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ツーことで、今日は二十四節気の立夏で、こどもの日の祝日です。こよみのページによると、「夏の立つがゆへ也(暦便覧)この日から立秋の前日までが夏。野山に新緑に彩られ、夏の気配が感じられるようになる。かえるが鳴き始め、竹の子が生えてくる頃」で「「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」。端午の節句に当たる。1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日で、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日とも規定されている。最後の「母に感謝する」の文言は忘れられて久しい。「父」にいたっては、はじめから忘れられている・・・」だとか。今日も多少薄雲が浮いているものの、陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は15度で昨日よりも6度も低く、北寄りの風が吹き、日照はあるものの、午前10時の気温は20度と昨日よりも6度くらい低くなっている?(^^ゞ 昨日が暑かったからまずまずともいえるのかな?(^^ゞ ただ、昨日は風が強くて熱を奪っていく感じだったけど、今日は風はさほどでもないから体感的にはどうなんだろう?(^^ゞ そんな今日は「端午の節供(菖蒲の節供)…五節供の一つ。邪気を払う為に菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、「午」は「五」に通じることから元々「端午」は月の始めの五の日を意味した。その中でも月と日の数字が重なる5月5日特にめでたい日として「端午の節供」と呼ぶようになった。 日本では、男性は戸外に出払い女性だけが家の中に閉じ蘢って田植えの前に身を清める神聖な儀式の日だった。 しかし「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、甲胄・武者人形等を飾り、庭前に鯉のぼりを立てて男の子の成長を祝う節供となった。因みに「節句」ではなく、「節供」と書くのが本来である」、「自転車の日…1998年(平成10年)に自転車月間推進協議会が制定。5月1日〜31日までの1ヶ月を自転車月間として、さまざまなイベントが行われる。期間中の祝日を自転車の日に当てたもの」、「わかめの日…日本わかめ協会が1983(昭和58)年に制定。「こどもの日」に因み、子供の成長発育に欠かせないミネラル、カルシウム等を含んだわかめをたくさん食べてもらおうと設けられた。また、この時期は新わかめの収穫時期でもある」、「薬の日…全国医薬品小売商業組合連合会が1987(昭和62)年に制定。 611(推古天皇19)年、推古天皇が大和の兎田野で薬草を採取する薬狩りを催し、これから毎年この日を「薬日」と定めたという故事に因みます」なんて日でもあるらしい。ところで、イラン情勢についてはまたぞろトランプさんが余計なことをやっておかしな方向に行く危険性が増した気がするけど、情報が正確じゃないからコメントは差し控えるのが良いのかもしれない。で、そのトランプさんやプーチンさんや習近平さんなどは覇権主義的な行動をしているようで、自らの周りを固めて安全にするために「安全地帯」を拡大しつつあるような?プーチンさんはウクライナを引き入れるためにかなり強引なことをしているし、トランプさんはベネズエラやグリーンランド、パナマ運河などをわがものにしようとしているし、習近平さんは「異物」だった香港を同質化しつつあり、次は台湾に標準を合わしている感じだよね?互いに敵対しているようで、テーブルの下では手を握り合っているような、傍からは知りようがない関係が周りを無視して続けられているような感じじゃないか?仲間を増やすことで自分のやりたいようにしているようだけど、最終的に何がしたいのかは全くわからない。3つの超大国を掣肘することはできず、国連も国際法も何ら止める手立てを持たず、ローマ教皇ですら言葉で訴えることはできてもそれ以上のことは難しいでしょ?結局、3つの超大国でそれなりの力を保持したら好き勝手なことができるという時代になってしまったようだよね?他の国は周りで右往左往しつついかにして自分たちに被害が出ないかを模索しているような感じでしょ?鎖も首輪もつけていない猛獣が互いにいがみ合っているわけではなく、周りに対して威嚇している状態で、戯れに襲われることもあるから、どうやって身を守るかってことになっている。ちょっと前までは互いに牽制し合っていたのに、今では牽制なしに周りに対して牙をむきそうになっているからなぁ…まぁ、こんな状態だからってわけでもあるけど、そもそも、世界は飽和の時で、成長にも限界が見えてきている。ある意味、それ故に世界のあちこちで戦争や紛争が起こり、多くの無辜の者たちが殺傷されているのかもしれない。スクラップアンドビルドといえば聞こえはいいが、大きな戦争で多くの人が死ぬことでそこに成長の余地が生まれたりする。戦争という大量消費と破壊の先にあるのは復興復旧というフロンティアなのかもしれない。そういった意味からすれば日本は戦争ではなく、自然災害に見舞われることで何度となく復興復旧を余儀なくされるわけで、このスクラップアンドビルドで潤ったりもするのだ。まぁ、それだけでは足りないから「都市再開発」とか「インフラ再構築」などで需要を生み出しているともいえるのだ。ただ、問題はそれに見合った資金がないということかもしれない。自然災害からの復旧復興が進まないのはもっと儲かるようなことに資金が向かってしまっているからかもしれないよね?オリンピックとか万博とか再開発の方が絶対に儲かりそうでしょ?だから、復旧復興はどんどん後回しにされてしまうのだ。また、少子高齢化もかなりの問題になりつつある。これは動物の本能的なものかもしれないけど、ある程度の密集が生まれると自然と出産しなくなるのだ。密集ができるまではドンドン子供を産んで増えていこうとするけど、人口密度があるラインを超えるとそれ以上は増えないようにブレーキがかかるんじゃないかな?日本の子供の数はずっと減り続けており、50年前の半数以下にまで減ってしまったそうだ。子供の数が減っている分だけ高齢者の数が増えているのだ。ツーか、高齢者が増えているからこれ以上人口を増やさないために子供の数がおのずと制限されるのだろう。乱暴な考え方をするなら、高齢者の数が減ればおのずと子供の数も増えるんじゃないかな?日本の国土に丁度いい数にするために本能的に出産が控えられてしまうんじゃないかな?それくらい日本人は長生きし過ぎじゃないのかな?日本の人口は最近は少しずつ減っているようだけど、それでも1.2~1.3億人くらいでしょ?ある意味、無理やり長生きしなくても自然と生きていられるくらいで十分だってことになればって思うのだ。医療費がどうのって話にもなるけど、どちらかといえば「緩和ケア」とか「健康医療」「予防医療」をメインにし、無理やり生かして置こうってのは考え直した方がいいと思うのだ。意思疎通もできず死んでいないだけの状態で生きているのはその人にとってどうなんだろうって思うのだ。意思疎通ができて人間らしく振舞えるなら生きる意味はあると思うけど、人間らしく振舞うことすらできなくなったならその後は痛いか苦しいかで、楽しいことを感じることすらできないのは生きていることになるのかなって思うのだ。回復の望みがあるならそれにすがる気持ちもあるけど、そうでないならって思うんだよね?話がドンドン暗くなってしまうんだけど、他者との意思疎通の可否が生きていることの境界線のように思えるから、そのあたりで覚悟を決めてもいいと思うのだ。ツーか、そういう状態を見ている方もかなりつらいものがあると思うので、「死んでいない」ことで執着するのはどうかと思えてならないのだ。こういうことの負担はかなり大きく、この分を子育てなどに回せれば出生だってかなり違ってくるんじゃないか?意思疎通の有無、回復の有無などで「生きている」と「死んでない」の線引きは可能だと思うので、このあたりについてキチンと議論し、「あとは若い人たちで」ってことでもいいと思うのだ。死ぬまで元気で、ある日突然ポックリなんてのが理想だと思うんだけど、まぁ、ずっと寝たきりってのよりは絶対にマシだと思うのはおかしいのかなぁ…(T_T)
2026年05月05日
