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2004年04月11日
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あるセミナーで主体性について講義していた時、ある男性が前に出てきてこう言い出した。

「先生のおっしゃていることはよく分かるんですが、人によって状況はすべて違うんですよ。例えば、私の結婚を考えていただけますか。不安でたまりませんよ。妻と私は昔のような気持ちがもうないんです。私は妻を愛していないし、妻も私のことなんか愛していません。こんな状態で何ができるっていうんですか」

「愛する気持ちをもう失ってしまったんですね」と訊くと、
「そうです」と彼は答え、「子供が3人もいるので、とても不安なんです。どうしたらいいのでしょうか」と続けた。

「奥さんを愛しなさい」と私は返事した。

「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」

「だから、彼女を愛しなさい」

「先生は分かっていない。愛という気持ちはもうないんです」

「だったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだったら、それは奥さんを愛するとても良い理由になりますよ」



「愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみては、いかがですか」

世界中すべての偉大な文学において、「愛」は動詞として登場する。反応的な人は、愛を単なる気持ちとして捉えがちである。なぜなら、反応的な人は感情や気持ちに支配されているからである。往々にして映画やテレビの脚本は、人に責任はなく、その時折の感情で動くしかないと、私たちに教えている。しかし、映画の脚本と現実とは違う。もし行動が感情に支配されているとするならば、それは私たちが自らの責任を放棄し、そうさせたからにほかならない。

 主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。母親が新しく子供を世に送り出すのと同じように犠牲を払うこと、自分自身を捧げることである。愛を勉強したければ、他人のために(特にそれに報いてくれない相手のために)犠牲を払う人たちを見るとよい。子供を持つ親であれば、犠牲を払って育てた子供に対してどれだけ愛を感じるかがよく分かるだろう。愛は行動によって具現化される価値観である。主体的な人は感情を価値観に服従させる人である。愛するという気持ちを失っているとすれば、それを取り返すことができるのだ。

【ぽんぽこ先生 解説】
愛は価値観である。このことが上記の最も大事なポイントでしょう。通常、愛情は、感情としての認識しかありません。しかし、コヴィー氏がいうように、価値観であるとの認識があれば、愛を無条件に与えることができます。しかも、その愛情は永遠なのです。最近、相談があった方は、夫に愛情を持つことができず、不倫をしていました。それは、感情としてしか、愛情をみてないからです。愛情は一つの生き方です。行動によって愛情を示すことで、また新しい世界がひろがっていくでしょう。

愛情を行動で示してみましょう。

わかりましたね?

では、明日。

ぽんぽこ先生より





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最終更新日  2004年04月12日 10時47分32秒
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