全599件 (599件中 1-50件目)
あけましておめでとうございます。昨年は新しい仕事の開拓と改良に時間を多く費やした年でした。今年も、認知行動療法と音楽療法を通じて「心の自律」へのサポートを全力で行っていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。2013年元日さとりMT & CBT オフィスsatoriMCBTO@gmail.com
2013.01.01
コメント(0)
全米NACBT認定RLT(認知行動療法)士・米国AMTA認定音楽療法士のさとりですうつ気分、不安、気分の揺れ、依存行動や、仕事場での人間関係に対応できるようになりたいと考えている方へ認知行動療法カウンセリングのご紹介です。Rational Living Therapy(RLT)は米国の心理学者アルド・プッチが開発した認知行動療法の技法のひとつですRLTは全米青少年トリートメント・プログラム、ビジョン・クエスト、疾病コントロールと予防センターの禁煙プログラムにおいて主として提供されるプログラムになっており、その他いくつもの州のメンタル・ヘルス系協会の承認を受けています。プッチは論理情動行動療法の創設者アルバート・エリスの流れを組み、エリスの著書シリーズの名誉編集会員でもあります。このRLT(合理的生活療法)カウンセリングをあなたも受けて、一生役立つ合理的セルフ・カウンセリング技術を身につけ、うつ気分や対人関係をあなた自身が解決できるようになってみませんか。RLT(認知行動療法)カウンセリング、コーチング対象者: (1) うつ気分、自信のなさ、不安・恐怖、パニック、気分の変動、依存行動などに悩まされている方 (2) 職場でキャリアをつくっていこうとしている方、職場での人間関係の対処を求めている方セッション時間: 1回50分 頻度: 基本的に週1回 (隔週、月3回などご相談に応じます)回数: 平均で20回~ (ただし人によります)形態: (1) オンライン・カウンセリング 5000円/回 (2) 対面カウンセリング 7000円/回* 現在、他で認知行動療法を受けられている方はカウンセリングができません。混乱を避けるためです。* 希死念慮のある方は受けることができません。早急に専門機関(精神科医など)を受診してください。* 現在、心療内科、精神科にかかっている方が希望なさる場合は、主治医と連絡をとり連携して治療に当たることになります。ご興味ありましたらお気軽に下記メルアドまでご連絡ください。さとりMT & CBT オフィスsatoriMCBTO@gmail.com心理学者プッチについての引用(英語)About the PresenterALDO R. PUCCI, Psy.D., DCBT, CNHP, is president of the National Association of Cognitive-Behavioral Therapists (http://www.nacbt.org) and founder of the Rational Living Therapy Institute (http://www.rational-living-therapy.org). Dr. Pucci, who was originally trained in CBT by acclaimed psychiatrist Dr. Maxie C. Maultsby, Jr., developed the very systematic, comprehensive cognitive-behavioral approach known as Rational Living Therapy. Dr. Pucci has trained thousands of mental health professionals throughout the USA in his technique. In fact, Rational Living Therapy is the main therapeutic technique for the national adolescent treatment program, VisionQuest, as well as the Centers for Disease Control and Prevention smoking cessation program. Dr. Pucci is the author of many articles and two books, The Client's Guide to Cognitive-Behavioral Therapy and Feel the Way You Want to Feel…No Matter What! He has been interviewed for articles in many publications, including the Oprah Magazine and Money Magazine. Dr. Pucci served on Dr. Albert Ellis' advisory board in the past and currently serves as an honorary member of the Editorial Board for the Albert Ellis Tribute Book Series. Dr. Pucci obtained a Bachelor of Arts degree in Psychology from West Liberty State College, a Master of Arts degree in Clinical Psychology at Radford University, and completed his graduate training at Virginia Tech, California Southern, and Graduate Theological Foundation, where he obtained his Doctorate of Psychology. He holds a Diplomate in Cognitive-Behavioral Therapy, and is a Certified Medical Hypnotherapist as well as a Certified Clinical Hypnotherapist. Dr. Pucci is also a Certified Natural Health Professional pursuing a second doctorate in Naturopathy.
2012.03.27
コメント(0)
「幼いふたり」 森重悦子皆さまRational Living Therapy: RLT(認知行動療法:CBTの1タイプ)をベースとした、ライフ・コーチング受療者募集のお知らせです認知行動療法:CBTは心が病気になったときにとても効果のある心理療法で、世界のスタンダードとして近年扱われています。それはその効果が実証研究に基づいているからです。しかし、このCBTの原理は心が病気になったときにだけ効果的なのではなく、心が病気になる前に予防としての威力も発揮します。それは、私たちが犯しやすい思考ミスは共通しているものが多いからです。身体の病気と同様、心も風邪をひいたり病気になったりします。そして身体同様、病気になる前に予防することが、一番労力も、時間も、コストも抑えることができるのです。今、特に精神的に医者にかかるまではいかないけれど、どうも心がうまくコントロールできない、重い、憂鬱だ、問題がある、など具体的には、うつ的気分になりやすい、起りやすい、不安で仕方が無い、何かに依存的になっている、などなど生活に支障が出ている症状らしきものはありますか?もしあるなら、認知行動療法ベースのライフ・カウンセリングを受けてみませんか?私は米国の大学院を出た米国認定音楽療法士です。ただ、この認知行動療法の認定をとるために今最終レベル5の実習をしているので、費用は通常の8分の1(1セッション、1000円)で行なっています。1セッション55分、回数は全部で20回ほど、カメラつきのスカイプかGmail chat使用が可能なことが条件になります。私自身、認知行動療法によって、大変精神的に健康に過ごすことができるようになりました。もしあなたが、自分の人生の目標を感情の揺れに左右されることなく達成したいと願っているのなら、認知行動療法はとても役に立ちます。今までにライフ・コーチングを受けて継続している、卒業した方たちは皆、その効果を口にします。詳しいことをお知りになりたい方は、下記のメルアド宛に懸念していること、悩まされている症状などを書いて送ってください。スカイプ・ミーティングの予定を組みましょう。satoriMCBTO@gmail.com
2011.09.15
コメント(0)
皆さまNPO法人 セカンド・ハーベスト・ジャパンが、震災被害者の方たちへの食品・物品寄付を募っています。下記URLをご覧下さい:http://www.2hj.org/index.php/news_j/disasterrelieffooddonations/*********************************************具体的に、以下のようなものの寄付が必要です:1) 食品・飲料(未開封、賞味期限内)米、レトルト食品、缶詰、非常食、哺乳瓶、粉ミルク、離乳食、カロリーメイト、飲料水用ポリタンク、など常温で保存できる食品2) 衛生用品、医薬品(未使用、未開封)耳栓、イヤホン、アイマスク、浄水器、簡易トイレ、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、紙おむつ、生理用品、常備薬、応急セット、マスク、うがい薬、石鹸、水のいらないシャンプー、頭痛薬、胃腸薬、鎮痛薬、消毒薬など3) 炊き出し用品(未使用、未開封)紙皿、紙コップ、プラスチックスプーン・フォーク、割り箸、サランラップ4) キャンプ用品(未使用、または通常使用可能なもの)カセットコンロ、固形燃料、キャンプ用なべ、ランタン、ブルーシート、レジャーシート、ロープ、懐中電灯、電池、ロウソク、ライター、缶切、栓抜き、小型ナイフ、ビニール袋、電子ジャー5) 新品の下着、タオル(未使用のもの)6) 毛布、寝袋、軍手、ヘルメット、スリッパ(数回使用のみできれいなもの)7) (ポリタンクに入った)軽油、灯油――――――――――――――――――――――――――――――-皆さまのご支援・ご協力に心から感謝申し上げます!送り先(郵送代は寄付者負担):111-0053東京都台東区浅草橋4-5-1水田ビル1Fセカンドハーベストジャパン事務所 震災支援用物資係宛電話番号:03-3838-3827受付日時:平日(月曜日~金曜日)10:00-18:00*********************************************私は先日の避難所宿泊の経験(帰宅難民になり、仕事場に近い中学校で一泊)から、特にイヤホンとアイ・マスクに注意がいっています。なんたって避難所は、うるさい(情報を得るためにラジオをつけっぱなし、また混んでいれば当然他人の声など)、そしてまぶしい(安全のために電気をコウコウとつけています)からね・・・そこらへんを送ってみようかな・・・
2011.03.16
コメント(0)
皆さまRational Living Therapy (合理的生活療法:認知行動療法のひとつの技法、米国でライセンスをだす団体の継続教育プロバイダーとして指定されている技法です。その他、全国アルコール&ドラッグ乱用協会をはじめ、いくつものカウンセリング、心理学、に関連した公共団体の承認を受けています。)オフィシャルHP(英語):http://www.rational-living-therapy.org/の無料セッションのお知らせです。もし現在、うつ、不安、依存、怒りなどの症状に現在悩まされていて、それを改善したい、克服したいと願っている方特に生活に支障はないけれど、精神衛生を積極的に自分で保ちたいと考えていらっしゃる方認知行動療法を受けてみませんか?合理的生活療法(認知行動療法)では、自分の考え方がどのように感情に働き行動にでるのかを学び望ましい感情が味わえるように、自分で自分をカウンセリングする技術を体得できるようご指導いたします。セッションは1回45分、週1回、全部で約20回ウェブ・カメラのついたスカイプでのセッションこのセッションは私のプラクティカム(実習)の一環になりますので費用は無料受療者にはほぼ毎週のホームワーク(15分―30分)が課せられます。それをすることができる方守秘義務と説明責任は完全に守られます。セラピーを受けるまでのプロセスは:受けたい方は、ご自分の現在悩んでいる症状をメールで送ってください。その後、スカイプ・ミーティングを行います。認知行動療法のセッションの説明、希望者の症状などをスカイプ(カメラを持っていることが条件です)で話し合いこの療法が適切だと双方が合意した場合のみセッション開始となります。特に精神疾患の診断を受けていない方たちも受療しており、精神衛生に役立っています。ご興味のある方は、こちらまで症状を明記してメールをしてください。b_maria_81@yahoo.co.jp暖かくしてお過ごしくださいね~
2011.01.10
コメント(0)
平成23年 明けましておめでとうございます今年も自分の目標に向かって楽しんで努力をしていきたいですね~♪より洗練されたプロの音楽療法士として実習をクリアしてプロのRational Living Therapist(認知行動療法)として実践的なことを教える音楽療法科目の講師としてそして読者が理解しやすい翻訳をするプロとして自分の仕事の構成をより改良して異業種同士の潤滑油にもなれるよう努力してトーストマスターズでリーダーシップの練習をしてそれを身に付ける少しずつつぼみが花開くように大切に育てていきたいと思います。私の仕事、音楽療法と認知行動療法を中心としたブログを立ち上げていますのでご興味のあるかたは「メールを送る」でお知らせください。それでは皆さまにとって素晴らしい一年となりますように。。。Davina
2011.01.01
コメント(0)
田園調布の駅前薬局屋さんの2階にある小さい器屋さんの半分のスペースを利用してマザー・テレサの写真展示会があるのを歩いていて発見したので「おおこれは!」と思い、初めてその場所に入って見た。少し暗い中に、沢山のモノクロで撮られたマザーの写真があった。今まで見たことのない、生活しているマザーの写真ミサの写真祈っている写真小さいスペースなのだけれど沢山のマザーがいて圧倒されてしまって部屋の中の写真を何回も見直すためにうろうろしていた。だんだん圧倒されてきてなんだか目の後ろ側に熱いものが溜まってくるのが分かった。白くてラインの入ったあの独特にサリーの中のしわくちゃなマザーの顔私たちがするように十字を切るマザー。。。でるにでられなくなってうろうろと何回も写真を見回っていると画廊主らしき女性が声をかけてきた。「この写真は、マザーの無くなる2年前のものなんですよ。」ちょっと動きが止まってしまった。亡くなるたった2年前この小さくて偉大な人が亡くなったんだ。なんでそんな恐ろしいことをそんな明るい声でいうのかしら?何か言おうと思ったけれど言葉がでずやっと「なんだか泣きそうで。。。」と何気なく言ったつもりがその自分の言葉がきっかけで涙が出てきて話せなくなってしまった。私にとってマザーが偉大なのは、彼女の言ったあの言葉が心に沁みているからだ。「人間の一番の不幸は誰からも必要とされていないと思ってしまうことなのですよ。」だから、インドのカルカッタの片隅で一人で死んでいく人たちに寄り添いカソリックでなくても、その人の宗教にのっとって最期を一緒に過ごしてきっと「私はあなたのことを必要としていますよ。」とひとりひとりにメッセージを送っていたに違いない。音楽療法する原点もここかなー。。。と思う。「音楽療法が生きがいなのよ。」と涙を浮かべる人やセッション後に「嬉しい。涙がでる。」といって涙を浮かべる人私の左手をクライアントの動かなくなった左手のかわりに使ってギターを弾く計画をして見違えるように生き生きとしてきた人本当に小さい小さいことばかりだけどへなってしまった心がまた潤いを取り戻すのを感じるのがとても嬉しい。マザーの足元には及ばないけれど。お近くの人は是非、写真展に足を運んで見てください。「マザー・テレサ 祈り」展器・ギャラリーたち花(東横線田園調布駅 東口より歩30秒 田園調布中央病院を少し多摩川寄りに歩いたところ)2010年8月26日(木)- 9月4日(土)11:00-19:00(日曜と最終日のみ17:00終了)入場無料
2010.08.26
コメント(0)
4月に受けたあるアメリカの州立病院からの音楽療法士としての仕事のオファーが。。。今頃きたあの8月なんですけど面接から4ヶ月もたっているんですけどその間、全く音沙汰が無かったんですけどだからしっかりと新しい音楽療法士としての仕事、講師としての仕事が今軌道に乗り始めているんですけど。。。とても環境の良い仕事場で、日本ならではの仕事ができ始めているが同時にクライアントにも生徒にも責任が生じていて今すぐは引き受けられない。1年後なら大丈夫かもしれないけれどそうしたら向こうが私を欲しいかどうかは、かなり疑問今の仕事の欠点は給料や福利厚生それはアメリカの病院のほうがずっといいでも環境は日本の方がよい。一番若いときにできるチャレンジとしてはアメリカの州立病院だ。一番難しいと考えられるクライアントをリハビリしているからだ。うーん。こればっかりはご縁だからなー。無責任なことはしたくないし、かといってわくわくするようなチャレンジを今逃したらもうこの歳だからやってこないかもしれない。一年後ならできるとメールを送っちゃったけどやっぱり直接電話して相談してみようかな。
2010.08.23
コメント(0)
楽天で売っている写真用アルバム。これがおしい!http://item.rakuten.co.jp/zakkaroom/tgu603表紙は可愛くてプレゼントにもよさそう。これを以前見つけてアメリカ人の友人に贈ろうと思ったのだが書いてある英語が日本語英語なのでやめざるを得なかった。ネイティブにチェックしてもらえばいいのに。または、英語圏生活の長いひとにチェックしてもらえばいいのに。。。英語スピーカーはこの内容を言うときにこのような言い回しはしないだろうなあ英文は以下:"Thease photographs are my records of daily. When I see the photographs I recall thatIt was happy and glad." 初級者用のテキストにでてきそうな最初の文長い。あまり思い出がつまっているという感じが伝わってこない。recordsがいまいちマッチしてないなーdailyは形容詞だから、この後にlifeがいるでしょう。あと。。。んー全部やだ。私だったらこうするかな。"This photo album is packed with my brilliant memories.Seeing pictures makes me pleased on every page."どうかな?まあ、勝手に言っていろ、という感じですが。そういえば、以前、他大学院へのapplication英文修正をお願いした会社が添削した英文を見て「めちゃくちゃ日本語英語リズムに直したなー。」というのがあった。私のほうが英語文のように書ける自身が沸いたものだ。それは、英文の得意なアメリカ人の友人のとはまったく文の運びが違うもの、リズムの違うものだった。高かったのにーーー
2010.07.05
コメント(2)
英語を喋る機会を確保するために留学前に参加していた東京にあるトースト・マスターズ・クラブ(TMC)(スピーチを練習する同志会、全世界にある)に行ってみた。アメリカはコロラドで、1年半ほど参加していたTMC学ぶことが多く、皆私を本当に励ましてくれて大変ながら、楽しい経験になった。前よりもどのくらい上達したかな?知った顔のひとたちはいるかな?何か違うかな?ちょっとどきどきして参加2時間が過ぎた。まず、皆さん、ばりばりと英語で話していた。10人くらいのメンバーでひとり他アジア人女性と、マダガスカル人男性をのぞきお勤め風の日本人男性女性で、少し年齢が高めこれなら英語を続けて学習し続ける意欲が持てそう♪そして気付いたこと通常(カリフォルニア発なので、アメリカでのやり方が通常とさせてもらうが)会の最初にある、「Humorist(短いユーモアの話)」が無いことを発見その代わりにある短いスピーチ「Evening of Thought」私がそのことを女性の会長に聞くと「ああ、日本人は好きでないみたいで、無いのよ。」私のコロラドのメンターが言っていたことを思い出した。「ユーモアは未だに一番難しいから(彼はそのとき70歳)いまだに勉強しているよ。」日常会話にもユーモアをはさむ、スピーチにはもちろんそう、映画の中でも皮肉たっぷりのユーモアなど、よくお目にかかるユーモア私はもちろん得意ではないし日本人の習慣として、はなしで笑わせることはそう重要視されていないのはわかる。だからこそ、英語でパブリック・スピーチをするときは練習する必要があるのではないの?だって、英語は世界のひとを相手に話すもの。英語を話すひとたちは、ウイットの効いたユーモアを高く評価する。その習慣がない日本人にとってそれを練習するのは、とても大切なのではないの?好きじゃないからやらないってピーマンが嫌いだから食べない、のと似ているよう。身体に栄養があるから、食べ方を変えてでも食べないといつまでも栄養が身体に入らないよー。このユーモア話を練習する機会を削っているのが第一のショックだった。そして大きな興味が沸いた点は当たり前だが、話すリズムが違ったこと。特に私はリズムに敏感なので身体全体で、英語のリズムの違いを体感した。息つぎの長さが違う。全体的に短い。それは日本語が、とても細かいリズムで構成されているからそれに慣れている私たちが英語を喋るときにそのリズムが基礎になるのかもしれない。すごい、明らかだあーーー今でも覚えているが最初、アメリカに留学したときに向こうの電話の呼び鈴の息が長いのに驚いたのだ。ひとつの区切りまでが日本のそれより断然長く、その間も、長い。こんなふう。日本)りーん、りーん、りーん、りーん米国)リーーーーーーーーーーん、、、、、、、りーーーーーーーーーーーん、、、、、、、息の長さの違いから来てるんだ!とそのときは思ったがなんか、それをまた再確認した感じ。とにかく、アクセントやリズムの違いは私たちが第二外国語を喋っているから良いのだけれど英語話者たちが重要視しているユーモアをすきでないから削るのは賛成できない。Evening of Thoughtでユーモア話をして、と言われたけれど意識的にするしかないのかもな。ちなみに、こんなようなことわざがあるのです。「ユーモアが無い、と言われることと挫折を知らないね、と言われることが、一番の屈辱である。」
