全11件 (11件中 1-11件目)
1
昨日の日記を今日書いています。飛ばすのは簡単です、でも、大晦日に日記が書けなかったのは惜しいから、今、書きます。2002年を振り返って、・・・充実していたような、していなかったような、ネットで知り合った人と楽しく文章で語り合えた事は嬉しかった♪現実ではなかなかそういう機会はありませんから・・そして、この楽天広場を知った事も私を大きく変身させました。日記なんて長続きした事が無かったのに、どこまで続くのだろうかと自分の可能性に賭けています。みなさんが私の日記を読んでくださっているという、現実があるという事が嬉しいです。感謝の念に絶えません
2002年12月31日
コメント(8)
父の匂いは、散髪屋さんの匂いでした。ヘヤースプレーやヘヤートニック、ポマードなどの香水が入った物を毎日扱っていたら自然とそうなる。でも、嫌いじゃなかった、それらは、私達子供にとっては大人の匂いだったから、大人に憧れました。田舎に引っ越していった時、父は出稼ぎに行って、帰ってくるのは週に一度ぐらいだったかな、背広姿の父を見るのがうれしかった。人生の頂点にある時は、その人の体から、メラメラとエネルギーが燃えているのが匂いで判ります。目に見えないオーラがあります。父にも、オーラがありました。病気をするまでは・・・父の背広をこっそりと、よく匂いました。父の居ない時の寂しさを、匂いを嗅いで紛らわそうとしていたのかもしれません。ナフタリンの匂いがしただけでしたが、それでも良かったのです。それ以後、ナフタリンの匂いもまんざらでもないと思うのは、私だけかもしれません。
2002年12月30日
コメント(8)

私が18の時だったかな、兄が、生後一週間ほどの目も開かない子犬をもらってきた。可愛くて写真を撮ったりして、貰った日の夜は子犬を囲んで和やかに笑ったりして、瞬く間に時間が過ぎて、就寝した。その頃、猫も飼っていた、放し飼いだったから、自由にさせていた。その気分で居たのか、子犬も繋ごうともせずに、自由にさせていた。田舎でしたから、近所の苦情も無かったし、それが甘い考えでした。生後一週間の子犬を放し飼いなんて、今でこそしてはダメというのが判るが、その頃は、正しい飼い方を教わる事も無く、可愛い可愛いだけで飼っていた。朝、起きても子犬の事は眼中になかった。朝は、出かける支度で忙しく、仕事もありましたから、子犬の事はすっかり忘れていました。家の中のどこかに居るはずだった。家に帰っても、子犬の事は忘れていました。家事をしなければならなかったし、でも、子犬の事を思い出した、確か、昨日、手のひらに乗るぐらいの子犬を貰ってきたはずだと・・泣き声もおぼつかない、小さな子犬だったから、存在感さえ無かったのだろうか・・しまったと思った。どこへ行ったのかと、探し回りました。最悪の事を考えて排水が溜まる汚水溝を懐中電灯で照らしてみたら、隙間から転落したのだろう、子犬の無残な姿が・・・拾い上げてその場で、悔やみました。苦しかっただろう、冷たかっただろう、助けて欲しかっただろう、ご免ねポン、ポンの事は忘れないからね、涙が止まらなかった。兄が心配して「しょうがないやろ、もう、家にはいり、また、飼うたらええやん」と言ってくれたが、あれ以来、ポンより可愛い子犬に出会った事が無い。まるまるしてて、ミルクをいっぱい飲んだら、お腹が横に膨らんでいた。よちよち歩きのポンだった。
2002年12月25日
コメント(8)
眠気覚ましに、メントールの入った飴を買ってきてと主人に頼まれたが、いくら探しても見つからない。仕方がないので、ハッカの飴とにっきの飴を買った。私は、ハッカは、あんまり好きではない、子供の頃に食べて、おいしいと思った事がないからだ。大人になって、いまだにハッカは馴染めない。しかし、にっきはなぜか好きだ。駄菓子屋さんの味がするからだ。子供の頃、うつろに覚えている、着色料の入ったお菓子を、舌の色が変わっても食べていた。舌を出して、色がついてるのを見せあいして遊んだな~印象に残っているのが、短冊の紙に味を含ませているものだった。駄菓子屋さんのおばさんから、その色紙を手渡されて、子供心に不思議に思った。どうやって出来てるんだろうと・・・みんなが食べているようにして食べたらいいのだろうと、その色紙を口の中に入れて、ヤギのようにしがんだ。その時の味が「にっき」だったという事が最近判った。子供心に、「にっき」とか如何のは判るはずがないただ、おいしくて、面白かったら良いと思っていた。あの時の味が忘れられなくて、最近、それが「にっき」だという事が判って、うれしい・・これでまた、一件落着~。。
2002年12月24日
