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2024年5月19日(日)その2さて余談はさておき、文楽にお話を戻します。木曽義仲の館には、義仲と御台の「山吹御前」と子の「駒若君」それに腰元の「お筆」そこに義仲の愛妾「巴御前」が馬に乗って現れ、宇治川の戦いで義仲軍が敗れたことを告げる。義仲は巴御前と戦場へ。腰元のお筆は、山吹御前と駒若君を自分の実家にかくまう。しかしそこに鎌倉方の手がのびるが、何とか落ち延びる。山吹御前の一行が、大津の宿「清水屋」に泊っている。隣室に船頭の「権四郎」とその娘「およし」と孫の「槌松」が巡礼姿で宿泊。「駒若君」と「槌松」は同じ3歳。大人が寝静まった夜中、子ども同士仲良く遊んでいる時に追手が迫り、暗闇の中で槌松は駒若君に間違われて首を切られてしまう。そこに外出していたお筆が戻り、首を切られたのは槌松であることに気づき、駒若君は無事で有ろうと山吹御前に告げるが、山吹御前はあまりの動揺でそこで息絶える。舞台は変わって摂津の国・福島の船頭・権四郎の家。権四郎とおよしは、入れ替わってしまった駒若君を連れてほうほうの体で大津から戻っている。追手の恐ろしさから、わが孫が気になりながらも大津に引き返すことができなかった権四郎とおよしは、我が子同様に駒若君を育てた。いつか槌松に再び会える日が来ると信じて。そこにお筆が槌松の身に着けていた巡礼の衣装を頼りに、訪れる・・・・。この後もストーリーは大きく動き、戦記物でありながらの人情物語が繰り広げられる。そしてすごかったのは、およしの再婚相手・船頭「松右衛門」、実は義仲の家来「樋口次郎兼光」を演じた人間国宝「吉田玉男」さんの人形遣いのスペクタルなこと!!!!文楽では見たこともない激しい立ち回り。隆隆たる体格のお人形が、髪をふりみだし息を荒げての大立ち回り。玉男さん、70歳を過ぎていらっしゃるというのに、長い時間大きな人形を遣っての立ち回りに次ぐ立ち回り。観ていて思わずハラハラドキドキ。なんといっても大夫さんの語りや唸りが大スペクタルを盛り上げ、太棹のベンベンたる響が劇場に満ちてますますの迫力。大夫さん、体を揺らしながら口を大きく天に向かって開けての語り。高い床から転げ落ちてしまわないかと案ずるほどの、熱演。私の席からは、舞台も大夫さんの座る「床」も近くって、入れ代わり立ち代わりの大夫さん方の名演に心が震えました。決してハッピーエンドとは言えないし、今の価値観から考えると到底納得のいくストーリーではありませんが、それが文楽です。文楽や歌舞伎が人気だった江戸時代の価値観で観ないと、いけないのよね。江戸時代において最も美徳とされたのが、「忠義」です。藩に対する忠義、主君に対する忠義。そのためにはわが子を身代わりに差し出すのも、美徳。親を差し出すのも、美徳。殉死も、美徳。だから現代に生きる我々には到底納得できかねるストーリーも、時にあります。また、そういう忠義で子を失う場面などが、文楽や歌舞伎では演目になるんですね。そして文楽においては、大夫さんの「ええ~~~、えええ~~~~」っと泣きの唸りがますますやるせなさを深め、太棹も一緒に泣くように歌い上げるので、観客も涙涙になります。それともう一つ、十数年前初めて文楽を劇場で観たときに、あ、これは日本人のDNAにしっかり受け継がれ流れ続いているものだと感じました。大夫さんの語り、それは耳で聞いていただけではなかなか理解しがたい言葉であるのに(それもそのはず、江戸時代の浪速言葉ですから)不思議と納得できてしまう。三味線ではなく太棹という耳なじみのない楽器なのに、体にすう~~っと受け入れられてします音とリズムとメロディ。自分は聞いたことがなくても、ご先祖さんは聞いていたのよね。だから、体が自然と受け入れて咀嚼する。午前11時の開演で、終演が15時50分!!!途中25分と15分の休憩をはさんだとはいえ、なかなかの長丁場。それを飽きることなく食いついて鑑賞できたのは、技芸員さんだけではなく、大道具・小道具などの裏方さんの力も大きい。写真不可なのでお見せできないのですが、画面展開のハッとするほどの演出。お見せできないのが残念至極。今回はmamatamさんにチケットをプレゼントしていただいて、ぜいたくな時間を過ごしました。磨きあげられた伝統芸能、すごいぞ!!!!
