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36 神のいつくしみを 【解説】 詩編45は王の婚宴での祝宴の歌です。11-12節では嫁いだ王妃に語りかける部分があり、最後は、王と子孫の繁栄を願います。それが、神の民の繁栄に繋がるのは、その王が、神のみ旨に従って民を裁き、支配することが前提となっています。今日の答唱詩編としてこの詩編が歌われるのは、このような考えを、メシア的に解釈したとき、王は主キリスト。花嫁は教会ですが、その代表として、教会の母として最初にマリアが天にあげられたからと言えるでしょう。 このことは、詩編の7-8節が、ヘブライ書の1:8-9で、キリストへの言及として引用されていることからもわかります。また、神と神の民(教会)との婚宴のたとえは雅歌にも見られ、キリストは自らを花嫁にたとえ(マタ9:15)、 パウロはさらに、キリストと教会の婚姻のたとえ(エフェ5:21-33)へと発展させています。 詩編の11-12節、詩編唱では4節のですが、古代オリエントでは、王妃が他国から嫁いでくることがまれではありませんでした。イスラエルの周辺諸国から、バアルを崇拝する国の王妃が、バアルの預言者を連れて来て、王も民もバアルを崇拝することもありました(列王16:29-18:40)。これは、十戒の戒め、すなわち神との契約を破棄することで、イスラエルの本質をゆがめることです。 「おまえの民と父母の家を忘れよ」とは、単に字面どおりのことではなく、「おまえの民と父母の崇拝する神を忘れ、イスラエルの神を礼拝せよ」ということなのです。 この節の最初「娘よ聞け耳を傾けよ」については、余談がありますが、ここでは紙面が足りないので、『年代記』をご覧ください。 この答唱句はまったく拍子が指定されていません。と言うのも、順番に、四分の三、四、五、三、四。と変わってゆくからです。ですが、歌うと、まったくそれを感じさせず、歌詞の意味どおりに、自然に歌うことができるから不思議です。 冒頭は、75「神よあなたのことばを」などと同じく、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まります。「とこしえに歌い」と「代々につげよう」では、Fis(ファ♯)が用いられ、伴奏でも、ことばを意識しています。 答唱句の終止は、五の和音で、上のFis(ファ♯)が用いられているところは、五の五の和音(ドッペルドミナント)と考えることもできますが、旋律は、G(ソ)を中心に、上下に動いているので、教会旋法の第八旋法に近いようにも考えることができます。また、最初にもあげたように、拍子が指定されず、グレゴリオ聖歌の自由リズムが生かされています。「主のまことを」で、旋律が最高音C(ド)となり、和音も、ソプラノとバスが2オクターヴ+3度に広がります。 詩編唱は、鍵となるG(ソ)を中心に動きます。 答唱句の音域や、詩編唱の和音からは、あくまでもC-Dur(ハ長調)で、終止は半終止と考えるほうが妥当ですが、それほど単純ではなく、作曲者自身の、グレゴリオ聖歌から取り入れた独自の手法といえるかもしれません。【祈りの注意】 冒頭、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まりますが、これを良く聴き、「かみ」のアルシスを生かしましょう。前半は一息で歌いたいところですが、息が続かない場合は、「いつくしみを」の付点四分音符に、一瞬で息を吸ってください。最初は一息でいかないかもしれませんが、祈りの流れに、毎回、こころを込めると、徐々にできるようになるのではないでしょうか。最初から「無理」とあきらめずにチャレンジしてください。 この「を」を、付点四分音符で延ばす間、少し cresc. すると、祈りが、次の「とこしえに」へ向かって、よく流れてゆきます。ただし、やり過ぎないようにして、最初の、音の強さの中で、cressc. しましょう。 「歌い」の後で、息をしますが、祈りは続いていますから、間延びして流れを止めないようにしましょう。この後、よく耳にするのが、「まことを」の四分音符を、必要以上、二分音符ぶん位、延ばしてしまうものです。「主のまことを、代々に告げよう」は一つの文章、一息の祈りですから、「を」は四分音符だけで次へ続けます。 このようになるのは、おそらく、答唱句の最後で rit. することが背景にあるかもしれませんが、これは明らかにやりすぎです。