昨年の秋に、有名な日本画の雑誌の表紙を飾りました。
プロの日本画家の5人のうちの一人に選ばれるというかなりな快挙
選ばれた何人かの一人として彼女の絵が採用されたのです
私がこの受賞で母を尊敬した一番の大きな理由は、
彼女が年齢も学歴も言い訳にせず、
それを乗り越えてプロとしての賞を堂々と勝ち取ったこと。
彼女はもともと機械設計士でした。
それを55歳の時にやめました。
「好きなことをしないで死ぬわけにはいかないわ!」
友人の他界でかなりのショックを受け、その結論のひとつがそれだったわけです。
もともと絵を描くのは大好きなひと
よく子どものころ、母に私と弟が連れられ、
公園にスケッチにいったものでした。
絵を描くことに何の喜びも感じなかった私たちとは違い
彼女は一生懸命、風景や花を描いていました。
そして55歳から始めた日本画。。。
芸大やその他の箔のある学歴の人たちの中に混じって
専門学校の学歴しかない彼女は
「通信大学で美術の学位を取ろうかと思ったけど、フランス語をしなくちゃいけないの。
それはちょっと無理だわ。。。」
でもあまり学歴も年齢も気にしていない様子
そのうち地元の市では、常に1等を取るようになり
先生を変えて、上野の展覧会に毎年出品するようになりました。
ずっと「入選」で毎年壁に飾られましたが
それでもなかなか大変なこと。
私も彼女の絵に対して自分の感じたことをたまに伝えていました。
「あなたの指摘、鋭いわねって、絵の先生が言っていたわよ。」
私も絵を描くのは得意。でも母と違って、全然楽しめない。
だって、いろいろな違った色が見えるでしょ。そしてそれを全部絵の具で紙に再現しなくちゃいけないでしょ。
。。。疲れるのだもん。。。
私が観ていたときは、つまり留学前は、全体の20%くらいが良くできていて、残りは
ただ彼女が良い絵を描いたときは、
その絵がとても生きているのね。
息遣いが見える、例えば蓮の花ならば、花の体温が絵から伝わってくる。
一番最初の作品がそうだったので
この人、案外行けるかもしれないって思ったのを覚えているのです。
彼女の画風はとても柔らかい色合いのもの
今回の雑誌に代だい載っていた絵は母の画風とは異なるもの
その雑誌の流派とは異質なもの
それでも彼女は選ばれたのです
日本画を始めて10年以上が経過
もうすぐ70歳になろうとしているのに
年齢も学歴も言い訳にせず
諦めず
ただただ「好きなの、楽しいのよ。」と描き続ける母
私の留学で、本来ならもっとお金を使いたいところを多分我慢しているとは容易く想像できるけど
そんなこと、一言も私には言ったことは無い。
日本画はとても画材にお金がかかるのに
多分節約して、それでも描いて、今回の名誉ある受賞につなげた母は
よく言えばポジティブ人間、悪く言えば能天気
そんな母の「好きでしてきた努力」が実って
私はそんな母を誇りに思う
そのうちインターネットで母の絵を日米両語で紹介するつもりです
「もう年だからできない。」とか
「学歴が無いから無理だわ。」とか
言い訳にしなくてもいいよね。
ばんざーい、ままごん。
これからも楽しんで素敵な絵を描いてね
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