2024年05月21日
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2024年5月19日(日)仲良しのブロ友さんのmamatamさんから、思いもかけないお誘いを受けたのはちょうど1か月前。5月の文楽公演のチケットを購入されたmamatamさんでしたが、なんとその公演日に遠方の親戚の方が上京されることとなり、公演に行かれなくなってしまったんですって。で、その昔文楽鑑賞を一緒にしていた私にチケットをプレゼントしてくださったんです。以前は、皇居のお堀側にある「国立劇場」に通っておりました。ところが老朽化で建て替えということになり、文楽公演はあちらこちらの劇場をお借りしての公演となってしまいました。5月文楽公演は、北千住駅直結のシアター1010(足立区文化芸術劇場)にて。4時間半以上の長丁場の公演になりますので、コンビニでサンドイッチとカフェオレを購入し、会場へ。チケットは技芸員さんを通じての購入なので、入り口で技芸員さんの名前を伝えて受け取ることができます。文楽の技芸員さんとは、大夫(義太夫)・三味線・人形遣いの方々。その人形遣いで人間国宝でいらっしゃる「二代目 吉田玉男」さんのお手配です。今回の席、5列15番というとんでもないいい席!!!舞台も近いし、大夫さんや三味線方の座る「床」もすぐそば。11時、公演が始まりました。「ひらがな盛衰記」とは、「源平盛衰記」をわかりやすくしたというほどの意味。たくさんの段がありますが、今回の公演は義経に討伐された木曽義仲の四天王の一人「樋口次郎兼光」を中心に描かれます。ところで、木曽義仲の四天王の一人が、今井四郎兼平。きっちり大夫さんの語りの中にも、兼平の名は出てきました。で、ここからは話は横道にそれます。私は、その今井四郎兼平の子孫の方とかなり深いご縁があるのです。中学3年生の時、勉強に身が入らない娘を案じて、母が私に家庭教師をつけてくれました。我が家は貧しくてようようのその日暮らしでしたのに、何を血迷ったのか母が急に教育に目覚めて・・・。で、岐阜大学の学生が私の家庭教師となりました。その学生、かなり頭脳明晰な男子で、どうもちゃらんぽらんの私とは相性が良くない。反発ばかりしていたらなんとその学生、友人と教え子のバーターという離れ業をしたのです。友人の教えていた中学生を自分が教え、私はその友人にゆだねたということです。で、私の前に現れた岐阜大学の学生はなんとも愉快な男子で、学生バンドをしているような当時としてはユニークな人。それが、今井四郎兼平の子孫だったんです。で、当然姓は「今井」。でも「今井先生」と呼んだのは初めのころだけ。彼のあだ名が「ムーチョ」だと知って、すぐに「ムーチョ先生」って呼ぶようになりました。なぜ彼が友人たちから「ムーチョ」と呼ばれていたか?それは軽音楽のバンドサークルを率いていて、彼はドラム担当。そして得意の曲が「ベサメムーチョ」で、友人たちをはじめ知人たちは彼のことを、親しみを込めて「ムーチョ」って呼んだというわけ。ご先祖が武士だなんて到底信じられないような、まじめなチャラ男でした。実に楽しい先生で、私を妹のように引き回してくれて、岐阜大学の学祭やバンドの演奏会にはいつも呼んでくれました。彼のおかげで、長良川近くの県立高校に無事入学。なんとそこは岐阜大学と敷地続き。その当時は柵もなかったので、昼休みには大学のムーチョさんの教室に遊びに行ったりできたのよ。で、高校生2年生になって選挙で選ばれてしまって生徒会活動。とその時、生徒会役員の1年生の女子が、私にすごいなついてきて仲良くなりました。である日、その子と一緒に柳ケ瀬のアーケード街を歩いていたら、ばったりムーチョさんに会ってしまって。ムーチョさん目を白黒させて、「どうしてお前たちが並んで歩いているのか!!」って叫びました。なんとムーチョ先生、私を高校に入学させた後に家庭教師となったのが後輩女子だったんです。なんという偶然!!!!!という、エピソードがありまして私の高校生活はそれは楽しかったんです。で、この次からは真面目に文楽のことを書きますので、今回はお許しください。
2024年05月20日
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2023年5月25日(木)mamatamさんから、文楽五月公演のパンフレットが届きました。今回、2度観劇されたのですが、「1度目に購入したパンフレットを忘れて出かけたので、2度目も購入しました。1冊送りましょうか?」というありがたいご連絡をいただきました。で、図々しくも「お願いします」なんて返信してしまいました。文楽の、春と秋の公演をとても楽しみにしていたのは、今から7年ぐらいも前のことでしょうか。最初はブロ友のwakkoさんに誘っていただいてその世界にはまったんですが、そのころX JAPANが再結成されてライブ活動が頻繁になり、年金生活者の身ではあれもこれもと楽しむには経済的にむつかしく、泣く泣く文楽をあきらめたのでした。なにしろ、X JAPANのチケットはすごくお高くって、さらに宿を取らなければならない公演も多くって、かなり無理をしていたんです。mamatamさんとも、何度もご一緒した文楽の公演。