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165 喜びに心をはずませ【はじめに】 主の洗礼の祝日は、各年共通の朗読箇所があり、A年は必ずこれを読みますが、B年とC年は、この共通箇所と任意の箇所のいづれを読むこともできます。「聖書と典礼」では、B年とC年には、この任意の朗読が掲載されていますので、『今日の聖歌』でも、この任意の箇所の答唱詩編を扱います。【解説】 答唱句もここから取られているイザヤ書の12章の3節は、有名なフォークダンス「マイム・マイム」(マイーム・ベサソン=喜びをもって水を)の元となった箇所です。イザヤの12章は、ユダとエルサレムに関する預言の最後の部分です。11:11-16で、出エジプトの出来事が思い起こされ、12:1-6の救いに感謝する歌の導入となっています。さらに、この12:1-6は、出エジプト記の「海の歌」(15:1-18)にある、神が「住まいとして自ら造られた所、御手によって建てられた聖所」(15:17)の成就となっています。 答唱句は八分音符や十六分音符などの細かい音符を多く用いて、大きな喜びを持って歌われます。「よろびに」は、各音節が異なる音価で歌われ、旋律も一気に最高音C(ド)に上昇し、喜びの心を高めています。「こころ」と「すくい」は付点八分音符+十六分音符のリズムで、これらにはさまれた動詞「はずませ」の心の動きを促し、「はずませ」の旋律はA(ラ)とG(ソ)を反復し、バスではH(シ)=を用いて転調することで、ことばを生かしています。 「救い」では、旋律が6度跳躍し、キリストによる尽きることのない泉に象徴される神の救いの豊かさ(ヨハネ4:7-15)を表しています。最後は、旋律が低音部で歌われ、この尽きることのない泉から水を汲む姿勢が暗示されます。 詩編唱は、数少ない2小節からなるものの一つで、旋律も和音も複雑ではありませんが、逆にそれが、歌われることばの多さを生かすもの、となっています。 今日の第一朗読とこの答唱詩編は、復活徹夜祭の第五朗読と同一です。この第五朗読は、洗礼の恵みを表すもので、第五朗読が読まれなかった場合で、洗礼式がある場合には、第七朗読のあとにこの答唱詩編を歌うように勧められています。それほど、この答唱詩編は、洗礼の恵みを先取りするものとされています。 主の洗礼の祝日に、第一朗読を受けてこの答唱詩編が歌われることは、すべての洗礼の源である主の洗礼にふさわしいものと言えるでしょう。【祈りの注意】 答唱句は、十六分音符の活き活きした動きを生かして歌いましょう。「はずませ」のA(ラ)とG(ソ)を反復は、ややマルカート気味にするとよいかもしれませんが、はっきりしたマルカートではやりすぎですので、そこまでにはならない程度にします。「はずませ」のあとは、息をしますので、この前で、ほんのわずかですが rit. し、「せ」の八分音符は、テージスの休息を生かし、そっと置くように歌います。そして、その八分音符の中で、すばやく息を吸って、先を続けます。「神の み旨を行うことは」「神よ あなたはわたしのちから」なども同様です。最後は、「救いの泉から水を汲」んでいるように、静かに rit.してゆき、落ち着いて終わりましょう。特に、最後の答唱句は、この rit.をより豊かにすることで、品位ある歌い方になります。 詩編唱は洗礼によって与えられた、救いの喜びを思い起こしながら先唱してください。詩編唱の1節、および2節と3節の2小節目は、音節(ことば)が多いので、早めに歌います。そうしないと、答唱句とのバランスが取れないからです。1節は、神の救いに信頼した、確固とした決意を持って、2節と3節はその救いを世界に伝えることを、すべての神の民に呼びかけるように歌いましょう。【オルガン】 オルガンのストップ(レジストレーション)ですが、この喜びを十分に表すようにしてください。とは言っても、答唱詩編は、第一朗読の黙想を助けるものですから、派手なプリンチパルは控えましょう。フレーテ系で2フィートを入れ、場合によっては、8+2という組み合わせもよいかもしれません。
2005.12.29
