カテゴリ未分類 0
アニメ 0
読書 0
ゲーム 0
連合 vs Z.A.F.T. Ⅱ PLUS 0
ひぐらしのなく頃に 0
うみねこのなく頃に 0
全6件 (6件中 1-6件目)
1
連日、暑いねどうも。ま、夏なんだからそれが当たり前っちゃあ当たり前なんだが。「夏到来!」と思うと、聞きたくなる曲ってえもんが諸氏それぞれにあると思うが、ある人はそれがサザンだったり達郎だったりするんだろうが、私的に夏の一曲つかアルバム一枚つったら、ジョー・ウォルシュの1978年のアルバム「ロスからの蒼い風」一択。軽くフェイザーをかけたギターと「サンダー・アイランド」でお馴染みの(知らねーか)朋友ジェイ・ファーガソンの奏でるオルガンの音がなんとも夏っぽく思えてな。 「この人生に賭けて」はアルバムB面ラストを飾る8分を超える大作で、ジョー・ウォルシュ最大のヒット(全米12位)となって、ソロ曲にも関わらずイーグルスのライブでも演奏される。但し初出は映画「FM」のサントラ盤(サントラはとてもヒットしたけど肝心の映画は大コケ)身の回りの出来事をこまごま並べて「オレの人生、今のところは良さげ」って飄々と歌うのはなかなか面白いんだけど、まー個人的にはこのアルバムには入れなくても良かったんじゃね?とも思う。つかアルバムのコンセプトとは合ってないんだよ。実際この曲の初出は映画「FM」のサントラ盤だから、ソロアルバム用の曲として書き下ろしたんじゃねーのは明白だよね。 そんな曲をタイトルに持ってきたのはひとえに、♪My MASERATI does 185 I Lost mylicense Now I don’t drive♬(オレのマセラティは時速300キロは出る。 けど免許取り消しになっちゃから、 今は運転できないけどね)って歌詞があるからで。1978年当時で速度自慢のマセラティといったらギブリとかメラク、ボーラなんだろうけど、いずれにしてもウチのコレクションでマセラティはたったの2台(笑)もう1台のティーポ151は前に出してるから、今回はMC12。買ってから10年以上経つのにずーっと塩漬けで。マセラティ純正イクソ1/43 マセラティ MC12 GT12007年FIA-GT選手権 Rd.2シルバーストン 優勝#1 トーマス・ビアッジ / ミカ・サロ グループCレースの終焉とともに次世代の主役と勃興したGT1レースだけれど、日本ではJGTC(とスーパーGT)とゆー大看板があるからか、これを国内に誘致しようとゆー積極的な動きもなかったし、GT1なんてマクラーレンF1GTRで終わってると思われがちだけれど、どっこい欧州では名称こそいろいろ変わってはいるが連綿と続いている。 マセラティMC12は5年連続チャンピオンとなる強豪マシンだけれど、紆余曲折あって日本は上陸できず仕舞いで認知度は低いよね。 同門フェラーリが創業55周年記念車としてエンツォフェラーリを出した時、レース用エボモデルを出さずクラブスポーツ的な顧客お仲間ワンメイク用「FXX」に流れていったから、エンツォの構成パーツを基にして出来上がったのがMC12だ。 2004年にデビューすると最終戦で勝利し、翌年からは2009年まで5連覇を達成。2007年も優勝こそシルバーストンとオッシャーレーベンだけだが、全戦6位以内フィニッシュでチャンピオンを獲得(ただしミカ・サロは助っ人参加なのでドライバーズチャンピオンはトーマス・ビアッジ単独で獲得) 遠い先祖エンツォフェラーリと。 空力やら冷却系を見直したりしたら、本家よりも一回り以上デカくなっちゃったMC12。どれだけデカいって標準的なイクソ台座の四角推台上底面ギリギリの大きさだもん。 2007年当時はまだミニチャンプス一党独裁時代に風穴を開けんとhpiが出てきた時代。