくて日本人の私にその姿をみせるのを恥ずかしがったのだろう。参考のため、 ニュージーランド航空ニュースレターのなかから抜粋しておく。 NZで日本が舞台のハリウッド映画『ラスト・サムライ』撮影中 『ロード・オブ・ザ・リング』に続き、今度はトム・クルーズの最新作『ラスト・サムライ』の撮影がニュージーランドで行われています。 映画の舞台 は19世紀の日本。 当時の日本家屋を忠実に再現したロケ村が出現。 ◇ ニュージーランド関連情報 ◇【1】ニュージーランド航空がタイアップしたTV番組・雑誌のご案内【2】日本国内で行われるニュージーランド関連イベントのご案内【3】サッカー日本代表、コンフェデ杯初戦でニュージーランド代表と激突============================== NZで日本が舞台のハリウッド映画『ラスト・サムライ』撮影中 こちらでは特集記事の一部分を掲載しております。 19世紀の日本を描いたトム・クルーズ主演映画『ラスト・サムライ』の撮影が、1月中旬から北島のタラナキを舞台に進められている。 失われた当時の日本の自然がニュージーランドには今なお残っていること、中でもタラナキには、富士山とよく似たタラナキ山(エグモント山)があることなどから、北島ニュープリマス近くの小さな町が、この大作のロケ地として抜擢されたのである。 昨年半ばから数カ月をかけて、当時の日本家屋などを忠実に再現した大規模なセットが作られた1月からは、多数の日本人エキストラを含め、渡辺謙、真田広之らの出演者、製作陣がタラナキに滞在し、撮影は12週間に及ぶと見られている。 すでに京都と姫路で10日間、ロサンジェルスで2カ月の撮影が終了しているが、この映画の8割はニュージーランドで撮影される。 製作費800億円ともいわれるこの大作映画は、今年12月日米同時公開の予定。 続きはこちらをクリックしてお読みください。 http://www.airnz.co.jp/Promo/Link.jsp?p=mail030403&n=1
2003年04月12日
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朝、4時に目がさめた。ミルキーウエイ(天の川)が満天の星の中に流れていた。南十字星がその中に泳いでいるのを見ながらすぐにキャラバンを走らせる。夜空が明け染めてくるころクィーンズタウンを一路南へ下る。約300キロ11時10分に今回の目的地ミルフォートサウンドに到着。今までの写真など比較にならない壮大で雄大で偉大な山々が海から生え出ている。その高さは1000メートルくらいからにょきにょきそびえている。その絶壁岩が息を呑むとはこのことだ。 丁度11時に遊覧船が出て行くところだった。次の遊覧船は12時25分。約2時間半のタスマニア海まで往復。せっかくここまで来たのだから、65ドルを奮発する。100名ほどの観光客の中に10名ほどの日本人。そのうちの若い青年(三重県)と親しくなった。3週間ほどの旅をニュージーランドの南島を中心に一人旅らしい。設計士で、どうして日本の青年が3週間も休暇が今ごろ取れるのかと問いただすと「会社を辞めた」とのこと。やはり日本はそうでもしないかぎり、このような贅沢は許されないのだ。同じ船に何十人という同じ年代20代、30代の青年男女がカナダから、イギリスから来ている。彼らは、仕事の休暇をもらってバックパッカーたちだ。遊覧船の時間まで2時間あるので散歩していたとき高台であった一人のカナダの青年は、ヒッチハイクで南島をまわっていた。「昨日その遊覧船にのったが、あいにく雨でだめだった」と、展望台のような所であったその青年は言っていた。今日は、見事と言う他ない好天に恵まれたおかげで、フィヨルドによってできたという切りたった岸壁の入り江の景色を満喫。ただ圧倒される景色だ。天候さえめぐまれればこの景色をみずして“ニュージーランドに行ったことがあると言うことなかれ” 私は実に40年前にNZに来て以来はじめて見た光景なのだ。期待に外れずそれ以上の思い出となる。百数十メートルはあろうかというところからまっすぐに落ちる滝の真下に船がちかづいて細かい霧のような水に打たれてカメラを向ける者たちは、あとでレンズをふいていた。 3時半に帰港して、あとは一目さんにクィーンズタウンへ。8時に着いてスパーで明日のパンと今晩のビーフステーキを焼くためのバター、コーンフレーク、食後のデザートのアイスクリーム(これは十分に3日分はある)を買って35ドル。キャラバンで料理をして食べ終わったのが、夜の10時、さあ、明日はクィーンズタウンのゴンドラに一番に乗って山から町を見下ろす。そして一路クライストチャーチへ向かう。どこで宿泊するかは明日が決める。
