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左顔面の鬢(びん)のところに2ヶ月ほど前からできものができた。髪の毛に少し隠れているのでだれも気づかない。だんだん大きくなって3ミリから4ミリくらいで盛り上がってきてかゆいのが気になってしかたがない。 4日前の日曜日、オーストラリアから一時帰国した友人がオージーの男性と結婚する。2月にするのでその準備の話をしているとき婚約者の彼は皮膚がんのところを5ヶ所も焼いた、と言う話になった。そのところは痒くなるとのこと。早く焼かないと癌が転移する、と言う。私は私のデキモノことはだれにも話していない。妻にも。オーストラリアの日光は日本の数倍の強力なやつなので皮膚がんが多いらしい。ドキッ!としたのを顔にも出さず私は早速かかりつけの医者に月曜日電話した。「まずやってきなさいよ」ということで午後4時に診てもらった。 局所を見るレンズでそのヶ所を見ていた医者は、「がんは汚い、醜い顔をしている。あんたのはきれい。」「このクスリ1日に3回、塗りなさい。」皮膚がんの写真を見せてくれた。恐ろしい写真である。「こんなのを患者さんのあんたに見せられないけどな」といいながらペラペラとページをめくられる。 そして今日で3日目、そのできものは1ミリくらいになった。痒みもない。今私はホッとしている。 心配事は次から次へかまどの煙のようにモクモクとわき上がるのが人生の旅である。旅の晩年になるにつれてその煙は濃くなり、量も多くなる。そのとき人は旅の道連れ(人、信念、人生哲学、宗教、など)が恋しくなる。その道連れが頼りないなら旅も不安で満ちてくる。 昨日、ホームレスが私を訪ねてきた。この寒さの中、彼はダンボールの中で寝ている。彼はアルコール中毒だが話している時、目が潤んできた。彼には旅の道連れがいない。私も彼の本当の道連れにはなれない。そんな自信もないし、ただ話をして聞いてあげるだけだ。
2004年01月28日
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罪あるのに罪ないと言い張る人がいる。また罪がないのに罪ありとされて刑罰や処罰を受ける人がいる。そしてその処罰を黙って受ける人がいる。私はどちらが武士かと問われると後者だと言い切る。 赤穂浪士47人はじっとして黙していたら死ぬこともなかった。だが彼らは自らの罪は何もないのにあえて討ち入りし殺されるかもしれないし、それでなくても結局は死を承知してその時代の法律を犯した。そして切腹という刑罰をもって自らを処した。これを潔いとすることに反論する人にまだ私は会ったことがない。いや潔くないとする本を読んだことはあるが読むに値しない暴論であり、読後感は砂を噛む思いであった。すぐに吐き出したが・・・・・・・。 あるお坊さんの話を読んだことがある。そのお坊さんの子を宿したと言った良家の娘さんがいた。身に覚えのないそのお坊さんはひと言の弁解もぜず彼はその地位も名声も失った。そして何年も経ってその女性は真実を告白した。彼の一生は彼女の偽の証言で多くのものを失ったにもかかわらずそれを恨まず、ゆるしたその信念の住職をして潔いという以外私は他のことばを知らない。 人の上に立つ者、指導する者、教える者にとって自らの処し方がその人なりに潔い処し方ができなければその人本人のみならず、周りの人たちへの失望がエイズウイルスやコンピューターウイルスのように蔓延する。 ある衆議院議員の方、自らの身の処し方を熟考してほしい。まだまだ人生の途中なのに、悔いのない処し方を選んでほしい。
2004年01月27日
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昨日を知ることは案外容易い。明日をうかがうのも案外容易い。しかし、今日を知ることは至難の業である。 徳川家康が天下をとって天下泰平の世を300年間保つ礎を築いたとか、その屋台骨となる精神が廃れた幕府の堕落を憂い、西郷隆盛、坂本竜馬が立ちあがる歴史をひもとくことは易しい。それについて論議してその正邪をとくもの案外容易い。 今から20年後、いや100年後を想像するもの楽しみであるし、人間の愚かさや戦争の歴史を学ぶことによって、暗雲よぎる未来を予想するのも案外容易い。なぜか?そのことに関して責任がない。しかし、今私たちがどんなところに立っていて、何をしなければならないかを明確に語ることは、その比でないくらいに難しい。責任が伴なるからである。自分の生きかた、今日の生活の仕方に関係しているからでもある。そして、今日を知ることはその責任の重さもさりながら知ること自体の困難さが一番の理由である。 今日を知ることは、己を知ることが難しいように同じくらい難しいと内村鑑三は100年以上も前に述べている。隣人を知ることや、友人を知ることは案外正しく知ることができる。私の友人を知ることに関しては、私の方がよりよく知っているかもしれないし、彼自身より彼の母かも父の方がもっと十分に知りつくしているかも知れない。 一番難しいことを言った人がいる。自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい、と。 そんなことできるはずがない。自分を知らないのに自分を愛せるものか。自分を愛するものが他を本当に愛せるものなんだと言われたのであろう。 さて、今日を知ることが一番今求められている時代が今日かもしれない。自衛隊イラク派遣は正しいのかどうか。世界の潮流をしるためにブッシュ大統領の演説に耳を傾ける?私が友人の一生を決めるかもしれないひとつの提案を指し示すべきか。そのために新聞を読む。TVを見る。政治家の採択する法案を知る。友人の意見を聞く?などが本当に今日を知る材料の最適情報だろうか? 今日は、どんな時代で今日私たちはどう処して生きていけばよいかを教えてくれる人が一番必要としているのも今日である。 そんな人がどこにいる?宗教家の中にいるのだろうか。教育家の中には?政治家は? どこへ行くかをはっきり知っている旅人は極上の幸せ者だ。Happy is a man that has a bias.Bias とは辞書で先入主、偏見、傾向とある。 ひとつの傾向をもっている者は幸せである、と言う意味か。その傾向が正しい方向を指し示していると確信している人が幸いであるのか。いやそれだけでは周りに災いをもたらすのが関の山であろう。オウムの信者はその方向を傾向を間違ったものであった。集団自殺を図ったある宗教団体のグループもそうだった。 今日を教えてくれてその傾向(方向)を教えてくれる人がいたらどんなに素晴らしいだろう。ならば、今日を心よく生きることができるだろう。 これは求め続けている姿勢そのものがその標識をもっていることにほかならない。人の一生は求めて求めて旅をする巡礼そのもの。「求めなさい、そうすれば与えられます。」と信じて求め続けよう。我らは求道者なのだ。旅人なのだから。共に歩きましょう。真実に真摯にそして明るくユーモアを解して。赤穂浪士のひとり、大高源吾忠雄の辞世の句「梅で呑む 茶屋もあるべし 死出の山」