rit. しても、四分音符は四分音符として歌います。 詩編唱、特に1節は、第一朗読を思い起こし、その黙想に直接結びつくものです。太陽を身にまとったマリアは、まさに、「光と輝きを身にまとう」方です。 マリアの家系は、聖書に書かれていませんが、マタイ1:1-17における、イエス・キリストの系図によると、先祖には、他国から嫁いできた女性もいました(たとえば、ボアズの妻ルツ)。この人たちは、詩編のことばどおり、自分の神を忘れ、まことの神を受け入れました。このことも、詩編を先唱する方は、心の隅に留めておくとよいかもしれません。 わたしたちに先立って、教会の母として天にあげられたマリア様を思い起こし、この詩編を深く味わえるように、祈りをささげたいものです。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.07.31
55 神のみ旨を行うことは【解説】 詩編67は、最初、豊作を求める祈りから始まり、収穫への感謝、神に祝福を求める祈りへと続き、さらに、すべての民と被造物への祝福を求める祈りへと発展してゆきます。 祝福を求める祈りは、民数記6:24-26の「アロンの祝福」の式文(典礼聖歌遺作「主があなたを祝福し」)を言い換えたものです。イスラエルをとおしてすべての民が祝福を受けるという思想は、<第二イザヤ>⇒年間第19主日(A年)の答唱詩編参照=と同じで、パウロ「ローマの信徒への手紙」(12章など)で同様のことを説いています。 第二バチカン公会議の『教会憲章』でも「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」(1項)を述べられています。実は、このことは、今まで見てきたように、『聖書』に一貫して流れている考えということができるでしょう。 答唱句の前半、従属文の部分は、「おこなう」が最高音(B=シ♭)を用いてことばを強調しています。続く「うことは」では、一時的に属調のF-Dur(ヘ長調)に転調することで、丁寧にことばを語り、行う決意を呼び起こします。後半は、すぐにB-dur(変ロ長調)に戻り、まず、「わたし」が最低音のCから始まり、謙遜のこころを表します。「こころの」は、付点八分音符と十六分音符で、最後の、「よろこび」は音価が拡大され、下線の部分は最高音B(シ♭)によって、こころ(魂)が喜びおどる様子と、答唱句全体の信仰告白の決意を力強く表しています。 詩編唱は、終止音と同じ音から始まり、1小節1音の音階進行で下降して、開始音Fに戻り、作曲者の手法「雅楽的な響き」の和音で終止します。バスのEs(ミ♭)は答唱句のバス(D=レ)とテノール(F=ファ)のオブリガートとなっています。【祈りの注意】 答唱句全体の信仰告白は、聖母マリアが歌った「マリアの歌」(マグニフィカト ルカ1:46-)に通じるものです。いつも、この信仰告白の決意を持ち、神のみ旨をわきまえることができるように祈りましょう。 「神の」を気持ち早めに歌うことが、この信仰告白の決意のことばを生き生きとさせます。メトロノームのように歌うとだらだらしますし、上行の旋律も活気がなくなります。 「みむねをおこなう」は、現代の発音では同じ母音Oが続きます。どの声部も同じ音で続くので「み旨をーこなう」とならないように、はっきり言い直しますが、やりすぎにも気をつけましょう。 「ことは」の後で息継ぎをしますが、この息継ぎは「は」の八分音符の中から少し音を取って、瞬時に行います。ここを、テンポのままで行くと、しゃっくりをしたようになります。この前から少し rit.しすると、息継ぎも余裕を持ってできますし、何よりも祈りが深まります。 後半は、すぐにテンポを元に戻しますが、「こころ」あたりから rit. に入り、付点のリズムを生き生きと、また、力強く歌って締めくくりましょう。この得記、先にも書きましたが、マリア様の心と同じこころで歌うことができればすばらしいと思います。 なお、これらの rit. は、いつしたのかわからないように、自然に行えるようになると、祈りの深さもましてきます。 詩編唱は、今日のことばの典礼のテーマそのものです。詩編唱の1節では「祝福」を願い、3節では「祝福が」与えられたことが述べられています。今、わたしたちは、この狭間、すなわち、祝福のうちにいるのではないでしょうか。 神の「祈りの家の喜びの祝いに連なる」(第一朗読)わたしたちの喜びを、多くの人に伝え、すべての民がこの祝福に入ることができるように、祈りをささげてください。【参考文献】第二バチカン公会議『教会憲章』(サンパウロ 1986 )『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.07.27