ベンベンと響く太棹、高く低くうなる大夫さんの謡い、何よりも文楽の人形たちの立ち居ふるまい・しぐさの美しさ!!これぞ日本の伝統大衆娯楽!!!離れて久しくとも、その場の雰囲気はいまだに強く記憶に有って、感動もよみがえります。公演に行く度に楽しみしていた、文楽のパンフレット。美しいお人形の姿が表紙になっていて、解説の記事も充実。なにより、「床本集」という台本がついてくるのが、たまりません。今回送っていただいた、パンフレットの表紙です。この美々しい衣装、人形遣いの方が自分で着付けをされるんですって。表紙を開くと、二つ折りにされた公演の演目が現れます。さらに、演目の解説が続きインタビュー記事。今回は三味線の鶴澤清治さん。シェイクスピア作品を人形浄瑠璃に作曲されたときのこと、尾上松緑さんに目をかけていただき、松緑さん亡き後は吉田鋼太郎さんの舞台を観て、これは文楽にしたら面白いと思われたんですって。ところが文楽にしてみたらお人形が重すぎて(主人公のお人形は、なんとへそピアスまでしていたんですって!!)、人形遣いの桐竹勘十郎さんが難儀をされたという裏話まで、実に面白いんです記事が。さらにさらに、本好きにたまらないのが、床本集。江戸時代の浪速言葉で描かれた情景。読んでいてもリズムがあって、ベンベンたる太棹の音と大夫さんのうなりが響いてきます。「サアサア子供衆買うたり買うたり。飴の鳥ぢゃ飴の鳥。それが嫌ならしる飴鑿切り、泣く子の口には地黄煎玉、さてそのほかは平野飴、桂の里には桂飴・・・・・」と、飴売りの言葉。すごいリズム感です。ゆっくり楽しませていただきます。何度も読めて楽しめるのが、パンフレットの良いところ。ありがとうございました、mamatamさん。いつも気にかけてくださり、感謝です。そして文楽の世界に導いてくださったwakkoさん、あなたのことを忘れたことはありません。いつかまた、お会いできますよね。その時は、今は亡きたくさんの名人たちが作る文楽の世界を、一緒に楽しみましょうね。
2023年05月26日
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2020年11月23日(月・祝)勤労感謝の日、祝日です。先週金曜日に持ち帰ったメッセンジャー用の寝袋を、作製します。去年8枚縫いまして、先週1枚縫いましたのでこれで10枚目。手順もすっかり頭の中に入っています。8時半ごろから昼食をとらずに13時半まで、ちょうど5時間でできました。その後は、去年エクセルで作成した「寝袋作成手順」といレシピを補足したり改訂したりしました。その間に、古典芸能の番組を2つ観ました。先日亡くなられた坂田藤十郎さんの、特集。三代目 中村 鴈治郎を襲名しその美しさから上方歌舞伎の花形だったのに、なんと名門中村屋の名を捨てて100年もの間忘れ去られていた坂田藤十郎の名を4代目として襲名します。そして追求したのは、近松門左衛門の歌舞伎。近松門左衛門は文楽の芝居をたくさん書いていますが、初代坂田藤十郎が活躍していた時だけ歌舞伎の台本を書いているんですって。初代のためにだけ書いて、初代が死んだらまた文楽の世界に戻ってしまい歌舞伎の台本はそれ以降書いていないんだそうです。初代坂田藤十郎と近松門左衛門との共作である歌舞伎は、とってもセリフがむつかしくって今ではそのままのセリフで演じられることがないんだそうです。その違いを、4代目坂田藤十郎が作った「近松座」で演じた場面と、他の役者さんが演じている場面を比較して見せてくれました。これが同じ場面なのに、場面の流れから伝えることは変わらないのに、セリフが全く異なるのです。近松門左衛門はもともと文楽の作家、浄瑠璃に合わせての語りはとっても言い回しが独特でむつかしいのですが、浄瑠璃語りは台本を見ながら三味線に合わせて語ります。それを歌舞伎は台本なしで演技をしながら言うのですから、もう役者泣かせらしいのです。中には、8ページものセリフを演技しながら言わなければならない場面もあるんだそうです。今から14年ほど前に作られた「坂田藤十郎さん特集」を中心に、藤十郎さんの息子さんとその当時のNHKアナウンサーを迎えてのふり返り番組でしたが、4代目坂田藤十郎の歌舞伎にかける思いと気さくな人柄を知りました。もう一つの番組は、岐阜県中津川市にある100年以上も昔に作られ、地元の人々が大切に保存している芝居小屋での中村七之助さんの公演。4役早変わりの舞台で、お染・久松です。あでやかな娘姿のお染。水も滴るいい男の久松。それに久松を追ってくる男。二人を救わんとする粋な姿の女性(役名を忘れました)。この4役を、クルリクルリと舞台上での早変わりを、まだお若い七之助さんが演じます。あ、お染になった。久松に変わった!!またお染だ!!!などと、ミシンを動かしながら釘付けになって観ていました。縫い目が多少曲がったのは、お許しあれ!!
2020年11月24日