エブロもまだやる気を出していたし、イクソは廉価を武器にしてルマンとラリーに領土を広げていた。いまやリーディングカンパニーに躍り出たスパークは、ウチのコレクションにはまだ影も形もなかった(初めてスパークがコレクションに加わるのは2009年だ)イクソのMC12は、デカールが浮いてたりほこりを巻き込んで貼られてるといったイクソあるあるが見受けられない良い出来映え。一般商品と違ってマセラティってブランド背負ってるからかも知れんね。 当時は、ミニチュアモデルのもとになったマシンの戦績を深掘りしてから購入を決めるなんてことはせず、割と直感で選んでいたけれどたまたまチャンピオンマシンを選択してた(笑) てなわけで、ちょっと前にやった「クルマがデザインされたCDジャケット(所謂カージャケ)とミニチュアモデルのコラボ」とはちょっと角度が違うCDとミニチュアのコラボをお届けしたわけだが、それはともかく「ロスからの蒼い風」ホンマ夏に合う!とリコメンド。 ただ「ロスからの~」ってゆーわりには、フロリダ州マイアミはココナッツ・グローブのベイショア・スタジオで製作されてんだよね。そう知ると、ますますギターやオルガンの揺れはウエストコーストサウンドっつーよりマイアミサウンドだよね~とか思ったり(笑)そもそも原題は「BUT SERIOUSLY,FOLKS...」で、ロサンゼルスも蒼い風もなんも入ってないんだから。ジョー・ウォルシュ→イーグルス→ウエストコーストロック→ロサンゼルスって安易な発想がなんとも日本的。ちなみにロサンゼルスとは全く関係ない原題を今流に訳せば「いやもうマジなんだぜ、みんな・・・」なにがマジなの?っつーと、ジャケット見開き↑中ジャケット↓「合成なんかじゃなくてカラダ張ってんだよ!」っつーことなのよ(笑)ここいら辺がさすがウィットに富んだジョー・ウォルシュ。ってことはサウンド云々は別にして「この人生に賭けて」はこのアルバムに収録されて正解ってことか。
2021.08.07
コメント(0)
さて、アルバムジャケットと自動車を巡る企画、お読みの諸兄にまったく響いていなさそうなこの企画もきっとこれで最後。原因は多分、過去の様々なミュージシャン達が思い入れるほど、現代人にはゴールデン・エイジのアメ車は響かないんだろう。なにせ、すべてが「燃費」のひとことで測られる時代に、くそ重たくてガソリンをがぶ飲みするような超低燃費V8エンジンのバカでっかい鉄の塊など、害悪以外の何物でもないとゆーわけだ。けれど、昭和ミドル世代の原風景には確実にアメ車があったと思うんだがな。ま、ないものねだりしてても仕方がない。最後は、「誰それのなんちゃらとかゆーアルバムと」ではなくして、そもそものきっかけである三栄書房の「カージャケ」とともに。まあ、シラ~っとこうして一枚の絵に収めちゃってっけど、けっこう問題頻発で(笑)本との関係もそうだが、このミニカー自体も。 ここで、このクルマを「ミニカー」と呼んでることについてだが。そもそも論として、ウチではクルマの縮尺完成品のことを「ミニチュアカー」とか「ミニチュアモデル」と意識して記している(大昔の記事はそーでもないかも知れんが)「ミニカー」というコトバは、その商品が幼児がいじくるようなレベルのものであるときの蔑称として使う。別に例のアメリカ的な、尖った部品云々PL法からくる適応年齢のハナシではなくて、大のオトナが目の色変えて蒐集するトミカであろうとも、個人的には「ミニカー」である。どう考えてもスケールオーバーなアンテナ、エンブレムや窓枠にエッチングを使わない、等々。要するに、今回のネタはそーゆーレベルの「ミニカー」とゆーこと。グリーンライト1/43 キャデラック シックスティー・スペシャル 1955 自国の自動車や、ハリウッド映画の劇中車を大小さまざまなスケールでリリースするアメリカの「ミニカー」ブランド、グリーンライト。