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実家に親と住んでいたときには、全く興味のなかった食器。自分で買うようになってから、目が向くようになりました。きちんとしたブランドのもので、初めて「欲しい」と思ったものは、とってもよく覚えています。池袋東武の食器売り場でみた、アラビアのバレンシアシリーズ。ぽってりとした厚めのフォルムに大胆な藍色のハンドペイント。当時はクニエダヤスエさんの本に影響を受けて「和食にも映える洋食器」というのがいいなあ、と漠然と考えていたので、バレンシアをみた瞬間「いい!」と思ったのです。そして値段をみて・・・・。就職したての食器初心者には、とても出そうと思える値段ではありませんでした。それからアラビアは、私の中でクリステルのお鍋やバーミックスと共に、「いつかは買いたいな」と思う憧れのものになりました。アラビアを扱っている店はそう多くはなくて、池袋に行く度に東武をのぞいて・・・。それでも月日の流れとともに、食器も増え、私の好みも若干変わり、アラビアのような厚い陶器よりも、薄手のモダンなものが好きになって、アラビアへの興味も薄れつつありました。そんな中、なんとアラビアはイッタラに吸収されてしまいました。買わなかったけれど、憧れのブランドだっただけにちょっとショックだったなあ。バレンシアも生産が中止になってしまいました。ハンドペイントを受け継ぐ職人さんがいなかったらしくて、時代を感じてしまいました。今、アラビアの名前で出ているのはムーミンマグや一部の復刻柄など、ごくごく一部のアイテムになってしまいました。あの時思い切ってバレンシアを買っておけば、今やヴィンテージだったのになあ。まあ、それだけのお金も度胸もなかったということですが(笑)先日、イッタラのマグを買いました。私の初イッタラです(^^)マグカップには、人それぞれ好みがあると思うのですが、私は「まっすぐの縦長で、薄めで、もち手の穴が大きめのもの」がよくて、フランフランのアウトレットで見つけたものが、私にとっては「完璧」だったのです。ペアで持っていたのですが一つ欠けてしまって、買い足しにいったら、もう売っていなかった・・・。本当にショックだったなあ・・・。それからずっーとマグを探していたのですが、なかなか「これ!」というのはなくて。そして見つけてしまったのです♪「bottna iittalaxmarimekko」イッタラのティーマにマリメッコのボットナ柄をプリントしたシリーズ!(一緒に写っている白いマグはフランフランのものです。)ティーマのフォルム自体は、私の思い描く「理想のマグカップ」とは全然違うのですが、イッタラxマリメッコなんて、北欧デザイン好きにはたまらない組み合わせ。白地に黒のモダン系デザイン、というのがかなりツボです。もう大人になったし、欲しいと思ったものは欲しいときに買ってしまえ!と入手しました(笑) iittalamarimekkoこの底マークがいいよね~、と自己満足に浸ってマス
May 31, 2007
今発売中の『新潮45』の広告にに「恥はかかせろ、いじめはなくすな」という見出しがあります。「恥はかかせろ」はともかく、「いじめはなくすな」というのはどんな論理??と思ったら、書き手はあの戸塚ヨットスクールの戸塚宏でした。あの事件の是非を今更ここで論じようとは思いませんが、今でもその方針には根強い支持者がいます。意外と知られていないかもしれませんが、戸塚ヨットスクールの教育方針を支持する「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長は石原慎太郎です。(石原慎太郎が大嫌いな人にはよく知られていると思いますが・・・。)少し前のテレビ番組(報道2001)では、『国家の品格』の著者の藤原正彦が「子供が悪いことをしたら張り倒せ。理屈は説明する必要はない。」と言っていました。私は『国家の品格』は読んでいませんが、これをきいてますます読みたくなくなりました。こんなことをいう人に、私は全く品格を感じられません。(この人を育てた父親かと思うと、結構好きだった新田次郎の本まで嫌いになりそう・・・。)子育てをしていていつも感じるのは、子供は大人のすること吸収して行動する、ということです。娘が弟を叱る姿は、自分を見ているよう。私の叱る姿を見て、彼女は叱り方を身につけたのだと思う。時々「そんな言い方ないでしょ!」と思うときがある。でも考えてみると、確かに私が娘に時々いうことだ。反省しきり・・・。以前、皇太子さまが誕生日の会見で朗読された『子ども』という詩があります。 『子ども』 ドロシー・ロー・ノルト作・川上邦夫訳 批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなるしかし 激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる 寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる賞賛を受けた 子どもは 評価することを おぼえるフェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる友情を知る 子どもは 親切を おぼえる安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる 私も叩かれて育った子供は、力に頼る大人になるのでは、と思っています。結局『新潮45』は、戸塚氏のところだけざっと覗いてみました。記憶なので正確な文言ではないのですが、戦後教育は力を悪だと教えたのがまちがい、力は善だ、というような文がありました。私は「力は悪だ」と教えられた記憶はありません。私が学んだのは、「自分の意見を通すために力に頼ることは悪だ」ということだと思っています。『子ども』の詩はこの本に収められています。あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書 同じスウェーデンの国民的作家、アストリッド・リンドグレーンは「子供は絶対に叩いてはいけない」という信条の持ち主でした。ところで、記事の見出し「いじめはなくすな」というのがどんな趣旨だったのか、というと、こちらは更に言語道断。以下、要旨をまとめると・・・「いじめには悪いいじめと正しいいじめがある。その人の行動(足が遅い、ヨットの扱いが下手、など)をいじめるのは正しいいじめだ。その行動が正しくなった時にいじめはやむ。」足が遅いのは、正しくない行動なのか。ここに見てとれるのは、ただの力の信奉、弱者切捨ての思想だ。石原慎太郎が共鳴するだけのことはあります・・・。いっそのこと、都知事選挙の時に応援演説でもしてもらえばよかったのに・・・。
May 21, 2007
慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に3歳の男の子が残されていたということ。どんな母親が どんな気持ちで 彼をそこに置いていったのか・・・。「こうのとりのゆりかご」についての賛否両論。どちらにも一理あるので 正解というのはありませんが、親に捨てられ 施設で育つ子供、育児意欲のない親に(時に命にも関わるような状況で)育てられる子供、どちらがより不幸なのか。映画『誰も知らない』を思い出してしまいました・・・。実際にあった事件をモチーフにした映画ではありますが、事実とはだいぶ異なるストーリーになっています。(実際の事件は、映画よりもさらに悲惨なもので、イメージするのも辛いくらい・・・。)ちょっときれいに描きすぎてるかな、とも思うのですが、映画としては好きなタイプの作りです。映画の中では、たくさんの他者が彼らに少しずつ関わる。コンビニの店員など、彼らを気遣いつつも、もう一歩は踏み込まないその希薄な人間関係に、リアリティを感じました。どうして、そこでもう少し手を差し伸べてあげられなかったのか。自分だったら何かできたのか。「誰も知らない」子供たちが暮らすのは、私の家のすぐ近くかもしれない。そんなメッセージがこめられているように思いました。安倍首相は冒頭の件について「児童相談所などに相談して欲しい」という趣旨の発言をしていましたが、同時に「子供を育てるのは親の責任」とも言ってました。「子供を育てるのは親の責任」なんていうことは、誰だってわかっているし、もちろん慈恵病院の方々も、そして子供を捨てた親もわかっているでしょう。わかっているけれど 育てられない人がいる。事情があって、ということではなくて、「育てたくなくて」育てられない人がいる。正しいことではないけれども、事実は事実・・・。児童相談所に行って、「お母さん、がんばってみましょう」とかお説教されるのは面倒だから、「子供を育てるのは親の責任」という正論を振りかざされるのは嫌だから、子供を捨ててしまう、育児を放棄してしまう、子供を殺してしまう。安倍首相にはわからないのかもしれないけれど、そういう人が実際いる、という事実は受け止めないといけないんだろうと思う。ここ数年の社会のあり方を象徴するような『自己責任』という言葉がある。たとえ不利益を受けても、それは自分のせいだからしょうがない、という理論で社会的弱者の救済を放棄する際に頻繁に使われているように感じる。でもこの場合、不利益を被るのは無責任な親本人ではなくて、子供達。救済策を講じるのは、親の無責任を助長するためではなくて、子供を救うためだ。「子供を育てるのは親の責任」という正論を振りかざすのは簡単だけど、なんの解決にもならない。「こうのとりのゆりかご」を批判するならば、併せて現実的な対応策も検討して欲しいと願う。
May 17, 2007
昨日の日記のバッタの赤ちゃん、booska999さんに>バッタの赤ちゃん発見ならず。。。いずこ?というコメントを頂いたので、答えを載せてみました。ほんっと小さくて、肉眼でみると濃い緑と薄い緑のグラデーションになっていて、とってもきれいだったんですヨ。最初は綿毛の上にのっていて、もっとフォトジェニックだったのですが、ちょうど携帯を持っていなくて、取りにいっている間に移動してしまった・・・(言い訳)バッタやカマキリは卵から、大人と同じ形で出てくるんですよね。昆虫、と一口に言っても、大人になるまでの道のりは虫それぞれなんだな~。さなぎになる昆虫は、さなぎの中で1回どろどろになるそうです。同じ材料(?)で、閉じられた空間で、体の組成を組み替えて、まったく新しいものになるなんてまるでSF!昆虫って本当に不思議。この話は漫画の受け売りです(笑)無類の昆虫好きでファーブルとあだ名される警視庁の鑑識官を主人公にした『昆虫鑑識官ファーブル』。絵はイマイチなのですが、昆虫トリビアがおもしろい。虫好きの人はハマります。こちら↓の日記には、背中に黄色のハートが入ったカメムシの写真があります♪自然の造形って面白い。■自然の中のハート♪(ハート柄のカメムシ) http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200606260001/
May 11, 2007
ゴールデンウィーク・・・ 我が家は結局東京からは一歩も出なかったけれど、それでも自然たっぷりの休日を過ごしました。西東京って、本当に緑がいっぱい!後半は、いつもよくいく多摩川上流にキャンプに行きました。何度も書くようなのですが、多摩川って本当にきれい。澄んだ水に新緑が映りこんで、なんともいえない美しさでした。今回は、ついに娘がカヤックデビュー♪大人用のパドルが重くて、漕ぎあがるのはちょっと無理で友人に牽引してもらいましたが、ちゃーんと対岸まで渡ることもできたし、本人もかなり満足(*^-^*)ところでキャンプをしていて、最近夫と議題になるのが、「いかに荷物を減らすか」ということ。キャンプって、結構びっくりするほど荷物が多い。テント、シュラフ、テーブル、椅子、照明、グリル、調理器具、食料 etc.車にいっぱいの荷物です・・・。オートキャンプ場でキャンプをする訳ではないので、車から設営地まで荷物を運ぶのが一苦労。でもこんなに荷物がなくたって、本当はキャンプなんてできるのに・・・。私は子供の頃、毎年必ずキャンプに行きましたが、家には車がなかったので、全て電車でした。バンガローに泊まることもありましたが、テントを持っていくことも。テント、シュラフ、その他の荷物を全部しょっていってたんですよね。もちろんテーブルも椅子もないし、食料も最小限。夜は必ずカレー。昼食はカップラーメン。普段は絶対カップラーメンなんて食べさせてくれなかった家庭だったので、そのカップラーメンが嬉しかったなあ・・・。自分達が持てるだけの荷物で過ごす、これがキャンプの原点のような気がします。いつも夫と争点になるのが椅子とテーブル。「椅子なんてなくたって、地面に座ればいい」という私に、「くつろげない!」と絶対ゆずらない夫。気持ちもわかるんだけど、そんなこと言っていたら荷物なんて減らないよ~。以前の日記に書いたのですが、オートキャンプ場に行くと椅子どころか扇風機(!)まで持ってきている人も見かけます。車で動くようになって、日常の便利さを自然の中まで持っていくのが当たり前になっちゃたんだろうなあ。今回、テーブルについては、もう大きなテーブルを持っていくのはやめよう、ということになりました。他の荷物も見直して、できるだけシンプルなキャンプを目指そう(荷物を運ぶのも辛いしね)、と思うのでした・・・。バッタの赤ちゃんを発見♪どこにいるかわかるかな?
May 9, 2007
R25によると、YAHOO!の政治サイト、『みんなの政治』で人気があるのが『政治ポジションテスト』なんだそうです。■YAHOO!みんなの政治 http://seiji.yahoo.co.jp/■YAHOO!みんなの政治 政治ポジションテスト http://seiji.yahoo.co.jp/feature/toitsuchiho07/position/index.html16の設問に答えていくと、リベラル、保守、大きな政府、小さな政府、という4つの座標軸の中で、自分がどの辺りにいるのかがわかる、というこのテスト。たった16問で単純に仕切られるのもどうなのさ、と思いつつ、軽い気持ちで挑戦。。。結果は下の通りです。(青字部分)テスト結果 「あなたはリベラルかつ大きな政府を目指すタイプです」社会・経済の激しい変化にさらされても、国民が人間らしい生活を維持できるように、政府は積極的にセーフティネットを充実させるべき」という考えを持っているのではないでしょうか。⇒基本的には当たってるかな。 資本主義、市場主義だけでは、福祉や環境保護は絶対にカバーできないと考えているので・・・。 安倍首相は道徳面では保守的な価値観を強いるのに、経済面では新自由主義ともいえる競争原理万能主義者だと感じるので、このテストをやったらきっと「保守的かつ小さな政府を目指すタイプ」になるのでは?あなたのタイプ【リベラル】あなたは個人の自由や権利を尊重しながら古い仕組みを変えていく政治が望ましいという考え方を持っているようです。また、新しい価値観や仕組みを積極的に取り入れようとする姿勢を持っていますが、そのせいで従来の社会が持つ良い面を見落としてしまうこともあるかもしれません。 タイプ別 身近にある論点非人道的であることなどを理由に、死刑を廃止すべきという意見があります。日本は死刑制度が存続していますが、過去に法務大臣の政治的信条から死刑執行が見送られたこともあります。しかし、近年は犯罪者に対して厳罰を求める声などを受け、死刑判決が増加しています。以上の経緯などから、日本における死刑存廃問題は複雑化しています。 【大きな政府】あなたは政府が公共事業・経済規制・社会保障などを積極的に行うことが、国民に幸福をもたらすという考え方を持っているようです。しかし「大きな政府」の場合、税金が高いことや、規制がわずらわしい面も受けいれねばなりません。 タイプ別 身近にある論点スウェーデンなどの北欧諸国では、国民負担率(国民所得のうちの税と社会保障の比率)が50~70%台にも上ります。これらの国は、国民負担率が40%程度の日本に比べて税金と社会保障費の支払いが多く、経済を圧迫しているように見えます。しかし、その分、年金や福祉は充実しています。少子高齢化が進む国々では、北欧型の高福祉・高負担の「大きな政府」か、米国型の低福祉・低負担の「小さな政府」のどちらを選ぶのかという議論が巻き起こっています。 ⇒アメリカ型か、スウェーデン型か、と問われたら、私はスウェーデン型を選びます・・・。 アメリカは超大国で世界でもっとも豊かな国かもしれませんが、視点によってはもっとも失敗した国家のようにも見えると思うのですが、どうでしょうか。【このグループに近い考えの政治家】 ・村山富市 (元内閣総理大臣で、住宅金融専門会社の不良債権処理への税金投入を決定) ・美濃部亮吉 (元東京都知事で、歩行者天国や老人医療の無料化を実施) ・H.チャベス (ベネズエラ大統領で、貧困地区での無料医療・食糧援助などを実施。石油などエネルギー産業の国営化政策を推進) ・F.カストロ (キューバ国家評議会議長で、キューバ革命を主導。企業の国営化、医療・教育の無料化などでキューバの社会主義国化を推進) ・J.F.ケネディ (元米国大統領で、人種差別に反対した公民権法案提出に尽力。1963年ダラスにて暗殺) だそうです。へー。なかなか面白かったので、あとで夫とやってみよう。 地元のかわいい花屋さんでみかけたブーケ♪
April 26, 2007