2010.06.25
コメント(0)
音楽療法を取り入れている、ある高齢者施設の職員が何度も、その前任者のセッションの進行の仕方や内容を説明してくれた。その中で、特に違和感を感じたこと、それはその職員の方と同じだったのだが、はセッションで、参加者(認知症高齢者)を授業のように何列にも並べることセラピストが設置されているピアノに座るため、顔を横に向けて参加者に対応することセラピストが「先生」と呼ばれていることこれは、音楽教育ととても近いスタイルだ。音楽療法士は療法、障がいや疾患部分の改善を目指すわけだから介入時に立てた介入プランにそって音楽を使用していく。その観点からすると、授業のように認知症高齢者を並ばせては、最前列以外の参加者に必要な物理的・身体的な援助ができない横を向いて20-30人の参加者に比較的距離を開けて接することは、認知機能の衰えている参加者と、最適なコミュニケーション、意思伝達することに支障がでやすくなる音楽療法士は作業療法士や看護師に近い立場にいるわけだから、MTさんや**さんのように名前で呼ばれるほうがより自然、先生は音楽教育の現場感覚に近くなる6月に入って、二つ、私のテスト・セッションがあった。音楽療法士として所属するための評価をされたわけである。そのセッションを見て、2つの別の組織の担当者が「今までとは全く違った音楽療法セッションで、参加者がとても反応して喜んでいた。」という感想をくれた。私のセッションは、米国の大学プログラムで訓練されたもの。そして、在籍していたコロラドの大学特有の技術はあるものの全体的流れや形態は、特別のものではない。つまりセラピストを前に、参加者が半円になって座ることセラピストは、ギターやオート・ハープのような携帯・移動可能な楽器を持ち常に参加者と対面、援助できる状態にして、さまざまな活動を行うことセラピストは、参加者同様、名前で呼ばれることである。ウェブでいくつか日本の音楽療法セッションの写真を見たが、どれも幾列にもならんだ参加者の座り方歌唱セッションが多いからかなー多くの、たとえば米国で学んだ音楽療法士が帰国しているのは事実だ。でも現場に、その並びかたなどが反映していないのは帰国した療法士が、主に教える・研究する側にまわっていて現場により自然で有益な方法が伝わっていないインターン・シップ制度が不備なため、音楽療法士のたまごが学びきれない比較的「きれいな世界」で過ごせるクラシック音楽技術体得者たちが治療現場の現実的必要性に実感が湧かない(現場アンケートで、音楽療法士はえらそう、という評価があるそうだ)事実として、クラシック音楽の技術習得に重点が置かれている、いたのは日本の流れだ。だから、多くの子どもたちがピアノ習うが「楽しいから」ではなく「技術を身につけ磨く」というのが多い。技術を身につけることは大切それでいろいろと楽しめるからそこに「楽しい」ということがあればベストだ。音楽は辛いものであるはずがない。楽しむところから発生しているのだから。言葉では表せないことを音楽を通してできるから、音楽がこれほど発達してきた。辛いのなら、無理にする必要はない。音楽の特性である「なんだか分からないけど、引き込まれる」という力を治療にあたって生かしたいから音楽療法が生まれた。その自然に引き込まれる強い魅力を使わないで音楽療法において、音楽の魅力を感じなさい、と音楽の魅力が出ていないものを押し付けられるならば本末転倒目標と目的を的確に把握して音楽療法に取り組めばきっと不自然な点は解消されていくと信じている
2010.06.16
コメント(0)
米国留学から日本に帰国して最初に感じたことはこの不況で世界中大変で日本も100年に一度の不況といわれるのにそれでも、日本は他の国に比べて豊かなのだなー、ということだった。近代的な建物、そして綺麗に磨き上げられていること多くの駅が新しく改装されてとても便利になっていること街中の人々が品物の良い服や持ち物を平均的にもっていること食事の内容が豊かであることサーヴィスがとても良いこと超氷河期と呼ばれる新卒採用が90%を超えていること。。。アメリカだと生活レベルのギャップが大きくてそれも地域によってかたまっていて一目見て、貧しい生活をしているのだな、というひとの身なりが本当に貧しかったり街全体がさびれていたり、空気がよどんでいたり建物が古く汚く、掃除も行き渡っておらずでも都会は綺麗で物価も高くそばにいるひとが、日本では考えられないようなどう考えても不衛生からくる病気や食生活の問題からくる病気が、日常茶飯事にあったりする場所もあったりしてそんなのに慣れて帰ってきたらこの日本の豪華さ。少なくとも、私にはそう見えた。決して貧困な地域に住んでいたわけではないのに。そうして強く思うことは今の高齢者のかたがたの血の滲むような努力私の両親の世代高齢者たちが年金を貰いすぎだ、という議論があるのを知ってびっくり仰天貰って当たり前じゃない!どれだけの苦労によって、これだけの繁栄を築けて、保っていると思うの?!?まだ、同じ高齢者同士が言っている分には良いけれどそれを若者が言っているときもある、という事実世界を知らないから、知ろうとしないからそんなことが言えるのよ敗戦して、原爆を落とされて、東京は焼け野原で敗戦後の天皇のラジオ放送を聞いて皆悔し泣きをして贅沢は敵だ、と質素な生活をして多くの男性たちは自分の自由時間などなく働いて仕事中毒を言われても働いて多くの女性たちはそんな男性たちを家庭で支えて貧しいなかで我慢して、我慢して、我慢して頑張って、頑張って、頑張って働いて、働いて、働いて西洋人、それも白人主導の世界の流れの中で唯一、アジアで最も繁栄してGDPが世界第2位をずっと保ってそれが、遊んで達成できたのだ、と思う人がいると思う?ときどき憎たらしいおやじやおばんさんにも遭遇するけれどでも、彼らが一生懸命働いてくれたおかげでこの日本の繁栄があるわけなのよ。日本の外に出て、いろいろな場所を見てみるとわかる。いかに貧しく暮らしているひとたち、ところが多いか。だから、今の高齢者の方々には「もう大丈夫だから、あとはゆっくりしてくださいね。」と、我々戦後の繁栄に預かっている者たちがねぎらってあげなきゃ。家の父などもそうだけどずっと働き続けてきたひとたちはゆっくりできないのよね。いつも何か、働くことを見つけて、働いている。例えば、農家で苦労してきたひとは、遊ぶことは悪いこと、と思っているひともいて音楽療法のセッションでも参加して楽しむことができなかったりするひともいるのね。そんなひとこそリラックスしてほしいけれど無理強いはできないから少しずつ、少しずつほぐれてくるのを待つわけです。戦後に自分の青春を潰して働いたひとたちに今度は年金も我慢しろ、なんて言わないで。いままでの苦労をねぎらってあげて。ただし、天下り官僚のような類からは仕分けで、ちゃんと公平にお金をセーブしましょう。
2010.06.09
コメント(0)
音楽療法士としての初仕事初期認知症高齢者へのセッションに組み入れる「こんにちは」「さようなら」のための歌を作っているのだが日本語で作ると私のメロディーは上手くはまるんだなということを痛感している。やはり日本育ちの生粋の日本人体内に入っているのは日本語のリズムというのもアメリカの大学の音楽療法の実習でこのHello & Good bye songを毎回作って毎回「なんか、違うのよねー。ダサいのよねー。」それをスーパーヴァイザーなども感じていたのをなんとなく分かっていた私だからだ。おかしい、私の音楽の基礎能力はそんなに低くないはずそれまでの先生の評価や仕事での実績などから決して私の音楽技術は低いわけではないと思っている。でも、なんだかはまらない。。。それの原因が今日、分かったのだ。リズムが違ったのだ。英語の歌詞にのせるメロディーが日本語のメロディーだったのだ。私はロック音楽はあまり好きではなくミュージカルも特に思い入れはなくディズニー音楽も対して関心がなくさほど聴いてきていない。そして聴くものに少しかたよりがある。考えたら、英語のリズムにのった音楽を聴いてきていない。身体が馴染んでないのだ。ちなみに会話はわりと良いリズムをとれると思う。それは、私の英語の発音を直してくれた、友人や元家主のおかげ。そんなこんなで今日、自分の日本語のhello song & Good bye songを歌いながらだからクラスメイトたちは、あんなに楽々と曲をつくり歌っていたのね、と納得そりゃそうよ。自分の母国語のことばだもの言語のリズムとは本当に言語によって違いとても重要だ。脳性まひを患った児童へ、療法的音楽の介入を行った際絵本のことばにリズムをつけてみたらそれまで見向きもしなかった絵本をその児童が興味を示すようになり最終的には、30分間くらい、あきずに読めるようにまでなったことこれが私をリズムにとても注目している大学院へ行かせることになる。アメリカに行ってみれば言語のリズム、という概念は当たり前だのクラッカー的扱い当然で、教科書などどこにでもこの言語やフレージングに関するリズムに関すことが書いてあった。私は本当に驚いたものだ。日本であれだけ「?」という顔をされた言語リズムのことこちらでは当たり前じゃない。わざわざいうまでもない。そういえば先日、こんなことがあった。友人の6歳になる息子さんの音読の宿題彼はいやがって、なかなかとりかかろうとしない。あまりに伸ばすのでちょっとためしにチャントをつけて見本を見せてやった。「ねーねー、こう読んで見たらどう?♪どもだち いるよ♪ いっぱい♪ いるよ♪」(わ、驚いた、内容まで覚えてた)机をたたいて、リズムをつける。すると友人Jrは、早速真似してチャントを始めた。それもあっという間に2回も繰り返した!夕飯前にやらなくて、夕飯後にも渋ってたのに!それから2つの小さい音読部分をあっという間に読み終わり友人が少し遅れて玄関から入ってきたらもう修了、という具合あのとき、本当に言語のリズムの重要性にびっくり障がいを持った子どもにも、持っていない子どもにもきく。それは本来備わった自然なリズムだからだ。アメリカの大学院では、教授が言語の領域にはあまり深く関わっていなかったので私の研究したかった言語リズムの論文は書けなかったがこれからも、できるだけ追いかけていくことにしよう
2010.06.05
コメント(0)
「発音が一番のネックで、だから通じにくいと思うの。今、発音矯正をしているのよ。」この間、英語を勉強している女性と話をした。その女性が質問したことで、私が考えた英語が伝わる条件質問:「いつ英語が通じるようになったと思った?それは、やっぱり発音が良くなったからだと思った?」私の答え:「...発音が通じるためのキーだ、というのじゃないなあ。だって発音はべた日本語発音のひとでも通じていたもの。」女性「え?」英語が相手にすんなり通じるための私の考える条件は1.最初の1,2フレーズで言いたいことの要旨、結論を言う。それからその説明を加えていく、という喋りができるようになること。違う発音を話す、英語が第2言語の私たちの発音は英語ネイティブの相手の注意力を長くつなぎとめておくには、親しい間柄の人との会話以外、短いと思う。それはやはり聞きづらい、ということがあるから。でも、内容がクリアで分かりやすければ、彼らは聞くのです。日本語のように、最後に要旨がくる話のつくりは途中で彼らが聞くのに飽きてしまう可能性が大。ネイティブなら饒舌な話でも相手をつなぎとめておけるけれど我々英語が第二言語の話者は、分かりやすい話のつたえかたつまりキー・ポイントから話すのが最も自分の意見を相手に最後まで聞いてもらえるポイント。2.英語の自然なフレージングに従うこと。つまり、切れの良いところまで一気に言う。英語の自然のリズムは、日本語よりも長いフレージングになる。日本語の自然なリズム・フレージングは、細かいのです。それはモーラという独特の言語リズムが基礎となっているからでしょう。反対に英語は、ストレス・リズムで、沢山の文字を一気に言う必要がでてくる。だからフレージングもそれにともなって長くなってくるのでしょう。息の長いフレージングに慣れている英語ネイティブは、細かくきる会話の仕方を聞くと、聞く興味を失いがち。言葉の途中、途中で相手の相槌を求める日本語のマナーも彼らには通用しません。彼らは集中力を切らしてしまいます。3.アイ・コンタクトをとり、姿勢良く真正面から相手と話す態度であること。目を見ないできょろきょろする、真正面を避けるのは日本人にとっては失礼が無いように、という配慮も含みますが英語スピーカーにとっては、話したくない態度、に映る可能性大。もしくは、自信がなく、話してもつまらない人、という印象を与える。彼はは自信のないような人と話したがりません。もちろん発音が良ければもっと良いでしょう。私も家主や友人に、一字レベルから発音を直してもらいました。でも私は決して発音が一番最初に相手に通じる条件だとは思わないです。なぜか?それは、発音が日本語べたべたの発音のひとでも、タガログ語べたの発音のひとでもアラビックの発音が強いひとでもインド人アクセントが強い人でも十分、英語ネイティブ相手に話しが通じ、ディスカッションしコミュニケーションをとっているひとを沢山見ているからです。発音は重要、だけど第一必要条件では無い。もちろん、基礎として文法を理解することは必須です。その上で、より会話をスムーズに通すとき英語らしい文の組み立て、そしてフレージングは大切です。話すときに、日本語と同じような文のつくり息のつぎかたをすることは英語の自然のリズムに反するからなのです。森ビルの会長の英語の実験の話を知っていますか?森会長は、どうやらべたべた日本語発音らしい。だけど、フレージングが英語の法則にのっとっているのです。この人の英語と、もうひとり、発音は良いけれどぶつ切りにして話す(日本語のフレージング)ひとの英語を録音し英語ネイティブに聞かせたら断然、森会長の英語がネイティブたちに伝わったと言われています。私が留学していたときも、京都から来た男子生徒がいてこの彼が、かなり日本語発音だったのだけれどフレージングが上手にできていて、彼の英語は、伝達手段として全く問題がありませんでした。この間、BBCラジオで、日本のある企業の人がインタヴューを受けてめちゃくちゃ日本語の発音で英語を話していましたがちゃんと通じていました。それは、その人が、英語のフレージングでお話していたからです。他にも、在米17年のフィリピン人の男性もかなりくせがあったけどコミュニケーションには特に問題はありませんでした。その他のお国のひとたちも同じ。もちろん発音が悪いと(r とl、 bと v、th の発音や他、母音、言葉の発音)相手から聞き返されることはありますがある程度、文脈から理解してもらえることも多いのも事実です。発音は、会話の練習と平行してじっくり直していけばよいし、じっくりしか直していけません。スポーツと同じで、口の筋肉運動ですから。長い時間、かかります。そして、大きくなって始めたならネイティブと同じようになるのは、とても難しい。だから、日本語発音の英語を話すのは当たり前のことです。日本語なまりの英語を話すことは、私たちの個性なのです。私はそうトースト・マスターズクラブのひとに励まされました。もうひとつ隠れた大きな問題点、英語が通じないことに関しては、多分、日本人特有の「相手の反応を過剰に気にすること」なのではと思うこともあります。自分の発音が悪いかも、文が通じにくいかも目線を合わせていると失礼かも、話題はこれで適切なんだろうか今の態度は良くなかったかも。。。このような考えからでてくる態度は、当然自信が無くなりきょろきょろ、そわそわ、自意識過剰的な行動に。。。このような態度は、彼らは理解できません。気持ちがられることもあると思います。彼らはこちらの言った言葉通りに受け取ります。あまり日本語のように、裏読みをしません。また人種が違うので裏の読み方も分かりません。基本的に欧米人は自信に満ち溢れた自然な態度を好みます。そこには自然な笑顔もつき、それは好まれます。これはもしかしたら日本では「態度がでかい」と言われてしまうのかもね。でも英語で話すときは、必要です。それがアイ・コンタクトをとる、ということにもつながります。例えば、ちょっとしたことお店のカウンターで注文するときなども最初に定員さんと、笑顔でばっちり目を合わせてから注文すると相手の反応が違いますよ。明るく対応してくれることが多いです。目を全く見ないでぼそぼそとオーダーをすると気持ち悪いのでしょう、対応が良くないというのを私は何回も経験しました。とにかく、英語スピーカーのリズムは、日本人のリズムとは全く違います。リズム感がある英語は、彼らの耳を引き寄せます。そして、切れ味のよい会話の運び、つまり何が言いたいのかを最初に言っておくと会話がすんなり相手に通じたり、またわからなければ、彼らから質問がきて、会話の流れが滞る確立が減ります。そして、落ち着いて、自然な笑顔があり、適度なアイ・コンタクトがとれれば話している英語はすんなりと相手に通じることが多いでしょうね。英語の発音矯正はゆっくりと。まずは文の大まかなフレージングをつかんでみて。
2010.05.29
コメント(2)
My friends advised me if running my own business. They have their own business. My goal is that I will have my own business where I will provide musical psychotherapy (Cognitive-Behavioral Music Therapy) for people with mental illness primarily as well as belonging to a company where I will provide sensorymotor,cognitive, and social skills for people with dementia and Alzheimer's disease. My friend D, engineer- To connect people resulting in word of mouth (WOM) so that my business will expand. This would be led by my daily efforts to provide high quality services. - To make my own official website that should be simply. Only one page is fine with pictures and video. Simply is the best. - To make the leaflet that introduce your business using a lot of pictures. However, the concept is simply. - To focus on your core expertize. Avoid showing many your titles and different skills that you can. Try to make your customers remind that you are _____ immediately. So you are a Cognitive-Behavioral Music Therapist. My friend J, a Muscle Active Therapist - To create my several own programs with price. They should be distinct and clear. - To price a bit expensive, not cheap. Customers will be serious by paying for my program if it is expensive. - To write down stories with regard to your programs which contain specific problems and resolves. Figure out each solution in detail. - To be able to explain the content of your expertize and programs in an understandable way. It should be easy to follow by 10-year-old children. My friend Y, a owner of design office for engineering- To focus your target to specific population, even necessary to determine the age. Otherwise, you waste time. - To be anyway patient with occuring problems in running. My friend S, pharmacy owner- To advertise yourself, make you name via website. Patients tend to follow the doctor, not the hospital. If I am trustworthy in CBM therapy, people who need to help would come to my place where is even not located in an inconvenient place. I am surprised that there are a variety of opinions depending on the person. How important people's advice is! I am proud of my friends who gave me such useful and meaningful suggestions above.