136 すべての王は【解説】 「ソロモンの詩編」というタイトルを持つこの詩編72は、王の即位の歌と言われています。神の み旨とみこころにしたがって民を公正に治めることが、王の使命であり、それによって、王にも子孫にも祝福が与えられます。教会は、この王を、地上の王を超越したメシア=キリストに当てはめ、キリストの支配が終わりなく続き、限りない祝福で満たされるものと考え、特に、公現の祭日の答唱詩編として用いてきました。『典礼聖歌』ではそれを踏まえ、答唱句(11節)では「かれ」を「あなた」に、詩編唱では「王」を「主」に言い換えています。 答唱句に3回出てくる八分休符は、その前の助詞と次のアルシスを生かすためのものですから、祈りの流れ、精神は持続して歌います。冒頭、第三音(H=シ)から始まった旋律は「王は」で主音になりますが、和音は六度が用いられ、地上の王の不完全さが表されています。続いて旋律は「あなた」の最高音C(ド)から、音階の順次進行で下降し、「ひざをかがめ」で最低音Cis(ド♯)に至り、地上のすべての王が、神とキリストの前にひざをかがめる様子が表されます。このことは、テノールのGis(ソ♯)と旋律のCis(ド♯)で強調されています。「すべての国は」は、和音内構成音のG(ソ)を加えて6度上昇し、その広がりが示されています。 旋律は、最低音の「ひざをかがめ」のCis(ド♯)を中心に、冒頭の「すべての」と最後の小節の「あなた」がH(シ)、二小節目の「あなた」と「すべてのくには」が最高音のC(ド)と、ちょうどシンメトリーになっています。 詩編唱和の旋律は、調性と伴奏は異なりますが、17・18「いのちあるすべてのものに」および123「主はわれらの牧者」と同じで、神が主キリストとしてわたしたちを治めてくださる、という共通の主題で統一されています。【祈りの注意】 解説にも書きましたが、答唱句に3回出てくる八分休符は、その前の助詞と次のアルシスを生かすためのものですから、祈りの流れ、精神は持続して歌うようにしましょう。八分休符の前の助詞は、その前の音符に軽くつけるようにし、助詞の八分音符はフェイドアウトするように歌います。 速度の指定は、「四分音符=69くらい」となっていますが、最初は少し早く始めるとよいでしょうか。冒頭から「かがめ」まで、祈りの流れは一息で歌うようにしましょう。実際に息継ぎなしで歌うのは難しいかもしれません。途中、二つある八分音符で息継ぎしてもよいでしょうが、最初にも書いたように、祈りの流れと、精神は持続させなければなりません。流れを止めないように気をつけてください。「ひざをかがめ」では、いったん、普通より豊かに rit. しましょう。この rit. で、すべての王がひざをかがめる様子を音楽的にも、祈りとしても表してください。後半の「すべての国は」からは、テンポを元に戻し、最後は、さらに豊かに rit. することで、祈りのことばがよく味わえるでしょう。 詩編唱では、神の み旨を行う、真の王の姿が歌われます。これこそ、主キリストに他ならないことは、言わずもがなです。第一朗読も福音朗読も、このことを表すものです。それはまた、主がピラトの前で、御自分の国は、地上のものではなく、それを超越したものであることを、暗示しているのではないでしょうか。主は、地上の支配者とは異なり、詩編唱の4節に歌われるような方であることを、こころに刻み、わたしたちも、その、キリストの王職を行うことができるように祈りたいものです。 【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.12.27
55 神のみ旨を行うことは【解説】 詩編67は、最初、豊作を求める祈りから始まり、収穫への感謝、神に祝福を求める祈りへと続き、さらに、すべての民と被造物への祝福を求める祈りへと発展してゆきます。 祝福を求める祈りは、民数記6:24-26の「アロンの祝福」の式文(今日の第一朗読。『典礼聖歌』遺作「主があなたを祝福し」)を言い換えたものです。イスラエルをとおしてすべての民が祝福を受けるという思想は<第二イザヤ>と同じで、パウロも「ローマの信徒への手紙」(12章など)で同様のことを説いています。 第二バチカン公会議の『教会憲章』でも「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」(1項)と述べられています。実は、このことは、今まで見てきたように、『聖書』に一貫して流れている考えということができるでしょう。<第二イザヤ> イザヤ書40-55章を指す。イザヤ書は、その文体や思想などから「アモツの子イザヤ」という一人の預言者ではなく、彼の精神、思想を受け継いだ多くの後継者の加筆、著述がまとめられたというのが、現在の研究の一般的な見解。 