日記カテゴリー[映画の話]1980年、エルサルバドルは政府軍と反政府ゲリラとの激しい内戦下にあった。政府軍は12歳になる少年たちを“兵士”として徴収する為に、強制的に少年達を連れ去って行く。まもなく12歳の誕生日を迎えようとする主人公チャバにも、あどけない子供時代に終わりを告げる日が刻々と近付いていた・・・。自らの実体験をもとに書かれた脚本は、銃弾が飛び交う凄まじい日常の中で、生きることにひたむきだった少年時代が強く綴られている(シネスイッチ公式サイトより)内戦下のエルサルバドルを舞台に、一人の少年チャバ(=脚本家オスカー・トレス氏)の目を通して描かれた映画です。2006年1月にシネスイッチで上映した際、私の日記で、未見ながら「とっても辛い子供時代を描いた映画」と紹介しました。■関連日記 映画『イノセント・ボイス~12歳の戦場』(未見) http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200601250000/実際に観て、少しその表現を修正しよう、と思いました。確かに、とてもとても辛い子供時代であることは間違いありません。日々銃声に囲まれ、12歳になると兵士に徴用される恐怖にさらされ、住むところさえ奪われ、時には大切な人を失う・・・。けれども「それだけ」の映画ではありませんでした。映画のそこここには、いつの時代も変わることのない「子供であることの楽しさ」が散りばめられています。辛い題材でありながらも、思わず笑ったり、微笑んだり。監督のルイス・マンドーキはインタビューで「この映画には様々な感情が描かれている。戦争の厳しさ、子供であることの楽しさ、人生の素晴らしさ。そのバランスを重視した」と語っています。戦争のおぞましさの中で描かれる人生の楽しさ、素晴らしさに、人間はどうしてこんな大切なものを守って生きていくことができないのか、どうして争わずにはいられないのか、と考えてしまいます。また驚くのは、その子役達の演技の自然なこと。監督は「ドキュメンタリーのようなリアリティーを追求した」とも語っていて、子役から自然な演技を引き出すため、本人には内緒であるシーンのある役に実の兄を登場させたり、色々な工夫を凝らしたそうです。実際、「演技だなあ」と興ざめするような箇所が全くなく、とても自然に感情移入することができました。主役のチャバはもちろんなのですが、特筆すべきはチャバの弟!3才くらいに見えるのですが、どうやってあんな演技させたんだろう??銃撃に本気で怯えて大泣きしながら、おどけてみせるチャバをみて涙まみれで笑ったり。本当に銃撃されていると思わせたのかな・・・。その場合、その子の記憶にどう残っているのかも、ちょっと気になりますが・・・エルサルバドルの内戦を描いた映画といえば、オリバー・ストーン初期の作品『サルバドル 遥かなる日々』があります。非常に硬質で問題提起に富んだ作品なので、『イノセント・ボイス』を観て、どうしてアメリカ軍が政府軍に軍事顧問を派遣して、訓練を行っているのか、などエルサルバドルの内戦そのものに興味を持った方にはおすすめです。けれども、もっとも知るべきなのは、現在の子供兵の現実についてだろうと、思います。映画は、「今でも世界で30万人以上の子供が兵士として戦っている」というような言葉で締めくくられます。実際にこの内戦を逃れ生き延びた、脚本家オスカー・トレス氏は、この映画について「今も地球のどこかで子供たちが兵士になっている現実をリアルに感じてもらえれば」と語っています。「毎日を精いっぱい生きて 素晴らしい人生にするんだ」とも。辛い題材ですが、楽しく美しくもあり、おおいに考えさせられる良い映画でした。■関連書籍・・・世界のこどもたち■子どもたちのアフリカ忘れられた大陸に希望の架け橋を子どもたちの戦争かちかち鳴るおもちゃが、心の中で手榴弾の音に変わる。世界の子ども兵■関連する過去の日記・『インビジブル・チルドレン』(ベネチア国際映画祭)(2005/9/9)・子どもたちのアフリカ<忘れられた大陸>に希望の架け橋を(2005/12/20)蛇足ですが、この監督(ルイス・マンドーキ)の古い映画、『ぼくの美しいひとだから』、結構好きだったなあ。当時、ノっていたジェームス・スペイダーとスーザン・サランドンの「格差社会恋愛」モノです・・・
April 24, 2007
日記リンクしている 久米島出身アメリカ在住の彫刻家(?)海人とーちゃんさんの↓の日記でとーちゃんが「千の風になって」のウチナーグチ&三線バージョンをUPしてます♪http://plaza.rakuten.co.jp/okinawamozuku/diary/200704230000/とーちゃんの日記は 面白イラストとゆるーい雰囲気が好きなのですが今回のとーちゃんはマジメだぞ!?沖縄好きの方、どうぞ遊びにいってみてください~~
April 24, 2007
このところ、どんどん日記の間隔が空いている・・・忙しい、ということもあるのですが、一番の理由は前にも書いたのですが、早起きできないこと・・・。基本的に早く寝て早く起きるという生活スタイルで、調子のいいときは朝すっきり起きられるのですが、このところ、早く寝ているのに起きられなくて・・・春眠暁を覚えず、という便利な言葉がありますが、そろそろすっきりした目覚めを迎えたいものです・・・(><)春といえば竹の子(?)。竹の子に限らず、春の野菜は香りがいいものが多いですよね。私も夫も香りの強い野菜が大好き。春の我が家の定番料理に『春おでん』があります。 レシピというほど大それたものはないのですが、竹の子やアスパラ、新じゃが、といった春野菜を関西風のだしのきいたおでん仕立てにします♪練り物を入れると、その味が強くなってしまうので、最後にはんぺんを入れるくらい。そのかわりには、がんもどきがおすすめです。あんまりぐつぐつ煮込まず、上品な感じに・・・。スープに竹の子のだしが出て、とっても春らしい一品になります。いつも思うのですが、「だし」ってすごいですよね。その風味で、他のものまでおいしーくいただけるなんて。よかったらお試しください^^さあ、これからお出かけです。いってきま~す
April 21, 2007
中国の温家宝首相の訪日は、全体的におだやかなムードの中でおわりましたね。実に6年半ぶりの中国首相訪日。首相就任前には中国に対して厳しい批判を展開していた安倍首相ですが、持論よりも実をとった形にみえます。先日の従軍慰安婦問題でもそうでしたが、安倍首相が議員時代に主張してきたような歴史認識論というのは、その是非はともかくとして、現在の国際社会には受け入れられないものであり、首相という立場からは発信しえないものだということが、改めて確認されたように感じます。世論調査で安倍首相の不支持の理由をみると、「実行力がない」というものが上位に挙がっています。一口に不支持層といっても、政策や主張そのものへの不支持ではなく、従来してきた主張通りに行動しないことへ不満を持つ人が少なからずいるのでしょう。諸外国との摩擦が大きい問題では低姿勢をとりつつ、安倍首相の本来の支持層である強硬保守の人々の不満を満たすために、国内問題である教育改革、アメリカが待望する憲法改正などには、どんどん強硬な姿勢になっていくように思います。国民投票法案については、最低投票率の規定の無いことを始めとする、各方面から指摘されている問題点は切り捨て。「憲法記念日までの制定を目指す」なんて、結婚記念日じゃあるまいし、そんなものに合わせて決めることか(怒)「改憲のハードルをいかに低くするか」ではなく、「国民の意見をいかに反映させることができるか」という観点を法案に反映させて欲しかった。自分の望む結果さえ出れば、そのプロセスはどうでもいいのか。そんな人たちが「教育改革」と声高に叫ぶなんて、ちゃんちゃらおかしいという感じです・・・。参院が「良識の府」としての存在感をどう示すのか、大変気になります。なんにしても7月の参院選を控えて悩ましいのが、野党の情けなさ・・・。安倍首相は「憲法改正を参院選の争点に」とのたまっていましたが、積極的に改憲を支持する人は自民党に投票するでしょうし、拙速な改憲を支持しない人は民主党には入れないような気がします。(つまり民主党に投票する人は少ないのでは、という意味です。)民主党も結局は改憲勢力なので、「改憲反対」という人が投票するには危険を感じるのではないでしょうか。(小沢党首も、元をただせばバリバリの改憲論者だし、単なる対抗軸作りとして反対しているとしか思えません。)今、切実に思うのは、穏健または中道とカテゴライズされるような、「特に左派でも右派でもないけれど、そんなに急いで憲法を変える必要はないんじゃないの?」という人の受け皿がない、ということです。実際はそんな人が一番多いように感じるのですが、どうでしょうか。先日、残念ながら三選を果たしてしまった我が都知事様は「改憲」どころか「憲法無効主義者」です。彼は幾度となく「私はあの憲法(日本国憲法全体を指す)を認めない」という発言を繰り返しています。2003年の都議会(予算特別委員会)での質疑で、自身の発言について「憲法99条の憲法尊重擁護義務違反ではないか」と質され、「99条違反で結構であります。私はあの憲法を認めません。」と答えています。雑誌のインタビューとか、オフレコの会話とかじゃないですよ。都議会の質疑応答ですよ!?自分が認めないから守らなくてもいい、なんて、俺様ぶりもここまでくるとびっくりですが、こんな人が首都の知事を三期も務めることに、本当に本当に疑念を感じずにはいられません。国民投票法案に話を戻しますと、この法案が成立・施行されたとして、憲法改正を発議するというのは改憲派にとっても諸刃の剣です。いくら姑息な手段を使って、セコい法案を通しても、いざ国民投票にかけてみて賛成が過半数に満たなかった場合、改憲論議は事実上お終いになってしまうからです。国民の信託を受けた以上、同じ条項に関して何度も発議できるものではありません。(原案の発議に必要な、衆院もしくは参院での2/3以上の賛成、というのもかなり高いハードルだといえます。)だからこそ、世論が改憲に傾き今なら勝てる、と思ったときにしか出せない、一度きりの賭けのようなものではないでしょうか。法案が成立した場合、実際に施行されるのは公布から3年後。安倍首相の思う形での憲法改正に反対する個人ができることは、選挙による意思表示の他にも「世論形成」があります。3年間。長いようですが、年齢を重ねた今となってはあっという間かもしれません。憲法についてはまだまだ知らないことばかりなので、来る(であろう)その日に向けて、勉強したいと思います・・・。キクモモが満開でした
April 14, 2007
子育てに叱ることは、当然必要。だけど、怒ることは??子供がまだまだ小さくて、しゃべらなかった頃、子供は怒らないで育てよう、と思ってました。感情に任せて怒るのと、いけないことを叱るのは違うから・・・。そんなお母さんは、たくさんいると思うのですが、実際に感情的に怒らずにいられる人はどれくらいいるんだろう・・・。時々、本当に感情的な怒り方をしてしまって、自己嫌悪に陥ります・・・。感情が抑えられなくなりそうな時、思い出すことにしているのが、この絵本。タイトルはずばり、『おこりんぼママ』・・・。ペンギンのママが怒ると、ボクはばらばらになって、色々なところにとんでいってしまう、というお話なのです。初めて読んだ時は、ちょっと衝撃的でした。子供にとって、ママに頭ごなしに怒られることって、自分がばらばらになっちゃうくらいショックなことなのかも・・・。でもお母さんですは世界中にでかけていって、ばらばらになった子供を集めて縫い合わせる。そう、そうなんだよね。これができるのもお母さんなんだよね。この本は子供とは読んだことはありません。私のための絵本です・・・。ちょっと前に撮ったコブシの花。接写すると、なんとなく南国っぽい!?
April 7, 2007
先週の暑いくらいの日曜日、旅行中の娘以外の一家三人でお花見にいきました。行き先は「靖国神社」。私にとって、靖国神社は学校とバイト先をつなぐ通り道で、学生時代には幾度となく通った馴染み深い場所。(好きな場所という意味ではありません。)平日の閑散とした境内を見てまわったり、新館の建つ前の古い遊就館にも入ってみたこともあります。植樹札に記された部隊名が非常に生々しく印象的でした。(↓こんな感じです・・・。)若かった当時より知識も増え、関心も高くなった今、改めて靖国神社(というか遊就館)を見てみたい、という気持ちはあったのですが、それだけのために時間を費やす気にもなれず、花見に便乗することに(^ ^;)行ってみてびっくりしたのですが、出店の数も多くものすごい人出でした!とりあえず昼ビールを飲みつつ、ぶらぶら。みんな、どんな理由でここをチョイスしたのかなー、なんて思いながら拝殿脇の遊就館へ。遊就館が大きく立派になっていて、またまたびっくり。入館料は800円。ちょっと高いなあ・・・。展示内容は、まあやっぱりな、というものです。(アメリカから批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を、昨年一部変更したばかりのようですが、全体から考えるとごく些細なものだと思います。)展示室を出たところにはミュージアムショップがあり、日章旗と戦艦大和と「靖国神社」という文字を印刷したマグカップとか、ゼロ戦や大和のプラモ、自衛隊グッズなどが販売されています・・・。圧巻は書籍コーナー。戦争に関したものばかりなのですが、ざっとみた感じではほぼ全てが「大東亜戦争肯定論」とか「南京大虐殺はなかった」系のもの。よくもまあ、これだけ集めたと思うくらい、たくさんありました。館内にある子供向け(!)のパンフレットの文章に靖国神社の「大東亜戦争」(と靖国では呼ぶ)観が、簡潔に集約されていると思うので抜粋します。「日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守るためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。(中略)戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。」・・・・・。靖国史観に私が感じるもっとも大きな違和感は「戦争に対する反省がない」ことです。戦争へといたる道を考える際、もちろん欧米列強の圧力とそれに対抗するための日本の懸命の努力という面は、一つの見方として決してまちがったものではないと思うのですが、だからといって戦争は欧米列強のせいだけで、日本に罪はない、ということにはならないのではないでしょうか。罪は罪で相殺されるものではないと思います。例え周りにどんな非があったとしても、また戦争に本当に大義があったとしても、戦争そのものは非常に悲惨なものであり、多くの人に多大な苦痛をもたらしたという罪が軽くなる訳ではない。特攻や、武器もなく食料もなく餓死した南洋戦線の兵士といった犠牲もまた、連合軍のせいであって日本には責任のないものなのでしょうか。開戦原因の解釈はさておいても、戦争自体についてなんの反省の言葉も無いのでは、とても広く理解を得られるとは思えません。展示の最後に、戦死者の遺影のコーナーがあります。みな、若者ばかりです。その膨大な数には、ただただ悲しく、戦争というのはなんと辛いものか、と心から思いました。そこに添えられた文は「靖国の神々に感謝しましょう」というようなもの。彼らの無念の死には深い悲しみ、二度とこんなことを起こしてはいけない、という気持ちは感じますが、どうしても「感謝」する気には、私はなれません。この「感謝」というキーワードは、遊就館のあちこちで見られます。靖国は「慰霊施設」と呼ばれますが、正確にいうならば「慰霊顕彰施設」、それも「顕彰」のほうに重点がおかれているのだと思います。「お国のため」に命を捧げたことを褒め称え、感謝する。そこには、また「なにか」があったら「お国のために命を捧げろ」というものを感じてしまいます。と色々書きましたが、靖国神社は単なる宗教法人です。一宗教法人がどのような歴史認識を展開しようと、もちろん自由。本当はなんの異論もありません。ここが選択の余地のない唯一のの戦死者慰霊施設でなければ・・・の話ですが。以前の日記にも書きましたが、靖国問題というのはその歴史認識でもA級戦犯合祀でもなくて、「私的な機関に公的な役割を担わせていること」なのだと、私は思っています。■関連日記 靖国神社の存在の矛盾 http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200602010000/今の靖国神社の歴史認識のまま、海外の要人等が参拝することは非常に難しいでしょう。多くの人がわだかまりを持つ施設に祀られ、議論にさらされる戦死者と遺族の方は気の毒だと感じます。遺族の気持ちというのも、もちろん一つではなく、合祀を取り下げて欲しいと思う人から、首相に参拝して欲しいと思う人までそれぞれ。戦後60年以上、靖国神社を参拝してきた遺族の方の気持ちも傷つけたくはない・・・。靖国はいわば、葬りそこなって実体をもってしまった亡霊のようなものに感じます。従軍慰安婦問題などで持論を少しずつ展開しては、ガイアツでひっこめたり、と相変わらず煮え切らない安倍首相ですが、815参拝はしてもしなくても問題噴出必至。果たして、どうなることか・・・。話はかわりますが、明日(というか今日)は都知事選ですね。都民の皆さん、選挙に行きましょうね!!靖国神社の前では、石原伸晃が父親の応援演説してました。あそこでやるっていうのが、石原っぽい・・・。
April 7, 2007
このところ、本当に早起きできなくて、blogの時間がまったく捻出できない・・・・。書きたいことはたくさんあるし、他の方のblogも読みにいきたいのに・・・。blogって結構時間をとられますよね。(私の文章が無駄に長い、ということもありますが・・・。)すっきり、気持ちよく、早起きしたい(><)気に入った写真があったので、とりあえず写真だけのUPです。次はちゃんとした日記を書くぞー
April 5, 2007
ずっと気になっていた韓国映画『トンマッコルへようこそ』を観ました。このところ観た映画(DVD)が、ハズレ続きだったのですが、これはいい映画でした。2005年、韓国で興行収入1位、数々の映画賞を総なめにしたというのも納得。---公式サイトより---------------------------------------------トンマッコルとは、「子どものように純粋な村」という意味の架空の村名。人々はいつも笑顔で暮らし、自給自足、争うことのない平和な生活を送っています。舞台は1950年代。朝鮮戦争の最中、偶然に連合軍、韓国軍、人民軍の3組の兵士たちが、この世のユートピア“トンマッコル”に迷い込みます。敵意をむきだしで睨み合うこと続ける彼らに、憎み合うことのバカバカしさを教えたのは、トンマッコルの住民たちでした。兵士達は歌いながら一緒にじゃがいもを収穫し、気分転換に草ソリを楽しみ、お祭りで大いに騒いで、人間本来の心豊かな生活が送れるようになります。憎み合うことを忘れて大切な絆・心を取り戻していく癒しの村。それが、トンマッコルです。皆さんもどうぞトンマッコルへお越し下さい。トンマッコルへようこそ!!-----------------------------------------------------------これだけ読むと、ただただほんわかした映画のようで、実際ファンタジックに話は展開され、笑いどころもたっぷりですが、テーマは重く、辛く悲しいシーンも多々あります。オリジナルは舞台劇で、公式サイトによると、映画化するにあたり、監督が最も頭を悩ませたのは、物語の設定をどうやって信じられるものにするかという点だそう。解決法としてたどりついたのは、映画ならではのファンタジーという武器を利用すること。結果、「ファンタジーは当たらない」という韓国映画界のタブーを破る初めての作品となったそうです。確かに大仰な従来の韓国映画とは、確実に一線を画した映画のように思います。これを観て、ちょっと思い出したのは『ライフ・イズ・ビューティフル』。(ストーリーは全然違いますが・・・。)あの映画も戦争の悲惨さを笑いで包み、「人生って本当は美しく、すばらしいものに満ちあふれているよね」というメッセージを送る素晴らしい映画でしたが、中には「リアリティがない」とか「こんなことがある訳がない」なんていう、コメントもみかけます。『ライフ・イズ・ビューティフル』を面白くない、と思った人には『トンマッコル』もNGかも。それにしても戦争というのはなんて馬鹿馬鹿しいんでしょうね。どうして人間自ら、これほど辛いことを選ばねばならないのか、と思います。誰だって、銃を持って殺しあうより、畑を耕し、大いに楽しむほうがいいに決まっているのに・・・。とっても心に残るのはス・ミス氏のこのセリフ。「ごらん。みんな楽しんでいる。これが人生だよね」とっても幸せたっぷりなシーンです。理想郷「トンマッコル」。怒らず、妬まず、争わず、あるものに満足をし、喜びを感じる。誰もが働き、飢えることなく、女性も弱者も虐げられない社会。人類の歴史において、本当にそんな村が存在したのか、と考えると、多分答えはノー。例えばのどかに見える南の島でも戦争はあった。自然と調和し、平和を愛する「高貴なる野蛮人」は西欧社会の幻想だ。「トンマッコル」は理想論の中にしか存在しないユートピアかもしれない。でも、自分の心の中には小さなトンマッコルを持ち続けていたい。そんなふうに思います。クライマックスについては賛否両論あるようで、色々なことを考えさせられます。「暴力に反対しているのに、暴力を行使するのはおかしい」というのも、もっともな意見です。「憲法9条なんてナイーヴな寝言だ!」と思う人にとっては「だから武力を持たないとだめなんだ!」という感想を持つかもしれません。でも、あの幸せそうなトンマッコルの人々と、暗くすさんだ戦争の日々を思うと、例え攻撃されたら死ぬしかなくても、私はトンマッコルを選びたい。音楽はあの久石譲。監督たっての願いだったそう。多分、この監督は宮崎駿アニメのファンなのではないでしょうか。随所に「トトロ」や「もののけ姫」を思わせるシーンがあり、久石譲の音楽もあいまって、良くも悪くもジブリの実写作品(?)を観ているような気もします・・・。とにかく完成度はとても高い映画で、印象的なシーンがたくさんあります。夜の行進、ポップコーン、いのしし、草ソリ、祭り・・・。特に最後の最後のシーンはとっても切なくて、100点!途中までは面白いのに、ラストシーンで「これで終わりかよ!」と思う映画も多いので、私にとってラストシーンが秀逸なのは高ポイントです♪エンドロールに流れるス・ミス氏撮影の映像がまた泣けます。おすすめの1本です!(個人的にはチョン・ジェヨンに惚れました!かっこよかった!)◆日記カテゴリー:映画の話
