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スコット・ランド出身のギター・ポップ・バンド、ティーネイジ・ファンクラブは、'89年のデビュー以来、今も根強い支持を受ける素敵な四人組である。彼らの代表作といったら、2ndの『Bandwagonesque』('91年)と4枚目の『Grand Prix』('95年)あたりが挙げられる事が多いが、その間に挟まれた3rdアルバム『Thirteen』(上ジャケット)も見逃せない佳作。「Norman 3」はその『Thirteen』に収録された'93年のシングルである。ノーマン・ブレイク、レイモンド・マッギンレイ、ジェラルド・ラヴという三人の優れたソングライターを擁するのがこのバンドの強みだが、この曲はタイトル通りノーマンの作。リード・ヴォーカルもノーマンである。ビートルズやバーズに通じる甘いメロディとハーモニー。「君に恋してるんだ」と、てらいもなく連呼する歌詞。ノーマンの飾り気のない歌声、コード・ストロークを中心としたストレートで自然体な演奏が静かな感動を呼び覚ます。全体の半分以上が、単純なサビを延々と繰り返すという構成なのだが、これが飽きるどころか陶酔感さえ覚えるという、まさにポップスの魔法と呼べる仕上がりとなっている。フェイド・アウトしていく時に感じるほのかな寂しさは、真に良いメロディを持つ楽曲ゆえのもの。決して派手とは言えないが、時代に左右されない強さと輝きを感じさせるこのナンバーは、良質なポップ・ソングを求める全ての人に聴いてほしい珠玉の一曲である。'05年には自身のレーベルPemaから新作「Man-Made」を発表。グラスゴーの重鎮として現在も良質な活動を続けてくれるのは嬉しいかぎり。それではここをクリックしてティーネイジ・ファンクラブの魅力を再確認しよう!※ ポム・スフレのメインHPではティーネイジ・ファンクラブの名盤「Bandwagonesque」について取り上げています!
2007.06.16
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みなさん、GWの予定はどうなってますか~?本日は、旅行に行かれる方にも家でゴロゴロしていられる方にも最適な心なごむ一曲をキャンド・ヒートは、'65年にLAで結成されたブルースロック&ブギー・バンドである。トミー・ジョンソンの「Canned Heat Blues」からバンド名をつけたという経緯からして、この時代(60年代後半)にはゴロゴロしていたであろうグループだが、普段ブルースになじみのない人にも音楽的敷居はそれほど高くない。その一方で、モンタレー・ポップ・フェスティバルにウッドストック、ワイト島フェスティバルなど、この時代を象徴するビッグ・イベントにはことごとく参加した人達でもある。「Going Up The Country」はこのバンドの代表作とされている曲で、文字通り「田舎へ泊まろう」な歌詞の曲。のほほんとしたフルートの音色とアラン・ウィルソンによるトボけた鼻声ヴォーカルが印象的なポップ・ソングだ。映画「ウッドストック」でも、冒頭の、のどかな場面でこの曲が使われていたので、覚えている人もいる…かも。やわらかなギターの音色、程よく力の抜けたビートは、聴いているとこちらの頭も田舎へ行ってしまいそうこの曲だけを聴くと「一体こいつらのどこがブルース・バンドなんだ?」と言われてしまいそうだが、まあメロディは親しみやすいし、実はCMで使われていた事もあるし、要するに気にするなと。ただし、この曲を収録した二枚組アルバム『Living In The Blues』(上写真)は、コテコテのブルース&ブギーな作品なので、コレが気に入ったからという理由で購入する人は注意が必要。特に、レコード一枚分をまるごと使った40分にも及ぶ「Refried Boogie」(ジャム風のライヴ演奏)は、心の広いワシでも聴くのがツラかった。。。時代が時代とはいえ、一体ナニ考えていたんだろう、この人達?ともあれ、今から聴いてみようと思う人には、とりあえずベスト盤から入ることをオススメします。いかにもなハープやスライド・ギターの音色は、そのテの音楽が好きな人ならハマるかも。なお「Going Up The Country」の作者にしてバンドの中心人物であるアラン・ウィルソンは、'70年に23歳の若さで死去。ドラッグが原因だったらしい。さらに、もうひとりの中心人物であるボブ・ハイトは'80年に心臓発作で死去。デブが原因だったらしいにも関わらず、バンドはその後もメンバー交代を繰り返しながら現在でも活動を続けているという。2007年には、バンドのドキュメンタリーも作られたとか。代表曲のひとつである「On The Road Again」はアメリカのバイカー達に人気があるというし、向こうじゃ結構影響力あるのかもね。日本では、名前を知っている人を探すだけでもヒジョーに困難だと思うが。。。つーコトで「Going Up The Country」を聴くにはここをクリック!ん~、気が抜けるけどエエ曲や
2008.04.29
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ブログを始めて一年以上にもなるのに、まだ一度も取り上げてないグレイトなアーティストがたくさんおるそ~いえば、ビリー・ジョエルもその一人だった。い~機会だからjunktionさんに釣られて、ワシもここいらで一曲。フツーならここで「Piano Man」とか「Just The Way You Are」とか「Honesty」とか「My Life」なんかが出てくるトコだが、ムフフな性格のワシはこんな曲を取り上げてみる。この「We Didn't Start The Fire(ハートにファイア)」は、アルバム「Storm Front」(写真)に収録のナンバーで、1989年に全米1位、年間チャートでも10位を記録した、実はビリーの代表曲のひとつである。このアルバムを制作するにあたって、「Stranger」('77年)以来の付き合いであったフィル・ラモーンと分かれたビリーが共同プロデューサーに迎えたのは、なんとフォリナーのミック・ジョーンズ。ミック・ジョーンズは同じ時期に初のソロ・アルバムを発表しており、ビリーはそのアルバムにも参加しているが、両者の接点がどこから出てきたのかは、よく分からない。ミック・ジョーンズの影響ゆえか「We Didn't Start The Fire」は、ビリーとしてはかなりハードな感触を持つロックン・ロールに仕上がっており、そのパーカッシヴなイントロからしてグイグイ引き込まれる。そのドライヴ感溢れる演奏と、サビで一気に爆発するキャッチーなメロディーがエラくかっこいい、タイトル通りのハートにファイヤーな一曲。ビリーの生まれた年である1949年からこの曲が発表される1989年までに起こった様々な事件や著名人の名前を、次々と羅列した歌詞もユニークなもので、キチンと読んでいくと結構歴史のお勉強になったりもする。この曲の文字通り燃えているPVはここをクリック!「甘いポップ・シンガー」「バラードが得意なピアノマン」というイメージを、この曲でひと蹴りしたビリーの姿は、ポール・マッカートニーとカブったりもするが、この曲のアグレッシヴな演奏もポール(ウィングス)の名曲「Live And Let Die」を連想させない事もない。ビリーは、この2年前にあたる1987年のライヴ・アルバムでは、ビートルズの「Back In The U.S.S.R.」もカバーしている。この4年後の'93年に「River Of Dreams」というなーんかパッとしないアルバム(私見です)を発表した後、ビリーは現役アーティストとしての引退をほのめかす発言をする。以後、エルトン・ジョンとのジョイント・ツアーを行ったり、ライヴ・アルバムの発表はあったものの、ポップ・アーティストとしてのオリジナル作品は現在に至るまで発表されていない。21世紀に入ってからのビリーはクラシックの分野にも進出。さらにビリーの楽曲を基にしたミュージカル「Movin' Out」が制作され、2006年には日本でも上演された。今年の5月には博士号まで貰ったビリーだが、11月には8年振りとなる10度目の来日公演が予定されている。※ポム・スフレのホーム・ページでは、ビリー・ジョエルの名盤「Turnstiles」について取り上げています!
