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こうして日記を毎日書きつづっているのは誰の為?。 ふとそんなことを考えてみた。 無論沢山アクセスしてくれる見てくれる人達の為と言うことも有ろうが、一番の目的はやはり自分自身の為では無いかな?と思う今日この頃だ。 何処かで書いた事と重複してしまうかも知れないけれど。僕は兼ねてから自分がここに居る(居た)と言う様な存在証明とでも言う物が欲しかった気がしている。 虎は死して皮を残すという言葉を考えたとき、それじゃあ僕は?と考えた時、今まで何か残してきたのだろうか?。 そりゃ、曲がりなりにもン十年以上も生きてきたのだから、それなりの人数の人達と知り合い、幾人かには断片で記憶に残るかも知れないけれど、それは僕の断片であって僕という人間が居てどんなことをしたのか?。という事までは何処にも残らないのでは?と考えた時、そうだ、WEBに日記という形で残したら僕が居たと言うことが残るのでは?と考えたのがそもそもネットで日記を書こうと思った切っ掛けだった。 他人的にはどうかは判らないけれど、自分的には波瀾万丈だったと思っているから、いつかはきちんと「自分史」として残したいななんて野望も無いでは無いがそれまで自分が見て感じたことを覚えている自信も無いし、紙に書いた物は間違って捨ててしまうことも有るかも知れないからネットに残せば自分の所に残すより安全?に残るだろう。 こうしてネット上に書き始めたのが六年前、パソのHDクラッシュで無くした日記も含めたら七年か八年は自分史を書いてる。 前だけ向いて歩いてるという人も居るけれど、こうして書きつづっていると、僕という人間は振り返りつつ歩いているタイプなのだな~~と思う。というかン十年こうしてきてるのだから、多分このパターンで行くことになるのだろう。 良いか悪いかを自分なりに考えるとしたら、決して悪いとは自分では思ってもみないままでね。 さて、今日と言う日はどんな事が起こるのだろう?。 昨日の日記で書いたように、朝起きると直ぐにオークションに出品するため、商品説明のタグを貼り付けようと「即売クン」というFreeのソフトを探し出しそれぞれの商品は型番から適当な商品説明を探し出し、コピペで即売クンにて商品説明のタグに作り替え三点の出品を行った。 もちろん、前回の失敗の元?となった最初から落札希望価格の提示という手法は止め、落札希望価格の1/5程度の金額を開始価格としたのは言うまでもない。今まで数十品の出品でほぼ希望価格のラインを超えてきていたが、今回は先週は一度も入札が無かったからどの程度で落札されるかとても気がかりである。しかし、一時間も経たない間で入札され始めたので軽く安心した。 というか、後五日間希望通りに順調に入札が続けば良いのだがね。最悪でも片手には届いて欲しいところだ。…と書き込んで半日経ったら更にもう一件に入札が始まった。これから深夜にかけて入札が繰り返されるのでは?と言う予感が…先週の価格を上回る入札がされないかな~~と期待は膨らむ一方だ。 さて、本日は昨晩調子に乗って飲み過ぎたと言うほど飲んだわけでは無かったが、麦酒で乾杯をし、その後で鷲の尾をクイクイ飲んだからか腹具合も良くなかったし午前中はゴロゴロして過ごした。 んで、昼飯を抜いて午後は何しようかな?と考えているところに親父が登場し、おかずを買ってこいとの御託宣があったので、これ幸いと盛岡までHDの増設用のパーツを買いに車を走らせた。どうにもこのところ古くなって来たHDから異音らしき物がする気がしてたから渡りに船とHD冷却も考えたパーツも…と言うことだ。 車で一時間少々ドライブをして到着し、目指すパーツを選んで購入し、そのまま帰路につき、途中で郊外のショッピングセンターにて、キムチ鍋の材料を買い込んで帰宅。 帰る早々、部屋へ運ぶ荷物は玄関の脇に置いたまま、台所に直行し買った物を冷蔵庫に仕舞い。食材を調理台の上に並べて調理開始。鍋に汁をかけ、火を付け魚介類、肉団子の類を放り込み、白菜をぶった切ってそのまま鍋に突っ込み、ニラも切って入れた後で、肉をパラパラッと入れ、肉に汁が廻る前にエノキやシメジを切って入れ、今度は豆腐とネギを切り汁が殆ど廻った頃に豆腐とネギを加え白菜が柔らかくなった事を確認して完成させ夕食の開始となった。 本当なら、鍋を突っつきながら…食べ鍋に具が無くなりかかったらご飯を入れほぐし軽く煮込んだところで溶き卵を加えて雑炊にして…とやりたいところなのだが、如何せん食べる習慣がご飯のおかずとして…だから上に書いたようには行かず、鍋を作ったんのに具だくさんのご飯のおかずとしてしか食べられないのが寂しいところ。何だかな~~こういう習慣を途切れさせるには、僕と同様の食べ方をする人間がもう一人居ないと実行は出来ないだろうから前途多難と言うことだ。 そういや、友人の働く会社に税務署が入ったとか、てんやわんやの作業が続いているとか、御苦労様と言いたいところだ。御苦労様友人A氏。 晩飯食ったし…と言うことで買ってきたHDケースをパソコンに組み入れる事にし、道具を用意したりパソコンから取り外す物を取り外し、新たに外付けケースに入れていたHDを組み入れて再起動させてみたのだがBIOSでは認識しているのだがどういう訳かWIN上では認識してくれない。メーカーにレスキューを求めるにしても休日では応対もしてくれぬだろうと、接続したMBの部位を代えて再チャレンジしてみたら、今度はCドライブがずれて認識されてしまい起動不能となってしまう。 それではと、MB上の起動デバイスの位置を変更したところ何とか復旧出来たと文字で書けば数分だけど、実際には三時間以上はかかっていた。んで、外付けから内蔵に取り敢えず取り付けたHDはデータレスキュー用として組み込んだ物だから、異音がしていたHDのデータを早速移動…という前に、きちんとフォーマットし直してからデータの移動をさせることにした。 ただね、新たに購入した5インチベイ用のHD収納ケースだが5インチ二台分使って三台のHDをと言うことだから熱暴走の危険があると思う。唯でさえ熱暴走予防に…と購入に踏み切ったのだが、果たしてどうなる事やら一応FANが付いている分有る程度の効果は見込めそうという感じかも。 効果が見込めそうなら、今度はPCケースをきちんと取り付けて様子を見ることに…ね。熱暴走によるクラッシュは四、五回ほど経験しているが、そのたび毎にHDの中に入れてあったお宝動画を無くし続けてきたから今度…は避けたい。光を使っていた頃ならHD一台分なら三、四日もあればネットで集められると豪語していたのだが、現状の回線で集め直すとしたら二日で一本として一年はかかってしまうかも。それを考えると今度は…無いようにしなきゃね。 オークションは前回の時よりウオッチリストに追加される頻度が高いようだ。理由はやはり開始価格を前回より半分以下に下げた事だろうと思われる。まずは順調な滑り出しに思えるから、後は経過を追うことにしよう。
2004/10/31
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HPや、掲示板で遊ぶ相手を募集する呼びかけを目にする事が多いのは男性なら判るかも知れない(話は一応H系での話)。 多分、大多数の人々は騙されるとか脅かされてしまう事を想像しがちだと思うし、そう言った被害に遭う人の数は少なくないのだとも思う。だからこそ、ネットでの出会いや、遊びには少なからぬリスクが伴う事を雑誌等で頻繁に取り上げているのだと思う。 そう言った意見は殆どは正しいとは僕自身でも感じては居るのだが、そう言った危険が在る中でも、意外に遊べる?と言うのもこれまた事実であると思う。 例えて言うなら梓みたいな女の子だって決して居ないという訳では無いのだが、ちまたに溢れる援助交際の女の子の数が多くて…といった感じでは無かろうか?。 また、掲示板で言うなら、騙された?引っかけられたという経験は何度かはあるが騙されたという事は無い。だが、気軽に風俗遊びをする感覚では楽しめないと僕は思う。 HPでの集まりにしてもそうだ、私的なパーティに呼ばれて…といった感覚で参加するなら楽しめるかも知れないとは思うが、風俗気分で参加したのでは、本人も楽しめないだろうし、主催者だって嫌な思いをすると思う。 ネット遊びをいけないことと僕は考えては居ない、それにバーチャルだから匿名で何をやっても許されるとも考えては居ない。もし、そう考えている人が居るなら、その人には今すぐネット遊びを辞めて欲しいと思う。 掲示板では、大多数は真面目な出会いを求めている人が少なくない。だからこそ掲示板を逆手に使った様なスパムメールとかが横行して騙される人が出てくるのだろう。 う~~ん。書いてて書きたいことからどんどん遠く離れてきている様な…。 掲示板の書き込みで何回かお手伝いに参加したこともあれば、HPのオフ(飲み会&泊まりにも参加したこともある。正直面白かったと僕は思っている。色んな人にあって、色んな話が聞けて、色んな体験が出来たりもした。ま、社会常識から外れていると言うことも少なくなかったのは事実だ。 個々はそれなりに真面目なんだな~~と言うのが感想というか、そう感じる事が多かった様に感じた。とは言え、実際のネット遊びは入院前までだから、過去一年以上は遠ざかっている。 さて、本日は、朝は普通に起き出し、九時過ぎてから従兄弟が来て。村落の歴史研究会?と言うことで一緒に天台寺方向に向かい宝塔?の検索を行った。一応二十年ほど前に書かれた郷土研究の紙面を元に検索をしたのだが、小さな集落の物は簡単に見つかったが、天台寺周辺にあるという物は簡単には探し出すことが出来なかった。が、何とか午前中に探し出して撮影をし計測して午前中は終了し、午後からは歴史研究会の集合場所へと移動をし合流して再度場所を移動し昼食を取った後で再度移動をし検索へと作業は移った。山裾を移動しつつの検索作業はなかなか捗らないというか、自然の物を利用しての造作物か全くの造作物であるかどうかの別がしづらくて判断に困ってしまうことが少なくなかった。まあ、書籍に全く残っていない建物の跡地の遺跡など、想像力がないととても想像は難しいよね。 更に他に移動し散見したのだが、自然の地形を利用しての館跡として考えるにはその地方の力関係とか勢力図を考えて検討しなくてはいけないよな?と自分の知識の少なさにため息が出た。だが、見た館跡は地形を上手く利用して居るなあと思わずには居れなかった。その中でも、その土地の裕福さが館の立派さに比例してると考えた。 色々散見した後、村落の公民会で納会を行った。体の言い飲み会である。一応会の会長(子供の頃から知っている)と会の指導的立場(従兄弟)が居たので僕の立場は気まずい物では無かった。 一応自己紹介の後飲み会が始まった。当初は遺跡とか、この地方の話が出ていたのだが、役場の人間と、先生と呼ばれる人間が帰ってからは先日会った選挙の話とか始まり場が活気を帯びた話題になった。ま、時にはこういう事も良いだろう。 色々な話が飛び交った後で参会となり家まで送ってもらって、今夜の日記タイムとなって書き始めた。ネットの知り合いがコメントを付けてくれて嬉しかった。何か変な事ばかり書き込んでいるからコメント付けづらいだろうと自分でもかんがえていただけに凄く嬉しかった(*^_^*)。 オークションだが、結果から言うと全滅だった。やはり説明が欠けていると嫌われる物なのね。んで、再度明日出品し直す事を決定した。今度は開始価格を落札希望価格に…はしないで1/5程度に抑えて出品するつもり。って出品して十分もしないうちに入札が始まった(*^_^*)。
2004/10/30