April 1, 2007
最近「野菜」をメインに押し出したレストランを多く見かけますよね。テーマは野菜でも、そのコンセプトはお店によって様々。単純に健康志向に迎合したごく商業的なお店あり、エコ系のメッセージ色の強いお店あり。先日たまたま観た、NHK「発見!コロンブスの卵」という番組ではこんなケースを紹介していました。従来農家は効率を優先するために様々な機械を買うことを余儀なくされ、また収量のまとまらないもの、規格外のものは出荷できず無駄になるなど、収益のあがりにくい構造に陥りがち。福岡県岡垣町のレストラン「ぶどうの樹」では農家と直接契約を結び、サイズの選別はせず、収量のまとまらないものも引き取ります。日によって野菜の種類、量が異なるため、コースメニューは設定せず、ビュッフェスタイルをとることで対応。農家は必要以上に機械を購入せず、作った野菜を余さず出荷できることで収益が2割程度アップしたとのこと。「初めて自分名義の通帳を持てた」と喜ぶ女性の笑顔が印象的でした。■ぶどうの樹 http://www.budounoki.co.jp/index.htm http://bdnkao.exblog.jp/ (全国展開していて、東京エリアでは「野の葡萄」という店名で数店舗あります。)こんな話をきくと、嬉しくなると同時に、希望を持ちづらい農村の姿も思い浮かんでしまいますが・・・。国立(くにたち)の大学通りに今年1月オープンした「農家の台所 くにたちファーム」も、野菜メインのレストラン。この間、私の誕生日と子供のスイミングの進級祝いを兼ねて、初めて行ってみました。店内中央には、トロ箱に植えられた野菜の数々。その横は田舎家の土間のような洗い場に隣接したサラダバー。その場で収穫し、すぐに洗って切って食べる!という趣向です。オープンして間もないのですが、「王様のブランチ」などのメディアにも取り上げられたそうで、どうやら社長に一癖ありそう・・・。高橋がなりというこの社長さん、サイトに載っているプロフィールをみると「体力を買われ(?)テリー伊藤に拾われ「元気が出るTV」などのディレクターを務める。 AVメーカー「ソフト・オン・デマンド」の設立者で、社長時代には「マネーの虎」に出演。」などとあります。企業理念は「農業改革 ものづくりがかっこ良いと思える社会づくり」。この企業理念そのものには賛同しますが、さらに読んでいくと「商人とは」「商売とは」というのが全面に押し出されていて、個人的にはちょっと違和感かも。でもなかなか面白いコンセプトの店だし、色々な方法で農業に携われるというのは良いことだと思います。週末の夜に行ったのですが、ブランチ効果か、かなり混んでいました。お料理はなかなかおいしかったのですが、目玉のおかわり自由のサラダバーが生野菜オンリーで残念。生のおいしさもいいけれど、さっとゆでるだけでいいので、温野菜を食べたかった・・・。あと塩とドレッシングだけでなく、醤油と味噌も欲しかった・・・。大人は野菜オンリーの「野菜でおなかいっぱいコース」を頼んだのですが、夫は「おなかいっぱいになったけど、なにか物足りない・・・」と呟いていました。(野菜料理だけではなく、肉や魚を使ったお料理もあります。)お味噌汁がとってもおいしくて、おかわりできたのが◎。野菜が大好きな娘(7歳)は、かなり満足してましたが、息子(4歳)にとってはどうだったかな・・・。洋風お子様セットの野菜を練りこんだパンも、おいしくておかわり自由でした♪■くにたちファーム http://www.kf831.com/top.html■農家の台所 http://www.kf831.com/daidokoro/余談ですが、その時、後ろの席に民主党の衆議院議員、末松義規さんを発見!以前、週刊誌で末松さんとマクロビについて揶揄的な記事を読んだことがあったので、妙に納得・・・。街頭演説以外で国会議員に遭遇したことがなかったので、夫とちょっと盛り上がってしまいました。
March 29, 2007
柑橘類、特にその皮が大好きな私にとって、今はちょっと忙しい季節・・・。市販のマーマレードの皮の量に不満がいっぱいなので、マーマレード作りに励んでいます。自分で作ると、もはや「ジャム」というよりは「皮の甘露煮」状態(笑)こちら←はオレンジピール(というか甘夏ピール)。このままつまんだり、刻んでお菓子やシリアルに入れたり・・・。使うのは生活クラブ(私の利用している生協)で手に入れる、水俣産の甘夏。作っている生産者グループ「きばる」の方々の多くは、元漁師さんです。水俣病の原因にもなったメチル水銀を含む工業廃水によって漁場を汚染され、漁業を続けることができなくなった漁師の方々が新たな生活の糧として見出したのが甘夏の栽培なのだそうです。水俣病によって肉親、知人を亡くした方も多く、甘夏生産にあたっての「きばる」の決意は「自分達は加害者になりたくない」というもの。食べる人にも育てる人にも安心な甘夏作りをめざして、今では全ての甘夏の農薬散布量を、一般的な農法の1/2~1/3に減らすことができたそうです。農薬を使わないだけで簡単においしい甘夏がなる訳もなく、そこに至るまでにはもちろん多くの困難、失敗があったそうで、「生活クラブ」という支え、販路があってこその取り組みだったと思います。7月以降は一切農薬をまかず、防腐剤も使わず、木で完熟させた甘夏。見栄えは良いとは言えず、今年は長梅雨の影響で黒点病も発生してしまいましたが、食味には影響なしとのこと。生活クラブではその状況を詳しく伝えたうえで、「これも減農薬の証。利用を集めて応援しましょう」と利用を呼びかけています。病気を防ぐために農薬を散布したきれいな甘夏と、安心して皮まで食べられる黒い斑点のある甘夏。十分な説明があれば後者を選ぶ人も多いと思いますが、そのまま店頭に並べられていたらほとんどの人はきれいなほうを選ぶでしょう。普通の販売ルートにのらないような外観でも、供給側の十分な説明と消費者の理解をもって流通させられるのが『生協』というシステムの良いところだと思います。最近では普通のスーパーと変わりないような商業的な生協もあるなか、生活クラブは「生協とは生産者と消費者をつなぐもの」というポリシーが強く感じられる生協です。■生活クラブ http://www.seikatsu-club.jp/現代的な消費社会において消費者は至上の存在で、消費者のニーズをどこまでも満たすことが生産・販売側に求められます。けれども、「食べ物の生産と消費」において、そのような消費者至上主義は本当はそぐわないように私は思います。「食の安全」という言葉はあちらこちらできかれますが、「安全で、環境にやさしくて、きれいで、安くて、お手軽で・・・」なんていう商品は存在しない。「安全なものを」と言ってはみたものの、いざ手間をかけた商品が店頭に並んでみたら「高かったから、きれいにみえなかったから、やっぱり買わなかった」ということでは安心な食品なんて増えていかない。消費者はお金を出せばなんでも買える、と思うのではなく、自分では作らないものを代わって作ってくれている生産者を支える、という視点も必要なのだと思います。また、ものには当然需給バランスがありますが、食べ物を作る場合、消費者が欲しいものだけを欲しいだけ、という訳にはいきません。その年、その季節によってとれるもの、収量は変わるし、ある一つの部位だけをたくさん生産することもできません。生活クラブの宅配カタログで野菜を注文していても、天候などの事由により収量が予想より少なかった場合は、1点当たりの量が減ったり、欠品したりします。需要が落ち込み、供給が過剰な場合がは、具体的な状況説明とともに、利用拡大のPRが入ります。これ←は在庫過剰のPRに応じて購入したレモンで作ったマーマレード。レモンマーマレードは初めて作りましたが、かなりおいしくて嬉しい♪肉は飼育計画から提携した生産者から『一頭買い』をします。1頭の生き物に備わるべき器官は定まっていて、人気のある部位がたくさん生産できたりすることはありません。なので「豚 肩・バラ」を注文すると、どちらが届くかは当日届くまでわからなかったりするものもあります。「そんなのはいい加減だ」「それをなんとかするのが企業努力だ」と思う人もいるでしょう。(生協は企業ではありませんが・・・。)けれども、現代の消費者はそれくらいの我慢をしてもよいのでは・・・と思います。これは生活クラブの言葉です。「ロースだけの豚はいません。」こちらは実家の庭でとった金柑。かなりすっぱいので甘露煮に・・・。柑橘三昧です♪マーマレード、ピール、甘露煮のレシピは、ベターホームの『かんたん手づくり食品』を参照。かなり愛用している本です。おすすめ!■関連日記 『かんたん手づくり食品』*ベターホーム出版局 http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200603290000/
March 20, 2007
先日の松岡農水相の一連の騒動は、本当に見苦しく情けないものでしたね。「ナントカ還元水」から始まり、「水道水を飲む人少ない」発言まで墓穴を掘りまくり・・・。とはいえ、最初の嘘のほつれをとりつくろうために、嘘で嘘を塗り固める羽目に陥ってしまった経験は多くの人が持っているかと思います。ちょっと古いですが、スコット・B.スミスの小説『シンプル・プラン』は、小さな嘘が大きな嘘を、小さな犯罪が大きな犯罪を呼び、思いも寄らぬような事態にはまりこむ、その過程を見事に描いた作品です。(デビュー作でこのクオリティはすごい!)ごく平凡な主人公がどんどん深みにはまっていく様が、全く無理のない展開で描かれるため、「自分も同じ状況だったら、同じようにするかも・・・」というリアルな恐怖を感じます。サスペンス、ミステリーはわりと好きなジャンルでよく読みはするものの、マニアではないので、内容はすぐに忘れてしまうことが多いのですが、この作品は非常に印象深く、記憶に残る1冊になりました。アメリカの田舎町、降り積もる雪、些細な嘘がどんどん犯罪にエスカレートしていく様子は、コーエン兄弟の『ファーゴ』を彷彿とさせる作品ですが、なんの縁かコーエン兄弟の無名時代からの盟友ともいえるサム・ライミが映画化しています。(対抗心?)これがつまらない。原作で感じる「自分も同じことをしてしまうかも・・・」という恐怖があまり感じられず、小説のように主人公に共感できなかった・・・。脚本は原作者のスコット・B.スミスが担当しているので、彼には小説家としての才能はすばらしいものがあったものの、脚本家としては力不足だったのか、そもそもサム・ライミ向きの題材ではなかったのか・・・。(主人公の兄役のビリー・ボブ・ソーントンの演技は良かった!)原作には、そのまま映画になりそうな印象的なシーンが結構あって、うまく作れば面白い映画になりそうな話なんですけどね。残念。もしも映画だけをみて「つまらなかった!」と思った方がいたら、ぜひ原作を読んでみてください。それにしても、デビュー作でこれだけ面白い本を書いたスコット・B.スミス、その後の作品が日本で全く出ていないのはなんででしょう?スティーブン・キングの賛辞効果か、セールスも悪くなかったと思うのですが・・・。アマゾンの洋書で検索すると数冊ヒットするのですが、アメリカでもあんまり売れていないのかな・・・。もう1冊くらいは読んでみたい作家です。(英語で読めればいいんだけどね・・・・・・・沈)
March 16, 2007
新聞の新刊広告で見かけてちょっと気になっていた本『教室の悪魔』。会社の上司が持っていて、貸してもらって読んでみました。ソフトカバーで138ページの手軽な本ですが、中身が訴えているのは小中学生の子どもを持つ親なら誰もがため息が出るような重いものです。東京都児童相談センターの心理司を務める著者が、現代のいじめの現実とマスコミや大人の認識のギャップ、いじめの構造、対処策などを簡潔に、かつ切実に訴えています。「日常的に子どもと接し、相談を受ける身として、いじめの報道に触れるたびに思うことは、大人が知っている「いじめ」と子ども達のいじめの現実との、あまりにも大きなギャップである。これだけ報道されていても、いじめの本質はほとんど伝わっていない。いじめによって子どもが自殺するのは、その子どもが弱いからではなく、現代のいじめがそれほど残酷だからである。「いじめられる側にも原因があるのでは」という言葉も、現実を知れば出てこないだろう。いまのいじめは、子どもの生存をかけた適応、すなわち感覚の鈍化のうえに成り立った異常事態であり、「教室の悪魔」とでも呼ぶしかない力がクラス中に猛威を振るう「地獄」である。(本書 「はじめに」より引用)」以前の日記でも書きましたが、石原都知事はいじめによる自殺について「ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられる」と、あたかも被害者のほうに非があるかのような発言をしています。この本は、こんな価値観から抜け出せない教育委員や政治家にこそ読んで欲しい1冊だと思うのですが、きっと石原慎太郎のような俺様男は、読んでも理解も共感もしようとしないんだろうなあ・・・。こんな人が東京の教育行政のトップであり、東京都教育委員の任命権を持っているなんて、本当に気が重い。―関連日記―■石原慎太郎の一般的イメージ http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200611120000/かくいう親自身も、子供がいじめにあっているのがわかっても、できるだけ学校には行かせようとするかもしれない。「いじめから逃げていてもなにも解決しない」と思うかもしれない。子供自身が「学校に行きたい」といったら、「行きたがっているのだから、少しは楽しいことがあるのだろう。」と良い方向に考えてしまうかもしれない。でも、実際には「休んだらちくったと思われて、もっといじめがひどくなる」という恐怖から、どんなに辛くても休もうとしないケースが多いそうです。このことについて非常に印象的な箇所がありました。「マスコミの論調に、いじめに「負けないで」というメッセージを聞くことがある。けれど、いじめというのは立ち向かうに値するものでもなく、耐えるべきものでもない。被害者はとにかく逃げればよいのだ。立ち向かう意味などないし、耐える意味もない。「逃げてはいけない」などと考える必要はない。殺されそうになったら、人間は逃げるではないか。いじめは、いじめという言葉にくるまれた、犯罪なのである。(第4章「いじめ」を解決するための実践ルール より引用)」全体を読めばわかりますが、著者は決して「不登校」を推奨しているわけではありません。それでも、「いじめ」という心身の危険に直面したときには、とにかくまず避難すること、身の安全を守ることは、悪いことでも恥ずかしいことでも弱いことでもないんだ、ということを教えてくれています。子供は親が正義感が強く教育に熱心であることを知っているほど、親にいじめの存在を隠そうとすることが多いそうです。なぜなら、そんな親は必ず学校に行って先生に言ってしまうから。親子関係がうまくいっていると思っても、だから教えてくれる訳ではない。むしろ、だからこそ隠そうとする。親として大切なことは、子供の異変にとにかく気づくことなのかもしれません。「第4章「いじめ」を解決するための実践ルール」では、『話し合いは、「相談」ではなく、事実を伝える場』『いじめの解決と責任追及は別々に行う』といった実践的なアドバイスも紹介されています。以下「」内は本文より引用、()内は私の補足です。●話し合いは、「相談」ではなく、事実を伝える場「事実は被害者のみが知っている。学校には調査をしてもらう必要はなく、親は「いじめがあったという事実を伝えにきた」という立場をとる。」(いじめがあったかなかったか、調査をする必要はない。いじめの中でなにがおこったかは被害者にしかわからない。)●いじめの解決と責任追及は別々に行う「責任追及を始めてしまえば、解決に向けての話しあいはできなくなる。責任追及を始めれば、学校と親は敵対関係になってしまう。解決についての建設的な話しあいができないばかりか、下手をすれば、学校が謝罪をするだけで終わってしまうかもしれない。それだけでは、何も解決しない。」(だからいじめをなくすことと、責任追及は別々に進めていく。)「ただ、私自身はいじめの学校への責任追及を、あまり親御さんには勧めてはいない。それは、何をしてもらっても、許すことなどできないからだ。学校ができる責任のとり方として、最も重要なのが、いじめをなくす取り組みをすることだと私は思っている。」量的にはあっという間に読める本です。中学生以下の子供を持つ親、教育現場に携わる方にとって一読の価値があると思います。【目次】第1章 「いじめ」は解決できる ―雄二君(仮名)の相談事例から第2章 大人に見えない残酷な「いじめ」 1 メールで噂話をばらまく 「エンコーしてる」と噂を流されたSちゃん 2 本人ではなく、家族を中傷する 家族の偽写真をメールで流されたIちゃん 3 いじめの「ON」と「OFF」を使い分ける 「今日は、例のあの日」を繰り返されたK君 4 共犯関係を演出し金銭を要求する 「一緒に遊ぶ金だろ?」とお金を要求され続けたT君 5 女の子同士で徹底して恥をかかせる 下着を貼り出されたYちゃん 6 「汚い」「醜い」というイメージを植えつける 毎日給食を食べられなかったR君 7 発覚しない小さな暴力を繰り返す コンパスで背中を刺され続けたO君 8 完全否定の「なんで?」を繰り返す 「なんで生きてるの?」と言い続けられたTちゃん 9 奴隷にしてしまう 万引きから援助交際まで、命令され続けたIちゃん第3章 なぜクラス全員が加害者になるのか?第4章 「いじめ」を解決するための実践ルール ―親に出来ること、すべきこと、絶対にしてはならないこと第5章 「いじめ」に気づくチェックリスト
March 14, 2007