答唱句の前半、従属文の部分は、「おこなう」が最高音(B=シ♭)を用いてことばを強調しています。続く「うことは」では、一時的に属調のF-Dur(ヘ長調)に転調することで、丁寧にことばを語り、行う決意を呼び起こします。後半は、すぐにB-dur(変ロ長調)に戻り、まず、「わたし」が最低音のCから始まり、謙遜のこころを表します。「こころの」は、付点八分音符と十六分音符で、最後の、「よろこび」は音価が拡大され、斜体の部分は最高音B(シ♭)によって、こころ(魂)が喜びおどる様子と、答唱句全体の信仰告白の決意を力強く表しています。 詩編唱は、終止音と同じ音から始まり、1小節1音の音階進行で下降して、開始音Fに戻り、作曲者の手法「雅楽的な響き」の和音で終止します。バスのEs(ミ♭)は答唱句のバス(D=レ)とテノール(F=ファ)のオブリガートとなっています。【祈りの注意】 答唱句全体の信仰告白は、聖母マリアが歌った「マリアの歌」(マグニフィカト ルカ1:46-)に通じるものです。いつも、この信仰告白の決意を持ち、神の み旨をわきまえることができるように祈りましょう。 「神の」を心持ち早めに歌うことが、この信仰告白の決意のことばを生き生きとさせます。メトロノームのように歌うと逆にだらだらしますし、上行の旋律も活気がなくなります。 「みむねをおこなう」は、現代の発音では同じ母音Oが続きます。どの声部も同じ音で続くので「み旨をーこなう」とならないように、はっきり言い直しますが、やりすぎにも気をつけましょう。 「ことは」の後で息継ぎをしますが、この息継ぎは「は」の八分音符の中から少し音を取って、瞬時に行います。ここを、テンポのままで行くと、しゃっくりをしたようになります。この前から少し rit.すると、息継ぎも余裕を持ってできますし、何よりも祈りが深まります。 後半は、すぐにテンポを元に戻しますが、「こころ」あたりから rit. に入り、付点のリズムを生き生きと、また、力強く歌って締めくくりましょう。この時、先にも書きましたが、聖母マリアの心と同じこころで歌うことができればすばらしいと思います。 なお、これらの rit. は、いつしたのかわからないように、自然に行えるようになると、祈りの深さもましてきます。 詩編唱は、解説のところでも書きましたが、第一朗読の、民数記6:24-26の「アロンの祝福」の式文を言い換えたものです。ここで言われている「恵み」「平安」とは、神がわたしたちのために遣わしてくださった、ひとり子、キリスト・イエスではないでしょうか。その「恵み」「平安」を一番、身近にいただいたのが、聖母マリアではないでしょうか。詩編唱は、この、マリアを通してわたしたちに与えられた「恵み」「平安」が、世界に満ちるような祈りとなるようにこころを込めて伝えてください。【おことわり】 今日の解説と祈りの注意の一部は、同じ答唱句が歌われる、年間第20主日の答唱詩編から転載いたしました。なお、同じ答唱句、答唱詩編が繰り返されることも多いので、この「おことわり」は今後、省略させていただきます。ご承知おきください。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.12.26
主の降誕のお慶びを申し上げます! みなさま、よい降誕祭をお迎えください。また、本日、洗礼を受けられるみなさま。おめでとうございます。これからの信仰生活が、豊かな祝福で満たされますように、お祈りいたします。 ♪ 遠く地の果てまで、すべてのものが神の救いを見た【お知らせ】 1月1日、神の母聖マリアの祭日、以降の答唱詩編の記述は来週、月曜日以降になります。本年、主の洗礼の祝日は主日には祝われませんが、3年後は主日になりますので、今回、この答唱詩編も記述いたします。
2005.12.24
94 心を尽くして神をたたえ【前置き】 今年は、主の降誕の祭日が主日と重なるため、聖家族の祝日は、主日ではなく、12月30日の金曜日に祝われます。このため、今年は主日の答唱詩編ではありませんが、3年後は主日になりますので、今回、解説で取り上げることにいたしました。【解説】 ここで歌われる詩編105は、1節から15節が、歴代誌上16:8-36節にある、ダビデがアサフをはじめとするレビ人たちに、神の箱の前での儀式のときに歌わせた感謝の歌の一部(16:8-22)として用いられています。詩編全体は、賛美への招き(1-6)、太祖の時代の契約(7-15)、ヨセフの物語(16-24)、モーセとエジプトの災い(25-36)、荒れ野の旅とカナン入国(37-)、という、イスラエルの古代史が語られています。