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官社
官社とは、 祈年祭 ・ 新嘗祭 に国から 奉幣 を受ける神社である。官社は 神祇官 が祀る 官幣社 と、地方官( 国司 )が祀る 国幣社 に分けられ、 律令制 の社格に倣ってそれぞれに 大・中・小 の格があり、「昇格」が行われた。官幣社・国幣社をまとめて 官国幣社 ともいう。
主として官幣社は 二十二社 や 天皇 ・ 皇族 を祀る神社など 朝廷 に縁のある神社、国幣社は各国の 一宮 や地方の有力神社が中心である。官幣社・国幣社に実質的差異はないが、 例祭 について、官幣社へは 皇室 ( 宮内省 )から、国幣社へは国庫から 幣帛 が供進された点が異なる(祈年祭・新嘗祭はどちらも皇室から奉幣を受ける)。
国庫や宮内省からの金銭的な援助があったということなんでしょうか?



















上向き(金運、上がるもの)岩木山神社の狛犬岩木山をご神体として祀る「岩木山神社(いわきやまじんじゃ)」。本殿や拝殿、楼門などが国の重要文化財に指定されており、「奥日光」とも称されます。パワースポットとしても知られている岩木山神社には、少し変わった狛犬がいます。楼門の前の玉垣にしがみついている狛犬と一緒に写真を撮ると、上向きのものは金運を、下向きのものは恋愛運を向上させると言われています。岩木山神社を訪れたときは、ぜひ探してみてください。


岩木山神社
【祭神】顕國魂神うつしくにたまのかみ多都比姫神たつひひめのかみ宇賀能賣神うがのめのかみ大山祇神おおやまづみのかみ坂上刈田麿命さかのうえのかりたまろのみこと【由緒沿革】当社は昔から「お岩木さま」「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。神山・霊山である岩木山は津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授けたまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。
今から約1200年前、宝亀11年(780)に社殿を山頂に創建したのが当社の起りであります。延暦19年(800)に、征夷大将軍 坂上田村麿がこれを再建し、別に山麓である十腰内の里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、寛治5年(1091)神宣により、下居宮を現在地に奉遷いたしました。その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主 為信・信牧・信義・信政により大造営が行われ、近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、名実共にその偉容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、とりわけ開運福の神として、色々の宗派を超え、深い信仰の源として厚く崇敬されております。新しき時代に向かい、ご神徳のまにまに、日本人の心の絆としてひとしく拝し、ご神威ますます輝かしく仰ぎ奉られるのであります。大國魂鎮守 旧國幣社。



十五日 笛、つづみがなりどよめいて、さんげさんげと大ぜいの声でとなえ、通り過ぎてゆくのは、この月のはじめからきょうを最後として、岩木山に詣でのぼる優婆塞(在家の山伏)たちであった。また注釈には・・・
津軽平野の人たちが幣や幟を押し立てて岩木山へのぼる風習は、今でもさかんである。むかしは女人禁制であった。五穀豊穣を祈願し、また感謝するもので、登山者は一週間精進潔斎し、白装束に身をかためてのぼり、頂上の奧宮を拝んで下ってきた。とあります。
以上です。下居宮下居宮(おりいのみや・現岩木山神社・中津軽郡岩木町)は岩木山三所大権現を祀る。岩木山を神体として祀ることは古くから行われてきており、安寿と厨子王、田光沼(たっぴぬま)の竜女、赤倉の鬼神、坂上田村麻呂などの創建伝説を伝える(小舘衷三『岩木山信仰史』1975年 北方新社刊)。
寛治5年(1091年)、神託により北麓から100の沢を越えて南麓に移り百沢寺(ひゃくたくじ)と称した。天台系の密教(台密・だいみつ)の影響を受け、熊野三山を岩木山に充て、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により中央の国常立命(くにとこたちのみこと)を阿弥陀如来とし、岩木山 百沢寺 光明院と左峰の国安珠姫(くにやすたまひめ・田都比姫)を十一面観音とし、十腰内の巖鬼山 西方寺 観音院と右峰の大己貴命(おおなむちのみこと)を薬師如来として松代の鳥海山 永平寺 景光院に配置し、岩木三所大権現とした(「津軽一統志」)。山頂に奥宮本宮、里宮として下居宮が建てられた。天正17年(1589年)の岩木山の噴火で諸堂が焼失したといわれ、津軽初代為信が慶長6年(1601年)に下居宮、同8年に大堂を再建、寺領400石を寄進し塔頭10院と神主 安倍を配した(資料近世1No.一七一、正徳元年の「寺社領分限帳」)。
享和3年(1803年)の「寺社領分限帳」(資料近世2No.三九九)によれば、大堂(拝殿)の本尊:阿弥陀如来と脇立の十一面観音・薬師如来は津軽二代信政、本尊を納める「御宮殿」と呼ばれる厨子は津軽三代信義が寄進した。神仏分離で百沢寺は廃寺となり、本尊と厨子、棟札は 長勝寺 、山頂の聖観音は 専称院 (現南津軽郡大鰐町)へ移された。岩木山は止山(とめやま)で平常は入山を禁止されたが、8月1日(八朔)から15日までは「お山参詣」が許され、村落ごとに豊山祈願のための登拝が行われた(黒瀧十二郎『弘前藩政の諸問題』1997年 北方新社刊)。

































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