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9月も終わりに近づきま、秋の気配とともに、今年の典礼暦年も、あと、わずかを残すところとなりました。 しばらく、更新をしていませんでした、ホームページですが、本日、「オルガンとオルガン奉仕者(1)」を新たに、アップいたしました。主な内容は、 【歴史と基本構造】 【伴奏の基礎】 【オルガン奉仕の準備】の三つです。 典礼の場における、実際の注意などは、改めて「オルガンとオルガン奉仕者(2)」のページを設けて、扱いたいと思います。 オルガン奉仕については、共同体ごとに異なるところがあるとは思いますが、一つのサンプルとして、お役に立てていただければ幸いです。
2007.09.27
149 遠く地の果てまで【解説】 今日のミサで歌われる詩編98は、前の二つの詩編96:97とともに、王である神(主)をたたえ、イスラエルだけではなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが述べられ、《第二イザヤ》とも表現や思想が共通することなど、非常に似た内容となっています。この詩編98は詩編96に似ています。また、有名なマリアの歌「マグニフィカト」も、この詩編から取られたと思われるところがあります(詩編の2節や3節など)。 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「すべてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。 「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバスも2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されます。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれと同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すくいを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識することにもなっています。 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へとつなぐ役割も持っています。なお、《第二イザヤ》については、ホームページの「用語解説」をご覧ください。【祈りの注意】 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。今日と先週の第一朗読では、救いがユダヤ人だけではなく、異邦人=すべての民にまで及ぶことが述べられています。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そのために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、やや早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことばが生きてきます。決して「ものがー」と歌ってはいけません。「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを見た」は解説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるようになっていますから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信を込めたいものです。 詩編唱で歌われる「新しい歌」とは、新しく作られた歌というよりも、救いの体験によって新たに意味づけされた歌です。今日、黙想される詩編唱は、すべて、キリストの過越という、神の不思議なわざによって、全く新しい意味を持つようにされました。特に、わたしたちは、キリストの死と復活に結ばれる洗礼によって、すべてが新たにされています。この、新しいいのちの喜びを、この詩編に込めて歌いたいものです。また、最初にも書いたように、聖母マリアは、この詩編をはじめ、旧約聖書をもとにして「マグニフィカト」を歌われました。つまり、聖母マリアは、旧約聖書を暗記しておられたのです。わたしたちも、マリア様のこのような熱心さに倣いたいものです。 ところで、今日のことばの典礼の主題は「異邦人の回心」です。第一朗読に出てくるシリア人は、ユダヤ人から見れば、律法を知らない、異邦人でした。サマリア人は、モーセ五書(創世記~申命記)を認めてはいましたが、エルサレムでの礼拝は拒絶しており、ゲリシム山で、独自の礼拝を行っていました。このような人々も、神が行われたしるしによって、まことの神を認め、神に立ち返る恵みに満たされました。サマリア人以外の9人は、その後どうしたのかは書かれていませんが、自分たちは神の民の一員として「当たり前」と思っていたのかもしれません。わたくしたちも、ともすればこの「当たり前」になっていることがあると思います。今日の詩編を味わいながら、もう一度、この、遠い日本で「救いのしるし」を見たことを感謝し、「賛美の歌で神をほめ」てゆきたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『待降節・降誕節』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.09.24