コメント(9)
忘れられない日って、誰にもありますよね。今年もイブがやってきました。うちは、キリスト教徒ではないけど、ケーキを食べたいから、便乗しているだけです。何年前になるだろう、父の命日が12月24日だから忘れることはない、これからも、ズ~っと忘れないだろう。忘れたくても忘れさせてくれない、そんな日に父は他界した。32年前になるかな・・もう、でも、あの時の事は今でも鮮明に覚えている。なぜか、「知床旅情」を歌うと必ず胸が詰まって、最後まで歌えない。涙らしきものが目に溜まる。その頃流行っていた歌で、父とダブってしまうからだと思う。私にとって父は目の上のたんこぶだった。頑固を絵に描いたような変人だった。私は、父の年齢を今年、越えてしまった。
2002年12月23日
コメント(4)
家を引越しして、都会から、のどかな田舎に移ってきました。田舎のバス道は、砂利道でした。日照りが続くと車が通るたびに土ぼこりを舞い上がらせていました。トラックの荷台に私達子供は荷物と一緒に乗せられ、二時間弱揺られて、ある一軒家に着きました。私が小5になる前の春休みに引越しを完了しました。父は、田舎では仕事が無いので、出稼ぎに行ってたまにしか帰ってこない時があった。家の敷地と道の間には小川が流れていました。きれいな水だったのを覚えている。タニシと川えびを見たのも初めてだった。川上から流れに沿って泳いでくる。タニシはごろごろいた。大きいのやら生まれたての小さいのやら、私は、大きいタニシを見つけて、潮干狩りの貝のような感覚で壷に入れていた。生き物という物がどんな物かわからずに、ひどいことをしたと、あとで思った。そのまま放置していて、みんな死なせてしまった。壷からは悪臭が漂っていた。それを掃除しながら反省させられた。もう、二度とタニシは取らない・・・とその小川には、沢蟹も流れに沿ってやってくる。そのころの私の遊び相手はそんなものだった。近所の子が遊びに来ていたことがあったけど、なんか気に入らないことがあったのか、ぷっつりと来なくなった。猫もいた、放し飼いだったから、行方不明になった。このころに、テレビでよく見たのが「ひょっこりひょうたん島」だった。今でも歌は、ところどころ覚えている。黒柳徹子の「魔法のじゅうたん」もよく見た。「次郎物語」は夕方、晩には「七人の刑事」が楽しみだった。主題歌も歌ったりして、よく遊んでいた・・懐かしく思い出される。
2002年12月18日
コメント(5)
私が小4の時、父がお店を持っていた時でした。何処からやってきたのか、猫がいました。真っ白の猫でした。雄だったか雌だったかわかりませんでした。放し飼いでしたから、昔は、(今も放し飼いの家がありますが)繋いで飼ったり、ケージに入れたりしませんでした。自由気ままというのが猫にはぴったり当てはまる。ピーコと言う名前をつけて可愛がっていました。性格は良い子で、噛んだり引っ掻いたりした事はありませんでした。父はお店の中に、猫のトイレをおいていました。お客さんが減ったのはそれもあったんじゃないかなと思った。猫も家族の一員になっていましたよ。遊び相手になってくれたりして、猫が居ると寂しくなかったです。でも、その猫は、店の前の道路で事故に遭って・・ピーコを二度と見ることが出来ませんでした。私は、ピーコへの思いをどこにぶつけたらいいか判らずに、紙にピーコの名前を何度も何度も書きました。ピーコという猫が居たという事を忘れないように、頭に叩き込みました。今までの楽しい猫との想い出をありがとう、そして、ピーコの事は一生忘れませんよ、という思いで一杯でした。それから、猫の居ない生活は、私には、寂しいものでした。その、想い出があるから、今、猫を飼っています。性格は凶暴ですが、二度と事故に遭わないように放し飼いはしていません。避妊手術もして、病気も何回もやっていて、世話がかかりますが、こうなれば、最後まで飼ってやりますよ。名前は、女の子なのに「ごんた」です。よろしくね。
2002年12月16日
コメント(6)
夕方は、住宅団地の中や公園で遊んでいる子供をよく見かける。かくれんぼするものよっといで・・誰かがいうと、何処ともなくみんな集まってくる。子供はみんな、かくれんぼが大好きです。どきどき、わくわくしながら、鬼に見つからないように隠れる。鬼じゃない人には、見つかっても、ここに隠れている事をニコニコ笑いながら黙認してくれる。私は子供の頃は、隠れるのは上手だった方で、鬼に見つかった事は無い、だから鬼になったことは無い。一度隠れると出てこないでじ~~っとしてる方だったから、鬼にしてみたら探すのが難儀だったに違いない。もう、かくれんぼ遊びが終わって他の遊びになってるのに、自分だけまだ隠れている変な子供だった。男の子は、いつまでもじっとしているのが苦手なのか、あっち行ったりこっち来たりと落ち着かない。鬼に見つけてくれと言わんばかりだ。鬼になりたい子も居るから面白い。子供達を見ていたら飽きないです。