2010.05.28
コメント(0)
音楽療法と認知行動療法を組み合わせて精神疾患へのアプローチに関する論文があったわ 数が少なくて気持ち古いけれど。。。1) Hilliard, R. (2001). The use of cognitive-behavioral music therapy in the treatment of women with eating disorders. Music Therapy Perspectives, 19(2), 109-113. 2) Luce, D. (2001). Cognitive therapy and music therapy. Music Therapy Perspectives, 19(2), 96-103. 3) Bryant, D. (1987). A cognitive approach to therapy through music. Journal of Music Therapy, 24(1), 27-34. 4) Maultsby, M. (1977). Combination music therapy and rational behavior therapy. Journal of Music Therapy, 14(2), 89-97. この最後のDr.Maultbyの'Rational Behavior Therapy'は、私が昨年から段階的に認定を取っている 'Rational Living Therapy'の基礎のひとつになっているもの。Rational Living Therapy(理性的・合理的生活療法)は、National Association of Cognitive-Behavioral Therapists(全米認知行動療法学会)の現在のプレジデントが開発したもの。Dr.Maultsbyは、彼のお師匠さんだ。ちょっとびっくり。音楽療法の効用を認めていてくれたとは知らなかったわ。これなら、音楽療法と理性的生活療法を組み合わせたアプローチは、十分可能ということね。何も無いところから、いろいろと建てていく計画を考えるのって案外楽しいものさて、どうなることやら。
2010.05.28
コメント(0)
多くの職業人に、その仕事に関する説明責任がある、と私は考えている。説明責任:Accountabilityとは、成果を出し説明する責任のこと。私はあまりお医者に対して悪い印象は無い。良い医師にも沢山出会っている。しかし、私の両親の世代のひとたちは口を揃えて言う。医者ほど傲慢なひとたちはいないと。その中で、納得する話があったので書きとめておくことにする。先日お会いした、私の友人のパパ、障がい者の雇用について各企業に働きかけ、新しい提案をし、それをアドヴァイスしているひとだ。彼は柔軟で、成熟していて、冷静な人。その人のある医者に関わるお話だがある鬱病を患う人の職場復帰に関して、その担当の精神科医に会いに行ったところ「ああ、君たちは専門知識が無いから言ってもわからないよ。」と説明を受けられなかったのだとか。じゃあ、精神科医としか、あなたは患者のお話をしませんの?強調しておく。米国の音楽療法の学部の教科書、そう、20歳過ぎのひとたちが勉強する教科書に、療法士の「説明責任」と「治療決定権限」が明記されているのだ。本当に悪しき日本の風習だ。あるグループ以外は寄せ付けない、そう排他的集団をつくりたがること。こちらの言うことは、こちらのレベル以下と思われるひとに言っても無駄だ、とタカをくくっていること。この「他人に分かりやすく説明する」ことの重要性は、正直、私も留学して気が付いたのだが。お国柄の違いもあるのは当然だろう。他民族国家では、多くの違う人種、母国語、価値観の違いの背景を持ったひとたちと一緒に暮らしていくためには、正確な意思伝達が必要。一方、同じ言葉、文化を共有し、「あ、うん」の呼吸で分かり合えることの多い国民。しかし、私たちはほとんどのことを詳しく知らない。この情報が溢れる今日だって、専門的に学ばなければ、また時間をかけて勉強しなければ、詳しく理解できないことは普通のことだ。特に医学はとても難しく、だから専門的に学を修めたひとたちに頼ることになるのにしろうとだから分からないから、説明しないだとーーー?きちんと言っておくが、全部の医者ではない。私のアドヴァイザーのひとりは東大出の精神科医、そして教授だが、えらぶったところはひとつも無く、本当に謙虚だし、今まで会った担当医のかたたちは、本当に私の質問に詳しく答えてくれたひとが多かった。でもそうでない、傲慢な医者が多く生息しているらしいことも事実だ。私の父が、父方の祖母の担当医と話したときに、その当時30代と思われる医師は、自分の父親以上の年齢の私の父に対して、それはそれはデカイ態度で接していた。後ろに看護師たちを引き連れて。私はびっくりして見つめることしかできなかった。母が、母方の祖母の診察についていったとき、その医師は、祖母のことを「おばーさん、おばーさん」と呼び続け、一度も名前を言わなかったそうだ。たしかに80歳を越したバーさんだったが、名前があるだろうに、苗字くらい呼んでよ。でも、そこは昔の人、後で病院で祖母のあしらいが悪くなるのを恐れ、黙ってこらえたそうだ。私の恩師が、やはり彼の病気の母親について病院に行った時、はっきりと言ったそうだ。「俺は、あなたに私の母を見てもらいたくないですから、結構です。」とても高飛車だったらしい。分かりやすく説明することはとても大切だ。それは、自分の専門を自分で把握していないとできないことでもあるからだ。あなたに話しても分からないから-これは、実は自分でよく説明できないひとの言い訳のことが多い。分かっていれば、まとめて説明できるし、どんな質問だって答えることができるのだ。アメリカ人の友人が、私に言ったことがある。「将来、自分でビジネスをしたいの?それじゃあ、音楽療法というのがどういうものか、私が小学校5年生だと思って説明してみて。」私は説明したが、なかなか上手くいかない。専門用語や業界用語を使ってしまい、それが相手に分からないのだ。しばらくたって友人は、説明の仕方のモデルを示してくれた。とても分かりやすかった。そうか、上手く説明できなきゃな。。。この説明することは、本当にアメリカのいたるところで要求された。面接を始め、クラスの中から、雑談で文化的価値観の違いがでるとき、クレームをつけるとき、それはもういろいろ。。。素人相手に説明するのが、プロのひとつの重要な仕事である。これを怠るならば、半プロと言われても仕方が無いのだ。専門的にあるひとつの分野を勉強、研究しているのだから、それを発表することで、社会に還元していくことで、自分の国を豊かにしていくのだ。この説明責任は、何も医者に限ったことではもちろんない。全ての自分の専門とする仕事を持つ人たちの必須のことだ。と書いてしまったので、私も分かりやすい説明ができるように、頭の中を良く整理しておくことにしよう
2010.05.24
コメント(0)
日本では、12年間連続で3万人の自殺者 その背景に鬱病が蔓延貴重な人材が失われることへの危機感から、国民病と考え10年間かけての精神衛生の専門家によるプロジェクトが始まる。「うつ病」国レヴェルで対策をhttp://www.excite.co.jp/News/society/20100523/20100523E40.016.html日本に帰ってきて、「鬱病が蔓延」ということを聞いて私がいないこの5年間の間に何が起こったのか、と最初は驚いたが12年間連続、という事実に絡んでくることは「心の病」を特殊のもの、恥ずかしいもの、危険なものと考える伝統、習慣、国民性そして精神科医による薬物治療へのかたより、カウンセリングの質の悪さ、保険適用外による患者からの敬遠自分の意見等を社会の中で呑み込むことが多い日本独自の社会習慣、国民性「自ら命を絶つこと」への伝統的な否定的でないイメージ、価値観なのではないか、と思う。旧友たちと話したときのこと。カウンセリングについて、日本の中のイメージはどうなのか、と聞いた。5年間アメリカにいて、カウンセリングについてはほとんどネガティブのイメージは無い私。友人たちは答えた。「カウンセリングはまだ一般的では無いよ。」東京の真ん中に住む、どちらかというと自由な風に囲まれている人たちがそういう。びっくりした5年前、留学する前には、確かにそんな雰囲気はあった。でももう、5年も経っているしね。。。と思っていたのだがそう簡単には社会的価値観は変わらない。精神科医たちの薬を主に出すだけでおしまいにする治療。カウンセリングは保険点数に入らないから儲けにならない。薬を多く出し、それで稼ぐというのは一般的に医者がよくすること。統合失調症など、薬物治療だけよりもカウンセリングを組み合わせたほうが効果的、というのは、米国の音楽療法の学部の教科書に載っている常識また、治りにくい、手のうちようが無い、という長年からくる諦めも手伝っているのだろう。効果的なカウンセリングの介入方法が行き渡っていないのだろう。カウンセリングの費用の問題も大きいだろう。臨床心理士に1時間カウンセリングをしてもらうとどのくらい?5年前に授業で習ったときには、12000円でもいろいろなことを含めて考えると十分ではないそうだ。音楽のレッスン、音大受験、音大入学後、卒業後などはそのくらい払う。有名な先生などは3万とか。でもそれは、それらを目指す特殊なひとたち、多くは豊かな家の子女で、誰でもできるわけではない世界病気になって、仕事が滞って週1回月4回カウンセリングを受けるために4,5万など毎月払える人はほんのほんの少数だろう。言いたいことを飲み込むことが多い社会的習慣周りの目を自分の意見よりも重要視する価値観これらが心の中に地震前の地殻プレートのようにひずみを起こさせそれが一気に爆発して大地震がおこる日ごろから、小出しにできにくいから一度の爆発が破壊的なものになる可能性が高くなるそして最後に、日本人の「死ぬことに対しての抵抗感の大きさの無さ」切腹を代表例として見れば分かるが死ぬことは決して悪いことではなく、責任を潔くとる、名誉なこと、などの古い時代に私たちの地の中に浸透した考えかたが思ったよりも影響している、と私は考えている。例えば、キリスト教などでは「自分を殺すことは罪」と教えているから。あと付け加えておくならば各国の自殺比較で、自殺の少ない国々のいくつかは正確に数をとっていない発達途上国であることも事実だ。医者を中心にして、この国民病「うつ」への対策が本格的に始まっている。医者だけでなく、臨床心理士も、信頼のおける認定資格を持ったカウンセラーもどんどん参加して、この貴重な人材的損失を最小限に抑えるようにしたい。昨年から本格的に勉強しはじめた認知行動療法(理性的生活療法)が音楽療法との組み合わせで将来、この日本の大きな問題に対処できるようになると信じる。これのために、私は日本に帰って来たのだ、と思えるようにもしたい。だから、あそこまで関わっていたフロリダの病院でワーキング・ヴィザが土壇場でだめになったのだ、と認知症高齢者のひとびとへの音楽療法での介入の仕事はもう始まる。最高平均寿命を誇る先進国日本だが、この高齢化社会へ対する質の高いソフト面でのサポートの課題とともにうつで失われていく人的財産の回復への介入もできるだけ早く始められるようになりたいものだ。今、レヴェルIII認定、あとワーク・ショップとインターンがあるが最善の努力をして認定理性的生活療法士をとるようにしよう
2010.05.23
コメント(0)
日々の生活でいろいろな困ったこと、問題などが持ち上がって来るのが世の常だが「柔軟性を最大に発揮する」ということが、暮らしを楽しむキー・ポイントだと思う。昨日、私の旧知の友人とそのご家族に会ったのだが友人のお父さまから息子さんまで、この柔軟性を備えていて、彼らの共通性をつくづく思い出しているところ旧友とは以前に紹介したピアニストだが、彼女のお父さまが企業に必要なソフトの部分の、つまり人間の精神衛生に関することのシステムを何年も前から作ってきていて彼のアイディアが実際に何年もかけて機能してきていること私の親の年代、終戦直前に生を受けているわけだから、社会体制もその中に常識として根付く思想も、硬直していがち、ひとつかふたつしかないような価値観を良いとする環境であったにもかかわらずその柔軟で独創的なアイディアが、実際に今の世の中に必要であり、それを必要であることを気づいてもらえ、そのために未だに働いているのだその世界ではとても有名人、個人で大きな企業を相手にしているのに全く、気取りが無く、とても人に好意的。話しやすい。「俺さまを誰だと思っている」などという、たまにお目にかかる態度は全く無い人だった。そして、友人の今年小学一年生になる息子さん7歳のこのジャニーズ系顔の男の子に見た柔軟性とは、手持ちもモノをアレンジして遊んでしまう、ということ。これはどちらかというと創造性かな?音楽・踊りなどのアーティスティックな環境で育っている彼は、持っているぬいぐるみ、ほとんどはもらい物らしいがそれの色や動物の種類などを合わせ、ソファを舞台にミュージカルのステージを作り上げ、自分で曲を歌いながら即興でつけ、各動物とうを動かして演出している模様。そこにピアノに座っている陶器のうさぎの置物を置いて、ママがいつもしているように、ピアノ伴奏が舞台にあることも演出ミュージカルのステージが終わると、今度はタンバリン、マラカス、シンバルなど、子供用の楽器を置き、それらを代わる代わる自分で全部演奏して、まるで指揮者のようタンバリンをたたくときは特に時間をかけリズムをどんどん変化させて、手の動きも柔軟に変えまるで私がクライアントにした、音楽療法のセッションのようだったタンバリンを叩く手の使い方も、後で机を叩いて音読をチャントでしたときにも、指と手のひらの肉厚の部分を使い分けて音の質に変化をもたせ叩く場所を変え、音の変化を楽しむなにもんじゃー私の友人の宇宙人ピアニストのものの考え方の柔軟性は以前の日記で述べたとおりですが子育てについて話してみると決してずっと楽な環境でJrを育てられたわけではないのに「日々、息子と接すると、エネルギーが沸いてきたし、くる。面白い。」と、本当に楽しそうに言う。きっと、宇宙人パワーで、嫌なエネルギーを吸収しているに違いない!と冗談を言いながらいや、実に居心地の良い、面白い宇宙人ご家族パワーに漬かっていた一日でした。柔軟な考え方が、気持ちを楽にして、暮らしを楽しむキー・ポイントですねえ。
2010.05.14
コメント(0)
母はもう20年近く日本画に夢中である私が幼いときは、よく私と弟を公園に連れて行き、母はそこでスケッチをしていた私は絵が描くことはわりと器用にこなしていたが、「好き」という思い入れは無く、母が描いているまわりで弟と遊んでいた。ある大きな出来事によって、母は機械設計士をやめて、本格的に日本画に取り組みだした。そして、住んでいる地域では大きな賞を取るようになったので、今は毎年、上野の美術館に出展している。家の一番広い空間であるリヴィング・ルームを自分のアトリエにしてしまい日本画を描くことを楽しんでいる。彼女はひとから「その歳に見えない」と言われるといっていたが確かに娘の私から見ても、「その御歳」にはとても見えない。それは遺伝的要素の他に、確実に生活を楽しんでいるからだろう3年に一回の個展が近づいているので今は絵の具と絵が家中に氾濫「画伯」を連発してからかう私(ゴメンナサイときどき私も見入ってしまう絵ができあがるが、そんな生きている絵をたくさん生み出してね、ままごん
2010.05.10
コメント(0)
自分で自分の仕事に対する態度、思い、役割、を考えてみるときに「伸びる可能性のあるところを発見し、音楽療法や音楽と組み合わせた心理療法を使ってアプローチし、実際にある能力や技術を向上させる、ポテンシャル・デヴェロッパー:可能性開発者」というのが一番しっくりくるなーと思う。私が携わるひとびとは障がいや疾患を身体や心に負っているわけだが私の喜び、介入をする醍醐味は、障がいがある、なしに関らずこのこの埋もれた可能性を見つけて伸ばすところにあるのだ「人のために自分を犠牲にして」という感覚は無い。伸びる、と思っていた部分が自分のアプローチによって伸びた、改善した、向上した、という喜びこれが味わえるから、音楽療法をしている。この「伸びる可能性を促進する」ということは、実は、自分自身に対しても同じことである。いくつになっても新しいことを吸収したい。吸収した知識をもとに応用して自分の身につけたい。こうして自分がだんだん改善・向上してくるとむちゃくちゃ嬉しいのだこの「改善・向上するのを見る喜び」の醍醐味を知ると、そこに発達障害や精神疾患があろうとも、さほど関係が無くなってくるのだ。きっと、このアプローチで、今の問題が軽減される。。。こう思ったら即実行だ。そして成果を上げる。今まで障がいを患ったクライアントで、「可能性」が無かったひとは、ほとんどいない。みんな伸びる可能性を持っているのだと私は考えている。その伸びるスピードが遅かったり、手間が通常よりもかかるから、世間のあるひとびとは障がいを持ったひとたちを敬遠したりする。対応の仕方が分からない、というのも大きな原因である。それを説明することも、専門的に彼らに携わる、音楽療法士の重要な役割だ。「可能性開発者:Potential Developer」私はこの仕事の醍醐味を味わいたいために、また今日も学んでいます
2010.05.08
コメント(0)
20年来の旧友、自然に明るく前向き、人に優しく頼まれるとその人のためにできる限りをやってあげようとする常に笑顔のポジティブ・シンキングを持つ友人、売れっ子宇宙人ピアニスト宇宙人という表現は、通常の考えの中に埋没せず、私利私欲に囚われず、常に自由で暖かくて楽しんで人生を生きていてそれが成功して続いているから「不思議なひとだねー」という多くの魅了された人たちからの感想をひとことであらわしたもの本当に楽しそうにピアノを弾く姿は、大変まれであり、それを見るだけでも心が癒される彼女と話していると「別に何でもありなんだー。型にはまらなくてもいいんだー。」と気が楽になる。歌いながらタップをするJrと、運命的結びつきのご主人とタッグを組んで今日も彼女は笑顔でピアノを弾きますバレエ・ピアニスト、ジャズ・ピアニスト、シャンソン、そしてミュージカル、どんな曲もござれ、歌い手のキーに合わせて移調も楽々ご興味のあるかたは、下の公式ヴェブ・サイトからどうぞピアニスト アニエス晶子http://www2.gol.com/users/akota/
2010.05.05
コメント(0)
米国で就職活動をして、面接をいくつも受けて痛感したことは「この自分」であるからこそできること。仕事場で貢献できること。ということを明確に持って、雇用側にアピールすることが大切ということ。それは学歴だけでなく、自分のしてきた経験がいかに希望している職種に役立つか、技術、得意なもの、そして自分の生まれ持った血、アジア人の中の日本人であること、日本人独自の価値観、道徳観、文化的背景に支えられた教育などなど本当に本当に、自分の持っているもので仕事に役たちそうなものを分かりやすく相手に告げるのが必要なのだ。その経験を通して、いったい自分は何をしてきて、何が身についているのか、自身を持って自分を相手にお勧めすることができるのは何か、ということを良く考えるようになった。ライセンスは勿論だが、それに加えて、「独自のアイディア」というのがとても強い武器になる。そのアイディアは、相手が納得して受け入れられるものであると、それは自分の「売り」になる。まだ応用前の段階でも、応用可能性が感じられれば、それは立派な「Davinaと他人を区別する」ポイントとなる。Davinaだからできること。他の人は持ってないから、だからDavinaを呼ぼう。こうしてDavinaは、他の誰とも取り替えのきかない人材となるわけだ。ある一定の知識を入れた後、また可能ならば入れながら、要するに学校等で勉強して卒業してから、または勉強しながら別の技術・知識を自分に蓄えてそれが何年も何十年もたったときに、「この人の替えはいないからね。」とその存在を認められる。それは最低限の知識・技術と、その人ならではのアイディアの結晶なんだろうな。まわりの目、評価ばかりを気にして弱気になり時間を無駄に過ごしそうなとき、「自分の独自性の開発」に注目して、自分にいろいろオプションをつける努力をする。自分の興味あることを中心にね。そうしているうちに、世間の自分に対する評価を上げよう、のような自分の中心が無い価値観は消えてしまって、目標をひとつひとつ達成する自分に自信を持ち始め、人生の充実感を味わうようになる、と、私は信じています誰とも取り替えのきかない自分を自分自身で仕立てる。せっかくいただいた命だから、その可能性を最大限に生かしていこうよ
2010.04.30
コメント(0)
日本のテレビでひとびとの言うことや日々のつぶやきを聞いていて思ったことは日本のひとびとは、本当に周りの目を気にして考え、行動するのだなということ。例えば、ある有名な建築家がテレビで自説をくりひろげて締めるときに「世界でアジアでモデルになっていると思われるような日本でありたいです。(大意)」と言ったこと。世界でアジアでモデルでありたい、ではなくて、モデルになっていると思われたいって。。。その他、久しぶりに日本のテレビ番組を見て本当に驚いた。どうしてこんなに、周りの目を意識した発言が多く聞かれるのかなー?自分の意見は独立して発生するわけで、それを失礼の無いものいいをすることは大切だけど、周りに「こう見られる」って、自分の意見を言った後の反応であって、それが自分の意見に組み入れられているって、何?これも国外に出てみて初めて気がつくことなんだな。いつも周りの人々の意見が自分の意見に合う、というのは無理なことだし、それはコントロールの利かないところを心配する、という、無駄なことをしているわけだ。自分のコントロールの利くところはコントロールし、コントロールが利かないところはあきらめて放っておく。それが精神的衛生を保つ秘訣であることは、米国心理学者ウエイン博士の言うところ。世界のモデルになりたい、なろう。それでいいわけで、モデルになっていると思われたいって、モデルになりたい、とは違う話だ。他人への心遣いと、まわりからの批判を気にすることは別のこと。何をするにしろ、言うにしろ、反対する人、考えの人は必ずいる方が自然なのだから、もう、あまりまわりを気にしてものを言うのをやめようよ。知らない誰かを傷つける言葉遣いをしないように最低のマナーを守って、後は自分の意見を真摯に言えばいいじゃなーい。自分の人生に責任をとるのは自分しかいないのであって、反対意見を言う人ではないのだから
2010.04.29
コメント(0)
非言語媒体としての音楽と言語を組み合わせて使うことで、より治療のニーズへの対応の幅が広がるのだ、と考えている。特に、精神科領域で疾患を持つ人々へアプローチするのに、音楽的アプローチだけでは限界がある。なぜなら、人間は、言語でモノを具体的に考えるからだ。精神的に鬱屈している部分の開放は音楽が良いだろう。はっきりと分からないが、何かが心の奥でうずいているときに、まずその全体像を把握し、それをお日様の光で照らして、何なのかという作業をするときは音楽は効果的その後、核の部分、自分の持っているゆがんだ現実への認知を仕方を改善させるにおいて、は言語の方が良いだろう。それは、人間は「考える」からである。それを言葉に表すことにより、正確に何を「考えていた」かを確認し、もしそれが不健全にズレていた場合に、健全な考え方を新たに取り入れる必要がある。それには、言葉が必要だ。言葉で、新しい考えを頭の中に取り入れ、自分で自分をコントロールしていくのだ。例えば、こどもがトイレの後、手を洗わない、としよう。手を洗うことはばい菌が身体の中に入ることを防ぎ、健康でいるために必要なこと。それを音楽だけで指導するとしたらどうなるだろう?暗いメロディーと明るいメロディーで、洗う、洗わないの差を出して、体感させることも手だろう。これはClassical Conditioningになるかな。歌を作って、それを覚えてもらうのが子どもには良いだろう。そこには歌詞が入っているのが一番効果的だ。つまり言葉だ。ということで、認知行動療法と音楽療法の組み合わせが、精神疾患をもつひとびとへの介入として、とても良いと思っている。あと、ワーク・ショップを受講し、インターンがあり、その後に認知行動療法の認定が貰える。英語の流暢性が求められる。今まで、身体リハビリテーションと学習機能回復とを音楽療法で行ってきた。あとは、精神衛生領域を音楽療法と心理療法で取り組むことができれば、柔軟にクライエントとの要求に臨むことが可能になる。まだまだ道は長いが、納得しながら行こうと思う。これまでやってこれたから、これからだってできる、と自分を信じることにする。自分の夢にしたがっていこう。Follow the Dream!
2010.04.28
コメント(0)
Recently, I have had several small problems in daily life such as a slow process of obtaining a visa, a process of dealing with mice at house, undelivery of shipping letters important, and being between landlady's family members disfunctioned. Everything is not very serious to affect my life so far, however, these events make me gradually frustrated. What I am paying attention to cope with these problems is that I am trying to stay in balance mentally. Being out of balance leads to inappropriate thoughts and behavior. Poor behavior and thoughts stem from being out of balance. I am just be patient in solving a process of each problem step-by-step. Sometimes I am surprised at myself - Am I patient in that way when I was young? Have I changed? Yes, I have changed through a variety of experiences in a long-time study and staying abroad for my specialities. I have become to consider an problematic issue well before I draw a conclusion. When I see things going unpleasantly, I try to find each positive aspect on that matter. Here is an example: thanks to this event that actually I don't feel good, another benefit that I had not expected every before can occur and it makes things abundant. Avoind having a short temper. Short temper causes a problem and maks it worse mostly. The best way to solve a problem is that I recognise all the facts related to a problem, find the potential to improve, plan strategies for it, and deal with one another without hastily. Working on step-by-stey is most effective for solving any problems. In that situation,