2004年01月24日
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留学にしろ旅行にしろ外国に行くと良い。日本から離れると分かることがある。書物や他人の経験を聞くのも知識を得る方法でもあることは間違いない。だが自分の目で見て、匂いをかいで、手で触れて耳で聞いてみるのとは雲泥の差がある。 これも水に入って泳いだ人が水泳を知ることができるのと同じで書物で水の中には入れないし、他の人の体験ではどうにもならない。 まず日本が見える。「文化とは何なのですか」、と中学3年生が携帯電話のメールで聞いてきた。日本文化とは?と尋ねてきた。私はメールで返事をしたのだが、背中の痒いところを服の上から掻いているみたいで、おまけにメールで返信できず、うろうろしている間に「結局送信できませんでした」、とおじんの携帯メールの手際の悪さを露見してしまった。 彼に会ったときに「日本のアイデンティティーだ。」と言ったが彼は「それなんや?」 どこでもいいから外国に出かけてみろ!と叫んだがこれは最適な答えだと今も思っている。 次に人生の財産になる。貯金は必要なものを買いたいとき、体験したいときにその貯金を引きだして使うためにする。それとよく似ている。私は23才のときに貨物船でニュージーランドへ行くことができた。円の自由化がまだのときだ。だれもニュージーランドがどこにあるかさえ知らなかった。1年の滞在後帰国して、私が人生で得た22年間のそれよりもはるかに密度の濃い体験をした1年間であった。帰国した私は外面的には何の変化もない。体重も背丈も変わらなかったが私の内の精神面や目の付け所が違ったしまった。その後の私は、臆病者ではなくなった。そのころ外国にリュックサックを背負って貨物船に乗りだれも知る人のない地の果てのようなところに出かける私は、臆病者ではなかったかもしれない。だが、内なる自分は日本しか知らない臆病者であった。外人をみると縮み上がっていた。 それにもまして外国に行くことによって臆病者であることを隠そうと思っていたようなところがあった。だれにそれを隠そうと思っていたのかですって?自分で自分を見つめる勇気などなかったということだと今は思っている。「トラの衣をかるきつね」である。それからの人生の旅への貴重な内なる貯金となる。この貯金は使っても減らない。むしろ使えば使うほど増える。 ある人がこのように言っていたのは至言である。「私は少なくとも年に一度は日本を離れます。仕事に新鮮な空気をいれるために。自分の働きがマンネリになっていることさえ気づかずよどんでしまっているのですよ。」 また彼は、登校拒否児などを外国に連れて行って助けている。「精神的に新しい空気を吸わせてあげるのです。」 私は3月の末からニュージーランドに出かける。4月からの私の中に表現できないくらいの風を吹き込んでくれる。毎回失望に終わった旅など一度もない。 どこでもいい。日本を離れて日本の空気を吸うことを止めることによって日本で働く力を得るのだ。
2004年01月20日
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習慣と言うものは、初めの1日からはじまる。その初めは決断の力から始まる。 83歳の大女優森光子さんさんは、舞台で振り向くしぐさで年齢がわかるといわれていた。そこで毎朝75回もスクワットの運動をするという。 90も越えている尊敬する日野原重明氏は、エレベーターを使わず階段をかけ上がるという。 私は、4、5年散歩などしなかった。今年の夏、公園を1周した。もう息が切れた。足腰が弱っていた。不整脈という病気も運動を控えていた理由だが良くなりつつあったので半年前に散歩を再開した。 今は、不整脈を気にしつつも30分散歩しても疲れないし気分爽快である。ときにはジョギングもする。 あるとき、ある心の決断で1回目があったのだ。外的要因として職業柄という理由もあるかもしれない。病が原因かもしれない。一発触発して大決断をした理由は人それぞれだ。だが1回目があった。それが2回、10回となるとき習慣となりその人なりができあがる。若ければ若いほど、その1回目は易しい。 塾に来ている小学4年生の鉛筆も持ち方が、まるで握り締めタイプである。肩に力が入り、答案用紙が破れそうだ。そこで鉛筆の持ち方器具で直してあげようとするが耳を傾けない。挙句の果ては無視する。 彼女が20才になってボーイフレンドの前で鉛筆を握るとき彼女は発奮するのだろうか。事務職について字を各職業につくとき、疲れる理由がわかるとき悪習慣を断ち切るのだろうか。 いやまてよ。もっとすごい悪習慣が彼女に培われている。養われつつあるといったほうが適切だ。 忠告を受けつけないという1回目の習慣がどこかで育っている。それが板についてきている。もう9歳と言う年齢で。 これは恐ろしい。この習慣が断ち切られるために彼女は将来大変な代価を払わなければならないだろう。病という代価、事故という代価、ありとあらゆる不幸が襲ってきても、その代価を払ってもそれを断ち切り、人の忠告や本から得る大切な教えを直に聞くことができるなら万事OK. 柔和、謙遜、素直という美しい習慣を修得すれば素晴らしいが年齢が寄るにしたがい困難さは増し加わる。 この幼い女の子に私ができることは何もないという事実がさびしいし、自分に力のないことが無性に腹が立つ。 もちろん、成功した例も数々あるがこのひとりの女の子を導けないのは 野球の年間130試合の負け試合1試合どころではない。
2004年01月18日