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6月13日(土)朝からたっぷりの雨。散歩に行けない夫は、PCで映画鑑賞。私は編み物をしながら、撮りためたDVDを観ます。まず、昨日Eテレで放送があった、杉本文楽『女殺油地獄』。近松門左衛門の、名作です。杉本文楽とありますが、「杉本」とは何だろう?ってところから始まりました。杉本博司氏は、写真家で日本を代表する現代美術家だそうです。構成・演出・美術を担当されています。作曲・演出は、人間国宝の鶴沢清治さん。序曲は、3台の三味線がまるでロックのような激しい演奏をします。金を借りに来た道楽者の与兵衛が、油屋の女房お吉に断られ逆上しお吉を殺してしまいます。その殺害場面が、まがまがしくも長い!!!これが人形でなければとても正視できない場面でしょうが、そこは美しい人形がおどろおどろしく演じるわけですから、引き込まれてしまうのです。ということで久しぶりの文楽を堪能して、次は「愛してくれと言ってくれ」の再放送です。先週は第1話から第3話までの放送でしたが、今回は第4話から第6話までの放送です。内容はともかくとして、豊川悦司さんの手話の美しさ、しぐさの一つ一つの美しさに参りました!!特に、怒りの手話!!!怒りを手話で表現する豊川悦司さんの演技力、それはもう圧巻です。常盤貴子さんの愛らしさにも、魅了されてしまいます。70歳を過ぎて、こんなにも心ときめかすドラマにまた会えるだなんて、これはもう永久保存版だと思いダビングしています。さて、編み物の手はまだ休ませません。次に見たのは、「中居正広の金スマスペシャル」2019年に放送されたものを、4月24日に再編集で放送したものです。YOSHIKIさんの激動の半生を、描いています。これはもう何度も見ているんですが、ピアニストになりたいと思った幼少期、10歳での突然の父の死、ロックとの出会い、バンド結成と世界進出、バンドの解散とHIDEの死、さらに元メンバーのTAIJIの死と、身の回りに続いた大切な人の死を通じてコロナの時代を語ります。今は闇の中だけれども、闇だからこそどんな小さな光でも強く感じる。今までは気が付かなかった身の回りの小さな光に気づいて、力を得られる。日常がどんなにかけがえのない物かを、気づかされる。家族が、近しくしている人が生きていることが、光になる。だから、自分自身も周りの人の命も大切にしてほしい。明けない夜はない 止まない雨はないと、YOSHIKIさんはロスからコメントを寄せています。これも、永久保存版ですね。「明け「明けない夜はない」「止まない雨はない」ない夜はない」「止まない雨はない」
2020年06月14日
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2019年3月10日(土)その213時、開演時間となり幕の上がる前の、ミニ文楽講座が始まりました。今日の「にっぽん文楽 in 明治神宮」、飲食自由・持ち込み自由に加えて、撮影も自由にしてくださいとのアナウンス。これは国立劇場では絶対に許されないことなので、みなさんいっぱい撮影していらっしゃいました。ミニ文楽講座は、お人形さんの頭を手に、眉毛や目を動かして「怒り・哀しみ・笑い」などの感情の表現を見せてくださったり、お人形の着付けの事や動かし方など、軽妙な語りで会場を笑いに包みました。文楽の人形は、3人で1体を扱います。右手と顔を扱う方、左手を扱う方、足を扱う方に分かれます。文楽の修業は最初は足遣い、次に左手、そして右手と顔を操るようになるという順番だそうです。美しいお姫様のお人形を使って、いろんな動きも実演してくださいました。さて、いよいよ幕が上がると、舞台正面は松。今日の演目は、「小鍛冶」。もともとは能の演目だったので、能舞台を意識しての書き割りのようです。脇の舞台には、ズラリズラリと太夫さんと三味線方が並びます。帝は夢を見て、三条小鍛冶宗近に御剣を打つ勅命を下されます。宗近には腕の良い相槌がいないので、稲荷明神に必死に祈りを捧げます。すると翁が現れて、刀を打つ檀を整えて待つように伝えます。そこに狐が現れ、相槌を務め、見事な剣が打ちあがります。その狐は、稲荷明神が姿を変えたものでした。簡単に言ってしまうと、そんなお話です。小鍛冶と翁のお人形。狐に姿を変えた、稲荷明神のお人形。小鍛冶と稲荷明神が剣を打つところは、トントンカチカチと本当に剣を打つような迫力です。狐の姿の稲荷明神は、舞台狭しと動き、まるで歌舞伎のような見えもあり、圧倒されます。舞台に勢ぞろいして、フィナーレ。暖かさも程よい気温、風もなく、屋外での観劇には最高の日となりました。雨の予報もありましたが、私とmamatamさんの最強の晴れ女軍団は、今日も強かった!!後ろを振り返ると、簡単にロープが張られているだけの会場の外には、山のような見学の人々。明治神宮に参拝や観光にいらした方々に加え、わずか百席ほどの観覧席を購入できなかった方々も集まっていらっしゃいます。立ち見も自由な「にっぽん文楽」、大勢の方々が楽しまれたことでしょう。久々に、文楽を楽しませていただきました。撮影自由なので、動画もとらせていただきました。お人形さんの動き、太夫さんの朗々たる声、三味線の華やかな音色、それらを少しではありますが撮れましたので、密かな楽しみにしたいと思います。教えてくださったwakkoさんやmamatamさん、ありがとう!!何よりも低価格でこれだけの舞台を見せてくださる日本財団さん、ありがとう!!