この日の第一朗読(主日の場合)では、神がアブラム(後のアブラハム)に多くの子孫を与える約束と、イサクの誕生が語られます。年老いたアブラハムと不妊と思われたサラからのイサクの誕生は、当時の人々にとっては、まさに「神が行われた不思議なわざ」(詩編唱2の3小節)だったのです。 福音では、年老いたシメオンとアンナという預言者が登場します。二人とも、メシアを見て「賛美の歌を神に歌い、そのすべての不思議なわざを語」ります。これは、先日、主の降誕を記念したわたしたちにとっても、まさに、今、目の当たりにした出来事なのです。そして、この神殿への主の奉献も、ミサの中で、わたしたちが記念していることの一つではないでしょうか。さらにもっとも大切なことは、この、奉献にあわせて、わたしたちが神からいただいたすべての恵みによって行うことができたこと=それは、わずかなことでしょうが=を神にささげる、神に返すことも忘れてはならないでしょう。 答唱句は、前半、後半ともに、旋律が主に音階の順次進行によって上行します。「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」が、付点四分音符+十六分音符のリズムで強調されています。さらにこのどちらも、旋律の音が同じばかりでなく、和音も位置が違うものの、どちらも4度の和音で統一されています。「かみをたたえ」は、「かみ」の旋律で、前半の最高音C(ド)が用いられ、祈りが高められ、バスでは「かみをたたえ」が全体での最低音F(ファ)で深められています。また、この部分はソプラノとバスの音の開きも大きくなっています。なお、「たたえ」は、バスでFis(ファ♯)がありますが、ここで、ドッペルドミナント(5度の5度)から、一時的に属調のG-Dur(ト長調)に転調して、ことばを強調しています。後半の「こころにとめよう」は、旋律が全体の最高音D(レ)によって、この思いが高められています。 詩編唱は、最初が、答唱句の最後のC(ド)より3度低いA(ラ)で始まり、階段を一段づつ降りるように、一音一音降り、答唱句の最初のC(ド)より今度は3度高いE(ミ)で終わっていて、丁度、二小節目と三小節目の境で、シンメトリー(対称)となっています。【祈りの注意】 早さの指定は四分音符=69くらいとなっていますが、これは、終止の部分の早さと考えたほうがよいでしょう。ことばと、旋律の上行形から、もう少し早めに歌いだし、「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」に、力点を持ってゆくようにしたいものです。決して、疲れて階段を上がるような歌い方になってはいけません。この答唱句の、原点は、イエスも最も重要な掟と述べられた(マタ22:34-40他並行箇所)、申命記6:5「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」によっていることを思い起こしましょう。 「すべての恵み」で、何を思うでしょうか。わたしたちが神からいただいている恵みは はかりしれません。毎日の衣食住、ミサに来れること、友人との語らい、家族団らんなど、さまざまな物事があるでしょう。わたしが、この世の中に生まれてきたことも大きな恵みです。、しかしこの「すべての恵み」を、端的に言い表しているのは、「主の祈り」ではないでしょうか。「主の祈り」のそれぞれの祈願こそ、神が与えてくださる最も崇高で、最も大切な恵みではないかと思います。これらのことを集約した祈りであるこの答唱句を、この呼びかけ、信仰告白にふさわしいことばとして歌いましょう。 二回ある上行形は、やはり、だんだんとcresc.してゆきたいものですが、いつも、述べているように、決して乱暴にならないように。また、音が上がるに従って、広がりをもった声になるようにしてください。一番高い音、「かみをたたえ」、「心にとめよう」は、丁度、棚の上に、背伸びをしながらそっと、音を立てないで瓶を置くような感じで、上の方から声を出すようにします。「かみをたたえ」でバスを歌う方は、全員の祈りが深まるように、是非、深い声で、共同体の祈りを支えてください。 