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今日の話題は、「南極とブランチ」です。 昭和基地の日曜日の朝はブランチになっています。ブランチは、朝食と昼食を一緒にした食事です。調理隊員が少し朝寝坊できるようになっています。 パン、ご飯、コーンフレイクなど自由に選べます。隊次によっては、ブランチの内容はさまざまで、調理隊員以外の人がパンを焼いて楽しむこともあります。 通常は、冷凍生地のパンを焼くのですが、このときは本格的なアンパン、コッペパン、カレーパンなどが焼かれます。 遅く起きた日曜の朝に手作りのパン、コーヒーと一緒に食べると幸せですね。■PEN□
Jan 31, 2007
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今日の話題は、「南極と揚げ物」です。 トンカツや天ぷらなどの揚げ物はみなさんと同様に観測隊員も大好きです。カロリーが高いので寒いところでの作業の前後に食べると体が温まります。 私は調理の手伝いを時々しましたが、さすがに40人もの揚げ物をしていますと、油が鼻についてしまって食欲がダウンします。これを調理隊員人が毎日していると思うと、大変さがわかります。 食事の時に調理隊員の近くにいますと彼らはおかずにあまり箸をつけないことが多いように見受けられます。こういったことがあるからかも知れません。ただし、人によってはお酒が好きでつまみはどうでもよいのかもしれませんが…! 皆さんのご家庭でも40人分は無いと思いますが、パーティーなどの時の揚げ物や他のものを調理する時は、同じ様に感じるかも知れませんね。 世の中の食堂やレストランの調理人(家庭の奥様方)は、こういった事を日常、ずっ~としてるんだな~と、私は南極に行って初めて感じました。ご苦労様!感謝!■PEN□
Jan 30, 2007
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今日の話題は、「南極と平均年齢」です。 南極越冬観測隊員には、健康でかつ体力がある程度必要です。そうなると、若い人が有利です。すなわち、大きな病気がない事が第一条件ですから高齢になると健康診断がパスできない人がでてきます。 越冬隊員は約40名です。平均年齢は、隊次によって異なります。平均28歳ぐらいから33歳ぐらいに多く分布しています。平均年齢30歳を超えるとロートル隊、20歳代ですと若僧の観測隊だと言われます。 今までの最高年齢の越冬隊員はわかりませんが、50歳代だとおじいちゃん扱いです(孫がいる人もいますので!)。20歳代ですと子供扱いです。 平均年齢はその年のプロジェクトにより隊員の構成が変わりますから先に書いた様に観測隊によって言われ方が違います。私は23歳で初越冬、33歳で2回目の越冬をしましたので、若僧の部類でした。でも、その方が気楽でよかったですね!■PEN□
Jan 29, 2007
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今日の話題は、「南極とかまくら」です。 昭和基地の建物の風下にはドリフトと呼ばれる雪の吹きだまりができます。高さは、約3mにも達します。 6月1日の電波の日と気象記念日のお祝い事に乗じて気象隊員が気象棟の裏のドリフトを使ってかまくらを作ります。 これは、毎年の記念行事となっています。さすがに6月ともなれば外気温は平均でも-20度ぐらいになりますのでとても寒いです。防寒着を着てかまくらに入ります。かまくらの中では、料理やお酒がふるまわれますがしばらくすると凍りついてしまいます。 気象隊員は、毎日3交代で24時間勤務をしています。その合間をぬってかまくらの穴を掘る作業をしています。お祝い事や伝統を大事にするためにやっていますが大変な作業に「ご苦労様」といいたいです!■PEN□
Jan 28, 2007
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今日の話題は、「南極とウナギ」です。 ウナギの蒲焼きは冷凍保存が可能でとても使いやすい食材です。南極観測隊や観測船しらせの食卓に良く登場します。 冷凍パックですから解凍してお湯で暖め開封して、たれを足してどんぶりにのせるだけですね。あとは、山椒をかけて食べるだけ!とっても簡単!レトルト食品の代表みたいな食材です。栄養もあるし、おいしいし! というわけで、結構、調理の隊員も忙しい昼食にウナギは出てきます。夏の借り宿舎住まいや旅行などでも大活躍! でも、頻度が多くなるとちょっとあきてしまいますね。お安い中国産のウナギの食べ方は、土鍋や圧力鍋で蒸すと柔らかくおいしくなるそうです。炭火であぶりなおしてもよいのではないかと思いますが、炭をおこすのが面倒ですね…。■PEN□
Jan 26, 2007