2019年03月12日
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2019年3月10日(土)mamatamさんと、渋谷駅で待ち合わせです。今日は日本財団主催の文楽公演が、明治神宮で開かれます。そちらは午後からなので、まず渋谷の氷川神社さんで御朱印をいただきます。もうほぼ50年も前の3月18日、挙式せていただいた氷川神社さん。当時は参拝者があまりいない都会の真ん中の神秘空間でしたのに、今は御朱印が人気となって引きも切らず人が訪れる神社さんになってしまいました。こちらが本殿。この賽銭箱の向こうのガラス戸を開けると拝殿があり、そこで式を挙げさせていただきました。で、恥ずかしながらの花嫁姿。50年近くも前の写真なので、公開したところで今の私とは似ても似つきませんから、平気ですよね。ついでに長女が3歳の時の写真。これも40年くらい前の写真ですので、今の私たちの姿には重なりませんので公開しちゃいます。場所は、同じ氷川神社さんの本殿の前です。さて、いただいたご朱印です。バスに乗って渋谷駅に戻り、東急東横店で弁当とお酒を購入して原宿へ。今回の文楽、飲食自由・持ち込み自由という昔の芝居見物スタイルなんです。原宿駅を出て明治神宮に向かうと、目に飛び込んできたのがこの舞台。横には、太夫さんや三味線方の舞台も作られていて、その後ろにはどんでん返しもあります。日本財団が1億円もかけて造った、総檜の舞台。組み立て式の舞台で、今までも日本のいろんなところで公演してきました。開場まで50分ありましたが、私とmamatamさんは列の先頭に案内され、おしゃべりを楽しみながら待ちました。うらうらと暖かくちょうど良い陽射しで、待つのが苦になりません。明治神宮に参拝の方や、外国からの観光客の方が、突然現れた立派な舞台に驚いて整理などをしている係り員さんにいろいろ質問しています。開場して一番前の席を確保。まだ公演まで1時間もありますから、ここで買ってきたお酒やお弁当を楽しみます。会場には、「文楽」という名の日本酒や桝酒も販売しています。皆さんめいめいにまったり飲みながら食べながら、開演を待ちます。たくさん毛布が用意されていて、私たちもお借りしましたよ。寒い時の用心に私が持ってきたのは、保冷水筒に入れた燗酒。mamatamさんの購入されたお酒と共に、飲み過ぎじゃない?ってくらい飲みましたよ。さて、この続きは明日。お酒に酔って、舞台に酔って、幸せな時間でした。
2019年03月11日
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2018年5月13日(日)朝、ブロ友のmamatamさんが文楽5月公演の初日に行かれた様子を書かれていて、今回は難解そうなお話だなあと思っておりました。でもmamatamさんの軽妙な文章に、華やかな襲名披露公演でもあり、太棹のベンベンと響く音や太夫さんの切ない唸りなどを記憶から呼び起こして、ちょっぴりうらやましく感じていました。今日は、昨日買ってきた純白のサテン生地を裁断するつもりでした。裁断台にしようと台所のテーブルを片付けている8時少し過ぎ、携帯が鳴りました。ブロ友で、私を文楽に導いてくださったwakkoさんからです。「今日はお時間取れますか?」との問いかけに、お茶のお誘いかと思い気楽に「何も予定は入っていないので、全然大丈夫です」と答えましたら、なんとwakkoさんの代わりに文楽5月公演に行けますかという内容でした。wakkoさん、このところブログの様子で体調が良くないことは知っていましたが、楽しみにしていらした文楽公演を諦めるほどであったとは!大阪の国立文楽劇場と違い席数が少ないので、毎回チケットを手に入れるのは大変な東京公演。その希少なチケットを無駄にしたくなくって、私に電話をくださったのです。お気持ちがありがたくって、夫の体調も問題なさそうなのでピンチヒッターで鑑賞させていただくことにいたしました。wakkoさんのチケットは、人形遣いの吉田玉男さんが手配してくださるので、劇場の入り口で受け取る事が出来ます。ですからピンチヒッターになっても、劇場に行けばチケットが受け取れちゃうので安心です。大急ぎで着替えて化粧をして、京王井の頭線が工事で一部運休の事態もスマホの乗換案内でクリアーして、10時40分国立劇場に到着!!開演は、11時から。間に合った!!!人形遣いの吉田幸助さんが、五代目吉田玉助を襲名するという記念すべき公演なので、のぼりがたくさん立っています。国立劇場の赤い提灯が、雰囲気を盛り上げます。wakkoさんのお友達が、大勢ロビーの入り口にいらっしゃいました。ご挨拶をして、チケットを受け取りました。ロビー正面には、襲名を祝う飾り付け。お花もたくさん!!なんと、花びらに文字を書き込んだものまで!!さて演目は、「本朝廿四孝」と「義経千本桜」。その間に襲名披露口上があります。難解なのが「本朝廿四考」パンフレットに人物相関図がありましたので、それを頭に叩き込みます。まず足利将軍家があり、側室が暗殺されその子が何者かに連れ去られて不明であることが、前提になっています。そこに名将であった故山本勘助の忘れ形見の二人の青年が、武田信玄・上杉謙信というあい対する武将から家来になれと迫られています。名将の血を引く青年を味方に付けようと、両家は必死です。側室暗殺の嫌疑が武田家上杉家にかけられており、3年以内に犯人を見つけて差し出さないとそれそれの嫡子の首を差し出さなりません。犯人が見つからないまま3年経って、すでに武田家では嫡子が切腹。上杉家では嫡子の身代わりに、そっくりな山本勘助の長男の首を差し出そうともくろんでいます。ここに勘助の妻、次男の妻、上杉家武田家の武将の妻などが複雑に入り込んで、忠義が親子の情よりも尊い世界を描いていきます。