2003年04月10日
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クライストチャーチに着いてホテル クライトチャーチ空港前90ドル朝食 16ドルその翌日3月31日月曜日にキャラバンが到着。ホテルに持ってきてくれた。二人乗りの写真のやつだ。 キャラバン 6日間 900ドルフェリー 283ドルこれは南島ピクトン港から北島のウエリントン港まで近くのスーパーでまず途中でのさしあたってのその日と次の日くらいの食材を買った。ビフテキ(4切れ厚さ1センチ5ミリ)510g5ドル33セントテリヤキソースとにんじん、たまねぎ、食パンも買った。そのほかアイスクリームで20ドルくらい。(バンの中にもちろん冷蔵庫があり冷凍室もある)(便所もシャワーもある)これでもちろん二人分の費用。ちょっと計算してみよう。合計1314.3ドルです。1ドル70円として約9万円なり。あとは食事をスーパーで数日間の数ドルくらいだ。これ全部二人分なので、わりかんにして4万5千円なり。1週間の費用だ。ジーゼルエンジンのため軽油4回満タンにした。30ドル×4回=120ドル(8400円)3500キロの長旅だから1日500キロ走ったことになる。有料道路一切ない。時速100キロで走ると1日5時間あまりだ。南島など直線道路が7,8キロ続くなどそこかしこにある。すれ違う車に5分くらい合わないときもある。 Mt.Cookへの道、快晴!素晴らしく頂上が迫ってくる。
2003年04月09日
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夕刻、ちょっと曇り目の関空に無地着陸したときは、「わが国だ」、というホットすることはいつも同じ。韓国のインチョン空港に今朝ついたのが5時過ぎ、2時10分の乗継まで数時間を空港からリムジンバスでソウルの中心街まで出て、タクシーで20分(680円)の明堂の商店街まで行った。大阪の道頓堀、心斎橋の感じ。その通りを朝の9時ごろのせいか車が行き交って歩きにくいことこの上ない。2時間のブラブラ後、タクシーでバスターミナルまで乗ると今回帰りは10分と少しで480円だった。タクシーは日本に比べて安い!知らない土地で飛行機の時間を気にして動き回るのは気が疲れる。それでも空港で7時間もじっとしているほど暇人ではない。ソウルの行き交う人、タクシーの運転手、航空の警備員、バスターミナルの運転手に案内係り、荷物預かりの人、すべて英語がダメ。「少し」と返事するがまったく通じない。日本人もダメだがもっとダメな感じがした。私が会った人たちすべてマンが悪くて、道案内に困ったわけか?でも、親切に指差しながら100メートルくらい一緒に歩いてくれた若い女性の警察官には好感をもった。ソウルはどんよりして、スモッグだろう、朝なのに実に暗い。交通渋滞は朝の8時のせいか、それは大阪とはけた違いに悪い。それに空港のバズリムジンが5車線を右端から左端によってまた、右端による。タクシーもまるで神風運転そのもの、もう、芸術的な運転の日本をはるかに追い抜かしている。たった2時間の待ち歩いているうちに、交差点でけんかしている運転手同士の怒鳴りあいの声を聞いた。またの機会があれば、韓国の人の暮らしをじっくりと交わりながら知れたらいいなぁ,と思いつつKE725便に乗った。オークランド空港で搭乗を待っていると同じ飛行機に乗るために待っているMさんが目に付いた。なんとこんなところで、同じ飛行機に乗って日本に帰る知人に会うなんて!?旅日記のエッセンスは、また明日からの日記を楽しみにしてください。また来てください。
2003年04月08日