2006.09.19
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ダニー・ハサウェイ'73年の作品にして最後のオリジナル・アルバムでもある『Extension Of A Man』(上ジャケット)は、ソウル史に残る名盤として知られる一枚だ。だが、僕がアルバムの1曲目にあたる「I Love The Lord; He Heard My Cry, Pts. 1 & 2」を初めて聴いた時には「…………何コレ?」と思ってしまった。45人編成のオーケストラによる、クラシックそのものといっていい演奏(しかもインスト)が延々と続くのだ。おいおい、これのどこがソウルの名盤やねん、と。しかし、二曲目の「Someday We'll All Be Free」へとつながる瞬間のスリルを体感した時、なんとなく納得してしまった。うーむ、1曲目はかなり壮大なイントロだったのかと。当時のソウル・ミュージックとしてはかなり斬新な発想。大学時代にクラシックを学んだというダニーらしいアイデアですね。'45年シカゴ生まれのダニーは、有名なゴスペル・シンガーだったという祖母を持ち、子供の頃から音楽に親しんで育った。そんな彼がアーティストとして世に出るのは'70年(もともとは裏方だった)。『新しきソウルの光と道』なるアルバムをひっさげてデビューした彼は、大型新人として紹介されたという。彼の音楽性は文字通り"ニュー・ソウル"と呼ばれ、同時期のマーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドと共に大きな注目を集めた。'72年のライヴ・アルバム『Live』は、名盤ガイドブックの常連として広く知られているだろう。同年発表のロバータ・フラックとのデュエット・アルバムはポップ・チャートでも大ヒットを記録した。そして、先述のアルバム『Extension Of A Man』である。「愛と自由を求めて」という邦題のついたこの作品は、ダニーにとって三枚目のオリジナル・アルバムだ。プロデュースを手掛けたのは名匠アリフ・マーディン。アレンジ面ではダニー自身も大きく関わっているようだ。「I Know It's You」はアルバムの十曲目(オリジナル盤では最後)にあたる、スケールの大きなソウル・バラードである。作者は、マーヴィン・ゲイの「I Want You」でも知られるリオン・ウェアだ。ここでは楽曲のよさもさることながら、ゴスペル、ジャズ、クラシックという音楽要素をダニー流に昇華した入魂の仕上がりとなっている。ジャジーで繊細なピアノ、甘くはかない響きを持ったストリングス、そして濃密にしてエモーショナルなダニーの歌声が胸を打つ。特に、女性コーラスと共に盛り上がるサビ部分は圧巻。なんと哀しくて美しい音楽か。黒人音楽にウトい自分でも聴くたびに体がふるえる思いだ。だが、これほど素晴らしい作品を作りながらも、ダニーは以降、創作活動をストップしてしまう。これはソウル史における大きな損失だった。その五年後にあたる'78年、ふたたびロバータ・フラックとデュエットした「The Closer I Get To You(愛は面影の中に)」が全米2位のヒットを記録する。ようやくアーティストとして復帰したと思われたダニーだったが、なんとその矢先となる'79年1月、彼はニューヨークで飛び降り自殺してしまう。33年という短い生涯だった。音楽的行き詰まりか、プライベートの悩みか。晩年の彼は、いつ自殺してもおかしくない状態に見えたという。愛と自由を求めたダニーという人は繊細でマジメすぎたんだろうな。。。フマジメな凡人のワタシは、彼の音楽を聴くたびにそう思うのでした。アルバム『Extension Of A Man』は他にも素晴らしい曲がぎゅう詰めの一枚。先述の『Live』と並んで必聴の名盤です。くわしくはここを参照してくださいな。つーコトで「I Know It's You」を聴くにはここをクリック!
2008.07.25
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元The Go-Go'sにして、名曲「Heaven Is A Place On Earth」('87年、全米1位)で知られるベリンダ・カーライルのソロ・デビュー曲である。LAでのパンク・ムーブメントに刺激を受けた彼女は、ジェーン・ウィンドリンらと共に'78年にThe Go-Go'sを結成。学園祭バンドそのまんまなルックスと演奏で'81年にデビューした彼女らは、「We Got The Baet」(全米2位)、「Our Lips Are Sealed」(同20位)、「Vacation」(同8位)」などのヒットを出し、ピチピチ・ギャル(死語)のグループとして人気を博す。1stアルバム「Beauty and the Beat」は、女性だけのロックバンドとしては、初の全米1位を記録した。そのゴーゴーズも'85年には解散。ベリンダは早くも翌年に、同じレコード会社であるI.R.Sからソロ・デビューする事になった。この「Mad About You」は、彼女のソロ第一弾シングルにして、アルバム「Belinda」(写真)の幕開けを飾る一曲。心がウキウキしてくるチャーミングなポップ・ナンバーだ。作曲はGo-Go'sの末期メンバーでもあったポーラ・ジーン・ブラウン(とジェームス・ウェラン)。プロデュースは'70年代ポップスの職人マイケル・ロイドである。この曲は、'86年に全米3位を記録し、彼女のソロデビューを華々しく飾った。イントロから滑り込んでくる、キャッチーに弾むベース・ライン。これだけで即、名曲決定。このベース・リフを軸にして、曲は軽やかに進む。サウンドも、サビの展開も実に爽やかで、PVと合わせて聴くとカリフォルニアの陽が差してくるような気分にもなる。ベリンダの声は、屈託のないオネーサンという感じで、曲にぴったり。同時にGo-Go'sの頃に比べてだいぶ大人っぽくなっている。だが、ソロデビューにあたっての不安があるのか、ここではいくぶん、こじんまりとした感も。桜で言えば七分咲きといった所か。ヴォーカリストとしての彼女は、翌年の「Heaven Is A Place On Earth」で一気に飛躍する事になるのだが、コレはコレで初々しさがあってヒジョーによい。曲のタイトルは「あなたにゾッコン」という意味。この頃のベリンダは結婚したばかりで、その夫君も出演するPVでは幸せいっぱいの顔を見せてくれる。見ている側としては、しまいには「いーかげんにしろ」と言いたくもなるのだが。なお、彼女は、その2年後にも「I Get Weak(あなたにメロメロ)」('88年全米2位)という曲を出している。もうええっちゅーに。ギターを弾くのは、当時デュラン・デュランを離れたばかりのアンディ・テイラー(PVにも出演)。短いながらも、中音域をうまく使った、曲にピッタリのソロを聴かせてくれる。ベリンダとのつながりについてはよく分からないのだが、天真爛漫(だそうだ)な彼女に「ちょっとぉ、アタシの曲でなんか弾いてよぉ」とか言われて、「ああ、いいよ」という具合にでもなったのだろうか。ここでのアンディの弾きっぷりは、良くも悪くも「軽くお仕事」といったノリを感じる。ちなみに、彼女の'89年のシングル「Leave A Light On(輝きのままで)」ではジョージ・ハリスンがギターを弾いている。ベリンダ、結構オトコ受けがいいのかあ~?以降、ベリンダは前述の「Heaven Is A Place On Earth」をはじめとしてヒットを連発。その勢いは'90年まで続いた。その後はソロと平行しつつゴーゴーズの再結成も実現。21世紀に入ってからは乳を出したりして往年のファンを喜ばせた(笑)。2004年にはゴーゴーズとして来日。近年でもテレビに積極的に出たり、今年には全曲フランス語で歌った新作を発表するなど、50の齢を目前にして、その活動はまだまだ活発なようだ。つーコトで「Mad About You」を聴くにはここをクリック!ん~、このベース・ライン。心が躍るねぇ(´ー`)ついでに80's屈指の名曲「Heaven Is A Place On Earth」も聴こう! ここをクリック!
