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2020.04.12
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次

韓鶴子総裁御言選集 1
 真の父母様を中心とした一つの世界
  第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯
  第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略
  第3部 伝統の伝承と相続
  第4部 世界平和実現の課題
  第5部 二世教育と未来の人材の養成
  第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル
  第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任





韓鶴子総裁御言選集 1 - 真の父母様を中心とした一つの世界

第一部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯

​6. 苦難と勝利​

不屈の信仰と決意、そして忍耐

一見して外から見た限りでは、お父様がどのようなお方かということを知っているので、皆さんは単純に私がとても幸福な人だと思うことでしょう。「あなたは何の努力もすることなく、その位置に選ばれた方である」と考えるかもしれません。そして、「お父様に出会って家庭を築き、幸せに暮らしている」というのが、私に対する人々の一般的な見解であることでしょう。しかし、お父様がその位置にお立ちになるための苦難と十字架の道を歩まれる限り、私も当然のことながら耐え難く忍び難い十字架を背負ってきたのです。

そのような過去の事情と私が歩んできた路程に関して振り返って考えてみると、涙をこらえることができません。なぜならば、それについて語るならば、苦難と試練の記憶の数々がすべて再び生々しくよみがえるので、私にとってそれを語るということは、とても苦しいことなのです。きようの朝、私が悲しそうに見えたとすれば、そのような理由からです。

私が歩んできた道は耐え難い苦難の連続でした。神様はお父様に試練をお与えになったように、私にも何度も試練を与えられました。そしてサタンも、お父様とイエス様を試練したように、私にもまた試練を与えました。メシヤが通過したのと同じ苛酷で厳しい試練をこの弱い女性が通過したというのですから、皆さんは信じられないことでしょう。そのすべては歴史の秘密として隠されてきました。皆さんは蕩減路程を知っているので、私が今日に至るまでどれほど困難な道を歩んできたかを想像できるはずです。(I977.5.3、ベルべディア修練所)

私は温室の中の一輪の花のように成長してきました。しかし、聖婚式以降は、砂漠に咲く花のようであるということを私自身が感じました。砂漠のようなものが、私の暮らしていた環境でした。私が行く所はすべて、荒れ狂ったように暴れる海のようでした。私の周りには多くの誘惑と試練があり、様々な苦難が渦巻いている状況でした。実に私は、荒れ狂う海に浮いている小さな帆掛け船のようなものでした。.

一方でその時は、私を訪ねてこられた神様の恩恵を最も深く感じた時でもありました。私が苦痛の中にある時も、神様は自ら現れ、啓示を下さって導いてくださいました。そのような直接的な導きがない時にも、私を愛し、守ってくれようとする周りの人々を通じて、絶えず導いてくださり、啓示を下さいました。非常に困難な試練と苦難の中で忍耐した時であると同時に、その時こそが、神様の恵みに満ちた、実に神様が共におられるということを実感できた時でもありました。

そのように完成を目指して悶えていた成長期間が終わり、ようやく天の願う基準に到達した私がその当時を振り返ると、苦難に満ちた記憶のすべてが喜びに変わりました。いつでも私はお父様と深い話を交わし、交流することができました。言い換えれば、お父様と私の間に、つきない話題と限りない理解があり、無限なる信頼に満ちた対話がありました。お父様とそれほど多くを語らなくても、互いの深い事情を理解することができました。

なぜならば、お父様が通過してこられた事情と私が歩んできた道が、神秘的と言えるほど、あまりにも似ていたからです。お父様と共通なる一つの目的を深く理解し、それゆえに不屈の信仰ですベてのことを忍耐し、すべての苦難と闘って完成の基準に到達し、今やサタンが一切侵入することのできない基準にまで歩んできたという勝利感があります。お父様と私が互いに見つめ合う時に、互いに感じる勝利感によって私は限りなく慰められ、安らぎを得ることができます。

最後に、皆さんに一言、言いたいことがあります。私は自分自身の体験を通じて、神様がいかにしてそのみ旨を成就なさるかについて多くのことを知りました。私の人生において天国も地獄も通過してきましたが、そのどちらも完全に成熟した人格を形成するためには必要であるということを知るに至りました。

もし私が天国の喜ばしいことだけを享受してきたとすれば、天国の生活をそれほど深く味わい、感謝することができなかったでしょう。私は地獄の底まで通過し、その苦い味も味わいました。「これ以上このように困難な道を歩み続ける力が私にはありません。この道を歩み続けることは不可能です。神様、なぜ私にこのような道を行けとおっしゃるのですか」と尋ねたことも数限りなくありました。私に必要なものは、疲れを知らない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それがきょうの私自身をつくり上げたと言えるでしょう。