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時々、ネットで流出物?として芸能人の動画が出回るケースがあるが、その大半は見た感じが似てるかな?なんていう微妙なケースが殆どで、本人じゃん!!!と驚くことなど滅多に無いという事が定番のように感じていた。 けど、昨日見た物はこれって本人としか思えないじゃんという物で声と良い、スタイルと良い、「TV見たいな…」という途中のコメントと良い、見てしまってビックリ驚いてしまう物だった。しかも、それが、一般の書店で購入出来る書籍のおまけとして付いていたなんて…というから二度ビックリだった。 先の盗撮物は一般に売られてた…という訳では無かっただけに、流れると言ってもその量はたいした物では無かったろうが、書店で購入できる雑誌のおまけとなっては出回った量は比ぶべくも無いだろう。 まあ、昨年は数本温泉とか何処かの浴場とかで撮影された若手の芸能人の可愛い娘の盗撮ものは、こういう時代になったのだな…などという感じで見た。 だが、今回の驚きは盗撮された物では無く、本人が撮影されている事を知りつつ楽しんで写されているという内容だったからだ。 まあ、内容と言えば軽いSM的な要素を含んだ物だったと言うことで、僕的にはああ、この人もこういう趣味が有ったのか?。と思わせる内容だった。 だけど、全部を見終わった後で、最初は面白いと感じていた気持ちが、徐々に何かしら嫌な物を見てしまった様な気持ちに変わってきていた。 過去に結婚していたとかテロップで流れて居たけど、過去そうであったとしても、こういった物を社会的に流れるかも知れない所に売ってしまったという行為は認めがたい気がしてならない。 盗撮と、二人だけで撮影した物を流す行為は似て非なるもので、昨今ネットでは過去に撮影されたと思われる画像が出回ったりしているとは思うが、後味は良くない。 嗜好的には楽しめたけど、二人の関係が壊れたからと言って流す行為は何だかね…。そういや、過去にもこういった流出物って結構有ったような。。。 今回そう思ったのは雑誌BUNTAの七月号に出ていたという石田えりの流出物、以前に見た盗撮物は芸能ニュースで取り上げられていたかとうあいの物や鈴木さりなの物など、前者は取り上げられた直後から画面上で姿を見ることが少なくなり後者にしても直後から見かける機会は減ったように思う。さて、今年の夏に出た結果は…。お金の為(流出)だとは思うが何だかだよね。 今日は昨日から親父に言われていたように、朝から親父と連れだって家の山に入った。親父は道路?に生えた草の伐採、俺と言えばすることが無かったので、携帯のカメラで秋の風景の一こまを写しては知人に送っていた。車で十分ほど入った山中だが、近くを走る高速道路の車の音以外は風が木々の間を通り抜ける音しか無いところで「秋の一日」を感じていた。 ところで、親父は何の為に俺にも来るようにと言ったのだろう?。家の所有地を教える為だったら春先にも一度来ているのだけどね。それにしても今は車があるから乗り付けるのは面倒では無いだろうが、親父が植林した当時はわざわざ道のないこの山中に歩いて登ってきて植林したのだと考えると頭が下がる。もし俺に同じように…と言われたら出来る自信は無いしね。 山中に親父が付けた道の草の伐採が済んだ後で、軽く所有地を車で歩き、大体の他の土地との区分けを聞きながら巡った後で家に戻ってパイプハウスの解体を手伝った。 昼になったので昼食を食べ、知人から携帯にメールが入っていたので電話を入れ、「流出…」について色々話したら俺と同意見だった。ま、似たような嗜好が有ったから話しやすいと言うこともあったので、このHPの事を言ったらURLを教えて欲しいと言うので口頭で伝えたら即見始めていた。 彼女とは似たような嗜好が有るから今更なんだけど、他の僕の嗜好とか、HPに書き込んだ遊び?とか以前水商売をしていた事を言っていないネットの友人にも教えたというと一言「そう」と言っていた。だけど、誰も書き込みをしてくれないと言うと「それはそうでしょ?普通は他人に言わない性的な嗜好云々を書かれてたら書き込みしづらいわよ」と笑っていた。 ま、それはそうだろう。だが、特に隠すほどの事でも無いと僕的には思っている。 午後からも手伝う予定が、若干変更になったので部屋でゴロゴロくつろいだ後でほんの少し手伝いをした。 んでもって夕食を食べ、今夜も部屋に入って日記タイム。だけど、今日は書くことが少ないかもね。 僕にとってネットの友人=リアルの友人という事が多いので、ネットはバーチャルな空間という認識は少ない。が、多くの人間にとっては未だにネット=バーチャルな空間と考えている人は多いのだろうか?。 久しぶりのオークション三点出品し説明も殆ど無しで、オークションに提示し順調にアクセス総数が増えウオッチリストに入れた人数も増えたにもかかわらず入札者は未だに0のまま。強気な価格設定が悪かったのか?それとも横柄に商品説明を殆どしていない事が悪かったのか、二十四時間後には結論が出るはずだ。今まで出品して入札が0だったら初めての経験になるな。やはり商品説明は懇切丁寧にするべきだよなと今更ながらにそう思った。
2004/10/29
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居酒屋とかだったら、今なら品書きに書かれた値段&消費税となるのだろうが、飲み屋の飲み代ときたら極普通に生活を送ってる人からしたら、何でこうなるの???という気がするのでは無かろうか。 それでも、判りやすい所は金額というか計算方法を表記してたり(CLUBではまず無いけど)するところもある。 飲みに行ったら、そこの店にある酒以外は無理なのでは…。 と何も知らないときはそう思っていたのだが、CLUBで働き始めて直ぐに客の注文の酒が無い時などは「○○へ行って借りてきて」とか、「走って酒屋まで買いに行ってこい」などと言われることも珍しく無く、客の注文が無いと言うことは滅多に無いのだな(それゆえ高いとか高級と言われるのかも)と思う様になっていった。 だが、今ひとつ良く分からないのが、店で出されるボトルの値段かな?。過去の経験から考えると定価の倍から1.5倍程度がボトルの金額(表示価格)だったように思う。しかし、それでも他のボトルの兼ね合いでと定価の三倍位になっていたボトルもあったかに思う。(僕の経験だから新宿のそこそこの店)国産ウィスキー(リザーブ、スーパーニッカ等)が一万円を切る価格設定ならブランデー(ヘネシー、マーテル、レミー等)が二万円台だったかな。 ある時、客がルイを入れると言うので慌てて買いに走ってきた時の表示価格は確か二十万を切って居たように思うがそれでも仕入れ値の倍程度だった。他では国産ウィスキーの比較的高い物がブランデーと同等の価格だったりというのも原価を考えると???な話であった。 ま、ウィスキーを入れたら五万円程度?ブランデーなら八万円程度という新宿のCLUBとしては普通?の店に居たがそれでもやはり銀座の金額を聞くと…「高いな…」と考えたことを今でも覚えている。 そんな頃もあったな~~と懐かしく思う気持ちもあるが、今の生活で考えたら「オヒオヒ」な金額である。 てか、今なら居酒屋が妥当だよなと自分では思う。 今日の予定は何も無し、昼近くまでのんびりベッドでゴロゴロした後で、今夜は鍋を作ろうと思い立ち着替えて食材を買うために車で隣町まで買いに行くことにした。途中でスタンドに立ち寄り、先日立ち寄った時は小雨が降っていたので出来なかった洗車を行って車も綺麗になったところで買い物にGO!!!。 何時も立ち寄るMaxValueで、鍋に入れる渡り蟹や豚肉その他少しづつ買って最後に部屋で飲む缶チューハイを少し買って値段はそこそこ安価になる物と考えていたのだが、予想に反し、高く付いてしまった。ま、何処かに食べに行くことを考えたら驚くほど高いと言う訳でもないけれどね。 家に戻って少し休んで居ると、親父が帰ってきて「少し手伝ってくれ」と言うのでストーブの煙突の修理を手伝った。んで、早速にストーブに着火して暖まって来たところで鍋の材料を切り分け鍋を作ったところでストーブの火を見て部屋に戻って少々くつろいだ。 夕食の時間だな…と思って居間に行くと丁度頃合いの時間になっていたので再度軽く火を入れ、ストーブの薪を見てから夕食。作った鍋はまあまあか。出汁と言うより、入れた食材からでた出汁が適度に出ていて美味しく食べることが出来た。それに、今まで寒い場所で食べていたときに比べて過ごしやすい暖かくなった居間で…という効果は見逃せないだろう。 食後に何となくニュースを見ていてイラクで拘束された日本人の話を聞いて何となく腹立たしく感じてしまうのは何故?というか、被災地の人間に国が援助の手を差し伸べることに対しては文句は無いが、自分の勝手で行って捕まったから何とかして欲しい(新聞)などと言うのは如何なものかと正直に思った。拘束された日本人の救出にいくらかかるかは、前回を例にして考えたら十億はかかるかもしれない。しかし、その十億を被災地の救援に使ったとしたら何百人、何千人が助かるかと考えるとどうしても頷けないものがある。そもそも、危険な場所を承知で行って、捕まったから助けてというのは何だかね(関係者には悪い気もするが当事者の責任だと思ってしまう)。 夕食を食べたので部屋に戻って日記タイム。さて今日は…。 そうそう、今週末は従兄弟の紹介でこの地方の歴史研究会?に参加することになりそうな感じ。歴史には興味があるから参加することには躊躇いが無いし知ってる人間が少なくないと言うのも悪くは無い。 そういや、夕食前にHPの徘徊をしていると知人のHPでネットの知り合いの名前を発見し少し驚いた。何でも僕のHPのリンクから飛んで行って書き込みをしたとか…。オヒオヒ、それならそっちよりもこっちに足跡残すのが先だろう!!と突っ込みを入れようかな?とも思ったが、ここのHPには足跡を残し辛いのかもね?。と考え何も言わずに日記に書いておこう(^^ゞ。 そういや、今朝方初雪(今シーズンの)が山々に降ったらしい。らしいと言うのは現場を見ていた訳ではなく、午後に買い物に出かける途中運転士ながら見えた安比のスキー場がうっすらと冠雪していた。安比を過ぎ岩手山が見えたらこちらも同じように冠雪していた。もうそんな季節が来たのか?という驚きと共に、そろそろ帰って来てから一年経つのだな…と感慨を新たにした感じ。 あの辺が冠雪したって事は、後一月もしたら家の当たりにも雪が降ってもおかしくないって事だろう。そう考えたら今週末にでも車のタイヤを交換して置いた方が無難かな?などと考えていた。
2004/10/28
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久しぶりで、自分の書いた手紙を読んだ。 雑な文体だな…などと考えながら読み進み、その当時の事を色々思い出していた。 あれ、あの頃って結婚してなかったっけ? そう考えたら、何だか自分がとても酷い男だったのだな…などと少し反省したりもしたが、日付をよく見てみると、その頃はすでに嫁は実家へ帰っていて別れることは決まっていた頃だったのだな…と自分の行動が疚しかったのでは?、という疑問が氷解できてほっとしたり…。 そう言えば、つい二年ほど前の事だが、子供の事で元嫁と連絡を取ったときである。「そう言えば、貴方別れる頃好きな女の子が居たでしょう?」などと言われ「そんな事は…」と言いかけて言葉に詰まってしまった事があった。 そして出た言葉は「何で?」という一言で、それを聞いた元嫁は「女の感は鋭いでしょ?何となく感じていたのよ」などと言っていた。けど、別れる事が決まった頃は手紙を書く遙か以前で…。 女の感が鋭いのか?、かまををかけられ引っかけられた俺が馬鹿正直だったのか(;^_^A アセアセ…。 何年も過ぎ去ってしまうと、旧友みたいな感じになっているが、周囲に言うと驚かれるのはどうしてだろう?。別れたと言っても、子供にとっては母であり、父であるのだから時には連絡を取るのはおかしいことでは無いと思うのだけどね。 昨日の通院の疲れが出たのか爆寝してた。と言うか、夜中に更新出来なかったから良く寝れたのか?。ま、どちらでも良いが良く寝た割には何となく眠かった。んで、何時もなら弁当を作らなきゃ…と台所へ駆けつける所だが、昨日考えたように婆が作るなら俺が手を出さなくともと考えそのままゴロゴロベッドで過ごし、取り溜めた動画鑑賞を始めることにした。 ついこの前までは「夏の香り」に填っていたが今では「秋の童話」が面白いと思っている。丁度ホテリアに出ていた金持ちの娘役だった女の子が今回の主人公で相手役は夏の香りの男というのもドラマに入り込みやすかったかもしれない。まあ、前回の役所でも一途な思いを好演した女の子だっただけに今回も楽しませて貰えそうな気がしている。 そう言えば、オール・インでも相手役だったかな?こちらも集めなきゃね。んで、Happy Togetherも第一話だけ見たのだがシリアスなドラマを立て続けに見てきてる所為か笑いの要素が有るかな?。という気がした出てくるのはオール・インと秋の童話のそれぞれの相手役ばかり何か良いとこ取りのような感じ。ま、五話くらいまで見ればその先も判るかとは思うがね。 見ている途中で携帯のベルが鳴ったけど取ろうとしたときには切れてしまった。一応相手の名前は見るには見たがかけずに放って置いた。昼飯も食べずに見続け、HPに日記が書けるようになったのを確認してフロント部分を書き込んだ。 一昨日出品したヤフーオークションだが、アクセス数はそれなりに有るのだが入札は未だに無いまま。一応ウオッチリストに三点共入れてる人が居るようだからたぶん、入札される可能性は皆無では有るまいと願っている。半年前の購入した品であるが使用状況はOSのインストしたのみ程度と、HDはそれぞれOSのインストのみという程度の品で一応購入時の価格(その後に買い足したりメンテの経費とか)の二割引程度で出品しているのだが後一日…と言うところで入札者が現れて欲しいなと願っている。 夕食を食べ本日も麦酒片手で日記書き開始。今日はどんな事が会ったかな…って寝てただけやん。
2004/10/27