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閣下は陸軍随一のアメリカ通だそうですが、アメリカ人はいったい、日本人をどう思っているのでしょうか?中将は答えた。「宗教的に云えば平等な神の子ということになるのだが、残念ながらそれは口先だけだ。」と云われると、彼らの人道主義はニセモノだということですか?「ニセモノとも違う。彼らの人道主義は白人種同志の間には確かにある。しかし、日本人は白色人種ではないということだ。」すると有色人種である日本人は?「ハッキリ云っているじゃないかジャップは猿だと。」藤田副官はおどろいて、さらに問いかけた。ではアメリカ国籍の黒人はたちは?「家畜だよ。家畜以下でもなければ以上でもない。そうした人種的な偏見、白人優越の倫理感情の欠陥が今度の戦いのいちばん深く大きな原因をなしている。したがって有色人種の先頭に立って戦端を開いてしまった日本人の立場は、この偏見是正に役立つように戦わなければ意味はないのだ。」そして、初めは日米戦うべからずとして、陸軍では珍しい開戦反対論者であった中将は、さらに語気を強めて言い添えた。「われわれは、彼らより強く、彼らより、正しく、彼らより美しくなければならない。その3点で断じて勝たねば、死んだ兵の霊魂は救われんぞ。」 昭和19年(1944年)6月10日、硫黄島に出陣するとき、牧師の息子の副官藤田中尉に栗林中将が答えた。 彼は、長野県出身。陸軍大学校を卒業、その後ワシントン駐在大使館の武官補佐官、カナダ駐在大使館武官後大佐に昇進、旭川連隊長となった人である。 アメリカにもヨーロッパ諸国にも真の武士たる人格高潔な人々はいる。日本にもいる。そして人種偏見に凝り固まったものたちもどこの国にもいる。最大公約数的にものごとを判断する尺度をとるならば、この中将の説は残念ながら当てはまっていると言わざるを得ない。 私個人としては、筆舌をして言い表せないほどの恩恵と助けを西洋の方々から受けているし、尊敬もしている。彼らに足を向けて寝れないというのは心底私の心だ。 だがしかし、その親切心や心のおおらかさ、愛情の深さの中にさえ彼ら自身に身についてしまっている優越性を感じ取るのは海外生活をした偽らざる印象でもある。 その責任は、日本人のみならず有色人種のもっている宣伝力不足によるのも一因であろう。彼らは日本を知らない。日本人を知らない。日本の文化の歴史など知る由もない。 また東洋人、その中でも謙遜の美徳をして人格の高尚を持って自認している日本人は自分を語らない。その我慢の一種が、彼らをして日本人が何も云わないことを彼らの正当性を主張する一因ともなっている。 私は留学生にアドヴァイスしていることがある。ホームステイしかり寮生活しかり、不平不満があれば我慢せず必ずその責任者にもの申すこと。日本へ帰国後アメリカ人は気が効かないとか、ニュージーランドのあの学校はあァだこうだったと友人知人に言いふらすなど、それこそ日本人の恥ではないか。 本当の我慢というのは、我慢していることを他人に言わないことが我慢なのだ。気がつかない彼らの性状が起因でのトラブルや、文化の違いなどで起こる諸事を我慢など絶対にするなと励ますことにしている。我慢したならその彼らの欠点を死ぬまで口外するなとも。 雨水で賄っている寮のシャワーの湯がなくなった。自分の頭髪を満足に洗えないその施設の不満を日本の快適さと比較して、その国の劣等さを声高に吹聴している元留学生がいた。また旅行者もいた。なんとその品性は、彼ら以下ではないか。 日本の武士たる前記の中将の爪の垢でも食べなさい。
2004年01月17日
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歯科に行く、そこの待合室は狭い、3人が座ればもうスペースがない。立っているところもない。ということは待つ必要がないということなのだろう。近所の人に紹介されていくことにした。 30年ほど前に神経を抜いてかぶせてある歯が、歯茎が年齢とともにやせてきた。隙間が出来て気になり始めたので見てもらった。「ちょうど良いときに来られましたね。ほっておくと歯そのものがなくなるところでした。神経がないので痛みがないからドンドン虫が食ってます。その前の歯と後ろの歯がないので、その3本まとめて治療します。」ということで1日目がおわり、1週間して今日2回目。 気になるのが値段だ。そこで「3本まとめて修理していくらですか?」と問うてみた。「保険で処理しますので7,8千円でしょう」安心! 10万円も20万円もするとニュージーランドへ行けなくなる。 気にくわないのが二つある。ひとつ:待合所に置いてある雑誌がエロ本ばかり。ふたつ目:かかっているBGがいらいらする。なぜ気が休まるモーツアルトでないのか。 そんなことを考えているうちにすぐに治療が終わってまた来週ということになった。来週の月曜日にその歯医者にそのふたつの理由を聞いてみたい。(どうでもいいことか) その医者を紹介してくださった人の理由は、家から近いからと言う理由だったのだが腕はいいのだろう。2回しか行っていないが手際のよさは抜群だ。私も歯科暦は自慢ではないが、あるほうだ。ニュージーランドで2本も奥歯を抜かれたし、日本でも虫歯で何ヶ所が通った覚えがある。 これだけの手際のよさと気さくな医者もめずらしい。 だからこのふたつの問題点を問題にしたいのだ。モーツアルトの品性が下劣だったと言う説がある。しかし、その腕前は世界を潤している。私はその下劣な品性からあのメロディーが生まれるのかを今でも疑問のひとつである。 だがしかしである。この歯医者の品性は、腕前と合わない。だからなお悔しいし惜しい。 腕前と品性は関係ないということを声高にいう自信が私にはない。 去年行った歯医者は、置いてある本は健康に関する本と歯に関する本、そしてBGはクラシック、気分が休まる雰囲気で申し分なかった。 同じ歯を見てもらったが、治療する必要ないとの応答で数回通ったが馬鹿でかい治療費を毎回取られた。数十秒の詰める治療で3000円はないだろう。これはいただけないから他の歯医者を探していた。この逆のケースはもっといただけない。 サムソンは自分の民をその腕前で救った。しかしその品性の堕落のゆえに自分の両眼をえぐられた。民は救われても自分は滅んでしまった。 本当のサムライは、その腕前と品性が問われるのではないか。痛いですか、痛みませんか?と治療中よく聞いてくれる。神経がないのに痛むことがあるのか?とそんなに気にされると心配になる。疑問だらけの歯医者通いだ。 腕前と品性をどちらを取るかとあえて問われれば、もちろん腕前である。 私、は救われる。
2004年01月16日