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今日の話題は、「南極と布団干し」です。 南極昭和基地は、夏と冬では太陽の日照時間が大きく違いますし気候もずいぶん違います。冬は真っ暗ですしブリザードが吹き荒れています。夏は冬に比べると比較的天候は安定していますし1日中お日様がでています。 観測隊はこの夏の間に交代をします。現地に次の隊が到着するのが日本の冬にあたる12月下旬ですから、その受け入れの準備は12月上旬頃になります。 受け入れ準備の時期には、道路の雪を溶かすための「砂巻き」をしたり、夏の間の作業時に次の観測隊が使うための布団干しをします。このような受け入れ準備をする習慣になっています。 越冬隊の布団は、最初は新品を使います。越冬途中の冬は、布団干しが出来ませんので残念ながら1年中そのまま使います。しかし、乾燥しているのでかびなどは生えませんので意外と綺麗に使えます。 すべて使い終わった布団は、良い物は内陸旅行や後の隊の夏の布団に使い古して、悪い物はウエスや緩衝材になります。■PEN□
Jan 25, 2007
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今日の話題は、「南極と女装」です。 南極観測隊と言えば男の世界!と言っていたのは一昔前になってしまいました。最近では女性隊員も越冬しています。よって伝統的行事とも言える隊員の女装は消えてしまったのでしょうか?詳細はわかりません…。 もともと女装は越冬隊の初期の隊員が始めたようです。その当時の隊員はジョークやユーモアがあったようですね。ミッドウィンター祭(南極での冬至を祝うお祭り)で女性がいなければ誰か女装して見ては?ぐらいの感覚、ないしは大学祭ののりのようだったと思います。 私の観測隊でも女装をする人は決まっていて、誕生会やパーティーの時にはお酌などをしておりました。調子にのった隊長が冗談でしょうが「今日は○○○○○○いないのか?」と言ったぐあいです。彼は、わざわざフランチャイズレストランのオレンジ色の制服を借りてきて女装していました。 女装はちょっと味のわかる大人の遊びってところですかね…。しょちゅうしてるわけでありませんから(弁解)!残念!■PEN□
Jan 24, 2007
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今日の話題は、「南極物語」です。 先日講演会をさせていただいたのですが、今のお子さんは「南極物語」を知らないんですね…。タロー・ジローって何?という感じです。当たり前のような気がしますが、今の時代はそうなんですよね。そういった方々にもわかるように、ちょっとだけ、タロー・ジローのことを書きます。 第1次南極観測隊は、研究観測を行うため移動手段として犬ぞりを使うことになりました。すなわち、「犬」を昭和基地に越冬させたわけです。この犬は、主に寒さに強いといわれる樺太犬を使用しました。黒い長い毛を持つ気の荒い犬たちです。 第2次越冬隊が第1次隊と交代するため物資の輸送を行おうと昭和基地に近づきましたが、当時の観測船宗谷は小さく砕氷航行が困難で昭和基地に近づけませんでした。その結果、食料等輸送ができず第2次隊の越冬を断念しました。 船から昭和基地までは飛行機で行けたのですが第1次の隊員を戻すだけで精一杯で、犬たち数頭は残さざるをえませんでした。犬は首輪をつけられ鎖につながれたまま残されました。そうして第3次隊が南極に到着し飛行機の上から動くものがあることに気がつきました。それが、タローとジローと言う犬だったのです。 彼らは、飢えをしのぶため首輪をはずし鎖からのがれ基地にあるえさや動物の死骸などさがして生き延びたようです。当時、第2次隊が犬を南極に残してきたことで国民にかなり非難されましたが、タロージローの話を聞き感動を与えました。これが南極物語という映画となり上映されました。 そのうち、むかしむかしあるところに…。という昔話になっちゃうかな?■PEN□
Jan 23, 2007
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今日の話題は、「南極と手作り」です。 南極では、ない物はどうしようもありません。日本で準備しないと1年間は欲しくても手に入れることができません。工夫をして作り出せばできる物は手作りします。 手作りの物には仕事上工夫して作る機器から、食事のメニューまでさまざまです。中には医療用の資材も工夫次第では手作りするしかありません。大工さんも必要な材料がなければ手で作ってしまいます。 私の場合は、はんだごてを片手に握って置いてある部品のみを使って電子回路を組んだり、機器制御用のソフトをパソコンで作ったりもしました。コックさんは無い食材は代用品を使ったり一工夫をして作ります。 医療の場合は薬がなければ話になりませんが、例えば、骨折の時につかう石膏がなければあて木にするとかします。大工さんはプロですから代替品を準備するのはお手のものですね。 越冬隊は、知恵と臨機応変な対応ができる人が集まっています。そうやって日々工夫しながら生活しています。■PEN□
Jan 22, 2007