この恵みの頂点は、やはり、パウロが『コリントの信徒への手紙』で述べている、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(1コリント15:3-4)=受難と復活、そして、その前の晩に弟子たちとともに過ごされた、最後の晩さんの記念=ミサであることは言うまでもありません。ミサにおいて、この答唱句を歌うことこそ、この答唱句の本来のあり方なのです。 「すべての恵み」でテノールが、その最高音C(ド)になりますが、これが全体の祈りを高めていますから、それをよく表すようにしてください。 最後のrit.は、最終回の答唱句を除いて、それほど大きくないほうがよいかもしれません。最終回の答唱句は、むしろ、たっぷりrit.すると、この呼びかけに力強さが増すのではないでしょうか。 わたしたちが神からいただいている恵みははかりしれませんが、往々にして、わたしたちは、その恵みに対する賛美と感謝を出し惜しんでいるのではないでしょうか。いただいた恵みを思い、主の奉献にこころをあわせて、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」神に賛美と感謝をささげたいものです。【おことわり】 今日の解説と祈りの注意の一部は、同じ答唱句が歌われる、年間第24主日の答唱詩編から転載いたしました。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.12.16
148/149 遠く地の果てまで【解説】 主の降誕の夜半のミサで歌われる詩編96と、日中のミサで歌われる詩編98は、その間にある詩編97とともに、王である神(主)をたたえ、イスラエルだけではなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが言われ、〈第二イザヤ〉とも表現や思想が共通することなど、非常に似た内容となっています。この詩編96は歴代誌上16:23-33に同じ詩が載せられており、「人々が神の箱を運び入れ、ダビデの天幕に安置し」(同16:1)たことと関連づけられています。 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「すべてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。 「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバスも2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されます。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれと同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すくいを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識することにもなっています。 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へとつなぐ役割も持っています。〈第二イザヤ〉 イザヤ書40-55章を指す。イザヤ書は、その文体や思想などから「アモツの子イザヤ」という一人の預言者ではなく、彼の精神、思想を受け継いだ多くの後継者の加筆、著述がまとめられたというのが、現在の研究の一般的な見解。【祈りの注意】 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そのために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、やや早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことばが生きてきます。決して「ものがーと歌ってはいけません。「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを見た」は解説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるようになっていますから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信を込めたいものです。 いずれの詩編唱でも冒頭「新しい歌を神に歌え」と始まります。「新しい歌」とは、新しく作られた(作詞作曲された)歌という意味ではなく、新たな体験によって新しく意味づけがなされた歌を言います。