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討ち入り4ヶ月前、8月5日大高源五と貝賀弥左衛門は京都、山科、伏見、大坂、赤穂の同志を訪ねた。吉良の首をはねるという血判状を書いて1年4ヶ月が経っていた。それぞれの事情を抱えていた浪士にその決意を問うたのである。「盟約は反故(ほご)にする」改めてその決意のほどを探るのである。 叔父の小山源五右衛門は右腕として大石に仕えていた。それが脱盟した。赤穂城明け渡しのときときの右腕、奥野将監も脱盟。実に120名の内65名が脱盟したのである。その理由として数々挙げられる。1. 養子縁組が決まった。2. 他家に仕官が決まった。3. 老母、父息子娘を置いてはいけない。4. 体をこわした5. 女ができた6. 討ち入りが失敗したとき第2陣となる。7. 大石蔵之助の放蕩三昧ぶりに信頼を失ってついて行けないと思った。ある本によるともっとも多い口上は、「存念相違の儀御座候」「存じ寄り御座候」であったと言う。つまり考え方に合わないところがある、考えることがあるので抜けるというのだ。一身上の都合でやめるという理由と自分の考え方や思想的が違うと言って抜ける二つの理由に大別できる。後者が圧倒的に多かった。 人は、自分の思想によって生きるということをこのところでも証明しているわけだ。どちらにしても腰が抜けたのである。それを腰抜けと言う。理由はどれもこれも五十歩百歩、どんぐりの背比べである。一刀両断にそのように切り捨ててよいものかどうかは、それぞれの判断にまかせるが討ち入り成功の報を聞きつけた脱盟者の多くは、歯ぎしりをして悔やんだと言う。これは、大いにありえることだし本当に武士の腰の刀が泣いたであろう。泣かなかった者もいたであろうって?そんなのは武士と言わない。そして、11月さらに5名が脱落した。残る50名がいよいよ12月に入る。浅野内匠頭はそれほど立派な殿様であったのか、むしろ短気でわがままだったという風聞があるくらいだ。徒党を組んで押し入れば怪盗の部類に入るではないか。幕府にたてつくことになるにもかかわらず、命かけてまでなぜそんな討ち入りをする必要があったのであろうか。その理由を考える以前に、彼らはやってのけたという事実がある。その理由は個人的なこととして考えるのが妥当だろう。なぜならそれぞれの脱盟理由が個人的なことなのだから。その歴史的事実を踏まえて、彼らをして突き進ませた心情をそして生き様を考えてみたいのだが、これは並たいていのことではないと思う。人が生きることはどういうことかを問うことにもつながるからだ。また明日にそのあたりのことを書いてみたいが、自信がない。いろんな人の考え方を寄せてほしいのだが、沈黙も意見、考えのひとつ?
2004年01月14日
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「それは私が、外務省に仕える役人であっただけでなく、天皇陛下に仕える一臣民であったからです。悲鳴をあげるユダヤ難民の前で私が考えたことは、もしここに陛下がいらっしゃたらどうなさるか、ということでした。陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろうか、それとも温情をかけられるだろうか。そう考えると、結果ははっきりしていました。私のすべきことは、陛下がなさったことをすることだけでした。」訓令を発行する外務省を超越する権威に忠実であった。今の世にその権威がない。天皇を身勝手に利用した軍部がその権威を内外に行使するために、その上の権威を借りたのは、トラの威をかる狐であった。“An ass in a lion’s skin“ ライオンの皮をかぶったロバだがそのロバや狐に案外力があったから悲劇は甚大だった。 杉原氏は思想をもっていた。赤穂の浪士たちももっていた。武士は仕える殿の命令には絶対であった、がその武士道は殿が道をはずすとき切腹して諌めるのが武士の魂という殿の地位と権力以上の思想的権威を内にもっていた。それが武士であった。その時代の権威を超えた権威を握り締めていたから、後世に光を発しているのである。 子々孫々に光を投げかけるために、老人をはじめ世のリーダーたちは永遠に変わらない価値を魂の根底に根付かせねば、人の前に立つべきではない。そのものたちが、この世で尊敬を受けている職業や地位にいるならその地位を保守するために自分の持っている力を使うならその下にいるものたちの暗黒は、暗黒のままである。 宗教家にそのことを特に警告したい。牧師、僧侶、神官、教師、いわゆる師といわれる者たちに自分の権威以上の権威を見つめる姿勢がない。ならばLeadership is not position but action を噛みしめてほしい。リーダシップは地位でなくて行動である。これは単なる人道主義といううすっぺらい人間本意の思想なんかではない。 あるノーベル賞作家がこんなことを言っていたのを聞いて驚いた。「人は変わりません。生まれ変わりません。ただ雑然とした汚い部屋が整理整頓してきれいになっただけです。」イエスの新生させる力を知らない人は、人類に希望など与えることはできない。「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」といわれたことばを体験しない人は、自分の罪と正面きって向かったことのない人であり同然生まれ変わることなどないと大言壮語するのは自然の理であろう。 内村鑑三はその自らの罪をだれよりも厳しく見つめて、その贖いをイエスの十字架から知って後、彼は人が生まれ変わると言う希望を語り続けた。彼が100年後の今も多くの人々、そして日本人のみならず世界の良識ある人に尊敬を受けている。この日本のノーベル賞作家が、自分の中の罪を見つめないかぎり、彼の持論は百年後だれも見向きもしないし、今生まれ変わった人たちをして現在、はやくも見向きもされていない。
2004年01月13日
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街中で住んでいる私が散歩する道は歩道だ。近くに公園はあるが1周5分くらいで歩き終える公園など単調で面白くもおかしくもない。つい大阪ドームを目指して歩くのが日課となっている。 毎回突然自転車が横を猛スピードで走り抜けていく。また前から迫ってくる。家内はよく自転車に乗っているので、「あなたよけてあげなさいよ。」と言う。危ないのは分かるが、よけるのは自転車の方ではないか。自転車の言い分は、横柄に固まって歩道を占領している場合など歩行者が邪魔になって腹が立つのだろう。 でも、歩道は歩行者のためにある。自転車は、歩道の車道に近いところを走ってもよいが車道を走ってもよいことになっているが、歩行者は車道を歩けない。 それこそ戦場そのものとなる。 ほんの数センチ、いや数ミリかすめて銃弾が飛びかうのは戦場ではないのか。それを毎回散歩しているときに経験する私は空を散歩せよというのか。まるで私はイラクのアメリカ兵士がテロに襲われているかのように何の恨みを自転車から受けているのだろう。 今朝の朝日新聞:自転車の違反にこんな罰則とあった。■ 信号無視・一時停止違反3ヶ月以下の懲役または5万円以下の罰金■ 酒酔い運転自転車でもダメ、3年以下の懲役または50万円以下の罰金 私が散歩するときに夢見ることは、田舎ののどかな田んぼ道を前からやってくる自転車に笑顔で会釈して通り過ぎる日々をすごすこと。ニュージーランドのマウントマウンガヌイの山すそを青い海原を見ながら散歩すること。そんな夢がわが身にかなうのは、いつの日だろう。夢で終わるか、Dream come Trueか だれが知る