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ツーことで、今日は3日の憲法記念日が日曜日だったことの振り替え休日らしい?(^^ゞ それにしても水曜日が振り替え休日になるというのも…(^^ゞ それはそれとして今日は朝から空一面に雲が広がり、陽射しが遮られている?(T_T) 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は16度で、北寄りの風が吹き、日照はほとんどないからか、午前10時の気温は18度と昨日よりも2~3度低くなっている?(T_T) ツーか、午前中の用事がケッコウおして、2~3時間遅れてしまったし、ケッコウ疲れているのもあるからどうしたもんかなぁ…(T_T) 正直テンションべべなんだけどなぁ…(T_T) 困ったもんだ(T_T) こよみのページによると、今日は「ゴムの日…「ゴ(5)ム(6)」の語呂合せ。 ゴム製品のPRの為に制定」、「鑑眞忌…唐の高僧で、日本に渡って日本律宗を開いた鑑眞の763(天平宝字7)年の忌日。唐招提寺開山忌は、月遅れで6月6日に行われる」、「万太郎忌,傘雨忌…小説家・劇作家・俳人・演出家の久保田万太郎の1963(昭和38)年の忌日。 俳号の傘雨から傘雨忌とも呼ばれる」、「春夫忌,春日忌…詩人・小説家・評論家の佐藤春夫の1964(昭和39)年の忌日」だとか。ところで、イラン情勢は相変わらず進展もなく、トランプさんがガソリン価格の高騰などで嫌われていることすら「フェイクだ」と取り合わないから、どうしようもないことになる危険性も孕んでいるし、今度トランプさんが訪中することで習近平さんにガツンと言われてどうなるかってのもあるし、情報へのアクセスが限られるパンピーとしては何とも言えないよね?ツーか、戦争はしない、景気をよくする、物価は高騰させないなどなどを公約として掲げて大統領になったのに、これらのことをガン無視でしょ?戦争を始めたことで物価が高騰し、そのあおりで景気も悪化しているのにトランプさんは我関せずでしょ?物価高騰で暮らしが苦しいという声が大きくなってきても「イランの核開発を阻止しないといけない」と言い張るばかりで、多くの人にとっては「イランよりもガソリンだろうが!」って話なのに、トランプさんの耳には入らないようだよね?こうなると11月の中間選挙で共和党を惨敗させ、トランプさんを弾劾させて首にするしかないと多くの人が思い始めるんじゃないかな?ツーか、そこまでみんなが我慢できるのかって話でしょ?多くの人たちが苦しんでいてもトランプさんには「フェイクだ」なんだろうね?翻って日本でも物価高騰や石油由来製品などの「品薄」などが深刻で、経済活動にもかなりの陰りが見えてきているんだけど、高市さんは「代替品のめどが立った」としか言っていないでしょ?けど、実態は全然足りなくて「品薄」だからドンドン値上げが続いているわけでしょ?先日備蓄の石油の価格が報じられていないと文句を書いたら、その数日後に580万キロリットルを5400億円で放出するって記事が出てきた。ちなみに、前回の放出よりも価格は4割くらい価格が上がっているらしい。ツーか、これによると1リットル当たり93円くらいで、前回はざっと66円くらいで放出されたことになるのかな?ツーか、石油関連商品などの価格が相当に上がっているのを抑えるために備蓄の石油は安く放出するのが筋のはずなのになんで4割も値上げしたんだって話でしょ?つまり、石油関連商品を4割(以上?)値上げすることを認めたってことにならないか?このあたりの感覚が庶民には全く理解できないんだけど、あっしがおかしいのか?実際、激変緩和措置とかもしてるんだから、元の価格を抑えて激変緩和措置が不要になるようにしたりするもんじゃないのか?正直、この報道を見たときに呆れてしまったよ?ツーか、これって去年のお米の価格高騰の際と同じ感じじゃないか?政府が考えるのは「品薄」をなくすことであり、価格高騰については一切関与しないというポジションなのか、急激な値上がりで消費者が苦しんでいるという現実を無視しちゃっているでしょ?備蓄の石油だってその仕入れ価格は前回の放出時の値段よりもおそらく低いわけで、つまり、1リットル当たり30円以上は利ザヤを稼いでいることになるんじゃないか?ツーか、価格高騰を抑えるための激変緩和措置をとっているなら価格高騰を招くようなことはしちゃダメなはずなのに、そのダメなことをやっているのは理解に苦しむでしょ?供給量を増やすと同時に価格高騰を抑える措置として、お米の時にやった随意契約米の放出って感じで石油についても仕入れ原価に近い価格で放出すべきだったんじゃないかな?景気を見据えるならそういう措置を講じるべきなのに、供給量を増やすことしか考えず、「価格を下げない」ことに躍起になっているようにしか感じられないのだ。実際、小泉さんが随意契約で備蓄米を放出しようとした際にも「サボタージュ」で契約通りには放出しなかったりしたでしょ?今回も「備蓄の石油を放出した」といっているけど、「品薄」がこれで解消されたって話は全く聞こえてこないでしょ?むしろ「品薄」が解消される見込みはないって話しか聞こえてこないよね?こうなってくるとやっぱりトランプさんをどうにかするしかないわけで、高市さんはトランプさんをヨイショするだけでなく、イラン情勢のせいで非常に困っているからいい加減矛を収めてくれと説得すべきだと思うのだ。アメリカが矛を収めてくれたならイランの復旧復興に日本が尽力し、核開発施設などは建設されないように見張ることだってできるからっていうことも不可能じゃないでしょ?ツーか、イランの復旧復興を担うという名目で多数のエージェントを派遣することだって不可能じゃないでしょ?まぁ、IAEAとの絡みもあるだろうけど、ソフトパワーでイランを抑え込むのに日本ほど適切な国はないんだからね?とにかく、湾岸諸国との通商が再開できるように高市さんは今何をやっているのかがまるで見えないでしょ?ツーか、石油関連商品の「品薄」や価格高騰の解消に早急に取り組むべきなのに全く効果が表れていないでしょ?庶民としては改憲よりもガソリン価格、物価高騰の阻止の方が重要なんだってなんでわからないのかなぁ…(T_T)
2026年05月06日
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ツーことで、今日はみどりの日の祝日です。こよみのページによると、「「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」。自然は人間に親しんでほしいとは思ってないと思うけど。ま、ときには優しいこともある自然を大切に?なお、みどりの日の日付は1989-2006の間は4/29であった」だとか。昭和天皇崩御後に昭和天皇誕生日をそのまま祝日として残すために設置されたのが「みどりの日」で4月29日が「昭和の日」の祝日となったので、5月4日を「みどりの日」にしたような?もとは憲法記念日とこどもの日に挟まれた飛び石連休のはざまの平日だったのを祝日に挟まれたなら休日にしてしまえとかいう話もあったので、「昭和の日」ができて行き場のなくなった「みどりの日」を当てはめたって感じだろうか?最近は飛び石連休というのもあまり聞かなくなったような?(^^ゞ で、未明から降り出した雨は朝方にはやんだようで、雲も切れて陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は21度で、南寄りの風が吹き、日照も出てきたからか、午前10時の気温は26度と昨日よりも7度も高くなっている?(T_T) ちょっと気温が高くなり過ぎじゃないのか?(T_T) まぁ、レジャーには良いのかもしれないけど、熱中症には注意したいよね?(T_T) そんな今日は「ラムネの日…1872年(明治5年)の今日、東京の千葉勝五郎氏がラムネの製造販売の許可を初めて得たことにちなむ記念日」、「エメラルドの日…コロンビアエメラルド輸入協会が制定。「みどりの日」にちなみ、緑色の宝石エメラルドをPRする日(2006年までは4/29)」、「ノストラダムスの日…1555年、フランスの占星術師・ノストラダムスが『百篇詩集』を出版したことにちなむ記念日」、「競艇の日…競艇場のイメージの向上と競艇ファンの拡大をねらい、下関競艇場が制定した記念日」なんて日でもあるらしい。ところで、イラン情勢については相変わらず情報が錯綜しており、正式な結果が出るまでは静観するのが良いのかなぁ… 昨日は憲法記念日だったから改憲について少し触れたけど、考えてみれば改憲しなくても民放や刑法など普通の法律を改正すれば大方のことが問題なく済むんじゃないかな?自衛隊の問題だって法律によって自衛隊の定義が定まっているわけで、まぁこれ自体が違憲ではないかという話もあるけど、裁判で違憲だとされてどうにかしないといけなくなった時点で改憲でもそんなに遅くはないと思うのだ。ツーか、国会議員の定数の「一票の格差」だって何度となく違憲だとされてもそれで無効にされることはないし、多少手直しさえすればそれで認められたりもしている。ツーか、憲法がどうのってことではなく、普通に法律の規定がないから問題なだけだと思うのだ。このあたりのことは専門家ではないので何とも言えないんだけど、憲法に規定がないから法律が作れないってことはないと思うのだ。