2007.11.03
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ブック・オフで、ミリ・ヴァニリのアルバム『All Or Nothing』(上ジャケット)を200円で購入。ガキの頃、ダビングしたテープを聴きまくった、思い出の一枚だ。そういえばこのデュオを覚えてる人って、今、どのくらいいるのだろう?いい買い物をしたとニヤける一方で、そんな思いが頭をよぎった。ミリ・ヴァニリは、ロブ・ピラトゥスとファブリス・モーヴァンから成るデュオとして、1988年に西ドイツからデビュー。ヨーロッパでの成功を経てアメリカに上陸した彼らは、「Girl You Know It's True」が同年ビルボード2位まで上がるヒットとなり、いきなり注目を集める存在となる。似たような風貌(しかもカッコいい)の男ふたりというヴィジュアルも、皆の興味を引いたのだろう。当初、その曲にさほど興味を持てなかった僕は、レンタル屋に飾ってあるジャケを見て「ふ~ん、で、どっちがどっち?」などと思うだけで、CDはスルーしていた。だが翌'89年になり、(自分の中での)事態は変わる。アルバムから続いてシングル・カットされた「Baby Don't Forget My Number」は、全米1位になった。さらに後続のシングル「Girl I'm Gonna Miss You」までもが1位を記録する。そして、アルバムもいつの間にやらチャートの1位を記録。「え、なになに?」 目を丸くする僕を置いてきぼりにするかのごとく、このデュオは急激な勢いでトップへと昇りつめていった。当時の自分は、TOP40がすべてだったミーハー少年。あっという間に昇りつめた彼らを見て驚くと共に、こうしちゃおれんと、あわててCDをレンタルしに行った(当時の財力ではアルバムなんて買えなかった)。聴いたアルバムは予想をはるかに超える出来だった。前述のシングルはもちろんのこと、どの曲もシングルにできる程のキャッチーさを持ち合わせており、すぐに全曲歌えるようになってしまった。何よりもラップとメロディを絶妙にブレンドした作りが当時は新鮮に思えた。その後も、アメリカ盤アルバムのみに収録だった「Blame It on the Rain」もシングル・カットされて、これも1位を記録。さらにはタイトル・ナンバー「All Or Nothing」もカットされ、これも4位まで上がるヒットとなる。破竹の勢いとはまさにこの事だった。アルバムは最終的に600万枚を売り上げ、5つのTOP5ヒットを生む、輝かしいデビュー作となった。翌年のグラミーでは新人賞を受賞。二人はその場で喜びのパフォーマンスも披露した。だが、彼らの晴れ舞台はそこまでだった。ケチのつき始めは、お約束(?)ともいえる盗作疑惑だった。シングル・ヒットした「All Or Nothing」が、ブラッド・スェット&ティアーズのヒット曲「Spinning Wheel」にそっくりだというのだ。なるほど、両曲のサビの部分は確かによく似ている。これは著作権にうるさいアメリカでは問題になるだろう。結果、「All Or Nothing」のクレジットには「Spinning Wheel」の作者達の名前も加えられることとなった。まあ、ロブとファブの二人は作曲をしていないので、これ自体は彼らに非はないと言えばそれまでだ。問題はその後だった。ミリ・ヴァニリの曲を歌っているのは、ロブとファブの二人ではなかった。CDで歌っているのはゴースト・シンガーで、彼らは口パクをしているだけだったのだ。噂は以前からあったらしい。そもそもミリ・ヴァニリとは、プロデューサーによって考案された一種のプロジェクトで、ヴィジュアル担当と音楽担当は元から分けて考えられていた。だが、その事を公にする前にグループはブレイクしてしまった。この事を暴露したのは、プロデューサーにして仕掛け人であるフランク・フェーリアン(※)だった。成功ゆえの亀裂、このような形式をめぐる内紛の末の告発だった。この事は、一般のニュースでも話題になり、当時、世界的に報道された。それを知った僕は「ふ~ん、そうなんだ」くらいにしか思わなかったが、世間はそんなに甘くなかった。グラミー賞は当然剥奪。テレビでは、ミリ・ヴァニリのCDを叩き割る人々の姿が映し出され、アルバムはレコード会社のカタログから消されてしまう(つまり廃盤)。記者会見で、「これからは自分のノドで歌う」と豪語したロブとファブはその場で歌を披露するものの、かえって失笑を買う始末だった。彼らは、そのまま事実上の追放となってしまった。絵に描いたような転落。まさに天国と地獄。時は1990年。誰もがバブルに浮かれている真っ最中の出来事である。ミリ・ヴァニリは、典型的な音楽界のあだ花として人々の記憶に残ることとなった。ちなみに、このような事例はミリ・ヴァニリが初めてではない。フィル・スペクターのプロデュースで知られる「He's A Rebel」('62年、全米1位)は、クリスタルズというガールズ・グループの曲として売り出されたが、実際に歌っているのはメンバーでもなんでもないダーレン・ラヴという女性シンガーだった。モンキーズはデビュー当初、楽器も自分達で演奏しているという事になっていたが、1st、2ndアルバムでバックを演奏しているのはスタジオ・ミュージシャンで、これがバレた時にはちょっとした騒ぎにもなったという。また、ミリ・ヴァニリと同時期にヒットを飛ばしたバブル時代のあだ花、C+Cミュージック・ファクトリー(これね)も、シンガーはゴーストでした。ほかにはブラック・ボックスなんてのもいたなあ。。。(遠い目)人に"夢を与える"この業界、ヤラセやインチキなんてのは多かれ少なかれつきものだし、大人のやる事などいつだってデタラメだ。当時ガキだった僕も、その事はなんとなく分かっていたし、ミリ・ヴァニリの"ルックス"に惹かれたわけでなかった事もあってか、音楽そのものまで色褪せて感じられることはなかった。よーするに、音楽さえよければ何だっていいのだ。音楽とは"音"を楽しむものなのさ(´ー`)セッソーのない自分は、その後もしばらく『All Or Nothing』を聴き続けた。今聴くと、音の軽さにはさすがに苦笑するものの、しっかりと作りこまれた捨て曲なしのポップ・アルバムだと思う。哀しげで美しいメロディが光る「Girl I'm Gonna Miss You」は、今でも大好きな一曲だ。最後に、その後の彼らに触れておく。実際に歌っていたシンガー達は騒動の後、タダでは起きんとばかりに"リアル・ミリ・ヴァニリ"として再デビューする。日本では少し話題になっただけだったが、ヨーロッパではそこそこ売れたらしい。一方、ロブとファブは、今度は口パク事件をネタにマスコミの玩具にされ、こんなCMまで作られる始末。それでも「俺たちはただ歌える機会が欲しかったんだ」という信念のもとヴォーカル・トレーニングに励み、'93年には"Rob&Fab"として改めてデビューする。 が、曲は悪くなかったものの、一度ついてしまったマイナス・イメージゆえか、売れることはなかった。そして、ロブは'98年にオーバードースで死去。32歳という若さだった。彼らの栄光と転落は、ミュージック・ビジネスの影の部分そのものであり、僕に"ポップスターの夢と真実"を教えてくれた、華やかで哀しい物語だった。当時、アルバムを借りてダビングしたテープは今も大事にとってある。だいぶ音の劣化したテープの代わりに、今日は200円で買ったCDを流そうか。つーコトで「Girl I'm Gonna Miss You」のPVはここをクリック。イントロからして、泣かせてくれるねえ。なお、ミリ・ヴァニリの話は、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の脚本を手掛けたジェフ・ナサンソンを監督として、映画化も予定されているとのこと。また、全盛期の彼らの曲は、現在発売されているベスト盤で大半が聴けます。※ ボニーMのプロデューサーでもあった
2008.06.06