2004年01月12日
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私はもの心ついていわゆる青年期と言われる中高生時代は西洋に憧れた。大学では西洋史を専攻したくらいだ。 戦争に敗れたミジメな国から学ぶものはないとかたく信じていたが日本の素晴らしさもどこかにあるんじゃないかとも片隅では思っていた。 ついに日本脱出を計画して神戸港から貨物船でニュージーランドへ出かけて以来、西洋にかぶれてしまった。文化的には最左翼になっていた。日本一辺倒が右翼と呼ぶことが許されるならだが。 何回も西洋を訪れ、東南アジアの町を歩き、憧れのアメリカを訪れて町の人々と話すうちに、日本を外から見る機会が自然に身についてしまった。 そして発見したのである。日本はすばらしい!という一語に尽きると西洋かぶれの私は断言する。 地理的に文化的にそして歴史的に最高の神さまからの恵みを受けている。さて、根っからの日本愛好家としてこんな日記、わが思いを書いているのではないことを知ってもらいたいと思い前文が長くなった。というのは、何でも日本が最初、何でも日本が一番と言う危険思想をもっているのではないことを断っておきたいからである。 イエスもモーセも日本に来ており、日本から学んで西アジアに出かけてユダヤ教やキリスト教を作ったと言う御仁がいるし、世界の中心は日本であるなどと言う空想物語を心底信じて語る輩がいるからである。もう歴史も史実も考古学もあったものでもなく、頭の中の空想奇怪小説をことばにしている子供だましの変形頭脳から生じた膿みたいなものだ。さて、温故知新のオモチのルーツに入ることにする。 前日も書いたがモチの言の源は、マッツオ(Mtsh)である。ヘブル語の種なしパンのこと。イースト菌の入っていないパンのこと。今から3500年ほど前、イスラエルの民はエジプトで奴隷になって50年以上過ぎていた。圧政下に苦しめられやっと解放の時がやってきた。モーセという指導者が彼らを解放に導くのである。そして、神はモーセに言う。子羊の血を鴨居に塗り、天使がエジプトの長子を殺すときあなた方にその災いが及ばないようにしなさい、そして種なしパンを食べなさい、そして脱出しなさい、と。後に、その奇跡的解放の歴史を忘れないように、正月の1日から7日間、神は民にモチを食べなさいと祭りごとを命令される。 彼らは40年間荒野をさ迷った後、現在パレスチナ地方のイスラエルの地に落ち着く。その間彼らの神殿は、天幕であった。その神棚に左右6個づつ12個のモチを両側に供えて12部族を象徴して団結を保ったのである。もちろんその中心は契約の箱、日本に見られる御輿そのものの原型である。 そのモチは、健康のシンボルとして旧約聖書にはその効能が書かれている。彼らはそのために、40年間だれも病気にならず健康で過ごすことができたと言う。 これが日本人にどうして受け継がれているかが、温故知新の旅の解明につながるような気がしてならない。“人はパンのみに生きるあらず“というそのパンはモチが象徴として意味することを自分自身の身をもって証明し、永遠のいのちのパンとなった方は、決して西洋人ではない。その方の血を飲み、体のパンを食べることが文化的に継承されている日本という国と日本人は、西洋から学ぶのではなく今一度、日本に根ざしている生活習慣からその先祖が意味していた意味を掘り起こすときにこそ、世界に貢献する日本と生まれ変わる希望がここにある。 温故知新が日本を復活させるのは、単にモチだけではないが。
2004年01月09日
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古事記に因幡の白ウサギがクスリを塗ってもらって治ることが載っている。これが日本の最初のクスリだそうだ。ガマ(蒲)の穂がそのクスリだ。水で洗ってガマの穂にくるまった治療法で、血の表面を広げるから止血剤になるとある本に載っている。ガマの穂はきわめて刺激が少ない穂であるから早く皮膜を作る手段になるそうだ。 大国主命がやけどをしたとき、その傷口にハマグリの汁をかけた。亜鉛華軟膏と々効果を表すアルカリ性の強い液汁を出す。皮膚組織の復活をすばやくする作用があるのだ。神話だからと言って初めからバカ扱いにしている人がいるが案外そんな人が玄関を出るときに右足から出るかどうか悩んでいる人がいるから自分で何を言っているかほとんど分からないでことばを発している場合が多い。 春の七草を食べる季節に入った。乳の出ないお母さんに昔の人はハコベを食べさせた。野草のひとつでタンパク質が多い。一番多い植物のである。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、ススシロの春の七草はこの時期に体の隅々まで新鮮にしてくれる効果をもたらすことを知っていた。この寒さの中で体に良いものは、けっしてハンバーガーではない。チキンラゲットでもない。ましてや麻薬まがいのものが含まれているコーラなどの飲料水ではない。セリは増血剤、ハコベラはたんぱく質、オオバコは血圧低下を助け、これらすべて健康食品、薬品効果をもつ。七草がゆを食べましたか?私は今朝また雑煮を食べ、“おもち”のうまさとその命の起爆剤としての効力で今日も始めます。もうひとつオモチとの連係プレーで力を発揮するということ。オモチはヘブル語のマッツォ(MTSHでモッチとなまる)種入れぬパンのことであるが、これは麦のみを産するカナンの地では「種入れず作った麦のクラッカー」をマッツォとして食べた。昔ヘブルの人々がエジプトを脱出する際に作ったマッツォが変形しているものを食べていたことになるが、日本人は昔からその原型のお米から作ったモチ(MTSH)を正月に食べたのである。そのときに苦菜を古代イスラエル人は食べた。その苦菜がの二つ、三つが春の七草の中に入っている。それを粥の中に入れて食べれば、邪気を除き、万病を防ぐといわれて日本民族に脈々と受け継がれている伝統行事なのである。温故知新まさにそのことが、今の日本に新しい息吹を吹き込むと思う。明日またこのオモチにまつわるその威力について書き記そう。