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今日の話題は、「南極とお金」です。 南極に越冬するとお金の感覚がなくなります。なぜかというと衣食住が保証されているからです。そうだといっても「物」に関しては私物と公物の二通りがあります。 私物は、これは他人が勝手に取り上げることはできません。当然ですが!公物は、食料を例えると隊員の共通の物ですから、調理担当が管理して公平に使うのが原則です。 ただし、一度与えられた物、お菓子や缶詰などの食料は個人の物となります。一度確保すると自分の物です。配給と一緒です。お金を介在させないので他人の物がほしくなったらもらうか、物々交換ということになります。すなわち、希少価値のある物は日本で安価であっても大きな価値があります。逆にいくら日本で高くても必要がなければ価値はありません。 今考えてみると、お金のない社会ってこういうことなのかな?って考えます。物ってあるエネルギーを形に変えた物?時間とか材料とか場所とかが形になってある対価になっているだけなのかな?と思います。■PEN□
Jan 19, 2007
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今日の話題は、「南極とサウナ」です。 昭和基地のお風呂場の横に電熱式の1人用のサウナがあります。ここにはノートがおいてあって、感想や誰が使用したか等が書けるようになっています。 サウナなんて一見無駄そうに見えますが娯楽の一環の様なものです。楽しみにしている隊員がいます。好きな人はほぼ毎日、1回に入る長さは45分が最長と先のノートに記入されています。 ノートの中にはお願いとして、漫画本を置いてほしい、音楽が流れればいいのに、とか、ビールを置く棚がほしい等、わがままが書いてあります。 人間の思う「楽」ってこういうもの(南極でサウナ←贅沢?)なのかな?と考えることもあります。私は暑いのが嫌いなので、サウナは一回も入りませんでした。なので、違った「楽」を追い続けていた様な気がします…。■PEN□
Jan 18, 2007
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今日の話題は、「南極と下着」です。 「南極って寒いんでしょう!?」と今でもよく聞かれます。そんなときは、「なれてしまうと大丈夫なんですよ」と答えることにしています。 その理由には、毛穴がふさがって寒さに体が順応することが考えられます。そうは言え、越冬頭初は、なれていない為寒いと感じる事が良くあります。 寒さの対策は、何年も観測隊が越冬していますのでそのノウハウはかなり完成度の高いものになっています。下着はその中でも保温性のよいものを使っています。 一番下に着る下着は、ウールの下着を着ます。ウールですと作業をしているときなどに汗をかいた後でも吸水してくれて寒くなりません。その上には、キルト肌着を着ます。これは断熱性が高い下着です。下着と言っても薄手のダウンのようなものです。 その上はセータを来ます。セーターは内張がしてありますのでこれも暖かいです。そしてその上にダウンを着ます。靴下や手袋も2重にはくことがあります。 こういった下着などで私は、寒い思いをしないですみました。 P.S.キルト肌着やセーターダウンなどは、日本に持ち帰ってクリーニングして再利用するんですよね…。観測隊は節約上手?■PEN□
Jan 17, 2007
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今日の話題は、「南極と鍋物」です。 観測隊の食事は和洋中と様々なメニューがつぎつぎと食卓に並びます。その中でも鍋物はよく夕方の食卓に並んだと思います。人気メニューです! やはり、寒いせいでしょうか鍋物の人気は高かった様です。また、晩酌にビールや日本酒がありますので、飲みながらみんなで鍋をつつくというのが良いのでしょう。 日本も冬になると鍋物を食べたくなるのは当然なことですね。すぐに暖まるから良いのでしょう。しかし、昭和基地の食堂は暖房が良くきいていますので、鍋でなくとも良いような気もしますが…。 冬、寒い=鍋物なのでしょうね。石狩鍋、キムチ鍋、蟹鍋などいろいろあったと思います。最後にご飯を入れて雑炊にするのもいいですね!■PEN□
Jan 16, 2007
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今日の話題は、「南極とベビーブーム」です。 南極観測隊の結成は毎年7月に行われ、一部の隊員を除き国立極地研究所に準備のため通勤することになります。そして物資の準備が終わり12月に日本をでます。越冬隊員は、翌年2月に前の隊と交代し、翌々年の3月に日本に帰ることになります。 越冬中、観測隊員の奥さんが出産されるケースが良くありますが、私の越冬した年は1月中(越冬交代前)に3家族もの出産がありました。まさに観測隊のベビーブームです。 どうして集中するのでしょうね?昭和基地新聞は、もってこいの内容に、これぞとばかり記事に書き上げます。 そして、その隊員のお子さんは帰国したら1歳になっています。子供から見たら、お母さんと兄弟のだけの生活だったのに、どうしてどこかのおじさんが毎日、家にくるのか疑問になります。子供がなつくまでに3ヶ月を要することは当然のことですね。(3ヶ月なつかなかったのは我が家のことです。笑)■PEN□
Jan 15, 2007