普段なら手を出さないブランドなんだが、55年型キャデラックはこれ一択なので致し方がない。ま、出来に比例して安価なので、とりあえずとしてはコレでいいか、とゆーわけだが、ホントに「安かろう悪かろう」だったのが判るのは後々のハナシ。バブル時代の様々なレーシングカーのよーに、エピソードをある程度ソラで言えるわけでもない、ほとんど一見さんに近いアメ車ゆえ、ブツを手に入れてからいろいろ調べる、とゆーパターンで、そんなもんだから、実際に書き込むまでに時間がかかっちまうんだが、そんなこたどーでもいい。要は、下調べのために掘ってったら、不具合って鉱脈にぶち当たっちゃった、と。 そもそも、カージャケ本のイラストはシックスティー・スペシャルじゃなかった(笑)表紙のイラストは裏側まで続いて、クルマの全体像がちゃんと描かれているわけなんだが、そこではリアフェンダーに12本のルーバーが描かれていない。 今も同じか知らんが、当時のキャデラック(とゆーかGM)は、基本同じプレスボディで内装や細かい意匠を変えて、車格の上下を棲み分けたり、場合によっては別ブランド(シボレーとかビュイックとかオールズモビル)にまで共用させていたわけで、このカタチのクルマはシックスティー・スペシャルの他に、ホイールベース違い(若干短い)でクロムメッキのモールドを少し控えてチープに仕立てたシリーズ62がある。そっちにはリアフェンダーのルーバーはない。つまり、本の表紙はシリーズ62セダンだった、と。とはいえ、55年型のシリーズ62セダンは、どっからもリリースされてないみたいなんで、前半分に差異はないから、ま、これでいっか、とか。(汗) それよりもこのクルマは、ギャング映画の神祖「ゴッド・ファーザー」劇中車ってことがウリなんでそっちにテーマをシフトしようっと。こーゆーことね。 これを機会に、久し振りにブルーレイ引っ張り出して観たんだけど(勢いあまって3部作を全部観ちゃったよ、9時間マラソン)、劇中で確認できたのは後半の4シーン。①先代ビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の葬儀のときに、抗争の黒幕バルジーニの乗車として登場。②二代目マイケル(アル・パチーノ)が五大ファミリー壊滅に動く際、部下のクレメンザがショットガン(の入った段ボール)を抱えて乗り込むクルマとして。グリーンライトのミニカーは、基本この車両を再現(ナンバープレートとか)➂警官に扮した殺し屋アル・ネリが、ドン・バルジーニを暗殺するシーン。④マイケルが妹の子供マイケル・フランシス・リッツィの洗礼式に臨んだ教会の前に停まってる。 まーマフィアはある意味上流階級だから、みんな乗ってるキャデラック。もちろん劇用車的には、同一車両の可能性が高いけど。 でまあ、今度はメーカー自らが「ゴッドファーザー」用ですって言ってんだからドンズバでしょ、と思いきや、である。英版ウィキとかガイジンさんのサイトをいろいろ巡って、車両について調べてくと。シックスティー・スペシャルって言ってる割には。まず、リアのトランクリッドのエンブレムが間違ってる。V字型エンブレムの上にキャデラック・クレスト(紋章)が乗っかってる、ごく一般的な組み合わせ。けれども、実車はV字の上は、キャデラック・クレストじゃなくて筆記体の「フリートウッド」ってのが正解。さらにリアフェンダーのストーンガード。クロムメッキのモールドが縁取っているパターンだけれど、実車は前出のバルジーニ暗殺シーンみたいにルーバーの真下くらいまで幅広いモールド。