2010.02.11
コメント(0)
Hi Mom, As I told you before, I started looking over the information about tours of Peince Edward Island where Anne lives in Green Gables . I found a couple of just-right tours via the website - "Anne Refreshingly Timeless" and "Discover Anne." The URL is in the following, http://search.tourismpei.com/package-deals/packages_2.php?pkg_id=1 Oops!!! You still can't review any websites at the Dad's PC... and I suppose that dad also has been awkward to use it, correct? Anyway, just believe in me, mom. I will take you to the Prince Edward Island and we will be enjoying imaging every scenery that Anne does in a book! I think that you are still afraid of taking a flight alone; therefore the best way to go the Prince Edward Island is that when I travel back to Japan to get a visa for re-entry to US, you will come with me. I will go on a vacation from work so I can directly go to Green Gables with you! But, mom, I have some restrictions...If I start to work at the FL hospital in March, I may be able to come back to Japan at the end of this year...and in a winter season, Canada is horribly chilly and all of above, tours are not held...their season is from May to October. As I am a new therapist, I assume that it may be not good to take holiday in this Summer when it will be only 6 months after starting to work. In addition, if I want to go to Japan and then Canada, it is necessary for me to work off for 3 weeks at least. Taking a visa in Japan may need for 1 to 2 weeks and staying Prince Edward Island may be 5 nights. Anyway, I will be back to Japan for a New Year, 2011, definetely. At that time, I will get a visa in the US embassy to re-enter the US, although I would already have a working visa, H1b at that time. Accordingly, we will go on a trip to Anne's place in spring, 2011 - if you can come, please plan to visit by the middle of June because of a low season! Fewer travellers and cheaper costs mean that we can grade up the accomodation rooms I am planning on staying first a cotage where is located in front of Anne's house for 3 nights. Then we will be moving another cotage where is near Lucy Maud Montgomery's. We'll see her house and grave, leading to getting knowledge of the background of Anne. Her caractor was like Anne according to the general information. I have heard that the Prince Edward Island is a small, tiny island. We may be going around all the sites where Anne lives and imagines for one or two days. But, mom, I think you will agree with me that you can draw pictures of all Green Gables sites, Avonlea Village, and Charlotte Town where appear in that story and you will get inspiration for your Japanese traditional pictures. We will spend time relaxed without any tight schedules. This story has been our common favorite for a loooooooooooooooong time, mom. I watched a TV program to cover "Anne of Green Gables" when I was 12 years old. Did you recommned to read it? I forgot. But, I remember that we agreed with each other how Anne's imaginations make us excited. You and I have entire seriese of Anne of Green Gables separatly. Is it funny, mom? While brawsing the internet to find Anne's trip, I felt like crying . I was kind of being in tears with pleasure , of course! Old memories with you were poping up in my head...we have had a variety kind of emotional conflicts when we were young. Yet, basically, we have connected each other through our sincere hearts I will use the money for this trip that you gave me your mom's legacy. I will be saving momey to pay out my a great amont of tuition and living expenses in three years as well! If you had used that money on your own, you would have gone on many trips around the world ! Seriously! So please be ready to visit Anne of Green Gables in 2011. Take care of yourself, stay healthy until we go to the Anne's imagination world together! Please, please, stay young, stay healthy, mom, please
2010.02.06
コメント(0)
Recently, I am really enjoying writing in English , especially while sending emails. This feeling like writing has increased last year; however, now it is becoming "desire" to do and I am enjoying writing by reviewing my writing again and again It is a very good sign... In a course of child development, when the child persistently wants to do something specific, he or she might acquire a specific skill in that situation by doing that repeatedly. Then, when the child already obtained that skill, he or she is going to move to another skill to get. This period is called, a "Critical Period" as many of you know. A Critical Period is limited and if the child misses that period, a specific skill is unable to be learned or possible to be learned to some extent, but it is not fully done like that skill acquired in a critical period. Of course, my case is exactly different from learning in a Critical Period. However, I am still thinking of the existence of reduced effects of a Critical Period. That is, when I want to do is best to learn Now I am being in that period. In other words, I am being in the process of acquiring English writing skill Since I decided studying at Graduate School in the US, I have been involved in developing writing skill in English regardless my feeling fun. However, currently, I am pleasure while writing in English. Mostly, I email in English to such as my attorney, my boy friend, and friends...including Japanese friends due to unavailability to type Japanese in my new PC. After I sent emails, I open my email just sent and check its structure sentences, word choice, the content... Oh! It is not common for me to do that with pleasure except for emailing my soul mate My writing skill as well as other English skills will be facilitated during this extra period before starting to work at the hospital, which I had not expected. It will last one month... This period might be a gift for work preparation; therefore I am trying to enjoy developing my skills necessary to do in Florida!
2010.02.03
コメント(0)
My English skills improved greatly in last fall when just entered the 5th year since I came to US. It makes me feel better in control of English skills, especially speaking and writing. This sense that I can take control of applying English to my daily life was the first since I started learning it. There were two factors to facilitate my language skills at that time - one was preparing and taking four oral interviews to get a job; the other listening to the CDs of Cognitive-Behavioral psychotherapy with pleasure. In the interviews, I was reuiqred to speak about my history, therapeutic techniques, ideas, contributions, coping skills to the interviewers, in which it was necessary to convince them that I am capable of becoming a rehabilitation/music therapist at that hospital. I thought many times during the interview, "Why do I explain the details about me having capacity? I sent my resume, please read it carefully!" This is inappropriate, especially in the US. Talking to convince people is more important than showing written documents, which is extreamely different from in Japan. In my 4th interview, I was getting to used to speak to interviewers about myself and my knowledge. It was best among four interviews. Another big factor to improve my English skills was that I listened to the lecture CDs of Rational Living Therapy to obtain a Level Three certificate. Dr. Pacci speaks through 13 CDs as communicating with attendees, which provided me with some ideas. His way of speaking is fluent like flow of water based on his loving characteristics. I really enjoyed listening to them. I remember that I felt at ease during listening to his lecture and thought, "Oh, I can speak English like this way. Speaking English is not difficult and tough! It is OK with me to speak with relax." A good example of speaking can give you an idea how to speak naturally and get rid of tense unnecessary for speaking. Consequently, I reached simply answers to improve the English skills that people know commonly that, 1) To speak, explain, or try to convince audience in English. - We can do in joining a Toastmasters Club which is a public speech group around the world (over 80 countries) or a debate class. 2) To listen to English CDs or radio programs or movies you like. Conversational one is best, I think. I think my way of improving the English skills is slower than others. However, I have improved to communicate with English speakers year by year. Never give up! Please use all your sense with pleasure while learning language. English is not study. It is a communication tool. Why do you speak Japanese? Because you want to commuicate with people in Japan to live! English is the same. We want to communicate with people in the world.
2010.02.01
コメント(0)
" I have small surprise." After having food and sake in a Japanese bar together, he told me and took me to somewhere by driving a car. We spent time together after 20 days...only 20 days; however, this period had seemed to be "our lost 20 days." We resumed without any problems due to no sense of permanent separation. The car was going forward and stopped in front of a house made of special stones. "Are we going to church?" I asked. "No." He answered as looking at the other side of the road. "Look, there is a board, saying...historic...? I can't read it." "Just take a look!" He went out of the car. I followed him to the stone building. My eyes tried to read the board. "Historic...Bed & Breakfast!" When I looked at him, he smiled and kept going on into the house. I understood everything...He really missed our lost period. Yes, we had a kind of 'test' on our relationship. It seemed to be broken but it wasn't. The building was built in 1889. A small but pretty traditional house. It mixed between European and American taste. He was serious about our relationship. I believed it at that time. We confessed that both of us had not believed to lose our tie during 'the lost 20 days.' Yes, this surprise gift proves as he is. I remember when he gave me a surprise by taking me to the Edwards House which was pretty B & B as well. He found the Edwards House where was near my church after having dinner and taking a walk and said, "Hey, what is this house?" I answered, "I don't know...I am always wandering what this house is. It may be a restaurant?" He replied to me, "Let's take a look by getting into it!" He went proceed to that house and I followed. He went up the stairs towards the third floor and opened a certain room. "It is not good...someone will come and find us...sneaking into here!" "That's OK." He answered. I started to be concerned about him...does he get used to sneak into the unknown place? Is his hobby? The room that we entered had a stair. A bottle of wine was in a basket on the small table beside of the stair. "Someone made a reservation with this room!" We talked. Finally we reached a room where was a top of that house. I was just nervous about getting into the place where we sneaked into. Therefore, I said Let's go out soon. Somebody will be coming to this B& B room." I was rushing. He said, " We don't need to do that." and took a key to show me...which was the key this room! Surprise gift from him. He is the person who has such an idea. He is skilled in many areas including language, sports, writing, etc. Therefore, sometimes he demonstrates very difference from others. That part makes me confused and embarrassed, actually. Yet, that is him. That's why he is attractive to me. Anyway, we got back to the original place where is comfortable with each other - and will be getting along with each other for the future, although we have no idea when it ends or never ends. This pain that we had experienced for 20 days could facilitate to last our bond for not short period, even though we will have a long distance relationship soon.