明日は3月10日。東京大空襲のあった日ですね。郊外ではありますが東京に生まれ育った私にとっては、開戦、終戦、原爆投下の日と並んで戦争を意識する日でもあります。この時期、強風が吹きあれるような夜には、子供と布団に入りつつ、今空襲が始まって子供と焼け出されたら・・・とつい想像してしまいます・・・。また東京の被害はもちろんですが、第二次世界大戦期の戦略爆撃のさきがけとなったのは日本軍による重慶爆撃であることにも思いをめぐらせて、日本の被害と加害について考えたり。私は某首相のような歴史修正主義者ではないので、日本がアジアの解放のために戦ったとか、自存自衛の戦争だったとはまったく思っていませんが、大きな流れの中で見るならば、欧米列強の一方的な論理に押しつぶされないように、がんばりすぎた結果の戦争だったという面もあると言えると思います。戦争において絶対の正義というものは存在せず、どこの国にも加害者の面と被害者の面があり、加害者であるから被害を訴える権利がない訳ではないし、被害者であるから加害行為が一切ない訳でもない。日本の加害行為については、どんな件でも必ず「犠牲者を水増ししている」というような主張がありますが、犠牲者の数が多少増減しようとも、例えば重慶を事実上無差別爆撃した罪というのはまったく軽くならないと思うので、なんだか不毛な論争だなあ・・・と思ってしまいます・・・。といいつつも重慶爆撃についてあまり知識がないので、これからこの本を読んでみようと思っていますが、ちょっと気合がいりそうです・・・。戦略爆撃の思想 ゲルニカ 重慶 広島内容(「BOOK」データベースより)コソボで、イラクで、今も多くの市民に犠牲を強いる「空からのテロル」はいかに生まれ、どのように体系化されてきたのか!?2006年までの最新資史料に基づく「決定版」。「9・11」やイラク戦争までを注記・補筆の対象にして、殺す相手を視認しない空からの殺戮の非人間性を告発。戦闘詳報、弾着図(日本側)や爆撃被害研究(中国側)など新旧資料多数。用語解説を加え、再読の読者にも、また、新たな読者にも読みやすく、理解しやすいよう工夫。 昨年も東京大空襲のことを日記に書き、イラク戦争の市民の犠牲のことに触れましたが、この1年を振り返ってみると、さらにイスラエルによるレバノンへの無差別的な攻撃があり、たくさんの市民が犠牲になってしまいました。―関連日記―■3月10日は何の日? http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200603090000/■レバノン攻撃に思うこと・・・ http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200607270000/■続・レバノン攻撃に思うこと http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200607310000/イラク戦争といい、レバノン攻撃といい、第二次世界大戦の終結から60年以上もたった今でも、子供や病人への区別のない事実上の無差別攻撃が国家によって行われているというのは許しがたい。爆撃とは異なりますが、不発の子爆弾が地雷化するクラスター爆弾は、戦闘終結後も市民に多きな被害を与え、通常の市民生活への復帰を妨げる「無差別攻撃」といえます。「人道的な兵器」なんてものがあるとは思いませんが、クラスター爆弾は特に「非人道的な兵器」として、使用を禁止するべきだという流れが世界的に強まっています。今年2月23日、オスロ・クラスター爆弾会議で、「クラスター爆弾の使用、生産、移動、貯蔵を禁止」といった条項を盛り込んだ条約を2008年までにつくることをうたった「オスロ宣言」が採択されました。このオスロ宣言には日本は不参加です。このニュース、私がみた範囲の民放ニュースでは全く取り上げられていませんでした。よくは覚えていませんが、多分新宿バラバラ殺人事件の妻が起訴されたのが22日だったので、そのニュースばっかりだったんでしょう・・・。この宣言をどう考えるか、日本はこれに参加すべきなのか、すべきではないのか、もっともっと語られてもいい話題だと思うのですが・・・。―関連日記―■ビッグサイエンス 科学のむかうべきところは・・・ http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200509070000/ところで私の勤務先は東京の下町。東京大空襲ですぐ近くまで焼失してしまったものの、会社のある辺りは被害を免れたらしい。下町というのは道路が庭代わり。びっくりするほど大きな鉢植えが置いてあったり、トマトやきゅうりまでなってたり。そんな路地裏で、はっとするほどきれいに咲いたミモザアカシアを発見して、思わずパチリ。緑の多い自宅の周りで見るのとはまた違う、美しさ、たくましさを感じました♪
March 9, 2007
前回に引き続き、国立(くにたち)の話です・・・。中央線は武蔵野の真ん中を走っているだけあって、その周りは緑が多く残っています。私にとって馴染み深いのは吉祥寺以西の中央線ですが、どの駅を降りても少し歩けば緑に到達します。吉祥寺、三鷹は井の頭公園&三鷹の森。武蔵境から武蔵小金井までは野川を軸とした野川公園&武蔵野公園、小金井公園。国分寺と西国分寺は日立中央研究所や殿ヶ谷戸公園、国分寺崖線沿いに武蔵国分寺跡までつづくお鷹の道・・・。他にもたくさんの緑地や湧水があります。ところが国立は特に大きな公園もなく、崖線沿いの湧水郡まで行こうと思うと南武線谷保駅の向こうになってしまいます。そんな国立の大切な緑地が国立一橋大学です。国立のシンボルともいえる駅からまっすぐのびた大学通りの両脇にある一橋大学。緑の多い敷地の中に歴史ある建物が散在した、まるで公園のようなキャンパスです。実際、日曜には中を散策している人が多く見受けられます。●伊東忠太の設計によるロマネスク様式の兼松講堂と東本館 ●旧門衛所 これらは国登録有形文化財に指定されています。そんな大好きな一ツ橋大学。子供と散歩するたびに「ここの学校に入れるといいのにねえ」と呟いてしまいます(笑)唯一残念なのは、この学校が私の大嫌いな石原慎太郎の母校だということ。今回の都知事選、今までの圧倒的な「石原強し!」という雰囲気がやっと変わって、少し光が見えてきたのが本当に嬉しい。今度こそ、あの傲慢男の鼻をへし折ってやりたい気持ちでいっぱいです。
March 7, 2007
明日はひな祭りですね。お雛様を出すのは面倒だけど、やっぱり楽しい♪ひな段を組み立ててあげると、子供達が考え考え、飾ってくれます。今夜から出かけてしまうため、昨日早めのひな祭りを祝いました。和菓子好きの娘のために、国立(くにたち)の一真庵で、桃や菜の花をかたどった生菓子や桜餅を購入。■一真庵 http://issinnan.com/ この一真庵、中央線のおいしい和菓子屋といえば必ず名前が挙がる(と思う)隠れた名店です。なぜ「隠れた」名店かというと、とにかく立地が悪い!「国立をぶらぶらしていたら偶然みつけた」というシチュエーションがあり得ないくらい駅から遠く、周りに他のお店もありません。この立地を考えると、一真庵のお客さんはみんな「ついで」ではなくて、一真庵のためにあそこまで行っている、ということ。すごいなあ。(近所に住んでいる方は別ですが・・・)かくいう私も地元の友人に教えてもらったのですが、初めて行った時は迷ったかと思うくらい遠かったです・・・。練りきりなどの、色とりどりの生菓子もおいしいのですが、私のイチ押しは「くにたち最中」。最中のサクサク感を損なわないよう、餡と皮が別々の袋に入っていて、自分で挟んで食べるようになっています。これが本当にサクサクで、香ばしくて、私の最中観を大きく変えた感動のおいしさでした。ちょっと大げさかな(笑)でもウマイ!餡は丹波大納言、桜餅の桜葉は無農薬、無添加で1年熟成、など、どのお菓子も厳選素材でシンプルに、手間をかけて作られています。アレルギーを持つ人が増えたからか、マクロビをはじめとする健康食ブームの流れか、卵や乳製品を使わないお菓子の本をよく見かけますが、私はやっぱり洋菓子なら卵やバターをたっぷり使ったものが好き。体質の問題で食べられない場合はともかく、いわゆる「健康志向」で卵・乳製品フリーの洋菓子を食べるならば、私はおいしい和菓子を食べたほうがいいなあ・・・と思います。一真庵のお菓子は決して安いものではなく、くにたち最中は1個220円。生菓子は子供の手のひらにのるくらいの大きさで1個315円です。でも本来、肉や魚や甘いものは「ご馳走」であったはず。安いもの(安いだけの理由があるもの)を毎日食べるよりも、本当においしいものを時々「ご馳走」として食べるようにしていきたいな・・・なんて思うこの頃です。*保育園で息子が作ったお雛様*
March 2, 2007
クチコミサイトなどで、多大な支持を得ている「白雪の詩」という有名なせっけんがあります。私も愛用しているせっけんなのですが、これを作っている「ねば塾」というのが、なかなかユニークな存在。「ねば塾」のサイトにはこのように書かれています。「 「社会で働きたい」と望む、心身にハンデイーを持つ人々がおります。彼等は「福祉施設」のような行政からの補助金での保護保証を望むのではなく、誰でもがしている当たり前の暮らし(自ら働き、その収入で暮らす)を求めております。そんな彼等と「障害者」「健常者」という概念を捨て、「共に働く場所」として「ねば塾」は設立されました。行政からの福祉的補助金を受けずに、障害のある者、無い者、それぞれが持てる力を出し合い、仕事をし、生活をしています。」■ねば塾公式サイト www.neba.co.jp/ 以前「シャボン玉せっけん」を使っていたのですが、非常に溶けやすくて、お風呂場に置いておくと、最後まで使い切る前にトロトロになってしまうのが悩みの種でした。そんな話をしている時に友人にすすめられたのが「白雪の詩」。無添加で洗いあがりもよく、しかもシャボン玉せっけんみたいにとろけない!これ一つで顔も体も子供も洗えて、本当に便利。そして安い!膨大についているレビューをみれば、その評価は一目瞭然のおすすめせっけんです♪ 日曜日は久々の冬らしい寒さに家でまったりと過ごしていましたが、TBS『噂の東京マガジン』で、昨年4月より施行された障害者自立支援法についての特集をやっていたので、ちょっと真剣に観てしまいました。この法律については施行前からも多くの問題点が指摘されてはいましたが、施行してみたら案の定・・・という感じで多くの見直しや負担軽減策を講じざるを得なくなった、というのが現状です。今回の『噂の東京マガジン』では、作業所で働く障害者の方を取り上げていました。「増大する福祉サービス等の費用を皆で負担し支え合う仕組みの強化 」という名目で、施設の利用者自身が利用料の1割を負担することになったために、彼女は働くほどに赤字になる状況に陥っています。障害者の多くが働く場、『授産施設』で働くために、工賃を上回る金額を施設利用料として払わざるを得ないなんて・・・。安倍首相は国会で「都内には月9万円の報酬を実現している作業所もある」とのたまっておりましたが、実際はそこの作業所の全員がそれだけの報酬を得ている訳ではなく、5段階にわけた中のトップクラスの人の場合だけで、もっとも下のランクの人の報酬金額は5000円でした・・・。従来の『応能負担』(収入に応じた負担)から、一律1割という『応益負担』にシフトしたために、9万円の人も5000円の人も同じ金額の施設利用料を払わなければならず、収入の低い人は働くほどにお金がかかるという訳です。現在の多くの作業所の工賃は1ヶ月で1万円前後というのが現実であり、安倍首相のいうような高賃金を実現できるのがもちろん理想だとは思います。けれども、その実現に普通の企業に対するような競争原理や企業努力だけを期待するのはおかしなことであり、福祉の目的を大きく逸脱しているのではないでしょうか。作業所の改善、一般企業への障害者の就労を公的に支援、実現した上での自己負担増であるならば話はわかりますが、そういった部分が実現していないまま、1割負担だけが先行するのではたまりません。ホワイトカラー・エグセンプション導入さわぎの時にも、同じようなことを感じました。現実の長時間労働やサービス残業が当たり前という労働環境を改善しないまま、この法律を導入したところで、更なる長時間労働に拍車がかかるのは当たり前だと思うのですが・・・。(「過労死は自己管理の問題」と言い放った方もいましたがね・・・。)ねば塾は「障害者が作っているから」という同情論ではなく、その品質によって障害者の就労、社会的な自立が実現している成功例です。またクロネコヤマトが運営する「スワンベーカリー」などもその一つです。2006年9月の読売新聞では工賃アップを実現できた授産施設についての記事を掲載しています。■YOMIURI ONLINE 変わる授産施設(2006年9月20日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060920ik02.htmけれども、それはほんの一部の例だということも事実・・・。読売新聞の記事の中で、朝日雅也氏(埼玉県立大助教授・職業リハビリテーション)は「企業への就職が難しい障害者が、施設で働きながら一定の所得を得られるような仕組みを社会全体で作っていく必要がある。施設の努力だけでは工賃アップに限界がある。 企業や行政がどうかかわるか、一体となって考えていくべきだ」と話しています。障害の程度、種類にもいろいろあります。私は以前の部署で、ある作業を重度障害者の居住施設の中にある授産施設に依頼していたことがあります。その工賃自体は通常の工場に出すのと同じものでしたが、通常ですと大人2名くらいでやっている作業に、授産施設では非常に多くの人数と時間を割いているのが現実です。その施設を見学させていただきましたが、入所者と寝食を供にし、根気つよく作業を指導する職員の方には頭が下がる思いでした。こういった仕事には企業努力や効率化、競争原理の及ばない部分があるのは当然のことのように思います。 障害を持って生まれても、安心し、誇りを持って暮らせる「美しい国」になって欲しいと願います。
February 27, 2007
今回も漂流ネタです・・・。日本人でもっとも有名な漂流者はジョン万次郎だと思うのですが、名前は有名でも意外とよく知られていない人物でもあります。先日も電車の中で、居酒屋ジョン万次郎の広告を眺めつつ、「ジョン万次郎ってなにした人だっけ~」「あれじゃん?なんか幕末の日本語がしゃべれる外国人で・・・」という女性ふたり・・・。(いや、それアーネスト・サトウ??)と内心つっこみを入れてしまいました(笑)彼の経歴をざっくりまとめると・・・「14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助され、やがて船長にその才能を認められた万次郎は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアーヘブンで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。やがて日本に帰国し、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。(高知県土佐清水市公式サイトより引用)」高知県土佐清水市公式サイト>ジョン万次郎http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/john/万次郎について書かれた本は色々とあるようですが、私が読んで非常に面白かったのが津本陽の『椿と花水木 万次郎の生涯』です。歴史小説といえばそうなのですが、歴史小説らしくない作品でもあります。土佐の貧しい漁民だった万次郎にとって、開明的なアメリカ文化は非常に鮮烈なものでした。生活水準という面ではもちろんですが、「役人に会っても土下座しなくていいのか」といった彼ら漁民の驚きに、いかに江戸時代の農村が閉塞されたものであったかが感じられます。江戸時代というと明るい町民文化ばかりをイメージしがちですが、農村の生活は非常に貧しく抑圧されたものだったことでしょう。遭難したのは5人の漁民でしたが、もっとも若い万次郎のみが救助した船「ジョン・ハウランド号」の船長ホイットフィールドとともにアメリカ本土に渡ります。土佐清水市のサイトにも「ホイットフィールド船長は、誠実でたくましく働き者のジョン・マンを我が子のように愛し」とありますが、文盲同然だった万次郎は、非常な努力のもと、英語はもとより測量、航海術、造船技術などの高等教育を受けます。この本が非常に楽しくさわやかな読み口になっているのは、この万次郎の誠実でほがらかな性格にあると思います。歴史小説にありがちな重苦しさが全くなく、むしろ一人の人間の成長物語として読むことができます。一生懸命がんばった者が認められていく、という爽快感も味わえます。また、実際の言葉が英語になってからも、万次郎のしゃべり言葉が土佐言葉で書かれているのが、ほんわかとして楽しい。読んでいると土佐弁がしゃべれるような気になります(笑)彼の耳で覚えた英語の表し方がまた面白い。英語はエンケレセ、ニューベッドフォードはヌーベッホー、フェアヘヴンはハヤヘヴン、地はグラオン、夜はナイ、風はウィン。確かに、このほうが実際の発音に近いように思いますね。最初の紹介文に「出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助」とありますが、実際には漂流中に救助されたわけではなく、鳥島に漂着し5ヶ月ほど無人島生活を送っているところを、助けられました。この鳥島は絶海の孤島で、ここに漂着した者の数は少なくはないようです。以前の日記でも紹介した吉村昭の『漂流』は、ここで実に13年を過ごした、やはり土佐の船乗り長吉を描いたもので、こちらも非常に面白い作品なのでおすすめです。ただ面白さの質が違い、吉村氏の作品全てに言えることですが、非常に硬質で生真面目な物語になっています。吉村氏は漂流に魅せられた作家で、多くの漂流に関する作品を残しています。 直木賞の選考委員を長く務めていた作者の津本陽は、以前に紹介した『文学賞メッタ斬り!』(続編『文学賞メッタ斬り!リターンズ』も出ました)では、ツモ爺という愛称のもと「候補作品を読んでいない」など、愛をこめつつも散々ないわれようでした(汗)昨年の盗作問題のこともあってか、ついに選考委員を退任となりました。私は津本作品は数作しか読んでいないのですが、その中では断トツでこの『椿と花水木』が面白かったです。(残念ながら、単行本と文庫は現在絶版で、高価な「津本陽全集」に収められています。興味のある方は図書館でどうぞ。)『椿と花水木』というタイトルは、日本とアメリカの象徴としてつけられています。椿の花は私も大好きです。最近はピンクの八重のものをよくみかけますが、私はやっぱり紅い一重の椿が一番好き。また椿モチーフの和小物もたまらなくかわいい♪なぜか大正をイメージしてしまいます。なんでかな??*椿いろいろ*
February 22, 2007
