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2024年04月29日
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帰省4か所目は胸肩神社、5か所目は岩木山神社です。
弘前市の中心街から西へ西へと走ります。津軽は米どころゆえ、岩木川を超えると広大な田んぼがずーっと遠くまで続いています。どうにか岩木山の写真を撮りたかったんですが、黄砂の影響で白く霞がかかってしまいます。まあしょうがない。
三つの頂点部があり、左から鳥海山、岩木山、巌鬼山となっているとか・・・。小学校の遠足で登って以来、ずっと山頂に行ってないですね。今年中に一度は登りたい。去年は百沢の方から登ったんですが、大雨で登山道がかなり削られており、途中で断念、引き返しました。



2024.4.27
岩木山神社


夕方に行きましたが、ゴールデンウィークのためかかなりの人、人、人!すごい賑わいです。
國幣岩木山神社とありますね。社各制度の名残りとか・・・。詳しくはわかりません。

官社


官社とは、 祈年祭 新嘗祭 に国から 奉幣 を受ける神社である。官社は 神祇官 が祀る 官幣社 と、地方官( 国司 )が祀る 国幣社 に分けられ、 律令制 の社格に倣ってそれぞれに 大・中・小 の格があり、「昇格」が行われた。官幣社・国幣社をまとめて 官国幣社 ともいう。


主として官幣社は 二十二社 天皇 皇族 を祀る神社など 朝廷 に縁のある神社、国幣社は各国の 一宮 や地方の有力神社が中心である。官幣社・国幣社に実質的差異はないが、 例祭 について、官幣社へは 皇室 宮内省  )から、国幣社へは国庫から 幣帛 が供進された点が異なる(祈年祭・新嘗祭はどちらも皇室から奉幣を受ける)。

​wikipedia 近代社各制度 より引用


国庫や宮内省からの金銭的な援助があったということなんでしょうか?




一の鳥居



二の鳥居
奥に岩木山と三の鳥居が見えます。苔や木々の緑がきれいでした。二の鳥居と三の鳥居の間に奥富士出雲神社への入り口があります。




以前は拝殿を右に曲がり、右手に見える民家で御朱印をいただきました。



由来が書いてあります。



説明書き:百年記念碑
抑奥富士出雲神社の創起は祖父寿海大人命明治6年百沢寺住職にてありしとき、明治天皇の維新更始の盛世に感激「神仏判然令」に遵ひ断然廃寺の願書を上申して之を廃し、而して土地は神社の境内に編入、樓門外高堂大廈悉神社の用に供すべき様願立、更に宝器什物等神器に成る可きは神社に寄付し、斯くして岩木山神社の根幹を作り上げし也、次いで数十戸の檀家をして悉く神祭の式を以て祖先以来の各霊を祭祀せしむべく数年間四方奔走して招致説諭し、ここに別社として出雲大神を主神に祀り、奥富士出雲神社の始歩を印せしもの也。これらの功績を奇特とし明治12年9月岩木山神社より多田寿海に対し慰労目録に添えて如上の意を含めし褒賞状一通贈られし也。斯くて壱百年の歳月流れ出雲神社の隆昌を今日に見るに至りしは偏に信徒の陰の力によるものにして、此処に百年祭を記念し建碑するもの也。
管長宮司 多田昌雄 誌 昭和49年8月1日

この石碑の脇には龍神様がおわします。白竜神とありますね。



拝殿です。両脇に恵比寿様と大黒様がおります。
恵比須様は少彦名、大黒様は大国主と同一だとされているようです。出雲の国造りを行った二柱が並んでいます。安彦良和先生の”ナムジ”でこの辺の神話は楽しみながら予習してきました。