2004年01月08日
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バルト海にナチスドイツによる毒ガス30万トンの流出期限が切れたという。タイムリミットらしい。いよいよ地球の海洋死滅が始まると言う情報だ。解決不可能だそうだ。2004年には人類滅亡が始まるといううわさがニューヨークの金融街でされているという。 これらの情報がどれだけ正確かはわからないが、そうだとしても私に何ができるのか、と自問自答しても昨日のように今日も生活するよりほかない。確かめる方法はある。流出が始まればバルト海の魚は死に始めて浮かび上がるだろう。それを見て情報の確かさを確認して人々は声をあげるだろうし、周辺諸国は動き出すだろう。そして海の生物の3分の1が死滅するという聖書の預言が実現するのだろうか。人類は過去に犯した罪の清算をこの21世紀に支払わなければならない宿命にあるように思えてならない。個人が犯した罪も同じだろう。法律が裁くが法律の網の目をくぐる罪も罪は罪、いつかその報いは受けるのだろう。終わりの日はノアの時代の時のようです、とその滅びの突然性を言われたイエスの預言は大変真実味を帯びてくる。人はそれまで飲み食いめとりなどしていた。そして大洪水が襲ってきてノアの家族8人以外はすべて地球上から消えうせた。そのようなときが迫ってきていることは、多くの人から警告を受けている。そしてこの今の世に民族は民族に敵対して戦争とテロの洪水時代がやってきている。だからと言ってどうすればいいのだろう。解決はあるのだろうか。ノアがどうして助かったのか調べてみたらよいと思うが箱舟を作りはじめようか。まさか造船所に勤めるわけにはいかない。40年前私がこのノアの人類滅亡の警告を知ったとき本当に世も終わりの様子を呈していた。現実に東京を去った人もいた。核の恐怖で人類はおびえていた。その恐怖は消え去ったと言う博士もいる。そのかわり生物兵器、大量破壊兵器が現実のものとなってきている。核は決して第2線に退いたのではなく、小型化して持ち運びできるようになりソ連時代に作られた数百のそれは今半分以上行方不明だという。日本は蚊帳の外ではない。原子力発電所にテロ軍団が攻撃しても警備員はピストル一丁携帯していない。門から7分で心臓部に到着し、攻撃を加えると広島の500倍の威力が周辺を覆う。そしてテロの時代にはいり、敵が見えない時代である。40年前の現実性は色濃くなり今や真夜中の漆黒状態である。 この流れを止めることはできない。少なくとも私にはその力はない。人類にない。アメリカにもロシアにも国連にもない。滝壷に落ちている水の1滴1滴が私たちなら、それに身を任せるよりほかないのか。 正月早々、暗い話になった。それでもお父さんは満員電車のつり革をにぎり、お母さんは台所で蛇口をひねる。学生は机に座って先生の背中を見る以外に何ができるのだろう。 私の知人は、ホームレスひとりを助けるために寝袋を買うと言う。コーナンというお店で買うと1000円以下でひとりの凍死を救えると言って「カンパお願い」と声かけている。 政治にまかせよと人は言う。しかし彼は、政治にまかせるなら共産主義になる。それくらいなら私は私にできることをすると言って、目の前にいる困っている人に手を差し伸べている。 友人の牧師は、登校拒否児のために小さな学校をつくり世話をしている。 また友人はそのような牧師を作るのだと言って、聖書学校を作って訓練している。その数80名あまりが無報酬で教授、経理担当、事務をしており、地方局だがテレビ番組を24時間放映している。暴力番組、セックス番組、品性下劣な番組一切ない。世に光をもたらそうとしている実業家からの献金だけで成り立っている。自分の生活そのものを他の人のために捧げている人たち、自分が生きているのは死んでいたものがよみがえったようなものだと異口同音に言う。その理由を知っている者たちは、その恩のために奉公できる。鎌倉武士は、ご恩と奉公の精神をもって「いさ鎌倉」とはせ参じた。その思想は、大石蔵之助以下46人に共通していた思想である。彼らは自分の思想のために自分を捨てた。いや親兄弟、名誉はもちろん、金銭に目もくれなかった。自分に死ぬことが自分を生かすことであると知っていたものたちはその時代だけでなくその後300年間にわたって日本人の魂の扉を打ち続けてきた。 自分だけが生きればいいという思想の持ち主が、大洪水を起こしつつある。自分に死ぬるのだという思想の持ち主、すなわち箱舟を作ることが人類を救うのは今も昔も変わらない。ノアは120年間、人々の心のドアをたたき続けて、洪水の危険を訴えた。そして箱舟を作りなさいと宣べ伝え続けた。しかし、人は洪水が来るまで飲み食いめとりなどしていたのだ。がしかし助かったのは自分を捨てて他の人がやらなかったことをやった8人だけであった。彼らは、宣べ伝えたと同時に言動一致の生活をやったから救われたのである。 孔子に弟子が質問した。「政治はいかにあるべきでしょうか」「食べものを十分にし、軍備をしっかり整え、人民に信義をあらしめることだ」「やむえない事情があって、もしもその三つのうち一つをやめることになったとするとどれを先にやめますか」「軍備をやめる」「さらに残りの二つのうちから一つをやめなければならないとすると」「食べものを備えることをやめよう。食べものを準備しなければ、人間は死んでしまうであろう。しかし、死は人間の避けることのできない運命なのだ。ところが、信義がなければ、人間はいったいどのようなことになるのか。互いに欺き合うようになり、この世から人間の世としてまったく成り立たなくなってしまうであろう。」
2004年01月07日