(1:18スケールのミニカーはちゃんと再現してんのに、一体なにやらかしてんだ?) これらの事実から得られる結果は、メーカーはシックスティー・スペシャルだって言い張ってるが、どー考えても「シリーズ62セダン」にありもしないルーバーをつけちゃったトンデモ仕様ってこと。さらに大元の造形として、実車のルーフは前端がフロントシールドに被さっててバイザーの役目を果たしてんだけど、ミニカーはガラス面とメッキモールがツライチで、それが再現されてねえ。 そもそも、本の表紙がシリーズ62なのに、それをシックスティー・スペシャルだと思って買って失敗したわけだけど、ミニカー本体がシックスティー・スペシャルを謳ってるのにもかかわらずまさかのシリーズ62に近しいブツだったとゆー、二重否定的なオチ(笑)けどそれじゃあ、なんか面白くないんで。リアフェンダーのルーバーモールドを削り落しゃあ、完璧シリーズ62になるんだけど、ガリガリとヤスって綺麗に仕上がる保証はないし、ならトランクリッドのエンブレムに目を瞑って、ストーンガードを再現してやろう、と。プラモ用のミラーシートをちょいちょいと貼ってみる。拡大するとアレだけど、全体をボヤっと眺めるとなかなかいー感じじゃね? とゆーわけで、あーだーこーだとメーカーの知らぬところで相変わらずディスってるわけだが、せっかく買い求めた商品の重箱の隅を突いて楽しいか?と問われれば、これが死ぬほど楽しい(笑)鉄道ファンが「撮り鉄」だ「音鉄」だと細分化したのと同様、ミニチュア蒐集にだっていろいろあっても不思議じゃないし、だとすれば確実に「カテゴリー揚げ足とり」になんだろうな(笑)てか逆に、せっかく買い求めたのに暫らく眺めてオシマイじゃ勿体なくない?あーだーこーだと実車について、場合によっては当時の社会情勢なんか含みで深堀りすんのって手間と時間は死ぬほど掛かるけど、すげー面白いと思うんだが。実際、今回あれこれ海外サイトを漁ってると、このミニカーについておんなじよーなレビューしてるサイトがあったさ。おお、同じ人種が海外にもいやがる!って、ひとり盛り上がり(笑) これで、不評な「カージャケ」企画はオシマイ(多分)多分っつってんのは、何を隠そう一番やりたかったのが出来てないから。ジャクソン・ブラウン「レイト・フォー・ザ・スカイ」とシボレー・ベル・エア 1953 これがやりたいのにミニチュアがねーんだ。ベルエアっちゃあ後継第二世代型(1955-1957)のイメージが強いのか、そっちのほうはあれこれ出てんだけどねー。なので、53年型が出たならば速攻、企画は復活するであろう(笑)
2019.09.15
コメント(3)
相変わらず、喰いつきの悪いカージャケ企画だが(とゆーかアメ車がダメなのか?)ミニチュアとCDがここにある以上、消化しないとあかんわけで。 日本では、いつかはクラウン。イギリスなら、いつかはロールスロイス。アメリカだったら、いつかはキャデラック。米英のメディアに、クルマを愛でるキャッチコピーがあるかは知らんが、きっと心持ちはこーゆー感じであろうと思うておる。現代はともかく、少なくともアメリカが我が世の春を謳歌していた時代には、成功の証=キャディで間違いなかろう。(なにせ、戦後なんでもアメリカへ右へ倣えだった日本がそうだったんだから)ネオ1/43 キャデラック シリーズ62 クラブクーペ 1949年 実はとっくの昔にブツは揃ってて、なんなら企画トップを飾ってもよかったくらいなのに、ここまで後ろに引っ張ったのは、実車についてあれこれ調べてたから。結局このクルマだけじゃなくて、系統の歴史みたいなとこまで足踏みいれちゃって、要するに今っぽい言い方すれば、沼にハマった、とゆーわけ。 ここで1940年から始まる歴史を長々と書き連ねるわけじゃあないが、姉妹車が多いことで嘲笑されるトヨタも真っ青なくらいのバッジエンジニアリングの嵐。なにしろ車名どころかブランド名まで変わっちまうんだから。