今回もリンドグレーンの話を書こうと思っていたのですが、漂流していたマグロ漁船の乗員3名が3日ぶりに救出されたニュースをきいて、ちょっと寄り道・・・。ライフラフト(救命イカダ)で漂流し、乾パンを分け合って食べたという話で、私以上の世代では「たか号」事件を思い出した人も多かったのではないでしょうか。1992年、ヨットレース中に遭難した「たか号」。乗員7名のうち、ただ一人が実に27日間の漂流の後に生還したという、まれに見る長期漂流でした。生還した佐野三治氏はこの事件を『たった一人の生還 「たか号」漂流 二十七日間の闘い』(現在絶版)に著しています。小さなライフラフトの中で飢えと乾きに苦しみ、一人ずつ仲間の命が消えていく極限状況に、思わず心拍数の上がるような1冊です。私はフィクション、ノンフィクションを問わず、漂流ものに興味があってよく読むのですが、実際の漂流の話でもっとも衝撃的で心に残ったのが、スティーヴン・キャラハンの『大西洋漂流76日間』です。「たか号」よりさらに10年前、1982年に鯨の衝突と思われる事故によって大西洋東部でヨットが沈没し、単独航海中だった著者がライフラフトで漂流、大西洋を横断しカリブ沖で救出されるまでのノンフィクションです。とりあえずタイトルにもある通り、その日数がすごい!通常の漂流ものでは、自分でコントロールできない漂流への恐怖、救助への希望、渇望、そして救助がこないことへの絶望が描かれています。けれども、この『大西洋漂流76日間』は、そういった漂流記とは全く雰囲気が異なります。著者のスティーヴン・キャラハンは熟達したヨットマンであり、遭難後はその卓抜な知識と経験により、鉛筆で作った六分儀で現在位置を測定し、ものを投げて漂流速度を測定し、漂流航路や救助の可能性のあるエリアを想定していました。長期に渡って、島影一つ見えない絶海をライフラフトで漂う困難は想像を絶するものがあります。彼の精神力には敬服するばかりですが、「途中で救助されない最悪のケースでも、最終的には大西洋を横断し陸地に到達することができる」という自信(そしてその測定値は非常に正確なものでした)があったからこそ、心を支えることができたのでしょう。もちろん彼も恐怖や絶望を感じなかったわけではありませんが、前書きにこのような文章を残しています。「苦痛と絶望についても、すべては書かなかった。理性的に話を進め、ときには冗談もまじえよう。(中略)漂流中の体験は、うんざりするほど悲惨なものだ。しかし、読者の方々には、漂流での経験の多くの部分は、単調で恐怖に満ちたものであると同時に、自ら考え、教えられるところの多いものであったということを心にとめておいていただきたい」この著者の姿勢のためか、困難な状況は伝わってくるものの、陰惨な感じは全くなく、非常に面白い本として読むことができます。また、彼には事故に対する十分な備えがありました。4名用のライフラフトに二人で乗って非常に辛かった経験を持ち、彼のヨットには6名用のラフトが備え付けてありました。またラフト備え付けの装備袋の他に、自前の緊急バッグを用意していました。これがなかったら、例え彼でも76日もの間漂流を続けることはできなかったでしょう。「たか号」の場合は不備もたくさんありました。まず船自体の欠陥として、水密が保たれていない箇所があり、しかもヨットの命ともいえる復元力(転覆しても起き上がる構造)が転覆の際になかなか働かなかったのです。また出航前の救難信号発信装置の点検も怠っていたため、遭難時に使用することができませんでした。亡くなった方を責めるわけではありませんが、そういった意味ではたか号のクルーとスティーヴン・キャラハンの間には、非常に大きな意識の差があったことは否めません。たか号の佐野さんが救出されたのはまさに「奇蹟」のようなできごとでしたが、キャラハンが生還したのは「奇蹟」ではなく「必然」だったように感じます。なかなか、彼の境地に達することはできませんが、海や山、川といった自然の中へ出て行くスポーツや仕事をする全ての人にとって、一読する価値のある本だと思います。
February 14, 2007
前回に続いてリンドグレーンの話です。リンドグレーンの作品で日本で一番人気があるのは、やっぱり『長くつ下のピッピ』なのかな。私も子供の頃、ピッピのお話が大好きで、ずいぶん読み返しました。人気のある作品というのは国によってかなり差があるようで、ロシアや東欧諸国では『やねの上のカールソン』がダントツ人気だそうです。日本ではあまり有名な作品ではないので、ちょっと意外な気がします。大好きなピッピのお話でしたが、正直にいうと私はこの挿絵が嫌いでした・・・。妙な具合にリアルで、ピッピが全然かわいくない。本来のピッピに挿絵を描いていたのはイングリッド・ヴァン・ニイマンという女性です。スウェーデンでピッピのお話と彼女のイラストは分かち難く結びついているそう。リンドグレーンも彼女の絵を非常に気に入っていて、他国で出版される際もニイマンの挿絵を望んでいたということなのですが、どんな成り行きで日本でそれが実現しなかったんでしょうね。児童文学を翻訳する場合、挿絵があるのなら挿絵もそのまま使うのが当然だと思うのですが、必ずしもそうではないのが残念です。『大どろぼうホッツェンプロッツ』や『エルマーのぼうけん』など、絵とお話がしっかりと結びついてその本の魅力を作っている例はたくさんありますよね。日本では知られていないニイマンのピッピでしたが、2004年に初めて日本でニイマンが描いたピッピが出版されました。残念ながら、私の読み親しんだお話の『長くつ下のピッピ』ではなくて、絵本『こんにちは、長くつ下のピッピ』です。 スウェーデンで出版されたのが1947年なので、実に57年たっての初お目見えです。これが超キュート!とっても元気な色使いで、ピッピもごたごた荘もかわいくて。ピッピのような奇想天外なお話は、リアルな挿絵より、こんな元気なイラストが合っていると思います。時々図書館で借りていたのですが、最近息子が妙に気に入って、買ってくれとせがまれ、自分も欲しかったので購入してしましました♪最後のページには着せ替えがついています!もったいなくて切れないので、カラーコピーして使っています(笑) 今度は絵本ではないほうの『長くつ下のピッピ』もニイマンの挿絵で読んでみたいなあ・・・。ね、岩波書店さん!日本でピッピの名前は「ピッピ・ナガクツシタ」。スウェーデン語では「ピッピ・ロンガストルンプ」です。世界中で読まれているピッピにはこんなにたくさんの名前がついてます♪ デンマーク・・・ピッピ・ラングストランパ イギリス・・・ピッピ・ロングストッキング フランス・・・フィフィ・ブレンダシー ポルトガル・・・ピーパ・メディアスラールガス ブラジル・・・ビビ・メイアーロンガ ウェールズ・・・ピッピ・ホサンヒール ポーランド・・・フィッジャ・ポウトウサンカ (「遊んで、遊んで、遊びました」より引用)面白い!
February 10, 2007
前回の日記に「小学生のうちだけでも、思いっきり遊んで欲しい」と書きましたが、実際のところ、小学1年生だけでは昼間の公園で遊ばせるのさえためらわれるのが現実・・・。遊ぶ時間も環境も制限されている現代の子供に、大人の一人として申し訳ない気持ちです。田舎だったら安心という訳でもないし・・・。(子供の連れ去り事件は通学距離の長い田舎で起こることが多いように感じます。)子供時代にたっぷり楽しく遊んだことは、その後の人生を生きるための大切な財産のはず。この本のタイトルに心を奪われます・・・。『遊んで、遊んで、遊びました』スウェーデンの国民的作家、アストリッド・リンドグレーンのインタビュー集です。「『長くつ下のピッピ』『やかまし村の子どもたち』など世界中の人びとから愛される作品はいったい、どのようにして生まれたのか?晩年のリンドグレーン(84歳)を訪ね、その創作の秘密に迫った、心あたたまるインタビュー集。 (「BOOK」データベースより)」本文中にこんな言葉があります。「アストリッドはなぜ、世界一人気のある作家になったのでしょう『それは、私がとても幸福な子供時代を過ごしたからじゃないかしら。愛情いっぱいの子供時代を』」彼女の作品の中で、もっとも彼女の子供時代に近いのは『やかまし村』だそうです。豊かな自然の中で、子供達は遊んで、遊んで、遊びました。彼女の父がとても素晴らしい人でした。「アストリッドのお父さんは心があたたかく、みんなに好かれ、いつも幸せな気持ちでいられる人だったのです。何事にも喜びを感じることができたのです。畑や牧草地へでかけていってあたりを見渡すと、もうそれだけでうれしさがこみあげてきたと言います。「わしは幸せいっぱいになるんだ」とお父さんはアストリッドに話してくれたことがありました。そのような心のあたたかい、つねに幸福感に包まれている人に育てられた子供は、知らず知らずのうちに”人生は喜びにあふれたものだ”という考えをもつようになります。」同じ子供を持つ親として、身につまされる言葉です・・・。親が幸福を感じていないで、どうして子供が幸せになれるのか。子供に幸せな人生を送ってもらいたい、と願うならばまず親自身が幸せを感じていなければ・・・。リンドグレーンについて書かれた本には『ピッピの生みの親 アストリッド・リンドグレーン』があって、こちらのほうが彼女について詳しく知りたい人には向いています。彼女の作家としての活動だけでなく、政治や動物愛護などに積極的に発言した一面も紹介、またスウェーデンでどれほど彼女の本が愛され、生活に浸透しているのかがわかります。それにくらべると『遊んで、遊んで、遊びました』はページ数も少ないのですが、なんといってもこのタイトルとこの表紙に強く惹かれてしまいます!これを見てしまうと、年をとった彼女の顔をアップで載せただけの『ピッピの生みの親 アストリッド・リンドグレーン』は、とってもつまらない本にみえてしまいます・・・。(中身はとっても面白かったんですけどね。)本の顔(装丁)って大切ですね。中にも彼女の家などのカラー写真が数点載っています。彼女の作品は大好きなので、作品についてはまた改めて・・・。リンドグレーンの子供時代とはいきませんが、我が家の周りには雑木林が残っています。市民グループが中心となって保全しているものも多くあります。日曜は雑木林探検へ♪小川のほとりにはもうオオイヌノフグリがたくさん咲いていました。
February 7, 2007
不安になるくらいに暖かい日が続きましたね。近所の梅林は満開になってしまいました。早咲きの年は梅が不作になるそうなので、梅農家にとっては気がかりなお天気でしょう・・・。梅とろう梅の芳香が競い合っているようです。失点続きの安倍内閣ですが、とにかくせっせと進められているのが「教育再生」。この「教育再生」を考える「教育再生会議」。話し合いの内容は結果のみしか公開されず、どのような議論がなされているのかはわかりませんが、私にとっては少々不安がつきまとう会議です。どんな基準で彼らが選ばれたのかわかりませんが、特にヤンキー先生こと義家氏の発言には「うーん」ということもしばしば・・・。彼は確かに荒れた学校で改善の実績を残した先生なのかもしれません。(著作等読んだことがないのでよくわかりませんが。)けれども、その「荒れた学校」を基準にした考え方を教育全体に当てはめられても・・・という思いがあります。1月24日に提出された第一次報告について、なかなか共感できるコラムがありました。見出しはずばり「教育再生会議を批判する」。要旨は以下の通りです。「年末の第一次報告案に対する「インパクトを欠く」とのメンバーの不満をふまえて、今回提出された第一次報。教育についての科学的検証に従事しているものをひとりも含まないメンバーからなる教育再生会議がインパクト重視でまとめた報告書。その提言が子ども達の生活を大きく左右しかねないことに対して、計り知れない危機感を感じる。危うい論点は多々あるが、ここでは「ゆとり教育」への決別と「学力向上」を意図した授業時間数の増加に焦点を当てる。授業時間数を増大させることによって「学力向上」は達せられるのか。特に初等教育に関しては、授業時間数と学力の間に関連は認められない。実際、国際的に成績が上位のフィンランド等の国々はいずれも授業時間数の短い国である。そもそも日本の学力低下といわれる実態は、全体的な低下ではなく下方に「底が抜ける」形での低下が危惧されている。成績上位層では低下が見られず、下位層の比率と点数低下傾向が増大している。それに加えて、様々な調査結果において、日本の児童は勉強が「好き」「楽しい」と答える者、将来の仕事と結びつけて勉強していると答える者の比率が際立って低い。日本の教育の最大の問題は、子どもが教育内容に生活や将来との関連性や意義を見出し得ていないことなのだ。今必要になっているのは、子どもが学ぶことの意義を中身に即して実感できるような教育内容の質的な改善、そして下方への「底抜け」が生じることを防ぐための制度的なしくみである。今の日本の教育は、授業時間の増加といった量的な「改革」でもって何かが良くなるような状況にない。問題は量ではなく質なのだ。今回の報告のように手前勝手に「愛」や「規律」「奉仕活動」を押しつけても、子ども達はいっそう内面の離反を深めるだけである。」(本田由紀 東京大学助教授(教育社会学) 2007年1月29日 朝日新聞朝刊に掲載)今回の報告書は首相官邸サイトからみることができますが、例えばこんなことが書いてあります。「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する」 -塾に頼らなくても学力がつく、教育格差を絶対に生じさせないその後ろに色々続きはあるのですが、中学受験のために毎日夜遅くまで塾に通う親子がこれを読んだら笑うことでしょう。大学受験をひとつのゴールとした日本の受験システム、とにかく入れば勉強しなくても卒業できる大学、良い学校へ入ること以外に勉強への動機付けのない教育と社会。その抜本的な構造改革を抜きにして、本当の意味での教育再生はあり得ないのではないでしょうか。■首相官邸公式サイト 教育再生会議 第一次報告書 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kettei/070124houkoku.htmlそれにしても中学受験のために、塾漬けの子ども達。テレビなどで見ると、それはそれで目標に向かってがんばっているように見えますが、それでもやはり小学生のうちだけでも、思いっきり遊んで欲しいと願ってしまいます。日本の教育格差についてはこんな本が出ています。読めば読むほどブルーになりますが・・・。余談ですが、フィンランドの教育について・・・。学習達成度で1位になって世界中から注目を集めたフィンランド。(経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)で全4分野のうち読解力と科学的応用力が1位、数学的応用力が2位、問題解決能力が3位)授業時間は日本より更に少なく、塾も予備校もないそうです。児童につく教員の数が非常に多く、さらに教員自身が長時間労働にさらされることもありません。さらにフィンランドでは保育園から大学まで、全ての教育が無料です。もちろん税負担は高いのでしょうが、それでこそ(教育再生会議の報告書の言葉を借りると)「社会総がかり」で子どもを育てる、といえるのではないでしょうか。高い税負担や教育費への政府の大きな支出に対して、経済面への不安がありそうですが、世界経済フォーラム(WEF)の「世界競争力報告」では国際競争力は三年連続でフィンランドが世界一となっています。安倍首相は、バウチャー制など、イギリスの教育改革をお手本にしたいそうですが、それこそ上流家庭に生まれ育った安倍首相らしいと思えます。イギリスの教育改革は、一部の優秀な公立学校を生む一方でそこから落ちこぼれた生徒、学校が問題にもなっているそうで、決して成功したものとは感じられません。むしろ教育格差を拡大するという懸念がぬぐえません。日本の教育が見習うべきは、階級意識の根強いイギリスの教育改革でもなく、日本どころではない教育格差のあるアメリカでもなく、フィンランドではないかと感じていますがどうでしょうか・・・。
February 2, 2007
私が楽天blogを始めた頃、日記のカテゴリーは10しか作れませんでした。いつの間にか、気づくと100になっている!という訳で、少しずつカテゴリーを整理し直してるので、フリーページにつくったリンクボタンなどがおかしいところもあります。(なかなかいじくるヒマがない・・・。)「中央線のお店」というカテゴリーも新設しようと思うので、井の頭公園とカフェについて書いた以前の日記から、カフェの部分だけを転載しました。(もとの日記(2006.9.4のもの)はこちらです。)************************井の頭公園の周りは、さすが吉祥寺なので飲食店には事欠きませんが、園内は売店に併設されたそば屋などがほとんどです。そんな中で圧倒的な人気を誇るのが『PEPA CAFE FOREST』。ボート乗り場のすぐ近くの木立の中にあるおしゃれなアジアンカフェです。全体の造りもかわいいし、テーブルに置かれたナプキンスタンドや調味料など細かいところまで凝っています。お料理はタイ料理がメインでプラスベトナム料理少々という感じです。なんとタイ王国商務省認定レストランということで、お味のほうもばっちり♪子連れだと、なかなかおしゃれなお店には入りづらいのですが、公園内のオープンカフェなので、ざわざわっとした雰囲気があって、子連れでも気兼ねせずに入れます。子供でも食べられる辛味のないお料理もあり、お願いしなくても子供用の小皿とフォークを出してくれました。価格帯は麺類などの単品が700~800円、ドリンクのついたランチセットが1050円、ドリンク類が500円~といった感じです。アジアのビールがたくさん揃っていて、ついつい昼ビールを楽しんでしまいます・・・。もちろんお茶もOKです。杏仁豆腐が濃厚でおすすめ。店員さんの感じがいいのもポイント高いです♪お天気のいい日に吉祥寺に行くことがありましたら、ぜひ足をのばしてみてください(*^^*)
February 1, 2007