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ベランダにでてみると空のかなたに飛行機が飛んでいる。誰かが新しい地に向かっている。旅行にしてもビジネスにしても目的をもって飛んでいる。どこか遠いところに出かけようとしている人がいる。それに引き換え私は昨日と同じ日も送ろうとしている。「私の明日はいつ開くのだろう。」 ある人は、アラスカに行きたいと言う。ある人は、ニュージーランドだと言う。アメリカと言う。保母さんになりたいと言って勉強している人もいる。警察官になると言う人は、柔道を習っている。自分の夢をかなえるために、その日その日を過ごしている人は幸いである。夢を抱いて一歩歩幅を進めている人は幸せである。赤穂浪士のひとり神崎与五郎は「一家の士308人、石肝鉄心のもの118人」と書いている。しかし夢を描いて立ち上がって最後までその夢を貫き通した者たちは石肝鉄心のものたちの内でも3分の2が脱落した。残った武士(もののふ)は47人だった。 私はその数が決して少ないとは思わない。むしろ多いのに驚いている。彼らは武士だったのだ。日本武士は夢を描いた後にいのちを捧げても実現させようとする要素をもっていた。その思想は、恩に対しての奉公であり、主君への忠である精神的なもの。脱落した者たちの原因は何だったか。人生でやむをえないわけが生じたとしてもその原因は、外的要素である金銭的誘惑、兄弟親子の心情、名誉、そして女性関係などがあろうが、原因の核は自分である。自分の中の思想である。 脱落しなかった者たちがもっていたものは、武士道だった。自分に打ち勝つ思想を内に秘めていた。その武士道を現代社会に生かすことによって夢を実現させ人生を素晴らしいものにしていかなくてはならない。 自分に打ち勝つ力はどこからくるのか、それを求めて旅するものたちに必ず勝利を得ると信じて進むのだと希望を与えた人がいる。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求していいるのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。」何か(something)によって捕らえられていないとだめなのだ。これは新約聖書をほとんど書いたパウロという伝道者のことばであるが、赤穂の武士たちは、言ったであろう。「それを得るために武士道が私を捕らえてくださったのです」と。「目標をめざして一心に走っているのです。」と。 私は毎週7日間、休みなく働いている。1日たりとも休んだことがない。ある意味では、皆様も同じような環境にいると思う。そこで私は1年に一度は、電話もない私の仕事という足かせの全くないニュージーランドへでかけて、魂の洗濯をする。それが再び仕事への活力となるということをかたく信じているのでその時間をとるために遠くへ出かけるのが小さな夢なのだ。 この3月の末、飛行機に乗ってニュージーランドへ行く。ささやかな夢を実現するために、机に向かってスケジュールを考え調節していく。 なんと楽しいことではないか!自分に死ぬという武士道など私の胸中に入る余地などがないようだが1年のうちのそのホリデーは1週間から10日間だが、他の日々と同じ意味合いをもつと思っている。自己に死ぬ時間であり、自己を生かす時間としてホリデー時間がある。そんなことを考えながら空を飛ぶ飛行機を眺める。人生を楽しむということは、自分に死ぬことから始まるのだがそれが犠牲だとか苦しいとか感じている間は武士道などきわめていない。 大石主税16歳に聞いてみたい。彼は、最年少であったとしても切腹する彼は「私はかの世に行くのが楽しい」と言ったかもしれない。もはや思い残すことはない。口をすすいで、小刀をもつ手で辞世の句。間喜兵衛 「草枕 むすぶ仮寝の 夢覚めて 常世に帰る 春の曙」潮田又之丞「武士(もののふ)の 道とばかりを ひと筋に おもひ立ぬる 死出の旅路に」
2004年01月05日
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明治の初年、多くの日本武士がキリスト信者になった沢山保羅、新島譲、本多庸一、木村熊二、横井時雄そして内村鑑三らである。彼らはイエスの武士らしき人格にひきつけられた。内村鑑三は言っている。「イエスがタルソのパウロを弟子としてもちたまいし以来、沢山保羅らの日本武士のごとき端的にして武侠的なる弟子を持ちたまいしことはないと。日本武士は最上のキリスト信者を作るとは世界の公評であると思います。」新年にあたり新しい思想を抱いて本年も送りたい。昨年までの自分よりなお一層の完全な人格を目指して進みたい、との気持ちはその思想が何であるかを模索させる。 思想、理念がない限り新しい決意など絵に画いた餅だと思う。腹の足しにもならぬ。タバコやめる、酒やめる、パチンコやめるなど赤ちゃんの寝言のようだ。そんなこともやめられない思想や理念など、また宗教に到っては言うに及ばないし書くに値しないし時間の浪費というもの。憎しみを止める、嫉妬を止める、汚れた思いを抱かないとなるとこれは大人の寝言と言っておれない。 神社に詣でてお祈りする姿は、美しいし敬虔である。手をたたいて神殿で神に誓った生活をしたイスラエルのダビデの時代に人々は世界に誇る国を建設した。その子ソロモン王は、世界一の絢爛豪華な国を確立した。エチオピアのシバの女王は、その国の繁栄を驚いたよりもその国の人々の規律正しさと、道徳的品性の高さに驚嘆した。これこそ国を立たせて、社会を豊かにし、家族愛を楽しませる秘訣なのだ。 ちなみに神社でなぜ「手をたたく」拍手を打つかご存知だろうか。これは、神に誓約をするという意味。イスラエルの古典といわれる旧約聖書のなかに、神殿で誓約したのになぜ守らないのか、と言うことばを体で表すのに「手をたたいたのに・・・、」とある。 この正月、神社で手をたたいた人もたくさんいるだろう。その願いや約束が実現するのは、信仰の対象が問題であり私たちの決意ではない。 日本武士は、恥じよりも死を選んだ。なぜ恥なのだろう。なんに対する恥なのだろうか。赤穂の浪士のひとり間喜兵衛は、歌った。 都鳥いざこと問わん武士(もののふ)の 恥じある世とは知るや知らずやユダヤの武士、パウロは言いました。 私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは 死んだ方がましです。(コリントⅠ 9:15) 自分のもっている思想を失うくらいなら死んだ方が生きていて生き恥をさらすよりましだと言う。 その思想とは、死ぬことによって生きるから自分に死ぬのだという。それを体言、具現した人がいた。その人を見て信じた明治の武士たちにとってその時代で世界に羽ばたいたのである。それこそ内村鑑三ら日本武士たちの思想的復活であった。彼らは刀を魂の中に抱く人となった。 そして自分を変えた。赤穂の浪士47人は、刀を抱いて吉良邸に殴りこんだ。そして今、キリストにつく日本武士は目に見えない相手の館に目に見えない刀を抱いて殴りこむ。 内面的汚物の処理や隣人への愛の実践のためにそして何よりも自分の人格の完全をめざして進むために武士の魂の開墾の旅は続く。 私は生まれて初めてカラオケに行った。長男も次男も母なる我が妻も歌った。狭い部屋でぶ厚い本をめくって歌を探す。息子の歌は聞いたこともない歌の連続、家内は「あんこ椿は恋の花」「南国土佐を後にして」、私は、フランクシナトラの「MY WAY」そして同じフランクでもフランク永井の「君恋し」フランクたちの意味とはチョと違う「わが道」を「君愛す」と今年も歩くつもりだ。 家族そろって狭い部屋で歌うのは、我が家族では新しいことであり、私の人格の向上に大いに役立つ。