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フリートウッド・マックといったら、スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムが加入してからの、ポップ・バンドとしてのイメージが一般的だろう。'77年には「Rumours」という可もなく不可もないポップ・ロック・アルバムをメガヒットさせている(全米1位を31週間記録)というハクもあるししかし、フリートウッド・マックというバンドは、元々ピーター・グリーンを中心とした典型的なブルースロック・バンドで、60年代後半にはChicken Shack、Savoy Brownと共に"3大ブルースバンド"と呼ばれていた(そうだ)。キング・クリムゾンの1stと並ぶ"鼻の穴ジャケット"(上写真)が強烈なこのアルバム「English Rose(英吉利の薔薇」は、1969年発表。アメリカ仕様の編集盤であり、日本で初めてリリースされたフリートウッド・マックのアルバムである。ピーター・グリーン在籍時の代表作で、直球ど真ん中といった感じの、もろブルース・ロックなアルバムなのだが、エリック・クラプトンに続くジョン・メイオール門下生だったピーターのブルース・ギターは素晴らしいの一言。その後のピーターの不遇ぶり(墓堀り人夫もやったとか)を考えると、「エリック・クラプトンになれなかったよ」という歌が捧げられてもおかしくないくらいだ。また、サンタナで有名…というか、ほとんどサンタナの曲だと思われている「Black Magic Woman」もピーター・グリーンの作品で、このアルバムに収められているヴァージョンがれっきとしたオリジナルだ。ここで聴けるオリジナル・ヴァージョンは、ラテン的な味付けをしたサンタナのそれよりも、やや重苦しい雰囲気を醸し出しているが、呪術的とでも言えるこちらの演奏も充分魅力的である。もうひとつ、それと並ぶ本作の聴きものが、ラストに置かれたインスト・ナンバー「Albatross」である。"あほうどり"の意を持つこの曲は、69年1月に全英No.1を記録。作者は「Black Magic Woman」同様、ピーター・グリーンである。重く淡々としたリズム。簡素で地味だが、耳に残るギターのフレーズ。何ともいえないムーディ-な雰囲気を持つ曲で、聴いていると吸い込まれていきそうな妖しさが全体を支配している。レスポールを弾くピーター・グリーンはもちろん、当時十代だったダニー・カーワン、スライド・ギターの名手、ジェレミー・スペンサー、三人のギタリストによる一音一音に込められたフィーリングが素晴らしい。アンビエントにも通じるこの空気。渋い。シブすぎる。凡庸なブルース・ロックとは一線を画するナンバーであり、普段その手の音楽を聴かない人にオススメしたい名作である。この少し後に発表されるビートルズの曲「Sun King」(「Abbey Road」収録。作者はジョン・レノン)は、全体的な雰囲気が「Albatross」に実に良く似ているのが興味深い。ジョンが「Sun King」を作る際に「Albatross」に影響された事はまず間違いないだろう。また、同じ「Abbey Road」に収録のジョンの作品「I Want You」は、中盤のリズム・アレンジがフリートウッド・マック版の「Black Magic Woman」を思わせる。この2曲を聴くだけでも「English Rose(英吉利の薔薇」は、一聴の価値ありと断言したい。つーコトで「Albatross」を聴くにはここをクリック!
2007.11.23
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スクイーズは、同時期にデビューしたXTCと並んでニュー・ウェイヴ以降のブリティッシュ・ポップを代表するバンドだ。英国的ではあるが、XTCやエルヴィス・コステロほど毒気の強くないメロディ・センスは個人的にもビンゴだったりする。キーボードを軸とした演奏もスマートで聴きやすい。グルーヴィーなビート・ポップとでも言おうか。クリス・ディフォードとグレン・ティルブルックによる低音高音ヴォーカルも抜群のコンビーネションだ。ソングライター・チームとしても評価の高い二人は"小粒なレノン/マッカートニー"といってもいいかも。そんな彼らだが、日本における知名度はどうもイマイチ。なんせ代表曲として挙げられることが多いのが、ワン・ショット参加だったポール・キャラックの作、ヴォーカルによる「Tempted」だもんなぁ(たしかCMでも使われていた)。他にもいい曲はい~っぱいあるのにね、このバンドまあ、確かに華やかさには欠けるワケですが(笑'87年にリリースされたシングル「Hourglass」は、このバンドの代表曲のひとつだ。アルバム『Babylon And On』(上ジャケット)に収録のナンバーで、僕が初めて聴いたスクイーズの曲でもある。ストレンジなビデオ・クリップがMTVで大ウケしたこともあり、イギリスのみならずアメリカでも15位まで上がるヒットを記録。アメリカでの成功とはあまり縁のない彼らにとって、唯一のTOP20ヒットとなった。ビートルズ的センスに微妙なヒネリを加えたメロディが印象的。ポップだが口ずさみにくいサビは、クセになりそうな味わいがある(笑グレンの歌声は個性には欠けるものの、人懐っこい響きがあり好感がもてる。すき間を埋めるシンセ・ビート、どこか垢抜けないホーンの音色もステキ。ブレイクでのチャカポコした打楽器の音も実に楽しい。「Up The Junction」、「Cool For Cats」、「Another Nail In My Heart」と並ぶスクイーズ流ポップ・ソングとしてオススメです。ちなみに、現時点における彼らの最後のオリジナル・アルバムは'98年の『Domino』。21世紀以降は、クリスとグレンの仲たがいで活動を停止してた時期もあったようだが、現在はふたたびライヴを行っているとのこと('09年1月にはグレンが単独で来日の予定)。去年('07年)はライヴ盤も出たことだし、ここらで久々の新作を期待したいトコロですね。なお、'79年の2nd『Cool For Cats』はブリティッシュ・ポップを代表する名盤としてイチオシの一枚です(解説はこちら)。このグループに興味を持った方は迷わず購入されることをオススメしますつーコトでとりあえず「Hourglass」を聴いてみよう。ここをクリック!『Cool For Cats』に収録の名曲「Up The Junction」はこちら。
2008.09.25
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ホワイト・アルバム収録のジョンの作品で、後期ビートルズの中では個人的に最も好きな曲のひとつである。ヨーコと出会った事をキッカケに、ジョンのソングライターとしての資質はアヴァンギャルドな方向へと針が向いていくが、それが「Revolution 9」とはまた違った形でひとつのピークを見せたのがこの曲と言える。タイトルは、ジョージ・マーティンから見せてもらった雑誌の「Happiness Is A Warm Gun」という記事から触発されたものらしいが、歌詞の内容はドラッグや性的意味合いを暗示しているとも言われる。「She's not a girl…」という鬱な気分を漂わせる歌い出しからして、Emをキーとしたマイナー調の弾き語りかと思いきや、曲が始まって15秒足らずで早くも転調。しばらくはAmのキーで進むが、今度は00:45あたりからA7をメインにしたハードなワルツ風に展開。そして1:35あたりから曲はさらに別の展開を見せるのだが、これがちょっとスゴイ。ここからは4分の3拍子になるのだが、ドラムだけ4分の4拍子のままで叩いており、その上ジョンのメイン・ボーカルはそのどちらとも違うリズムで歌っているという実にヘンテコなものなのだが、これが普通に聴き流す分には全く違和感がないのだ。こうした曲作りの発想は、当時としては画期的というかメチャクチャなのだが、結果としての仕上がりが実にポップで自然なものになっているだから驚くほかない。しかもこんな構成の曲をジョンは2分42秒にまとめてしまっている。恐ろしきはポップスターの狂気。最後がホンワカとした曲調で終わるのもなんだかコワイ。歌や演奏にも不気味な明るさとコワレた空気が混在しているが、当時のギスギスした人間関係と、リズムトラックだけでも70テイク録音したというハードな録音状況がこのテンションを生んだのだろう。ジョージのヘヴィ&ブルージーなギターもイイ味出してる。ポールとはまた違った、ジョンの「ポップな狂気」が美しく分かりやすい形で昇華された傑作だが、「幸せは温かい銃」(←直訳)というタイトルが今となっては笑えないなあ…※ポム・スフレのホームページでは、ビートルズ・レビューのほかに、自作曲の公開や独自の名盤レビューをやっています!