三の鳥居



楼門が見えてきましたね。この橋の下の池に白いイワナ?ニジマス?がいたと思ったんですが、魚一匹泳いでいませんでした。どこへ行ったやら。



楼門です。重要文化財に指定されています。朱塗りの壁が美しいですね。狛犬も心なしかシュッとしているように見えます。




神社に楼門・・・。神仏混稀の痕跡でしょうか。もともと寺だったなんて話を聞いたことがありますが。



手水です。
三頭の龍が水を吐いています。



初めてここに来た時に、柄杓の長さに驚いたのを覚えています。



お稲荷さまです。宇賀能賣神がおわします。お稲荷さんは特に別名が多いので調べるのも一苦労。



こちらは多都比姫神の社で白雲神社というそう。宗像三女神の一柱で龍神・水神だそうです。




拝殿が見えてきましたね。屋根だけ見えてる中門と拝殿が重要文化財に指定されています。ここからは見えませんが、奥門、瑞垣、本殿なども同じく重要文化財に指定されています。



中門



中門の額です。北門鎮護!



拝殿です。注連縄が立派ですね。正月にはここで巫女さんが酒を振舞っていたような・・・。
こちらも朱塗りの壁と、所々にある金色の装飾が美しい!



帰りに楼門の手すりにくっついている獅子を撮りました。登っているものと降りているものがあります。調べてみると弘前市のサイトで説明がありました。下のリンクからどうぞ。

いいかも弘前!! / 岩木山神社の狛犬
岩木山神社の狛犬
岩木山をご神体として祀る「岩木山神社(いわきやまじんじゃ)」。本殿や拝殿、楼門などが国の重要文化財に指定されており、「奥日光」とも称されます。
パワースポットとしても知られている岩木山神社には、少し変わった狛犬がいます。楼門の前の玉垣にしがみついている狛犬と一緒に写真を撮ると、上向きのものは金運を、下向きのものは恋愛運を向上させると言われています。
岩木山神社を訪れたときは、ぜひ探してみてください。
上向き(金運、上がるもの)



下向き(恋愛運、落ちるもの)



最後に御由緒です。​
岩木山神社

【祭神】
顕國魂神うつしくにたまのかみ
多都比姫神たつひひめのかみ
宇賀能賣神うがのめのかみ
大山祇神おおやまづみのかみ
坂上刈田麿命さかのうえのかりたまろのみこと

【由緒沿革】
当社は昔から「お岩木さま」「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、
農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。
神山・霊山である岩木山は津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授けたまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。

今から約1200年前、宝亀11年(780)に社殿を山頂に
創建したのが当社の起りであります。
延暦19年(800)に、征夷大将軍 坂上田村麿がこれを再建し、
別に山麓である十腰内の里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、
寛治5年(1091)神宣により、下居宮を現在地に奉遷いたしました。
その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、
江戸時代には津軽藩主 為信・信牧・信義・信政により大造営が行われ、
近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、
名実共にその偉容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、
農業・漁業・商工業・医薬・交通関係、とりわけ開運福の神として、
色々の宗派を超え、深い信仰の源として厚く崇敬されております。
新しき時代に向かい、ご神徳のまにまに、日本人の心の絆としてひとしく拝し、
ご神威ますます輝かしく仰ぎ奉られるのであります。

大國魂鎮守 旧國幣社。
北門鎮護 岩木山神社 / 由緒 より引用


とにかく、今回久しぶりに詣でることができてうれしかったです。次回はお山参詣に参加して奥宮まで行ってみたいです

以前貰った御朱印です。

奥富士出雲神社



岩木山神社



以上です。

​​​​​​​​

2024.8.3
夏詣出


お盆前に前乗りして津軽に遠征していたんですが、岩木山 求聞寺の参拝後に遠くから掛け声と囃子が聞こえて来たんです。”さーいぎさいぎ”という声に導かれて岩木山神社の方に抜けると、白い装束を着た保育園児と先生方が旗を担ぎ、演奏しながら参道を登っています。僕だけでなく周りにいた人たちまでもが、自然とその列にかだって拝殿の方に進んでいきます。佞武多囃子よりもゆっくりとした、不思議なテンポにノセられて、そのままお参りしてしまいました。
本来のお山参詣はもっとすごいんでしょうねこの記事を書いた時には、”今年はお山参詣に参加して・・・”と言っていましたが、いろいろと都合が合わず、参加できないことが決定していました・・・。なので今回少しでもお山参詣の空気感を味わえて本当によかったです。