2010.01.30
コメント(0)
外国人がとても少ないフロリダで(アジア人3%)州立病院から採用の電話を貰ったとき一番重要なこととして、H1b、ワーキング・ヴィザの確認をした。「ああ、中国からのセラピストを雇っていてこちらは経験があるから大丈夫よ~。」採用の電話を貰った時点で、私のOPT VISA、ワーク・エクスペリエンス・ヴィサは期限切れ1週間後になっていたので、ほっと胸をなでおろした。間に合った~合法的に、期限か過ぎて2ヶ月間は滞在できるが、運転免許証などは更新できない。でも雇用先が決まれば、ワーキング・ヴィザへの手続きに移行できるので、十分な期間だ。そんなこんなで安心して相手方の雇用詳細を待っていたのだが。。。採用電話後、10日たってH1bの書類について問い合わせをしてみると。。。「え、なにそれ?H1bに応募してないわよ。」何人かと話してみるも、皆、よく分かってないらしい。なので、こちらで知り合い伝いに評判の良い弁護士さんを紹介してもらって、メールで情報を得た。応募の準備に2,3週間、そして特急経路でヴィザを取得すれば、それから2週間。私がアメリカに合法的に滞在できる期限ぎりぎり一杯だなんかあまりにもすんなりとヴィザのことが運んでいるように見えてたので、「アメリカ人のしかも州立のしかも外国人を雇いなれていないところなのに、すごいな~。」なんて思っていたらやっぱり違った。。。こんなときは、まずしなければいけない手当てを可能な限りの方向からできるだけ早くするに限る。相手を責めていても時間の無駄。相手も認めないしね。そんなこんなで、首の皮一枚でつながることができる模様。もしつなぎが上手くいかなかったら、日本に一旦帰らなければ行けない。そうすると何が面倒か、というと、荷物を全部一旦、日本に送り返さなければいけないのだ。車も処分しなければならない。そして、ヴィザが降りて再びアメリカに入国時に、もう一度送りなおし、買いなおさなければならない。良かった~~~音楽療法に関してはいつも上手くいくのだが、今回もその一例になった。そんなこんなで、私は楽しく暮らしています
2010.01.22
コメント(2)
フロリダ州立病院のひとつに、Rehabilitation Therapistとしての職を得た 音楽療法だけでは無く、他のプログラムも患者さんに提供する。私の場合は、病院のプログラムのほかに、認知行動療法のトリートメント・プランをたてるつもり アメリカに留学しに来て4年半。1ヶ月の語学学校での英語の準備の後、院で入学した。しかし音楽療法の学位を持っていなかったので、40単位ほど学部のクラスを院のクラスのほかにとった。修士論文の実験部分ができずにもたつき、その分卒業が遅れた。 そしてインターン・シップが終了後、4つの州立病院の面接を受けたが、州立病院のプロセスの遅さに半年、それで全部で4年半だ。 音楽療法のために勉強を始めたのが、1997年だった。私の母校、女子大(私のときは短大)で、音楽療法のクラスの聴講を始め、ある私立大学の通信教育学部で哲学、心理学を学び始めた。とにかく音楽療法を始めるために、働きながら、一人暮らしをしながらできるものを選んだ。 そのうち、大学の通信教育過程での勉強にはまりだした。面白い。短大のお嬢さん学校を遊んで卒業した私は、人生初の学問の面白さに目覚めた。 通信教育で学ぶ大学の講義は大変だった。留学よりも大変なのではないかと思う。何が大変か。それは、誰も教えてくれず、2次元のテキスト内容を3次元にして頭の中に詰め込まなければならないことだった。 私は最初の短大で音楽科だったので、大学のテキストの内容は、たいていは知らないことばかり。なので、ひとつのテキストに対し、文献を5冊ほど読み、4000字ほどのレポートを書いて提出する。そのレポートがC以上であれば試験を受け、C以上で合格となり2単位なり4単位なりを取得する。 毎月ひとつテストが受けられることを目標とした。弾く仕事は週末、教えの仕事は平日の午後からだったので、平日の午前中と、週末の弾く仕事の空き時間に、喫茶店等で勉強した。 そうして卒業最終年度を通学して、通学過程の学生と共に学び、卒業論文を書くというプログラムの試験にパスして1年間、大学に通った。学生はとても頭が切れて、でも情操教育もしっかりできており、とても良い環境の中で勉強ができた。 その1年間で得た重要な宝物がふたつ。ひとつはそこで出会った心理学と精神科医の教授たち、もうひとつはそこで知り合った女子学生さんだ。今でも交流があることは、私にとって大きな財産だ。 それから、リズムがどうしても追求したかった私はそれがキー・コンセプトのコロラドの大学院へ留学しに来た。リズムを勉強する前に、英語の理解が大変で、生活の95%は勉強していたと思う。 そしてカリフォルニアの州立病院へインターン・シップに行く。違う人種構成、人々の雰囲気だった。州立病院のプログラムの面白さはそこで学んだ。音楽療法だけでは無い、患者さんたちに対するいろいろなトリートメントは、私の性に合っていると思った。 それから5ヶ月たって、フロリダ州立病院へ雇用決定。音楽療法と認知行動療法のコンビを患者さんに提供予定である。 音楽療法を仕事にしたいと思って、13年目。これでやっと独り立ちだ 35歳を過ぎてからの留学もやってしまえばできるものであるそれは一歩一歩、夢の位置を確かめながら来たからできたのであり、完全燃焼してきたからだ、と私は信じている
2010.01.12
コメント(0)
「あの人、成功しなければいいのに。。。」という思考方法が自然についているということは それが自分にも向かうのだ、つまり「自分、成功しなければいいのに。。。成功しっこないよ!」と無意識のうちに、自分にも語りかける可能性がとても高いのだ、と私は信じている。 昔読んだ日本語の心理学関係の本に「あの人、成功しなければいいのに。。。」と思うと、そのうち主語「あの人」が落ちるのだ、だから結果的に自分のことを呪うような言葉になるのだ、と書いてあったのをはっきりと覚えているせいかもしれない。 昨年の私のインターン・シップ先で、「あれ、この人って私が成功しないように、私が失敗することを望んでいるのかしら?」と何人かの人たちに対して痛感したのを覚えている。 これは私が今までほとんど経験したことのない感覚だった。意地悪される、とは違う感覚だ。 言葉や態度の端々にそういうのが見える、と思った。 そして、その人たちの特徴として、「いかに自分はすごいか、優れているか、素晴らしいか、周りの人たちが注目して褒め言葉をくれるか。」と私にアピールするのである。 彼らはそれなりに能力も魅力もあった。そんな売り込みを本人から聞かなくても、私はそれらの長所を認めていた。まあ、別に彼らに対して一生涯かけた友人になりたいという興味もなかったが。 彼らが宣伝すればするほど、そんなに大宣伝するほど飛びぬけているか?と心では思っていたが。。。 今までの経験からいうと、認められたいけど認められない、という欲求不満が溜まっているひとは、そのように自分の偉大さを他人に言いたがる。 私も若いときはそんなときがあった。自分が認められなくて惨めな感覚があるから、余計に、自分がいかに特別に他人に扱ってもらったことがあるかを宣伝するのである。 今の私は、体内のエネルギーは自分の目標や日々の努力で完全燃焼しているので、全く持って自己宣伝するは失せてしまった。 加えて、私を本当に理解してくれて、良さを認めてくれる数少ない友人などがいるから、別に関係の薄いひとたちに向かって、自分の長所をことさら強調する必要など無い。 彼らは不幸だったんだろう。確かに内情を聞くと大変そうだった。最初は一生懸命励ましたりもしたけれど、そのうち、その感情の不安定さや、物事の悪い点ばかりを探し出して力説するのを聞いているのに疲れてしまった。 多分、私が味方で無くなったので、彼らの物事へのネガディブな価値観が私に向いてきたのだろう。 ある人からは、私の両親の懐具合まで心配されてしまった 他人の不幸を何の不快感も無く願えるのは、ずっと精神的にすさんだ環境にいたからかもしれない。 でも他人の不幸を望む気持ちは誰にでも起こりうるものだ。特に自分が不幸だと感じているとき。。。 私は無理でも、もし(これは難しいだろうなあ。)と思うような話を友人がしてきたときでも、なるべく「可能性があるよ。」と言うようにしている。 他人の不幸を望むような発言を避けるため、他人の不幸を望む心を作り出すのを避けるため、そして、自分に「成功するな、不幸になれ。」というコマンドを出さないようにするためである。 また今まで多くの「そんなの無理よ。」という言葉でがっかりしたり、そのネガティブな助言に従って前向きな選択をしなかっ後悔を私に話しをしている人に経験してもらいたくないから。 あの一連のひとびとは、まるで手塚治虫の漫画「火の鳥」のある星へ行ったときの経験みたいだった。その星は「他人の不幸を願う人々」の星であった。。。みないな思い出。 蛇足だが、示唆にとんだ漫画とはこういうものかもしれないね。ある経験を客観的に見れるきっかけを植えつけてくれる、という意味で。 他人の幸せを願うことばを心の中に響かせていれば、それは無意識のうちに自分を応援していることになり、自分の潜在意識に前向きな価値観、未来観を植えつける。 そしてそれが、自分を目標へ押し上げていくのである。
2010.01.11
コメント(19)
1月6日に起こった、日本の昭南丸号と、Sea Sheperd(シー・シェパード)のギル船との小競り合い、そして衝突が起こった。 http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8442808.stm http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8445504.stm シー・シェパード側は、「鯨救出戦争だ!」と言っている。正義の味方なのだ。 私は捕鯨問題をCultural difference、文化的価値観の相違からくるものだと捉えている。鯨を食べる文化的価値観と、鯨を見て平和のシンボルだと楽しむ文化的価値観 最初にこの捕鯨問題を身近に実感したのは、2003年に友人を訪ねてアイルランドへ行ったときのこと。 アイルランド人の友人の親戚の家にお邪魔した。そのときに親戚の一人の男性が「日本人は鯨を食べるんでしょ?」と言って笑った。その場にいた他の親戚の人たちも一緒に笑ったのを見て、友人はビックリした顔をしていたが。。。 そのときは(鯨を食べることが何で悪いの?)と思っただけだが、それをきっかけに捕鯨問題に関して注意をするようになった。 今年の夏にインターンが終って、今まで見なかったテレビを観るようになった。サイエンス・チャンネルが好きで良く観ていたのだが、プログラムが終ると、その合い間に”Whale War"のTVプログラムの宣伝が頻繁に入った。 アニマル・チャンネルで放映するはずなのに、サイエンス・チャンネルでの宣伝。それも、ある日本人科学者がサイエンス・チャンネルのホスト役をしていて、彼が画面に登場した後に”Whale War"のコマーシャルが入るのだ。 コマーシャルの内容は日本人にとって不快なものだ。シー・シェパードは鯨を救うヒーローで、鯨を殺す日本人は悪魔と一方的に描かれている。 そのテレビの影響だろうか。9月ごろ、聖歌隊の練習の後皆で行ったパブで、私の一番親しい教会の音楽ディレクターが、笑いをとろうと鯨のことを言った。 「日本人は鯨を食べるから。。。」皆がそれを聞いて笑ったが、それが悪意でないことは私には分っていた。しかし、テレビで不快な思いをしていて丁度いろいろと捕鯨に関するニュースをウェブで読んでいたので、私は本気で反論した。 「鯨を食べるのは、日本人にとって1000年にも及ぶ歴史があるものなの。それを職業としている人々がいるの。それを簡単につぶすことはできないでしょう。 絶滅しそうなら、日本人は鯨を食べるのを止めるべきだと思う。だけどニュースによると、逆に増えているという話もきくの(これは日本のウェブで読んだ)。 個体数調査のために日本の調査船がでているけど、それはアメリカ人科学者のサポートもあって、実際とても必要とされている調査なの(これはBBC web News. 2009年の初夏当たりに読んだ。) 実際に商業捕鯨を止めて調査捕鯨に切り替えた今の方が、鯨をより殺しているというアメリカの学者もいるのよ(上記と同じBBC News) あなたたちは牛を習慣として食べるでしょう?同じことなのよ。」 一人の元エンジニアの男性が私の英語のヘルプをしながらこの話を皆にしたのだが、皆黙って聞いていた。 そう、食は文化なのだ。生魚を食べる文化、牛や豚を食べる文化、バッファローを食べる文化(米国)、うさぎを食べる文化(フランス)、犬を食べる文化(韓国)、猿の脳みそを食べる文化(中国)、牛を食べない文化(インド)、豚を食べない文化(イスラム教徒)等々。。。 それと一緒で、鯨を食べるのは日本人の長い歴史的文化なのだ。江戸時代などでは、鯨は貴重な蛋白源だったと伝えられている。 それが、鯨を食べない、そして平和のシンボルとしてみて楽しむ文化の人々が嫌悪感を抱くのは自然といえば自然 例えばランチ(馬を育てて売る牧場)で育ったアメリカ人の友人は「日本では馬刺しといって、馬の肉を食べる人もいるのよ。」と言うと、「えっ。。。それはちょっと僕にはダメだ。。。」と言っていた。当然といえば当然である。 しかし!自分たちの文化的価値観を他国の違う価値観を持つ人々に無理強いするのは正しいこと?いいえ、間違っている。 文化的価値観が違うのは、違う人種、国土、自然的条件、宗教、すべてのことが絡んでくる複雑な問題で、それを自分たちの価値観と違うから間違っている!というのは、全く現実や事実を無視した考えだ。 しかし海外で長く生活をしたことのある人は理解していると思うが、このシー・シェパードのような現実を把握しないで、相手の違う立場を考慮しないで(できないで)、ひとつの特徴だけ取り上げて非難し、自分たちの主張と正しいとし、それを押し通そうとする人々ややり方は、かなり普通に行われるのだ。 国内の日本人同士だと「そんな不合理なこと、非常識なこと、馬鹿なことやって、恥ずかしくないのかね。常識ってものが無いかい?そんなの誰も認めないよ。」で、受け流していれば済むのだけれど 海外で出会うこうした近視眼的人々は、自分たちの主張を唱え続け、合理的に(見えるように)理論付けをして、他の人々に訴える仕方を知っている。 すると、それに人々が賛同してくるのだ。「こんなに頑張って。。。そうだ、鯨のような平和な動物を殺して食べるなんてひどい。。。日本人はひどい奴らだな~。シー・シェパードはそんな極悪非道な奴らと戦っているのか!」 メディアに血まみれの鯨の写真、鯨の血まみれの肉を解体している日本人、そしてそれを居酒屋で食べる日本人。。。BBC Newsで私は全部見た。 BBC Newsでさえも、秋に"Killer"と日本人のことを表現していた。調査船にResearchという文字と並列して「嘘」という漢字も載せていた。BBCの論調は、常にNatural Activistsたちの肩を持っているようす。 CNNは、最初の7日に載ったニュースは、両方の立場をなるべく同等に記述しているように読めた。ただ、それでも印象として6対4、シー・シェパードの方に気持ち傾いている様子。 "South Park"というアメリカの辛口アニメは、10月にこの日本人の捕鯨に関する回を放映、日本人は完璧殺し屋。水族館のイルカ・シャチなどのショーの途中に祭りの格好をした日本人男性たちがなだれ込み、それらを殺し、また去っていくという内容。プールが血の海になって、子どもが泣き出す、という設定。。。 日本人の常識は通用しないのだ。無視すればいつかはわかるだろう、レベルの低いやつらだね~、という態度をとっていても相手には通じない。それは日本人同士では伝わるけれど、それ以外の人には伝わらない。 私としては、政府のスポークス・マンに世界に向かって日本人の捕鯨に関する正当性を英語で主張してもらいたい。 我々の文化的捕鯨の背景の説明、文化的価値観の相違を分ってもらうような丁寧な説明、1986年に商業捕鯨をやめ、他の国と議論を通して決定した調査船の法に則った正当性の説明、今回のシー・シェパード側の危険な日本船航行の妨害方法を科学的根拠を持て説明すること。。。 シー・シェパードはすでにオランダで日本側を告訴した。日本側もすぐにこちらの正当性をメディアを通して主張すべきだ。 主張しなければ、やましいことがあって、相手の言い分が正しいと通ってしまうこともある世界なのだ。主張するというと「声を張り上げて」という意味が含まれると日本人はとらえがちだが、穏やかに、でも分りやすく明確に事実の基づいてこちらの言い分を伝えるのだ。 これから本気で主張していかないと、もうすでに世界の多くの意見が日本人は鯨を殺す殺し屋だ、となっている流れにのまれてしまい、とても不利益を被ると思う。。。 西洋人の狩猟は殺すことを楽しむものだけど、日本人の捕鯨は生きるために殺していたのだ。それが今では文化になっているのだ。 ニュージーランド政府が前面的に捕鯨に反対しているという。政府でさえも、文化的価値観の相違が分らず尊敬できず、あんな野蛮な仕方で日本船を翻弄するシー・シェパードをそのままにしているなんて。。。 日本は、相手がどんなに荒い手を使ってきても、その都度、冷静にこちらの正当性を主張してほしい。沈黙しないで。 しかし今回のシー・シェパードの告訴までの迅速さ、たった2日、彼らはもともとシナリオを書いていたのかもね。派手にパフォーマンスして、世界にアピールして、お金まで取ろうとする。。。日本の関係者は上手い戦略を考えて下さいね~。
2010.01.09
コメント(0)