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ニュープリマスの西岸を昼過ぎに出てそのまま300キロ東北海岸目指してMt.マウンガヌイに7時に到着。早速ふもとの温泉プールに直行する。5つほどの大小のプールがあり、それぞれの温度がちがう。私はこれで3度目だが、金曜日とどこかの小中学校の生徒が来ていたせいか、そのやかましさには閉口した。どこの国でも、こどもはプールでは騒々しい。ぬるま湯が好きなので2時間たっぷり浸かって旅の疲れを取った。隣にいたひげの紳士はひとり、毎週きて3時間は入っているという。この暖かいタウランガの土地が好きで10年ほど前に引っ越してきたと言う。日本人のように風呂がすきなのだ。午後9時に海岸のピザレストランでタイ風ピザに舌鼓を打つ。夕食だ。友人は同じものを頼むので、フィッシュ、えび風を頼むようにすすめて分け合って楽しむ。海岸の駐車場にキャラバンをとめて、寝る。朝5時半に海岸のテーブルに座っていると夜が明けて来た。 9マイルのビーチは東海岸のせいで、太陽が海のかなたから上がってきた。丁度雲がこちらにむかって広がっていたのでその光景は、まさに光の色の大パノラマ!
2003年04月05日
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クィーンズタウンのゴンドラの左隣にあるきれいなもう一つのキャラバンパーク(昨夜はあまりきれいでないパークだったから)で目がさめたとき雲ひとつない青空。9時にゴンドラが動き出すときそれに乗ったのは私たち二人。ゴンドラの終点にあるレストランは7年ほど前のときと同じ姿をしていた。すこしでも上へと思うと二人連れの中年の男女がやけに大きなリュックを担いであとか登ってきた。「この上に行くと何があるのですか?」と聞くと「私たちはパラパンティングをするのです。10分ほどのところ。」これはすごいところを見ることができると思って後について行った。まもなくすると4人の若い男女が登って来た。15分もしないうちに、この6人は3人のインストラクターにかかえられて、優雅に大空の人になっていた。最後に飛んでいった私と同じくらいのそれでいて私よりはるかに体重が重そうな婦人が「私が生れて初めて飛ぶのになぜあなたができないの?」と言い残して飛んだ。優雅に大空に舞っていた。私は考えた。もうこんな機会、理想的な風、抜けるような青い空、眼下に広がるは、世界一の絶景!(私が知っている景色のなかでは、一番きれいな町)185ドル!写真つき。(この写真は次の機会に現像して載せる) 私は15分の後には、ゴンドラの上に展望台にはもうたくさんの人々が見る中をこれ以上の恐怖感とこれ以上の優越感はないだろうと感じながら飛んでいた。飛行機さえ嫌いな私が、足が宙に浮いているその下は何もない!そんなところに浮いているのだ! 「600メートルくらいはあるかい?」と聞くと「それくらいだろう」という返事が返ってきた。Wnderfulというのは、日本語でスバラシイと言うのだ、と言うとクリス(我がインストラクター)がスバラシイと言って納得していた。彼のことばと、この落下傘を横に広げたようなものが絶対に落ちないことを目の前で3人の人が見せてくれて一人の60歳くらいの夫人の一言がなければ私は宙を飛んでいなかったろう。確かに彼女の顔は何かを決心した勇気ある顔であった・・・・・。「私ができるのに、なぜあなたができないの?」3歩、5歩、そして走り始めて7歩目にはもう坂はなかった。「30キロメートルくらいの速度で飛んでいるのだ」と彼は説明していた。風があまりに強いので、山に激突するのではないか、またゴンドラのレストランにぶつかるのではないかと心配をよそにクリスは見事に回転する。入り組んだ海の上、周りの山々、女王の町を優雅に舞って15分ほど、ゴンドラの登場口の横にある小学校の校庭にいとも間単に着地して我が一生の最大冒険は終わった。もう私は、ちょっとくらいの冒険とか不安には恐れない何ものかをつかんだような気がする。
2003年04月02日
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