実際、自衛隊に関することはストレートに読めば違憲のように思われるが、条文の言い回しとか解釈次第では「違憲とは言えない」ということもありうるのだ。まぁ、ある法律が「違憲だから無効」となったのがあるのかどうかも知らないけど、最高裁で違憲だという決定が下されても、それまでの間にある程度の改正をして抵触しないようにすれば「違憲だから無効」ってことにはならないんじゃないかな?あるいは、改正後の法律に関して改めて審議が行われることになるんだろうか?そういうことを考えるならまずは法律レベルであれこれ変えていって、それが「違憲」という判断を下されたなら、初めて改憲の必要性が生じるんじゃないかな?下位法を整備すればそれで充分であるなら憲法を変える必要など全くないことになるんじゃないかな?なのに、下位法の整備をしないでいきなり改憲というのも変な話じゃないかな?もちろん、昨日も触れたように戦争に関することはいい加減考えないと拙いのは確かだろう。これまで平和国家を標榜してきたけど、他国から侵略されたときに抵抗できずに無条件降伏せざるを得ないことでいいのかってのを国民に問うべきだと思うのだ。基本、海外亡命などは受け入れてくれないと考えないといけないだろうし、占拠されたなら日本文化が失われ、その国の文化を押し付けられることになるのを覚悟しないといけないのだ。基本的に「自分だけは大丈夫」ってことにはならない。侵略に対して抗しなければ自分のアイデンティティを破壊されるのは避けられない、というのが今の世界の「当たり前」になりつつあるよね?ロシアに占拠された地域のウクライナ人はロシア人にされてしまうのを見ていると、日本人もそうならないという保証はどこにもないでしょ?だから、侵略に対して抗する権利を持つか、抗することなく占領されることにするのかを議論し、選択しないといけないのだ。その選択した結果が改憲になるかならないかって話じゃないのか?こういうことを一切議論しないで下位法でどうにかできるはずのことを理由に改憲をはかるのはおかしいと思うのだ。日本人であるためにはどうすればいいのかをきちんと議論し、コンセンサスが醸成されれば改憲など皆賛同するかもしれないよね?ホント、こういうことを頬かむりして改憲を語るのは「騙り」じゃないのかって思えてくるんだけど、あっしがおかしいのかなぁ…(T_T)
2026年05月04日
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ツーことで、困ってます((+_+)) 先日も書きましたが、週間天気予報を見てあれこれスケジュールを考えたりしてて、ぼちぼちお盆でその前に掃除も兼ねて墓参りに行こうってことで考えていたんで、こういう時間に書いたりしてるんですが…((+_+)) 昨日あたりから予報がコロッと変わって、しかも今雨が降っていたりします((+_+)) 掃除するときだけ降っていなければいいんですが、この後どんな風になるか分からないからなぁ… 墓地の地域の予報では午前中だけが雨ってことだから大丈夫なのかもしれませんが、念のため雨合羽とか用意しようかな?どうせ今後も入用になるかもしれないし(^^ゞ ツーわけで、ちと早め&短めってことで(^^ゞ<できるのか?昨日の静岡知事選で、野党側が分裂選挙だったのに与党側の推す候補は惜敗してしまいました。麻生さんが何かにつけて「惜敗」というからその通りになったわけではないでしょうが、分裂分を考えるなら大差での惨敗と言えるかもしれませんね。投票率がかなり上がっていたというのもそれだけ現状に批判的な声が強くなってきた表れかもしれませんね。今やってる都議選でも、同じ連立与党でも公明党はそれなりの結果を残しそうですが、自民党は地滑り的な惨敗になる可能性もあります。もちろん「頭に乗った」民主党があちこちで共倒れになることも否めませんが(^^ゞ 有権者一人一人の声の集積がどの方向に向くかで今後の動きも大きく左右されるかもしれませんね。ところで、先日も「喧しい」と書きましたが、宣伝カーってどうにかならないんですかね?政治方針とか公約とかを知らせるためなら仕方ないとは思いますが、他の政党の粗探しみたいなことや自分の名前の連呼とかは勘弁してほしいですね。政治方針の比較だと言われればそれまでですが、多数派を握れなければいろいろな公約も反故にされかねませんよね?ツーか、多数派になった場合となれなかった場合にそれぞれ実現できる政策とかをあげて、在任中にどれだけのことができたか報告義務ってないんですかね?今流行りのマニフェストで言うなら、80~90%達成できなかったら次の選挙で立候補が難しくなるとかあれこれあってもいいと思いませんか?カラ手形を乱発するだけの人に議員とかなってほしくありませんからね。あるいは、選挙管理委員会などの公平な第三者がマニフェストや公約の実現、達成の度合い、進捗状況などを一覧にしてネットで公表してくれたら若い人たちも比較しやすくなるんじゃないんですかね?その人一人でいったい何ができるのかわからないから、誰が一番自分の願いをかなえてくれそうなのか分からない、違いがそもそもどこにあるのかすらわからなければ選べませんからね。ツーか、政党の方針と本人のポリシーが食い違っている場合、どういうことになるのか不安になりませんか?選挙の時はキチンとしたこと言ったのに議会に行って「党議拘束」で変なことに賛同してたら溜まりませんよね?小泉さんの郵政民営化に賛成しただけなのに安倍さんの憲法改正に賛成したことになったのは釈然としませんよね?ツーか、選挙の時に約束したことを守らない議員には鉄槌を下すべきかもしれませんね(^^ゞ 4年に一度のチャンスですからじっくり考えて行動しましょう(^o^)丿
2009年07月06日
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ツーことで、頭を抱えています。『お話』を書くときは原作で必要な部分を拾い読みしたりするんですが、今回昇山について書く時に『図南の翼』で黄海について調べるついでにひょいと冒頭を読み返したんです。と、頑丘が駮に乗って乾県にやってくる場面で、その下方を臨乾から乾県まで船で半日かけて渡るって書いてあったんですよ。この臨乾は恭の飛び地である乾県に最も近いところで、船の大きさとか性能にもよりますが、50km~100kmは離れているってことですよね?あっしは『帰山』で塙王が斃れたあとすぐ妖魔が跋扈して青海と赤海を隔てる巽海門が船での航行ができなくなったと書いてあったことから、ずっと指呼の間だと思っていたんですよね。船での行き来ができないくらい妖魔が跋扈しても、巽海門の上に架かるつり橋のような細い通路を渡れるんだろうってことで『お話』を書いていました。つまり、海を隔てる海門は船が何艘か行き違えるくらいの細い海峡になっていて、その遥か上方(100m以上)に馬車がすれ違えるくらいの細長い、逆に見れば物凄く短いトンネルのようなものだと思っていたんです。だって、赤海から青海に抜けられないってことは対岸にある巽県には船では行けないってことでしょう?そうなったら令巽門を守る州師などが物資の供給を受けられずに死に絶えることだってあるわけだし… まぁ、四門を守る州師は仙ってことなら飢餓に苦しむことはありませんが、巽県に住む人たちはどうなんでしょうね?そんなことを考えたんで、陸続きにして、船では直接四門に向かえないから、一部陸路を通らなくちゃいけなくて、それで才で奏の民が危難にあったわけですからね。それとも臨乾と乾県の間のような航路は呪によって妖魔から守られているとかあるのかな?どうもこの辺りがスッキリしません。『お話』を書くにあたってはあれこれ自分なりに想像を膨らませていくんですが、できるだけ原作に忠実にありたいとおもっています。とはいえ、こういう『お話』のコアの部分で間違いがあるとなるとちょいと凹んできます。あるいは、ここの『お話』は原作とは似て非なるパラレルな世界で、多少(かなり?)の差異があるのは仕方ないとバックレちゃっていいものなんでしょうかね?とにかく悩ましいのは距離と時間の関係です。世界の大きさもホントによくわからないので自分なりに解釈していますが、人が歩いて1月という黄海の半径(金剛山を含む)は800~1000km、これの倍、つまり黄海の直径分の距離四つの内海が大陸を寝食しています。国都から高岫までの距離はおよそ1000km、隣り合う国の国都間はこの倍のおよそ2000km、虚海に浮かぶ極国との距離は最も近いところで1000km、遠いところで2000km、という前提で考えていますが、そこの移動に要する時間ってわかりにくい。『書簡』で陽子から楽俊に届いた鸞は3日を要しているけど、これは夜間は飛んでいないってことにしても時速で50~60kmってことになる。金波宮から蓬山までは使令で丸一昼夜ということだけど、時速にすると150kmくらい。人が乗っていなければ(遁甲)200kmくらいになるだろうと考えられる。