35 神に向かって【解説】 今日の詩編唱で唱えられる詩編95:1-2から、この答唱詩編の答唱句が取られています。この詩編95は、神殿の神の前に進み出て礼拝を促す(2節)巡礼の形式で始まります。後半は、荒れ野における歴史を回顧し、神に対する従順を警告しています。1節の「救いの岩」をパウロは、1コリント10:4で「この岩こそキリストだったのです」と述べ、この前後の箇所では、イスラエルの先祖が荒れ野で犯した、偶像礼拝について記しています。また、ヘブライ3:7-11,15でもこの箇所が引用され、キリスト者も不信仰に陥らないように警告しています。 8節の、「きょう、神の声を聞くなら、・・・・ 神に心を閉じてはならない」という箇所から、この詩編は、『教会の祈り』で、一日の一番最初に唱える「初めの祈り」の詩編交唱の一つになっています。「きょう」ということばは、ただ「昨日」「今日」「明日」という、連続した日の一つではなく、このことばによって、今、読まれる、あるいは、読まれた神のことばが、そのときその場に実現することを意味しています⇒《祭儀的今日》。ナザレの会堂でイザヤ書を読まれたイエスが、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と話されたことを思い起こしてください。 答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行で上行して、最高音C(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」が、和音構成音でやはり、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は、6度の和音で終止して、後半へと続く緊張感も保たれています。 後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげるわたしたちの謙虚な姿勢を表しています。「感謝の」では短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、いったん、ドッペルドミナント(5度の5度)=fis(ファ♯)から属調のG-Durへと転調して、このことばを強調しています。後半の、バスの反行を含めた、音階の順次進行と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めています。 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われますから、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。【祈りの注意】 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから「神に向かって喜び歌う」ように、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かって cresc. してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょう。また、ここでいったん6度での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少し rit. しましょう。ただし、最後と比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々に rit. をはじめ、落ち着いて終わるようにします。 答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを、呼びかけるようにしたいところです。とは言え、がさつな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びかけになればすばらしいと思います。 よく「本当に神がいるなら、何で、こんな理不尽な事が....。」と言われます。今日の第一朗読の「ハバククの預言」にはその、答えの一端が伺えるように思えます。キリスト者にとって、「もし神がいるなら」ということばはありえません。なぜなら「神に従う人は信仰によって生きる」からです。今日の詩編こそ、わたしたちにとって、「信仰によって生きる」力を奮い起こし、また「信仰によって生きる」ようにしてくださる神に賛美と感謝をささげるものに他なりません。 この詩編95が「初めの祈り」で、よく、祈られるのもこういったことが、あるからでしょうか。一日の初めに「わたしたちの信仰を増してください」と言う思いを込めて、この詩編が祈られるのです。日々、神に従うことができる恵みを、この詩編を味わいながら、祈ってゆきたいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『四旬節の聖歌』【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.09.18
19 いのちあるすべてのものは【解説】 詩編146は、ここから始まる5つのハレルヤ詩編(146-150)の最初です。この5つの詩編は、冒頭とおしまいに「ハレルヤ」があることから「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。現在も、ユダヤ教の朝の祈りで用いられていますし、教会の祈りでは、読書課に含まれています。この、詩編146は元来、神殿で唱えられた神への賛美です。「神」が主語となっている部分の動詞は、すべて分詞「~~するもの」という意味ですが、これは、その動作が現在も継続して行われていることを表しています。つまり、分詞で表されている「まことを示し」「裁きを行い」「かてを恵み」「解放される」「目を開き」「愛される」という神のわざは、現在も神が継続して行われているのです。また《同義的並行法》を用いることで、それらの内容が、さらに強調されています。 答唱句は、冒頭、オルガンが主音Es(ミ♭)だけ、八分音符一拍早く始まります。二小節目の「すべてのもの」では「地にあるすべてのもの」を象徴するように、旋律の「すべての」でC(ド)、バスの「すべての」でG(ソ)と、それぞれ、最低音が用いられています。また、アルトの「すべての」では、ナチュラルでH(シ)が歌われ、それが強調されています。なお、二小節目の冒頭は、他の声部では八分休符になっていますが、バスだけは、一拍早く始まり、文章の継続を表しています。後半では、旋律もバスも、ほぼ、1オクターヴ上昇し、特に、Last では、旋律が最高音Es(ミ♭)まで上がり、力強く「神をたたえよ」(原文では「主を賛美せよ」)と呼びかけます。 詩編唱は、前半、G(ソ)-As(ラ♭)-F(ファ)-G(ソ)と動きが少なくなっていますが、後半の三小節目では、最後に八分音符で旋律が上昇し、さらに、四小節目で最高音C(ド)にまで、高まり、バスのB(シ♭)との開きも2オクターヴ+3度に広がり、「神をたたえよ」という呼びかけが力強く歌われます。