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2024年12月18日
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カテゴリ: 御朱印:宮城県
奥羽山脈の名峰、蔵王連峰の山々を神体として祀る神社の一つです。蔵王連峰は古くから信仰の対象とされていた美峰で、昔は刈田嶺、不忘山など様々な名前で呼ばれていたようです。それが仏教伝来後は、金峰山から修験道が持ち込まれ、蔵王権現が勧請されたことで現在の名称になりました。祭神の変遷はあっても"神の山"として信仰され続けてきたことに変わりはありません。


蔵王刈田嶺神社 里宮


遠刈田温泉 神の湯 のすぐ後ろにあります。立派な木製鳥居です。
蔵王連峰の山頂の社と共に蔵王信仰の中心的な神社となっています。冬の間、蔵王連峰は登山不可となるため、山頂(奥宮)からこちらの里宮の方へ御神体が移されます。



直ぐに二之鳥居が見えてきます。鳥居脇に道が続いていますが、ここを進むと摂社の古峰神社と湯神神社があるそうです。なかなかに時間がかかりそうだったので、今回は断念しました。



当神社の文化財についての説明書きが有りました。





蔵王町指定文化財  敬明講図

 この絵馬は、仙台市の蔵王山参詣講である宮城敬明講が明治38年(1905年)に奉納したものです。蔵王山参詣は蔵王の御山参りとも呼ばれ、遠刈田温泉を起点として山頂の蔵王大権現(現在の蔵王刈田嶺神社奥宮)に参拝する信仰行事です。江戸時代後期に始まり、明治維新や太平洋戦争などを経て昭和半ばまで流行しました。
 蔵王の御山参りには、尾根筋を通る『御山駆け』と沢筋を通る『御沢駆け』の二つの道筋がありますが、本図は『御山駆け』を描いたもので、蔵王の御山参りを視覚的に窺い知ることのできる最古の資料として大変貴重なものです。深夜に遠刈田温泉を出発し、先達に導かれながら山道を駆けのぼる参詣者たちの姿が如実に描き出されており、蔵王の御山参りの様子を今に伝えてくれます。

平成23年3月10日 蔵王町教育委員会設置




左から山の神、仏塔、塩竈神社となっています。



特に塩竈神社の石碑には、さらに3つの神社が記載されています。八雲神社、三吉大神、多賀神社・・・。この三吉大神は、恐らく秋田の有名な式内社なんですが、まだ参拝できていません。暖かくなったら参詣してみたいものです。



石碑は他にもこんなにたっぷりあります。地蔵っぽいのが多い印象です。神仏混淆の要素がはっきり見て取れます。



まだまだありますよ・・・!



ある程度進むと手水が見えてきました。まだまだ現役ですよ
奥の方には鐘楼もあります。



そして拝殿も見えてきました。
よく見ると3対の狛犬が置かれており、それぞれデザインがまったく異なっているんです。



説明書きも有ります。




蔵王刈田嶺神社の狛犬たち

 狛犬は、神社の参道や社殿の前などに配された、ご神体を守護する神獣の像です。口を開き 立派なたてがみを持つ『獅子』と、口を閉じ、頭頂に角を持つ『狛犬』の2体で一対を成します(狛犬の角は省略されることも多い)。もとは御所の守護像として用いられるものでしたが、やがて神社で用いられ、 参道に配置されるようになりました。狛犬が全国に普及するのは 江戸時代以降のことです。
 狛犬は、作られた時代や地域、願主(依頼人)や石工(作者)の事情などによりさまざまな形態があります。蔵王刈田嶺神社には、特徴の異なる3対の狛犬があります。この神社が長きに渡って人々に信仰されてきたことの表れであり、また、この地域の狛犬文化の流れを把握できる貴重な事例でもあります。


はじめ狛犬
江戸時代、まだ狛犬が一般的でなかった時期に作られたもの。立体感に乏しい単純な造形で、まるでカエルのように見えます。石工や願主が本格的な狛犬を知らず、限られた伝聞情報を頼りに作られたものと考えられます。

出雲身構え型狛犬
尻を高く持ち上げ、今にも飛び掛からんばかりの姿をした狛犬で、各部の造形は立体的で精密です。出雲地方(島根県)に産する来待石を素材として、江戸〜大正期に大量に作られ、主に北前船によって全国に流通しました。

護国型狛犬
令和5年3月31日 蔵王町教育委員会


本当にそれぞれ面白い姿をしています。
それでは、一つずつ見ていきましょう

出雲身構え型狛犬:阿形




出雲身構え型狛犬:吽形



護国型狛犬:阿形
昭和33年(1958年)の作です。



護国型狛犬:吽形



はじめ狛犬:阿形
江戸時代の作とされています。はじめ狛犬はこの神社で最も特徴的な造詣の狛犬です。



はじめ狛犬:吽形
口は半開きです。



拝殿脇には二つの社があります。
その内の一つ、小牛田山神社です。



扁額です。​ 小牛田山神社 であることが分かりますね。
調べてみると、宮城県美里町の山神社から分け祀られたものみたいです。



社内には仏尊にも見える石碑が二基納められています。どちらも木花咲耶姫命を模しているらしく、安産・子授け祈願の場として有名らしいです。詳細は下のリンクからどうぞ!