菅江真澄も1785年の8月にお山参詣をする集団を見かけており、「外が浜風」にて次のように記述しています。
十五日 笛、つづみがなりどよめいて、さんげさんげと大ぜいの声でとなえ、通り過ぎてゆくのは、この月のはじめからきょうを最後として、岩木山に詣でのぼる優婆塞(在家の山伏)たちであった。
​また注釈には・・・
津軽平野の人たちが幣や幟を押し立てて岩木山へのぼる風習は、今でもさかんである。むかしは女人禁制であった。五穀豊穣を祈願し、また感謝するもので、登山者は一週間精進潔斎し、白装束に身をかためてのぼり、頂上の奧宮を拝んで下ってきた。
​とあります。
昔から続けられているお山参詣ですが、当初は身を浄めて臨んだり、女人禁制だったりと、今より数段厳しい決まり事が多くあったようです。現在は誰でも岩木山に入ることが出来ますし、頂上付近へだって車で行けてしまいます。こんなにも岩木山を取り巻く環境は変わっているようですが、誰でも岩木山に親しむことが出来る様になっているというのもまた良い事だと思うのです。
いつまでもお山参詣が続いていくことを願って終わりにします。

以上です。



2024.8.21
こちらからも由来を確認できます。

・新編弘前市史 / 通史編3(近世2) 473ページ / 下居宮

この由緒では主に神仏混淆の百沢寺時代のものが書かれています。百沢寺の本尊などが移されたのは津軽八十八霊場五十番札所:​ 太平山 長勝寺 ​、山頂の聖観音が移されたのは津軽八十八霊場六十二番札所:​ 阿闍羅山 専稱院 ​みたいです。特に後者は津軽龍神霊場の札所にもなっています。

以下全文です。
下居宮

 下居宮(おりいのみや・現岩木山神社・中津軽郡岩木町)は岩木山三所大権現を祀る。岩木山を神体として祀ることは古くから行われてきており、安寿と厨子王、田光沼(たっぴぬま)の竜女、赤倉の鬼神、坂上田村麻呂などの創建伝説を伝える(小舘衷三『岩木山信仰史』1975年 北方新社刊)。

 寛治5年(1091年)、神託により北麓から100の沢を越えて南麓に移り百沢寺(ひゃくたくじ)と称した。天台系の密教(台密・だいみつ)の影響を受け、熊野三山を岩木山に充て、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により中央の国常立命(くにとこたちのみこと)を阿弥陀如来とし、岩木山 百沢寺 光明院と左峰の国安珠姫(くにやすたまひめ・田都比姫)を十一面観音とし、十腰内の巖鬼山 西方寺 観音院と右峰の大己貴命(おおなむちのみこと)を薬師如来として松代の鳥海山 永平寺 景光院に配置し、岩木三所大権現とした(「津軽一統志」)。山頂に奥宮本宮、里宮として下居宮が建てられた。天正17年(1589年)の岩木山の噴火で諸堂が焼失したといわれ、津軽初代為信が慶長6年(1601年)に下居宮、同8年に大堂を再建、寺領400石を寄進し塔頭10院と神主 安倍を配した(資料近世1No.一七一、正徳元年の「寺社領分限帳」)。

 享和3年(1803年)の「寺社領分限帳」(資料近世2No.三九九)によれば、大堂(拝殿)の本尊:阿弥陀如来と脇立の十一面観音・薬師如来は津軽二代信政、本尊を納める「御宮殿」と呼ばれる厨子は津軽三代信義が寄進した。神仏分離で百沢寺は廃寺となり、本尊と厨子、棟札は 長勝寺 ​、山頂の聖観音は​ 専称院 ​(現南津軽郡大鰐町)へ移された。岩木山は止山(とめやま)で平常は入山を禁止されたが、8月1日(八朔)から15日までは「お山参詣」が許され、村落ごとに豊山祈願のための登拝が行われた(黒瀧十二郎『弘前藩政の諸問題』1997年 北方新社刊)。
​以上です。