主の降誕の記念(アナムネーシス)は、毎年繰り返されますが、去年の主の降誕から、この一年間に体験した出来事によって、今年の主の降誕は、また、新たな意味を持ってきていると思います。 夜半のミサで歌われる詩編唱の、「世界よ、神をおそれよ」とは、怖がるという意味ではなく、神を神として敬うということです。この答唱詩編・第二朗読・アレルヤ唱のあと、福音朗読において、まさしく「神は、世界をさばきに来られる」のです。 日中のミサでは「神は不思議なわざを行われた」「神は救いを示し、諸国の民に正義を現された」と歌われます。まさに、世が造られる前から、神とともにおられたみことばが人となられたことを表しています。 このようにして、神の救いは、遠く地の果てまで、すべての民に示されました。わたしたちは、この偉大な出来事=「救いを日ごとに告げ知らせる」ように、遣わされているのです。 最後に技術的なことですが、各小節で音が変わるところ、特に1小節目の最後のところで、間をあけないで滑らかに続けるようにしてください。【おことわり】 今日の解説と祈りの注意の一部は、同じ答唱句が歌われる、年間第29主日の答唱詩編から転載いたしました。【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 )
2005.12.11
257 待降節アレルヤ唱(2)【解説】 このアレルヤ唱は、降誕祭の直前、待降節の12月17日から24日の間だけ歌われるものです。「アレルヤ」句は、北海道の当別にある厳律シトー会、灯台の聖母大修道院所蔵のグレゴリオ聖歌集からとられています。「アレルヤ」にはさまれた唱句の部分は、その日の「晩の祈り」の「福音の歌(マリアの歌)」の交唱からとられています。この交唱は、すべて「おお」(ラテン語規範版ではO)を付けることから、「おお交唱」とも呼ばれています。 待降節第4主日は必ず、12月17日から24日の間になりますので、アレルヤ唱も必ずこの旋律で歌うことになります。ただし、章句の部分の歌詞は、待降節第4主日固有の歌詞となります。 前半の「アレルヤ」は旋律とテノールが、中間を頂点にして上下に動きます。一方、バスはすべてD(レ)にとどまり、アルトも最後の「アレルーヤー」がH(シ)になる以外、すべてD(レ)となっています。これは、「アレルヤ」の章句の部分でも同じく、バスはすべてD(レ)、アルトも旋律がE(ミ)で歌われるところでH(シ)になる以外、やはり、すべてD(レ)となっています。これら、主音D(レ)にとどまることで、静かに主の降誕を待ち望むこころを表していると言えるでしょう。 章句の旋律は、A(ラ)から、音階で主音D(レ)に降りてきますが、これは、「アレルヤ」が上下に動くのとあいまって、ちょうど、キリストが天のいと高きところから降誕する様子を表していると言えるでしょう。バッハの『オルゲルビュッヒュライン』の "Von Himmel kam der Engel schaar"を思い起こす方もおられるでしょうか。 【祈りの注意】 「アレルヤ」の「主をたたえよう」と言う意味は変わりませんが、D-Dur(ニ長調)のやわらかい音階と旋律、また、連続する伴奏との三度音程を生かして歌ってください。これらによって、まもなくわたしたちのところに来られる主キリストを明るく、しかし、静かに秘めながら心待ちにする様子を表してください。毎日、また、主日に歌われる歌詞も、そのような内容になっています。 章句の部分で、小節の中間で、四分音符の下に歌詞が当てられていないところは、その四分音符を歌わず、次の音にすぐに続けます。 12月17日の場合は「すべてを越える神から出た英知よー」と「よ」を四分音符で歌いますが、この主日の場合は、「わたしは主の召使い」と一息で、途中、音を延ばしたり、きったりしないで、音が変わるところも滑らかに歌います。途中で音を延ばしたり、きったりすると、歌詞の意味と音が合わなくなり、アレルヤ唱の本来の「福音に現存しておられる主キリストを迎える」こころが、持続しなくなります。 なお、主日以外の歌詞は、変更されています。これらは、「別冊 毎日のミサ 楽譜 アレルヤ唱・詠唱』(カトリック中央協議会 1992 )に載せられていますので、こちらを参照してください。
2005.12.05
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