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ここ1、2ヶ月の間に資産運用関連の書籍を数冊読んだ。中でも一押しなのは、北村慶『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント---ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵』だ。タイトルはなんとなく胡散臭いが内容は至極真っ当な、資産運用の教科書と呼んでもよいものだ。全ての社会人に(そして、出来ればなるべく若いうちに)広く読まれるべき書ではないかとすら思われる。他にお薦めなのは、内藤忍氏の『内藤忍の資産設計塾 実践編』及び『内藤忍の資産設計塾 外貨投資編』だ。資産運用といっても、これらの書が勧めているのは、株の短期売買などの投機行為ではなく、アセットアロケーションに基づく長期の資産運用だ。アセットアロケーションというのは、総資産を例えば、「日本株」「日本債券」「外国株」「外国債券」「流動資産」「その他の資産」の6つのアセットクラスに、一定の比率で割り当て、その比率を長期にわたって維持し続けることだ。例えば、流動資産:5%日本株:10%日本債券:25%外国株:20%外国債券:35%その他:5%という具合に、計100%となるように総資産を割り振る。後は、この比率が大きく崩れないように、年に一度ほどの周期でリバランスを行うことを長期に渡って繰り返すだけだ。この方法によれば、株や為替の値動きに生活のペースが乱されることはない。普段は、追加資産の割り振りを機械的に行うだけでよい。結局のところ、株や為替の値動きを予想することなど不可能なことであり、一々の値動きに振り回されるというのは人生の無駄遣いである。正しく予想することなんて不可能なんだと潔く割り切り、あとはお金のことなんか考えず自分の生活を充実させることに時間を使おう、という考え方だ。アセットアロケーションは個人個人でカスタマイズするものであり、普遍妥当的なアセットアロケーションなどというものはない。個人の生活スタイル、ライフプラン、年齢、性格、長期の相場観などに基づいて、各個人が決める。結果、決めたアセットアロケーションが適切なものでなかったということももちろんあるだろうが、先のことなんて分からないのだから、それは仕方がない。日本は資産運用後進国だといわれる。日本人の多くは、日本円で預金をするだけで、外貨資産や株資産を持っていない。これを上のアセットアロケーションの考え方に当てはめると、かなり歪なアロケーションとなる。この歪なアセットアロケーションが、長期で見れば、結果正解だったということももちろんあり得るわけではあるが、リスクの高いアセットアロケーションであるとは言えるだろう。要するに、今後、円安と株高が大幅に進むなんてことにでもなれば、円預金の資産価値は大幅に減少することになってしまうからだ。お金というものは相対的な価値をしか持っておらず、円預金即ち定位置というわけではない。大雑把に考えれば、株価が上昇するということはその他の資産(例えば預金)の価値が下がるということである。また、円安ドル高になるということは、ドル資産の価値が上がると同時に、円資産の価値が下がることでもある。ドル資産を持っていると、円安ドル高になった時に儲かったと思い、円高ドル安になった時には損をしたと思いがちであるが、これは正しくはない。円安ドル高になった時には、手持ちのドル資産の価値が上がったと同時に、手持ちの円資産の価値が下がっているわけである。よって、気楽に暮らしたければ、円安ドル高になった時には手持ちのドル資産の価値が上がったことを喜び、円高ドル安になった時には手持ちの円資産の価値が上がったことを喜べばよい。要するに、外貨資産を持っているからといって、日々の為替の値動きなんか気にする必要はないということだ。もちろん、アセットアロケーションが歪なものであれば、落ち着いて暮らすことは出来ない。資産を異なるアセットクラスに適切に分散していれば、落ち着いて暮らすことが出来る。一度アセットアロケーションを決めてしまえば、世界や個人の状況の大きな変化でもない限り、どんと構えて自分の生活に意を向けるのが正解だろう。相場を確実に予想することなど不可能であるが、お金のことを考えている時間は、その時間が結果有効であると無駄に終わるとに関わらず、確実に減っているのだから。
2007/10/22
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村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読了。マラソンなどの走ることが、村上さんにとってどのような意味を持っているのかを真面目に語った長編エッセイ。帯には「村上春樹が、はじめて自分自身について真正面から綴った9章+2」とあるように、内省的な内容の目立つエッセイである。60歳を間近にむかえて、自分について真剣に振り返ってみたいと思われたようだ。もちろん村上さんの語りを聴くことは私にとって興味深いことであり喜びであることに違いはないのだが、全体的な感想としては、さほど面白くはなかった。ここ数年の村上さんの文章について感じるのだが、以前ほどの文章センスがなくなってきているように感じる。文章の精度が低くなっているようにも感じるし、センスの悪い言い回しが目立つようになってきたような気がする。また、表現の使い方を誤っているように感じる時も増えてきた。作家にとって60歳という年齢がどのような意味を持つのかよくは分からないが、ドストエフスキーや谷崎潤一郎や川端康成などのように、60歳近くになっても、あるいは60歳を過ぎても素晴らしい作品を書いた作家が(数は少ないが)いる。60歳には60歳なりの作品というものがあるはずだし、60歳にならないと書けない作品というものもあるはずだ。村上春樹という稀有な才能を持った作家が、60歳になり、そしてその年齢の丈に合った作品を書いたらどのような作品が出来上がるのか、是非読んでみたいものだ。