騎獣で最も早い趨虞は使令と同じくらいと想定し、最速で150kmくらい、吉量なら120kmくらいか?これは無理をすれば日の出から日没までに国都間を飛べる速さになる。人が歩くのは1日に20~30kmくらい、馬車で100kmくらいだろうか?早馬だったら200kmくらいになるのかな?船は停泊をいれずに丸一昼夜で500kmくらいかな?風や潮流の加減もあるだろうけど、戴から漣までぐるっと廻るとおよそ二十日という計算になる。内海の奧から海門までが5日というところか。この辺りは停泊の加減でかなり変わるだろう。一方、国土に占める耕作面積の広さはおよそ2~3%に過ぎず、国土の9割以上が山塊で、耕作に向いていないということなのかもしれません。ツーことで改めてどれくらいの距離と時間の関係にあるかをみてみたが、過去の『お話』ではかなりの混乱、齟齬があるように思う。が、今更直しようもないというか… 原稿用紙で数千枚もの文章に手を入れるのは無理というか、直して再アップというのもねぇ… こうなったら開き直りで『こういう世界です』ということで続けるしかないのかしら?予め出来上がっている世界をお借りして書くのは楽だけど、その世界に当てはめていく作業ってのは、やってみると自分で一から作った方が楽だったかもしれないって気にもなります。まぁ、登場人物も大半がオリジナルになってしまっているし、『こういうもの』ってことにせざるを得ないかもしれません。このまま続けていいものなのでしょうかねぇ…
2006年05月19日
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ツーことで、ガソリンなどの暫定税率が復活し、全国的に混乱が生じているようですね。レギュラーガソリンで120円台だったのが150円台、160円台にまで一気に上がるのが目に見えていたから、先月末は皆が駆け込みで給油に走ったので、業界などは急に値上げしないから落ち着いて対処してほしいとか公言してました。けど、いざ税率がアップした途端に8割以上のところが一気に値上げですからね(^^ゞ それに駆け込み需要を見越して供給を増やすどころかむしろ絞ったのか、値上げ前には在庫がなくて閉店しちゃうガソリンスタンドもあったようです。先月頭に暫定税率が切れた時は値下がりはゆっくりでしたけど、この辺りはセコイというか…(^^ゞ まぁ、納税義務に忠実だと言えばそれまでですけど、正直な話、多くの消費者の恨みをかったのは間違いないでしょうね。ガソリンの値上げで影響が出るのはマイカーの人たちだけでなく、流通や運輸、農林水産業などもかなりの打撃ですし、製造業だって相当のコストアップになります。実入りが変わらないのにコストだけが上がったわけですから自然と可処分所得が目減りし、消費が冷え込めば製品売り上げも減り、給与が下がってさらに可処分所得が目減りするという悪循環にはまりかけています。福田さんは「苦渋の選択だ」といい、「便乗値上げはさせない」とかしてますが、実際の話便乗じゃないでしょ?確実にコストアップする訳だし、賃金値上げ要求だって激しくなるでしょ?むしろ便乗したくてもできない方が多いように思います。とりあえずガソリンスタンドの話から行きますが、もちろん机上の空論ですけど仮に一日当たり5kl売り上げているところはこれまで100円で仕入れて120円で売っていたのを仕入れが130円になるので150円で売ろうとしたところ、一気に客足が遠のき、3~4klしか売れなかったとします。そうすると、このガソリンスタンドの経費や利益の合計(売上代金から仕入れ代金を引いた金額)は10万円から6~8万円に激減しちゃうわけです。人件費や光熱費などが削れないとすると、赤字になることもあり得ますよね?つまり、仕入れが30円上がったら販売価格は35~40円くらい上げないと赤字になるわけです。けど、実際には販売競争があるから値上げを25円くらいに抑えないと売り上げが全くない状況もありうるんですよね。どっちにせよ赤字になるなら在庫を抱え込みたくないってことなんでしょうね。売れなくても在庫の分まで仕入れ代金払わなきゃいけないなら絶対そうしますよね?不良在庫抱えるのは怖いことですから(^^ゞまぁ、ガソリンスタンドみたいに売れ残ってもいずれは売れてしまうものはいいんですが、売れ残ったらそれっきりのようなものの場合はもっと悲惨ですよね?消費が冷え込んでいるから生活必需品でなかったら値上げしたら売上数量が激減するのは見えています。生活必需品だって値上げした分販売数量は多少減ることになります。同じ数だけ売れて経費や利益が出るのに数量が減れば自然と経費切り詰めか赤字を覚悟しないといけません。で、ガソリンよりも酷いのは売れ残った分のコスト負担があるうえ、売れ残りを処分するしかないってことですね。とすると、最初から仕入れ数量を絞って売上数量の減少に備えるしかないことになりますが、数量が減る分一個当たりの利幅を大きくしないと立ち行かなくなります。すなわち、コストアップ分以上に値上げしないとダメってことですね。ところがこれが「便乗値上げだ」とされるわけです。コストアップ分の値上げだけでは販売数量減の影響をカバーできないのでこの分を上乗せして値上げするのは当然のことですけど、コストアップ分以上の値上げが「便乗」と見做されるわけですね((+_+)) けど、こういう値上げをしないとやっていけないんですよね。そういった意味からすれば「便乗値上げ」の防止はその引き金となった暫定税率を上乗せしないままでいることだったと思うんですよね。いろんなところのコストに影響を与えるんですから安易に引き上げるべきじゃなかったんですよね。暫定税率を廃止したら2兆4000億円もの歳入不足になるという話がよく聞かれますが、正直なところ、これくらいの数字なら国債を追加発行すればいいだけのことでしょ?もちろん国際は発行量を減らすことが急務ですけど、増税による消費の冷え込みを招き、それが法人税などの税収の減少につながることを考えるなら増税は見送るべきだったと思います。そして特定財源とかで道路を造るにしても新規分は完全凍結し、需要見通しを見直し、完成後も経済効果が薄く赤字を生み出すだけのところは着工しないようにすることである程度の減額もできますし、道路建設以外に使われているものについては全廃するくらいで丁度いいのでしょうね。公益法人とか特殊法人への補助金や随意契約による出金もすべてなくしてしまうだけでケッコウな金額になるでしょ?ついでに官公庁そのもののコストも一律10~30%削減しちゃえばいいんじゃない?民間企業であればこれくらいのコスト削減は日常茶飯事ですからね。民間並みのコスト意識を持たせることで国がやるべき仕事かどうかの選別もできると思うんですよね。民間でできることは民間に任せ、民間ではやれないようなことを国がやるしかないって意味ですけど(^^ゞ 人員削減だってもっと大胆にすべきですよね?何せ国が作った1000兆円とも言われる借金のほとんどは国家公務員などが無駄な金を使ったせいだってのは確かでしょうし、この利権に政官財の有象無象が群がったのも間違いないですよね?国のやるべきことを峻別し、その利権に群がる輩を排除するようにするだけでかなりの借金は消えるはずです。年金だってやりようでいくらでもうまくできるはずですし。公共事業というのはそもそもが国としての絶対的な需要がなく、政府が需要を創出しないとどうしようもないから必要とされたわけで、民間の需要が十二分に育っている今日では、ある意味メタボリックな人に美食を勧めるようなものじゃないかって気がしませんか?餓えている人に乾パンを与えるのは意味あっても栄養過多の人に乾パンを与えても捨てられるだけでしょ?いくら道路があってもそれを使う人がいないなら意味ないし、むしろ医療などの足りなくて困っている人が多いことの方がやるべきことじゃないですかね?土木や建築よりも農林水産業に従事する人を増やす方が国として正しい方向のようにも思われます。ツーか、極論しちゃうと、より良い暮らしよりも安定した暮らしの方がより望まれているのなら、成長よりも安定、安心の方がナンボもマシな気がします。最低限死ぬまでは餓えることのない暮らしのできる国であってほしいと思うのは無理な願いなんでしょうか?もっともっとというよりも「吾唯足るを知る」の方がずっと自然だと思うんですけどね。こんな風に考えちゃいけないんですかねぇ…(^^ゞ
2008年05月02日