2006.11.12
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最近では木村カエラも歌ったこの曲。加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドの1974年の名作「黒船」(写真)に収録のキャッチーなロックンロールで、オリジナルは当時の加藤和彦婦人であるミカが歌っている。当時の英国の流行だったグラムロックを思わせるカラフルなポップ感覚は当時の邦楽では画期的で、加藤和彦のセンスの高さと先進性を伺わせる。ミカのヘタクソボーカルは強烈なキッチュさを放っているが、それでいて曲の中にピタリとハマッているのは見事。この素人ボーカルによるヘタウマ感覚は後のニューウェイヴを先取りしているものと言える。高橋幸宏、高中正義、小原礼、今井裕といった錚々たるメンツによる演奏も超A級で、その鉄壁なサウンドとギラギラとした躍動感はただただ圧倒的。クリス・トーマスをプロデュースに迎え、二千万の制作費と400時間を費やして制作された「黒船」は楽曲、演奏、構成どれをとっても完璧で、壮大なスケール感を持つ一大音絵巻は、当時の英米のロックアルバムと並べても全く遜色ないクオリティで、、日本のみならず世界のロック史に名を残す名盤と言える。このアルバムが発表された年にはサディスティック・ミカ・バンドはロキシー・ミュージックの全英ツアーのオープニング・アクトもつとめた。ティラノサウルスおさんぽ~アハハ~♪
2006.03.18
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クリスマス特集~恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第四夜「This Is '70sソウル!」と言いたくなるこのジャケット。ジャケットのみならず、70年代ソウルを代表する名バラードである。僕がこの曲を知ったのは1990年。ポール・ヤングによるカバー・バージョン(全米8位)を聴いたのがきっかけだった。現在ではスタンダードと化しているこの曲のオリジネイターは、シャイ・ライツ(Chi-Lites)。1960年に結成されたこのグループは、当初は「ハイ・ライツ」と名乗っていたが、'64年にレコード会社を移籍するにあたってグループ名を「シャイ・ライツ」と改めている。シャイ・ライツとは "シカゴの灯火" という意味らしい。この「Oh Girl」は、1972年5月に全米1位を記録。MC・ハマーにもサンプリングされた「Have You Seen Her」('71年、全米3位)と並ぶ、彼らの代表曲だ。ノーザン・ソウルらしいねちっこさを持ちながらも親しみやすいユージン・レコードの歌声と、ムーディーなコーラス・ワーク。甘くセンチメンタルなメロディと、ふくよかなストリングスの心地よさ。そして郷愁を誘うハーモニカの音色。ソフトでいてどこかホットなこの曲、ソウル音楽に馴染みがない方にもオススメしたい名バラードである。この曲はポール・ウォールの「Girl」にサンプリングされたり、桑田佳祐が「Act Against AIDS 2003」でも演奏していた。また、バラード・ナンバーばかりが注目されがちの彼らだが、「Give More Power To The People」などに聴けるような、アップ・テンポなファンク・ナンバーにも佳曲が多かった。ヴォーカルのユージン・レコードは2005年7月22日、癌のため逝去。64歳だった。「Oh Girl」を聴くにはここをクリック!う~んロマンティック
2006.12.14
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Big Starというバンドを作ったアレックス・チルトンは、ロック史上に残るカルト・スターとなってしまった。誉めているのかケナしているのか、書いている自分もよく分からないのだが、とりあえずこれは事実だと思う。実際、アレックスという人は、好きな人にとっては"神レベル"なアーティストかもしれないが、そうでない人には「誰それ?」な存在ではないかと。それくらい、落差のある才人なのだ。パワポオタである自分にとっては、当然、前者なワケだが。。。メンフィス生まれのアレックス・チルトンが世に出たのは'67年、16歳の時である。ブルー・アイド・ソウル系グループ、ボックス・トップスのヴォーカリストとしてだった。代表作として知られる「The Letter(あの娘のレター)」は、'67年9月に全米1位を記録。ジョー・コッカーにも歌われたこの曲は、60年代ヒット・ポップスのファンなら知っている人も多いだろう。しかし、チルトンの本領はボックス・トップスを脱退した時からはじまる。地元メンフィスに戻ったチルトンは'71年、高校時代の級友であるクリス・ベルと、そのバンド仲間だったアンディ・ハメル(b)、ジョディ・スティーヴンス(Dr)とともにビッグ・スターを結成する。バンド名は、彼らが見たスーパーマーケットの店名から取られたという。エルヴィス・プレスリーの故郷でもあるメンフィスは、黒人音楽のメッカとして知られていたが、チルトンやベルの指向していたものはそれとは全く違っていた。二人が作ろうとしたのは、"60年代ブリティッシュ・ビート"風のギター・ロックだった。それは、ビートルズやキンクスなど、彼らが少年時代に親しんだ音楽へのオマージュでもあった。チルトンとベルの共作を大半とした12曲は、ビッグ・スターの1stアルバム『No.1 Record』('72年、上ジャケット)としてまとめられた。そこにおさめられた音楽は、「ビートルズのコーラスと、キンクスやThe Byrdsのギター・サウンドを合体させた」という形容がふさわしいものとなっている。のちに"パワーポップのルーツ"とも言われるこのサウンドは、今聴いてもシンプルで強く、美しい響きをたたえていると思う。「Ballad of el Goodo」はアルバムの二曲目に配された、アコースティック風味の名曲。クレジットはアレックス・チルトンとクリス・ベルの共作となっているが、楽曲およびアレンジはベルの個性が色濃く出ている。あたたかな感触を持つギター・サウンド、センシティヴなメロディは、素晴らしいの一言。サビ部分の広がるような美しさは特筆ものだ。計算されたコーラス・ワークにも注目したい。独特かつ清涼感あるハーモニーが曲の完成度を高めている。演奏はタイトに引き締まっており、そのせいか、バラードでありながら湿っぽくならない絶妙の仕上がりとなった。ちなみに、アレックス・チルトンの唱法はボックス・トップス時代のものとはまったく異なっており、言われなければ「The Letter(あの娘のレター)」と同じ歌い手だとは誰も気づかないだろう。それほどまでにこの曲は美しく、そして繊細だ。アルバム自体も素晴らしい出来で、一部の評論家からは高い評価を受けたという。だが、事実上のインディ扱いだったこともあり、何のプロモーションもされなかったこの作品は、当時まったく売れなかった。そのうえ、チルトンと音楽的に対立したクリス・ベルは程なくバンドを脱退。ビッグ・スターは、チルトンを中心としてさらにアルバムを二枚出すがやはり売れず、そのまま消滅してしまう。クリス・ベルは、正式な音源を発表することも出来ないまま、'78年に交通事故で死去。チルトンはその後もソロ活動を続け、ロカビリー・バンドで演奏したりもするが、一時はレストランで皿洗いをするまでになってしまったという。才能に恵まれながらも、時代の中で居場所を見つけられなかった男達の悲劇だった。だが、ビッグ・スターおよびチルトンの名は、アンダーグラウンド・シーンの中で生き続け、次世代のミュージシャン達によって再びスポットを当てられる。'