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今日の話題は、「南極と料理講習会」です。 昭和基地には、2名のプロのコックさんがいます。隊員の中には家庭料理を作る人もいます。また、全く料理など作ったことがない隊員もいます。 私などは時々調理室に入り込んで手伝いと称してつまみ食いに行く事もあります。しかし、まじめにお手伝いをと思っても40人分の食事となるとこれは結構重労働です。 特に油ものは、油が鼻について食欲が減退します。調理の人は大変なので時々任せてくれました。チャーハンなどのフライパンで調理する料理はプロ用の大きなフライパンでフライパン返しをしますので肩や腕が痛くて大変です。持ち上げるのも大変なぐらいです。 コックさんは料理講習会を料理が好きな人を集めてすることもあります。主には内陸旅行に行く人たちが交代で食事当番をするため、食材の確保(毎日の食事のおかずを少しづつ冷食用にパックする)と調理のコツをおぼえるために講習会を受けます。 また、内陸ではパンを解凍すれば簡単に食べれることから、基地で食パンを焼いて適当な大きさにして冷凍する作業が多いです。内陸旅行に行って帰ってきたらちょっとしたものなら調理できるようになります。■PEN□
Jan 12, 2007
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今日の話題は、「南極と空白の1年」です。 南極の基地に1年間越冬すると情報が欠落します。今は、インターネットでニュースや芸能情報まで見ることができますが、昔は船舶向けの無線FAXを受信して情報を得るだけでした。 私が越冬した20年前は、日航ジャンボが墜落し、阪神タイガースが優勝し、おにゃんこクラブが活躍した年でした。 前者の2つは、FAXの記事の内容から相当大きな事故であり、ひさかたぶりのターガース優勝の様子は伝わってきました。次の越冬隊が来たとき、日航の事故のすごさは週刊誌の表紙の写真を見ただけでぞっとしました。 後者のおにゃんこクラブですが、これはさすがにまったく情報が伝わっておらず、帰国後話題についていけませんでした。この他にも特に芸能関係やちょっとしたニュースでも初めて聞く過去の情報が、みんなは知っているのに私は知らない、という空白があることに気がつきました。 あまり不自由はしていませんが、TV中継やラジオがないと情報ってリアルタイムに伝わらない事を痛感しました。■PEN□
Jan 9, 2007
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今日の話題は、「南極と運転免許証」です。 昭和基地には、雪上車やらトラックがあることは、以前話したとおりです。しかし、運転するとき運転免許証は必要なのでしょうか?答えは、ノーです。公道がないので運転免許証は入りません。 ただし、南極は日本国の領土でもないし公道も無いとはいえ事故にあうといけませんのでルールは作っています。ですから、機械担当の隊員が発行する昭和基地運転免許証は存在します。 基本的に昭和基地免許は、日本国の運転免許証を持っている人はどんな車でも運転できます。いきなり4トントラックを運転してと言われてしましたが、怖い思い出があります。しかし、何とかなるものですね。工事用のショベルカーは、国内で運転操作を訓練した人が基本的に操作できます。昭和基地で特別に訓練した隊員も操作できます(これも昭和基地免許が必要)。 こうして、どんな車両でも運転することになるわけですから越冬する前に大型免許でも取っておけばよかったと後悔しました。逆に運転に目覚めて帰国後、大型二種まで取ってしまう隊員もいます。■PEN□
Jan 8, 2007
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今日の話題は、「南極とにおい」です。 日本にいると森の木々の香りや都会の排気ガスの「におい」を、時折、感じることがあると思います。人は、無意識の間ににおいによって気分が良くなったり悪くなったりしますね。 南極には、木がありませんので木のにおいもありません。車両がありますから排気ガスはでますが光化学スモッグのようにはなりません。南極は無臭と言っても過言ではありません。 しかし、夏の建設作業時には、風で砂埃が舞うことがあります。こういったときは、砂埃のにおいを感じます。また、内陸旅行中は3ヶ月も風呂に入らないときがありますので体臭は感じているかもしれませんが、自分のにおいは意外と感じません。 こうして越冬生活を終わりオーストラリアに着くとなんて色々なにおいがあるのだろうと感動します。■PEN□
Jan 5, 2007
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今日の話題は、「南極とお正月」です。 新年あけましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。 南極昭和基地のお正月は、新しい観測隊が到着して新鮮な食料が到着しておせち料理も立派です。 卵も新鮮ですから伊達巻きも美味しかったです!2回目の越冬は、昭和基地から1000km内陸のドームFと言うところで迎えました。 特におせちやおもちがあったわけでもありませんが新鮮な感じがしました。世界中何処にいても日本人はお正月を感じることが出来るんですよね!■PEN□
Jan 3, 2007
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