81 神よわたしに目を注ぎ【解説】 詩編85は、バビロン捕囚から帰ったイスラエルの民が、困難な状況に直面したとき、神に、平和の回復を願ったものです。<同義的並行法>を用いることで、神から与えられる「いつくしみ」「平和」「正義」「まこと」が強調されます。9-14節は<第二イザヤ>の思想に基づいていて、メシア(キリスト)の到来によってもたらされる、平和な時代を預言しています。<同義的並行法> 古来イスラエルやオリエントの文学で用いられた文学手法の一つ。類似した表現を繰り返すことで、思考リズムに訴え、朗唱される事柄を強調し、たやすく記憶させることが目的。<第二イザヤ> イザヤ書40-55章を指す。イザヤ書は、その文体や思想などから「アモツの子イザヤ」という一人の預言者ではなく、彼の精神、思想を受け継いだ多くの後継者の加筆、著述がまとめられたというのが、現在の研究の一般的な見解。 答唱句は、最初の2小節、中音部→三度の下降→二度の上行を繰り返します。後半は、G(ソ)→C(ド)という四度の跳躍と付点八分音符+十六文音符のリズムで「強めて」を強調します。「ください」は、倒置の終止を表すために、ドッペルドミナント(5度の5度)という、属調での終止を用いています。が、すぐに元調へ戻り、反行を繰り返しながら終止します。 詩編唱は、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲し、属音G(ソ)を中心にして歌われます。【祈りの注意】 答唱句で最初に繰り返される音形は、畳み掛けるように歌いましょう。この部分をメトロノームではかったように歌うと、祈りの切迫感が表せません。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの気持ちで歌います。上行の部分も、上り坂でアクセルを踏み込むような感じで歌うと、祈りの流れが途絶えません。冒頭はmf 位で始め、上行毎に cresc. して、「強めて」で頂点に達し、音の強さも気持ちもff になります。その後は、徐々に、 dim.しながら rit. しますが、精神は強めたまま終わらせましょう。最後の答唱句では、特にこの rit.を豊かにすると、いつくしみの目を注いでくださり、強めてくださる神の手が、静かに優しくわたしたちの上に伸べられる様子が表されるでしょう。 詩編唱は、第一朗読の「静かにささやく声が聞こえた」を受けて始まります。「平和」とは、単に戦争や争いがないことではなく、神の支配が完全に行われることを言います。「平和」の到来は、神の一方的な行動ではなく、わたしたちの回心が前提になっていることが、詩編唱の3節で言われていることに注目しましょう。 4節では「栄光はわたしたちの地に住む」と歌われますが、今も、神の栄光の現れであるイエス・キリストは、特に、ミサの中でわたしたちとともにいてくださいます。 5節は、<同義的並行法>がよくわかります。また、1小節目の歌詞は、イザヤ45:8(301「天よ露をしたたらせ」)を思い起こさせます。 「正義」「平和」「いつくしみ」「まこと」は、世の荒波を進む神の民を、神の支配を阻む「強風」から守る主・キリストを指していると言えるでしょう。詩編唱の祈りが、福音朗読へとつながる黙想となるように、先唱者の方は、祈ってください。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 (サンパウロ 1968 )『旧約新約聖書大事典』(教文館 1989)
2005.07.26