86年にメジャー・デビューしたバングルズは、1stアルバムの中で「September Gurls」をカバーしていた。リプレイスメンツは、'87年のアルバムで「Alex Chilton」というその名もズバリの曲を収録している。その後もR.E.M、プライマル・スクリーム、ティーネイジ・ファンクラブといったバンドの後押しにより、チルトンの評価はウナギ昇りとなる。'93年には、ポウジーズのメンバーを加えた編成でビッグ・スターは再結成された。'94年には、幻とされていた1stと2ndがCD化され、その素晴らしさが若い世代にあらためて知られることとなった。'05年には27年ぶりのオリジナル・アルバム『In Space』も発表され、'06年にはトリビュート・アルバムも出ている。そういえばチープ・トリックも近年のライヴで、ビッグ・スターの曲をカバーしていたっけなぁ。ポップで美しく、だけどコマーシャリズムに媚びない鋭さを持ったビッグ・スターの音楽は孤高であり、これからも輝きを失わないと思う。愚直でガンコ親父面で、本能のままに、だけどいーかげんに現在も音楽活動を続けるアレックス・チルトン。優れたメロディ・メイカーでありながら時々トチ狂ったようなこともするこの男には、カルト・スターの称号がふさわしい。クリス・ベルも草葉の陰でほくそ笑んでいることだろう。ビッグ・スター名義でのアルバムはすべてが必聴!つーコトで「Ballad of El Goodo」を聴くにはここをクリック。元祖パワーポップともいえる名曲「September Gurls」(2ndアルバム収録)はこちら。※ポム・スフレのメインHPではクリス・ベルのソロ・アルバムについて取り上げられています。
2008.08.21
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なんとも優しいイントロで始まるこの曲の名は「For フルーツバスケット」。2001年にテレ東で放送されたアニメ「フルーツバスケット」の主題歌である。アニメ音楽は、良い音楽の宝庫だというのが僕の持論だが、この曲はまさにその典型ともいうべき素晴らしい曲で、これが「なんだアニソンか…」の一言で素通りされるのだとしたら、それは余りにももったいない事だと思う。この曲を歌っているのは岡崎律子。1959年生まれのシンガーソングライターである彼女は、アニメを中心として活動し、林原めぐみや堀江由衣など多くの声優への楽曲提供をこなす一方で、自身もアーティストとして「Sincerely yours」「Joyful Calendar」などの作品をリリース。この「For フルーツバスケット」は、前述の「フルーツバスケット」の主題歌として2001年に発表された美しいバラードで、シンガーソングライター岡崎律子の名を一気に上げた名曲。70年代女性シンガーソングライターを思わせる一曲で、そっと語りかけてくるような歌声と何とも優しいメロディが聴く者の胸をいっぱいにしてくれる。バックの演奏はとてもシンプルだが、それゆえに彼女の繊細で透明感ある歌声と美しいメロディが引き立っている。ツボを押さえたストリングス・アレンジも泣ける。「生きる事への勇気」を歌った歌詞も、決して押し付けがましいものではなく、傷ついた者の心を優しく癒してくれる。この曲によって熱い支持を受け、さらなる活躍を期待された岡崎律子だったが、2004年5月5日、敗血症性ショックのため東京都中央区の病院で死去。44年の短い生涯を閉じた。「For フルーツバスケット」は「フルーツバスケット」のサントラでも聴けるが、ここでは岡崎律子のオリジナルアルバム「For Ritz」(写真)をおすすめしたい。彼女の死後に発売されたこのアルバムは、PCゲーム「シンフォニック=レイン」のために書き下ろした楽曲を、本人歌唱のオリジナル・バージョンとして改めて録音した岡崎律子最後のオリジナルアルバムである。最後は病室にまでキーボードを持ち込んで作詞・作曲に打ちこみ、仕事の手を休めるよう勧められても、「いいものを残しておきたいから頑張る」と答えたという岡崎律子。そんな彼女が最後に残したこのアルバムは、ボーナストラック(?)として収録された「For フルーツバスケット」をはじめとして、「I'm always close to you」「いつでも微笑みを」「Fay」など、彼女の才能と優しさがいっぱいに詰まった作品だ。岡崎律子の名曲「For フルーツバスケット」はここをクリック!(TVサイズバージョン)フルバージョンはこちらで聴けます。For フルーツバスケット作詞・作曲 岡崎律子とても嬉しかったよ 君が笑いかけてた全てを溶かす微笑で春はまだ遠くて冷たい土の中で 芽吹くときを待ってたんだたとえば苦しい今日だとしても昨日の傷を残していても信じたい 心ほどいてゆけると 生まれ変わることはできないよ だけど変わってはいけるからLet's stay togther いつも僕だけにわらって その指でねぇさわって望みばかりが果てしなくやさしくしたいよ嘆きの海を越えていこうたとえ苦しい今日だとしてもいつか暖かな思い出になる心ごと全てなげだせたならここに生きている意味がわかるよ 生まれおちた喜びを知るLet's stay togther いつもたとえば苦しい今日だとしてもいつか暖かな思い出になる心ごと全てなげだせたならここに生きている意味がわかるよ 生まれおちた喜びを知るLet's stay togther いつも
2006.08.03
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先日、ニューヨーク・ドールズの秘蔵映像集「All Dooled Up」が発売された。ニューヨーク・ドールズは、Guns 'n Rosesのアクセルを始め今も多くの信棒者を持つロックン・ロールのカリスマ、ジョニー・サンダースが在籍していた事でも知られる伝説のバンドである。ボーカルのデヴィッド・ヨハンセンと、ギターのジョニー・サンダースのコンビは、まるでミック・ジャガーとキース・リチャーズのキッチュなパロディのようでもあった。彼らのケバケバしいメイクやファッション、チンピラのような言動は「オトナが忌み嫌うロックン・ロール」のイメージそのものであり、そのワイルドでストレートなロックン・ロールサウンドは、後のパンク/ハードロックに大きな影響を与えた。スティーヴ・ジョーンズ(Sex Pistols)のギター奏法は、ほとんどジョニー・サンダースのコピーと言ってもいいほどだった。トッド・ラングレンがプロデュースした1st「New York Dolls」('73年)は、そのいかがわしさ溢れるジャケットとは裏腹に、粗野でワイルドなギターサウンドの中に60年代的ポップ・センスを感じさせる親しみやすいもので、「Personality Crisis」「Trash」「Lookig For Kiss」「Jet Boy」などのパンク/ハード・ロックの原点と言える名曲が多く収録されている。ジョニー・サンダースは1991年にドラッグにより39歳の若さで死亡。最後までドラッグでヘロヘロになりながらチンピラ・ロッカーとしての人生を全うした彼の生き様は、まさにパンクそのものだった。「Personality Crisis」でのデヴィッドの雄叫びやジョニーのギターは、今もその破壊力を失っていない。「グレイト・ロックンロール・アテイテュード! 彼らとは一緒にツアーもしたけど、それは最高に楽しい思い出だったね」------ジョー・ペリー(エアロスミス)それでは「Personality Crisis」のライヴ映像をどうぞ!ここをクリック!ポム・スフレのホームページではジョニー・サンダースのアルバムについて取り上げています!