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一番最初に付いたあだ名は「コーラちゃん」だった。あまりに「コーラちゃん」「コーラちゃん」と呼ばれる日々が続いたので思いあまって「何でコーラ?なの」と尋ねてみると、「だって毎日コーラ運んでくるでしょ?」と答えが返ってきた。 当時アルバイトでキャンパス・パブのウエイターを始めたばかりの僕はショータイムで踊る人達が踊った後で、喉が渇くだろうと毎日運ぶことを言い渡されて、日に二度ショーの照明が終えた後で決まって運んだのがコーラだった。 そんな風に気軽に声をかけて貰うようになって程なくして彼女達と良く飲みに行くようになっていった。親しくなる切っ掛けなんて、こういうたわいの無い事が切っ掛けだった。その頃はまだまだ遊び半分のバイトだったが、六本木に誘われ新宿を辞め一度は六本木に行った物の、再び新宿に戻る頃にはバイトでは無く正社員になっていたのは収入の面が大きかった。 そして、その頃からホステスさん達に「北ちゃん」と呼ばれる事が多くなり、それは水商売をしながらパソコン通信を始めた時にHNはどうしようかな?と思ったときに、本名でなく何処で名前を呼ばれても違和感が無く恥ずかしくない名前である。と言うことで呼ばれ慣れてた「北ちゃん」をそのままHNで使うことに決めたのがネットで北ちゃんと名乗っている所以である。 HNは奇抜な物は確かに覚えやすいし印象に残りやすい。所がオフでは恥ずかしくて言えない呼べないものも有ったりする(印象に残っている物と言えば「パンツごーごー」?がある)から愛称であった「北ちゃん」にして正解だったと今でも考えている。 けど、もしもあのまま経営状態が悪化(今にして思えばバブルが弾けた)しなかったら、あのままショーを担当し続け僕はHNを「コーラちゃん」にしていたかどうかは判らない。けど、あの頃の「コーラちゃん」と呼ばれた事は嫌では無かった。誰だって好みの娘に気安く呼ばれて嫌な気はしないだろうしね。 そういや、一度一緒に飲みに行った時に告って「ごめん」と言われたのは悲しかったな…。 コーラと呼んだ三人娘の一人はその後仕事を上がって主婦になり、一人は水商売を一度は上がった物の再び戻って来てたし、もう一人は未成年からそのまま続けていたようだが今は何処で何をしているやら…。子供が嫌いと言っていた美保が一番最初に子供を作ったのには驚かされたな。 水商売時代からパソ通時代、そしてインターネットの今も使っている「北ちゃん」というHNは、HNというより僕自身だと言えると思う。というか、過去ン十年以上仕事でプライベートで「北ちゃん」と呼ばれ続けてりゃあ誰だった自分=北ちゃんに成ってしまうよね。 昨晩のうちに、今朝は弁当を持って山へ…行くと聞いて居たので親父の出かける三十分前に作り始めたら丁度良かろう?。と考え、一度は台所へ行ってみたのだが、生憎と婆さんが台所に立って居るのが見えたので、一度部屋に戻って再度出向いてみるとテーブルの上には弁当が作られていた。 婆さんが作れないなどと言い始めたので作り始めた弁当だったので、思わず怒り出しそうになったのだが、怒ってみたところで虚しくなるだけとそのまま部屋に戻って二週間に一度の通院に行く前に休んでいると、親父がやってきて姉の家に米を届けるように&買ってきて欲しい物が有るというので聞き、車のトランクに新米を一袋載せて持って行く準備をし着替えて家を後にした。 頭の中で「婆の野郎!!…」などと少しいきり立って居たが、物は考えようで、婆が作るのなら、おいらは朝からのんびり出来ると言うことで…そう考えると楽ちんだ~~と思うことにした。 二週前は連休後と言うことで混み合っていた病院だったが、連休明けというわけでもないのにものすごく混み合っていて、看護婦さん達がとても忙しそうに動き回っていた。軽口の一つでも言いたい気分だったけれど、そんな様子に押され言うことは出来なかった。 検診は相変わらずといった所か、リハビリにしても軽くさすられている程度にしか感じず、受けている最中にマッサージにでも行きたいななどと考えていた。 病院を後にし、姉の家に米を届けた後で社会保険事務所に向かい、書類を書いていると横浜から電話が入り、ノートパソのレクチャーを依頼されたので、書類を書き上げ提出した後で大阪に電話を入れ簡単なレクチャーを行った。 一応、自分がやるんだったら…という感じでこうした方が良いんじゃないかな?と思う方法を伝えて置いたが、独り暮らしでは無い彼に奥さんと相談して決めた方が良いと思うよと伝えて置いた。さてどういう風にするのかな?。 何時もなら、この後はネカフェへ立ち寄ってから帰る所だが、出がけに今日は立ち寄る気がしなかったので何も用意してきてないのでそのまま帰路についた。 途中でおかずを買って、ガソリンの補給をして帰宅。早速ネットでオークションの経過を眺めてみるとそれぞれウォッチリストに追加した人数が数えられて居るところを見るとどうやら入札はされるのでは?という感じかな?ノートは今の金額から下げる積もりはほとんど無いがHDに関しては今少し下げても良いかな?とは思っている。 もっとも、オークションで売れたらまた一台購入したいな…とも考えては居るのだが、数日前に電話で話した一番最初の嫁の所に年末には…何とかすると約束したのでその辺に消えることは確実だ。おいらは一人あちらさんは子供が居るからそりゃ当然自分の玩具より子供が優先するのは明々白々と言うことだ。 夕食後、ファンヒーターの灯油を給油した後で、本日も日記タイムの始まりだ…朝一で上げた後のに今日も書き加え作業が始まった。 プシュッと缶麦酒の口を開けグビリと一口飲んで今朝の出来事から思い出すままにキーボードを打ち込んで行く。一口毎に心地よい酔いが広がって来る感覚が心地よい。 この感じでは、きっと横になったら直ぐに寝込んでしまいそうだから、横になったら上着を脱いですぐに血圧を測ってしまおう。そうしなきゃこのところ寝込んで計り忘れることが少なくないから今日もまた…と言うことになりかねない。
2004/10/26
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水商売で記憶に残っている女の子は結構居るが、同様に記憶に残る男と言えば一番最初の店での上司だったTだろう。 一番最初はTと名乗っていたのだが、六本木に店を移っていった後で、僕は誘われるままに六本木の店へと働く場所を変えていた。何故に誘われたのかは良く分からないが、使いやすい?とTが考えたからなのかも知れないと思っている。 今ならどうかは判らないけれど、あの頃は新宿で働く女の子達と六本木で働いている女の子達では垢抜け度?が違っていたような印象を強く受けた事を覚えている。 たしか、武道館で、女性客を初めて失神させたとか聞く(その頃初めて聞いた)バンド(オックス)のリーダーが開いたという店で、お客さんはそのバンドのファンだったという六本木界隈の水商売のお姉さんや、一般のファンの人達&唯の飲み屋として通って来る人達…という色んな人達を客層として持っていた店だった。 そこでTは支配人として働いて居たのだけれど、何故かその店で呼ばれていた名前はTでは無くYと言う名で、不思議と感じTに直接尋ねた所、昔オックスが活動していた頃、Tはバンドのボウヤとして係わっていたのだそうな、その縁で新宿を辞めた後でこの店に移ってきたと言うことだった。 オックスというバンド名に記憶は無かったけれど、ヒットさせたという曲は毎日の数回のステージで聴くことが出来たので、ああこのバンドが作った曲だったのか…などと思ったのを覚えている。 また、生で芸能人を見たのもこの店が初めてだった。当時TOKYOを歌って人気に翳りなど無かった沢田健二が?飲みに来たときに社長に深々とお辞儀をしたのを見たときには芸能界というものの年功序列をかいま見た気がしたものである。そういや、社長には「おまえは東海林太郎?(古い歌手)に似ているから東海林だ!!」と呼ばれ店を辞めるまで「東海林!」と呼ばれていたな…。 そのTに何が原因かは忘れてしまったけれど、六本木の店で殴られた事が原因でそこの店を辞めた事で、一度は縁が切れたはずが、数年後にまたも出会って今度はバンドを売り出すから事務所を作ろうと持ちかけられ、実家に事務所設立に必要最低限の資金援助を頼んだり、その話に乗ってその頃働いていた店を辞め、売り出すというバンドを見たり、抱き合わせで売り出すハリネズミの企画打ち合わせ(確かバンダイ?)に出たり等々してみたが結局目は出ず、事務所は気づけばTの寝泊まりする部屋になってしまったり…結果、Tとは縁切りをすることになった。 良く言えば夢を見させて貰った…気がするが、結果から言うと騙されたと言うことだろう。ま、被害と言っても部屋を借りた資金だけ…で済んだから在る意味軽かったと言えない事もないが、あんまり憎めなかったな。 今にして思えばずぼらな所が多々在ったしその当時も見てきていたはずなのに、それでも何故か引っかかってしまったんだよね。それに名前を変えて…と言うことだけでも、後ろ暗いところが在ったのだと今は思う。 昨晩従兄弟の家で焼き肉を御馳走になって酔って帰宅した所為か途中一度起きたときは喉に違和感が少しあったけれど、再度寝直してのんびりと朝起き出した時には喉の違和感は何処へやら消えていた。 昨日の手伝いで山葡萄の我が一族?の収穫は終えてしまったから手伝いは今年は終了となったので、起きるのはゆっくりでいいやと考え、再度横になって小一時間ほど寝て過ごした後、起き出して親父の使いで親戚の家へ行き、その脚で銀行へお金を引き出しに行きコンビニで電話代を支払って帰ってきた。 不必要…というか特に必要としないと感じていたノートパソ&小型携帯用HD&内蔵用SATAHDをオークションに出すためにデジカメで撮影し、オークションに出品した。 何時もなら?安価な価格帯からオークションにかけるのだけど、今回はこの価格なら売っても良いという価格でいきなりオークションにかける事にしたのだが、これがどういう結果となるかは今週の週末にならなけりゃ判るまい。 昼前に婆さんから遠い親戚の家に持って行くことを頼まれていた椎茸を届けたついでに、ガキの頃遊んだ稲荷神社の境内に入ってみた。子供の頃には跨った思い出のあるその頃はまあまあ大きいと思っていた狛犬の小ささに驚かされた。ガキの頃だから大きいと感じたのか?と思うほどそれはそれは小さくてびっくりするほどだった。境内の中では子供の頃雀の雛を捕るのに何度と無く上った鳥居とか小さな祠を見て懐かしさが棟に一杯に広がるのを感じていた。 幼かった頃の出来事は断片でしか思い出せない事だが、自分が如何に悪ガキだったかを思い出してしまうと自分で自分の事が嫌になってしまう程だ。 あの頃の悪戯が元でトラウマになってしまった人が居ないと良いのだが…と考えてしまった。自分でそう考えてしまう程の悪い悪戯をするほどの僕は悪ガキだったのか…。
2004/10/25
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昨日の作業の疲れが出たのか夕食後そのまま眠ってしまっていた。 ふと気が付くと時刻は一時を過ぎ日付が変わった時刻。外は冷え込んでいて、ネットの天気予報を見ると今朝の最低気温はたったの二度だとか。昨日の作業中の気温は十度以下だったという事を見て。この気温じゃ疲れが出ても当然かなどと思い直していた。 このところ、日記で古い記憶を穿り返していた所為か色々思い出すことが多いのだが、その中でも印象強く残っているのはIという娘(返りたくない2で書いた)だろうか?。 スラリとした姿を持つ二十歳を超えたばかりの見目も悪くない娘ではあったが、この若い娘は座って三万円を超える店に移ってきたばかりというのにかなり太い客を掴んできていたというのも驚きであった。 後で知った話だが、単に今彼、前彼、新しい男だった。と言うことだが、それでもはたちそこそこの娘が…と思うと怖いような気がしたことを感じていた。 なにより、性格的に勝ち気で負けず嫌いときていたから、ご機嫌を損ねると怖い怖い。毎日のモーニングコールは元より、ヘルプに関しても結構気を遣って…という日々だった。 特に覚えているのは彼女が店を止める前頃に新しい彼氏となったお客のことだろうか?。ヘルプは最初は一切受け付けず、店に入って直ぐの水割りを作るのは大抵僕の受け持ちとなり、Iがトイレに立つときはヘルプに座るのは女の子では無く、僕の役目になった事でも彼女から得ていた信頼は判るであろう。もっとも、直前にラウンドはそれなりに終えていることが条件ではあったが、その頃は客席に座って飲むことも珍しいことでは無かったから飲むことは苦痛では無かった物の、黙って飲むわけにもいかないので話題作りには結構気を遣って話が途切れないようにしていた。 話題は客との何気ない会話で掴んだ当たり障りのない話で…という事が多かった。酒の話(酒の味の話とかボトルの話題)、ゴルフの話(最近どうですか?と素振りの真似をすると…相手は大抵最近行ったときのスコアとかを話し出すから、ゴルフ漫画で得た知識で適当に相づちを打ったり…)、時事ネタ(季節とか食べ物など)、競馬ネタ、野球ネタ等々が主だった事だろうか?。その頃が在ったから、初対面の人間ともそれなりに(適当に)話が出来る様になったのかも知れない。 良く、お客を帰した後、彼女をマンション(彼氏が待つ)まで送っていった物だった。それゆえ信頼は彼女からも、彼女の彼氏からもされていたと思う。 帰りたくない2の様なことが在っても信頼は無くなっては居なかったが、彼女にスカウト話が出たときに僕も一緒に移籍しないか?と打診されたときはその誘いに正直グラッときた。