18 いのちあるすべてのものに【解説】 今日の詩編145は、先週の詩編119と同じく、7つアルファベット詩編の一つです。この答唱詩編では歌われませんが、詩編の2節は367「賛美の賛歌(Te Deum)」の11節で歌われます。同じく、10節(詩編唱の5節前半)と15および16節(詩編唱の7節)は、教会の、公式の「食前の祈り」として用いられています。 今日の答唱詩編は、第一朗読の「来て食べよ」と福音朗読の「すべての人が食べて満腹した」と関連しています。福音朗読だけで、「パンを増やした」ということだけに目を奪われると、今日のことばの典礼の主題を見失う危険があります。とりわけ。第一朗読の「わたしに聞き従えば、よいものを食べることができる」「聞き従って、魂に命を得よ」という、イザヤのことばは、詩編唱の黙想につながります。 正式なホームページができたら、詳しく触れたいと思いますが、答唱句の旋律は、ミサの式次第の会衆の旋律(主の祈りの例外部分を除く)の部分と同じです。ミサは、ことばの典礼と感謝の典礼という二つの食卓からなっていますが、この答唱句は、それをよく表しているのです。【祈りの注意】 答唱句は、雄大な信仰告白として歌いましょう。「いのちあるすべてのもの」は人間ばかりではありません。鯨や像、ゴキブリやカメムシはもちろんアメーバや地衣類に至るまで、すべての動植物に「主は食物を恵まれる」のです。この信仰告白にふさわしい祈りとしましょう。冒頭「いのちあるー」と付点四分音符で延ばす間、このことばの強さの中で cresc. すると祈りが先へと伸びてゆきます。続く「すべてのものに」は、メトロノーム的に歌うとぶっきらぼうになり、祈りになりません。ここは、やや早めにすると、ことばが生きてきます。ここまでバスは音階進行で下降しますが、これを、祈りを深める助けとしてください。また「すべての」が一拍早く出ますが、これは祈りを途切れさせないためです。他の声部は、これを聞くまで、しっかり祈りを続けたいものです。最後の「に」の後に八分休符がありますが、これを「にー」と延ばすと祈りの品位が失われます。「に」は、八分音符の間に dim. いわゆるフェイドアウトすると、ことばがいっそう生きてきます。 後半の信仰告白、旋律は最高音から始まりますが、アウフタクトのアルシスをしっかり生かすと、この音が生きてきます。最後は、雄大に、とりわけ最終回の答唱句は丁寧におさめましょう。「めぐまれる」の和音は二度から主和音になる珍しい終止です。この和音進行を、祈りにもつなげましょう。 詩編唱は、4,7,8節が歌われます。いずれも、先にあげた第一朗読を受けて、福音朗読のミサを先取りするしるしへとつながって行きます。詩編を先唱される方は、二つの朗読もじっくり味わってから詩編を祈りましょう。4節の4小節目、『典礼聖歌』伴奏譜と『教会の祈り』および典礼用の『詩編』(あかし書房 1972 )では、「いつくしみは造られたすべてのものの上にある」となっています。ヘブライ語の原文にもこのことばはありますので、会衆用の歌詞もそのように修正していただくことを望みます。 詩編唱全体に、「すべてのもの」「すべての人」ということばが頻繁に出てきます。すべてのものに「豊かにいのちのかて」=みことばと食物を与えてくださる神の「恵みといつくしみ」を思いながら、詩編を味わいたいものです。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.07.25
125 主よあなたは永遠のことば 【解説】 この詩編119は全詩編中、もっとも長く、176節からなり、さらに、8節をひとまとまりとし、詩の冒頭がアルファベット順になっています(アルファベットの詩編)。ここでは「律法(トーラー)」が、「教え、仰せ、定め、聡、さばき、おきて、すすめ、ことば」という八つの同義語で語られています。キリストが来られたのは、律法や預言者(旧約聖書)を廃止=誤った解釈で無効にするためではなく、聖書を、神が本来望んでおられる正しい解釈をすることで、神のことば、教えをすべての人のために確立することにありました(マタ5:17)。 この詩編119は他に、56「神のみ旨を行うことは」、75/76「神よあなたのことばは」でも歌われますが、176節すべてが唱えられるわけではありません。ぜひ、一度、通して読んで見てください。 答唱句は、非常に複雑な和音で進んでゆきます。冒頭は、2♭の長音階、B-Durの主和音で始まりますが、これは、最初のアルシスだけです。最後は、バスからC-G-Es-Cの和音で終わることから、教会旋法の第一千歩に近いと言えるでしょう。前半はバスが音階進行で動き、とりわけ「永遠の」では、バスとアルトで臨時記号が使われ、こころを「永遠」に向けさせます。後半では、バスが第三小節でG第四小節でCを持続し、この信仰告白の体言止のことばを力強く終わらせます。 詩編唱は、ドミナント(属音)のGを中心にして動きます。