2006.06.13
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ビートルズの3rdアルバム「A Hard Day's Night」は、全13曲中10曲がジョンの作品である。よって、このアルバムの主役はジョンという事になるのだが、じゃあポールの影が薄いのかというと実はそうでもない。ポールがこのアルバムに書いた3曲はどれも高いクオリティと違った味わいを持っており、当時ソングライターとして急成長していたポールの実力を濃縮した出来となっている。「Can't Buy Me Love」はその中のひとつであり、ビートルズ及びポールの全キャリアを語る上でも忘れられない一曲となった。ジョン作の「A Hard Day's Night」に向こうを張るかのようなアップ・テンポのナンバーで、演奏に初期ビートルズならでは熱さと勢いが詰まってるのが嬉しい。反面、歌に関しては、ポールの多重録音ボーカルがメインとなっており、ビートルズならではコーラスが聴けないのがチト寂しい(?)イントロ抜きでいきなりサビから始まるという構成は、前々作のシングル「She Loves You」の手法に則ったもの。発案者も「She Loves You」同様、ジョージ・マーティンである。それでいて「Can't Buy Me Love」の場合は、出だしの瞬間がアカペラになっているので、「She Loves You」とは微妙に違ったインパクトがあるという具合。Aメロは C-F7-G7というノーマルなロックン・ロールの3コードで展開していくのだが、サビではEm-Am-Dmなどのマイナー・コードを使っており、対照的なコード進行を用いてメロディにポップな感触を持たせている。甘いメロディに対して、ポールの歌声はなかなかにブルージー。曲の軟弱化を防ぐと共に、ポールのロック・ボーカリストとしての一面が出る仕上がりとなった。チョーキングを効果的に使ったギター・ソロもペランペランながら味わい深い。サビでジャンジャカ鳴るパワー・コードがまた泣かせるなあ。「愛はお金では買えない」という歌詞については……今回は省略アメリカでビートルズ旋風が起こる直前の時期に録音されたこの曲は、アメリカでは210万枚、イギリスでは100万枚が予約注文された。結果、当然の如く英米でNo.1を記録。アメリカでは'64年の4月4日から5週間連続1位を記録しているが、同年の2月1日から5月2日までの三ヶ月間、ビルボード・シングル・チャートのトップの座はずっとビートルズが居座るという状態が続いた(『抱きしめたい』→『She Loves You』→『Can't Buy Me Love』の順)。また、この曲は初登場27位で登場し、さらに次の週にはナンバー1になるという、棒高跳びのような記録を持っている。この記録は、'95年に初登場1位を記録したマイケル・ジャクソンの「You're Not Alone」によって破られているが、チャートの集計法やレコード売り上げの基準が大きく変わっていた事を考えると、両者の価値に大きな差異はないと思われる(←あくまでも私見)。そして、'64年4月4日のシングル・チャート(下記参照)では、上位5曲がビートルズに独占されるという事態も生んでいるが、その時に1位だったのもこの曲である。1位 Can't Buy Me Love2位 Twist And Shout3位 She Loves You4位 I Want To Hold Your Hand5位 Please Please Meビートルズの有名曲というと、「Yesterday」「Help!」「Hey Jude」「Let It Be」(←全部1位になってるし…)などが真っ先に思い浮かぶが、数字的な業績(記録)という点で一番忘れがたいのが「Can't Buy Me Love」といっていいかもしれない。ビートルズがライヴ活動を停止してから、この曲も長きに渡って封印されてきたが、ポールの1990年のツアーにおいて見事に復活。以降、ポールのライブに欠かせないナンバーとして現在も生き続けている。つーコトで、やんちゃなビートル達の姿がカワイイPV(というか映画のワンシーン)はここをクリック!ポム・スフレのメインHPはこちら。
2007.07.22
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アニメ世界名作劇場がかつて「カルピスこども劇場」と呼ばれていた時代、「フランダースの犬」に続いて日本アニメーションが1976年に送り出した作品が、現在でも不滅の名作として知られる「母をたずねて三千里」だ。デ・アミーチスの短編「クオレ」を大きく膨らませたストーリーで、音信不通になった母・アンナを求めてアルゼンチンの草原を行く幼いマルコの姿は多くの人の胸を打ち、日本中から激励の手紙が寄せられたという。監督に高畑勲、レイアウト&場面設定に「世界のハヤオ」こと宮崎駿、作画監督に小田部羊一(「アルプスの少女ハイジ」)、脚本に深沢一夫、絵コンテには「機動戦士ガンダム」の富野喜幸(現・由悠季)といった超一流のクリエイター達が集結したこの作品は、丹念に練り上げられたストーリーと演出、細かいディテイール、奥の深い人間描写など、今もって全く色褪せない名作中の名作となった。その完成度の高さは現在のジブリアニメをはるかに凌駕するもので、日本アニメ史上の頂点に立つものと言える。その主題歌「草原のマルコ」は、フォルクローレを基調としたもの哀しい曲調が、母を求めて旅をするマルコのけなげな姿と重なるもので、特に「はるか草原を…」という歌い出しで始まる前半部分は今聴いても涙腺を刺激される。曲の後半は力強いリズムを持った勇ましい曲調に変わり、聴く者に勇気を与えるドラマティックな響きを持って曲は終わる。フランダースの犬やドラえもんの主題歌でもおなじみ大杉久美子の歌声は優しくも力強い。マルコのペットの子猿のアメデオが大好きだったボク…草原のマルコ作詞 深沢一夫 作曲 坂田晃一はるか草原を ひとつかみの雲があてもなくさまよい 飛んで行く山もなく谷もなく 何も見えはしないけれどマルコ おまえは来たんだアンデスに続く この道をさあ出発だ いま日が昇る希望の光両手につかみポンチョに夜明けの風はらませて母さんのいる あの空の下はるかな北を目指せ小さな胸の中に きざみつけた願い母さんの面影 燃えてゆく風の歌草の海 さえぎるものはないそしてマルコ おまえは来たんだ母さんをたずね この道をさあ出発だ いま日が昇る行く手に浮かぶ朝焼けの道ふくらむ胸にあこがれ抱いて母さんに会える 喜びの日をはるかに思いえがけ
2006.03.08