(ちょうどトヨタ86とスバルBRZの関係に似てるといやあわかりやすいか)そんなこって枝葉末節まで調べるとなかなかの分量だった。 それまでフルサイズやリムジンといった大型車に特化していたキャデラックが、GMグループ内の中堅クラスのビュイックやオールズモビルとの格差を埋めるために、ちょっとだけ下に降りた車格(コンパクトエグゼクティブ)を作り始めたのが1936年。それまで排気量やエンジン名を車名(シリーズ355とかV16とか)としていたのを、この年から二桁数字に変更して、V8エンジンのフルサイズをシリーズ70、コンパクトなエントリークラスをシリーズ60とシリーズ65(60と65はプラットフォームが違う)とした。(なんで60とか70で、10とか20とかから始めなかったのかは判らずじまい)そのシリーズ65の後継として一年間のブランクのあと発表されたのがシリーズ62。1940年のことである。 1940年と41年製を第一世代、1942年から1947年までが第二世代で、この時代にファストバックスタイルの2ドアクーペが生まれた。従来のクーペ(2ドアノッチバック)と区別するためにクラブクーペの名がついた(と思われる)ウチのクラブクーペ1949年型は第三世代にあたり、新設計の5.4リッターV8エンジンが搭載されたのがこの年からで、クラブクーペはその後1953年にカタログ落ちした。輝ける時代のアメ車の象徴だったリアフェンダーのフィンが、本家P-38ライトニング戦闘機よりも派手にドでかくなる直前の、まだ控え目なこの時代のアメ車はいいね。 んでもって、このキャデラック・クラブクーペがトップに収まるアルバムジャケットは。。。 ノーバディーズ・フール / ダン・ペン リッチでアーバンなイメージのキャデラックを、ド田舎のハイウェイに停めるってゆーこの渋さ。CDの中身も、ジャケに負けず劣らずシブい。「ノーバディーズ・フール」をして、スワンプロックの傑作・名盤とかゆー見出しがネットの中にもかなりあるんだが、果たしてスワンプ「ロック」だろうかね?ニューヨークでもロサンゼルスでもない南部アラバマ発信であることや、電気楽器にホーンセクション、ゴスペルコーラス等々、充分に土臭いところはスワンプたる所以なのだが、ロックか?っちゅーと、むしろ(ブルーアイド)ソウルだろ、って思うけどね。新東名みたいにわりかし真っ直ぐで、いっつも空いてるような道をゆったり流して走るのにオススメ。 ミニチュアのほうは1949年型で、フロントウィンドウが二分割タイプなんだけど、ジャケ写のほうは一枚ガラス。フロントウィンドウに一枚ガラスが採用されるのは1950年モデルからなんだよね。でもって50年型はボディデザインも見直されてリアフェンダーに派手なエアスクープが入る。だもんでジャケ写のクルマは、49年モデルに一枚ガラスを先行採用したレアなモデルなのか、単純にあとから一枚ガラスに交換したものなのか(それが出来るのかどうかもわからけど)、今となっちゃあ調べようがないわ。 しかし、身銭を切って買ったから褒める訳じゃないけど、この時代のアメ車、いいねえ(笑)これまで眼中に入らなかったけど、考えてみれば自分が生まれて初めて目にしたクルマってのは、こーゆーアメ車(やそれを真似た日本車)だったわけだから、初めて目にしたものを親と思うヒヨコと同様、アメ車が好きなのは当たり前ってハナシだな。(まあ、今乗りたいとはさすがに思わんけど)
2019.09.04
コメント(0)
