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その中のひとつに、演奏会における曲目解説づくりと論文指導の楽曲分析は、
本当にどれだけやっただろうと思うほどたくさんあります。
曲目解説はあるだけの文献やサイト情報を頼りに作るわけです、
演奏者が執筆したものは演奏にかかりっきりで時間がかけられておらず、
さまざまな資料を切りはりしたものが文章として整理できているかどうかから始まり、
作曲者の国や時代背景、生没年、タイトルの意図、作風、形式などのチェック、
あとは音楽用語が適切かどうか、誤字脱字、他の曲との表記を揃えるなどです。
ただ近年は新しい曲がどんどん増え、これらの情報が外から入手できないなどとなると、
かなり主観的な文章となり、それが本当に正しいかどうか、
また、その曲に対する感想文のようなものになったりもします。
そこに客観性を与えることが現代っ子にはわかりにくいようです。
大学院の論文指導では、何人もおられる音楽学の先生の専門から外れたもの、
参考文献が見つからない楽曲がテーマである場合に作曲教員の自分が担当していたようです。
もちろん洋書を見つけてくるのは得意ではありませんが、
指導にあたって主要な外国語については訳さないとできませんし、
資料がない場合は楽譜に書かれていることを手掛かりにするしかありません。
それでも作曲家と楽曲の成立についてはとにかく手掛かりをかき集めて作り、
あとから論文そのもののテーマについて絞り込むと再度検討することになります。
文献がほとんどない状態で、
楽曲全体の分析をそのまま載せるということはたいへん難しいのですが、
院生が知りたかったのはその曲どのようにつくられているかというのも事実でした。
それでも自分で書けることを書くのが筋ということは言うまでもありません。
楽曲分析は新しい作曲家にとっては企業秘密のようなものですから、
殆ど載っている文献はありませんし、
曲目解説でもほんのさわり程度のことが抽象的に書いてあるものが殆どです。
毎年あったので憶えられないくらいの分析が課せられましたが、
文献のないA.ジョリヴェは本当にたくさん行ったほか、名前の読み方も論議したカーク=エラート、
間宮芳生、O.メシアン、本人にインタビューした丹波明、I.ユン、G.ショッカーなどなどでした。
分析はまず的を得ていないことは書けず、1言1句表現にこだわる必要があります。
例えば12音技法の楽曲の和声的な分析をしても意味はないことが多いです。
また12音技法の場合は、楽曲全体の隅から隅まで調べなければ書けないのでたいへんです。
他にもさまざまな作曲法がある中、それを突き止め定義することが難しく、
不定量の記譜が中心だった三善晃作品については分析を断念せざるを得ないこともありました。
ある程度調性があってくれればスタイルを定義することはできますが、
そのスタイルが曲によって変わっていた作曲家がニノ・ロータでした。
ニノ・ロータと言えば映画音楽のほうがたいへん有名で、「ロメオとジュリエット(1968)」や、
「ゴッド・ファーザー」「太陽がいっぱい」などがあります。
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