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青春の名曲(笑)「Oblivious」が発表されてから、来年でもう四半世紀かよ~ここはひとつ、想い出のサニービートな気分でアズテック・カメラでも聴くかい。ロディ・フレイムのワンマン・ユニットとも言えるアズテック・カメラが、先述の「Oblivious」を収録したアルバム『High Land Hard Rain』でデビューしたのは'83年。いわゆる"ネオアコ"の代名詞的名盤とされるそのアルバムを発表した時、ロディはまだ十代だった。キラキラした感性が滲み出るメロディ、素人っぽさも残る演奏が好きだったなぁ。翌年にはマーク・ノップラー(ex:ダイアー・ストレイツ)のプロデュースで、2nd「Knife」を発表。ヴァン・ヘイレンの「Jump」をネオアコ風にカバーするというパンク魂にも、さらに惚れました'87年には3rdアルバム「Love」(上写真)を発表。黒人音楽のファンだったという妻君からの影響で、本人曰く「モダン・ソウルを追求した」内容となっている。名作揃いなアズテックのアルバムの中でも、個人的にはもっとも好きな一枚だ。「Deep And Wide And Tall」は、そのオープニングを飾るナンバー。ロディの滑らかな歌声、清楚なアコースティック・ギター、程よくハネるリズム、そして明快で美しいメロディが、メリーゴーランドのように回る。間奏のスパニッシュ風ギターも、耳に心地よい。聴いていると心の中に陽が差すような、風が通るような気持ちにもなる、実にすがすがしい一曲だ。カッチリとまとまったサウンドについては、プロデューサーであるラス・タイトルマンの手腕も見逃せないだろう。ネオアコというよりは良い意味でAORと呼びたくなる仕上がりで、デビュー時の瑞々しい感性はそのままに、より完成度と成熟を伴った名曲となっている。てゆーか、ロディ・フレイムこの時23歳かよー。破綻がないというか、落ち着きすぎじゃ~これも才能ゆえの早すぎる老成か。まあ、その反動は次作「Stray」(←これもイイ)で来るわけだが。それはともかくとして、この「Deep And Wide And Tall」、メロディ良し、演奏良しの、素敵なポップ・ソングさつーコトでここをクリック!アルバム「Love」は、他にも「Somewhere In My Heart」「How Men Are」などの名曲がいっぱい良質な音楽を求める人やスイーツ(笑)な気分になりたい方は、ぜひぜひ御一聴を。現在、「Love」は次作「Stray」との2in1CDで購入可能。いい時代だなあ~(´ー`)坂本龍一がプロデュースした'93年の「Dreamland」もオススメよ
2007.12.19
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'78年2月、アルバム『はらいそ』の録音中だった細野晴臣は、高橋幸宏と坂本龍一を自宅に招き、当時、自分が考えていた音楽コンセプトについて話す。それは「マーティン・ディニーの『Firecracker』をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」というものだった。高橋と坂本はそれに賛同し、その場でグループ結成の話が持ち上がる。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の誕生である。ヒントとなったのはクラフトワークとジョルジオ・モロダーだ。音楽的視野が広く先見性にも長けていた細野は、反復するリズムの向こうに"新時代の到来"を感じとっていたのだろう。強者(つわもの)ミュージシャン三人によってYMOは結成された。だが、デビュー当初の彼らに注目していた人はごくわずかだったという。強者といっても、当時の三人は一般的知名度が高いわけではなかったし、彼らのやろうとしている事は海のものとも山のものともつかないように思えたからだ。'78年の9月に発売された『ニュー・ミュージック・マガジン』には、「機械が歌う明日(?)の歌、現代都会人の音楽を模索するイエロー・マジック・オーケストラ」という記事が掲載されている。その記事を書いた北中正和氏は、原稿を提出する前に何度か取材を行っているが、"YMOの音楽をどう評価していいか分からないまま記事をまとめてしまった"と言っている。のちにオリコン20位まで上がる1stアルバム(ただし米国盤)も、発売当初はほとんど売れなかった。細野が頭の中で描いていたヴィジョンは、当時の日本ではそれほど進んでいたわけだ。また、自身もYMOを一種の"実験的ユニット"と考えていたようで、固定メンバーで活動をするとは思っていなかったようだ。当初のグループ名は「細野晴臣 イエロー・マジック・オーケストラ」だった。ジャケットにもメンバーの顔は写っていない。また、初期の構想では横尾忠則もメンバーのひとりに入っていたという(入れてどうするつもりだったんだろう?)。グループ名をそのままタイトルに冠した『Yellow Magic Orchestra』は、YMOの1stアルバムだ。発表は'78年の11月。最初からワールド・ワイドな活動を念頭においていたこともあり、アルバムは海外でも発売されることとなった。ちなみに、レコード会社は当初この作品をフュージョン系の音楽として売り出そうとしていたらしい。米盤ジャケット(上写真)のデザインを手掛けたのは、ウェザー・リポートの『Heavy Weather』でも知られるルー・ピーチだ。テレビ・ゲームのSEから始まるこのアルバムは、"テクノ・ポップ"という言葉がふさわしい内容となっている。もっとも、当時そのような概念はほとんど浸透していなかった。日本で"テクノ・ポップ"という言葉を最初に使ったのは、音楽ライターの阿部譲だという(シンコー・ミュージック発刊『Techno Pop』より)。言葉が世に出たのは'78年の8月。クラフトワークの音楽を紹介する際に使った表現だった。YMOの音楽はクラフトワークの影響を強く受けたものだったが、さらにディスコ的なキャッチーさと躍動感を強調した所が新しかった。コンピューター演奏による無機質感を前面に出す一方で、メロディや従来的なコード感覚も大切にしていた(特に初期)。それはまさに"テクノ・ポップ"であり、彼らの音楽が多くの人に受け入れられた最大の要因だと自分は考える。また、機械を駆使した演奏ながら、同時に人間的なぬくもりも感じられるのも見逃せない。それは、メンバーである三人がもともと肉体的なプレイヤーとしても一流だったということに起因するものだ。細野作品であり、アルバムの最後を飾る「Mad Pierrot」は、自分がもっとも好きなYMOの曲のひとつだ。同アルバムでよく知られているのは、マーティン・ディニーの「Firecracker」、坂本作曲による「東風」、高橋作曲の「中国女」あたりだろうが、本曲もクオリティ面では劣っていない。タイトルはゴダールの映画からとられた(『東風』『中国女』もそう)。この曲が生まれてから、もう30年がたつ。軽くてピコピコしたサウンドはいかにも"テクノポリス・トーキョー"だが、それでも古びた感じはあまりしない。全体にみなぎるスピード感と、耳をとらえるメロディのせいだろう。坂本によるピアノの音色も実に気持ちいい。荒削りな部分は若干あるものの、基本的なサウンド・スタイルや音楽的焦点はこの時点で既に確立されている。キッチュでカラフル、そしてポップ。三人の天才がぶつかりあうスリル、"新しい音楽"が生まれる瞬間の輝きが、東洋風のキャッチーな旋律と合わさって鮮やかに記録されている。細野がかねてから提唱していた"イエロー・マジック"とは、このことだったのだろうか。ここにつまった勢いと華々しさは、次作での大ブレイクを予告しているかのようでもある。たたみかけるような疾走感は、のちの名曲「Rydeen」と一本の線でつながっている。'79年8月、YMOは初の海外公演(チューブスの前座)を行い、大絶賛を浴びた。同年9月には2ndアルバム『Solid State Survivor』を発表。ポール・マッカートニーやマイケル・ジャクソンをはじめとして、彼らの音楽が世界のミュージシャンに刺激を与えたことはご存知のとおり。細野が思い描き、坂本、高橋ら(松武秀樹も)と共に具現化した"トーキョー発の電子音"は、日本が誇るべき音楽遺産のひとつだと思う。「Mad Pierrot」を聴くにはここをクリック!
2008.07.26
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