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2026年05月16日
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カテゴリ: 御朱印:福島県
福島県浜通り地方の一大都市いわき市。駅周辺にはかつての平城の遺構が残っており、今でも城下町の風情が感じられます。今回紹介する子鍬倉神社も、駅の南口からすぐの高台に境内を構えており、平城を守護する神社として、城主 内藤氏からの崇敬も篤かったそうです。
由緒は不明な点が多いものの、境内には地域の他の神社も集められており、いわゆる総社的な風情もあって、満足のいく参拝ができると思いますよ

2024.10.6
子鍬倉神社


JRいわき駅から徒歩数分。気の遠くなるような石段の先に鳥居が建っておりました。上るのにかなり体力を使ってしまいましたが、この景色を見られたなら悔いもありません。
境内の整備自体は近代になってからなんですが、社叢も相まってか、かなり長い間ここに鎮座していたかのような雰囲気がありますね。



高台の境内には様々な末社が置かれています。もともとこの地には八坂神社が鎮座しており、その境内に子鍬倉神社に比定された稲荷の小祠が遷宮され、現在の子鍬倉神社となったそうなんです。そのため、現在境内にある末社の多くは、おそらく八坂神社のものではないでしょうか。
この天満宮もその1つでしょう。祭神は菅原道真公。



末社とは言え、近くには別の祠もあり、ここだけでも小さな別の神社の様にも感じられます。



まずは天満宮の社殿から。鬼瓦を頂く向拝が面白く、上部組木の木彫も見事です。




おそらく題材は”琴高”ではないでしょうか。中国周時代の仙人で、琴の名手だったそうです。龍の子供を捕まえる約束をして、当日に鯉に乗りさっそうと皆の前に姿を表したんだとか。鯉は滝を遡って天に通じ、龍へ変じると言われていますが、琴高が乗っている鯉も心なしかシュッとした顔をしている様に感じます。是非じっくりと見てみてください。



天満宮隣の覆い堂付の小祠は秋葉神社です。祭神は秋葉大権現、または火産霊神でしょう。



小さいと謂えども、祠の装飾はかなりの職人技です。かなり地域からの愛を感じますね。
蟇股には龍。そして前面扉の左右には凝った瑞雲模様が施されています。



側面も凄いですよ!
恐らく二十四孝を題材にしているんではと思うんですが、詳細は不明です。



反対側もこのとおり。すんごいんです。



茨城県に近いこともあり、足尾山の石碑も建っていました。常陸の霊山として有名です。



八坂神社に向かう途中には、かつて村内で祀られていたであろう様々な神格が集められています。これらの祭神や由緒も知りたいですね。



八坂神社です。
子鍬倉神社とは異なる社格を有しており、境内が隣接していてもそれぞれ独立した神社としてカウントされているんではないでしょうか。







ご由緒です(加筆)。
平町八坂神社

祭神:素戔嗚神

 村社、平町揚土台 県社 子鎌倉神社の西方に在り。祭神は素萎鳴等。
 人皇四十三代光明天皇の御宇(1336~1348年)勧請すと伝う。往古 山部神社と称し、後に牛頭天王と呼び、更に八坂神社と改む。内郷村・御厩・小島・御台境の三大字を氏子とする。
 初め大館に鎮座し、岩城初代維衝の父 平隆行(成衡)崇敬厚く、大館城を築くにあたり、城中鎮守となす。後物見岡・赤目崎に遷し、慶長年間(1596~1615年)鳥居氏の築城に際し、現地に移せり。岩城氏以後、鳥居氏・内藤氏・井上氏・安藤氏等の各領主何れも崇敬厚く、證判を附せらる。

もともとは牛頭天王社と称されており、祭神も牛頭天王だったんではないでしょうか。現在は総本社に倣い素戔嗚神を祀っています。
八坂神社には平城主 安藤氏五代に渡る寄進状(実物は​ こちら ​からどうぞ!)が残されており、市指定重要文化財に登録されています。宝暦6年から文久2年まで(1756~1862年)の長きに渡り、安藤初代信明(信成)から五代信睦(信正)まで天王社の社領5石を安堵し、天王大夫(神官か)に大浄神楽執行を許可しています。この内容からも分かる通り、当八坂神社は平城主 安藤氏からの崇敬はかなり篤かったんではないでしょうか。