当時Iは店のNo2まで行く売り上げを誇った程ではあったし、その売り上げを考えたら僕一人の移籍も楽々決めるだろうとは思われたのだが、当時の僕は彼女の売り上げの殆どは自分の男に寄る物だったからもしや陰ったときは…と危惧したのだった。 程なくして、彼女は移店していったが、結局僕は何事も無かったかのように店に残ったのだった。大きな売り上げの娘を自分の担当にするチャンスを捨てて…。けど、一緒に移って行ったとしたら、僕は彼女には頭が上がらなかったろうと思うし、現在の生活が在ったかどうかは疑問だと思っている。 そういや、親しくなる前に深夜の店に彼女が飲みに来て、私のお酒が飲めないの?と言い、自分の履いてきたハイヒールにブランデーを注ぎ入れて飲むことを強制された時が在った。自分が気に入らない相手ならば拒否していたと思うが、素直なときは子供の様な事をしっているから拒めなかったな。。今ではそんなエピソードも懐かしい思い出である。 夜中に一度起きたのだから、二度寝の後、何となく肌寒くて目を覚ましたときはまだ七時前だった。まさか0度まで下がるとは思わなかったが丁度その時間には外の気温は0度だったのだろう。起きるとそさくさとファンヒーターを点火して、昨晩見た新潟地震のその後の流れをネットで軽く見た後で今に移動して新幹線がはずれた光景を目にし、被害の大きさを考えるに昨晩のネットでの書き込みは決して誇張では無いことを感じていた。 気づくと携帯に千葉の元嫁から「大丈夫?」というメールが入っていた。「こちらは何ともない」と返信をして置いたが、一応気遣いを見せて貰うのはありがたいものだ。そう言えば直からはこういうメールは届いた事が無いかもね。けじめと言っては変だけど何も無いというのは縁が切れたのだな…と再実感するというのも何やら変な気がするがそう感じた。 昨日より寒いと言うことだったので、昨日の格好よりより冬型に近い格好をして昨日同様車に乗って親父の兄の畑へと駆けつけ昨日の手伝いの続きをした。親父の兄曰く予想以上だったと言う通り昨年以上の収量だったようだ。総数を聞くと家の物より多く先達だけあるな…と思った。 まあ、一番上の兄が一番多い収量を誇り、二番目が二番目に多い収量を、三番目の父が三番目の収量となったのは順当な結果と言えよう。ま、数年後には逆転の可能性は否定は出来ないが、今はこれで良かったかもというのが実感である。 ま、兄弟の中では耕作面積が最も多い三番目の父が逆転は難しいことでは無かろうが今はね…。田畑にしても山林にしても父名義の物が最も多いというのは我が家の所有が多いということでもあるのだが、ン十年前の時代ならいざ知らず今の世の中でいくら山林を多く持っていても何かの足しにしかなるまい。 午前中で予想の収量を超えたと言うことで、午後からは家族だけで…と言うことで本日の手伝いは午前中だけとなった。帰宅して見ると、週末には来るのでは?と親父が言っていたように叔母さんが来ていて昼食の用意をしてくれていたので、用意されてた昼食を食べてくつろぎ、少し休んだ後で収穫された米を叔母さんの車に積んで持って帰る準備を少し手伝った。すると前の家の叔母さんの叔父さんが家の米も持って行けと一袋持ってきたので車に積み込むと取り敢えず作業は中止となって部屋でくつろいでいた。 途中、トイレに立った際に叔母の孫娘が起きてきたのに気が付いて相手をし一緒に遊んだりしたりしたのは久しぶりに子供の無邪気な素養をあじわえたのは、自分の中のある種の電池の充電になったと思う。 日記を書いている途中で親父の兄の息子から連絡が入り食事に誘われ断れなくて外出し、帰宅後に再度日記を書き加えることになる。親父には面と向かって話せないことでも、親父の兄には話が出来ると言うことは、無意識の中にも親父に対しての遠慮があるのだろう。さてさて、どうしたものかな?。
2004/10/24
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数日前にリンクしてあるHPの書き込みでドレス云々という話が書き込まれていた。 ふと、思い浮かんだのはン十年前、当時のお店の入り口の螺旋階段を上って現れたニーナの姿であった。 ドレスなんてTVのパーティのシーンでも無ければ見たことが無かったし、あの頃歌舞伎町にそんな姿で駆けつけたという非現実感が十代の僕には特別に印象に残ったからなのかも知れない。 その後ドレスを着た女の子の姿は、お店でも何度か見ることは在ったし、結婚式で結婚相手が着ていたのもドレスだったから何人も見ていたはずなのに、何故だか知らないが思い浮かんだのはニーナの姿であった。 ニーナはその当時銀座で座っただけで五万円、ボトルを入れたら十万円無いと無理という店で働いて居た女の子で、当時僕が惚れていたケイコの友達だった。僕の働いていた店は座って二万円程度の店だったから格の違いは歴然としていた。っていうか、座って二万円でも二十代直前の僕には高すぎ、その違いには驚かされるというか、新宿と銀座の違いに驚いていた。 あの晩は良くは覚えては居ないが十二月の中頃のことでもうすぐ店が終わるという時間にドレス姿でいきなり現れ「飲みに行こう。早くしてよ!!」とぺーぺーの僕を捕まえて言ったのだから、僕の上司の驚くこと驚くこと。 あの頃は店のバイトの女の子は店が用意していたドレス?を着用していたのだけど、女の子の服をよく知らない十代の僕が見てもあきらかに良い生地を使った歴としたドレスでそれは店で用意した物と比べようもないものだった。そんな格好で歌舞伎町に現れて一緒に飲みに行ったのは、確かSUNTORY系列のカチカチ山という居酒屋で、居酒屋の従業員も目を丸くしていたほどだった。 ケイコとどういう経緯で友達になったのかは聞かなかったが、あきらかに違う感性を持っていた娘だった。初めて部屋に入れて貰った女の子でもあったし、ケイコと僕とニーナともう一人で雑魚寝した晩に先に酔って寝てしまった僕の頬に口紅でキスマークを書いて、翌朝他の二人が寝ている間にお茶飲みに行こうなんて外に連れ出して僕の顔を見ながら笑っていたそんな子だった。 僕が好きになったケイコが陰を感じさせる子だったのに比べ、彼女は太陽のような明るさを持っている娘だった。 そんな娘でなきゃ、銀座から歌舞伎町までドレス姿でタクシーに乗って営業時間中にやって来ていきなり僕の名前呼んで飲み行こうなんて言わないよな…。憎めない人だった。 居酒屋にドレス姿で飲みに行った相手は、後にも先にもニーナだけだった。 「新しい菜っ葉の菜って書いてニーナって読むんだよ」と聞いた時には源氏名だとばっかり思った物だったが、本名と聞いてとても驚かされた。ハーフかな?とも思わせる顔立ちでモデルのバイトもしてるとか言っていたな…。「ハーフなの?」と尋ねたら「両親とも日本人よ」と言われ驚いたくらいだった。 機会が在ったら会って見たい物だが、最後にあったのはン十年前よっぽどの偶然でもなければ会うことは敵うまい。僕的にはそれほど変わった訳では無いと自分では考えているが歳月はどのように変えてしまっているのやら。 朝から快晴。六時には起き出して弁当のおかず作り、時間までには間に合ったかな?と思って一息ついていると親父が朝飯を食べに戻ってきて、「今日は行くつもりだったけど収穫の手伝いを頼まれたから手伝いに行くことになった」という事でせっかくの弁当は要らないことになった。なんだかな~~と思いつつも着替えて、僕は親父の兄貴の家の収穫の手伝いに向かうことに…。子供じゃ無いのだから一人で行くことになったけど気にしないで出かけ収穫を手伝った。 収穫はもう終わりが見えた状態で、今日明日には終えるだろうという最後の追い込みに入ったところだった。けど、そんな中でも僕はマイペースで収穫を始めていた。 家の山葡萄の畑とうって変わってなだらかな丘陵地帯と言った趣の土地で姿勢的には楽だった?ものの山葡萄の弦が比較的低い位置に配されていて取りやすいとは言い難い物があった。はっきり言って僕の手先は器用ではないので他の手伝いの人より時間がかかり気味だったのは申し訳ないところだ。 昼食時にはいったん帰宅して昼食を食べ、薬を飲んで再度向かって収穫の再開をし山間を吹き抜ける風が冷たくなる頃に収穫を終了しまた明日となった。 家に戻って昨晩食べるはずだった煮っ転がしとスープを温め夕食を食べ、そして毎晩の定番となった日記書きを始めることになった。晩飯を食べた後だから正直もう眠いと言うこともあるが、この時間に日記を付けないと時間調整が上手くいかないからね。 そういえば、親父の兄貴の家のある村落では、かつて僕の家がある村落にあった。手伝いの人にご飯を振る舞う因習が未だに残っているようで、昼もそうだったが、夜も「後で寄ってね」と言われたのだが、そのまま帰ってきてしまった。古い因習が残っているのは悪くないなと思ったのは正直な感想かも。ただ、夕飯を御馳走になると酒も出るから家に帰れなくなりそうで…それゆえ帰ってきたとは言いづらい所かな?。そうすれば「送るから」と言うのは目に見えているしそこまでして貰っては返って迷惑をかけてしまうからね。 一応予定からすると、明日までで終わる見込み。親父の実家の手伝いもそうだったが、終わりそうなときは終わらせるまで手伝うことにしようと思っている。
2004/10/23
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アダルトなHPとかで大人のパーティの案内を目にしたことは有りませんか? HPの掲示板とかに書かれた内容は「良かった」とかのオンパレードで「悪かった」という書き込みは皆無。 これじゃあ確かに疑いたくもなってしまいますよね。現に私も疑っていた独りでした。 ただね。参加して良かったという経験は十数回の参加経験で数回というところでしょうか?。 だって、何度も参加していると仕込み(女の子)と判る人が殆どで場慣れしている人が多くて何だかな…って感じでして。 素人の人が沢山…という事は無かったです(きっぱり)。 ただ、数回普通の素人カップルが参加していた事があり、その時はさすがにドキドキしてましたね(;^_^A アセアセ…。 また、毎回メンバが変わりますので会話が弾まない時は全く会話が進まなくて楽しくないという場合もあれば、会話が楽しすぎてただ酒を飲んで会話をしてただけ…という事も有ります。 僕が行っていた頃は2チャンネル(今はどうかは判りませんが)で色々書かれていまして閉めてしまった所も少なくなかったです。 最近は迷惑メールで大人のパーティの案内とか来てるけど、どうなっているのかな?。 アダルト系には縁のない土地に住んでいると刺激が欲しい~~~と叫び出しそうになってしまう今日この頃。ネットで検索してみてもアダルトネタは殆ど無いのだから…。 今日は朝から曇り、確か予定では何もないはずだから、叔母さんのところで頼まれたパソコン入力でもしようかな?などと考えていると、親父から八時には出るぞ!と言われ問い返す間もなく着替えて出かける準備をした。親父が朝から言うのだから遊びの訳は無く、着替えは当然作業着で、向かった先は親父のもう一人の兄の畑で、山葡萄の収穫の手伝いだった。 山葡萄の収穫は昼間で続き…というか、昼に雨が降り始めたので収穫は中止となったので家に帰って昼食を食べ、午後からは家の小屋の中の整理作業を手伝った。 んで、その後は夕食の準備をし、夕食を待つだけだったのだが、祖母が帰って夕食…となったら、出来合のパックの寿司が食卓に並んで居たので、作った品は明日の晩にと言うことになった。この前は祖母がこういうのは(パックの寿司)は買ってこなくて良いと自分で言っていたのに…という不満は在ったが飲み込んでおいた。まったくなんだかだよな。結局ご飯が大量に残って明日朝は炊かなくても良い位余っているのだが、明日は親父の弁当を作らなきゃね。 刺激が無い…と思っているが、いざ刺激のあるところに行くか?という段になったら、今の僕は思いっきり躊躇うに違いない。刺激がないと公言して憚らないけど、僕が欲しい刺激はそう言うことでは無いような気がするからだ。
2004/10/22