がーん、昨日書いたと思った日記が反映されていなかったよ~~。急いでいたので、ちゃんと確認しなかった・・・。ショック(;;)昨日の日記は、今日のテレビのおすすめだったのに・・・。ぎりぎりではありますが、気を取り直してもう一度書いてみよう・・・。以前の日記で「好きな番組」として取り上げた教育テレビの「地球ドラマチック」。世界各国のドキュメンタリーを放送する番組です。今日の放映はフィンランドで製作された『ムーミンの世界』です。■地球ドラマチック公式サイト http://www.nhk.or.jp/dramatic/ 2007年1月31日放映 『ムーミンの世界』 制作:YLE (フィンランド) 「今なお世界中で愛されている「ムーミン」。その誕生と成長の足跡をたどります。フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンによって生み出されたムーミンは、どのように世界中の人々を魅了するようになったのでしょうか。番組では、ヤンソンの親族と一緒に「ムーミン自身(アニメキャラクター)」が自分の生い立ちをたどる旅に出ます。(地球ドラマチック公式サイトより)」「世界で最もムーミンを愛する国のひとつ」として、日本も取り上げられるらしいです。(日本でのムーミン人気は8割方はアニメとキャラクターの人気のようにも思いますが・・・)アニメのムーミン、小さい頃に見ていたのですが、内容はすっかり忘れてしまいました。どんなお話だったのかなあ。原作のムーミンはけっしてほのぼのしてばかりのお話ではありません。登場人物はみんなとっても個性的。自分勝手だったり、怒りっぽかったり、いばってたり・・・。妙に不気味なエピソードもあったり。ファンタジックでのどかなところと、ちょっと不気味な味付けのバランスがいいんですよね。原作者のトーベ・ヤンソンさんは、もともと画家だったそうで、やっぱりムーミンのお話は彼女の挿絵があってこそ!ですよね。彼女自身の絵による絵本も素敵です。この3作、どれもみんな画風が異なります。「それから どうなるの?」は、なんとなくドクター・スースの絵本を思わせる表紙に、各ページで色を3色くらいに絞った多色刷り。表紙にはまるい穴があいています。それぞれのページにも切り取り線がついていて、次のページとつながるようになっています。「さびしがりやのクニット」が私は一番好きです♪さびしがりやで怖がりやのちいさなクニットが、なぐさめ守ってあげたい人の存在で勇気がわいてくるお話が素敵。そしてなにより絵がいい!版画タッチで(版画なのかな)、どのページもそのまま額に入れて飾れそう。なんといっても裏表紙が一番好きです。「ムーミン谷へのふしぎな旅」は一番後に描かれた絵本で、水彩画です。非常に美しいのですが、ちょっと恐ろしげなシーンも満載・・・。ラストシーンは文句なしの美しさ。最近ではクウネルでムーミンの特集をしたりしていますが、映像でムーミンに関するものがみられる機会は珍しい(と思う)ので、今日の「地球ドラマチック」楽しみです♪■ムーミン公式サイト ムーミン谷へようこそhttp://www.moomin.co.jp/
January 31, 2007
民放のニュースでのバラバラ殺人の報道が一段落した、と思ったら、今度は連日連夜そのまんま東改め東国原知事の話題ばかり・・・。殺された夫の年収とか、芸能人が知事になったことが、そこまで大騒ぎすることなのか・・・。ワイドショーならばともかく、朝夕のニュース番組までもが、一つのセンセーショナルな話題にひきずられてばかりって・・・。あるあるのケースでも痛感しましたが、テレビの影響力ってすごいのだから、マスメディアはもっと責任を持ってその力を使って欲しいものです・・・。(現場にしてみれば、視聴率がとれてなんぼの世界なのでしょうが・・・。)「国境なき医師団」では毎年年間を通じて世界で最も注目を浴びず、報道されることの少なかった人道的危機のワースト10のリストを発表しています。「このリストの目的はメディアの関心の外側で、出口の見えない危機にとらわれ続ける 人びとの窮状を訴えることにあります。(国境なき医師団公式サイトより)」今年のワースト10は2週間ほど前に発表になりました。【2006年、10の最も報じられなかった人道的危機】・中央アフリカ共和国:武力衝突からの逃走・結核:人的犠牲の増加・チェチェン共和国:悲惨な紛争の影響・スリランカ:援助が限定される中、攻撃にさらされる一般市民・栄養失調:治療のための有効な戦略は実施されず・コンゴ民主共和国:極度の貧困と暴力に耐え忍ぶ人びと・ソマリア:戦争と災害に見舞われ、苦境に陥る人びと・コロンビア:恐怖の中に生きる・ハイチ:一触即発の状況にある首都における暴力の蔓延・インド:中部における衝突公式サイトで、その内容についても掲載されているので、興味を持った方はのぞいてみてください。■国境なき医師団公式サイト http://www.msf.or.jp/■2006年、10の最も報じられなかった人道的危機 http://www.msf.or.jp/2007/01/11/5710/200610.php
January 25, 2007
「硫黄島からの手紙」がゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞しましたね。「硫黄島からの手紙」の栗林中将は長野の方なんですよね。私の父が長野出身なのですが、同じ小学校に通っていたということを叔母からきいて、ちょっとびっくり。(父は戦後生まれなので年齢が全然違いますが・・・。)叔父に栗林姓の人がいるのですが、遠い親戚なんだそうです。母方の祖父は結婚前に従軍していました。便所掃除の時に電気を消し忘れたということで上官に激しく罵倒され、板前上がりで非常に短気だった祖父は、自分の履いていた便所の下駄でその上官の頭をひっぱたいてしまったそうです。まるで笑い話のようですが、当時としては当然大問題。その上の地位にいる人(詳細は不明)のとりなしで、重い罪に問われることは避けられたものの、違う部隊に配転されました。その元いた部隊は、後に硫黄島で玉砕したそうです。祖父の短気がなかったら、母も私もいなかったのかも・・・。この話を家族が知ったのは、祖父が亡くなる数年前。少しぼけてきた頃に、初めて聞いたそう。祖父の中には「自分は硫黄島の生き残りだ」という気持ちがずっとあったようです。私自身は祖父から戦争の話をきいたことは一度もありません。一緒に住んでいたわけではないので、夏休みに遊びにくる小学生の孫に戦争の話をすることはなくて当然だったのかもしれませんが、今となっては少々悔やまれます。父と母両方に、少しずつですが硫黄島へのつながりがあったことに、ちょっと感じるものがありました。先日、映画をあまり観に行かない父にしてはめずらしく、母と二人で「硫黄島からの手紙」を観てきたそうです。それにしても、ローマ帝国でもマリー・アントワネットでも、みんな平気で英語で撮影してしまうアメリカで、アメリカの戦争を敵の側から敵の言葉で描いたアメリカ人のイーストウッドはすごい人だなあ、と思います。公開前のイーストウッド監督のインタビューから、心に残った言葉を・・・。「戦争では誰も英雄になれない」「戦争というものは両方の側からみないと理解できない」水仙に似た芳香のろう梅。これが咲くと、「次は梅が咲いて春が来るぞ」という気持ちになります・・・。
January 17, 2007
「石垣島ラー油」は我が家のお気に入りラー油。その出会いは偶然でした。(おおげさか ^^;)三浦屋をぶらぶらしている時、「入荷すると即完売のラー油が入荷しました!」というようなPOPを発見。手作り風のラベルがかわいいそのラー油を手にとって、裏をみてみました。原材料はこんな感じ。「島唐辛子、唐辛子、春ウコン、秋ウコン、ピパーチ、 石垣の塩、黒糖、黒豆、白ゴマ、ニンニク、山椒、植物油」ウコン?ピパーチ??黒糖???黒豆????製造&販売は「自然食材倶楽部(ペンギン食堂)」とあります。なんか、ちょっと心惹かれる・・・。1本840円と、ラー油としてはなかなかのお値段ではありましたが、お試し気分で買ってみました。これがおいしかった♪辛味より旨味、という感じのラー油で、具がたくさん入っていて、「辛いゴマ油」ではなくて、「旨いタレ」という感じなのです。はまります。(餃子につけると最高!)先日本屋をうろついていたら、『ペンギンごはんとおいしい石ラー仲間』という本も見つけました♪ペンギン食堂のご主人、辺銀暁峰さんは中国、西安の出身とのこと。なるほど~、となんだか納得。日本人の奥様と石垣島に移住。本は料理本コーナーに置かれていて、もちろんレシピも載っているのですが、レシピ本というよりは、石垣島の暮らしの雰囲気を味わう本、という感じです。(だって材料とかが、もろにローカルなんです・・・。)写真もきれいで、読んでいると石垣島に行きたくなってしまいます。島とうがらしを始めとする材料のほとんどを、石垣島や西表島の60~90歳のオジー、オバーが無農薬で作っているそうです。その材料たちをスタッフが丹念に手作り。ラベルは島で作る和紙にけしごむはんこ(!)をひとつずつ押して、手でちぎって貼っているとのこと。増産できないのも納得です。この「石垣島ラー油」、最近ではテレビでもとりあげられて、楽天の販売店は軒並み在庫なし。ネットでの入手はなかなか困難なようです。でも三浦屋国立店には、昨日も普通に売ってましたヨ。(ローカルですみません・・・。)ペンギン食堂さんのサイトに取り扱い店舗一覧が載っています。http://www5d.biglobe.ne.jp/~A_Pengin/興味のある方は、お近くの販売店をのぞいてみてください♪
January 16, 2007
今日は鏡開きですね。この間のちびまる子ちゃんで、お汁粉と揚げもちのどっちがいいか、なんていう話をやっていました。我が家は揚げもちにして頂きました♪話は変わりますが、このところ、興味をそそられる映画の公開が続いています。子供が生まれて以来、映画館で映画を観ることがめっきり減りました。全く時間を作れない訳ではないのですが、普段仕事をしているので、オフタイムは子供と過ごしたい・・・と思うとなかなか観にはいけません(>
January 11, 2007
あけましておめでとうございます。暖冬とはいえ本格的な寒さはこれから・・・。私は寒いのが苦手なので、本当に春が待ち遠しいです。周りをよくみると、自然はちゃんと春への準備を始めています。これは近所のコブシの木の花芽。ぷっくりふくらんできました。冬の植物たちの春の準備『冬芽』の写真を集めた絵本『ふゆめがっしょうだん』近づいて、よーくみてみると色々な顔に見えるのが楽しいです♪さて、2007年は日本にとってどんな年になるでしょうか。安倍首相の年頭所感をこちらで読むことができます。■首相官邸HP 年頭所感 http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/01syokan.htmlさらっと読むと、耳当たりの良い言葉が並んだとてもまっとうなものに見えます。安倍首相のこの礼儀正しさは彼の美点でもあり、落とし穴でもあるように思います。そんな耳当たりのよさで本質を見失うことのないよう、一人ひとりがしっかりと自分の頭で考えることを大切にしていきたいな・・・。
January 6, 2007
今年のblogは書き納め、と思っていたのですが、昨日のジェイムス・ブラウンの訃報をきいてもう1回書いています。(年の瀬って、どうして訃報が多いんでしょうね。)Funkのゴッドファーザー、ジェイムス・ブラウン。ブラックミュージックを聴かない人にとっては、「ゲロッパのおじさん」というイメージかもしれないのですが、彼がミュージックシーンに与えた影響って、ものすごいものがあります。私はブラックミュージック黎明期の音楽が結構好きなのですが、それでもモータウンサウンドなどは今聴くとノスタルジックなものが多い中、JBの曲は全然古めかしくなくて、本当にかっこいい。あのビートとホーンセクションがたまりません。ヒップホップシーンでも繰り返し繰り返しサンプリングされているので、聴いたことないつもりの人でも、耳に残っているフレーズがたくさんあると思います。アマゾンなどでたくさん視聴ができる曲があるので、「ちゃんときいたことないなあ」という方は、ぜひ聴いてみて欲しいなあ。享年73歳ということですが、ツアー予定を残しての急逝。最近ではブラック・アイド・ピーズとフューチャリングしたり、まだまだ元気なJBじいちゃんでした。極貧の少年時代から音楽の世界に入り、新しい「Funk」という音楽を作ったJB。既製の音楽のジャンルの中で良い曲を作る人はたくさんいるけれど、新しい音楽を作るパイオニアというのは、本当に天才だと思います。Funkyな音楽をありがとう!!天国でもFunkyにシャウトしてください。
December 27, 2006
ものすごく久しぶりの日記です。年末ということで忙しいのもありますが、飲む機会も多くて、疲れがたまっているようで、朝なかなか起きられません・・・。寒いのも嫌いだし。冬はこれから本番ですが、ひとつ嬉しいのは昨日冬至を過ぎたこと。これから日が長くなってくるのが楽しみです。冬至といえば柚子。柚子が大好きな私は、去年の冬至の日記にも「柚子の木欲しい」と書いていましたが、今年はついに花ゆずを買ってしまいました。本柚子に較べると香りが弱いそうですが、実がつきやすいのが特長らしいです♪とにかく実がなって欲しいので妥協。家の花ゆずの実と実家からもらった本柚子で、今日は朝から柚子三昧。まず、初めて柚子酒を仕込んでみました。(スライスして氷砂糖と焼酎を入れるだけですが・・・・。)柚子のエキスが十分でるのに半年とのこと。普通の果実酒に較べると、飲めるようになるのにだいぶ時間がかかります。これは来年のお楽しみです。次は柚子の黒砂糖漬け。黒砂糖のこっくりした甘さと柚子の香りがぴったり。こちらは柚子と大根のはちみつ漬け。大根のはちみつ漬けはのどにいいことで広く知られていますが、柚子をプラスするとさらにおいしそう。大根もお漬物のように頂けるそう。皮は刻んで冷凍しておくと、いつでも気軽に使えます。おつゆや煮物にぱらっとすると風味がぐんとアップ♪今年参考にしたのは、中村成子さんの柚子の本。 (「柚子のある暮らし」のほうが、実用的で参考になりました。)明日はクリスマスイブ。そして今年もあと少し・・・。今年はもう日記を書けないかもしれません。2006年は教育基本法が改定されたり、防衛庁が省になったりしましたが、将来振り返って、「あの年が分岐点だった」といわれることがないように祈ります。皆様、良いお年をお過ごしください。
December 23, 2006
今日から12月!1年間って早いなあ・・・。先週末に七五三のお参りにいってきました♪このテのイベントは簡単にスルーしがちな我が家ですが、さすがに今回は7歳の七五三。娘の7歳に4歳の息子は数えで5歳ということにして、「二人まとめてきちんとしよう」ということに。私の住む一帯でもっとも大きくて有名なのが大国魂神社なのですが、うわさによると七五三はものすごい大混雑&行列とのこと。大国魂神社自体が大きすぎて風情もなくて好きではないので却下。どこに行こうか漠然と悩んでいたのですが、去年の秋に深大寺に遊びに行っていた時に、七五三参りの家族を見かけてびっくり。七五三って神社でするもの、と思い込んでいました。さっそくお寺の方にきいてみると、当日受け付けをすれば特に予約はいらないとのこと。周りをみても特に七五三でごった返している、ということもなく、混雑&行列が嫌いな我が家にぴったり♪もともと深大寺は大好きな場所なので、即深大寺に決定しました。■関連日記 神代植物公園&深大寺 http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200511210000/今年、電話で再確認したところ、1回目のご祈祷は10時半とのこと。ということで10時過ぎに深大寺に到着。深大寺界隈は少しですが、紅葉が始まっていていい感じ。境内をのんびり散策しながら受付へ。受付で名前などを記入し、5000円、1万円、2万円、3万円の4コースから選びます。迷わず5000円に○をつけました(笑)高いと何がちがうのかは不明・・・。結局最初の回はうちの2人と男の子がもう1人の合計3人でご祈祷していただきました。その後、お坊さんよりお札や破魔矢をいただきます。千歳飴が梅ぼ志飴の榮太樓總本鋪のものだったのでちょっと嬉しい。夫は「千歳飴=ミルキー」と思い込んでました。不二家だけだよ・・・。その後は境内や門前の通りをぶらぶら散策。深大寺が七五三におすすめなのは、フォトジェニックな場所がたくさんあること。緋毛氈のかかった縁台を出した店や太鼓橋のかかった小さな池など、着物で写真を撮るのにぴったり。15日前後は結婚式などがあって11月の最終日曜まで延ばしましたが、その分紅葉が進んでいたので、かえってよかったかな。着物は私の従姉妹が7歳の時に着た30年近く前のもの。青ってどうかな・・・と思っていたのですが、紅葉や緋毛氈、橋などの赤の中でとても映えて、思った以上によかったです。写真が趣味の方も多く来ているようで、数人の方に「写真を撮らせていただけませんか?」とたずねられました。娘も大勢の人に「かわいいわねえ」と声をかけられて、まんざらでもないようでした(笑)途中、なんとテレビ朝日の「宇宙船地球号」のロケに遭遇し、娘が境内で手を洗う姿を撮影しました。実際使われるかわかりませんが、もしかしたらテレビデビュー!?今回七五三だったのは娘だけじゃなかったんだけど、ほとんど脚光を浴びることのなかった息子・・・。特に自覚もなく、そこらじゅうを走り回っていました・・・。やっぱり、七五三は女の子ですねえ。 お昼には深大寺そばをいただき、最後にぜんざいでお茶をして帰途につきました♪
December 1, 2006
前回の日記で取り上げた江戸東京博物館には、分館として江戸東京たてもの園があります。本館のような建物の中の展示ではなく、都立小金井公園の一角に実際にたくさんの古い建物が並んだ公園のような施設です。■江戸東京たてもの園 http://www.tatemonoen.jp/■都立小金井公園 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index050.html結婚前は小金井に住んでいた私にとって、とても愛着のある公園のひとつです。建物には実際に入ることができるので、古い建物好きにはたまらない♪色々な家に上がることができるので、子供もここが大好きです。江戸の豪農の家から洋館、商店など、様々な建物が並んでいます。私のお気に入りはモダニズムの建築家、前川國男の自邸です。 なんて素敵なお家なんでしょう!ためいき・・・。高橋是清邸もあります。こちらはしっとりとした和風建築です。2.26事件で高橋是清が殺害された、2階の部屋にも入ることができます。しかも、1階部分がお食事処になっていて、おそばや甘味が頂けます。びっくり(笑)あと、これは結構有名な話だと思いますが、ここの商店や銭湯は『千と千尋の神隠し』の参考になっています。スタジオジブリは小金井公園の近くにあるんですよね。宮崎駿監督は何度もここを訪れてイメージをふくらませたそうです。下の写真はあの銭湯のモデルとなった「子宝湯」。宮造りの銭湯です。でも、もちろんあんなに広くはありません(笑)ごく一般的な大きさの銭湯です。 ここの特長の一つに、ボランティアのガイドの多いことがあげられます。地域の高齢者が中心となって、各たてものの解説や昔遊びの実演などをおこなっています。風車をつくったり、じゅず玉でブレスレットを作ることができたり。やってらっしゃる方たちも、とっても楽しそう。写真は、なんと葉っぱでつくったバッタ。ものすごくリアルです。小金井公園には人工芝のそりゾーンがあります。そりは無料で貸してくれます。これがなかなか楽しくて、子供ははまること間違いなし! 広~い原っぱもあるので、子連れのお出かけにはぴったりです♪(ただし桜の季節などは、前の五日市街道がかなり渋滞するので、要注意。)
November 27, 2006