2004年01月03日
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ニュージーランドから2年ぶりに長男が一時帰国して食卓で「おいしい」を連発している。日本食がよほどうまいのだろう。母親の味が一番なのだろう。 毎日、リゾート地の海岸べりの豪華で優美な夕日を浴びる下宿で自炊しているのだが、景色は胃袋では食べることができない。その場所は、スネルズビーチ。ほとんどの日本食をスーパーで買うことができるが「値段が高いので」と言う。100キロ離れたオークランドまで週2度ほどホンダのプレリュードで教会に通っているから、これも案外個性的人生を送っている。 私は大晦日の朝から髭をそっていない。長男も次男も「ショーンコネリーみたいならいいけどね」と言う。2日の日に電車に乗って、上六(大阪の一つの繁華街)で我が姉二人と我が家族で中国料理に舌鼓を打った。そのとき姉が私を見て「映画に出るの?」 なぜこんなセリフが出るかと言うと我がニュージーランドの友人(牧師)がラストサムライのエキストラでイギリス商人になるため髭を延ばした話をしたことがあるからだ。彼の髭は、ショーンコネエリー風だったので素晴らしかったが。 さて、私の髭は3日でのびてきた。なんだか一番汚いらしい時期だ。家内は、顔をそむけている。「病人みたいや」と言う。 息子たちは、面白がって「お父さん、のばせよ」と勝手なことを言っている。 髭も個性的な人生を送る一つの手段かもしれない。今のこの日本では。しかし、私は髭で個性的な人生を送れるとは髭の一本ほども思っていない。 今日一日、不精して明日の日曜の朝は、さっぱりして何事もなかったようなふりをして教会に出席しよう。
2004年01月02日
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賀状をいただくのは二つのよろこびがある。クリスマスカードも同じように二つのよろこびがある。日頃疎遠な知人友人が遠いところからまた近いところから声をかけてくれるから。そしてもう一つは、お互いの絆を確かめ合うことができるから。 通り一遍のよろしくのことば中にも、相手の心がそこにあるのでうれしい。ニュージーランドの親友からメールで返事が来た。「Both Jan and I look forward to seeing you face to face this year. I do trust it will be just the most wonderful year for you both.」36ポイントのフォントで。私たち夫婦二人の心友(誤字ではない)なので、彼らのことばは新年元日にことば以上の意味をもつ励ましとなっている。 今年はいままでにない素晴らしい年となると声かけてくれた。彼が特別なタレント(タラントとも言う)をもっている人物なので私には彼のことばをただ単なることば以上のもと思っているのでこのことばは実にうれしい。 今まで彼とは不思議な体験をしたことがある。彼が祈ると雷が鳴る。彼の家で一緒に頭を垂れて祈ったときも雷が鳴った。教会で祈ったときも鳴った。シンガポールでは祈ると死人がよみがえった。(信じれない?)彼は、私のメールには必ず返事をその日の内にくれる数少ない友人のひとりである。彼は世界中を飛び回っているのに、ヨーロッパにいようともアメリカにいようとも。打てば響く人物というのは、そんなに多くはいない。 さて、新年あけました。めでたい。なぜならまた我が旅路に新しい年月の日が刻まれていくから。素晴らしい人生の軌跡が残るから。 今日も昨年の続きのサムライ人生あれこれを書こう。「自分のできること」と「したいこと」を一致させるときに素晴らしい人生がある。したいことと自分の思想が同じなら自分にできる範囲でそれを行ったのが、大石蔵之助とその46人であった。 彼らは没我、自己否認、献身、世を捨てる以前に妻、兄弟、親を捨てた。自分に死ぬことによって素晴らしい人生を生きた人たちであったのは彼らの切腹を見取った細川家はじめ他の二家の証言が物語っている。 一見、自分を捨てて没我になり、一つの行動に団体として埋没することは、個性を失い特徴を無くしてしまう面白くない人生となると言われている。そうじゃなくて逆なのだ。 アメリカ映画の最近の「ラストサムライ」は最後のサムライという意味だろう。しかし私は、むしろいつまでも続く侍(サムライ)としてその意味をとりたい。赤穂の義士たちは、サムライとしてエゴイズムを捨てて武士道に突き進んだ。 打算、名誉欲、金銭欲などこの世的財産と思われるものなど彼らにはなかった。命さえ捧げたのである。哲学者、志村武は「自己犠牲、自己放棄こそは自己肯定の頂点である。」と言う。彼はつづけて言っている。「個性は、個性的になろうとする意志から生まれるものでない。」 他と違ってちょっとでも個性的になろうとして、最近の茶髪がある。これなどその最たるもので没個性の極みで醜いことこの上ない。外国の女性から男性から肩をすくめられていることを知ってか知らずか日本人の内面性の没個性化の現れである。 大石主税行年16歳で切腹した若者に聞いてみるがよい。彼が金髪に染めて討ち入りしたであろうか。 個性的に生きてこそ毎日自己に死ねるのであり、自己に死にきることをするので超自分になる。それが生そのものであることを世に知らしめたからこそ300年後の今も赤穂の義士として名を残しているのであろう。 そしてこの思想はどこから来たのか、もうすでにその真理を見つけている人、笑みを浮かべている人は幸いな年を約束されたようなものだ。 元旦にあたって生きること、素晴らしい人生を送るためサムライ的生き方をまとめて述べられた約2000年前の人のことば。この人の思想は、誰が受け継いできたか。赤穂の浪士の中に見出されるように思うのは私だけではないのだが。「私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだ方がましだからです。というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬をもとめないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するためにすべての人の奴隷になりました。」
2004年01月01日
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