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金井美恵子 『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』「2」の映画のセクション以外を読了。なかなか面白かった。また読み返すほどのものではないが、「ちりあくたの輝く『本の小部屋』から」と題された児童文学案内は、児童文学の良書を読みたいと思った時に改めて参照する価値がある。金井さんが、「再読するに値する本を見つけること」を読書の目的として挙げていた。これは私が最近思い始めたことと同じで、自分の考えが裏書きされたような気持ちがした。
2008/07/27
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鴨長明『方丈記』を読了。こちらはやはり、『徒然草』と比べると相当に見劣りがする。悲観的な記述に終始しており、老人の泣き言、自己憐憫のように思えた。無常無常と言いながらも、世の楽しみに相当未練があるような匂いがした。諦念を伴った人生観が確とあってそれを叙述しているのではなく、自分で自分に言い聞かせようとしているような、そういう印象を受けた。日本の三大随筆の一に数えるのは過大評価ではないだろうか。
2008/07/24
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吉田兼好『徒然草』を読了。やっぱり面白かった。内容がバリエーションに富んでいて、兼好さんの視線やら目の付け処やら寸評やら、どれも可笑しかった。共感を覚える文章が殆どで、自分が兼好さんに相当近いメンタリティを持っていることに驚かされた。それと、この人のユーモア感覚は素晴らしい。読む人を笑わそうという意図が全然透けて見えない、その距離の取り方が素晴らしい。現代人のユーモア感覚と殆ど違わないというのもまた面白く思った。飄々としたようでいて可笑しいことをさりげなく言う、このセンスのよさは素晴らしい。それと特筆すべきは、小学館の新編日本古典文学全集の読みやすさ。ハードカバーに大きめの紙サイズ、そして上段に注釈、中段に本文、下段に現代語訳と、同一のページにまとめて書かれているのがとても読みやすい。文庫本みたく、後ろの方のページに現代語訳があるのではないから、読むのに煩わしさがない。これからも日本の古典文学はこの全集で読もうと思った次第。12, 13, 38, 49, 59, 73, 74, 85, 93, 107, 112, 123, 134, 188, 189, 190, 193, 233, 235
2008/07/24
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『ことばの饗宴』、『ことばの花束』(岩波文庫)を読んだ。これも随分前以来の再読。それぞれになかなかいい文句が並んでいるが、もちろん、はっとさせられる文句もあれば、別に何とも感じない文句、つまらないなと思う文句もある。中に、ショウペンハウエルの次のような文句があった。「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化することによって我々を養うのである。」最近、大がかりな蔵書の整理をした。紙が黄ばんで読みづらい本や、もはや今後読むことはなさそうな本を処分した。どれくらいに減ったのか確かなことは分からないが、当初の5分の1から10分の1くらいには減っただろう。この過程で本の保管について考えた。本を読む時、気になる箇所に目印を付けておくということをやっていたのだが、読後すぐに印を付けた箇所を読み返すことはあっても、一度本棚に仕舞った本をもう一度手にとって目印箇所のチェックすることなど滅多にない。つまり、この目印は、読後すぐの読み返しの目印の用ぐらいにしかなっていないということだ。また、蔵書の整理の過程で、ずっと昔に読んだ本の目印箇所をチェックする作業も行った。それらの中には、未だに注目すべしと思えるような内容のものもあれば、どうしてこんな処に印を付けたのかいぶかしく思われるようなところもあった。そんな中気づいたのは、かつて読んだ文章の内容は、意外によく覚えているものなのだなということだ。新しい本を読んだ直後、読んだ内容なんて殆ど忘れてしまっているということは通常のことだ。だが、10年も後になって読み返してみた時に、意外に読んだことを覚えているということも通常のことなのではないだろうか。つまり、一度読んで精神のフィルターを通したものは、それなりに消化され精神の一部として溶け込んでいるのではないだろうか。結局のところ、読書において重要なのは、一回一回をきちんと読むことなのではないだろうか。付けた印自体はそれほど役には立たないが、印を付けるという作業--どれに印を付けどれに印をつけないのかを決める作業--が内容の消化に資する部分は大きいような気がする。印だけを付けておいて未消化のままにほったらかしにしておくというのは非効率的な読書法だ。そもそも印を付けたくなるような箇所などそうそうないものだ。せっかく見つけたものを未消化に過ごしてしまうというのなら、何のために本を読んだのか分かりやしない。本は何も分量を読むためにするわけではなく、そういった心に響く箇所を発見し、それを消化するためにするものだ。このことを忘れて読書するならば、それは軽薄な自己満足のための読書に過ぎない。ギッシングのこんな言葉もあった。「流行におくれまいとしたり、隣人をおどかそうとしたり、いや自分で自分を偉い者と思いたいために本を買う人がいることを忘れてはならない。」これは正に戒めとするべき言葉だ。これらの名句集を読んでみて気づいたのは、ギリシアやローマの賢人達はさすがにいい事を言うなということだった。それとやはり、夏目漱石や芥川龍之介もさすがにすごいと思った。
2008/07/12
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村上春樹『カンガルー日和』を読んだ。おそらく大学一回生の時に読んで以来の再読。習作的な作品が多い中、「32歳のデイトリッパー」と「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」はよかった。この二つはまた読み返してみたいなと思った。
2008/07/12
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