昨日はこまごまとした用事があったので、遠くにはでかけず、のんびり過ごしました。午後は、一家4人で以前の日記に書いた「紋切り型」で遊びました。型を使ったり、自由に切ったり、そこらじゅうが紙くずだらけになりましたが、楽しかった♪型はとってもシンプルなのに、広げてみるととっても繊細な紋様になっていて、「日本のデザインってすごい!」と改めて感心。私はなぜか子供の頃から、江戸っぽいものが大好きで、ベタな時代劇も好きだったし、落語の本や『東海道中膝栗毛』をよく読んでいました。今、和風のものが身の回りにふんだんにあるような生活はしていないのですが、親子というのは不思議なところが似るもので、うちの娘も和風っぽいものが大好き。民芸小物や古い町並みにものすごく反応します(笑)ケーキより形の美しい和菓子が好き、という渋い7歳児です。今、両国にある江戸東京博物館で「ボストン美術館 肉筆浮世絵展 『江戸の誘惑』」が開催中です。そのほとんどは明治期にアメリカ人ビゲローが集めた、門外不出の「幻のコレクション」。今回が初の里帰りということです。国内には少ない「肉筆」の浮世絵がぜひみたい!ということで、今月初めにいってきました。版画の浮世絵も大好きだけれど、肉筆の持つ力ってやっぱりすごいなあ。そして葛飾北斎は天才だ!たくさんある作品の中でも、やっぱり北斎の作品は目をひきます。ただ好きなだけで全然詳しくはないのですが、北斎の構図の斬新さに心を惹かれます。子供は浮世絵展ではさすがにつまらなさそうにしていましたが、常設展のほうは双眼鏡で江戸の町並みのジオラマをのぞいたり、人力車や昔の自転車に乗ってみたりと、とっても楽しかったようです。■江戸東京博物館 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ (「肉筆浮世絵展 『江戸の誘惑』」は12月10日までとなります。)浮世絵の人物画も良いのですが、私は風景を描いたものが好きです。この『北斎・広重の冨嶽三十六景筆くらべ』は「江戸切絵図 冨士見十三州輿地全図で辿る」という長いサブタイトルがついていますが、なかなか切り口の面白い本です。人文社から出ている「古地図ライブラリー」というシリーズの1冊です。北斎の「冨嶽三十六景」全図と安藤広重の富士の絵30点、そして古地図、現在の地図を合わせて、地域ごとに解説されています。その絵がどこから見た富士を描いたものか、現代はどんな風景か、うんちくたっぷりの1冊。古地図がまた楽しくて、川筋などは現在とは全然違うのがわかるし、自分の近所の地名がこの時代の地図のあるのも、なかなか感動します。このシリーズは他にも面白いタイトルがいろいろ。「東海道中膝栗毛」ファンとしては、次は『広重の東海道五拾三次旅景色』が気になります。図書館に予約してみよう。
November 24, 2006
改正(改悪)が現実に近づいてきた教育基本法。「愛国心」問題については、自民党の面々がTVなどに出演して「理念法なんだから、強制するものじゃない」というような趣旨のことを言ってますが、これによく似た言葉を「国旗国歌法」制定のときにききました。当時の小渕首相は「法制化にあたり、国旗の掲揚等に関し義務付けをおこなうことは考えていない」と発言していましたが、結局石原都知事肝いりの東京都教育委員会が都立校に対して、非常に強硬にこれを義務付けているのは周知のとおりです。いくら今、「内面に対して強制するものではない」といったって、法案になってしまったら、行政側で解釈なんていくらでもできるもの。愛国心条項については、過去の日記にも書いたので、今日は現基本法の第10条について・・・。■関連日記 教育基本法の行方・・・ http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200605260000/【教育基本法 第10条】教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 ↓ ↓ ↓【自民党改正案】教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならないものとすること。 シンプルで美しい文章が、ごてごてとわかりづらい文章になっていますね。まずは「不当な支配に服することなく」のあとに、改正案では「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と入っています。「法律の定めるところ」によって行われるのは当然じゃないか、と思われるかもしれませんが、これが非常に曲者だと思います。現行の第10条は、戦争の際に国家が深く教育に立ちいったことの反省から、教育を政治や行政的権力から守るためにつくられています。教育基本法制定を主導した、当時の文部大臣田中耕太郎は「教育は、不当な支配に服することなく」の意味を「第10条は教育行政の根本方針を規定している。教育は一方不当な行政的権力支配に服せしめられるべきではない。」と解説しています。また「教育は政治的干渉より守られなければならぬとともに、官僚的支配に対しても保護せられなければならない」とも語っています。審議過程では、「教育は、政治的または官僚的支配に服することなく」という案も出ていたとのこと。(参考文献:「変えよう!日本の学校システム」)自民党はこの「不当な支配に服することなく」も削りたかったけれど、風当たりが非常に強かったために、あえて残し、それを骨抜きにするためにごちゃごちゃと言葉をつけくわえています。「法律の定めるところ」なんて、法治国家なんだからいちいち書くようなことじゃないことをわざわざ入れているのは、教育に対する国家の統制を強めることが目的としか感じられません。法律をつくることによって、国家がどんどん教育に干渉できる環境を目指しているのでしょうか。しかも、大切な「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」が完全に削られています。教育は誰のものか。もちろん国民のものであって、政府のためでも官僚のためでもありません。しかし、日本には国民が実際に教育に対して声をあげることができるシステムがありません。公選ではない教育委員に影響を与えられるのは、国民ではなく、地方自治体の首長や文科省です。■関連日記 教育委員会って何だろう(教育委員は公選にしよう!) http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200508250000/ 現状でさえそうなのに、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」が削られ、さらに「教育は国のもの、政治のもの」になっていくのかもしれません。自民党の議員も言っていることですが、教育基本法は理念法のはずです。教育における憲法のようなものであり、そこに記すべきは本当に大切な根幹となる部分だけのはずです。けれどもシンプルな全11条の現行の教育基本法に比べ、自民党改正案の長いことといったら・・・。教育について、あれもこれも、と国が立ち入って規定するなんて、まるで全体主義国家のよう。■参考URL 文部科学省 教育基本法 新旧対照表(pdf) http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/005.pdf「愛国心」問題はわかりやすいため、一番注目を浴びています。けれども、この教育基本法改正には他にも大切な問題がたくさんあります。「愛国心」という言葉が表立ったため、なんだかイデオロギーの対決のようになってしまっていますが、問題は右か左かなんていうことではありません。自民党支持の方には中国や北朝鮮を激しく嫌悪する人が多いように思うのですが、教育への国家統制を強めようという今回の意図はまさにそれらの国を想起させます。もう一度声を大にして言いたい・・・「教育は国民のもの」と。
November 21, 2006
昨日11月15日は坂本竜馬の誕生日、そして命日です。(といっても旧暦での日付なので、実際は12月初旬のことだそうです。)好きな歴史上の人物ランキングでは、必ず上位にランクインする竜馬。彼は実際にも、人間的にとても魅力のあった人のようです。そもそも一介の脱藩浪人の竜馬が歴史の表舞台に出たのには、竜馬にほれこんだ幕臣勝海舟の力なくしては語れないですよね。「坂本竜馬は維新史の奇蹟」ともいわれますが、歴史的に評価されるようになるには結構時間がかかったらしいです。現在の竜馬のイメージを形作ったのは、なんといっても司馬遼太郎の『竜馬がゆく』ですよね。私は実はどうこう言える程、司馬遼太郎を読んでいません・・・。小説とエッセイの垣根を取り払ったような自由自在のあの文章に、入れる時と入れない時があって(笑)いつかはたっぷり読もう、と思う大きな宿題です。でも、『竜馬がゆく』だけは、すいすいと入っていくことができました。これも竜馬というキャラクターゆえかもしれません。文庫8巻一気に読んでしまい、竜馬が死んでしまった後、とってもさびしくなったのを覚えています。それにしても司馬さんが、膨大な史実に創作を交え、非常に魅力的な竜馬を描いてしまったために、竜馬を描こうという人は必ずこの巨大な壁を乗り越えなければならなくなってしまいました。熱烈な坂本竜馬ファンで知られる武田鉄矢原作の漫画『お~い!竜馬』も、もともとは「司馬さんが江戸への旅立ちから始めてるから、そこまでの物語をやろう」という趣旨でスタートしたそうです。(結局は竜馬の死まで、いってしまいましたけどね。)明治維新というのは、非常に若い力で動いた革命でしたが、その熱さのようなものを『お~い!竜馬』は、よく伝えてくれます。大政奉還がなり、そのほぼ1ヵ月後に竜馬が暗殺されたその年、竜馬は32歳、中岡慎太郎は29歳。こんなに若い二人が薩長同盟の立役者だったんですね。思わず、自分を省みてしまいます・・・・。『お~い!竜馬』は、維新史に興味をもった人が導入編として読むには、最適だと思います。ただ、非常に創作が多いのが特徴なんですよね・・・。物語の骨格をなす「竜馬と武市半平太と岡田以蔵が幼なじみ」という点がすでにフィクションですし、ジョン・エリックという漂着船員との交流、上海への渡航など、ふんだんに創作がまじえられています。なので、なんの予備知識もなく読んでしまうと、みんな史実をもとにしている、と思ってしまうかも・・・。まあ、漫画なんだから鵜呑みにするなよ、ということだと思いますが。司馬さんの『竜馬がゆく』にも、もちろん創作箇所はたくさんある訳で、「寝待の藤兵衛」も「お田鶴さま」も創作キャラなんですよね。『お~い!竜馬』のなにがフィクションなのか知りたくて、『The making ofお~い!竜馬』という本も読んでみたのですが、これが小山ゆうと武田鉄矢の対談本でした。知りたかったことも書いてあったけど、武田鉄矢が自分達の作品を褒め称え上げてる感じにちょっとうんざり・・・。『お~い!竜馬』の感動が少し薄れてしまいました(^^;)
November 16, 2006
今日はblogを書くつもりではなかったのですが、リンクさせていただいているsakura_sakuさんがblogで紹介されているサイトがとても素敵だったので、私のblogでも紹介させていただこうと思いました。■FREE HUGS CANPAIGN http://www.freehugscampaign.org/英語のサイトですが、映像(動画)は音楽のみです。この動画をぜひご覧になって欲しいなあ、と思います。sakura_sakuさんの日記も素敵なので、こちらも読んでみてくださいね。hug ・・・を(特に愛情を持って)抱き締める (プログレッシブ英和中辞典)子供には毎日ハグしているつもりですが、夫は・・・!?うーん。起きてきたら、みんなとハグしよう、と思います。
November 14, 2006
文科省あてに届いた、いじめによる自殺を予告する手紙。本当にいじめに悩む子供が書いたのか、狂言、愉快犯なのか、実際のところはわかりませんが、予告前日の10日に石原慎太郎が下記のようなことをコメント。---------------------------------------------------------------------------自殺予告は「大人の文章」=中学生とは違うと一蹴-石原都知事 文部科学省に届いた11日のいじめ自殺を予告する手紙について、東京都の石原慎太郎知事は10日の定例記者会見で「あんなのは大人の文章」と一蹴(いっしゅう)し、「今の中学生にあんな文章能力はない。わたしは(いじめられている子どもが書いたものとは)違うと思う」との見方を示した。 (時事通信) - 11月10日18時1分更新---------------------------------------------------------------------------<自殺予告>大人によるいたずらの可能性?石原知事が見解 東京都の石原慎太郎知事は10日の定例会見で、いじめ自殺を予告する手紙について、文章能力から「あんなものは大人の文章だ。理路整然としていて、私は違うと思う」と述べ、大人によるいたずらの可能性が高いとの見方を示した。 石原知事は手紙を受けた文部科学省など関係機関の対応については「届けられた方は迷惑千万でね、放てきするわけにはいかないだろうから、防ぎようもない」と同情。 また、「とにかく親が関与すべきではないか。私なんか、子どもにけんかの仕方を教えた。非常に効果があって、たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」と自身の子育て経験に触れた。そのうえで、「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」と語った。【木村健二】(毎日新聞) - 11月10日21時14分更新---------------------------------------------------------------------------さらに「この手紙を送って満足したら、死ぬの?それとも死なないの?」というようなことも言っていました。現場では、万が一を防ごうとぴりぴりしているところに都知事のこんな発言。いったい、どういう神経の人なんだろう・・・と思いますね。まあ、今に始まったことではありませんが・・・。「ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられる」責めるべきはいじめた側であって、いじめられている側ではないと思うのですが、この人の思考は常に強者の論理、弱者切捨てです。重度心身障害者に対して「そもそもああいった方に人格あるのかね」といったこともあります。オリンピックの国内候補地決定の時には、在日韓国人2世で、東大教授でもある姜尚中氏を「怪しげな外国人」呼ばわり。細かく挙げていけばきりがないのですが、とにかく都知事としての能力以前に、人間として非常に問題がある人だと思っています。しかし不思議なことに、この人の問題発言、あまりテレビで問題視されることもなく、「石原さんだからしょうがない」くらいに流されてしまいます。石原裕次郎の兄で、人気作家で、石原軍団がついているからか??私は彼が大嫌いなのですが、話の流れから「石原慎太郎、嫌いなんだよね」と言うと、「えー、なんで?」という反応をされることもあります。彼の問題発言について、多少なりとも知識があれば、「あ、そうなんだ」くらいには納得してもらえると思うのですが、とにかく「なんかいいんじゃないの?」というあいまいだけどプラスのイメージが浸透しているのかな。「三国人」発言の時には、『日本政府が「高い地位にある公務員」の差別発言を放置している』ことについて、国連の人種差別撤廃委員会が懸念を表明したくらいなのに・・・。東京がオリンピックの国内候補地に決定し、三選に意欲をみせる石原氏・・・。次の選挙こそ、日本の首都たる東京都民の良識を発揮して欲しいと思うのですが、また圧勝してしまうのでしょうか。■関連日記 『根性ないからメダルとれない』石原都知事談 http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200602230000/そもそもトリノのとき「興味ないから見てない」とか言ってたくせに、東京でオリンピックを、なんて白々しいにも程がある・・・。
November 12, 2006
このところ何かと槍玉にあげられるNHKですが、我が家は夫婦揃ってノンフィクションやドキュメンタリー番組が好きなので、NHK視聴率が結構高いです。民放のドキュメンタリー番組はテーマは良くても、なぜかクイズ仕立てになっていたり、芸能人のルポになっていたりするのが鬱陶しい。クイズも個人的な感想もいらないので、もっと事実と映像をみせてくれ!!(NHKもプラネットアースの緒形拳は、内容がすばらしかっただけに興ざめでしたが・・・。)子供と一緒に早く寝てしまう私のお気に入りは、夜7時から放送している教育テレビの『地球ドラマチック』。世界各国の様々なノンフィクション番組をみることができます。■地球ドラマチック http://www.nhk.or.jp/dramatic/昨日の『地球ドラマチック』はBBC製作の『エルニーニョ・地球規模の天候異変』でした。エルニーニョ現象は古くから気候に大きな影響をあたえ、いくつかの古代文明が突如消滅した原因のひとつだとみられています。そのエルニーニョ現象に近年の地球温暖化がそのような影響を与えるのかについては解明されていないそうですが、もしも温暖化による海水温の上昇などから毎年のような気候現象として定着した場合、南米の降雨量が極端に減少しアマゾンの熱帯雨林が50年で枯れ果てる、という予測もあるそうです。熱帯雨林は「地球の肺」とも呼ばれ、大量のCO2を吸収しています。この熱帯雨林が壊滅した場合、地球温暖化はさらに劇的に進行するのは避けられないでしょう。その確立は六分の一と計算されていました。「50年後」ときいて、とっさに自分の年齢ではなく、娘の年齢を足して「57歳か・・・。」と考えてしまいました。もちろんこれは数ある予測のうちの一つであって、果たして50年後の世界がどのようなものになっているのかは誰にもわかりませんが、もしもこの予測通りに進行した場合、50年後の人類は「どうしてわかっていたのに、なにも有効な手立てをうつことができなかったのか」と思うことでしょう。イースター島の古代文明が崩壊したのは、モアイを作るために木を乱伐したことによる環境破壊が原因であると考えられています。現代からみて「モアイのためになんて馬鹿なことを」と断ずるのは簡単ですが、これはまさに現代人がおかれている問題の縮図に他ならないと思います。数年前、テレビでみて興味を持ったこの問題を詳しく扱った本を最近読みました。『銃・病原菌・鉄』でピューリッツア賞を受賞しているジャレド・ダイアモンドの近作『文明崩壊 滅亡と存亡の命運を分けるもの』です。プロローグ ふたつの農場の物語第1部 現代のモンタナ モンタナの大空の下第2部 過去の社会 イースターに黄昏が訪れるとき 最後に生き残った人々 ―ピトケアン島とヘンダーソン島 古の人々―アナサジ族とその隣人たち マヤの崩壊 ヴァイキングの序曲と遁走曲 ノルウェー領グリーンランドの開花 ノルウェー領グリーンランドの終焉第2部 過去の社会(承前) 存続への二本の道筋第3部 現代の社会 アフリカの人口危機―ルワンダの大量虐殺 ひとつの島、ふたつの国民、ふたつの歴史 ―ドミニカ共和国とハイチ 揺れ動く巨人、中国 搾取されるオーストラリア第4部 将来に向けて 社会が破滅的な決断を下すのはなぜか? 大企業と環境―異なる条件、異なる結末 世界はひとつの干拓地(ポルダー)イースター島に限らず、過去に崩壊したいくつかの文明と現在問題を抱えているいくつかのケースを多角的に精査、解析した労作です。あらゆる角度からの反論に備えるためと思われますが、細かい(くどい)描写が多く、気軽に読むには量が多すぎるとも感じますが、それを補ってあまりある興味深い内容です。本書によると多くの崩壊した文明はゆるやかに崩壊に向かうのではなく、頂点を極めたあとに急速に崩壊に向かうことが多いとのこと。正直、読めば読むほど、暗澹たる気持ちにもなります。中国の激烈な環境破壊は知っていても、オーストラリアの環境問題については、ほとんど知識がありませんでした。また先日の日記でもとりあげたルワンダの大虐殺のバックグラウンドにある環境・貧困問題についても詳述されています。何かと目から鱗!の1冊(というか上下巻だったので、2冊)です。ただあまりにも量が多いので、読むのに結構疲れました。内容の濃さから考えると1章ずつ、文庫になってもいいくらい。この手の問題は映像があると訴求力倍増なので、5夜連続のNHKスペシャルにでもして欲しいなあ~~と思いました。こちらは昨日の夜明けです。最近、空気が澄んでいるので、毎朝夕に美しいグラデーションをみることができます。50年後にも、この夜明けがありますように。