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ツーことで、昨日関東学院のラグビー部についてちょいと触れましたが、その後のニュースなどによると、事件が広がりを見せたことに対して責任を負う形で春口監督が辞任し、ラグビー部は年度内活動禁止となった上、再度調査をして場合によっては廃部もありうるなんて今朝のスポーツ新聞には書いてありました。実際問題として、独力でラグビーの強豪に育て上げた春口さんの下に150人もの部員がいて、隅々まで春口さんの眼が届かなかったせいだろうって報じられていましたが、150人のうちレギュラーは15人、リザーブとしてベンチ入りできるのも含めても22人ですからね。残りの130人はスタンドで眺めるしかない状態で、あるいは試合に出る選手の世話をするくらいで、いつかは自分にもチャンスが巡ってくると信じて頑張るしかないんですが、そこへの不安が闇を生み、大麻に走ったとしても非常に不思議とは言い切れないですよね?どうせやるなら強いところでより注目を浴びるようなところで頑張ることが就職の際にも有利に働くってのもあるんでしょうね。負けるよりは勝つ方が嬉しいってのもあるだろうし、自分一人ではどうしようもない団体競技ではより良い仲間を求めてしまうのも当然でしょう。その結果が150人もの部員を抱えることになり、7~9割の人が一度も公式戦に出ることなく卒業しちゃうことになるんでしょうね。それ以前に退部したり、大学を辞めることもあるでしょう。そういった意味からするとラグビー部の「適正水準」というのは50~100人ってことになるのかな?激しいスポーツでけがが絶えないからこういう数字になるんであり、一つの目安は「ベンチ入り人数×学年」を超えないってことですかね?このようなことから連想するのは高校野球ですかね?ラグビーの場合はプロというものが稀で就職の際に「ガッツがある、忍耐力がある」点が評価されるだろうって程度ですが、高校野球の場合はプロへの登竜門ということでスポーツ本来の目的が見失われています。今年は特待生問題でかなり揺れましたが、これも膾を吹く高野連と現実に狂奔する選手やPTA、スカウトや私立高校など関係者などで温度差が激しく、結果として高野連が現実を受け入れることで終息し、今後については縮小する方向に向かうことになったようですね。先月末に再来年以降の特待生の扱いについて発表がありましたが、現状追認にしても中途半端な感じがしましたね。野球を理由にした金銭授受は一切いけないってのが高野連の主張ですが、経済的支援を受けられないと野球が続けられない子どもたちをどうするかって視点が感じられないんですよね。他方、私学やPTAなどは子供の価値を上げることに目が向いてしまい、子供を育てるという目的が忘れ去られているみたいですね。そもそも高校の目的は甲子園チャイますよね?高校生活を通じて子供の人格形成を促すものであり、人生の疑似体験を通じて世の中の厳しさを学ぶ場でもありますね?小中高大学とそれぞれの子供の発育状態に応じてステージアップしてホンマモノの社会に出た時でも戸惑わずに済むようにするのが教育の目的であり、その中での甲子園というのは一つのエポックにすぎず、それがすべてというのは間違いですよね?とはいえ、人には特性というものがあり、向き不向きがあるから、勉強が苦手でも野球とかサッカーが得意という子供はそっちで一流になろうって思うのが自然です。自然ですけど、野球やサッカーのみで十分ってわけじゃないですよね?どんなスポーツでも体力や技術だけでどうにかなるものじゃなく、その瞬間瞬間の状況に合わせた行動は何であるかという判断力や判断通りに動く能力が必要ですよね?判断するためにはいろいろな知識が必要であり、瞬時の判断を下す頭の回転も必要ですよね?これは学校の勉強とは関係ないように見えて、実は学校の勉強と同じことを求めているわけですよね?学校の勉強も社会に出た時に出くわしたことに瞬時に対処できるようにすることで、それがスポーツという社会を限定的にした場で行われているだけであり、目指すものは同じですよね?そう考えるならば野球でもサッカーでも勝つことよりも局面局面で正しく動けるかということの方が重要であり、失敗したならば次は間違わないようにすればいいってことの繰り返しですよね?なんか高野連もこういうところを忘れているような気がするんですよね。金銭を授受したしないでなく、こういうことがどういう結果を生み出すかとかを学ぶためのものであり、失敗したなら速やかにやり直せるように導くのが管理団体のすることであり、やみくもに処罰して当人たちを排除することじゃないように思うんですが、どうでしょう?で、こういうことを踏まえていくつかの「改革案」を考えてみました。特待生についてはプロ球団から年間1億円ずつの寄付を高野連にしてもらい、高野連が私学などで野球を続けるのが困難な少年(年間100人程度)を受け入れた学校に援助するようにすればどうかってことですね。経済的に厳しい少年一人が卒業するまで育てた場合に1000万円を助成することにすれば、この少年が野球を続けられなくなっても学校を辞めないで済むだろうし、使い捨て的な今の特待生のありようにも変化が生まれるような気がするんですよね。他方、地方に行けば甲子園に出やすくなるというのにも改善が必要で、今のように都道府県ごとに1校というのに加え、出場校が100校を超えているところはプラス1校ということにすればどうかってことです。もちろんこれは大都市集中を助長する恐れはありますが、地方にわざわざ行かないといけないという子供を減らすことには効果があるともうんですよ。これによって出場校が増えて日程が過密になりかねませんが、これへの対策としては延長は12回まで、それ以降は抽選で決めるってことですね。これはサッカーやラグビーでもよくあることで、再試合するのは高校野球くらいですよね?もちろんPKなどがないので可哀そうだという意見も出ると思いますが、「勝つことがすべてじゃない」ってことを徹底させるためには必要なことだと思うんですよね。子供は消耗品じゃないんですよ?少しでも負担を減らすのが大事じゃないんですか?リトルリーグもそうだけど、プロ選手によるWBCでも投手の投球数に関する制限が行われていますが、高校野球では一切こういうことが考慮されず、唯一延長回数が18回から15回へと短縮されたり、日程が過密にならないようにされたりする程度で、投球数が多いほど頑張ったというような報道もあるように、子供を酷使するような方向に向かっているような感じがします。子供の将来などを考えるならば勝利至上主義は是正されるべきであるし、実力に差がありすぎる時は甲子園でもコールドゲームにするとか、少しでも負担を軽減する措置が必要ですし、酷使することを称賛するような報道も控えるべきですよね?メディアも売らんかなで加熱しがちなのはあるけど、こういう報道姿勢によって多くの子供の将来を閉ざしているという現実やこのことへの責任に全く目をつぶっていますからね。金銭授受が汚いと批判する前に自分たちの報道のありようのひどさを反省すべきですよね?高野連もお金云々よりも子供の育成にプラスかマイナスかを判断基準にして欲しいですね。高校野球というものは高校生が野球を通じて成長するものであって、プロ野球に進むための予備校じゃないんですよ?もちろんこれがキレイごとだというのは自覚していますが、こういう現実が多くの子供の身体を破壊し、アスリートとしての芽を摘んでしまい、結果としてプロ野球の質の低下に結びついているということを真剣に考える時期に来ていると思うんです。子供たちが自分の生き方に悔いが残らないようにするために大人がすべきことはいくらでもあるんでしょうね。
2007年12月05日
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ツーことで、今日もスッキリとした初夏のような好天ですね(^o^)丿 そういえばGWに入ってからずっと好天続きですよね?それまでずっとスッキリしないぐずついた天気が続いていたから、水撒きの習慣がどこか行ってしまって…(^^ゞ ホントならこの時期には毎日キチンと草花の様子を観察しながら水撒きしないとイケないんですが、雨が続いてるから好いやって…(^^ゞ<こらこら!! 次の雨は金曜日らしいので、それまでははキチンとしないとイケませんし、それ以降もサボらないようにしないとダメですね(^^ゞ で、「初夏のような」と書きましたが、暦の上では明後日までが春で明々後日の立夏以降が夏ですから、厳密にはまだ初夏じゃないんですよね(^^ゞ で、いつものようにこよみのページで確認してみると、今日は「八十八夜…雑節 立春から88日目。「八十八夜の別れ霜」等と言われ、遅霜の時期と言われる。また、唄で知られる一番茶摘みの頃でもある」であり、つれて「緑茶の日…日本茶業中央会が毎年八十八夜の日を緑茶の日と制定している。古くから仙薬と称されるほど八十八夜の新茶は栄養価が高いという」になっているみたいです。今年は天候不順で遅霜とかがあったりしたようだから、どうしても高くなっちゃうのかな?((+_+)) ホント天の恵みには感謝し、天の試練には耐えないとイケないんですかね?ところで、昨日上海万博が開幕したそうで、物凄くごった返しているみたいですね(^^ゞ 正直「パクリ騒動」がなければすっかり忘れていたんですが、物凄く斜めから見ると「パクリ騒動」で万博に注目を集めようって魂胆があったとしたら凄いですよね?