そんでもってお待ちかね、子鍬倉神社の社殿です。




国書刊行会 「​ 石城郡郷土大鑑 : 磐城郷土史博物館 」の記載を基に由緒をまとめてみます。

子鍬倉神社

祭神:倉稲魂神
例祭日:5月8日

 創建自体は大同元年(806年)と言われており、磐城4郡(楢葉、磐城、磐前、菊田)の総鎮守として岩城氏からの崇敬も篤かったようです。
 もともとは櫻町の高所に境内を構えていましたが、岩城氏に代わり当地を治めた鳥居氏の新城(平城)築城に際して、社地が邸宅建設の予定地となったため、宅地に祠を残すのみとなり、以来祭祀も滞り衰退の一途をたどることになります。鳥居氏の次に当地に赴任した内藤氏は、最初は同じく邸宅内の子鍬倉神社(祠)のことなど気にもかけていませんでしたが、内藤四代義孝の代に行いを顧み、旧跡を調査させたことで、現在地に祠が建てられます。
 徐々に社殿が整えられていきましたが、天保2年(1831年)2月の火災によって社殿の多くを失います。嘉永6年(1853年)5月に建替えがあり、現在の本殿はこの時に建てられたものです。
 明治5年(1872年)に県社に昇格し、明治39年12月21日には神饌幣帛料供進社に指定されました。



大同年間の創建というと、東北勢はまず坂上田村麿の開創譚を思い浮かべるのではないでしょうか。度重なる火災により、由緒の類は残っていないのですが、かつてはそんな開創譚が語られていた可能性もあると思われます。
東北の開拓を推し進める目的で祀られたともされており、実際倉稲魂神や宇迦之御魂神など稲荷大神に連なる神格を祀る式内社は、東北には多いんではないでしょうか。式内社では無いにしても、茨城県や福島県には養蚕・蚕養・蚕養国など養蚕にまつわる神社が多く鎮座しており、当社も”子鍬(こくわ)”が”蚕桑”とも取れることから、何かしらの関連がありそうです。

拝殿の左手には末社:金比羅神社。祭神は金刀比羅大権現、または大物主神でしょう。



狛犬もいい顔してます。かなり力が入っているような感じがしませんか?
狛犬:阿形!



狛犬:吽形!
こちらをねめつけてうなっているかの様です。



随所の金具は錆びてはいますが、彫り込みなどは見事。大事に管理されているようです。



扁額です。



旧名称の扁額もあります。



斜めから。
立地も社殿も素晴らしく、いわき市を代表するような良神社でした。初見ではなんと読むのか分からなかった神社名も、その由緒を知れば身近に感じてくるものです。足腰のトレーニングも兼ねて、是非男坂からの参拝をおすすめします



今回貰った御朱印です。



以上です。



参考資料の引用:国書刊行会 「石城郡郷土大鑑 : 磐城郷土史博物館」
・101.102ページ

縣社 子鎌倉神社

 平町宇揚土台に鎮座。延喜式の官社にして、祭神は稲倉魂命なり。明治五年由緒に富めるを以て縣社に昇格す。
 古は磐城四郡の總鎮守と称し、岩城氏累代崇敬尤も厚く、千餘貫文の神田を寄附せらる。是より先醍醐天皇延喜五年、左大臣藤原忠平延喜式を撰す。此式に列する神社は皆延喜以前に創始せられたるものにして、其の古社としての由緒を有することは言を俟さざる所なり。
 我が磐城園式内神社に列するもの七社あり、本社亦其の一に居る。又平城三社の一と稱す。本社は古來櫻町の高所に在り、北方の眺望无も富めりとせしが、鳥居氏一たび新城を築くに方り、士邸を此高所に置き、社地を兼併して祠宇を顧みず、頗る神威を犯すの嫌なきに非す。幾くもなく鳥居氏政を失し、封を山形に移され、内藤氏之に代る。前後領主轉封に際し、其の士邸内に在る祀字の尊厳を知らず、荒廃に委するもの久しかりしが、内藤氏一旦其の非を悟るや、有司に命じて本社の遺址を探査せしめ、茲に揚土台の地を相して神廟を新築す。適々天保二年二月、火を失し、神殿・拝殿・神楽殿共に鳥有に帰す。嘉永六年五月之を改築す、今の社殿是也。境内坪數千四百九十三坪を有し、一堆の丘上に據り、平町を脚下に俯瞰すべし。樹林鬱葱さして社殿を繞り、櫻花爛發の際は、頗る殷販を極む。祭禮は毎年五月八日とし、神輿渡御の式あり。明治三十九年十二月廿一日、勅令に依り、神饌幣帛料供進する神社に指定せらる。






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最終更新日  2026年05月16日 11時13分48秒
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