日頃、レーシングカーなこのブログに、唐突に旧車オールドタイマー登場ってのは、びっくりするくらい喰いつきが悪いね(笑)まあ確かにクルマのウンチクがあるわけでなし、ほぼ音楽バナシだし。けど、このクルマとCDジャケットって企画、始めたからにはちゃんと全部消化しないとな。とゆーわけで。 クーペもいいけどセダンもね(キャンディーズ調で)前回の96Sクーペに続いて、同一プラットフォームのセダンの登場。ブルックリンモデル1/43 ビュイック シリーズ90 5-パッセンジャーセダン 昨今の軽・ミニバン偏重の日本においてはよく知らんが、自動車設計の基本はセダンである。セダンをベースにドアを減らしたり屋根を切り取ったりとゆーのがオーソドックスなやり方で、これはアメ車だろうが独車だろうがおなじスタンスである。(ミニバン偏重の日本だけが派生型と称して面構えが違うだけの同一車両を作り続けているわけだが)よって、96Sクーペもあくまで派生型であり、その根幹は今回のセダン型とゆーことになる。ビュイックの場合、基本パッケージである4ドアセダンをシリーズ□0(末尾ゼロ)と呼び、それを2ドア化した車両を□6(末尾6)、更にハードトップならばS、カブリオレをCとしてる。また後席までルーフが伸びている2ドアクーペをヴィクトリアクーペと称す(多分) 操作性とか車体剛性とかは知るべくもないが、見た目でいえばキャビンの大きなセダンのほうがザ・クラシックというノスタルジーをより掻き立てるシルエットといえる。 実車と違ってブルックリンのシリーズ90セダンは、96Sクーペよりも後の商品になるのでウィンドウサッシをエッチング素材に変更してアップデートしてるけど、フロントグリルやバンパーなど他のメッキパーツとは質感が異なっちゃって、ちょっと残念。 で、このクルマが何のジャケットに使われてるのかってえと。 バーガーズ / ホット・ツナ ヒッピー文化、フラワームーブメント真っ只中の60年代サンフランシスコベイエリアにおけるサイケデリックロックの雄「ジェファーソン・エアプレイン」のちに「ハート悲しく」とゆースマッシュヒットを生むマーティ・バリンが創設したバンドは1966年に細やかなフォークロックアルバムでデビューするが、早くもメンバーチェンジを行いエキセントリックでシンボリックなグレース・スリックが加入したことで大化けする。良くも悪くもグレース・スリックの一挙手一投足に引っ張られるバンドと対立するまではいかないが自分好みの音を追求したよなあ、とヨーマ・コウコネン(g)とジャック・キャサディ(b)が立ち上げたブルースディオがホット・ツナの原型。2枚のライブアルバムの後、正式にバンド形式として発表した初のスタジオアルバム(’72)がこれ。 アコースティック風味ありのエレクトリックブルースにフィドル(バイオリン)も絡まって、地味で渋い、アーシーでもあり聴けばジワジワ染みてくる。その系譜は、最終的にトム・ウェイツやライ・クーダーに辿り着く、と言っても判りにくいか(汗) とりあえず、好きな人はとことん好きよ、クルマもホット・ツナも。まぁ万人向けではないね(笑)
2019.08.23
コメント(0)
レーシングカー専用と言っても過言ではないこの場に、押しも押されぬクラシックカーのお出まし。となれば、それはもう「カージャケ」絡みとゆーわけで。前回のロールスロイスに続いての第2弾はコレ。ブルックリンモデル1/43 ビュイック 96-S クーペ とはいえ、クラシックカーもアメ車も門外漢なもんで、クルマ的情報はほぼゼロだったり(汗)1934年製なんて古すぎて。1000台近いウチのラインナップの中でも2番目の古さ(一番は1933年アルファ8Cルマン勝車)ルマン勝車とかゆー特徴があればあれこれ出て来るんだけど、如何にクラシックヴィンテージとはいえ単なる量販車となると調べまくっても日本語じゃ大したネタは出てこないんだな、これが。ヒットしても海外サイトばっか。結局、乏しい英語力を駆使して判明したのは、5.6ℓ直8エンジンで定員2名プラスアルファ、そもそもがシリーズ90(モデル90とも)とゆー4ドアセダンの派生型ってことくらい。