文楽ではそれぞれの家名は変えてありますが、見ている人にははっきりわかっちゃいます。身代わりに自分の子を差し出そうとする母、この理不尽ぶりはなんとしようぞ!!文楽や歌舞伎で描かれた世界は、封建時代の真っただ中。自分の命よりも、我が子の命よりも、何より大切にされたのがお家への忠義です。現代人には理不尽でも、当時の人は我が子の命を差し出しても忠義を建てるその姿に涙したのです。そういう場面では、文楽の太夫さんと三味線が、これでもかと切なさと無常さを歌い上げて泣かせてくれます。吉田和生さんの女房のお人形が、子を抱き、寝かせつけるしぐさの一つ一つに、優しさと愛情が溢れていて美しかった!!吉田玉男さんの心優しい勘助の次男のお人形、いじらしくって。。。。三段あるお話の途中襲名披露口上があり、これが誠に洒脱で笑わせてくれました。休憩をはさんで幕が開くと、そこは花真っ盛りの吉野。舞台には9人の太夫さんと9人の三味線方がずらりと並ぶ豪勢さ!!登場人物は静御前と狐忠信。最初に白い狐が、舞台狭しと踊り走ります。その狐が、何とも愛らしくってまるで生きているかのよう!!人形遣いの桐竹勘十郎さんも、白いお衣装です。狐が桜の木の下に入ったかと思うと、義経の家来佐藤忠信に化けた武士の姿に。人形遣いさんも、お衣装の早変わり!!豊松清十郎さんが遣う静御前のお人形は、金糸銀糸の縫い取りが美しい緑の打掛。舞台が進むほどに、緑の衣装の肩を脱ぎ深紅の衣装、更に白の衣装へとあでやかそのもの。眼福とはこれのことね、というほど美しい舞台を堪能させていただきました。終演は3時半!!長い公演でした。夫が気になるので大急ぎで外に出ると、激しい雨。劇場の前には新宿西口行きの都バスが、待っていてくれます。ありがたく乗り込んで帰路につきました。思いもかけず文楽を楽しませていただきました。ピンチヒッターのお役目、果たせたでしょうか?wakkoさん、くれぐれもお体を大切に。早く良くなって、私をお茶に誘ってくださいね。
2018年05月14日
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2017年9月2日(土) 経済的問題から文楽を封印して1年と半年。でもEテレなどで文楽が取り上げられると、録画して楽しんでいたんですよ。そんな私が突然のめぐりあわせで、9月公演初日に国立劇場へ行けることになってしまいました。 実はブロ友のmamatamさん、自分で鑑賞するつもりで用意したチケットなのですが、仕事が入ってしまって休日出勤なのだそうです。せっかくの席を空けるわけにはいきません。ていうことで、私にお鉢が回ってきました。 幸いこの日は予定もなく、喜んで地下鉄の半蔵門駅に降り立ったのでした。と、ここでびっくり!エスカレーターとエレベーター付きの新しい出口ができているではありませんか!! 6番出口、以前になかった出口です。6月にできたんですって!!! 国立劇場の最寄り駅、地下鉄半蔵門駅は、歌舞伎や踊り文楽などの古典芸能を観賞にいらっしゃる、どちらかと言うと高齢者の方が 多く利用される駅。地下鉄ですから地下深い駅なのですが、国立劇場に近い出口にはエレベーターがなく、エスカレーターも途中まで。急な階段を上らなくは地上に出られないという、過酷な駅でした。いつぞやは、小劇場で「エレベーターを付けてください」と言う請願書に署名したんですよ、皆さん。 それがいつの間にか、ピッカピカのビルと共に新しい出口ができて、これで皆さんもう立ち往生しなくって済みますね。 さて本番、文楽のお話です。 11時開演の第一部。「生写朝顔話(しょうしゃあさがおばなし)」。幕が上がって太夫さんが語り出し、ベンベンと太棹が響きだすと、もうたまらなく身も心も喜びに満ちます。日本人のDNAに組み込まれちゃっているんですね、この語りと響きは。 このお話、恋する男女が徹底的にすれ違ってしまいます。二人がようやく出会い、やれ嬉しやと思ったとたんの生き別れ。悲しい悲しいお話で、太夫さんの語りがあまりにも切々と続くので、胸が締め付けられてしまいます。と思えば、笑い薬を飲んだ医者の、見ているこちらが苦しくなるような笑いや滑稽なしぐさに、劇場は笑いに包まれたりします。 超簡単な筋書き。 「宇治川蛍狩りの段」 宇治川の蛍狩りに訪れた大内家の家臣「宮城阿曽次郎(みやぎあそじろう)」は、芸州の家老の娘「深雪(みゆき)」の危機を助け、二人はたちまち恋に落ち夫婦の杯を交わします。阿曽次郎は、深雪の朝顔の絵の女扇に朝顔の歌をしたためます。深雪は喜びますが、阿曽次郎はお家のために急いで鎌倉に下ることとなり、扇を残して去ります。 「明石浦船別れの段」月の明石浦の風待ちの船の中から、朝顔の唄の調べが流れてくるのに気が付いた阿曽次郎、船の窓からは深雪の姿。ようやく二人は巡り合って、深雪は阿曽次郎の船に飛び移り、このまま一緒にと望みます。深雪の親が案じないように、書き置きを残そうと自分の船に戻った深雪ですが、その時船は碇を上げ出港してしまいます。深雪はとっさに浅次郎の船に向け、朝顔の扇を投げ入れます。再びの、別れでした。 「浜松小屋の段」長い時が流れ、深雪は艱難辛苦に目が見えなくなり、「朝顔」と名乗り三味線を弾いてわずかに命をつないでいます。浜の子供たちには、女乞食と言われ蔑まれる有様です。 深雪の乳母「浅香」は巡礼となり諸国をめぐり、深雪を探していました。浜松の粗末な小屋の前で行き逢った二人ですが、深雪は今の身を恥じて名乗りません。しかし、浅香はそっと物陰に隠れて深雪の様子を見て、女乞食が深雪だと確信します。ようやく二人は手を取り合います。 そのとき人買いが現れ、浅香は深雪を守ろうと闘い、深手を負います。浅香は、深雪に自分の守り刀を渡し、嶋田宿の自分の親を頼るようにと言い残し死んでしまいます。 