(^^ゞ<おひ! で、その「パクリ騒動」も終息したかと思ったら、「パクった当人」が「誰かの陰謀だ」と全面的にパクリを否定したようで、使用許可をした方が唖然と知るような身勝手な言い分のためか、結局この曲は宙に浮いてしまったらしく、中国国内での報道も「知らん顔」みたいです。実際問題として音楽というのはすでに膨大な数の楽曲が発表されており、どこかしらサンプリングしたようなものになってしまう危険性は孕んでいますよね?あまりにも数が多すぎてホントに何も知らないうちに似たような楽曲を「オリジナル」として発表してしまうこともあるでしょう。でも、この「パクった当人」は別の曲でも「他人の曲とほとんど同じ」モノを「オリジナル」として発表してるようで、多分「確信犯」なんでしょうね。どっか一か所でも違う箇所があれば「オリジナル」だと主張するのは普通通用しませんよね?模倣はあくまでも模倣であり、オリジナルとはいえませんよね?前にも書いたと思うけど、日本だって昔は「舶来品」を珍重し、「国産品」を小馬鹿にしていました。ツーか、「舶来品」に手が出ない人は「バチモン」「バッタモン」でもいいやって感じでしたよね?いわゆる庶民感覚では「国産品」で当面我慢し、生活に余裕ができてお金ができたら贅沢して「舶来品」にしようってね?今でもいわゆる「ブランド品」は国産品よりもずっと高くて珍重されますが、徐々に「国産品」も品質が向上して「舶来品」と同じかそれ以上になってきていますよね?「舶来品」と「国産品」の逆転したものは単なる「輸入品」で、時には「粗悪品」であるかのように見做されます。これって戦後直後のアメリカでの「メイド・イン・ジャパン」=「粗悪品」だったのと同じで、いわゆる「安かろう悪かろう」ってことですよね?その後貿易摩擦が激化するほど日本製品の品質が向上し、価格がずっと安い、しかもアフターサービスもキチンとしてるって状況になりましたよね?昨今ではすでに多くの企業が生産拠点を海外に移しており、アジアなどの生産能力は質量ともにかなり進歩しています。物凄く斜め読みすると、「中国製」に対する忌避感というのは日本のメディアや産業界などの音頭で煽られただけって考えることもできそうな気もします<おひおひ!!日本の場合は1985年のプラザ合意以降にようやくプライドを持って高品質低価格を推進していますが、中国の場合は手酷くやられる危険性が低いだけに「世界基準」での常識を身につけるのは大変かもしれませんね(^^ゞ 自分が大国だから何をしても構わないって言うアメリカナイズは避けて、もっと謙虚に行けないんですかね?まぁ、日本も「いつか来た道」を歩いているわけですが、ぼちぼち「他人の振り見て我が振り直せ」ってことにしないとイケない気もしますね。かつてアメリカからの難題にぶつぶつ言っていた我々が、中国に向かって難題を吹っかけているのは皮肉なものでしょうが、中国としてはこの難題を乗り越えないとより大きな存在にはなれそうもないと言うか、自壊していきかねないって…(^^ゞ とりあえず著作権などをキチンとするところから始めないと「三流以下の野蛮な国」って見做されると思うし、一流と見て貰いたいなら世界基準に準拠しないとイケないんでしょうね(^^ゞ けどまぁ、時間はかかりそうですね(^^ゞ
2010年05月02日
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ツーことで、今日はちと用事があるので早め&短めで<いけるのか?(^^ゞ で、右の写真は昨日触れたハゴロモジャスミンです。ジャスミンとは桂花、桂のことだと思いますが、このハゴロモジャスミンは蔓草で、ケッコウ蔓延っています(^^ゞ 写真にもあるように蕾は薄いピンクで、花は純白です。これでもほんの一部しか咲いていないんですが、一面咲いたらすごいだろうなぁ… 香りもケッコウ強いんで好き嫌いも分かれるかもしれませんね。で、今朝のニュースでは世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザから発生した新型インフルエンザへの警戒水準を世界的大流行(パンデミック)直前であるというフェーズ5に引き上げたそうです。これまで死者が出たのがメキシコだけだったけど、アメリカでも幼児一人が死亡したかららしい。あっしの大学ん時のゼミのセンセが先月からメキシコに行っていて、現地の様子をレポートしていますが、それによると現地はケッコウのんびりしているようで、センセもフェーズ5になったせいか直近のレポートは緊張感があるような気がしますが、それでも日本のほうが大騒ぎみたいですね。なんでもメキシコのいろんな情報というのは大雑把なところがあるらしく、新型インフルエンザかどうかの検査も確認もしないで「新型インフルエンザで死亡」とか発表してたりしてるとか。実際メキシコ以外で死者が確認されていなかったし、専門家の話では「新型インフルエンザは今のところ弱毒性」らしいので、どうも情報の錯綜が起きており、錯綜された情報に踊らされないことが必要かもしれませんね。今のところ発症の疑いがある人はメキシコにいるか、メキシコに行ってきた人が大多数で、アメリカで死んだ一人以外はメキシコ国外の感染者はいずれも軽症みたいです。ある意味、メキシコに行かなければ感染の危険性は低く、死亡に至る危険性は感染する危険性が低いほど低いわけですから、危うきに近づかずがいいんでしょうね。不謹慎な言い方をすれば今はまだ対岸の火事で、こちらに飛び火してくる危険性は低いのに、わざわざ向こう岸に渡って火の粉を浴びて、こちら側に持って来たりしたらこちら側も延焼してしまいますよね?いくらGWだといっても観光地も閉鎖されてしまっている場所に行くことないですよね?ツーか、こんな時期に行くんだから「死ぬのを覚悟」しないなら拙いですよね?敢えて向こうに行って感染したなら「日本に帰ってくるな!」と言われても仕方ないってことですね<おひおひ!!今メキシコには数千人の日本人がいるようですが、これらの人を緊急帰国させて日本にウィルスを持ち込ませるのっていいことなんですかね?感染即発症でなく、潜伏期間があった場合、空港などでの検疫をすり抜ける危険性は低くありませんよね?そういった意味からすれば日本から医療班などを派遣して現地で治療、予防などに尽力し、日本に持ち込ませないのが大事でしょうね。でもまぁ、弱毒性のレベルのうちに感染し、免疫を身につけるのがいいのかなぁ…<おひ!ところで、相当に不謹慎な妄想レベルのことを考えるならBC(生物・化学)兵器がメキシコで実験されたんじゃないかって…(^^ゞ 老人でも子供でもない人の死者が多い、死者のほとんどがメキシコに限定されている、なんてことからするとある種の「狙い撃ち」タイプの新型ウィルスを試したんじゃないかってエラク突拍子もないこと考えちゃいました(^^ゞ<こらこら!! まぁ、これも正確な情報が少ないからで、キチンと解明されたら「馬鹿話」ってことになるんでしょうね(^^ゞ ホント一日も早く終息してほしいですよね。
2009年04月30日
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「春の予感(その2)」二月初旬に乾城近くの港に上陸した呀孟と無病は春分までに往復できそうなので、恭国の首都連檣に向かうことにした。供王に挨拶をしておこうというのである。殆んど身一つで霜風宮を訪れた二人は供王の執務室に通された。慶と違い、才の官は才から出たことが殆んどなく、呀孟も無病も他国の王宮を訪ねるのは初めてのことで戸惑っている。供王の執務室には十二三歳くらいの少女と金色の髪をした青年、そして利発そうな女官らしき人物がいた。噂では聞いていたものの、実際に幼い外見の供王に会うと舌も戸惑ってしまうようだった。「私は才の仮朝の長で、冢宰に任じております呀孟、これは私の補佐で侍郎をしておる、無病というものです。この度、才の里祠に麒麟旗が揚り、早速昇山せんと乾城に才の民が訪れております。私どもも才の民のひとりとして蓬山を目指すつもりです。城下をお騒がせしないよういたしますので、よろしくお願いいたします」「ふぅん、あなたが長閑宮の仮朝を取りまとめているのね。言いたいことはいくらでもあるけど、とりあえず騒ぎは起さないでね。才にも令坤門があるけど、そこを訪れた荒民との悶着が高じて斃れたってもっぱらの噂よね。実際はどうだか知らないけど」「そ、それは…」「恭だって私が斃れたら才のお世話になるんだからお互い様だと思うけど、乾城での悶着は勘弁して欲しいわ。非がどちらにあるかを明確にして裁くよう秋官には命じてあるけど、どうしても荒民のほうが不利になることは覚えておいて。景王などはどこの民も同じだと言うけど、私にとっては恭の民が一番ですからね。そのことは忘れないように」「は、はい」「まぁ、お互い様ですから便宜は図りますわ。その代わり恭の民がそちらに行ったときはよろしくね」「は、はい。