締詣出


今年の津軽は異常な積雪で、どこもかしこも雪の山。



毎年ではないにしろ、こんな量の雪が積もったら、鳥居も社殿も直ぐに潰されてしまいます。



奥富士出雲神社に寄ります。
恵比寿さんの竿にはおみくじがいっぱい。



拝殿です。



では山門。雪化粧というやつでしょうか、なかなかこの姿も素晴らしい・・・!白と赤の対比が映えます。



山門の右大臣。



左大臣。岩木山神社は奥日光と言われるだけあって、こうした像も作りが精巧です。



拝殿から玉垣からモサモサの雪に覆われています。ただ最も恐ろしいのが、階段も凍ってしまっていることです。



今年の干支は巳ですか。一代守護本尊で言うと引き続き普賢菩薩。



拝殿です。雪が落ちてくる前にさっさと拝んで退散しました。



今年は岩木山神社から山頂本宮までの登拝を予定しています。
茨城の友達は登山経験者なので、彼にかだってわも上で拝みてんずや。今年絶対やるはんで!



以上です。


2025.8.13
登拝 2025


↑で宣言していた通り、お盆休みを利用して岩木山登拝を敢行しました。かなりの猛暑で中止も考えていたんですが、同道する予定の茨城の友人に一喝され、気を引き締め直して登拝に臨みます。導師は茨城県の友人。彼は登山勢であり、今回ペースメーカーを務めてくれました。僕は急いで登りがちなので、彼がいなくては登拝出来なかったでしょう。
道中の名所やかかった時間などは、​ YAMAP ​の方の記事をご覧ください。

登り始めは夜明け前、ぼんやりと東の空が白んでくる頃、岩木山神社の鳥居をくぐります。



岩木山神社で道中安全を祈願し、友人の般若心経読経を聴きます。岩木山神社ももとは岩木山 百澤寺という真言宗寺院でした。神仏混淆の霊場であり、岩木山三所大権現を本地仏とする津軽の一大山岳霊場なのです。その歴史に想いを馳せれば、神前読経も自然なことでしょう。
いろいろと儀式(?)を済ませて、山門脇の登山道を進んでいきます。途中百沢のスキー場に出るんですが、ここから眺める岩木山も近い様で遠く、今からあそこに登るのかと思うと、胸が高鳴り武者震いしてしまいます。



ふと振り返ると、ポツポツと灯る町明かりと、山を覆う雲海が陽光に照らされていました。津軽の文化の中心地である弘前の街は、岩木山のお膝元に広がっているのです。



序盤はまだカワイイもんですが、この鼻コクリという急坂は結構きついです。長い上に急で、ペースを間違えるとここで力尽きてしまうでしょう。



登山道も中ほどまで来ると、姥石という巨石が置かれています。岩木山は、昔は女人禁制の御山であり、女性の方はここまでしか立ち入ることが出来ませんでした。成人の儀式として岩木山登拝を終えた息子さんを、沢山の母さま方がここでお迎えしたんだとか。
更に山形県の宝珠山 立石寺・​ 高瀧山 光明院 奥之院 などに見られるんですが、古来霊場と現世との境には奪衣婆が置かれていた様なんです。もしかするとこの姥石も奪衣婆の代わりなんじゃないか、なんて考えてしまいました。



山頂がほど近くなってきた頃、僕は力尽きそうになっていました。日もだんだんと高くなって、容赦無く体に照りつけてきます。茨城の友人は快適そうなんですが、僕は絞れる程びしょびしょになったシャツをはたきながら、息を荒げて足をよろつかせフラフラと登っていきます。
暑さもひどく限界だと思っていると、天の救いかしゃっこい湧水が!錫杖清水と呼ばれるこの清水で顔と手を洗うと、気も高ぶり一気に元気が湧いてきます。かつての岩木山修験たちも、この清水に助けられたんではないでしょうか。