【祈りの注意】 ここでは、特に、金や銀といったこの世の宝より、神のことばこそ「わたしの宝」と述べられます。『聖書』という、神のことばの宝箱を、いつも大切にこころに刻めるように、この詩編を伝えてください。第三小節では、音も詩編唱の最高音ですが、今日、歌われるすべての節に「すばらしい」ということばがあります。無理にがんばることはやりすぎですが、自然と、「神のことばはすばらしい」という信仰告白が伝わると、すばらしい祈りとなるのではないでしょうか。 なお、二節の第一小節と第二小節にまたがることばは、「教会の祈り」(第三水曜日「昼の祈り」)では、「とこしえにわたしの宝、」で改行されていますので、小節の区切りも合わせるか検討の余地はありそうです。 答唱句のことばは、「ガリラヤの危機」の後のペトロの信仰告白のことば(ヨハ6:68)です。最初の「主よ」の後の八分休符は、次の「あ」のアルシスを生かすものです。「よ」が惰性で伸びないようにし、オルガンの伴奏が一足早く変わるのを味わえると、「あ」のアルシスがより生きると思います。「あなたは~」のところを、メトロノームで、はかったように歌うと、ことばを棒読みしているように聞こえます。四声の場合は、アルとは特にレガートをこころがけましょう。一連の八分音符を、やや早めの気持ちで歌うと、「あなたこそ」という確信に迫る祈りになるのではないでしょうか。「ことば」の部分、特に、アルトの動きは、最後のrit.を促すものです。オルガン伴奏だけのときも、この音の動きをよく味わい、オルガニストは、祈りを込めて弾きたいものです。この答唱句を歌うとき、ペトロと同じように、キリストに従う決意を新たにしたいものです。【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)石黒則年『詩篇』(新聖書講解シリーズ 旧約12 いのちのことば社 1988)
2005.07.19
138「すべての人の救いを願い」【解説】 今日の答唱詩編は「すべの人の救いを願い」で、詩編 86 が歌われます。 この詩編は、詩編作者自身、自らを「しもべ」(2,4節など)と呼ぶ、個人的嘆願の詩編です。普通、嘆願の詩編は感謝で終わりますが、この詩編は、再び、嘆願の祈り(16-17節)が加えられています。また、普通、詩編では、「主」(アドナイ)、「神」(エロヒーム)のどちらかが使われますが、この詩編では、両方が用いられていることも特徴の一つです。 答唱句はアルトとバスが第2小節までC(ド)、和音も主和音を保つことで、すべての人の救いを願う精神の持続を表現しています。後半は一転して、和音も動き、特に「(待)ち望む」で、旋律は最高音のc(ド)に至り、テノールではAs(ラ♭)が経過的に用いられ、救いを待ち望むこころと決意が神に向かって高められます。 詩編唱は、六の和音から始まり、救いを待ち望む姿勢が継続されます。第3~第4小節にかけては、伴奏のテノールでFis(ファ♯)を用いて和音が属和音に至り、和音進行でも祈りでも、答唱句へと続くようになっています。【祈りの注意】 答唱句はあまる早くならないように注意しましょう。この、ことばをゆっくりと噛み締めるように祈りたいものです。人間、誰でも一人や二人は好きになれない人がいることでしょう。その人たちのことをぜひ思い起こし、その人たちの救いを願い、この答唱を祈りたいものです。「すべてのひとの」と「救いをねがい」の後の八分休符の前の「の」「い」は、そっとつけるように歌い、ややdim.すると、ことばが生きて、祈りも深まります。後半の「わたしは」からは、だんだん大きくしながらrit.しますが、決して、乱暴に怒鳴らないようにしましょう。「待ち」このcresc.は最高点に達しますが、そこからは、徐々に、dim.すると祈りも深まるのではないでしょうか。答唱句全体がP で歌われますから、このcresc.もP の中でcresc.すると、自然と祈りが深まるでしょう。 詩編は、前回もお話した原則を思い起こしてください。すべての第1小節と、1節の第3小節で「神よ」という呼びかけがありますが、ここで、区切りを入れると、音楽ばかりか祈りも途切れてしまいます。どの小節のことばもできるだけ、一息で祈りたいものですが、長くてどうしても息継ぎが必要な場合は、たとえば2節の3小節目では、「あなたは偉大」の後で、「い」の八分音符の中で息継ぎします。