承りました」呀孟は冷や汗を流しながら供王に答えた。才国の二人が執務室から下がると傍らにいた供麒が苦言を呈した。「主上、あからさまに身贔屓をすると仰ってはよろしくないのでは?」「あら?どこがいけないの?恭まで来てわざわざ騒ぎを起さないように注意しただけじゃない。非がなければ咎めないわ」「でもそのようには聞こえませんでしたが」「ああ、桃香、この藁くず頭に説明してくれる?私は休ませて貰うわ」供王はうんざりした顔でさっさと下がってしまう。残された供麒はもう一人執務室に残っている遣士の桃香の方を見た。才の二人は霜風宮の女官だと思ったようだが、供王も紹介もせずやり過ごしていた。桃香はにっこりと笑うと言った。「荒民はついつい己が不幸であり、恵まれているものたちは自分たちのために手を貸してくれるものだと勘違いしやすいものです。恭の民は供王君の薫陶で荒民を虐げるような真似は決してしませんが、荒民が付け上がった態度を取ればはねつけるでしょう。それで悶着が起こってはかなわないと仰ったのでしょう。恭の民も我慢しているのだから、才の民も我慢してもらいたい、悶着を起したりして欲しくない、ということです。少し厳しく言っておけば我慢強くなってくれるでしょう」「そういうものですか?曲解して主上を恨んだりとか…」「供王君を恨んでどうだというのです?手の出しようなどないではないですか?」「それはそうですが…」「恭の民と才の民の悶着が起これば誰かを断罪しなければならなくなります。断罪される人がいないようにしたのですから、台輔の望まれる形になっているのではないですか?」「そ、そういうことですか?」「供王君は物言いが少し素直ではありませんから。私をここに残したのも台輔に理解して欲しいからではありませんか?供王君の気持ちを無にしてはいけませんわ」「そ、そうですか?」供麒は頬を赤らめている。が、一方、執務室から下がった才の二人も別の意味で頬が紅潮していた。もちろん霜風宮の中で声を荒げたりすることなどできないので我慢しているうちに、連檣の街に下りて舎館の房室に落ち着く頃には頭も冷えてきた。とはいえ、それは呀孟だけで、無病の方はまだ頭に血が上っているようだった。「あれがホントに供王なんですか?」「私はお会いするのは初めてだが、齢十二にして践祚なさったというのだから多分そうだろう」「では、頭の中身も十二のままで?」「無病、お前はあの外見に騙されていないか?もしあれを私のような外見のものが言ったらどう思う?」「え?外見ですって?私は話の中身の方を…」「よくよく考えてもみろ。昇山の民と悶着を起すなど才以外ではかつてなかったことだ。才でだって聞いたことはなかった。それくらいありえないことだ。それくらいはわかるよな?」「あ、はい。昇山の民を傷つけたりすることは天が嫌うって…」「なのに、才の民は昇山をする奏の民を襲ったりした。人死にが出た。ゆえに王は下手人を厳罰に処した。当然の措置だろう。他の国であっても当たり前のことだ。なのに才の民は奏の民にお咎めなしで才の民だけが処断されることに不満を持った。喧嘩両成敗、って思ったのだろう。けれども、発端もすべて才の匪賊が悪いのが明白だった」「え?街の噂ではそんなことは…」「事件当時の供述ではすべて才の匪賊に非があるというものしかなかった。それが処断された後にあれこれ噂が立った。根も葉もない噂だ。昇山を目指すものの荷を掠め取ろうとしたり、傷つけようとしたのはすべて才の匪賊なのに、しかも襲われたものは帰国後に死んでしまっているのに、あたかも極悪人であるかのような、才の民が被害者であるような流言蜚語が意図的に流された節がある。その噂が広まってあちこちで謀叛が起こり、やがて王が斃れたというわけだ。正しいことをした王の威信を傷つけるために誰かがそうしたのではないかとな」「……」「無病、お前はその噂を信じていたのか?混乱の最中に親兄弟を失ったからといって甘言に弄されては困るな」「…噂は虚言だったのでしょうか?」「間違いはない。私はすべての供述を見直したのだからな。けれど供述したものは消されていた」「え?」「噂が立ったあとで供述したものに再確認をしようとしたら誰一人として残っていなかった。おかしな話だろう?」「は、はい」「わからぬことが多すぎるのだ。しかし、供王が言ったのは恭の民からは手を出したりはしないという意味合いだろう。雁や巧でも昇山の民には親切にするのが当たり前になっている。敢えて悶着を起すものなどいないし、すぐに処断される。それほど厳しいものだ。その当たり前のことをした王を民が拒絶した才の民が馬鹿なことをするなと言いたかったのだろう。悶着を起せば恭の民を裁くのが普通だが、才の民が吹っかけたならばそちらを処断しなければならない。当たり前のことだな」「は、はぁ…」「納得しがたいか?それとも才の王がしたようにするからとでも言われたかったのか?」「そ、それは…」無病は返事に窮してしまった。無病とて昇山の民に危害を加えるのはいけないことだとわかっている。奏の民でなければ。どうしても奏の民のことになると冷静に対処できなくなる。無病の生まれた永湊の近くにある小さな廬は今はない。無病が生まれてすぐ混乱のうちに打ち捨てられ、揖寧の街に流れ着いてそこで育ったのである。親も兄弟も覚えていない。朱旌に売られなかったのが不思議なくらいである。たまたま里家の閭胥が無病の利発さを見抜き、上痒に行かせ、少学、大学も実力に運が味方して進むことができた。苦学の末に官吏になり、冢宰府侍郎にまでなった無病であるが、唯一奏のことになるとどうしようもなくなる。物心つくまでに染み付いたものなのかもしれない。絶句してしまった無病を見て、呀孟は苦笑する。「無病、お前は才の民を一番に考えているのか?他国の民よりも勝っていると考えているのか?」「…冢宰はそうお考えにならないのですか?」「才の民のことを一番大事には思う。けれどもそれは才の民が他国の民よりも勝っているからじゃない。逆だな。下手をすると他国の民よりも劣っているかもしれないと思うからこそ、大事にしたいと思う」「…どういうことですか、それは?」「どこの国にだって匪賊はいる。良民だって多い。奏の民が匪賊だけで、才の民が良民だけだってわけじゃない。才の民でも奏の民でも匪賊が良民に害したら罰しなくてはならない。どっちがどっちでもな。そこが見えていない」「…私がですか?」「無病、お前だけでなく、才の民が皆そういう風に思ってはいないか?何もかも奏の民が悪い、才の民は悪くないって。これが他の国の話になったらどうなるんだ?恭の民は一切悪くなく、すべて才の民が悪いとか」「……」ここに来て漸く無病にも供王の言葉の意味が腑に落ちた。供王は才の民に怒っているのだ。まともな王を斃れさせた愚民を。そしてその愚民をまともに導けなかった仮朝の官たちに強烈な皮肉を言ったのだ。お前たちが王に求めたものはこれかと。最低限の礼儀は示し、なおかつ情けない官である呀孟や無病に己の非を感じさせようとしたのだろう。なのに、全く気付かなかった。これでは王が呆れ果てても文句は言えない。供王はキチンと詮議するといった。なのに、無病は理不尽だと感じた。その理不尽さはすべて前の采王に向けられたものだったのに… 無病は己の迂闊さに冷や汗が出てきた。「冢宰、私は先ほどどのような顔をしていましたでしょうか?」「供王の外見に惑わされていたことに気付いたか?」「はい、汗顔の至りです」「安心しろ、私も似たようなものだ。一つや二つ非が増えたところで大差あるまい。あの場では気づかなくても、結果として気付いたのだから供王も気にはすまいよ。明日にも乾城に戻り、民を見守らなくてはな」「はい」明朝早く二人は連檣を発ち、乾城に向かった。乾城では懸念されたような悶着などなく、平穏そのもので春分を待っていた。乾城に来た才の民はざっと二百人くらいだろうか。仮朝の官は呀孟と無病の二人。州侯やその配下のものが殆んどだった。呀孟と無病は従者を連れてきていないが、剛氏は二人ほど雇うことにした。旅慣れていないものを引き連れていくのは理にあわないと思ったからでもあるし、万が一の時に巻き添えにするのは忍びないと思ったからでもある。剛氏であればいざという時に自分のことくらいは守れるだろう。呀孟の心は春分を前に澄み切っていた。
2006年05月16日
