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やすじ2004 @ Re:「長慶子」を残した藤原実資。(06/30) こんにちは、お疲れ様です 湿気が高かった…
2024.08.24
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京の嵯峨、清凉寺すぐ近くの宝筐院は平安時代
に白河法皇の勅願寺(旧名は善入寺)として創建
され、
数代にわたり皇族が入寺、一旦荒廃していたのを
夢窓国師の弟子:黙庵が復興。


また足利2代将軍義詮が黙庵に帰依、善入寺の伽
藍整備に尽力。義詮没後、その院号を採り宝筐院
と改めました。

楠正行(正成の子で小楠公と称されます)が四条
畷にて高師直の率いる
北朝軍に負けた際、

生前彼と交誼のあった黙庵が、その首級を持ち帰
り此処に葬りました。北朝の将軍・義詮の墓が左
に仲良く並んでいます。

寺はその後再び荒廃、天竜寺の高木管長や川崎芳
太郎によって再興されました。

初夏の楓、深秋の紅葉の名所として知る人ぞしる
由緒あるところです。





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Last updated  2024.08.24 08:41:48
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