もう一つ言いたいことは、皆さんが天国へ行く道において、天国的な面だけを期待してはならないということです。地獄的な面も当然のことながら予想しなければなりません。地獄の底を通過することも予想しなければならないのです。それこそが、神様の恵みを感じることのできる最も貴い部分なのです。皆さんがそれを克服する時に、より一層しっかりと立って強くなることができ、円満で総合的な人格を成熟させることができ、天国をさらに深く理解することができるでしょう。いつかそのような体験が皆さんの誇りとなることでしょう。(1977.5.3、ベルべディア修練所)

ダンベリーの苦難、そして興進様の聖和

お父様がダンベリーに出発された時は、本当に大きな挫折感と苦痛を味わいました。生き別れをすると思うと目の前が真っ暗になり、全身の気力が残らずすベて抜けてしまいました。それでお父様に、「私は本当にこのようになるとは夢にも思っていませんでした。まさかお父様がダンベリーまで行くなど考えてもいなかったのに、このように現実となり、私自身も今はどうすることもできません」というような内容の言葉を申し上げざるを得ませんでした。ところが、きょうは一日中お父様は子供たちと対話をされ、また何度もお頼みになったことは、「私は現実の中でも絶対に損することはないので心配するな」とおっしゃいました。そのみ言を聞いて多少は心を落ち着けることができました。

お父様は私に、「これから起きることを見て、今後オンマ(訳注:韓国語でお母さんを意味する)が感謝の祈涛を捧げなければならない」とおっしゃいました。お父様のみ言には、苦難を勝利に変えようという確固たる意志がありました。むしろアメリカと世界が救われる道が開かれるであろうとおっしゃいました。皆さんにお願いしたいことは、何としてでも皆さんが心を合わせて、お父様が願われていることを早く、そして大きく成功させて、早いうちにお父様が順調に一日も早く出てこられるように、内的な祈祷はもちろんですが、外的な責任を果たしてくれるよう、心より願います。

私たちが実行していることに全心全力を尽くして、一日も早くお父様が喜ばれる姿で帰ってこられる日を準備してさしあげなければならないということを繰り返し決意して帰ってきました。皆さんは特に、任された仕事に忠実に臨み、大きく偉大な実績をたくさん積んでくれるよう願います。皆お父様のために祈祷の時間を定めて実施していますが、実は長男と共に断食祈祷をしたかったのですが、お父様がそれはしないようにとおっしゃいました。ただ日曜日は共に断食してもよいので、日曜日だけ断食し、他の日は断食をしないようにとおっしゃいました。私が断食をすれば、却ってお父様に心配をかけることになるかもしれないと思い、「おっしゃるとおりに従います」と答えました。(1984.7.21、イーストガーデン)

皆さんにお願いしたいことがあるとすれば、本当に純粋な立場で心から天の前に悔い改め、再び立ち上がることのできる道を見いだしてくれるようお願いしたいです。1984年7月20日は、本当に歴史の中から消し去ってしまいたい日でもあります。お父様はダンベリーへ出発なさった瞬間から、皆さんのことを激励しながら、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。

20日の夜10時にイーストガーデンを出発してキャンプ・オフイス(ダンベリー刑務所)までお送りしました。何度も唇をかみしめて、心を強くもたなければと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙を抑えることができませんでした。車から降りられる時まで、御自身の前に差し迫っていることに対しては少しも心配なさらず、むしろ私を慰労するためにあれこれと気をお遣いになるのを見る時に、私はどうしたらよいのか分かりませんでした。

お父様が入っていかれると、警備員たちが、「あの方は罠にかけられたのです。あの方が罠にかかったのは確かです」と言いました。お父様は出発前に、自分は監獄まで解放しに行くと語られ、御自身のために泣くのではなく、み旨の成就のために祈祷しなさいと繰り返し語られました。その言葉を聞いて私もなぜか、どうにも抑えがたい悲しみがこみ上げてきました。私がなぜこのようなことを言うかというと、皆さんに、本当に責任をもって仕事をしてください、というお願いをしたいからです。

真の父母と同じ時代に共に呼吸しながら働いた皆さんは、歴史に記録されることでしょう。ところが、このようになった事実を考える時に、皆さんは自分の子孫に弁明し得る面目があるでしょうか。ここに集まった人々はほとんどが祝福家庭だと思います。もう一度深く反省して悔い改め、純粋な心で天に対することのできる姿になってくれるよう願います。(1984.7.22、イーストガーデン)