November 10, 2006
このところ公私共に忙しく、blogは「ちょっとみるだけ・・・」と思っても結局いつも時間がかかってしまうため、見るのも書くのも封印してました。久々の日記です。最近、いじめ、未履修など教育問題が目立つ中、11月4日にびっくりするようなニュースがありました。それは足立区の教育委員会が区立小中学校に学力テストの成績に応じて、予算に差をつける方針を固めた、というもの。思わず目を疑ってしまいました。*追記 足立区の教育委員会は7日にこの方針を撤回したそうです。 各方面から批判が続出だったようです。 そんな当たり前のことも想定できない教育委員会って・・・。とても公立の義務教育で許されることではないと思います。足立区教育長は「がんばった学校に報い、校長と教委の意欲を高めることが、区全体の基本学力向上につながる。」と発言していますが、すでに学校選択制も始まっている足立区でこの方針が実際に実行された場合、学力上位校と下位校の固定化を進め、公立学校のなかに格差を作るだけに思えます。学力テスト上位校には、子供を塾に通わせる学習意欲の高い家庭が集まるので、結果として成績が良い、ということももちろんあるわけで、それがイコール学校の成果でもありません。そもそも、小中学校を評価するのは学力テストの結果でいいのでしょうか。そして、その報奨は「予算」なのでしょうか。未履修問題では、色々なメディアで「受験に出なくても大切なことを学んで欲しい」というようなことをいっていますが、今回の足立区の問題は「結局成績が全て」という、その根っこになりかねない重大な問題だと思います。私は小中学校で一番学んで欲しいのは「生きる力」です。自分で考え、対処し、自信を持って生きていける、人格の基礎を培って欲しい。進学塾ならともかく、公立小中学校がこのような「兄弟の中で、勉強できる子だけにお小遣い」のような、安直かつ低劣な方針を打ち出したことに暗澹たる気持ちです。いよいよ教育基本法の改正が現実のものとなりつつありますが、今本当に論議するべきなのは教育基本法だとは全く思えません。前回の日記でもふれた本「変えよう!日本の学校システム」のサブタイトルは「教育に競争はいらない」です。非常に同感。競争原理は企業間では有効でも、教育の現場にはそぐわないものだと思うのです。なぜなら教育の目的は子供に優劣をつけることではなく、それぞれの子供の適性を伸ばし、全員が幸せな人生を送るための礎を培うことだと思うからです。非常に興味深く、かつとても読みやすい本でした。私の古い日記で取り上げた教育委員会の問題についても、詳しく解説されています。■関連日記 教育委員会って何だろう(教育委員は公選にしよう!) http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200508250000/ 他にも取り上げたい箇所がたくさんあるのですが、書ききれないので、目次を載せておきます。(教育基本法の改正が言われ始めたのが執筆の動機、ということですが、愛国心云々のイデオロギー的な本ではありません。)問題分析の角度が面白く、今テレビでおこなわれている教育論議とは一味違いました。教育問題に関心のある方はぜひ一度読んでみてください。第1部 行き詰まった日本の教育一 不登校は制度公害 制度が違う国では発生しない 学校にセーフティ・ネットがない 義務教育と強制教育は違う 就学義務のない国デンマーク 制度の不備二 入試制度の一人歩き 高校入試は意味があるのか 自分の適性を見出せないこと 選抜方法を変えても入試は改善されない 入試のない国オランダ 人材乱獲型システム 学歴競争から成熟社会へ三 個性尊重の教育はできるのか 学校に染み付いたもの ペースが違う子 学校を作る自由が必要 力ずくの中学校 競争構造のために フィンランドの競争でない学力第2部 中央集権無責任体制 日本の学校システム一 中央集権にして無責任 それぞれの職務を守ると「たらい回し」になる 学校は指揮されていないという建前 地方分権である建前 現場を知らない者どうしの妥協案二 手足をもがれた教育委員会 行政委員会―政治との分離 教育委員会が文部省の支所となった理由 教育委員会の機能不全 日本教育委員会と米国教育委員会 『地方分権一括法』以来の変化三 院政体制を敷く文部科学省 指導助言による指揮 法令による指揮 政党と文部省の距離 教育運営者でもある官庁四 教師の自主性が発揮されない学校 学校はどのような団体か 官庁モデルで運営してよいのか 企業モデルでよいのか 学校の当事者はだれか 学校という端末五 意見を言えない保護者・住民 不満が表に出ないシステム 教育は住民自治から取り残された 三〇年の遅れ 学校に意見を言いにくい現実六 『教育基本法』の精神 学校を官庁的上下関係に入れない―『教育基本法』第十条の意味 田中耕太郎と教育権独立構想 なんのための『教育基本法』第3部 成熟社会のための教育システム一 学校を作る自由 学校を作る自由を 九割の標準的な教育、一割のオールタナティブ教育 ソフトランディングを 教師に的確なサポートを二 イギリス型かフィンランド型か イギリス型かフィンランド型か バランスがよい北欧型教育 東アジア型教育からの脱却を 官僚統制でも営利追求でもなく三 教育費全面無償への道 義務教育はなぜ無償 高等教育までの無償を 経済の構造転換と教育費無償四 教育主権在民の確立を 国家の仕事は 教育主権在民の確立を
November 8, 2006
今、娘の小学校では「学校公開」中です。1週間の間どのクラス、どの授業でも見学に行ってもよく、土曜日にも授業があります。(ばっちり振替休日がありますが・・・。)学校は近いので、土曜日に行ったりきたり色々な時間を眺めてきました。全体の印象は・・・「学校って忙しい!」授業と授業の間はたった5分の休憩。大勢の子供たちが一斉にトイレにいったり、水を飲んだりするので大騒ぎ。先生はあわただしく次の授業の準備。中休みも走って校庭に出て、少し遊んだと思ったらあっという間に5分前のチャイム。またダッシュで校舎にかけ戻る子供たち。私が子供の時と全く同じタイムスケジュールなのですが、大人になって眺めてみると「こんなに忙しかったかな・・・。」と思います。授業の終わりごろ、図工で絵の具を使ったクラスが順番にパレットを洗っていました。パレットがなかなかきれいにならず、子供たちは一生懸命洗っているのに、男性の先生が何度も何度も「もういいから席にもどれ」とせかしていました。絵の具だらけでびしょびしょのパレットを手に、思わず逡巡する子供たち。あの子たちは、ちゃんときれいにパレットを洗いたかったんだろうなあ・・・。その光景に、朝の忙しい時間につい「早く早く」と子供に言ってしまう自分を重ね、反省するとともに、家でも学校でも時間に追いまくられているような子供と、そうしないとカリキュラムをこなせない先生を気の毒に思いました。給食で実際食事にあてられるのは20分。しゃべっていると終わらないので、最初の10分はおしゃべり一切禁止。帰りは一斉下校なので、ゆっくりおしゃべりする間もなく校庭に並びます・・・。ちょっと前に娘が授業でやりきれなかった課題を宿題として持って帰ってきました。3~4時間かけた課題らしかったのですが、娘は文章の部分はたったの1行しか書けていませんでした。何度も消した跡があります。どうやら考えすぎて、行き詰ってしまったようです。ちょっと気になって、「どう書いたらいいのかわからなくなっちゃったら、先生に相談してごらん。」と言いました。授業中に先生に話しかけたりできないタイプの子なので、「授業の後でもいいんだよ」と言うと、「だって先生と話す時間なんてないもん。」とのこと。確かに実際見てみると、先生と雑談できる時間なんてほとんどなさそうです。積極的な子ならば、休み時間でも、ちょっとした時間でも「ねえねえ、先生!」と話しかけていけるでしょう。でも、おとなしい子供の気持ちを先生がすくいとってあげるのはとっても難しそう・・・。娘の担任はとても評判の良い女性の先生です。社会人を経て教師を目指した人で、娘と同世代の子供もいるので、教師バカでもなく、とても良い先生だと思います。だけど、もっと学校に余裕があれば、先生の力ももっと発揮できるような気がします。入学当初から、授業参観、懇談会などで先生の口からよく出てくるのは「学級崩壊を起こさないために」というものです。そのために、特に1年生は先生に言われた通りに行動できることを重視した授業スタイルになっているようです。確かに「学級崩壊」は困ります。でも「はい、こうしてください。」「はい、ああしてください。」という通りに行動することが最大の目標のようになってしまっていいのか、疑問を感じずにはいられません。娘のクラスにはモンテッソーリ式の幼稚園から来た子供がいるのですが、彼が幼稚園で受けてきた教育の理念と公立小学校はあまりにも違いすぎて、気の毒なようです。子供も忙しいのですが、先生も忙しいんだろうなあ。先日、担任の先生が体調を崩し、学校をお休みしました。その日の授業は・・・国語は1時間、丸々読書に変更。算数は代わりの先生がきたものの、ただプリントをやらせるだけだったそう。1日、そんな感じで、普通の授業はなかったようです。先生が休んだときのオプションがこの程度のものだということに、ちょっとびっくり。1日ならともかく、2日、3日と休む場合はどうなるのかな・・・。「何かあったら勉強が遅れちゃう!」というよりも「これじゃあ、先生はおちおち休むこともできないだろうなあ」と、思わず心配してしまいました。しかも小学校の担任の先生は一人でなんでもやらなければなりません。これは、なぜなんでしょうね。先生も大変でしょうし、もしも子供がその先生のやり方に馴染めない場合、子供は本当にかわいそうだと思います。母親をやっていて、しみじみ思うのですが、自分に余裕がないと、不必要に子供を怒ってしまいがちです。自分がイライラしていると、子供のやることにもイライラします。なので先生にはゆとりのある生活をして、ゆったりと子供と向き合って欲しいと思うのです。教育再生論議で教師の評価制度が注目を集めています。確かに安倍総理の言うとおり「駄目な教師にはやめていただきたい」。その通りです。でも、どうやって教師を評価するのか、ただの教師叩きのような風潮ならば、安直に迎合することは、非常に危ういのかも・・・。最近『変えよう!日本の学校システム』という本を読みました。なかなか面白い本だったので、次回の日記でとりあげようと思うのですが、その本にこんな一節がありました。とても共感できる文章でしたので、今日の日記のまとめに抜粋してみました。教育もサービス業の一つである。それは大事な視点である。しかし、普通の企業と同じように、教員たちを賞罰と競争で駆り立て、研修で教え込んでも、けっきょくサービスは悪くなるだけだろう。学校では、教師が『人間らしく生きている』ことが、生徒に対する最大のサービスなのである。教育は、知識や技能を伝えると同時に、教師という人格を通じて、判断力、感受性、道徳性などのモデルを見せているのである。子どもの自主性を引き出せるのは、自主性を持った教師だけである。つまり、アメとムチで動かされる先生ではなく、人間らしく生きている先生である。学校が、教師に対しても、生徒に対しても、アメとムチで動かす発想から抜け出すこと。それが、生徒への最大のサービスであり、かつ最大の道徳教育だと思う。
October 26, 2006
あまりblogに書いたことがないのですが、私はマンガが大好きです。マンガがあれば、何時間でも読んでいられます。先週末、手塚治虫賞10周年記念として「AERA COMIC ニッポンのマンガ」というムックが発売されました。かなり豪華な内容で、浦澤直樹ら人気作家の描き下ろし読みきりはもちろんのことですが、そこにオマージュを寄せている面々がまた豪華。対談も充実してます。(なんと養老孟司がトリをつとめてます。どうでもいいけれど・・・。)マンガ好きとしては読んでおこう、とさっそく購入♪(まだ、ちょっぴりしか読んでいませんが・・・。) 大賞作家 夢の競演手塚 眞 プロデュース オール描き下ろし●浦沢直樹 12年ぶりの短編、渾身の30ページ![月に向って投げろ!]プロット共同制作 長崎尚志オマージュ●本広克行●高野文子 ファン待望、5年ぶりの新作![おりがみでツルを折ろう]オマージュ●川上弘美●吾妻ひでお 虚無と笑いの真骨頂[墓標]オマージュ●松尾スズキ●諸星大二郎 ほら話的ホラー[空気のような…]オマージュ●酒見賢一●谷口ジロー 名手の鮮やかな演出[月の夜]人気作家 顔合わせ井上雄彦+重松 清『バガボンド』仕事場初公開岡野玲子+夢枕獏メイキング オブ『陰陽師』●描き下ろしイラスト「太陽」みんな手塚が好きだった!受賞作家、お気に入りの手塚作品手塚治虫文化賞受賞者一覧藤子・F・不二雄へのオマージュ 呉 智英岡崎京子へのオマージュ 藤本由香里手塚治虫文化賞10周年記念イベント採録マンガ未来世紀萩尾望都×浦沢直樹×夏目房之介極私的マンガ事情2006荒俣 宏×いしかわじゅん画力対決7番勝負しりあがり寿×西原理恵子●サイバラ描き下ろし 「イベント舞台裏」大人のためのCOMICナビPart1 1996-2001夏目房之介×よしながふみPart2 2002-2006萩尾望都×長嶋 有米国・GHQ収集の蔵書より発見幻の手塚マンガ、公開!『ハンスと金のかみのけ』ほか大図解 マンガの系譜より過激を求めてギャグ漫画家は荒野をめざす!スポーツマンガは永久に不滅です緊急書面インタビューマンガ原作ドラマ、作者の本音マンガの現場からルポ・女性編集者に密着・女性コミック誌「Beth」“創刊”を追う・『のだめカンタービレ』エース担当を追うルポ・アシスタントに密着・熟練の手技 庄司陽子先生『生徒諸君! 教師編』・圧巻のCG技術 奥 浩哉先生『GANTZ』関川夏央作家・『「坊っちゃん」の時代』共著者「プラハで話した日本マンガ文化論」養老孟司「マンガが伝えられること」私のマンガ好き。娘もしっかり受け継いでいます・・・。もう少し大きくなるまでマンガはおあずけ、と思っていたのですが、学童保育にマンガがいっぱいあるんです・・・。娘のお気に入りは「らんま1/2」。まず本の楽しみがしっかりわかってからマンガにいってほしかったんだけど・・・。(マンガの求心力はすごいので。)本とマンガはけっして相反するものではないので、どちらからもたくさんの楽しみを得られるようになるといいな。
October 24, 2006
あっという間に10月も後半・・・。今年も残すところ2ヵ月半なんて、時間の流れの早さが恐ろしい・・・。この時期、楽しいのはカレンダー選び。ネットの店舗は結構在庫限りのところが多いので、たくさん種類があるうちに物色です♪ もともとポップなデザインは好きなものの、インテリアはシンプルなものが好き。子供が生まれるまでは「絵を飾りたければカレンダーじゃなくてちゃんと絵をかざればいいじゃん」という考えで、いつも数字のみでデザインがおしゃれなものを探していました。飾るところも「家に一つあればいい」ので、キッチンのみ。でも子供ができてからは、子供を言い訳に楽しいデザインを自分に解禁♪そうすると今度は一つに選びきれなくて子供部屋にも一つ、寝室にも一つ、と増えてしまいました(笑)今使っているのは王道っぽく、子供部屋はサンドリンヌ・ファーブル。キッチンはサビニャックです。 (↓は来年のもの。) 来年のものは悩んだ末に、とりあえずムーミンとColobockleを購入。ネットではなくリアルショップで見たのですが、ムーミンの原画はやっぱりかわいくて。 今回のライバルはこちら↓の面々・・・。どれも捨てがたい。特に寺田 順三さんとマリーニ*モンティーニのは、とっても悩みました。 部屋が何室もあるような家なら、あっちもこっちも飾れるんだけどなあ・・・。
October 19, 2006
先日、ノーベル文学賞の最終候補に村上春樹が選出されて話題になりましたね。いつも思うのですが、ごうしてノーベル賞って各賞ばらばらに発表するんでしょうね?文学賞にいたっては、発表日自体が直前まで明かされないそうです。受賞者発表に先立つ10/4、5に朝日新聞でノーベル文学賞の舞台裏についての特集が掲載されました。なかなか面白かったので、blogに書こうとおもったらasahi.comにも掲載されていたので、興味のある方はご覧になってみてください。■asahi.com ノーベル文学賞 選考の地を訪ねて 〈上〉 http://book.asahi.com/news/TKY200610050215.html 〈下〉 http://book.asahi.com/clip/TKY200610050216.htmlところでストックホルムには、ノーベル文学賞選考のために世界中の20万冊の文学作品を集めた「ノーベル図書館」があり、日本の作品は300冊ほど収蔵されているそうです。20万冊の中の300冊ってどうなのよ、というのはさておき、その主な内訳はこんな感じらしいです。大江健三郎 45冊 三島由紀夫 25冊 川端康成 24冊 井上靖 22冊 安部公房 21冊 谷崎潤一郎 20冊 村上春樹 18冊 遠藤周作 15冊 大岡信 11冊 小川洋子 10冊 よしもとばなな 9冊 村上龍 7冊 大庭みな子 5冊その他 幅広く阿部和重、池澤夏樹、奥泉光、川上弘美、谷川俊太郎、多和田葉子、辻仁成、津島佑子、古井由吉、町田康、山田詠美、吉増剛造、柳美里 などなど・・・。故人も結構多く、上記の記事の中で、選考委員の一人が「安部公房氏がもし生きていたら受賞したかもしれない」といっていました。別にノーベル図書館に収蔵されているから偉いとかではないのですが、西欧社会から評価した日本文学という意味で、なかなか興味深いリストだと思いました。 実際のノーベル文学賞受賞者はこちらをごらんください。■ノーベル文学賞 受賞者一覧 http://www.kahaku.go.jp/special/past/nobel/plus/literature/本を読むと、何も聞こえなくなってしまう娘。(遺伝かな・・・。)
October 16, 2006
最近忙しくてblogから遠ざかっています・・・。今週は北朝鮮の核実験があったこともあって、書くならこのことを、と思うのですが、そういう話題は書くのに時間がかかるため、余計に書けず(>
October 12, 2006
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