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いやぁ、やっと読みました(^o^)v 京極夏彦の「陰摩羅鬼(おんもらぎ)の瑕」って1998年にでた「塗仏の宴 宴の支度」に「~宴の始末」の次に出版されるように予定が書かれていたんですが、「~宴の始末」のあとも短編(中篇?)集である「百鬼夜行-陰」「百器徒然袋-雨」「今昔続百鬼-雲」などがでて、その他の出版社からもいろいろ「どすこい(仮)」「ルー=ガルー 忌避すべき狼」みたいなお笑いや近未来小説、時代物(になるのか?)の「嗤う伊右衛門」「巷説百物語」「続巷説百物語」「覘き小平次」などなど、一体いつまで待たせるんだ!って待たされ続けた一品です。だからってわけではないんですが、「レンガ本」と呼ばれる京極夏彦の本って読むのに気合が要るんです。「鋼馬章伝」とか別にも読もうとしていた本もあって順番待ちになっていたのも事実です。それに急に暑くなって体調がおかしくなって本が読める状況でなかったのもあり、時間だけが経ってしまいました。で、漸く読み始めたんですが、プロローグと第1章で頓挫してしまいました。これは体調が思わしくなかったという理由でもあるんですが…**これより先はかなりネタバレになっておりますので、ネタバレを回避なさりたい方は、本日の「日記」を読み飛ばすことをお勧めします**中禅寺明彦という男がいる。中野の眩暈坂上にある「京極堂」という古書店の主であり、隣接する神社の禰宜でもあり、憑き物落しもする。戦争が終わって数年であるが、日常的に着物を着る男性が少なくなったのに、黒い着流しを着て、戦前の小説家のように不機嫌そうな顔をして熱心に本を読んでいる、いわゆる書痴と呼んでもよい人物である。書痴で禰宜で憑き物落しである彼は自然と古来の万物に通じることとなり、妖怪変化の類についても造詣があるが、「この世には不思議なことなど何もないのです」と語り、あたかも妖怪変化に仕業であるかのような怪事件の謎を解き、人の心に巣食う憑き物を落とすのだ。そんな京極堂こと中禅寺には世間から見れば変わりすぎた友人知人がいる。高校時代からの縁である、関口巽や榎木津礼次郎もそんな「変人」であり、彼らの戦友(部下)であった木場修太郎は警視庁の刑事だが、彼らと関わっているうちに査問の常連となり、降格の上所轄署に飛ばされたりもするけど、それでも腐れ縁は続いている。関口巽は鬱病である。頭が悪いわけではなく、むしろ明晰ともいえるが、極端な口下手であり、人と話をするのが苦手で、うつむきがちにぼそぼそとはっきりしない物言いをするために誤解を受けやすく、時には殺人事件の犯人と看做され、己に対する自信のなさや外界への不安から惑乱して、ついつい警察の追求どおりに認めてしまうような危うい男なのだ。そんな男がしばしば怪事件に巻き込まれる。売れない小説家の傍ら怪奇事件を扱うカストリメディアに寄稿しているのに、いざ事件となるとおろおろするばかりでものの役にも立たないのだ。そんな狂言回し的な男が物語の一人称(の一部?)を担っている。つまり関口の目を通して事件が語られることが多いのだ。というか中禅寺の目を通したら最初から謎などないからそうなったのかもしれないが。榎木津はかなり変わった男だ。元華族といったら商才もなくただ落ちぶれて「斜陽」していくものだけど、彼の父親はまれに見る成功を収めた元子爵だが、この元子爵が「美田を子孫に残さず」タイプである程度の財産を分与した上で「縁切り」をしてしまう。自分の才覚で生き抜けということなのかもしれない。そうした「縁切り」をされた榎木津は何を思ったのか探偵になってしまう。といっても並みの探偵ではない。いわゆる素行調査のようなことなど一切しない。彼には変わった資質があり、他人が心に思い浮かべたものが視えてしまうのだ。つまり、犯行を行ったものならその情景が視えてしまうのだから誰が犯人かは一目瞭然で、常に「お前が犯人だ」と名指しすることができる。ただ問題はなぜそんなことをしたのかは一切わからないということだ。それに彼は奇矯な言動の上、他人にまともに説明しようとしないし、他人の話もまともに聞かないし、したがって状況を全く把握していないことすらある。そんな榎木津が信州白樺湖のほとりにある「鳥の城」に呼ばれることになったのだが、急な病で目が見えなくなり、急遽関口が榎木津の「介添え」として同行することになった。「鳥の城」とは由良元伯爵の居館で壮大な館のいたるところに鳥の剥製が置かれているのだ。この由良元伯爵は過去4度結婚を行っているが、その4度とも婚姻の翌朝に花嫁を失うという奇禍に遭っており、この度5度目の結婚を行うに当たり、榎木津に花嫁の身の安全をお願いしようということになったのだ。しかし、この榎木津、なぜこの「鳥の城」に来たのかまるで理解していない。他人の心のうちは視えるけど、それが誰であるのか、誰がそれを見ているのかはわからない。そのうえそのことをまともに説明しようとはしない。関口もまた事情をあまり把握していない。その上あまりにも場違いな場所にやってきてしまったことで困惑し、まともに喋ることはおろか逆に幻覚に襲われたりしてほとんどパニック状態に陥ってしまっている。さて、この4度の事件のうち23年前、19年前、15年前の3度の事件に関わった人物がいる。当時は長野県警に奉職し、その後警視庁に勤め、2年前に退官した伊庭銀四郎だ。長年連れ添った妻を亡くし、退官しても日長何をするでもなく暮らしていた彼のもとに木場がやってくる。由良元伯爵の婚儀に関連して起きた事件についての問い合わせが木場のところに誤ってきてしまったので、ことのついでに伊庭を訪ねてきたのだった。何でも戦争のドサクサ紛れに資料が散逸し、捜査した刑事もすべて他界して残ったのが伊庭一人だという。そして、8年前に起きた4度目は終戦直後でまともな捜査が行えなかったらしい。そこで5度目が起きるのだけは何とかしたいという県警からの捜査協力になんだかんだ言いながらも応じることになった伊庭も、かつての事件のために心に傷が残っているのだ。この事件に関わることはこの傷を癒すことになるのか……という感じで事件の幕は開くのでした。森博嗣の弁によれば表紙や裏表紙、帯やカバー、見返しや目次、人物紹介表などを除く本文に関わることを述べることはすべてネタバレらしいので、もう既にかなりのネタバレを犯しているんですが、上のほうで、「第1章で頓挫した」というのも大いなるネタバレになりそうなんですよね。この「陰摩羅鬼の瑕」では関口、伊庭、由良元伯爵の三人の一人称で章ごとに語られているんですが、その一人称である「私」が誰であるかが読み進めないとわからないこともあるんですが、第1章の前に第12章の「承前」がプロローグとして載っています。これは「絡新婦の理」でも使われたものなんですが、この倒叙でほとんどフーダニット(誰がやった?)の様相はなくなります。というかこのシリーズはホワイダニット(どうしてやった?)を追い求めるもので、ある意味その他の要素はそれに付随するだけというようにも感じるので、ピカレスク的なものともいえるかもしれません。奥深いホワイダニットを満喫するためにフーダニット、時としてハウダニット(どういう風にやった?)を切り捨てているのかもしれません。あるいは「トリックなど何もないミステリー」ともいえるかもしれない。あっしが「第1章で頓挫した」のは「どこにも不思議などない」と感じたからなのかもしれません。「どうして犯人が特定できないのか?」って…このホワイダニットそのものについてはここでは触れませんが、今の世の中ではありえないことだけど、やりようによってはいくらでも同じようなことが起きるかもしれない、と思ったら心が冷えてしまいました。今から60年前までならいくらでもあったかもしれないことですからね。で、それを少し読み替えると、どんなにすばらしい人でもかすかな瑕があることですべてを台無しにしてしまうこともありえるし、この瑕によって罪のない人が命を奪われることも起こり得るんだなって… しかもこの瑕は誰もが持っているものであり、それに気づいていないから、ある日突然悲劇が起こったりもするんですよね……ってホワイダニットがわからないとなんだか解らないかもしれませんが、それは現物を読んで貰わないと理解しにくいことですんで…で、この本の中に眼から鱗という話が載っていました。江戸初期の儒学者である林羅山が仏教批判をしながらも天海や崇伝に擦り寄っていたのはなぜか?仏教はもともと輪廻転生を謳っており、今日のお寺さんのように墓地を守り供養するようなことは一切なかったのに、各家庭に仏壇があり、その中には位牌があり、盆や彼岸には墓参りをする… これは一体どういうことなのだろうか? …ということについても延々と語られており、これについてもホワイダニットに関連がないわけじゃないからここでは語りませんが、今日では当たり前だと思っていることが、実は遠い昔にまるきり作り変えられたってことがあるんだなぁ…って知ってしまうと、今日のあらゆる価値観が揺らぐようで、あるいは自分なりに価値観を持っても構わないんだって励ましになったりもしますね。モチロンそれが受け入れられて長い間ずっと経っていることを否定はしませんし、そのこと自体は悪いことじゃないと思います。しかし、受け入れられたものが天地開闢以来の伝統ではない、ある時点で作られたものであるなら、今か遠い未来にでもこれを全く新しいものに作り変えても罰当たりなことじゃないんですよね。まぁ、この辺りのことはいずれ違うネタの中でこそっと触れると思います<っていつなんだぁ!(爆)
2003年09月07日
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