お父様がいつも、基盤がなければ滅びると語られているのを皆さんも聞いていると思います。お父様が父母の立場で天に代わって歩まれている道は、世界を抱かなければならない立場と、子女たちが整えてさしあげきれなかった立場で歩まざるを得ない苦難の道であり、十字架の道であり、また愛の道です。この期間に皆さんは、何よりも深く悔い改めて、一つにならなければなりません。

もちろん、個人においては、心と体が一つとなる立場で、み旨を中心として一つとなることが大切です。皆さんのような子女の立場から考えると、兄弟の間で一つとなることは難しく大変でしょうが、必ずや私たちが果たすべきことだと思います。ですから、皆さんが真の父母を中心として自分を主管する立場で三位基台を成す3人が完全に一つとなった立場で基台を広げていくならば、み旨が成就することでしょう。世界の縮小型とも言える四位基台において、横的な数字は3数です。その四位基台の横的な3人が一つになるならば、世界を一つにすることは容易であると思います。

このことはまた、世界的に広げて考えると、世界というのは、3人が一つとなってできる四位基台の拡大した形であると考えることができるのです。この世の中を見る時に、頭脳をもつ知的な面や、権力、力を誇る人々がいます。また、経済的な力を無視することができません。その三つの部類の力が世界を支配していると見ることができます。そのような力を縮小して考えるならば、「私」一個人に集約させて考えることができますが、このような脈絡の次元で考えると、皆さんが互いに対話を通じて理解し、愛しながら協助していくならば、一つとなれないことはないと思います。(1984.10.24、ベルべディア修練所)

統一教会員は、原理的に生活することも重要であり、自分に任せられた役割どおりにみ旨の発展のために様々に苦労することも重要ですが、第一に、この地上でいかにしてお父様に長く侍ることができるかということです。1983年12月がお父様にとって最も深刻な月だったという証がありました。

教会内で霊界に通じる人々の話では、今回、興進がこのようになったのは、36人のテロ団が集中的にお父様の命を奪おうとしていたのですが、その機会を逃したので、その代わりにサタンは興進に襲いかかったというのです。それはサタンの総集中、いわば最後の攻撃だったと私は思います。

興進が生まれる時にも、3日して死から目覚めたのですが、それもアベルの立場でお父様の代わりにそのような死の過程を経たという証があります。ですから、「最後に逝く時も、父母に最も大きな孝行をして逝ったのだな」と考えさせられました。

興進が昇華することによって、霊界と肉界がさらに直接的に父母様と一つとなり、摂理の完成に拍車をかけていくことのできる天の祝福があることを知り、それによってお父様と兄を再び立てることができたという慰安をもって最後に送り出すその場で心を落ち着かせることができたと思います。興進は決して死んだのではありません。皆さんと一つになって活動していくと思いますので、皆さんが興進の過去と、今、聞いたみ言によって、より一層忠誠と孝行を天の前に尽くしてくれるよう願います。(1984.1.3、ベルべディァ修練所)

お父様が名状し難い苦難の十字架を背負い、倒れながらも勝利によって結末をつけられ、アラスカで「八定式」と「天父主義」を宣布なさるまで、天のみぞ知る事情がありました。

おばあさん(洪順愛大母様)をお送りするにあたって、皆さんにお願いしたいことがあります。おばあさんは一生の間ひたすら神様のみ旨、生きている間に主に出会い、侍り、また働き、そのために女性としてのすべてを捨てられた方です。さらには妻の立場、母の立場まで捨てて初志貫徹、み旨の道を歩んでこられ、最後に逝く瞬間まで天だけが知り、本人だけが知る深刻な瞬間を祭物として捧げながら逝かれたおばあさんでいらっしゃいます。このようなおばあさんを皆さんが思い、その方が歩んでこられた過去を記憶する時に、皆さん自身の生活において、その侍義の生活を自分の生活目標として立てていかなければなりません。

自らを顧みるときに、み旨の道に従ってくる中で純粋でなかった姿、み旨を掲げる前に自分を前面に出し、お父様の悲しい曲折の路程を考える前に自分の姿を取り繕い、自分の悲しみを先に考えた人は、悔い改める機会とならなければならないでしょう。天地に雨が降り、汚れた所をすべてきれいに洗い流してくれるように、皆さん自らが心と体をきれいに整理して、洗い流すものは洗い流し、取り除くものは取り除いて、新たに身づくろいをするそのような期間と考えて、おばあさんをお送りしなければなりません。(1989.11.5、新門路公館)