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FreePageにチャットで知り合った梓にネットで公開することを前提に書いて貰った文章を載せてみた。 以前は某所で単独のHPとして公開したのだが、その後彼女と連絡が取れなくなってからは単独のHPとしてでなく、僕のHPの一部として公開して居た物だが、今ではそのHP自体も閉めてしまっているため公開はしていない物だ。 思えば、彼女と知り合ったのは今から四年ほど前の話になるが、当時チャットで偶然出会い、会話が弾んで色々話をし、その当時公開していた僕のHPを教えたのだ。 何日か経ってから彼女からHPの感想とかを書いたメールが届き、そこで初めてチャット以外で連絡を取り合うようになって、彼女から文章を書いて貰って、HPを作るという事になった。 公開していた当時はアクセスすれば何時でも読めた文章だけど、閉めてからは読んだ事が無くなっていただけにHDに残されたHPの文章を読んで改めて当時のことを思い出した。 彼女とのやりとりはある種の信頼関係のような感覚が存在していたと思う。また、そうでなくては自分の行動の有りの儘を吐露すると言うことは出来なかったと思うからだ。 そういや、あの頃は他の人の文章のHPを幾つか作った物だったが現存している物はたった一つしか残っていない。しかも不完全なまま。知らない人は検索したら偶然何処かで探せるかも知れないが、けど、その確率は砂浜で一粒の砂粒を見つけるような作業になることだろう。いずれ再度自前のHPを再公開するときが在れば、梓と選んだ音楽が流れ、梓の書いた文章を目にする事が出来るかも知れない。 書き込みの後、久しぶりに梓の文章を読んでみて、優しい気持ちになれたのは、行間を感じ取れたからだろうか?彼女がよんだで面白いと言っていた文章も並べて置いてみたが、自分で書いたからか幼稚で手直しが必要かな?と感じるほどだった。 読ませる文章というものは読み手の気持ちの問題もあるかも知れないけれど、書き手の問題が一番大きいのかも知れないなと改めて感じた。 後、数日かけて手元にある文章を全部HPに上げる予定でいる。何年か経って忘れていた事とか、そういえばあの時はそうだったかな?とか色々思い出した。 今日は午前中に雨が上がっていたなら親父のもう一人の兄貴の家の山葡萄の収穫の手伝いに行く予定だったのだが、台風の影響で雨は降り止まず、予定は中止となったのでネットで様々なHPを見た後で、ネットバンクにアクセスしてみると、来週振り込まれると考えていた物が振り込まれていたので、その場で二件の振り込み手続きを済ませ、駅前の銀行に金を引き出しに行き、郵便局に入金し、午後から盛岡へ行き幾つかの用事を済ませ、面白そうな本を数冊買い込んで出来合の品を買い込んで帰宅。部屋で一人の夕食を食べた。 同じ家で暮らしているとは言え、余りにも干渉されるとストレスが溜まってしまう。そうすると言わなくても良いことまで言ってしまいそうになって爆発しそうになるから、自分でガス抜き作業をしなくちゃね。 台風が去って明日からは晴れの予報となっているから、明日は手伝いが待っているだろう。
2004/10/21
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今は水商売に入る(入店)時に書かされるかどうかは判らないけれど、僕が入店した頃はまず履歴書を出して直ぐに誓約書を書かされた。 内容は?と言うと商品(女の子)には手を出さない旨を誓約する物だった。 初めは商品云々の言葉に何のことかは判らず記入したけれど、アルバイトを始めて数日で商品が女の子で有ることがはっきりと判ってくるようになる頃には何人かの女の子と気軽に声を掛け合うようにはなっていた。 確かに、お店の売り物なんだから商品には違いは無いよな…と納得している自分が居たけれど、お店に慣れて来るにしたがって、特定の女の子は如何にも気安げに男子従業員に話しかけてる光景を良く目にし、あの二人は付き合っているの?と思える人達が何人か居た。 中には自慢げに部屋の鍵の束を出して、毎日通うのも大変なんだぞ!と言う上司まで居たほどで、誓約書と言っても形式的な物なんだな…とその頃になると判ってきていた。 ま、確かにバイトの男の子の中には帰宅途中の女の子には「飲みに行こうよ」なんて盛んに声をかけていたからな~~。 まだキャバクラの創世記の頃だったかな?キャンパスパブなんてのが大流行で確か台湾クラブなんて今でこそ見かけないが当時はまだまだ多かった時代の頃のお話である。今だったらまるで考えられない話かも知れないけれど、まるで体育会系?とも言えた当時の上下関係では当たり前のように感じた物だった。たぶん、今でも男子従業員には体育会系の乗りのような気質が残っているのでは無かろうか?。 今日は終日部屋でゴロゴロしていた。 部屋の入り口の脇の本棚に載せてある果実酒の瓶をよく見たら、数日前までは溶けないな…と思ってたザラメが見事に溶けているのを見て少し嬉しかった。果実の量は若干多め、ザラメの量は目分量で300g程しか入れていないが果たしてどういう味に仕上がるのやら期待と不安が入り交じった感じだ。 昼飯を食べなかったが、夕飯も抜く事に…ご飯を食べないと怒りっぽくなるものだろうか?暖め終える前に食べ始めた事が気に入らなかったと言うべきなのか?。嫌、言うべきでは無いだろうと思った。はぁ~~自己嫌悪。 おまけに食事を抜くことでまた祖母と口論になってしまって気持ちが鬱ぐ元を作ってしまった感じ。おぃおぃ自分…何やってんだかね。食事を抜く事自体は体を使った仕事をするわけでは無いから問題は無いはずなのに、なんで口うるさくいってくるかね?、それを聞いたらつい… んで、頭の中は堂々巡りんがぁ~~って感じかな。 そういや、子供の頃は飯を抜いて風呂に入っただけで倒れた思い出が在るくらいだが、大人になって飯抜きで過ごす事は子供の時ほど苦痛と感じなくなったのは自制心が強くなったからなのだろうか?飲み物だけ飲んで食べないと言うのは体を軽くするのには打って付けなんだけどね。 退院してそろそろ一年近く経つのだが、やはり体重を落とすには物を食べないのが一番効くのかも知れないと思う。もっとも間食しないで…という前提条件付きでのはなしである。 そうでもしないと退院時に言われたあ「後十キロは痩せないと…」という言葉を実行に移すにはそのぐらいしか思い浮かばない今日この頃である。
2004/10/20
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ほんの数年以前は全くのノーマルが自分の嗜好だと信じて疑って居ませんでした。 が、チャットに填って開花?したのかどうやら僕にはアブノーマルな嗜好が有るようです。 チャットでは今まで得た知識を元にアダルトな会話に溶け込んでいましたが、自分でも意識したことが無かったS性を私は持っているようで、M性を持つ人と楽しく会話出来る事から何となくそうかな…と徐々に目覚めてしまいました。 ま、好きと言っても人を叩きたいとか殴りたいという唯のサディスト系は持ち合わせて居なくてどちらかというとサービスのSというタイプなのかも知れません。 SM好きと言っても、実に様々な嗜好が在ってその中でも自分に合うタイプというのは単にSだから…Mだから…と言うだけでは分類できないものだと理解するまでが難しかった…です。 極論から言うと、誰にでもしたいというわけでは無い。根本的に好きな相手でないと…無理ですね。 と言うのが自分の結論なんですが、ネット上にはエセS、エセMが多くて嫌になってしまいます。 上記のように書いて見たが、好みが合うという確率は極めて低いと言うしか無い(これも経験上)。だから…という訳でも無いが自分の好みを押しつけようとも考えては居ないが、相手の好みを総て受け入れられるかというと、はっきり言って受け入れられない物も多い。そういう場合は縁が無かったと言うべきであろう。 と書いていて、感じたのは通常の付き合いに比べ間口も狭けりゃキャパも小さいから自分にぴったんこの相手と巡り会う確率なんてかなり低いそれゆえ相手がそういう物を好むかどうかは適当に判断してしないで済ます事が多い。っていうか軽~~く話してアウトだったら無し無し…か。かならずしもそうでないと無理と言うわけでもないしね。 今日から選挙が始まった。親父は朝から選挙の手伝い、おいらは親父の実家の手伝いに行き、一日仕事か?と思いきや午前中で作業は終了したので、昼からはここ数日取りためた韓流を見て過ごす。 第一話を見ると何となくその後の全体像が想像出来るが、幼年期を演じる役者だけでは青年期に感情移入が出来るかどうかは判らないので青年期の顔ぶれを見ないと何とも言えない所か。けど、取り敢えず四、五本第一話を見たが、日本で評判の役者以外は面白そうと感じたから集めてみたいと考えている。 回線がDSLだったら、今少し?今の十倍以上で集められるのに…と回線状態が悪いことが恨めしい。東京で光だった頃が懐かしい。ここでの回線が光だったならパソコン環境は劇的に改善するであろうが、今のところ今以上には来年には…という話が聞こえてくる程度で確約でないのが寂しい。 昼飯も、夕飯も食わずにスナックを食べて動画鑑賞をしてからこうして日記を書く事に…。婆の「ご飯は…」という声が煩わしくてとても嫌になる。だから自室に居ることが多くなってしまうのかな?。 自分でも良くない態度だと感じては居るのだが、改善する気も無くはないが、時折見せられる態度で僕の反感の気持ちが固まってしまった所為なのだろうか?。年なんだから労らなきゃいけないとは思いつつも、怒りを抑えなきゃという思いを強くかんじてしまう。なんだかだな~~。
2004/10/19
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今でこそチャットをすることは皆無となってしまったが、つい二年ほど前までは我ながら嵌っていたと思う。 オープンチャットもそれなりに場に親しめてチャット友達?が作れると面白いと感じるかも知れないけれど、ツーショットで、会話を楽しむことが何回か経験できると、また今度も…と嵌ってしまう事請け合いだ。 チャットは普通の日常会話もそれなりに楽しいのかも知れないけれど、やはりアダルトチャットはその人の個性が出るというか、会話が弾むととても楽しかったりする。 チャットの会話の流れで電話で実際に会話をしてみたり…、実際に会ってみたり…という場合も無いとは言えないからだ(一応経験上)。 以前チャットで仲良くなった数人で同好会のような感じで集まる個人的なチャットを設けて、飲み会を行ったりしした事もあるがあれはあれで楽しい集まりだった。 特にアダルトな場(SM系)で知り合った人達だったので、秋葉でオフした時など駅前のアダルトビルに入りその場で主さんに電話を入れ何を買うか指示を受け、皆であれが良いとかこれが良いとか初心者には大きすぎないか?とか良いながら色々探した事もあった。そうそう、それを見ていたオカマが寄ってきて「初めてだったら…」なんてアドバイスをくれたりしたりして…。 そういや、知識としてしか知らなかった事を教えて貰ったりしたのもその場だったな…。もう一度ああいう知り合いを作りたい気もするが…無理っぽいかな(^^ゞ。 今日は、親父の実家の山葡萄の収穫の手伝い。親父は昨日の続きで屋根のペンキ塗り、僕と言えば裏山に登って山葡萄の収穫だ。早い物で山葡萄の収穫を始めてからもう一月が過ぎようとしている慣れるか?と思えた作業であるが、手の運びの遅さは慣れたとは言い難い物がある。ま、明日で終えることが出来そうと言う目安が今日で付いたから気分的にはだいぶ楽かな?。 夕食を食べ終えると同時に来客が在った。明日からの選挙の応援お願いしますという手伝いのお願いだった。明日にでもポスター貼りの手伝いが在るけど、おまえが行くか?と親父に言われたけれど、即座に他人の設け話になんで俺が手伝わなきゃ行けないんだ?と即答したら親父が何か言い足そうに苦笑いをしていた。確かに親父には付き合いが在るのかも知れないけれど、んじゃあ俺に付き合いがあるか?というと親父の付き合い以外の何者も無いからね。 まあ小さな集落の事だから事を荒立てようと言う気持ちは無いけれど、即答した気持ちが正直な気持ちである。小さな集落にとって利益のある事を何かしたと聞くなら…手伝いを厭う気は無いがそうで無いならはっきりいうと「NO」である。 聞いた話であるが親戚が選挙に立候補した際に集落で建った人間が居るのに親戚に投票したのか?と詰め寄られた身内が居るのだけれどなんかなあ??という気持ちになった。東京ではこの手の話には極力近寄らないようにしていたのだがそうとばかりも言っていられそうに無い憂鬱な気分だ。
2004/10/18