定員2名プラスアルファといっても、どう考えてもこの狭いキャビンに2名以上は乗れんだろう。キャビンはあくまでドライバーとパッセンジャーの2名。じゃ残りはどーすんのかってーと、リアシートは、一見トランクルームに見えるパネル(赤矢印)を後ろにバカっと開くと背もたれになる。(トランクルームは運転席ドアの後ろ(黄矢印)にある)で紳士淑女はステップ(橙矢印)に一歩二歩と足をかけてどっこらしょ!とシートに収まるってわけ。だからここに2名は無理かもしんない。定員3名だろうが4名だろうが、スポーツ設定だから後席利用なんて考えないってことなんだろね。後席利用も考えて、でもセダンじゃ嫌!って人には後席にもちゃんと屋根がある2ドア5ウィンドウがあるんでそっちをどーぞってことなんでしょう。 ブルックリンモデルは、イギリスのホワイトメタル完成品メーカー。日本で言うところのガレージキットメーカー、イタリアで云やあタメオみたいな感じで、全部がホワイトメタルなもんで、想像どーりすげー重たい。最近のタメオみたいにエッチングパーツを多用するでもなく全体的にダルエッジ。そこがこーゆー超古いクラシックカーには、いい意味でマッチ。 で、このクルマが何の「カージャケ」なのか?とゆーハナシだが。 アメリカン・プログレ・ハードの雄、スティクスの「パラダイス・シアター」前作「コーナーストーン」のヒット(とゆーよりもシングル「ベイブ」の全米ナンバーワンヒット)で上昇気流に乗っかり、その余勢を駆って放った10作目(1981年発表)バンドの地元シカゴに実在した映画館パラダイス・シアターの開館から閉館までの30年をテーマとしたコンセプトアルバムで全米ナンバーワンに輝いて、翌年には初来日。地元でも公演やったけど貧乏学生だったからNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」観て我慢した。 バンドはこのコンセプトアルバムの成功に味を占めて♪ドモアリガト、ミスターロボット♪で有名な「ミスターロボット」を含むコンセプトアルバム「キルロイ・ワズ・ヒア」を発表するものの、パラダイス・シアターを超えることが出来ず、逆にコンセプト路線を推し進めるデニス・デ・ヤングとそのコンセプト再現のためにアドリブすら許されないライブに嫌気がさしたトミー・ショウとの間に軋轢が生じてバンドは空中分解。まあ大ヒットアルバムのあとにバンドが陥りやすいあるあると云やあそれまでだけどね。 で、要はこのジャケットの右のクルマが96Sクーペじゃね?ってハナシ。ここまで引っ張っといて何だが、実のところ明確に96Sクーペだとゆー証拠はなかったり(汗)フロントフェンダーの形状からすると33年型66クーペかもしんない。つーかビュイックだってのもアヤシイかも。もしかしたらパッカードのクーペかもしんないしコードのクーペかもしんない。そもそも三栄書房「カージャケ」にも載ってないネタなんで、かなりいー加減。まぁでも、旧き良き時代のクルマなんて、こーゆーことでもないと手にしないからね、結果オーライよ。
2019.08.14
コメント(0)
ことの始まりはBSの番組「愛車遍歴」のコーナー「ジャケドラ」 番組の中で、視聴者のお気に入りの「カージャケットアルバム」「車をモチーフにした名曲」などを紹介するミニコーナー。それともうひとつ、三栄書房の「CAR JAKET GRAPHIC(カージャケ)」こっちは読んで字の如くクルマがフューチャーされた古今東西のレコードジャケットを紹介する本。 テレビと本、媒体は違うが要するにクルマと音楽は切っても切れない縁なのよってハナシなんだが、考えたらそーゆーのココでも出来るじゃん!それいただき!