合理的生活療法(Rational Living Therapy)の創立者アルド・パッシ(Aldo Pucci)は、著書"Feel the Way You Want to Feel...NO MATTER WHAT”の中で、こう書いています。 ”もし私が、ひとつだけしか思考エラー(The Common Mental Mistakes)を皆さんにご紹介できないとしたら、 思考エラー「必要」と「欲求」の混乱、を選ぶでしょうね。 これは他の思考エラーよりもずっと重要なんです。” ということで、新年第一弾の思考エラーのConfusing Needs with Wnatsを概観していきましょう。 11. Confusing Needs with Wants(「必要」と「欲求」の混乱) 皆さん、この思考エラーに注目してください。 合理的生活療法(Rational Living Therapy)では、絶対的必要と欲求をはっきりと区別しています。 私たちが考える「絶対的必要」は、生命維持に関する必要性を指摘しています。 それは、空気、食物、水、十分な熱、そして時に必要となる薬です。 これ以外のものは全て、「欲求」です。 もし私たちが間違って「単なる欲求」を「絶対的必要」と考えてしまったら、私たちはまるで空気や水が得られないのと同じようなひどい感情を持ってしまうでしょう。 人々が典型的に混同してしまう、本当は「欲求」のはずの絶対的必要の例を挙げてみましょう。 (1) 他人からの愛情(2) 尊敬(3) 注目(4) 自信(5) 一定レベルの容姿(6) 目立つ仕事(7) 箔のある学歴(8) 皆から好かれること(9) 物事を自分の思うようにすること(10) 新車(11) 他人から丁寧に扱われること(12) 心の平安(13) 完全な健康(14) 優れた業績(15) 完璧さ(16) 特別な人間、またはその集団の一人であること i) 「絶対的必要」宣言は、「不安」や「怒り」の原因 「絶対的必要」宣言は、ときに「不安」や「パニック」を引き起こします。 こんな例だと分りやすいでしょう。もしあなたが小さい部屋に閉じ込められ、5分後には部屋の空気が取り除かれると知っているとしましょう。あなたはパニックになり、そして極度の不安を持つはずです。なぜか? それはあなたが、空気が生きるために必要だと知っているからです。 それと対照的な例も挙げましょう。もしあなたがスーパーに、お気に入りのパンを買いに行ったとします。そのパンは売り切れでありませんでした。あなたはパニックになりますか?なりませんよね。 それはあなたが、そのパンを「欲しい」からです。生命維持のために絶対に必要なのではないからです。 ときに「絶対的必要」宣言は、怒りを生み出します。 例えば、あなたが小さい部屋に居るとします。5分後には部屋の空気が抜かれることが分っています。しかし今回は、この部屋を出ることは簡単にできます。ところが!私があなたが部屋から出ることを邪魔して出れないようにします。あなたはどうなりますか? どんなにあなたが私のことを好きだったとしても、あなたは私にとても怒りを感じますね。なぜ? それは私があなたをあるものから遠ざけているからです。。。それは絶対的に必要な空気です! 「絶対的必要」か「欲求」かを見定める方法としてこんな質問をしてみると良いでしょう。 どのくらい私はこれがなくて死なないだろう・生きていけるだろう? 空気や水や食べものに関しては、だいたいのところを私たちは知っています。 じゃあ、新しい車や家は?恋人は?または人々からの尊敬は? これらは私たちを殺さないことに注意してください。 もし人が自殺を図ったら、あるものがその人を殺すのではなくて その人自身がその人を殺すのです。 条件的必要宣言 「愛」は絶対的必要でしょうか? 愛の定義は何でしょう?水や空気と違い、いろいろな定義があることでしょう。 例えば一般的な条件的定義として、以下の条件が言われますよね。「もし人があなたを愛すると、抱きしめ、キスをし、愛しているよと言い、あなたが落ち込んでいるときに励ましてくれる、当等。。。」 これらの条件や要素は「欲求」であって「絶対的必要」ではないですね。つまり、無くても死なないわけです。 しかしあるニュースで、孤児院で赤ちゃんが死亡した、とありました。その原因は「愛の欠如」とされていました。 しかしこれは、身体的接触不足から起きたと考えられます(もし食事等がちゃんと与えられていたとしたら)。 愛があっても、身体が動かくて世話ができなかったら赤ちゃんは死んでしまいます。 全ての人は、空気、水、食物が絶対必要です。 しかし全ての人が、恋愛、愛情、注目が欲しいわけでは無いのです。 自分の「絶対的必要」と「欲求」を上手に区別し、余計な不安、怒り、そしてパニックを心の中に起こさないようにしましょう。それが精神的健康を保つことになるのです。 最期になりましたが、今まで見てきた思考エラーを今日の分を含めおさらいして、お仕舞いにしたいと思います。(1) All-or-None Thinking:白黒のみの判断 (2) Overgeneralization:過度の一般化 (3) Mental Filter:思考フィルター (4) Discounting the Positive:長所の減点 (5) Jumping to Conclusions:根拠無き結論i) Mind Reading:読心 ii) Fortune Telling:運勢占い (6) Magnification:極端な拡大 (7) Emotional Reasoning:感情的推理 (8) Irrational Labeling:不合理なレッテル貼り (9) Personalization and Blame:個人化と非難 (10) Irrational "Should" Statements:不合理な「すべき」宣言 (11) Confusing Needs with Wants:絶対的必要と欲求の混同 皆さま、穏やかな毎日を
2010.01.08
コメント(0)
私の母は日本画家です 昨年の秋に、有名な日本画の雑誌の表紙を飾りました。 プロの日本画家の5人のうちの一人に選ばれるというかなりな快挙 選ばれた何人かの一人として彼女の絵が採用されたのです 私がこの受賞で母を尊敬した一番の大きな理由は、 彼女が年齢も学歴も言い訳にせず、 それを乗り越えてプロとしての賞を堂々と勝ち取ったこと。 彼女はもともと機械設計士でした。 それを55歳の時にやめました。 「好きなことをしないで死ぬわけにはいかないわ!」 友人の他界でかなりのショックを受け、その結論のひとつがそれだったわけです。 もともと絵を描くのは大好きなひと よく子どものころ、母に私と弟が連れられ、 公園にスケッチにいったものでした。 絵を描くことに何の喜びも感じなかった私たちとは違い 彼女は一生懸命、風景や花を描いていました。 そして55歳から始めた日本画。。。 芸大やその他の箔のある学歴の人たちの中に混じって 専門学校の学歴しかない彼女は 「通信大学で美術の学位を取ろうかと思ったけど、フランス語をしなくちゃいけないの。 それはちょっと無理だわ。。。」 でもあまり学歴も年齢も気にしていない様子 そのうち地元の市では、常に1等を取るようになり 先生を変えて、上野の展覧会に毎年出品するようになりました。 ずっと「入選」で毎年壁に飾られましたが それでもなかなか大変なこと。 私も彼女の絵に対して自分の感じたことをたまに伝えていました。 「あなたの指摘、鋭いわねって、絵の先生が言っていたわよ。」 私も絵を描くのは得意。でも母と違って、全然楽しめない。 だって、いろいろな違った色が見えるでしょ。そしてそれを全部絵の具で紙に再現しなくちゃいけないでしょ。 。。。疲れるのだもん。。。 私が観ていたときは、つまり留学前は、全体の20%くらいが良くできていて、残りは ただ彼女が良い絵を描いたときは、 その絵がとても生きているのね。 息遣いが見える、例えば蓮の花ならば、花の体温が絵から伝わってくる。 一番最初の作品がそうだったので この人、案外行けるかもしれないって思ったのを覚えているのです。 彼女の画風はとても柔らかい色合いのもの 今回の雑誌に代だい載っていた絵は母の画風とは異なるもの その雑誌の流派とは異質なもの それでも彼女は選ばれたのです 日本画を始めて10年以上が経過 もうすぐ70歳になろうとしているのに 年齢も学歴も言い訳にせず 諦めず ただただ「好きなの、楽しいのよ。」と描き続ける母 私の留学で、本来ならもっとお金を使いたいところを多分我慢しているとは容易く想像できるけど そんなこと、一言も私には言ったことは無い。 日本画はとても画材にお金がかかるのに 多分節約して、それでも描いて、今回の名誉ある受賞につなげた母は よく言えばポジティブ人間、悪く言えば能天気 そんな母の「好きでしてきた努力」が実って 私はそんな母を誇りに思う そのうちインターネットで母の絵を日米両語で紹介するつもりです 「もう年だからできない。」とか 「学歴が無いから無理だわ。」とか 言い訳にしなくてもいいよね。 ばんざーい、ままごん。 これからも楽しんで素敵な絵を描いてね
2010.01.06
コメント(0)
新年になって、皆さまはいかがお過ごしですか? 母方の祖母がクリスマス直前に亡くなったので、こうしてご挨拶の言葉は控えています。 アメリカに留学して4年半(!)が経過しました。海外にいると、結婚式はともかくとしてお葬式に参加できないのが、悔しいことのひとつ。 親には帰国まで、何ごともないことを祈るばかり。 さて、毎年私は新年の抱負を決めて常にそれをテーマとして1年を過ごすようしています 昨年は[Intergration/Organization]でしたけど、良く頭に思い浮かべていました。実績は70%くらいかな。。。Intergrationをするように努力したけれど、Organizationがまだ未完成です。 今年は、今まで自分で蓄えた知識を再編成して独自のプログラムをつくりたいのです。 だから 「Uniqueness:独自性」 これを常に頭に入れておこうと決めました。 沢山の人が同じことをしている社会で じゃあ、自分の存在価値って一体なに? て思うときがありました。 例えばクラシックのピアノ弾き ずーと昔から、特に有名な曲などは弾きつくされ ピアノのリサイタルをしますと曲目を見ると、ベートーベン、バッハ、ラフマニノフなど、 「またか~」と思うときがあるのは、私の本音 皆なプロもアマチュアも弾いている有名な曲目たちたち。。。 写真みて(う、つまらなそう。。。)と思ったときに あれ、なんでつまらなそう、って思うんだろう?って自分つっこみをしたのです。 その反面、突然現れたピアニストの曲目を見て もちろん有名な使い古された曲が並ぶのですが (わー、聴いてみたい) と感じる自分もいる。 何が違うのか? これは、このピアニストなら「独自の」解釈・技術で弾き古された有名な曲を この人の「独自」の色で弾いてくれるだろうな どんな風にどんな味で弾くのだろう と思うから面白そう、って思うのですよね。 反対に(つまらなそう)というのは、弾き手本人の色がついてなく ただ譜面を上手に弾いた演奏 無表情の演奏 を想像するから(つまらなそう)と感じるのだ、と考えることがありました。 私の勉強・実践した音楽療法も、沢山の人がしています。 認知行動療法もしかり。 でも日本人Davinaは、たった一人しかこの世界にいないわけですから 独自のやり方、表現の仕方があって当然 なので、今までの膨大な学習内容を上手に構成し Davina独自の療法プログラムをつくりだすつもり アメリカで就職するか、日本で起業するか、 それは神さまのご意志ということで。。。 今年一年も、Positive View of Lifeとともに進んでいきま~す。 皆さまにとっても充実した1年でありますように
2010.01.04
コメント(0)
この「Irrational Should Statements:不合理な”すべき”宣言」は大変使い勝手が便利で、Rational Living Therapy(合理的生活療法)が指摘する思考エラーを形成する上位の要素となっています。この「”すべき”宣言」には、2つの側面があります。ひとつはMoralistic Use of Should:倫理的な”するべき”使用、そしてMagical Aspect of Should:魔術的な”するべき”の側面です。さて、10番目のThe Common Mental Mistakes:思考エラーを見ていく前に、今までの思考エラーのおさらい9. Personalization and Blame:個人化とそれに基づいた非難8. Irrational Labeling:不適切なレッテル貼り7. Emotional Reasoning:感情に左右された推理6. Magnification:極端な拡大解釈5. Jumping to Conclusions:無根拠に基づく結論 1) Mind Reading:読心 2) Fortune Telling:運命占い4. Discounting the Positive:長所の減点3. Mental Filter:思考フィルター2. Overgeneralization:極端な一般化1. All-or-None Thinking:白黒のみの判断10.Irrational "Should" Statements:不合理な「すべき」宣言「不合理な”すべき”宣言」は、怒りと罪悪感を生み出します。私たちが誰かに、または何かに対して怒りを感じたとき、「あなたはそうすべきでしょう!」とか、「あれはそうすべきだ!」のような反応をその対象に向けてするでしょう?もしそれが外の対象ではなく、内へ向かったら、すなわち自分自身に向けられたら、それは「罪悪感」になります。あなたは自分に対して怒りを感じるわけです。この「すべき」という断定思考は、次の2つの点で不合理・不適切なものです。ひとつは、もし「すべき」思考が倫理的・道徳的要求、命令、そして規則になった場合です。そしてもうひとつは「すべき」思考が魔術的な信念を表したときです。1) Moralistic Use of Should:教訓的な「すべき」使用多くの人たちは「すべき」という言葉を規律、要求、または命令として使います。「夫はごみを捨てるべきだわ。」「妻は洗濯をすべきだ。」「子どもは両親を尊敬しなければだめだ。」「盗みをしてはならない。」これらの「すべき」宣言は、たいてい絶対的規律で、もしその規律を破れば悲惨な結果が待っている、と予想されます。多くの「すべき」は社会的ルールです。これがあることにより社会が混乱を避け秩序を保てるのです。しかしながら、多くの社会的ルールは事実に基づかず、単純に作られて盲目的に従わざるを得ないことが多く起こります。例えば。。。患者「私はとても自分自身が怠惰に感じるの。そして残りの時間、何も意味あることができるように思わないの。。。」カウンセラー「どうしてですか?」患者「食事の後、すぐにお皿を洗わなかったから。。。」カウンセラー「何故、食後お皿を洗わないと、その後何も意味があることがなくなってしまうの?」患者「だって、食後にお皿をすぐに洗うべきだから。。。」カウンセラー「誰かが言ったのですか?」患者「母にそう躾けられたので。。。また、皆なしています。」カウンセラー「お皿を食後すぐに洗うことの利点は、雑用を片付けてしまい、その後の時間を有効に使えるからですよね。」「また、ずっとお皿を洗わずにためておくと、食事をするときに綺麗なお皿が使えない。お皿を買うお金もない。だからお皿をすぐ洗って使える状態にしておくわけです。」「でもあなたは、お皿をすぐに洗わないとその日はずっと何も良いことが無いと言っていますね。」「それはお皿を食後すぐに洗わないと起こる不利益とは、ちょっと別の話になってます。」「盲目的に、食後すぐに皿洗いをすることを義務づけてませんか?」「どうして食後すぐにお皿を洗うことが良いのか、もう一回考えてみましょうか。盲目的に社会的規律に従うことを拒否して、どうしてそれをするのか、と考えることは重要です。」読者の皆さんが真実かどうかは分りませんが、ある慣習のある社会があります。それは、夫婦の妻側の親や親戚と食事をすると、悪霊がつく、というある部族の信念です。なので、夫は妻側の親類関係とは一切食事をしません。多くの世の中の男性がこの部族の「信念」に同意するかもしれませんが(またはそうであって欲しいと望むこともあるかもしれませんが・笑)この信念には事実的根拠が無いのです。この信念を補佐する事実はあるのでしょうか?私たちが教えられている多くの必須要項は、ただ単に「好ましいもの、好み」である場合が多いのです。これはまた後からでてくる"Need vs Want"で学びます。多くの規律は良いものであり、することが勧められているものです。しかし、それらが「しなければならない。する以外に道は無い。」となったとき、それはあなたを縛り、あなたは本来のその規律の良い意味を見失ってしまうでしょう。従って、皆さんにお勧めします。「すべき」ものの内容を再検討しなおしてみて下さい。「これはそう「すべき」もの?」「どうして私は、これを「すべき」だと信じて始めたのかな?」と質問をしてみると良いでしょうね。2) Magical Aspect of "Should":「すべき」の魔術的な側面この「すべき」の魔術的側面の重要な点は、魔術的な「すべき」宣言は、現実を現しているのではなく、私たちがいかにそれに関してこだわっているかを現しているという点です。従って、人々が「すべき」という言葉を魔術的に使うとき、彼らは現実を取り扱っているのでは無いのです。例えば、私がチョコレート・ケーキを作っているとしましょう。オーブンに入れたものの、私がチョコレートを生地に入れ忘れたとします。焼きあがったケーキを見て、私が言うことは何でしょうね?こう言ったとしましょう。「これはチョコレート・ケーキのはずなんだ。チョコレート・ケーキであるべきだ!」この私の言葉は、ただ単に「私はこれをそれにしたい。」と主張しているだけで、事実には反しているわけです。もし私がチョコレートを生地に入れ忘れたにも関わらずオーブンを開けたらチョコレート・ケーキがでてきたら、これは本当に魔法ですねもう一度繰り返しますが、Irrational Should Statement:不合理な「すべき」宣言は、現実に則していません。魔術的「すべき」宣言は、現実を自分自身の要望、要求、または善悪の判断に執拗に合わせようとしていることで、自分自身の要望を現実に適合させようとしているのではありません。しかし現実は私たちの単なる要望や善悪の判断に適合させることなどは、しないわけです。もしあなたが今のあなたの現実を認めることをしなかったら、現在のあなたのある現実を受け入れることは難しいでしょう。現実を受け入れることの利点は、それをすることで、あなたがその現実に対して何かでき、より良いところへ落ち着ける点です。不合理な「すべき」宣言は、私たちに現実を無視する道へ向かわせます。その現実には、今の望まない状況を形作っている全ての要素があるにも関わらず、です。現実は現実、それに含まれている全ての要素はその現実を形作っている材料で、それ以外の何者でもありません。自身の単なる要望や善悪の判断などは、それに入る余地は無いし、その現実となんら関係がないのです。言い換えれば、泣いても息を呑んでも地団駄を踏んでも、現実はそこにあるだけということです。冷静で穏やかに現実を受容することは、自身が受容したものを好きだとか、それを変えようとする要望が全く無いとか、という意味にはなりません。静穏な祈りは、穏やかな受容に基づいています。。。God grant me the serenityto accept things that I cannot change,the courage to change the things that I can, and the wisdom to know the difference. 天は私に冷静さを与えてくれたその冷静さは私が変えることができない物事を受け入れ変えることができることを変えようとする勇気を与えこの二つの違いを識別できる賢さを含んでいるのだ。痛い現実でもそれを受け入れて、より良い未来が来るように、現在の問題に取り組みましょう。現実を見なければ、問題点も改善できません。出典:Feel the Way You Want to Feel...NO MATTER WHAT! Dr. Aldo Pucci iUniverse(2008)