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楽天のHPに年表という欄が有ったので、書き加えようかな?と思い。東京に出た五年ほどの出来事を簡単に記述した年表のような物を確かシステム手帳に挟んでいたはず…と探してみた。 引っ越しの荷物の中に埋もれてあったシステム手帳を開くのは、昨年田舎へ帰る為に色々調べる為であったろうか?。 目指す年表は幾つかあるビニールのソフトケースの中に苦もなく探し出すことが出来たのだが、システム手帳の住所録のところがプリントした後のインク同士がくっいてしまって開けないというか見づらくなっていた。 たぶん最後に店で使っていた住所録?だから、ここに載っている住所に今も住んでいる女の子が居る可能性は一割も居ないだろう。 あいうえお順に並んだ女の子の名前を見ながら、どんな顔だったかとかどういう娘だったかとか色々考えた。 けど、意外と名前に覚えはあっても顔が浮かんでこない。やはり、十年を超える昔になると何らかのエピソードでも無いと覚えていないものなのだな…と思った。 年表は丁度、僕が東京に出た年から二十五歳になるまで、何処に住んでいたかとか、この時期には何処のお店に勤めていたかなどが書かれてあった。 十九から二十五まで色々なところでバイトをした形跡をみるのはとても懐かしい気がしたし、自分の動いた年齢を考えるとやはり若かったのかな?何て考えられた。 そして二十五を過ぎてからはそれまで色々店を変わってきたのが嘘のように一カ所に落ち着くようになってきてるのは、僕自身に何らかの変化が有ってのことだと思った。 持ち歩いて使うはずのシステム手帳を持ち歩かないようになってから十年を数えるようになったのだな…とふと考えた。 山葡萄の出荷用の箱が届いているなら収穫の手伝いに行く予定も箱が届かないのでは作業が出来ないと手伝いは中止となった。せっかく昨年の倍の収穫と喜んでいただけに 箱が来ないと収穫も出来ないのでは腐って駄目になってしまう物も出てくるだろうに…豊作と喜ぶのもなんだかね。 同じ事が言えるのは米にしてもそうでは無いか?。昨年が悪かったのと比べたら出来が良いと喜んで刈り入れを行ったまでは良かったかも知れないけれど、刈り取った稲を干し始めたら秋の長雨に打たれていくらか悪くなってしまった話を聞くと出来は良かった物の収穫には結びつかなかったのでは何にもならないのだ。 知ってはいるつもりでもこうも残念な結果を聞くと農業の難しさを改めて思い知らされる思いがした。 結局、今日は朝からのんびりとくつろいで昼食前に親父のペンキ塗りの手伝いを軽くしただけでのほほんとした一日を送ることが出来た。 夕方に食事の準備をするまで時間があったので、日記の前半部分を幾つか書きながら、書くことにどんな意味があるのだろう?と自問してみたが答えは見つからなかった。見つからないというのが答えなのか?答えなんか無いというのが答えなのか、少しカミングアウトしてみるつもりでいる。 昔フォーラムで有りの儘の気持ちを書き込んだら誤解されてしまった事があったけど、それもまたそういう風に受け取られるような行動を自分がしていたのだから仕方があるまい。言ったからと言って何かが変わるとも思えないが、色々なことが書きやすくなるのでは…と思った。
2004/10/17
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週末が楽しかったのは普通の生活に戻って?からだろうか? 水商売に入り立ての頃は、週末ともなると忙しくなっててんてこ舞いに動き回り、終電車に間に合わないと大慌てて走って駅まで駆けつけた物だった。 それが、何時の頃からか週末には飲みにいくようになり、それなりに週末を楽しむようになったのは…。 女の子のアフターのお供をする事も少なくなかったが、そういった中で初めての人との会話をすることも学んでいった記憶がある。 ネットに入るようになり通信仲間との飲み会が週末にあると、僕だって機会があったら参加したい物だな…とオフの案内を指を銜えて見ていた物だ。 週末の夜に体が空くようになると、待っていましたとばかりにオフに参加するようになり色々なオフにも参加をし色々な職種の知り合いを沢山作るようになりその人達は今でも僕の財産で在るとも言える。 週末にはデートを…という記憶も無いでは無いのだが、知人に紹介して貰った女の子と代々木公園で…と言うことが一度あったきりで、会話はまるでとんちんかんで二度目は無かったな…。 今ならそれなりに、会話を途切れさす事も無く話題を提供出来る自信はあるが、あの頃如何に僕が初だったのか笑えてしまう。多分、今頃はあの娘もお母さんしているのだろうね。 そういや、週末になると人間ウオッチングをしに街に出たけれど、時々はっとして立ち止まってしまう事が少なくなかった。「街角に立つのが怖い」と作家の坂口安吾が暗い青春魔の退屈?で書いていたけど、ああこういう事か…と頷いたりもしたが、何故か人間ウオッチングの癖は女の子と一緒に暮らすまでは続いた事を考えると、僕は心の何処かで街角に立ってあの娘に似た女の子を見かけたかったのだろう。 今では人通りが多い街角とは遙かに離れた土地に住み出かける機会もほとんど無いけどね。 今日は朝から好天で天気予報の通り、六時前には起き出して親父の弁当を作った。鯖のみそ漬け焼きと肉とピーマンの炒め物それとゆで卵と沢庵のおかずだ。毎日というなら品を変えて…とあれこれ思案のしがいもあるかな?と思うが今日のように散発だと取り敢えず有る物を使って…という感じになってしまう。 それにしても朝から寒かった。霜が降りる日もそう遠いことでは無いだろうと想像できる。なんて、今よりもっと寒くなってくるのかと思うとなんだかだよな…だってすでに今でさえファンヒーターを時々は付けて生活しているのに、今以上に寒くなる日も遠いことでは無いのだからね。 何時もより早起きして弁当を作ったので二度寝して起きたら今度は収穫してある山葡萄を出荷するところまで車で運んだ。今年最後の出荷となる。見慣れぬ人には親切に…と考えるのはサービス業だった所為もあるのかも知れないが、運んでいって数人が暖を取っている所を通り過ぎても誰も何も教えてはくれなかった。事務所らしいところを覗いて見たら誰も居なかったので、しょうがないから暖を取っている人達に声をかけ勝手に置いて良いかどうかを尋ねると良いという答えが返ってきた。ま、気にしないでおいて帰ろうとしたところで農協の職員がやってきたので置いて帰る旨を伝えて家へと車を走らせた。 せんべいをぽりぽり囓りながらネットを眺めてはぼんやりしていると昼になってしまったけれど昼食を取る気に為れなかったので、洗濯&入浴することにした。昼風呂はどのくらい振りだろう。夜間は肌寒さを感じる浴室も日中の陽の中では暖かだった。 一風呂浴びて横になって仮眠を取り、時計で時刻を確認して夕飯のおかず作りをすることにした。本日のおかずはあんかけハンバーグのつもり。あんかけは今ひとつ、ハンバーグに関しては何故ふっくらと焼き上がらないのか…検討の余地は有りすぎると感じてしまう。オーブンが有ったなら、フライパンで軽く焼き目を付けないでもそのままでオーブンに放り込んで…しまえばジューシーに焼き上がるとおもうのだけど、経験の無さが硬く焼かせてしまうのだろう。反省。 親父の帰宅を待って夕食を食べ、そして今夜も日記を書き込む時間がやってきた。楽天のHPの設定というのは今ひとつ飲み込めないというか良く分からない点が多い。一応は一日のアクセス数が五十を超えたら嬉しいかな?と思うのだが、超えさせるためにはやはり面白い内容が必要なのだろうとは自分で理解しているつもりなんだけど、どうしたら面白い文章が書けるのか…。難しいやね。
2004/10/16
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アクセスカウンタがあると 数字の増減が気になってしまいがちでつい日記のタイトルも興味を引きそうな物を付けてしまいがちになってしまう…。 以前、HPを公開していたときはアクセスカウンタを付けていなかったから誰が見に来ているかとか、誰が見てるとかを全く気にせず唯の日記を書いていたのだけれど。 う~~ん、アクセスカウンタが気になる!!!。 ま、言い方を変えるとおいらが小心者ってだけなんだなこれが…。 こうしてアクセスカウンタの数字の変化を気にしていると、毎日毎日午後三時位から店のホステスさん達にモーニングコールをかけていた頃を思い出した。 時間から言うと普通のホステスなら出かける準備は出来ていて…と考える所だが、二十代前半の売れっ子は起き始める時間だったりっってのが多かったかも。逆に姉さんだと準備の最中で忙しいのに何のんびり電話してるのよ!ってな感じだったかな…。 毎日毎日女の子達に電話を入れ、出ない娘には時間を少しずらして電話を入れたりしていたな~~。「おはようございます。○○です。今日もよろしくお願いします。もう起きていましたか?」ってのが定番だったかな?姉さんがたや、お店のナンバーさんには丁寧な口調での挨拶だったけど、気軽に軽口が言えるヘルプには軽い感じで話したり…。コミュニケーションの第一歩だったな。 こういう、日々の積み重ねが信頼関係を築く事に繋がったり、女の子の相談に乗ることに繋がったり…業界自体から足を遠ざけて十年余り過ぎたけれど、あの頃はただただ何も考えずにしていた事が少しは身に付いているかな…なんて思う今日この頃だ。 今朝は数日ぶりにのんびり起床。予定が無いと言うことは何もすることが無いと思い二度寝を決め込んだ。しかし、昨晩、飲みに行った先に電話が入って十時という約束していた事を失念していたので十時を回って目が覚めて慌てて用意して役場へメンテへと車を走らせることになった。 ハードの故障ならモニタが原因ならモニタが点かないだろうしHDの故障ならアクセスランプの点灯を見れば良い。と色々考えて見た物のはっきり言えることはまずは自身で確認しなくては何も出来ないと言うことだ…なんて考えている間に役場に到着していた。 役場へ顔を出すのは八月以来だから久しぶりという感じ。真っ直ぐ課長の机に向かうと、電話をしながらも机の場所を空けてもらえたので、早速電源を入れて立ち上げると何事もなかったかのように起動をするではないか?。何処が故障?と思っている間にパスワードの入力画面が見えて入力しなきゃ…と考えている間に画面が反転し消えてしまっていたのだが、それでもHDへのアクセスランプは点滅を繰り返していたので原因はハードが原因でなく、ソフトの使い方が原因と想定できた。 んで、再度停止から再起動させパスワードの入力を終え使えるようになったことを確認すると共に、XPをSP2にアップデート作業を行って作業は終了となった。 故障して使えないという連絡の原因は起動時にNumLockがはずれてパスワードの数字の入力が出来なかったので使えなかったという事だった。 確かに、使えなくなったというのは事実かも知れないが故障と言うことでは無かったのが救いと言えよう。一瞬、僕が選んだ中古では無いものの、ハードの故障かも?と最悪の状態を予想してしまったいたからね。ま、今後ともこういった原因で電話が入る事があるのだろう。 昼食は祖母と二人で食べる気がしなくて役場の近くのそば屋で軽くラーメンライスを食べた。この店も代替わりをして何年になるのかな?。たぶんはじめてラーメンを食べたのは小学校の低学年の頃だと思うが、あの頃感じた美味しさを未だに感じることが出来るのは嬉しい所だ。 素朴なしなそばといった感じは今では懐かしくさえあるけれど、最近出来たラーメン屋よりは遙かに美味しく感じるのは何でだろう。シンプルな鶏ガラスープ(たぶん)とあっさりしたチャーシューは最近のこってりした味付けが多い中で懐かしく感じるが美味しいと思う。難点は言えない事もないがまあ列挙するのは止めておこう。 そういや、隣町の駅前に出来ていたラーメン屋なんだけど、麺は美味しいかな?とは思ったけれど、スープに旨味が感じられないのは頂けない。材料はそれなりの物を使っているとは思うがあれじゃあ脚をまた運ぼうという気にはならない。たかがラーメン。されどラーメンだな。 帰宅後、焼酎に山葡萄、さるなし、マルメをそれぞれ容器に切って入れ砂糖と焼酎を入れて本棚の上の直射日光が入らない場所に置くことにした。書けば一時間もかからないように感じるかも知れないが山葡萄を弦から取ったりマルメを切って入れたりさるなしからゴミを取り除いて入れたりとたっぷり二時間以上はかかった。 説明書にはカリン酒で一年ほど寝かせるとあるからマルメは一年ほどかかると思うし、さるなしも同じ位かかるのかな?。山葡萄が一番早くて年明け早々には味見が出来るようになるかも知れないといったところかな。 作業が終わって部屋でくつろいで居ると親父が山から帰ってきたので、親父が米を受け取りに行くというので手伝いについてゆき、今度は米の積み卸し作業を行った後で夕食を食べ、今度こそ本当にフリータイムとばかりにこうして日記を付け始めている。 今晩は、この後親父の実家からの連絡待ちをし、連絡があったら山葡萄の出荷用の箱を取りに行って、明日の出荷に備え無ければいけない。今夜箱が来るという事は、明日は親父は朝から山へ行く事が決まって居おるので明日の出荷は俺一人と言うことになる。んま、一人だからと言って特に困ることもないか??。で、その後は親父の実家の山葡萄の収穫の手伝いを…。という予定か。。 そういや、今年は大豊作だった山葡萄だが、来年は今年の半分程度と考えていた方が良さそうな塩梅だそうな。しかも、今年間では比較的高額な引き取りが約束されていたのだが、来年は値崩れを起こして今年の半分程度と考えて置くべきだろう。今年の半値でも採算ベースになると言うから、今の値段が如何に高額か!!という事だろうけど最後の高額の年に大豊作だったのは良かったと思う。 まあ、その辺は唯飯を食わせて貰っているからそう考えるのは当然か?。そういや、親父が代替わり云々を言った時には即座に「まだまだ先の話だろ」と却下したのだが、どうやら親父の腹の中ではそういう腹づもりもあるらしいという事は俺も考えなきゃいけないのかもね。 とはいえ、一応俺の腹づもりとしては、来年は就職できれば良いなという考えは捨てては居ないつもりなんだけど…さてさてどうなる事やら。
2004/10/15