ってことでちゃっかりパクった(汗) とゆーことで、ミニカーの中でもレーシングモデルを取り上げることを主眼にしているココでは滅多に取り上げることがないクラシックロードカーが登場。 トゥルースケールミニチュアズ1/43 ロールスロイス シルバードーン 泣く子も黙るパルテノングリル、ロールスロイスである。 第二次大戦の傷も癒えぬ1949年のイギリス。まったく戦勝国とは思えぬそこらへんのダメっぷりはBSの「刑事フォイル」なんかでも語られてるが、まあそんなイギリスにとってはクルマの輸出は外貨獲得の命綱。天下のロールスロイスと言えどもその例に漏れず、ちゃっちゃかクルマを作った。とにかく沢山作り倒してどんどん売るために、それまでのロールスロイスの伝統にのっとった、ウチはシャシーを作るだけ、ボディは客の要望通りに専門のコーチビルダーが作りますんで的なオートクチュール生産から、ボディ含め自作するとゆー「フツーの自動車」を作るようになった最初のモデルがこのシルバードーン。あんまり古いクルマなんでそんくらいの情報しかないんだが、だからといって販売元(当時)の京商はクルマの名前を「シルバーダウン」と恥ずかしげもなく堂々と。「Silver Down(羽毛)」じゃなくて「Silver Dawn(夜明け)」だっつーの。Dawnをダウン、ローマ字読みかよ?片手間で仕事すんじゃねーよ。 ま、そんなことは置いといて、何故に今回シルバードーンなのか、その答えは。 こーゆーこと。 これはデラニー&ボニー&フレンズが1970年にリリースしたライブアルバム。題名通りエリック・クラプトンが帯同した69年12月のイギリス・デンマークツアーのうちイギリス公演からセレクト。メンバーは他に、デイブ・メイソン、リタ・クーリッジ、ジョージ・ハリソンなど。 レオン・ラッセルやCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)なんかと一緒にしてスワンプ・ロックの代名詞みたいに言われるデラボニだけれど、そもスワンプ・ロックとは? 音楽評論的に言えば、アメリカ南部に根差したカントリー、ブルース、フォーク、ゴスペルなどをベースとした土臭い泥臭い音を押し出したロックとゆーことになるか。これを南部出身者が演ればサザン・ロックってことになるが、南部出身ではないメンツであるとか南部をベースに活動してない連中のをスワンプ・ロックとゆーくくりかと。まあ、そんなに厳密に線引きされてるわけじゃないんでスワンプ・ロック=サザン・ロックって認識でもいいかもしれんが、とにかくギブソンギターをマーシャルアンプに繋いで大音量で歪ませてといった音とはちょっとちゃうねん。 そういったギンギンのロックに疲れちゃったクラプトンが、ブラインドフェイスのUSツアーの前座で一緒にまわってたデラボニを見て、ホーンセクションや女性コーラスを抱えていい意味で緊張感のないスッカスカの音を演ってるのがたいそう楽しそうに見えたんだろう。自分のバンド(ブラインドフェイス)はほっぽといて前座のステージに入り浸るようになり、ついにはバンドを解散させてデラボニのツアーメンバーになるわけだから。 使用楽器的にもクリーム時代のギブソンから完全にフェンダー系に持ち替えるのがこの時期で、そこからデラボニのリズムセクションとキーボードと一緒にバンドを組み(デレク&ザ・ドミノス)、かの「いとしのレイラ」を作り出すことになる。その意味でも「オン・ツアー」は歴史に残るといってもよかろ。ま、そういった背景なしでも全然楽しめるんだけどね。 あ~何でホワイトリボンタイヤじゃねーんだろうなぁもう!(笑)
2019.06.30
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1