能登の手染め日記

能登の手染め日記

Jul 18, 2007
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カテゴリ: 絵・美術について



●「なあげそうけ」の駄洒落、勘違いについて

この町の人々に伝えられている「なあげそうけ」は、殿さまが「菜上げ“そうけ”」を「名上げ宗家」と聞いて喜んだ、という内容だった。
しかし、アドバイスを受けた史学の教授に「なあげそうけ」は「名上げ長家(ちょうけ)」と聞き間違えて殿さまが喜んだ、と言われた。

さて、そこで作者も私も少し悩んだ。この伝承の話の登場人物であるお婆さんの子孫の方は「そうけ」は「宗家」という内容で話していた。絵本の作者も私も、ずっと以前から、そういった内容だと聞いて思い込んでいた。う~ん、絵本の本文をどちらの内容にするか?

もっと詳しい理由を教授から教えて頂きたかったのだが、大変忙しい方でなかなかお会いできない。

070718絵本08.jpg

そこで私なりに考えてみた。

新たに本として出すことのポイントは2点
1.皆が知っている内容と違う点があるということで、新たに発表する意味もある。
2.子供に読ませて聞かせる絵本で「そうけ」と「宗家」の説明は難しい。
「宗家」という言葉は普段使わないので、子供には駄洒落と判断できない言葉だ。尤も、今では「そうけ」が竹製の作業器ということを説明するのも難しいが(^^)
駄洒落が通用するには、その言葉の意味を多くの人が共有していないとウケない。

では「宗家」という言葉はいつから使われたものだろうか?
中国では三国志(陳寿(233年 - 297年)が記録した歴史書)の中に「宗家」は使われているようだが、
「日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。」とある。(Wikipediaより抜粋)


たとえ信連公が知っていた言葉であったとしても、「そうけ」=「宗家」という掛け言葉が一般に理解され伝承話として広まったと考えるのは難しい。

「観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名」であるという。
「宗家」という言葉は「分家」があって初めて成立するから「宗家」という言葉が使われ始めたのが明治からならば、「なあげそうけ」が「名上げ宗家」になったのは明治以降になる。

ただし、長家(ちょうけ)の馬印が「そうけ」であったことは歴史的事実だから、長家の殿さまが「名上げそうけ」を喜んで使ったのは間違いなさそうだ。

まぁ、現実に、小さい子供に「宗家」の説明をするの苦労しそうだから、絵本の作者さんも「なあげそうけ」は「名上げ長家」という内容が良いと判断したようだった。

私の推理が正しいかどうか?今度教授にお会いしたら伺ってみよう(^^


Wikipediaより、以下抜粋
宗家(そうけ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%AE%B6

ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。

観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名。家系上は九代目を数える。江戸中期(1752年)に十五世宗家観世元章が弟観世清尚に別家させて以来、能楽四流の宗家並みに扱われ、観世流において「分家」といえば銕之亟を指す。

観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は日本の南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。






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Last updated  Jul 18, 2007 07:40:58 PM
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