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恋に陥る切っ掛けは色んな物が在りすぎてパターン化しようとしても仕切れないのではあるまいか? 記憶を遡って思い出しても…。 小学生の頃、親父の弟の嫁さんに淡い恋心を抱いた切っ掛けなんて単純に頬摺りされた事が切っ掛けだったのでは無かろうか? 中学生になっての切っ掛けはコバルトシリーズ(たぶん…)の初恋教室?だかを読んで感化され、姉の同級生の○○さんに憧れを抱いた様な記憶がある。 高校生になってからは寮生活を送り初め、男子寮から女子寮に向かって遠吠えしてみたり…とか色々なカップルを間近で散見する事が多くなって何となくそうなのかな?あんな風に…と覚えたように思う。 高校を卒業後、東京に来て専門学校に入り大人の仲間入りをしたような気分になって徐々に酒を覚えたりして…。二度目の専門学校でバイトをするようになりそこから水商売に染まってからは恋には酒が付き物になった様な(^^ゞ。 自分の勘違いから恋に陥ることもあれば… 遊びのつもりが、気づいたときは恋だったとか… ひょんな会話が心の竪琴に触れ、そこから相手の存在が自分の中で膨れ上がって…なんて事もあれば たんなる職場仲間の賭で、どちらが最初に落とすかどうか…なんて競争してたら…と言うこともあれば たが、何となくクリスマスプレゼントをあげてから…とか キスしちゃてから意識したことのない相手が急に気になってとか… とかく様々な事が切っ掛けとなった様に思います。 貴方はどういう切っ掛けで恋に陥ってしまいましたか?。 本日は、朝出荷に行きその脚で親父の実家の収穫の手伝いに行き終日収穫を行った後親父の山葡萄の宅配に付き添った(山葡萄の宅配=親父の友達への山葡萄の配布)。ただ、数件留守の所があり。亡くなった母の知人?の店に立ち寄った為余分な宅配業務も加わった。 十数年前に連れて行って貰った店だけになんだか…。 必要な物を買い物して帰宅。こうして日記書きに勤しんでいる。一応…明日の晩のおかずは本日買い求めた刺身に決定し、明日の昼はこの前買ったハンバーグにしようと考えているけれど、予定は未定。明日は明日の風が吹いて決まるだろう…。 親父の昔からの知り合いの店に行き思ったのは、一度直を田舎につれて来てれば良かったかな?という事だろうか?。良い娘だったからそうしておけば良かったな。 けど、別れて十年も経ってからこんな事をいくら考えても仕方がない事だよな。
2004/10/14
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在るところに愛し合っていた男と女が住んでいた。 愛し合っては居たが、男は女に不満な点がたった一つだけ在りました。 男は不満な点がどうしたら解消できるかを色々考えた末に少しの間離れて暮らすことこそ最良の道と考えつき提案することにしました。 女は泣き叫んで「離れて暮らすのは嫌」と何度も言いましたが、男は自分の考えに固執し女の説得を続けたのです。女は次第に嫌々ながらも納得してしばらく離れて暮らす事に同意しました。 離れて暮らして再び一緒に暮らすときには…不満が解消しているだろうと男は考えて居たのですが、離れて暮らす事を決めた女は相談に乗ってくれた別の男と仲良くなってしまいました。 離れて暮らして二月ほどで女は男に「好きな人が出来た」と伝えました。 男ははじめて自分が失ってしまった物の大きさに気がついたのです。 しかも、無くしてしまったものは、自分がそうなるように仕向けてていたことに…男は女を恨めませんでした。 何故あの時、離れて暮らすことが二人に取って良い未来になると信じ、そう仕向けてしまったのか?自分の馬鹿な行動が招いた結果の「別れ」であった事に…。 女は新しい道を歩き始め、男は己の失敗を何時までも忘れることが出来ません。無くしてしまった物が如何に大事な物だったかが判りすぎるほど大きく大切な物だったからでした。 今頃になって自分の過ちに気づくなんて、馬鹿な男としか言いようが無い救いようのない奴だと思わずには居られない。 十年前のあの日に自分の間違いに気づかなかったら…。だけど人生に「if」は無い。やり直せる人生も在るのかも知れないが、やり直せない人生の方が遙かに多い。こんな事に十年経って気が付くなんて…と自嘲してしまう。 朝起きたら外は一応雨が上がっていた。早起きしすぎたので二度寝をし気が付くと出荷しに行く時間だったので慌てて起きて出荷に向かった。 集荷所には山積みの山葡萄が千箱も在るとかで空き箱は一つも無かった。が、昨日タイミング良く昼に行ってきていたので今日の収穫分は間に合うという予想の元に裏山に入り収穫を開始した連日の収穫と出荷で体に疲れが溜まってきている所為かどうにも体の動きがぎこちなくて動作が緩慢になって困ってしまった。 午前中で昨日用意した箱は総て使ってしまい午後からは手持ちの箱に収穫することになった。一服をした後で総ての収穫が終了したので、手伝いの人達と共に、親父の実家の山葡萄の収穫作業を手伝うために場所を移動して手伝うことに…。作業は陽が落ちるまで続けられた。 家に収穫分を持ち帰り、午前中に収穫した明日の出荷分と積み替え明日の分は確保し、残りは詰め替える箱が用意でき次第運ぶことになるだろう。 明日から作業は親父の実家の手伝いがメインになるのだが、我が家の作業が無事終えることが出来て何よりだ。明日ともう一度の出荷以外は体力がそれほど必要とは言えないので肉体疲労が軽減されるのは嬉しい。 先ほど、カテゴリを新たに加え書き込んだら日記とは別になると思って加えてみたのだが当初の日記が削除されたので、改めて修正し「迷惑メール」としてFreePageに加えて置いた。大石オブジョイトは「オブジョイト」でネットで検索したら迷惑メールでだいぶ引っかかって居るところを見ると、かなり大がかりに送って居るみたいだ。まあ、引っかけメールだとは思うが中にはやりとりをしたらこういう返事が来たという話もあったので、興味がある人はググル(Googleで検索してみる)って見るのも良いと思う。
2004/10/13
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好きになったら…相手が僕の事を嫌と言わない限り一緒にいたいと願い実行在るのみだった二十代。 一緒に居る事が当たり前のように考え実行していただけなのだが、そんな日々を送れたのは独り暮らしという事も大きかったのかも知れない。 今なら、実家で暮らしているし一緒に暮らそう?なんて言えるかどうか…。その前に好きになれる相手見つけることが先決だょな。 好きになったら、とにかく一緒に居たいと思い行動していたあの頃が懐かしいやら、若かったのかな?と思うやら、今なら好きになったらどんな行動をしてしまうのだろう?。 その時になってみなけりゃ、どんなことをしてしまうのかは誰にも判らないよね…。俺自身にだってどんなことをするのか検討もつかないのだから…っって考えたらこれって昔からの「猪突猛進」から一歩も抜け出て無いのかもと少々呆れてしまった<自分の事だけど。 大人の恋愛がしたいなんて何処かに書いたけど進歩して無いじゃん!!!<自分(^^ゞ 朝起きて外の天気を見てから雨が降っていない事を確認した後で起き出すにはまだまだ早い時間だったので、ベッドで横になっているうちに寝入ってしまい起きたら出かける時間となっていた。 病院へと向かう車の中で考えたのは毎日書く日記のこと。んまあ今のペースで書き続けたいと思う。何やかんやとあれこれ考えながら車を走らせながら自分の馬鹿さ加減を思い知り(この件は後日日記に書こう)病院に着く前には凹んでいた。 病院は連休後と言うこともあってか、非常に混み合っていてだいぶ待たされた。んで、先々週の検査の結果でまたコレステロールの数値が高い!いい年して自覚して節制しなきゃと医者から散々に言われまた凹んだ。 山葡萄の収穫が最盛期に入っていることから、何時もの通院帰りならネカフェに立ち寄ってのんびり夕食の時間までネットを徘徊してから帰るのだが、今日はそうも言っていられなかったので夕飯のおかずを買って真っ直ぐに農協へと急いだ。 農協では山葡萄の出荷の個数伝票を貰い、出荷用の箱が余っているかどうかを確認していったん家に戻り、軽トラックに乗り換えて再度農協へと出向いて何とか明日の収穫分の箱をゲットし帰宅。そのまま裏山に入り、親父の実家の山葡萄を収穫中の親父に結果報告をし箱を裏山に卸して完了した。 通常なら一日四十も取れたら良いところ…と聞く親父の実家の収穫量だが、今日は俺ん家で収穫していた人達が皆揃って手伝いに廻った事もあってか五十箱届いたという箱はすでに使い切っていた。んま、取る人が増えたら箱が足りなくなるのは自明の理だよな。親父の実家は明日は収穫は見送りが確定か?。 瓶漬けした山葡萄は五センチほど湧いてきている。早く順調に実が隠れるほど湧いてきたなら、その時は瓶に移し替えて置かなきゃ…とはいうものの、まだまだ先の話だよね。 そうそう、山葡萄とさるなしを焼酎に漬けて葡萄酒とさるなし酒にしようと前回購入した梅酒?の瓶の半分のサイズの物を二つ購入してきた。たぶん、というか自家用として飲むことが多いのだろうな。 昨晩作った鶏肉と大根と卵の煮物は明日の夜の置かずにする事にして、本日の夕飯のおかずは買ってきた刺身にしておこう。いっちゃん最初に俺が作るのは夕飯のおかずだけ…というはずだったが、気づけば昼も作ることになってしまっている。なんかな…。 MXを使った動画集めは回線がISDNじゃあ映画一本集めるのに丸二日もかかるので、交換者を見つける事が出来なくて早くというかせめてDSLが使える環境にならないかな…と言うのが目下の願い。そりゃ光が使えたなら文句は無いがそこまでは言わないからDSL位は何とかして欲しいと切に思う。
2004/10/12
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最後にしたキスは、先日のオフ会の途中でふとキスがしたくなり、「チュして良い?」と尋ねチュしちゃったキスが最後にしたキスでした。 何も考えて居なかった訳じゃ無いし、誰でも良かった訳でも無い。貴女ならNoとは言わない、そんな気がしたから貴女に言ったのだけど…。 周りに大勢いる場所だから、軽いキスだけで止められたけど周りに誰も居なかったとしたらヘビーなキスになっていたかも…。だからこそあの場所で良かったのだと思う。 後日、色々考えちゃいましたよ…何故あの場所で、貴女を選んでそうしてしまったのか?貴女に悪いことをしてしまったのでは無いか…と。 無意識ではあったにせよ、深層心理で貴女に惹かれていたのでしょうね。 アフターフォローをしようかな?と考えはしたものの、軽く姪に話してみたら「勢いでしたかも知れないから、アフターフォローはしない方が…」と言われ結局そのままにしてしまったけれど、機会があったら何か言わなきゃ…とは思っています。 その何かは考えもつかないで居るけれど…。 さて、今宵も夕食後の日記タイムがやってきた…。 本日も?本日は台風一過と言うわけでも無いが山葡萄の収穫を裏山にて始めていると時間が少し経つに従って一人二人と手伝いの人達が集まりだしたのだが、午前中に収穫できた量と言えばたったの五箱だけだった。 午後はというと出荷用の箱が足りないことから親父の兄の家で借りている出荷用の箱を借りて収穫作業は続いた。最終的には本日の集荷量は二十箱を超えることが出来たので良かった良かったというところだろう。だいたい残り二十箱には足りない程度の収穫で今年の収穫は収量の目途がついたのでほっと一息…というのが我が家の状況なんだけど、自分家が終わったらそれで終わりかと言うとそんな事は無く、今度は親父の実家の収穫作業を手伝うことが決定している。 まあ、自分の家の収穫よりは遙かに気楽に手伝いが出来るし、収穫しながら検量したり軽トラックに積み込むという作業が無いだけに労働力は比較にならないほど軽減されるから腰の痛みも少しは軽くなると思うと気分的には楽ちんモードに突入か?。 昨年は悪かった山葡萄の収穫量が今年は昨年の五倍の収量となることが確実となったから親父的にはほっと一息というところだろう。おふくろが亡くなってから農作業は必要最低限自分が使うのに困らない程度稼げれば良いじゃないか?と何度と無く言っては来ていたのだが、それでも楽をするという事があんまり出来ない性格の親父を見るとほとほと頭が下がる。 親父がやってきたように、俺に出来るか?と考えると無理無理と言ってしまいそうになるけれど、言う訳には行かないと、責任感を感じてしまって…。プレッシャーがきついなあ(^^ゞというのが本音だね。 山葡萄を瓶詰めにしたものの下部に若干わいてきた兆しがある二センチ、三センチほど葡萄の果汁がわき出しているようだが、山葡萄のみが隠れるほど湧いてくるまでは一月位は楽にかかるのかもんね。味見をしたなら酸味が相当に強いだろうなと想像できる。そうだ、少し山葡萄を焼酎に漬け込んで見るかな?さるなしも焼酎に漬けてみようと思う。作って飲むのは俺だけだろうし何か自分の趣味の為だけだな…。 そういえば、ヤフーのオークションに使わなかったHDとノートパソを出品するつもりが時間が取れないためまだしていない…叔父さんの会社に頼まれた打ち込み作業も八月からしていないから今月中というかそろそろ何とかしなきゃいけないところだけど…手伝いの農作業が終えてからになるのかな。
2004/10/11
