真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2016年05月12日
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求菩提山は古くより豊前国の中心と位置付けられ、多くの山伏(修験者)たちが山内に住んで厳しい修行に挑み、英彦山(ひこさん)と共に北部九州修験道の中心を担ってきたそうだ。

※英彦山に纏わる関連記事⇒ リンク


この山の信仰の歴史は古墳時代にまで遡ると考えられ、近世の求菩提山文書によると、継体天皇二十年(526)の猛覚魔ト仙による開山、大宝四年(704)の役行者の入山、養老四年(720)の行善による求菩提山護国寺の建立などを伝えている。

しかし、明治元年(1868)の神仏分離令により、求菩提山護国寺は国玉神社と改称され、さらには明治五年(1872)の修験道廃止令によって、求菩提修験道は終焉の時を迎えることになったそうである。

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まずは山の7合目あたりに相当する、座主坊園地の駐車場(山頂に一番近く綺麗なトイレもある)に車を停めて登り始めた。

苔むした緩やかな石段が続き、途中の岩屋坊跡や安浄寺跡などの数々の旧跡を経て、山上に鎮座する国玉神社の立派な石鳥居を映したのが上の画像である。

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この上の画像は、国玉神社の中宮を経て、鬼が一夜で築いたと言われる「鬼ノ鐙(おにのあぶみ)」の入口辺りで映したものだ。

かなりの急坂に850段もの石段が続き、一見すると今にも崩れそうな雰囲気なのだが、長年の風雨や修験者(登山者)の踏み締めに耐え抜いた頑丈な石段であった。

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次の画像は、上宮の左横にあった山頂を示す木標を撮影したものだ。この国玉神社(上宮)は、まさしく求菩提山の山頂に建立されていた。

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そして、神社の裏手に廻って驚いたのは、上の写真のように累々と巨石が積み重なるように広がり、また繁茂する巨樹と共に山頂部を形成していたことである。この磐座群のことは事前に承知していなかっただけに、感動も一入であった。

また下の画像は、その山頂部の巨石群の中で、最も異彩を放ち貫禄のある磐座を写したものである。特にこの磐座は次回の日記で述べることになる、求菩堤山の南方に聳える「犬ヶ岳」の山頂方面を示しているかのようであった。

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最後の下の画像は、この度の山上を巡った「求菩堤山・周回コース」が描かれた道標を映したものだ。画像の地図では(1)の位置が駐車場で、そこから右回りに黄色で示された山道を(11)~(19)まで廻って一周したということになる。

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最終更新日  2016年05月13日 13時00分03秒


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