「嶋田宿笑い薬の段」阿曽次郎は家督を継いで「駒沢次郎左衛門」と名を改め、「岩代多喜太(いわしろたきた)」と共に旅の途中嶋田宿に逗留しています。岩代は、お家乗っ取りを謀る家老の一派。駒沢を亡き者にしようと、医者を使ってしびれ薬を飲ませようとたくらんでいます。しかし宿の主人「徳右衛門」の機転で難を逃れます。 代りに笑い薬の入った湯を飲んだ医者は、笑いが止まらなくなって大笑い。 「宿屋の段」自分の部屋に戻った駒沢は、朝顔の歌の扇面が張られた衝立に気が付きます。亭主徳右衛門に問うと、盲目の朝顔と言う女性の存在を知ります。それが深雪であろうと思った駒沢は、深雪を呼び寄せ琴を弾かせます。 目の見えない深雪は、駒沢と岩代の前で朝顔の歌を琴に合わせて歌います。駒沢は名乗りたくても岩代の前であって名乗ることができず、深雪も阿曽次郎の声ではないかと思いつつも心を残しその場を去ります。 明石浦で受け取った深雪の朝顔の扇子と、お金と薬を徳右衛門に託し駒沢は出立します。薬とは、甲子の年に生まれた男子の生き血と共に飲めばどんな眼病も治るというものです。 そこに深雪が立ち戻り、駒沢が阿曽次郎と知り、雨の中その後を追うのです。 「大井川の段」盲目の深雪はようやく大井川にたどり着きますが、駒沢はすでに川向うに渡った後でした。しかも川は雨で増水し、船が出なくなってしまっています。 深雪は絶望し、川に身を投げようとします。それを奴に救われ、後を追ってきた徳右衛門は事情を知り自分の腹に短刀を突き立て、深雪にその血で薬を飲ませます。 徳右衛門は乳母浅香の父であり、かって家老である深雪の父に命を救われたことがあったのです。そして甲子の生まれ!! 徳右衛門の血で薬を飲むと、あら不思議!!両目が開きます。 *************************** 舞台セットの美しさも文楽の楽しみの一つですが、今回は特に美しく、飛び交う蛍、月の明石浦、宿屋が荒れ狂う大井川に変わる大変換など、堪能させていただきました。 人形遣いさんは、阿曽次郎を吉田玉男さん。深雪を吉田一輔さん。浅香は、吉田和生さん。この度、人間国宝になられました。朝顔(深雪)は、豊松清十郎さん。 語りは、その太夫さん太夫さんの味わいが前面に出て、場面場面の面白さが際立ちます。特に「浜松小屋の段」の、朝顔と浅香の再開の場面。こってりたっぷり、泣きの浄瑠璃を聴かせていただけます。豊竹呂勢太夫(とよたけろせたゆう)さんの熱演に、胸が引き絞られます。 こうして11時に開演して15時25分の幕が下りるまで、実に4時間25分の鑑賞です。その間30分と10分の休憩がありましたが、それ以外はずっと狭い椅子に座っての鑑賞。なんといっても心地よい浄瑠璃に、皆さん時々舟をこいで夢の中に。 正直、少し疲れました。ロックのライブでしたら、オールスタンディングでも4時間や5時間は平気の私ですが、椅子で動けない4時間はきつかったです。でもそれを忘れさせるほどの醍醐味が、文楽の世界にはあるのでしょう。口々に感動の言葉を乗せながら、劇場を去る人々に共感です。 あ、その後の阿曽次郎と深雪はどうなるのでしょう?今回の上演では、深雪の目が開いたところで終わっていました。その後はどうなる?二人は出会えるのか??と、劇場を出た人々が案じていました。ええ、ご安心ください。二人は駒沢の屋敷で祝言を上げるのです。そこまでも、すったもんだがあるんですけれどね。 練り上げられた伝統芸能は、いいものですよ皆様。私はこれから長女の出産で多忙になりますが、その前にご褒美を先払いしていただいた気分です。mamatamさんとwakkoさんに感謝です。文楽の世界を、ありがとう!!!
2017年09月02日
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2016年5月21日(土) 連日の爽やかなお天気!!今日は、半蔵門の国立劇場へ参ります。 文楽5月公演、本公演はwakkoさんのブログに寄れば、若手を大胆に起用しての熱の入った公演が続けられているようですが 、私達玉男さんファンといたしましては、玉男さんが人形を遣われるところを是非鑑賞させていただきたい、ということで文楽鑑賞教室へ。 10時半、ブロ友のmamatamさんと入り口で待ち合わせ、今日は6名の文楽のお仲間とご一緒です。 文楽鑑賞教室、これがなかなか毎回素晴らしい内容で、まず太夫さん・三味線方・人形遣いの三業の仕組みと役割演じ分け等を、とても分かりやすく説明してくださいます。今回は、大夫さんと三味線の説明の後に、全員声を合わせて台本を歌うなんて得難い体験をさせていただきました。 人形遣いさんは、首(かしら)を使ってその細かい仕掛けと、文楽ならではの3人で一体の人形を遣う役割分担などの説明と実演がありました。 文楽鑑賞教室に参加したのは3回目なのですが、いつも新鮮、いつも新しい発見があり、文楽に携わる方々の情熱に心打たれます。 さて、今日の演目は「曽根崎心中」。ご存知近松門左衛門の、心中ものの名作です。近松門左衛門は、元禄16年(1703年)に実際にに起きた心中事件を元に、この台本を書き上げ大評判を取ります。この点は、NHKの「ちかえもん」というドラマにも出てきましたね。そうそう、このドラマとっても面白くって、今までの時代劇の常識を突き破ったドラマでした。 「曽根崎心中」、あまりに評判をとって巷には心中事件続発。幕府が上演を禁止にしたほどですって。 主人公のお初と徳兵衛の、抜き差しならぬ恋物語と陰謀による心中へと、話は進んでまいります。徳兵衛の人形を、玉男さんが遣います。 いよいよ心中の場面。「天神森の段」。近松門左衛門の台本が冴えわたります。 この世の名残、夜も名残。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。 