・山神社 / 歴史



そしてもう片方の社は神輿舎です。



中には煌びやかな神輿が納められています。



社脇には不動尊らしき石碑と小祠が有りました。



拝殿です。木彫りの秀逸さもさることながら、行灯や狛犬がバランス良く配置されており、非常にまとまりがあります。



扁額です。



御由緒です(wiki)。
 蔵王山頂に鎮座する蔵王大権現は、天武天皇8年(679)に、役の行者の叔父 願行(がんぎょう)が勧請したものと伝えられる。蔵王大権現社は往古より蔵王一帯の修験者を統括し、大刈田山(青麻山)東麓の「願行寺」が管理した。平安時代末期(12世紀末)には奥州藤原氏の庇護も受け、願行寺は繁栄し、子院四十八坊を形成するまでになった。奥州藤原氏が滅亡とともに衰退し、戦国時代には兵火による焼失も加わって、戦国時代末期には山之坊・宮本坊・嶽之坊の3坊にまで減少した。

 後に、山之坊は廃れ、宮本坊は宮蓮蔵寺となり、嶽之坊は金峯山蔵王寺嶽之坊と号し、蔵王山参詣表口を統括した。御山詣りが流行した江戸後期以降は、多くの参詣者を山頂の蔵王大権現へと導く役を担った。雪深い蔵王山は冬の参詣ができないため、例年、十月八日から翌四月八日までは御神体を遠刈田の「蔵王大権現御旅宮」(おかりのみや)に遷すようになった。この御旅宮は嶽之坊と同一の場所にあるなど、古くから嶽之坊と蔵王大権現社とは、同体ともいえるほど深くつながっていた。

 明治維新で神仏分離が行われると、吉野では「蔵王権現」を神号とし、従前の僧侶が神官となった。これに従って当地でも明治2年(1869年)7月に「蔵王大権現」を「蔵王大神」へと改号。さらに同年9月、「蔵王大神」とは「天水分神および国水分神」の2柱であるとの解釈から、社号を「水分神社」(みくまりじんじゃ)に改称した。なお、この時期に修験道の「蔵王大権現」を管理していた真言宗の嶽之坊は、神道の神社となった当社と合一したと見られる。明治8年(1875年)に「水分神社」は「刈田嶺神社」と称するようになった。

現在の祭神は天之水分神・国之水分神の二柱ですが、古くは蔵王権現を祀る社だったようです。宮城の統治者のみならず、山形など周辺地域からの崇敬も篤かったようです。

今回は行かなかったんですが、摂社の湯神神社の説明書きも有りました。なかなか面白いので、行かなかったことを酷く後悔しております・・・。




遠刈田温泉湯神社の由来

 元禄8年(1695年)湯守の大沼久兵衛氏が、湯神の加護霊湯として神の有難さを身をもって知り四十八戸の住民共々権現山(表面の山)の中腹に蔵王湯神の石碑を建立し以来毎年湯神祭りを行ってきました。
 その当時より正に万病を癒す霊湯として、神仏の大いなる恵みと受け止められ近隣近在の湯治客のみならず、全国の人にまで親しまれて現在に至って居ります。
 又、伝記によると噴出する熱湯にも似た熱い一杓の温泉に託し、尊像にかけ諸願成就、万病万癒の御利益があると伝えられて居ります。
平成元年七月吉日
遠刈田温泉湯神神社祭典実行委員会



斜めから。
今回名高い刈田嶺神社に参拝できて感無量です青森からだと、蔵王はそれなりに時間がかかるので、なかなか行けずにいました。福島出張という機会に乗じて、こうして参拝できたのです。
神仏分離という荒波にまけず、現在も地域からの崇敬を集める素晴らしい古社でした。



今回貰った御朱印です。

摂社:蔵王湯神神社



刈田嶺神社 里宮



蔵王刈田岳山頂に建つ奥宮の記事ができました。良かったら下のリンクからどうぞ!

・蔵王町:蔵王刈田嶺神社 奥宮 奥羽山脈の名峰祀る神社(夏期)

以上です。






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最終更新日  2026年02月05日 22時43分04秒
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