2002年12月12日
コメント(4)
あの「お化け屋敷」は、今はどうなっているのか時々気になります。何年か前にドライブの途中で、通りかかった時に一瞬だけ姿を見たことが有った、かやぶき屋根が朽ち果てて、崩れている姿です。もう、家としての機能は無くただの土地だけになっているようです。周りの環境はあんまり変わっていませんでした。ただ、少し住宅が増えたかなと言う感じです。川もそのままあるし、よく遊んだ神社もそのままだし、ただ、当時、駄菓子屋さんがあったんだけど、見当たらなかった。駄菓子屋さんのくじを引くのが楽しみでした。自転車を乗る練習をした道はそのままあります。当時は車の通行量は少なかったから、道でよく遊んでいたけど、今は道で遊んでいると危ないぐらいに車の通行量が増えました。子供が遊んでいる姿が見えません、みんなお勉強しているのかな・・・
2002年12月11日
コメント(2)
小6から中一にかけて、一年半ほど住んでいた家があった。田舎の旧家で前はお医者さんが住んでいたらしいが、離散したのかどうか、子供の私にはそこらへんの事情はわからない。父は格好の家を見つけて上機嫌である。長年住んでいなかったから、雨漏りはする。畳はボロボロ、床は抜け落ちている。炊事場の土間には井戸がある。戸棚には猫のミイラがあったのを父が見つけて祭っているのだが、怖い! トイレに行くにはそこを通り過ぎなければならない。部屋は六部屋あって、畳が使える部屋は二部屋だけで、あとは私たち子供の遊び部屋みたいなもの、襖も障子も無いがらんどうの部屋でキャッチボールをしたこともあった。庭が広くて植木もいっぱいあったが手入れをしていないから、ジャングルみたいだった。そこも格好の遊び場になった。庭の端には大きな蔵があった。一度だけ、蔵の中で遊んだ事がある。前人の荷物が置いてあるのだが、衣類がほとんどで、物珍しさだけで遊べた。スタイルブックと言うのだろうか、女性のモデルさんが洋服を来て一ページずつ違うデザインスタイルの写真ブックが沢山有った。みんなロングスカートだった。着物の生地のサンプルブックも沢山有った。前人の夫人がお洒落に余念がなかった事が覗われる。しかし、家財道具もそのままに、前人達は、どうしてこの家に帰ってこないのだろうか。遠い親戚に当たる人が、家の管理をされているのだが、それも、主が行方知れずで勝手な事が出来ないらしい。無理を言って、いつでも出て行くからという条件で貸してもらっていたみたいだ。家賃は38年前で千五百円と言う安さだった。私たち兄弟の間で、この家の事を[お化け屋敷]と呼んでいた訳は、お化けが出るんじゃなくて、お化けが出そうな家と言う意味です。お医者さんの家だけになんか訳有りな感じがする。想像力を掻き立てられる雰囲気がたっぷりの家だった。父は、玄関を改装して理髪店を開いた。父は腕のいい理容師でした。ただ、お酒が父の体を蝕んでいき、人生を狂わせたと言っても過言ではない。軌道に乗っていたのに、何処でどう違ってしまったのか、子供の私には知る由もない。峠を越えて小学校へ通い、卒業しても、中学校は同じ校区内だから、今度はバス通学になる。バス代が家計を圧迫する。中古の自転車を買ってもらい乗る練習をした。この時の想い出が走馬灯のように思い出される。この時代に、テレビアニメの「鉄腕アトム」「エイトマン」をよく見ていました。
2002年12月10日
コメント(1)
夕焼け小焼けで始まる歌に「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」がありますね。私は、子供の頃、よく歌っていたのは[赤とんぼ」のほうです。実際、赤とんぼは、家の周りによく飛んでいました。母の実家が兵庫県龍野で、童謡のふるさととして有名だと言う事をつい最近知りました。大人になってからは、なぜか、飛んでいる赤とんぼを見なくなってしまいました。住んでいる所が住宅街だから、仕方が無いかもしれない。もうひとつの[夕焼け小焼け]は、夕暮れになって遊んで帰るときに歌った歌です。無心な子供の気持ちに戻って歌える歌です。♪夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴るお手々繋いで皆帰ろうカラスと一緒に帰りましょう
2002年12月03日
コメント(14)
全11件 (11件中 1-11件目)
1
![]()
![]()