鳳鳴ヒュッテの近くまで来ると、もう山頂に手が届くぐらいの距離です。



ヒュッテのすぐ下には種蒔苗代という泉があります。
かつてはここで”散供打ち”という供物の浮き沈みで吉凶を占う儀式が行われていたと言います。散供打ちは​ 十和田神社 の物が有名で、その影響か南部地方の小さな神社などでも散供打ちを行う場所が有ったり、当地域と深く結びついている風習と言えるのではないでしょうか。
十和田神社は永福寺(現:宝珠盛岡山 永福寺)という真言宗寺院が祭祀を努めていた霊場で、かつては十湾寺と号する寺院だったそうです。霊場には熊野系の修験しか立ち入れなかったようで、そこから察するに系統不明の岩木山修験も、熊野系の修験の影響を受けている可能性があるのではないでしょうか。近代になって津軽地域に多数勧請された飛龍大権現も、熊野那智大社の飛瀧神社から勧請したものであり、熊野信仰が津軽地方にも深く浸透している事を示していると思います。



ヒュッテのすぐ脇には御倉石という奇岩があります。ここには面白い伝説が残っております。なんでも「津軽の人たちは死後祖霊となってここに籠る」んだとか。雰囲気的に恐山や熊野三山に似た感じですよね。祖霊はその土地の最も有名な霊場に祀られることが多いと思うのですが、津軽においては岩木山がその役割を努めているのでしょうね。



それではヒュッテから山頂を目指しましょう。数十分で山頂に着きます。もうひと踏ん張り!



雲を突き抜けて屹立する岩木山。
こんな素晴らしい山が信仰対象にならないことがあるでしょうか。



遂に登頂岩木山!もう既にかなり疲労していますが、山頂からの景色を拝めばそれも吹き飛びます。腹ごしらえしたいところですが、先ずは奥宮を拝みましょう。



軒下に人2人が丁度納まるくらいの大きさの石祠。これが岩木山神社奥宮です。



祠の中には3つの幣と共に神鏡が収められています。岩木山信仰の根幹です。
言い伝えでは、かつてこの祠に聖観音像が置かれていたんだとか。岩木山の本地仏は阿弥陀如来ですので少々妙ですが、観音信仰の篤い津軽地方であれば不思議はないでしょう。明治の神仏分離に際して、大鰐町の 阿闍羅山 専稱院 ​に移されましたが、こちらでも阿闍羅山に登拝する”お山参詣”で使用されているんだとか。



祠の前はこの通り切り立った斜面で、この下には岩木山神社が境内を構えています。奥宮は岩木山神社の方を向いて建っているんですねぇ。



祠の前にて茨城の友人と2人して般若心経を唱えます。故郷の霊山に登拝出来たことをこれほどまでに実感することは、これを除いて後にも先にも無いでしょうね。本当に最高の体験でした



ぼちぼち下山するんですが、わがままを言って鳥海山にも向かいました。中央に見える御倉岩、その右奥のロープウェイ駅、そこから左にちょこっと行った所が鳥海山です。



鳥海山の山頂には巨岩が転がっています。たげだ数のダラっこあげであってびっくりしたじゃ!こちらも篤く祀られていました。



下山する途中、岩木山の火口前で一休み。直近では16世紀に一度火を噴いており、その際岩木山神社の社殿の殆どが焼失します。それを再興したのは、後に当地域に覇を唱える津軽氏一門です。



下山も下山で相当にきつかったです。急な斜面のせいで、つま先と膝にかなりの負担がかかり、麓に着くころには比喩ではなく膝が笑っていました。一度食堂で登拝成功の打ち上げをしてから、再度岩木山神社を参拝しました。
やはり参道から望む巨大な随神門は最高ですね!北の地に建つ最高の(元)仏閣です。



津軽産のベンガラは遠く栃木の​ 日光東照宮 にも使用されています。奥日光とも称される岩木山神社も、赤く染められた社殿が本当に美しいんです!



本当に無事登拝出来て良かったです。これで故郷にて思い残すことは殆ど無くなりました。新しい土地で新しい寺院や神社と向き合い、生活していく糧と成ります。
この日の登山は、未来永劫忘れることは無いでしょう



以上です。





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最終更新日  2026年03月03日 21時42分56秒
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