2007/10/22
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金井美恵子『重箱のすみ』を読了。これもまたエッセイ集。タイトルが示唆するように、どうでもよいような(といっても、金井さんにとってはどうでもよいというわけではない)ことを取り上げて、おしゃべりをしたり悪口を言ったりするといった類のエッセイが多い。金井さんの個性に触れることに愉しみを感じられない人には、これもまた面白くないだろう。金井さんのエッセイを読むと、読みたい本がどんどん増えていく。
2007/10/02
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安部首相辞任以後の日本の政情について思ったことをまとめておきたい。まずは、安部さん辞任の報に接した時の感想。その日の夕刊の一面の見出しで知ったのだが、見出しの「安部」の文字を見た瞬間の反応は、えっ、自殺したのか、と云う驚きだった。幸いそうではなかったので、特にショックは覚えなかったのだが、よく考える迄もなく、何とも間の悪い辞任劇だった。辞任の理由を読んでも特に呆れはしなかったし(何しろ、そう云う段階はとっくに過ぎていたから)、これでようやく日本の政治の停滞も一区切りついたのかと、やれやれと感じた程度の感想だった。次は麻生氏かと思っていたら、どうやら福田氏が次期総裁になりそうな雲行きとなり、自民党がようやくまともな方向へと向かうのかと、少し明るい気分になった。私見では、自民党ひいては日本の政治の混迷を招いた張本人はある時期からは麻生氏だった。匿名の自民党議員は麻生氏を指して「A級戦犯」と呼んだようだし、谷垣氏なども麻生氏が総裁選に立候補する事にやんわりと釘を指した。これは当然、まともな反応であり、麻生氏が立候補すると云うことは、破廉恥なことだった。麻生氏は、福田氏支持の動きを「派閥談合」と批判していたが、そんなことを言って非難して居る状況にもはや自民党はなかった。まっとうな政治感覚からすれば、麻生氏は安部氏がああなった時点で潔く身を引くべきであって、この期に及んで麻生氏が総裁となり首相になろうものなら、政治の茶番がさらに進行すると云うことになる。ここは何としても麻生氏の当選だけは阻止しなければならないわけで、福田氏推薦者達の「派閥談合」はやむを得ないものであったし、それをせざるを得なくさせたのは、麻生氏の厚顔無恥な立候補であった。以上が総裁選中の私の見方だったのだが、新聞紙上でも自民党の「派閥談合」を批判する論調が目立ち、新聞なんて何の役にも立たないのだなと思ったものだ。それにしても気になったのは、「国民的人気がある麻生氏」と云う言い方だ。テレビを見て居ると如何にも麻生氏は人気があるのだなと云う気にさせられるし、世論調査なんかでも実際に人気があるようだ。しかし、どうしてこの人が人気があるのだろう?麻生氏の長所としてマスコミが挙げて居る特徴は如何にも胡散臭いものが多い。彼は、マスコミ好みのキャラクターだと云うことが功を奏して、いわゆる「国民的人気の高い」政治家となったのだろう。世論と云うものは、その少なからぬ部分がマスコミによって形成されるものだ。マスコミが創り出すイメージを大衆が無批判に受け容れてしまうと、それが世論と云うものになってしまう。いわゆる「麻生人気」と云うやつも、大概マスコミが創り出したイメージなのではないだろうか。私は決して福田氏をそれほど買って居るわけではないのだが、今の状況においてはほぼベストに近い人選だったのではないだろうか。総裁選で麻生氏が健闘したこと、福田氏が麻生氏に入閣を要請したことにはがっかりしたが、今後福田氏がそつなく首相の仕事をこなして、谷垣氏などのきちんとした人にバトンタッチをすると云う風に進んで行くとよいのだが。
2007/10/01
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金井美恵子『夜になっても遊びつづけろ』を読了。1967年のデビュー時から1973年あたりまでのエッセイを集めたもの。年齢で云うと20歳から26歳ぐらいまでにあたる。今の私よりも若い頃に書かれたエッセイ集になるわけだが、このように、私よりもずっと年上の作家が私よりも若い頃に書いたエッセイを読むと云う経験は今までに殆どなかった経験だ。こう云う機会はこれからますます増えていくのだろう。中には何を言って居るのやらさっぱり分からないエッセイも含まれて居るが、全体的に見ると、この人は若い頃から相当頭が良かったのだと云うことが分かる。金井さんは、デビュー当時から人の悪口ばかり言って居る。この若さでしかもデビューして間もないと云うのに、名のある先輩達の悪口を名指しで言いまくると云うのは、なかなか出来ることではない。本書もまた、金井さんに興味のない人が読んでも殆ど面白いところはないだろう。
2007/10/01
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