能登の手染め日記

能登の手染め日記

Jul 19, 2007
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カテゴリ: 絵・美術について
伝承の物語の絵本に関する裏話(2)

「なあげそうけ」という地域の物語を絵本にするために鎌倉時代の衣装や地形、言葉まで想いをめぐらすことになった。当時の衣装を探したり住居の形を確認したり、中世の暮らしを紐解いて、史学の教授からも資料をお借りした。

だが、あまり細かいところまで描くと絵として面白くなくなるし、実際、実物が無いので細かいところを描けば描くほど間違いが増えてしまう(笑
衣装や地形も、かなり曖昧で申し訳ないことだが、歴史に疎い私も、この町の地形やなりたちを学ぶことになった。

長谷部信連公は武勇の人という印象が強かったから当初は鎧兜姿の絵を描いたが、実際に町を見回るときには兜など身に着けるわけもなかった。よって、烏帽子に変更したがさすがにイメージ的に直垂(ひたたれ)姿には公家のように見えるので出来なかった(^^;
こちら、ちょっと面白い

当時にあったものが今には無くて、今ある地形は埋め立て地なので当時には無かったはずで、時代を経て広がり増えた河川と新しい道路、移転した寺社に増えた住居・・・掌握しきれない。昔のこの町の湊(みなと)は河口から700m上流だったという・・・が、しかし、これは一枚の絵に出来なかった(^^;

070719絵本10.jpg

そして、絵本の中に描いてある「ボラ待ちやぐら」(上図の右下に配置)は、鎌倉時代に存在したか?

歴史上の記録として登場するのは1838年(天保9年)「杭網(くいあみ)の図=夏中鮪捕網)」当時は岸辺までマグロが回遊して木で組んだ櫓(やぐら)の上で網に入るマグロを待っていた漁だったということで、その後、ボラを待つ櫓になったらしい。(また、その漁に対して年貢がかかりそうだったということだから、それだけ海がきれいで豊かな恵みがあったのだ)

では、記録として見付かっていない江戸時代以前に「やぐら漁法」は無かったのか?


あったものと無かったものを正確に配置して・・・(いや、私は当時の地図や見取り図の資料を描いているのではないから)それでは絵にならないのでアバウトで許してもらうしかない(^^;

では、「絵本なら、なんでもアバウトで良いのか?!」と自ら突っ込んでみる。う~ん、上手い答えが見つからないのだが(^^;
絵本ということで絵として魅力あるようにしたかったという弁解と(笑)絵本の話から町の歴史を知るきっかけになり、もっと学ばないとイケナイと反省・・・という言い訳をさせてもらいたい・・・m(__)m

そして、こういう疑問が出てくる絵を描くには、もっともっとボカシを多用するほうが良いという結論を得たのだった。過去の屏風や襖絵の俯瞰図で雲間やボカシの中に町並みや人を描いてあるのは、そういう意味だったのか?などと思うのだった(--ゞ

まだまだ修行が足りない!各種のボカシ技法を習得し、ゴマカシ上手にならないとイケナイな~。と思うのだった・・・オイオイ(笑)





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Last updated  Jul 19, 2007 07:24:29 PM
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