【祈りの注意】 答唱句の前半、一小節目と二小節目、旋律では、八分休符が冒頭にあり、下降→上昇の動きが繰り返されます。八分休符は、ことばのアルシスを生かすだけではなく、旋律の動きも生かすものです。二回目の八分休符があるところも、バスだけ、早く、一拍早く出て文章を継続させています。混声四部でない場合でも、オルガンの伴奏が、それを表していますから、二小節目の八分休符で文章の継続も、祈りの精神も切れることのないようにしましょう。 前半の終わり「すべてのものは」の後では、一瞬で息を吸いますが、そのためには、「のー」でわずかに rit. します。できるだけ分からない程度にしましょう。これは、非常に難しいかもしれませんが、何回も練習することで、だんだんとできるようになってきます。 後半の、上行音階では、「すべてのもの」に呼びかけますから、力強く cresc. しますが、ここで、気をつけなければならないのが、間延びすることと、rit. の違いです。rit. の場合は、「神を」で元のテンポに戻りますが、間延びした場合は、前のテンポのままか、さらに遅いテンポになっています。この違いがはっきり分かり、元のテンポで始められるかどうかが、ことばにふさわしい、祈りの歌にできるかどうかの分かれ目になります。 ことばの典礼では、先週に引き続き、二週連続して、同じような主題となっています。福音朗読では「金持ちとラザロ」のたとえが読まれます。この中で、「モーセと預言者」ということばが出てきますが、ルカの福音書では、復活したイエスがエマオヘの道で、二人の弟子たちに同じ言葉を用いて、ご自分の復活が『聖書』に書かれていることを説かれます。「モーセと預言者」すなわち「旧約聖書」は、イエスによって完成=正しい解釈=がなされたものですから、わたしたちもそれを心におさめ、常に、生活の指針・模範とする必要があります。毎週歌われる「答唱詩編」も、「旧約聖書」の一つですから、答唱句の一つや詩編の一節でも歌って覚えることは、まさに『聖書』を覚えることになるのです。 《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.09.12
51 神の名は【解説】 詩編113は、過越の祭りの時にも歌われた詩編です。この詩編から、詩編118までは、前後に「ハレルヤ」と言うことばがついていることから、また、過越祭に歌われることもあわせて、「エジプトのハレル」と呼ばれています。詩編113は、続く114とともに、過越の食事の前に唱えられています。3節の「日の出るところから、日の沈むところまで」は、「日の昇るときから、日の沈むとき」と解釈することもできます。 答唱句の最初の一小節、「みの名はあ」では、八分音符が連続しますが、これが曲全体のテンポを決定する鍵となります。「あまねく」(漢字で書くと「遍く」)では、旋律が6度跳躍しますが、神の名が時間と空間を超えて普遍的に世界に輝くことを暗示します。ちなみに「名」とは、そのものの本質を表すもので、神ご自身そのものをさすことばです。日本語でも「名は体を表す」と言います。また、これは、バスのオクターヴの跳躍でも表されています。 「栄こうは」の旋律は最高音C(ド)と付点八分音符で、また、テノールの「う」の三拍目も最高音C(ド)に上がり、神の栄光が天にそびえる様子が暗示されています。 答唱句全体は四分音符+八分音符が連続し、さらに、臨時記号による半音階でこの動きに活気が与えられ、ことばが生かされます。 詩編唱は最高音H(シ)から始まり、反復しながら下降してゆきますが、四分音符で表された反復部分のことばに注意がゆくようになっています。最後は、旋律の最初の音D(レ)で終わり、祈りを答唱句に続けます。【祈りの注意】 解説にも書きましたが、最初の小節線の後の四分音符「かみ」の次の「の」をやや早めに歌い、「名はあ」の三つの八分音符で、テンポに乗るようにします。八分の六拍子は八分音符六つを数えるのではなく、付点八分音符×二拍子と考えて歌いましょう。旋律が6度跳躍する「あまねく」では、時間と空間を越えて、神の名=神の存在そのものが世界に輝いている(現在形)ことを表すようにしましょう。胸を(声を)世界に広めるようにしますが、決して、罵声にならないようにしてください。 「あまねく」の後で、人によっては息継ぎが必要になると思いますが、気持ちは、冒頭から「輝き」まで続けましょう。「そのえいこうは」では、付点八分音符を利用して、次第に rit. し、「天に」で小戻しして、最後は、ていねいにおさめるようにしましょう。それによって、壮大な神の栄光が天にそびえる様子を表します。 特に、最後の答唱句は、たっぷりと rit. して、祈りもていねいにおさめるようにしましょう。 解説にも書いたように、四分音符+八分音符、半音階進行、を生かして、祈りが流れるように、活き活きと歌ってください。冒頭から最後まで、気持ちは一息で続くようにすることが秘訣だと思います。 第一朗読では、アモスの預言が読まれます。アモスの時代(だけではなかったのでしょうが)、イスラエルの指導者、権力者、金持ちは「貧しいものを踏みつけ、苦しむ農民を押さえつけ」ていたのです。それをご覧になった神は、彼らの行為を「いつまでも忘れない」と言われます。実は、イスラエル自身、エジプトで「鞭打たれ、鎖につながれ」労働に従事させられたゆえに、神は、その苦しみをつぶさにご覧になり、モーセを遣わして、エジプトから脱出させてくださったのです。そのことを、過越の祭りで、毎年、思い起こしているにも関わらず、指導者、権力者、金持ちたちは、自分たちが同胞にしていることが、かつて、自分たちの先祖にされたことであることを知っていないことが、問題なのです。今風に言えば歴史に学んでいない、と言えるでしょう。 この、詩編を味わいながら、わたしたちは、神がイスラエルに行われた、救いのわざの一番大切なところを、思い起こし、わたくしたち自身が「神の前に貧しい人」になることを、改めて決意したいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『聖週間の聖歌』(詩編は異なります・絶版)【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2007.09.03
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