2009.12.30
コメント(0)
God bless meとは本当にこのこと空港に夜到着したら、雪が降り出していた。かなりの勢いで降っていたので、友人宅に寄るのを断念して、そのままハイウェイで自宅へ直行かなり慎重に運転していた。通常80マイル(120kくらい)で走るところを30マイル(45k)でトラックの後についてのろのろと走っていたのだけれど滑って、しかも今回はスピンしてしまった~幸い、横の土手にちょっと滑り込んだかたちで止まり、他の車を巻き込むことも、自分が怪我をすることも、車がダメージを受けることも無かった。フェンスが無いその短い土手の下には一般道が横に走っていたので、そのままバックで降りて、暫く走り、またハイウェイにのって家まで帰った。これでこの車で雪道を派手に滑るのは、この秋以降2回目だ。一回目はI-70という山道で、ブレーキを強くかけたため滑って、中央のミディアンという草むらにつっこんだ。まわりに何台も車がいたけれど、幸いぶつかりもせず、巻き込みもせず、私も私の車も無償だった。Thank God...どうもフォード・トーラスは、雪国には適さないようだ。そして私が以前のっていた1991年の古いスバルが、ほとんど滑らなかったことを懐かしく思い出す。。。トーラスは、ハイウェイなどではものすごい威力を発揮して、とても早く走れる。また座席も空間的に余裕があり、座りやすい。しかし、二駆というせいもあるだろうけど、あまりに雪の上で滑りすぎだあ~スバルでは、こんなにコントロールを失う経験をしたことが無かった。後輪をスタッド・タイヤに代えていたけれど、それにしてもあの派手なスピン。。。雪国ではスバルが一番と多くの人が言うけれど、それは本当のようだ。とりあえず、命があって、また他人の命や車に損害を与えることも無かっただけで感謝、感謝まさかこの歳で、アメリカの雪道でのスリルに富んだ運転をこんなに沢山するとは、3年前には考えられなかったよな~
2009.12.23
コメント(0)
人間が宇宙飛行船、アポロ8に乗って初めて月の軌道を回ったの1968年12月21日、アメリカでのことだが、その人間乗船前に、猿を宇宙船に乗せて実験していたことをご存知ですか?今、フロリダに所用があって来ているのだけれど、せっかくの良い機会なので、ケネディー宇宙センターに行きましたその中のツアーのひとつで、当時の打ち上げ台やその他のその当時の宇宙船のなごりものなどが見られるものがあります。その中のひとつのビルで、猿乗船実験をした写真を飾ってあるビルに行ったのです。確かに私の記憶の中で、人間が宇宙へ行く前に猿で実験したことの話を聴いたことがあるのはかすかに覚えているのですが、こうして説明を聞いて写真を見るのは初めてでした。そして、その当時(1950年代)お猿さんたちが乗る宇宙船設計・建設に携わっていた元エンジニアのおじいちゃんに直接話を聞いたのです私がガイドさんに「猿の身体や精神に影響は無かったの?あの乗船のインパクトを考えたら、十分考えられる。。。」のような質問をしたときガイドさんと一緒にいた二人の男性のうちの一人がその元エンジニアでした。名前はBob Graveline:ボブ・グレイヴェィンさん。サインいただきましたガイドさんが「ちゃんと医学的記録を採って調べたけど、全く影響は無かったらしい。まあ、宇宙に居た間はとても短かったしね。」そんな話を聴いていると、その元エンジニアのボブさんは私に向かって「ちょっとこちらにおいでよ。」とお猿さんたちの写真が飾ってあるところに行きました。そして「宇宙船Goliath:ゴリアテ」を指差して説明を始めました。「この宇宙飛行船、私も手がけたんだよ。」「よく覚えているけれど、猿を乗せてこの宇宙船が飛び立ったとき、いろいろと部品がポロポロと後から落ちてきたんだ。」「それらの部品は、落っこちてきてはいけないものだったんだよ。あっはっは!」お猿さんは無事だったのかな?あまりびっくりしたので(実際に携わった人と話ができたので)、質問もできずにただずっと彼を見つめてしまいました。彼はもともとエンジニアを大学で専攻して、「NASAに勤めてみるか」とカリフォルニアからフロリダに1952年に来たそう。最初は家などは最悪で、エアコン無し。フロリダの夏ですよお~。。。大変だったらしい。他の二人連れも質問を始めたので、ちょっと長めにこの元エンジニアのおじいちゃんのお話が聞けたのです。この猿でのパイロット実験が成功して、1967年の人間飛行、残念ながらこれは機体が炎上し尊い3人の宇宙飛行士の命が失われてしまいましたがその翌年1968年、人間飛行が月の軌道に入ることに成功、そして皆さんご存知の通り、1969年7月20日午後10時56分(東部時間)、アポロ11号(Apollo 11)のネイル・アームストロング:Neil Armstrongが、人類初の月面歩行を実現したのでした。よく私の母が言っていたのを思い出します。「ずっとテレビを観ていたのよ~。釘付けだったわ~。」それから40年経って、今では日本人も沢山活躍しています。そのツアーの後、シャトルに関するノン・フィクションの映画を見たのだけれど、何回も「日本」という言葉が、他の国、カナダ、ヨーロッパ各国の中にでてきました。そしてね、若田光一さんが大きく紹介されていたのですよ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E7%94%B0%E5%85%89%E4%B8%801996年に日本人初のミッション・スペシャリストとして、とても繊細なロポット・アームを操作して必要部品を回収することに成功そのときのまわりのひとたちが力強く褒めてくれたことに関して喜びを映画の中で語っていました。日本人として誇らしかったわ。。。この不況で多くの予算がNASAも削られたそうだけど、より多くの人の支持によって、私たちの新しい未来への計画の実行を可能にしたいものです。お猿さんの努力・笑から、現在の多くのスタッフの影の表の力を感謝せずにはいられませんいやあ、感動したなあ~~~
2009.12.20
コメント(0)
今まで見てきた、Rational Living Therapy:合理的生活療法の指摘するThe Common Mantal Mistakes:思考エラーを覚えているでしょうか?おさらいです。8.Irrational Labeling:不合理なラベリング7.Emotional Reasoning:感情による推理判断6.Magnification:極端な拡大思考5.Jumping to Conclusions:根拠無しの結論 1)Mind Reading:読心 2) Fortune Telling:運勢当て4.Discounting the Positive:長所の減点3.Mental Filter:思考フィルター2.Overgeneralization:極端な一般化1.All-or-None Thinking:白黒のみの判断何度も書いていますが、思考エラーによる判断、それに基づいての実行が生活の中で行われ続けると、精神的に健康な状態が保てなくなります。ひとつひとつの陥りやすい思考エラーを確認することで、自分の精神状態を良好に保ちましょう9. 個人的解釈そして非難この思考エラーは、人が不適切にあるものごとの原因を推測することにより起こります。ときどき人は、本当の原因でないことを原因だと考え、そして非難します。またあるときは、人は他の原因の方が強く関係するにも関わらず、あるひとつの原因を必要以上に責めることもします。この「個人的解釈そして非難」の思考エラーに含まれる3つの問題を挙げてみます。1)Guilt:罪悪感- 悪くなったものごとの原因を全て自分の責任にすることです。そのことをすべきでなかったのだ、と自分を責めます。2)Resentment:恨み- 悪くなったものごとの原因を全て他人の責任と考えることです。そのことを他人はするべきではなかった、と責め続けます。3)Trying to change the wrong thing:これは、悪くないところを間違って直そうとすることです。例えば、ハンドルが壊れているのに、タイヤを修理するようなものです。重要なことは、問題の原因を的確に把握すること、そしてそれを訂正することです。私たちは私たちの心の動揺や行動を私たち自身の思考から引き起こすのです。他の人々の行動は、他の人々自身の思考から引き起こされるわけで、私たちの考えからではないのです(そう考えるように仕向けることはあるでしょうが)。それらを踏まえて考えると、人間関係の中において、たった一人の人の過ち、ということは極めてまれなことです。またあるときは、思考エラー「個人的解釈そして非難」は、間違った情報または不十分な情報によって引き起こされます。そこには思考エラー「Jumping to Conclusions:無根拠な結論」が働いているので注意してください。例えば、もし25歳の息子が薬物所持で捕まったら、両親はきっと、自分たちの育て方が悪かったのだ、と一方的に思うでしょう。また、もし両親が息子に犯罪を犯すようにそそのかし、息子がそれを実行したとしたら、その息子は自らの判断で行ったと思われるでしょう。現実は、その25歳の息子がいろいろな人たち、両親を含め友人、兄弟、先生、テレビや映画、または本などから日々影響を受けているわけです。だから両親だけの責任だと考えるのは、非現実的なのです。どうぞ、問題の真の原因を探り当てられるように最善を尽くしてください。そして、あなたはその真の問題の原因を作り出した当人を怒って責めること無く、認めさせることが十分できます。たいていの場合、もしあなたが穏やかにあなたのその問題に対する関心・心配を相手側に表明するとき、彼らの協力を得やすくなるのです。問題の原因は慎重に見極めること。そしてそれについては、冷静に関係者と話し合うこと。これに尽きます
2009.12.17
コメント(0)
私の場合、音楽療法に魅力を感じているというより「リズム療法」という方が的を得ているかな。。。などと最近考えることがある。「音楽」っていろいろなことを含んでいるので、この言葉自体を使っても、はっきりとどの要素を差しているのかを示すことができないのだ。「リズム」なら、大分絞れる。元をただせば、音楽療法にはまったのは、「リズムの効用」が障害児の本読みの動機付け、その流暢さを改善したからだった。だから、リズム研究をキー・コンセプトとしているコロラドの大学まではるばる学びに来たのだ。リズム以外のことも沢山学んで、それでインターンに行ったら、リズムしか使うことのできない盲唖患者さんと出会い、リズムを使用したアプローチで、彼が私を信頼し始め、彼特有の癇癪を減らし、グループ・セッションで積極的に役割を遂行するようになり、表情が穏やかになり、笑うようになり、ジェスチャーで自分の言いたいことを伝えるようになり、ほんの少し残っている視力でアイ・コンタクトをとるようになった。それもこれも、彼が好きな、一連のドラムのリズムを音楽として聴く(感じる)ようになってからだ。そして、このリズムの効用は、何も障害を持った人のみに影響するのではない。健康な人々も、気がつかないようで、実はとてもリズムに影響されやすいのだ。例えばミサで。この間、臨時で私があるミサをピアノ伴奏した。最初から、とても締まった、切れ味の良いリズムをベースにミサが進行していった。アドベントの曲は幼い頃から慣れ親しんだ曲ばかり。大好きだ。だからかなり思うように自分でリズムをコントロールできる。その洗練されたリズムにより、200人ほどいるお御堂の空気が良い緊張感を持ってきた。空気がひとつにまとまる。信者さんたちの気持ちが音楽の中でひとつになっているのが分る。その後、そのリズムに対しての反応だろうと思われるコメントをいくつか頂いた。もちろん装飾をつけているし、抑揚もつけているのだけれど、軸は、「リズムの効用」なのだ。そういえば、日本でオルガンで伴奏しているときも、何度も会場の空気がまとまる経験をした。あれは、リズムをコントロールすることに成功したからだ。逆に、自分の調子が悪く、くずれたリズムを出さざるを得ないときには、とても悪いフィードバックを貰ったものだ。ピアノかオルガンかという楽器の問題ではなく、「リズム」の問題だったのだ~。あの当時は、上手くリズムをまとめるのに頻繁に苦労していた。でも今は、さほど苦労しなくなった。得に、インターンから帰ってきてから、肩の力が抜けたような感じを受ける。今、自分の頭の中の調子がすごく良いのが分る。それは「合理的生活療法(認知行動療法)」を勉強しているからだ。物事が筋道をたてて、明確に解決できる、それを脳が覚えているからだ。加えて、講義をしているDr. Pucci(設立者)の英語がとても正確で、分りやすく、混沌とした心の問題をすっきりと解決してくれるので、その爽快感も良いのだろう。結局、障害というのは、身体や精神の「リズムをくずす」ことからくるのかもしれないな、と考える。「リズムがくずれる」から、身体的、精神的に障害が発生するのかもしれない。これは鶏と卵の問題。いずれにせよ、「リズムをくずす、またはバランスを失う」ことは、健康をくずすことなのだ。昔読んだ神父さまによって書かれた文章で、ある部分が強く記憶に残っている。「良くないことは、バランスをくずすことだ。」そのとき、(どうして罪を犯すこと、のような宗教的言葉を使わないのだろう)と思ったが彼は、人間の本当の健康の原点を知っていたのだ、と今になってつくづく思う。「リズム療法」っていうのを独自に追求してもいいかもね♪
2009.12.16
コメント(0)
自らの事業を立ち上げて成功している友人から聞いた「起業」のポイントまず、自分が仕事において何者であるか、何ができるかを明確に相手に表現すること。シンプルがベスト名刺には名前、タイトル、会社名、連絡先、写真などを分りやすくのせ、ごちゃごちゃといろいろ書き込まないこと。ホーム・ページも、シンプルに、明確に分りやすく説明を載せ、写真を数枚のせ、何をしているのか、何が出来るのかを客に人目で分るようにアピールすること。ヴィデオがあれば尚良い。自分の専門の仕事を簡潔に分りやすく説明している小冊子を作り、この会社は何をしているのか、何がこの会社の特徴なのか、を理解してもらえるようにすること。写真があれば尚良い。口コミがとても大切なので、人脈を大切にすること。常にコミュニケーションをとる姿勢を忘れないこと。とにかく、自分のアイディアを何回も推敲して上手に構成して、それの独自性を客にアピールすること。1年ぶりに会った友人は、見た瞬間から「シャープになった」印象をかもし出していて、それは彼の仕事の充実度ぶりを表したものだったんだ、と話を聞いて納得自分がもし起業するなら、いくつかの別個の技術を全部打ち出してするだろうな。。。ホーム・ページも、その3つ4つの私の売りを全部のっけちゃうだろうな~すると友人曰く「役割を3つも4つも説明したら、相手が混乱して、仕事をあげるかどうするか判断がつきかねるよ。結局メインの部分が影が薄くなって、仕事を貰えない。」「音楽療法を前面に打ち出すのなら、"Davina Music Therapy."だけで通すこと。その他の技術等は、音楽療法に合体させるか、同時に現せるようにするか、とにかくひとつの専門を明確に現すこと。」話を聞いたあと客が「Davina=Music Therapy]とすぐに思い出せるようにすること。私、認知行動療法もやりたいんだけどなあ~というと「それ、ひとつに出来ないの?」あくまでもシンプル。これ以上の良い策は無いらしい。私が論文で煮詰まっているとき、彼にアドヴァイスを求めたら、教授も言ってくれなかったことを教えてくれた。「絵を描きなさい。問題があって、それに対する処方があり、そして望ましい結果をだしたいのでしょう?それが綺麗な絵に、流れるようなストーリーになるように、何回も図を書いて、何回も推敲を重ねて、納得できる綺麗な図式(構成)をつくりだんすんだよ。それから字に直していく。これはどこの分野も同じことだと思うよ。問題があり、それを解決する。それがお仕事だよ。」「またコツは、皆なその解決方法をなんとなく知っているけど、具体的にどうするのか、どうやって解決するのかが分らない。だから、そこを分りやすく客に説明すること。ヴィデオを使えば一目瞭然でしょう。」そっか。具体的に説明することの大切さは、ここにあるのね。頭では理解していても、的を得た実行ができることというのは、そう簡単に短時間でできるものじゃないわ。友人の独得にアイディアは5年かけてまとめあげたそう。アイディアと努力。そしてコミュニケーションに重点を置いて、自分が何者であるか明確に現すこと。忘れないようにしないと!
