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亀井山 轉入院 荘厳寺
浄土宗
本尊:阿弥陀三尊
深浦町警察官派出所の裏山一帯は黒松が枝を突き出し、標高約80mの高台とあって深浦港が一望できる絶景の地。近くには深浦測候所があり、その付近はお仮屋公園と呼ばれ親しまれている。その一角の樹木に囲まれているのが荘厳寺。鎌倉時代のこの辺りの豪族安倍氏の菩提寺として信仰を集めたが、開基年代は記録にない。ただ深浦町関に保存されている古碑には「安倍季長」の墓も認められ、康元年間(1256.1257年)、応永年間(1394~1428年)に多く建てられていることから、この古碑は安倍氏の遺跡とされている。
安倍氏は安藤・安東ともいわれ1200~1442年ごろまで津軽、南部一円で勢力を張っていた。荘厳寺は関所とともに移転しており、鎌倉時代以前には庵寺として関地内にあったと推測される。関所は寛永9年(1632年)に高台の元城に移転したが、荘厳寺も向かい側に移り、人々はそのあたりを「寺屋敷」と呼ぶようになった。
寺には津軽藩史にも記されている有名なエピソードが残っている。津軽地方は明和・天明・寛政の三大飢饉に見舞われ、死人が道端に山となし、死体を食べて生き残ったと伝えられているが、その一つ、天明大飢饉の時のこと、二十三代聞岌和尚は、深浦一帯でも死人が道を埋め疫病が流行したため、住民の困苦を見るにしのびず、まず津軽藩主に訴え出た。しかし藩主も手の施しようがないと知った聞发和尚は、直接江戸幕府へ嘆願した。ところが幕府からはなんの沙汰もないので、今度は再び登府して将軍に拝謁、直訴に及んだ。将軍は和尚の窮状を聞き入れ、救護米を賜った。
当時、幕府への直訴は禁じられ、佐倉宗五郎はしばり首になっているが、聞发和尚は入獄したあと深浦から追放され、能代の五智如来堂に身を隠した。現在でも能代市に光久寺として残っている。二度にわたる幕府への訴えは、当時のビッグニュースとして津軽一帯に伝えられ、美談として残っている。
本尊の阿弥陀仏(立像)は鎌倉時代屈指の仏師で、東大寺仁王像の作者である快慶の作といわれる。寛文4年(1664年)夏、大阪名越源兵衛が阿弥陀仏像を持って鰺ヶ沢港に入った記録があり、伝説もある。昭和12年(1937年)、荘厳寺が全焼したが、その時、深浦町駐在巡査が本堂の阿弥陀仏像を背負って無事搬出している。快慶の作と正式に鑑定されれば国宝級。
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