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買い物に車で行き、小雨の中の駐車場から車を出そうとしてふと隣の車に目を向けると、車の中で何やら揉めていそうな雰囲気の二人が見えた。ふと頭に浮かんだのは「女を泣かせる男は最低」という言葉で何があったかは知るよしもないけれど、何だかだなあ…と思ってしまった。 けど、待てよ?。俺は女を泣かせた事は無かったのかと思い返して見ると、恋愛感情を持った相手の事如くを泣かせていた事を思い返し、俺ってんじゃあ最低な男だったのかな…と思ってしまった。 そりゃ、泣かせるつもりで泣かせた訳では無かったけれど、結果として相手を傷つけ泣かせた事実は間違いのない事だから俺が悪かったのは本当なんだけど、そのいきさつの原因には相手に対する愛情があったはず?だから…なんて自己弁護したりして。。。 女を泣かせる男は最低…なのかな?。 朝から雨なのは天気予報の通り、晴耕雨読では無いけれど天気なら起き出す時間になってもベッドから起き出すことはなくベッドの上でゴロゴロ過ごしていた。 昼飯も食べずに菓子パンやせんべいを食べながら最近填っている夏の香りを見続け気づけば夕方。親父が取ってきた本当に最後?のブルーベリーを姉の指導でジャムに作ることにした。 酸味が必要との事で買い物に出た際に上記で書いた出来事があり色々付き合った相手を思い出しては泣かせた情景を思い出し、自己嫌悪してしまった。 ジャム作り事態は可も無く不可も無く出来たつもり…なのだがこればっかりは実際に冷えて食べてみるまでは味は合格点が出るかどうかは分からない。ただ二十分から三十分煮込んで…という話だったけれど十分を超えたところで見た目OKっぽくなったので火を止め瓶詰めをしたのでどんなものか??。 夜半になって作ったジャムを試食した。無論その前に作り方など色々サイトで見て最後の煮込みが不足していた事酸味が足りないであろう事は想像していたのだが、親父の採点ではまあまあの出来だとか…。俺の採点では自分で食べるのなら問題は無いかも知れないけれど、他の人にあげるという用途にはまだまだのレベル(当然か)だと思われた。まあ、一二度作り方を聞いて作った物としては及第点と言えるかもね。 夜は結局というか集めた動画の中からTVドラマで無く映画を何本か見た。映画館には敵うはずもないけれど楽しめた。
2004/10/10
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キスして相手の唇を舐めたら苦いというか何というか…。 キスに味がある?と感じた初めての経験は、その後美味しい唇(口紅)探しへと探求させた物だった。 記憶によると確か当時(十四五年前)は発色が良いのは海外の品しか無く、従ってお洒落な女の子とのキスは美味しくは無かった記憶があり、それ故?一緒に居ることが多い女の子にはスッピンで居て欲しがった記憶がある。その当時国産は無味に近かった物の発色が今ひとつで、着飾る女の子は得てして海外製品を使って居たような…。 今考えると失礼な話で、キスの後「美味しくない」などと言った事が何度か在ったように覚えている。まあ若かったと言うこともあるだろうが、今なら言わない科白だよね(^^ゞ。 そういや、軽くキスした後で妙にドキドキしちゃったりして、相手を変に意識しだしたりする癖はいまだに変わらないのも何か変だよね(笑)。 自分が感じたキスの味、覚えちゃ居ませんか?好きな人が吸っているタバコの味だったり、二人で食べた食事の匂いだったり、幼き日のリップクリームの味だったりね。 天気は天気予報の予報通り雨だったけれど山葡萄の出荷には問題が無いので朝から出荷に行き出してくる。その後、これまた予定通り?葡萄酒作りの為、親父の手を借りながら葡萄実を弦から取り話したるにため込む作業を開始した。考えたことと実際では現実の方が時間がかかる物で箱二つ、およそ三十キロあまりの山葡萄から四十リットル程度の実を取り出し終えるのには六時間程度時間がかかった。収穫の倍以上の時間がかかったかも知れない。 取り出した実は、二十リットル程度のたると八リットル程度のたると八リットル程度の瓶詰めに分け入れ二十リットルの物はそのままわかせる事とし、八リットルの物にはそれぞれ500g程度ずつの加糖をしわかせる事にし、八リットルの瓶だけは部屋の隣の部屋で様子見をし他の二つのたるはそのまま小屋でわかせる事にした。今から三ヶ月ほどでわくとの話を聞くが果たしてどの程度の葡萄酒が取れるのかどうかはまだまだ判らない。山葡萄の実は野生種に近い物で実の種が非常に大きい事と元々の実がさほど大きくない事を考えると半分も取れれば上出来?かと言う気がしているかなり低く見積もったとしたら1/4程度では無かろうか?という気がする。 昼飯抜きで作業を続けたので小腹が空いたので夕食のおかず作りをする前にせんべいを食べながらネットを見てると寝込んでしまった。慌てて起きたのは夕食の直前で、挽肉とピーマンを炒めてから出汁で煮込んで片栗でとろみを付け卵を溶き加えご飯に載せて食べれるおかずとした。今年このバリエーションを作るのは一体何度目になったろう。もう、四、五回目というのは間違いない。 僕の作るおかずの引き出しはそう多くは無い。総て過去に自分が食べた時の記憶(たぶん)を元にしてきっとこうだろう…と思いながら作っているから作り方がこうだとは言えない。 さて、こうして今夜も夕食の後の日記を書き込む時間がやってきた。今日はどんな日記を…と言っても引き出しは多くないから取り敢えずは今日の出来事など書いている。そういえば亡くなってン十年になる祖父の知り合いとかの孫娘の話が親父との会話に紛れ込んでいたが、あれは一体どういう意味だったのだろう?。うんうんと聞き流して居たが、ひょっとするとひょっとして見合い話だったのかも知れない。んまあ、その時はその時で考えるというか拒否権は俺にはたぶん?無いだろうから話は聞くことにするかね。もっとも、相手が嫌という可能性が高いとは思うがね。
2004/10/09
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恋がしたい!恋がしたい!恋がしたい! 刺激が無い!刺激が無い!刺激が無い! 半径10km四方に二十歳未満の高校生の娘が居る事はあっても適齢期の娘は皆無の田舎に居ると恋が出来るチャンスは限りなく少ない。 二十年振りに暮らす田舎では町の中へ出たとしても「あれ?○○君?」と声をかけられこちらが誰かは判らないけど先方は知っているという事が珍しくもない。 こんな田舎で東京で暮らしていたときのような刺激的な生活を求める方がそもそも間違いというのは判りすぎるほど判っては居ても、多少の刺激は欲しいよな…と思ってしまう今日この頃である。 今日は朝起きて集荷所に昨日の午後収穫した山葡萄を出荷し、帰ってくるそうそう裏山へ行き本日の収穫作業が開始となった。だんだん傾斜地での収穫となり体的には十二分のリハビリ?となったかも知れない。収穫の途中何度と無く出荷のための量を計って車に乗せるために手伝いの人達が収穫した果実を傾斜地の中で運ぶ作業は正直な話リハビリというより重労働?な気がした。収穫作業自体は軽作業なだけにちょっとね。少しがんばりすぎて血圧が上昇したかも知れない。 昼には昼食を食べると即座に集荷所まで午前中に収穫した分を出荷し、午後の作業の開始となり午前中の作業の継続となった。暗くなるまで作業は続き本日の分は収量となった。が、体力的にはリハビリを超えている。本日の作業で山葡萄の収穫の目安が後数日で終えることが出来ると判断できたけど、明日からの天気予報は雨だから収穫作業は二三日は順延となる見込み。疲れ切った体を休ませるには絶好の口実である。 夕食のおかずは昨晩作った白菜の煮物をおかずにして食べ、食後に洗濯をしながら本日の日記を書いている。 明日は雨が降ったら出荷しに行った後で葡萄酒作りのために小屋の二階に干してある山葡萄を取り込む作業をするつもり。出荷の量から換算して正味二十キロはあるかも。
2004/10/08
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人間やることが何もなければ食べる事ぐらいしか楽しみは無い。だからという訳でもないだろうがこのところのマイブームは食べる事かもしれない。とは言え食べる量は太らないようにという医者の厳命を守って絶対量は一日一食~一・五食というところだろうか?。 そんな中でのお気に入りは…。 昔懐かしい南部せんべい、シンプルなその味は、遠い昔まだ堅くて咬めなかった頃、よく祖母が少し咬んだ物を食べさせて貰った記憶がある。たぶん、三四歳の頃では無かったろか?。まだまだ今ほどスナック菓子など無かった頃だと思うが今の子供なら見向きもしないせんべいをよく食べて居た物だと素朴な味わいを楽しんで食べている。今はただそのまま食べているが、遠い記憶だと湿気ったせんべいをストーブの上に載せて軽く炙ってマーガリンを塗って食べた記憶もある。 今じゃ、読書の友にバリバリ囓りながら本を読むのが定番かな…。 もう一つの最近のお気に入りは手作りブルーベリージャムをバニラアイスに載せて食べる事だろうか?。市販のジャムは食べた事がないので比較は出来ないけれど程良い甘さと酸味がアイスと混じり合った美味しさは癖になっている。ただ、難点と言えば取れる量が決まっているので年間を通して食べることが出来ないのが残念と言えば残念。来年は他にも幾つかの果実で試して作ってもらうつもり…。 難点と言えば乳脂肪が在るので、血液検査で標準値のコレステロールを超えてしまうところだろうか?。検査の一週間前は食べることをあきらめると検査をパスすることが出来るのだけれどそれにしても…。 朝から快晴。六時前から親父に起こされ部屋のゴミ出しをして貰う。親父から見たら幾つになっても子供なのだろう。とは思うが自分的にはそんな自分が嫌だったりする。 八時には昨日収穫した山葡萄を集荷所に運んで、そのまま裏山へ行き収穫作業を開始…。もう手伝いの人達が来て収穫は始まっていた。午前中の収穫量は十八箱、、午後からは二十二箱だった。一日で四十箱は若干少ない気もしないでは無いけど、平坦な場所じゃあないのと疎らな実の付き方では仕方がないところだろう。収穫作業を終え、自宅に戻ると今度は晩飯のおかず作りが待っていた。今晩は冷凍のロールキャベツをコンソメで煮込んで豆腐とネギを加えて汁物にした。味はまあまあの出来か?。 夕食の後、車で買い物に出かけ、ベーコンを買うつもりで値段を見て豚肉を買い帰宅。今晩のように慌てなくても良いように明日の分…と白菜を刻みその上に豚肉を切って載せ、更にその上に白菜、そして豚肉と交互に載せ水を全体の1/3程度入れ煮立て、沸騰してきたらコンソメをいれ少し火を弱めにして更に煮込んで白菜がクタッとしてきたところでラー油を隠し味程度に加えて出来上がりとした。 作っている最中に、親父と婆にはバニラアイスの上にブルーベリージャムを載せて出して置いた。食後のデザート代わりというかおやつである。 そして、僕と言えば部屋に入ってせんべいを食べながらこうして本日の日記を書いている。せんべいを食べながら麦酒を飲み心地よさを味わいながらもう眠くなっている。健康的なのかも知れないけど、不健康な生活が懐かしくもある。こうして今日も刺激的な事とは皆無の生活が過ぎて行く。 そうそう、山葡萄を日陰干しにして三日ほど過ぎたけれどつるがまだ萎れてはいないので後数日はそのままにしておこうかな?と思う。昨日糖度計で計ったところ十五度ジャストであった。出荷の糖度としては十分な糖度になっているようだ。んで、糖度計に使った山葡萄の実を口にしたところ酸味が強かったので、これから作る葡萄酒が甘くなるかどうかは自信が持てないところだ。
2004/10/07
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夕べの雨が残っていたので午前中はのんびりと過ごした。昼近くから天気が回復してきたので、午後からの収穫作業が決定となったので、昼を過ぎたところで裏山へと行った。 最初は切れている針金の補修を手伝った後で収穫作業は開始となった。当初は手伝いの人数も揃わなかったので収穫は少ないだろうと思っていたが一人二人増え、最終的には昨日と同様の人数となった。が、昨日とは果実の付き具合が違っていたのか収量的にはやや下回った。 夕食後、何となく楽天で日記を書いてみることにした。んで、取り敢えず…。 捜し物をしていたら何年か前の年賀状が何枚か出てきた。ふと見ると懐かしい名前があったので、思わず目にした電話番号に電話をしてみると懐かしい声が聞こえてきた。 彼女と話をするのは何年振りだろう?。喧嘩?をしそれ以来連絡はしていなかっただけにとても懐かしかった。 でも、無効には迷惑だったかも知れないとちと反省もしている。 と書き込んでみた。さてさてしばらく続くのか?どういう内容で書き込もうかな?HP開設までの繋ぎとするかそれとも…。 日記のタイトルは何年か前にランディに相談?して決めたHPのタイトルをそのまま使うことにした。タイトルは相談した物の中身は見たかどうかは聞いたことがないから判らないけどね。
2004/10/06
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