このとき、息継ぎの前で、少しrit.すると、唐突な感じがしなくなります。 1節と3節の最後の「さぃ」は、「さ」をのばし「ぃ」をそっとつけるように、天に折られる神に呼びかけるようにします。決して「さいー」と品が悪くならないようにしてください。2節の最後「あなたのほかに神はない」は、十戒の第一の戒めを思い起こし、P の中でも確固とした決意を持って祈りましょう。 最後に歌う答唱句は、この答唱詩編の締めくくりとして、テンポも少しおとし、PP で歌うと、より、この答唱句の祈りのことばが深まるでしょう。第一朗読の「知恵の書」を思い起こし、神への信頼といつくしみを願って、この答唱詩編を深めてゆきましょう。【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)石黒則年『詩篇』(聖書講解シリーズ 旧約12 いのちのことば社 1988)
2005.07.13
+ 主の平和。 今日から、主日の答唱詩編や季節、祭日にふさわしい聖歌について、『聖書』と典礼に基づいて、神学的考察をしてゆきたいと思います。なお、現在、『典礼聖歌』に関するホームページを準備中ですが、開設次第、アドレスをお知らせいたします。HPからもリンクすることができるようにします。 さて、初回は、答唱詩編の基礎についてお話ししたいと思います。 答唱詩編は、文字通り「答唱」と「詩編」からできています。答唱詩編は、聖書朗読の一つで、普通、一人の先唱者が朗読台から先唱します。「答唱」は第一朗読に対する先唱と同時に、「詩編」本文に対する答唱にもなっています。答唱詩編でもっとも大切なことは、第一朗読に対して、詩編で黙想するということです。 詩編の本文も全員で歌うとよいように思われますが、実際にはなかなか黙想になりませんし、先唱者が一人で朗唱するほうが謡い疲れません。できる限り、先唱者が詩編の本文を朗唱するように努力していただきたいと思います。 次に、技術的なことですが、よく、楽譜で間が空いているところや「神よ」という呼びかけの後で、ことばを切っていることがありますが、それは正しい詩編の朗唱のしかたではありません。高田三郎『典礼聖歌を作曲して』(オリエンス宗教研究所)の21-29および65-67ページを参照してください。「教会の祈り」の唱和も同様ですが、詩編唱は、原則として1小節を一息で、切らないで唱えます。本来は、同書の65-67ページで示唆されているとおり、全部のことばを八分音符で表記すれば、リズムも正確に表すことができるのですが、それでは、楽譜が膨大な量になってしまいます。そこで、八分音符が連続しているところは全音符でしるし、音が変わる(変わった)ところや最後の終止を、ふさわしい音符で表記しているのです。 このようなわけですから、1小節のことばが長いところや、「,」があるところ以外では、原則として、途中、切ることなく続けてゆきます。個別の例外については、これから、そのつど、解説してゆきます。 もう一つ、気をつけていただきたいことは、「さぃ」などの小音符の歌い方ですが、この場合、最初の「さ」を少し長めにし、「ぃ」を後につけるように、たとえて言えば遠くにいる人に呼びかけるように歌うときれいに聞こえます。「さいー」というように歌うと、とても耳障りで、きれいな日本語に聞こえません。 最後になりますが、先にも書いたように、答唱詩編は詩編による黙想ですから、詩編の先唱者は、ふさわしい準備をしていただきたいと思います。答唱詩編だけではなく、その日の第一朗読や福音朗読に目を通して味わっておくと、自身の黙想ばかりではなく、共同体全体の黙想を助けることにもつながります。 聖ヒエロニムスのことばに「聖書を知らないことは、キリストを知らないこと」というものがありますが、いくらきれいな声で歌っても、肝心の神のことばが聞いている人々のこころに響かなければ、いかがなものでしょうか? 今回は、答唱詩編の基礎についてお話しましたが、これから、徐々に、具体的なお話をしてゆきたいと思います。 それではきょうは、このあたりで。 賛美と感謝のうちに。 SKG omasico【参考文献】【ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)】(カトリック中央協議会 2004)
2005.07.12
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