死生決断の路程

私が18歳(数え)で聖婚した時に、神様の創造理想を実現してさしあげるために、何としてでも自分にできる最善の努力を尽くして、複雑な事情を解こうと決心しました。ですから、天が下さった子供たちも懸命に生みました。1972年からアメリカで本格的に摂理が進む中で、とても大変な過程を経るようになりました。共産党がお父様の行く先々を付け回しては妨害し、様々に言葉には表し尽くせないような迫害を加えてくる中で、危険な出来事もたくさんありました。その時、私はこのような問題に気を遣い、車に乗って回りながら巡回講演に参加したので、5年間に何度も流産をしました。1975年に權進が生まれ、その後、さらに5人の子が生まれました。ですから、病院でも「生まれた子供のために母親が健康でなければならないのに、どうして自分の健康を考えないのか」と言われました。しかし、私の立場では、やめるとは言えませんでした。ある勧士の祈祷を通じて知ったところによると、天は13人の子を生むことを望んでおられるということでした。

榮進を出産する時は、子供の頭が大きすぎて生死の境をさまよいました。当時、お父様はドイツに行っておられたのですが、30分以内に決定しなければ、母子共に危険だということで、仕方なく帝王切開をして榮進を生みました。一度帝王切開の手術をすると次からは自然分娩をするのが難しくなります。それで特別祈祷をしました。天は13人の子を待っておられるということでしたが、その後に一人の男の子と二人の女の子を生んで、男の子が7人、女の子が7人になりました。本当に不思議でした。このように、男女差なく7人ずつ14人を生んだのです。(2011.3.4、天和宮)

子供が多いといっても5人から9人までと言われていますが、そうでしょうか。ところで私は何人生んだでしょうか。真の父母様は、誤った人類の歴史を蕩減復帰して、元に戻されたお方です。それゆえ、家庭完成において摂理的な数字を合わせざるを得ませんでした。実際、20年間に14人を生むということは不可能です。その上、1回するのも難しいとされる帝王切開を4回もしました。私はどうしてそのようなことをしたのでしょうか。すべて皆さんを生かすためなのです。誇らしい母ではないですか。この一点だけ見てもサタン世界が真の父母様の業績に対してあれこれ言うことはできないのです。(2015.4.26、天正宮博物館)

私は18歳(数え)でお父様にお会いした時に決心したと言いました。「神様が苦労して歩んでこられた道、この残酷な蕩減復帰の摂理歴史を私の代で終わらせる。私自身が終わらせる」と決心することができたのは、私が神様を知っていたということです。私はたくさんの子を生みましたが、4回もお腹を切るということは容易なことではありません。私は数日前にある人に会って、「子供は何人いるのか」と聞いたところ、二人しかいないと言いました。なぜ二人なのかと聞くと、自分の妻が帝王切開をして生んだので二人しか生むことができなかったということでした。ところが私は4回もしたのです。それは死生決断の路程でした。神様の創造の夢を私がかなえてさしあげようと決心したからです。

皆さんはいかなる逆境にぶつかったとしても、「自分はやる」ということを認めますか。私という一人の存在は、自分一人だけの存在ではありません。神様がつながっており、人類がつながっているのです。なぜイエス様が再臨しなければならないとおっしゃったのか知っていますか。お父様の場合も同じです。私がこの位置を守ったから可能だったのです。(2013.1.7、天正宮博物館)

私の人生は海のようです。海は空を抱き得る十分な懐があり、空と一つになって、空色に似ています。最も低い所でこの世のすべての水を受け入れます。海はすべてを抱き、すべての生命を身ごもります。海の中にはあらゆる生命体が生きており、豊かに育てられます。月の引力に応じて潮の満ち引きの差をつくり節気を変えます。日差しに呼応して水蒸気をつくり気候を調節します。静かな海は、見かけは平穏です。しかし、深い所では、大洋を動かす巨大な水流が滔々と流れているのです。一度荒波が起きると津波のようにすべてを飲み込んでしまうこともあります。人は深い海の底の渦巻きを見ることはできません。天の摂理はもちろん、私の生涯もこのように展開してきました。台風のように吹き付ける摂理の中心において、私のみが知る、言うに言えない事情がたくさんあるのです。私はその渦巻きに巻き込まれることなく、乗り越えながら勝利して、蕩減復帰摂理歴史をお父様と共に終わらせることができたのです。(2013.12.6、天正宮博物館)





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.04.12 13:20:04
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