2009.12.14
コメント(0)
夜寝る前に、Dr. Dyer(ダイアー:アメリカの心理学者・スピリチュアリスト)の前向きなことばが集められている小さい本"Everyday Wisdom:日々の知恵"をめくって、励まされることばを見てから寝るのだが昨日ひろった文章が、とても心を暖かくして元気にしてくれたので、ここにご紹介したいと思う。The essence of greatness is the ability to choose personal fulfillment in circumstances where others choose madness.偉大さの必須要素は、人々が狂気・不幸に注目してしまう状況の中で、個人的充足感や幸せを得られる能力のことだ。(Davina訳)そう、そう、これこれ!皆が先行き不安なことばかり言っている状況では、まわりのそんな先行きの暗い予想に振り回せれがち。これは当然ですよね。今、この不況の中、沢山の人が仕事を失って、または新人は仕事を得られないで、この先どうなるのか、という不安・動揺が広がっているけれどこの人々の動揺は当然といえば当然。家族が養えない、年老いた親に頼らなくては生活ができない、など、鬱気分になってもおかしくない状況です。でも、悲観していてもお金は入ってくるわけではない。これは事実。それならば、そんな悪い状況でも、どうやってその中から、前向きな要素を見つけることができるのか、どれが、将来の希望につながるのか、と視線を明るい面に移す。希望が持てれば、それに向かっての目標設定が可能になり、目標設定すればそれに向かって行動を始められ、それが自分の精神的充足感につながり、徐々に目標達成に向かっていく、というサイクル。偉大なこと、素晴らしいことは、そういうものの見方の中にしか現れてこないというわけね。いかに悪い条件、状況の中から、自己充足できる明るい面を引っ張り出してこれるかそんな能力が、実は偉大さの軸であるわけです。うーん、これからの私の座右の銘かな
2009.12.12
コメント(0)
ラベリングとは、あるものに名前をつけること。生活のなかで他人とコミュニケーションをとるために必要です。「あの人、あの人、中肉中背の20代の赤い服をこの間着ていた。。。」誰のことですか?吉田さん?しかし、このラベリングが不適切になされると、問題が起こります。それが今日ご紹介する不合理なラベリングです。その前に、今まで見てきた思考エラー(The Common Mental Mistakes)のおさらいです7. Emotional Reasoning(感情による推理)6. Magnification(極度の拡大)5. Jumping to Conclusion (無根拠の結論)1) Mind Reading 2) Fortune Telling4. Discounting the Positive(長所の減点思)3. Mental Filter(独自の思考フィルター)2. Overgeneralization(極端な一般化)1. All-or-None Thinking(白黒のみの判断基準)8. Irrational Labeling:筋の通らないラベリング人々はよく、自分自身のことまた他人について、不適切にラベリングをしがちです。ラベリングは、Self-fulfilling prophecy:自己達成予言をあおります。つまり、ラベリングされたように無意識のうちに振舞うようになる、ということです。ある患者さんは、カウンセラーにこう言います。患者「私は本当に馬鹿でまぬけなんです。ミスばかりして、間抜け以外の何者でも無い!」カ「どうして馬鹿で間抜けなんですか?」患者「だって、へまばかりして。。。ミスばかりしてるからですよ。いつも仕事場で上司に怒られてばかりだ。。。本当に間抜けです。」カ「なるほど。でもちょっと待ってください。もし私の妻があなたの写真を撮ったら、妻は何を写真の中に見ると思いますか?」患者「。。。私でしょう?」カ「そうです、そうです。あなたですよね。あなたとい人間が映っているのを見るわけです。彼女は”間抜け”を写真の中に見ますか?」患者「それは私。。。」カ「いえ、あなたの顔や身体はあるけれど、”間抜け”というのは見るのは不可能です。もうひとつ質問です。辞書を引いて”間抜け”の欄に、絵が載っていることってありますか?」患者「無いです。。。」カ「そう、”間抜け”という人間は居ないわけですよ。人間が、ときに”間抜けな行動”をするということで、あなた自身が”間抜け”ということとは違うんです。」患者「でも、人よりも間抜けなことをする頻度が多いのが私です。」カ「もしあなたが他人よりも”間抜け”ことをすることが多いとしても、それはあなた自身が”間抜け”なのではなくて、あなたという”人間”が間抜けな”行動”をするに過ぎない。」「例えば低い知能発達を持つの人々のことを考えて見てください。彼らは、”間抜け”とか”精神発達遅滞人”ではなく、低い知能を持つ”人間”なんです。」「大切なことは、私たちはFallible Human Being:FHB(誤りをおかしがちな人間)だということです。あなたはミスをおかす、そう他の人のようにね。」「だから、”私は____な人間です。”というのは、適切な表現ではないのですよ。」私は醜い人間だ、私はお金を稼げない人間だ、彼はイスラム教徒だ、彼女はバツ1だ、私はアジア人だ。。。いろいろなラベリングがあるけれど、覚えていてほしいのは、不適切なラベリングの使用の結果は、望まない感情的動揺と限定的な自分を含む人々への見方につながります。(Davinaの付けたし)人種差別などは、人種のラベリングの結果から起こるわけですね。こんな例も良くあります。女性「うちの旦那は会計士なので、庭の草刈が上手くないのよ。」友人「会計士だから、草刈がうまくないの?」女性「だって会計士ですもの。」ただ単に、不器用なだけか、練習不足なのは一目瞭然ですね。だって、会計士で草刈が上手な人は沢山いますから!もし「私は~~~~です。」「あの人は~~~~です。」という言葉に「過ちをおかしやすい人間です」という意味合いが含まれないのなら、それは不適切かつ不合理なラベリングを考えてください。不合理なラベリングは、人々や物事の見方をとても狭めます。気をつけて!
2009.12.11
コメント(0)
この質問、"Where are you from?"をここアメリカに来てから良く聞かれる。それもバスの中、停留所、ホテルのボーイさん、という見知らぬ人からだ。こちらが、白人はどこ出身か分らないように、向こうもアジア人の顔だけでは、どこの国か分らないのは分るが、どうして知らない人から聞かれるのかしら?国籍不詳に見えるのかな?私も慣れたもので、必ず「どこの国か当ててごらん。Guess which country.」と質問し返して、相手の反応を見るのを楽しみにするようになったすると一番多いのが中国人と韓国人、続いてマレーシア、フィリピン、ハワイなどなど。。。でも日本が出てくるのは最後のほうだ。何で日本がでてこないんだろう?私としてはちょっとショック。友人曰く、Davinaは背が高いから、大陸の人に見られるんだよ。なるほど。私の観察だと、日本人女性は、小奇麗なカッコをしているという印象がある。持ち物が良いものを持っているのだ。ある日本人の友人は、いきなり中国語で話しかけられ、日本人だ、と言うと「え~日本人って、もっと綺麗なカッコしているから。。。」と言われたと言っていた私はそんなに学生のような格好はしないので違うと信じたいが(かといって、びしっと決めるには程遠いが)アメリカ人の友人曰く、韓国人女性は美人が多いと話を聞くと言っていた。なので、韓国では美容整形が普通に行われるのよ、と言ったらびっくりしていた。この間、バスの中で言われたときは、「私のアクセントから当ててみて。」と英語を喋ってみたが、そのアメリカ人は分らなかった。ま、ね~。ドメドメ(国外に出ない人のこと)のアメリカ人だったら分らないかもね。そんな私は、~~系アメリカ人というところにとても興味がある髪の色や目の色、また顔つきが微妙に違うのだ。イタリアン・アメリカン(もちろんいろいろ混じってはいるけれど、メインの血筋ということで)は髪、目、そして肌が少しダークジャーマン・アメリカンはとてもしっかりした顔の骨組みの人が多く、性格も自信たっぷりだったりする。アイリッシュ・アメリカンも、全部ではないけれど、何となく共通したものがある。北欧系は、まず、髪の色が違う。ブラウンでも透き通った茶色。ピール色っていったかしら?もちろんそれが全部に通じるわけではない。私が良く見る、という話ね。そんなこんなで、お国によって何となく特徴があるのが面白い。それを見つけて楽しむDavinaです
2009.12.10
コメント(2)
Mental Mistakes:思考エラーは、健康的な精神状態を蝕みます。今まで挙げてきたものは。。。1.All-or-None Thinking(白黒のみの判断思考)2.Overgeneralization(過度の一般化思考)3.Mental Filter(ゆがんだ思考フィルター)4.Discounting the Positive(長所の減点)5.Jumping to Conclusions(事実無根の早合点)6.Magnification(極端な拡大思考)そして、7番目の思考エラー(Mental Mistakes)をRational Living Therapy(理性的生活療法)は以下のように指摘します。7.Emotional Reasoning:感情に左右された推理この「感情的推理」は、その時の感情によってある物事に対する推理が行われ、それが本人の思考の結論となる思考エラーのことです。感情というのは、主観的なもの。正しい判断は客観的事実を踏まえて行われます。主観によって推理された物事は、その当人のバイアスが強くかかっているのは明らか。例えば、ある人が鬱状態であったとしましょう。その鬱を患っている人は、物事を判断する際に、その「鬱的気分」が判断に強く影響してしまいやすくなります。私が以前、この日記でご紹介した論文が思い出されます。それは、不幸せな人は、ある物事に対する、negativeな部分ばかり注目して取り上げてしまう傾向がある、というものでした。反対に幸せな人は、物事の明るい部分を注目する、という実験結果でしたね。鬱状態の人が判断したことは、とても悲観的だったりします。通常は、その物事はそんなに深刻にとらえる必要がないものでも、感情による推理・判断なので、思考エラーを起こしてしまっているわけです。ときどき、私は身体がとても疲れているとき、または病気のときに、このような思考エラーを起こしてしまう傾向もありますよね。自分が弱っているときに見る物事は健康なときに比べて、実際より難しく感じてしまうことがある経験を皆さんも少なからず持っているのでは?これで私が思い出したのは、恋愛相手や結婚相手を選ぶときは、自分が絶好調のときにするように、というアドヴァイス。自分が弱っているに選んだ相手は、もしかすると「わらをもつか」んでしまった相手かも?実は私はこの経験ありです・笑Emotional Reasoning:感情に左右された推理・判断を避けるために、まず最初に気をつけることは、自分が今、感情的になっていることを認めることそうすれば、自分が平静のときに考える仕方を気づくことができるからです。冷静な自分なら、こうは考えないかな。これを常に思い出すことが大切。もし自分のあるときの判断が、通常の自分の思考回路とは対照的に相違するとき、それは、あなたの感情的気分による反応だということです。感情的に判断した思考かどうかを確かめたいときには、次の質問を自分に対してしてみてください。私がこの状況をこう考えて判断しているけれど、他の状況で他のことを、すでに動揺していない状態でも同じように判断するかな?もし答えが「No]だったら、その物事に対する自分の判断を真剣に受け止めることを拒否してください。なぜなら、それは「感情に左右された判断・推理」という思考エラーですから。
2009.12.08
コメント(2)
Rational Living Therapy(合理的・理性的生活療法)の定義する26個のMental Mistakes(思考エラー)の、今日は6番目の紹介です。1)All-or-None Thinking(白黒のみの判断)2)Overgeneralization(過度の一般化)3)Mental Filter(思考フィルター)4)Discounting the Positive(長所の減点)5)Jumping to Conclusions (早合点)6.Magnification(過度の拡大)これは、欠点を必要以上に強調して、または長所を極端に低く評価するという思考エラーのことです。例えば、顔の一部分を取り上げて、もうこの世の終わりのようなことを言うこと。「鼻が大き過ぎる!だからきっと、皆は私の鼻のことを笑っているに違いない。。。これでは結婚できない。。。!生涯、ひとりぼっちだ!!!」小さくはないかもしれないけれど、正常範囲なのに。。。「私は法律学科の中で本当に頭が悪い。。。これでは良い成績を取れなくて、就職も良いところに決まらないわ。」クラスの教授は、彼女は大きな可能性があると思っているのに。。。この「拡大」思考エラーを避けるために、自分自身に理性的質問をして自分の思考が合理的かそうでないか、確認をしてみましょう。質問は3つです。1)この欠点は、現実に私の目標を妨げているか?2)私の欠点は、本当に私の思っているように、私の人生に悪く影響しているか?3)私の長所は、短所よりも私の今のこの状況に影響を与えているか?「拡大」思考エラーは、ときに「~しすぎる(too much)」「~しなさ過ぎる (too little)」思考問題に関わってきます。これは後からまたでてきますので、お楽しみに。冗談で口で言っていても、言葉は思った以上に脳や心への影響力が強いもの。言葉は正確に使うように注意するにこしたことはありません。
2009.12.06
コメント(2)
ここアメリカで、本当に日本と際立って違うな~と思うことは沢山の人の前で、聴衆を巻き込むような話をできる人多い、ということ。これ、パブリック・スピーチほどフォーマルでなくても、あるグループの中で、話をするときもそうである。だからトースト・マスターズクラブが、こんなに盛んなだなあ。皆さんもご存知のように、オバマ大統領の演説は本当に魅力的で、聴衆を引き付ける。新聞で彼の決断などは毎日のように載っているのだがテレビやラジオなどで彼のコメントや演説を聞くとあの声と言葉の選択とリズムの良さにいつの間にか素直に聞いてしまうのである。また身近な例を出すと、最近、刑務所で教会がらみヴォランテアを始めた。そのとき、いろいろな宗教的プログラムがあるのだがスピーカーが囚人たち相手に話しをしていて、とても上手い人は、20人くらいの囚人たちを円形に座って話しをしているだけで、皆を巻き込んでいるのである。囚人たちが良く話を聴いているのである。全体的に、アメリカ人たちは話をすることが好きだが、他人の話を聞くのも上手いと感じることが多い。言葉や話がまるで音楽のよう。皆、集中して聞くのである。あっら~、私が働きたい囚人精神病院では、こうやって話を興味深く展開して、囚人の興味を引き出し、精神的教育に寄与しなきゃだめなんだわ~自分の英語での話の下手さを痛感する今日この頃である。
2009.12.03
コメント(0)
思考エラー(Mental Mistakes)は、事実に沿わない思考から発生するのですが、5回目に紹介する「早合点:Jumping to Conclusions」も事実をきちんと収集しないところから起こります(Feel the Way You Want to Feel...NO MATTER WHAT! by Dr. Pucci)5.Jumping to Conclusions:早合点早合点は、あることに関する自分の意見をそれに関する事実を集めずに、性急に、決めてしまうことです。性急に自分の意見をまとめてしまう- なので「結論に飛び込む:Jumping to Conclusions)と言われます。「早合点」は、事実を集めずに決断するので、ある意味簡単で使いやすいのです。それで、ある人たちは、これを使ってしまうのです。事実をきちんと収集して決断するというのは、ある意味エネルギーを使うわけですね。コメディアンのステファン・ライト(Stephen Wright)が、「結論というのは、あることを考えることに疲れた結果たどり着くところなんだ。」的を得て妙ですねえちょっと我慢をして考えを発展させること、それは、決断のために事実を集めることをいとわないということ。この「早合点:Jumping to Conclusions」には、2つの要素があります。それは、「読心術:mind reading」と「運勢占い:fortune telling」です。1)Mind Reading:ひとりよがりな読心術これは、まるで自分が他人の心を読める、と信じて行われることです。そして特徴的なのは、「あの人はこう考えているだろう、いるかもしれない。。。」ではなく「私はあの人がこう考えていることを知っている。確信を持っている。」と考えること。そして、それに従って行動を起こすことです。まず、読心術に関してとても大切なことは、私たちは、他人の心の中は読めない!ということ。他人が何か考えていることは分ります。でも他人が「何を」考えているのかは正確には分らないのです。他人の心は予想はできても、正確には読めないのです。これはありがたいことですよね。だってもし他人が何を考えているのが全て分ったら、私たちはもっと多くの問題の数々に巻き込まれるに違いありませんから。また、この「ひとりよがりの読心術」によって集められた情報は、言うまでも無く問題を引き起こします。事実に則っていない思考がベースになっているから、集められた情報も根拠が薄いわけです。「ひとりよがりの読心術」をする人たちは、固く、自分は他人の心を正確に読めるのだ、と信じ込んでいます。しかし、いくらその人を良く知っているとはいえ、他人の考えている内容を知るのは不可能なことです。もうひとつ言えることは、人の思考を読むことは無意味だ、ということ。何を他人が考えているかなんて、関係無い。関係してくるのは、彼らがどう行動するか、どう私たちを扱うか、の段階になってからです。彼らが行動に移さない限り、私たちには問題が無いわけです。行動を起こした時点で、それは問題になるのです。また逆に、いくら他人が良いことをしてくれる、と「読心」しても、それを行動に起こしてくれなければ無意味ですね。もし他人があなたを不愉快なやり方で扱い、それが我慢できないのなら、「Mind Reading:読心」をするのではなくて、その問題について直接話し合うこと、自分をどう扱って欲しいかを言うことのほうが、心の健康にはよっぽど良いのです。2)Fortune Telling:運勢占いこの運勢占いというのは、将来を安易に予測するという方法で行われる、「Jumping to Conclusions:早合点」です。これも「読心術」ででてきたように、「~~なことが起こりそう。。。」ではなく、「私はこれが起こると分るよ。」という確信に基づいた思考です。しかし、確実に将来を予想することはできません(死ぬこと以外は!)。例えば、「私はあの試験には受からないよ。だから勉強はしない!」「もし上司に給料を上げてくれって頼んでも、絶対”だめ”っていうよ。」特に上記の試験に関するものは、Self-fulfilling prophecy:自己達成しつつある予言と言われ、自分で無意識のうちに予想した結果を作り出す思考です。自分で自分を縛っています。「Jumping to Conclusions:早合点」を避けるために、自分の意見や考えを全ての事実に基づいて打ち立てるようにしましょう。そうすれば、精神的健康を保てるのです。
2009.12.01
コメント(0)
全599件 (599件中 1-50件目)