一足づつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなり。 あれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響き の聞き納め。 寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり。 どうでしょう!!「この世の名残、夜も名残」なんて韻も美しく「世」と「夜」の掛け合わせなんて、只者ではないですね門左衛門さん。 文楽は人形浄瑠璃と言われますが、大夫さんの語りは当時の大阪で使われていた庶民の言葉だそうです。現代人では、耳で聞いただけでは言葉の韻や意味が聞き取れません。そこで文楽では、字幕スーパーで台本を目で確認できるようになっています。 先日までは、舞台の左右に字幕が出たのですが、今回はなんと舞台上部に映し出されていました。ということは、舞台のお人形の動きを目に入れつつ、台本が読めるという趣向です。 舞台では、徳兵衛がお初に刃を向けがたく、迷いためらう様子が描かれ。お初が、「早う殺して」と覚悟を決め徳兵衛に迫ります。 哀れをさそふ晨朝の、寺の念仏の切回向。 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」 南無阿弥陀仏を迎えにて、哀れこの世の暇乞ひ。 長き夢路を曽根崎の、森の雫と散りにけり。 ついに徳兵衛の刃がお初に向けられ、徳兵衛は自害し、二人は心中して果てます。心中ものには、浄瑠璃がよく似合う!!!大阪の庶民が夢中になったのも、とてもよくわかります。 さて、会場を出ますとwakkoさんが待っていてくださいました。wakkoさん、今日はお孫さんの運動会から駆けつけてくださいました。 文楽のお仲間は、wakkoさんの後について楽屋へ。今舞台で演じていらした玉男さんと、対面します。しばし歓談して、写真を撮っていただきました。 楽屋には、お人形さんが並んでいました。 文楽のお人形は、人形遣いが着付けをするんですって!!畳張りのような太い針を使って、その時の役の人形に衣装を着つけるんですって!! 遊女やお姫様などは、とっても重くて分厚いお衣装になります。人形がどれだけ動いても乱れず、所作の美しく見える着付けは大変でしょうね。 さて、次は九月公演になります。またまた楽しみな、時間になりそうです。
2016年05月22日
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2016年3月5日(土) 起きてすぐ、風呂場に平たい桶を置きぬるま湯を張りました。そのお湯におしゃれ着洗剤をごく薄めて入れ、昨日ほぐしたリサイクルの着物を浸しました。 夫は休日出勤で、いつもの時間に出勤です。 夫が出かけて行ってから、お湯に浸しておいた着物を押し洗いして、何度かすすぎ、バスタオルで余計な水けを取ってから干しました。 夕刻、乾いた布を取り込みアイロンがけ。ニーナちゃん人形の振袖用に、裁断まで済ませました。 2016年3月6日(日) 日曜の早朝は、ほとんどが通販番組です。通販番組はあまり見たくなかったのでチャンネルを合わせたのが、NHKの演芸番組でした。演芸の方もあまり関心がなく全然見ていなかったのですが、場面が楽屋に移り林家正蔵さんのインタビューになり、びっくり。対談相手は、文楽の「豊竹咲甫大夫(とよたけさきほたゆう)」さんでした。大夫さんと言うのは、浄瑠璃語りの方のことです。 林家正蔵さんの、お稽古は一日にどのくらいするのかという問いに対して、「5時間はします」との答え。それは、舞台のある時でも変わらずお稽古をされるとのことで、「それでは文楽以外の時間がないのでは?」って問いに対して、「4歳で大夫さんに憧れ、8歳で入門してからただの一度も、大夫以外の職業に就こうと思ったことはありません。特にこの10年間は、生活のすべてが人形浄瑠璃です。若い時にはジャズやボサノバなどにはまり、CDもたくさん持っていたのですが、すっかり処分してしまいました」とのこと。 今は「自分」というものより、師匠や三味線の方々が「咲甫大夫」はこうあってほしいという思いに添うことだけを考えているとのこと。 正蔵さんが、「私の周りでも文楽のファンはいますが、その方たちの嘆きは、チケットが手に入らないということ」と話されたのに対し、 「大阪公演もここ3年観客数が増えました。東京公演はいつも満席でチケットが手に入らなかったのですが、咲大夫・住大夫・嶋大夫と人気の大夫が続けて引退され、その大夫さん方のファンが足を運ばれなくなったので、今は空席もあります。是非劇場に足を運んでください」とのことです。 それらの名大夫さん方のファンであれば、相当なお年の方々でしょう。ひいきの大夫さんの引退を機に、自らも劇場通いを引退されたのかもしれません。 でも続けてこんなことも話してくださいました。 「今まで絶対に回ってこなかった名場面での『切り場語り』が、若手にも回ってくるようになりました。勉強してこのチャンスを生かしたい」 正蔵さんの、「文楽を学ぶのに、何が一番大切ですか?」との問いに対して、「素直なことです。自分の物差しで物事を見るのではなく、先輩諸氏の教えに素直になることです」との答え。これに対して正蔵さんも、落語の世界も全く同じだと言っていらっしゃいました。古典を学ぶ人にとっては、まず素直に学ばせていただくという気持ちこそが、精進の第一歩かもしれません。 若手でイケメンの咲甫大夫さん、これからも頑張ってくださいね。応援していますよ。
2016年03月06日
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2016年2月26日(金) 夫は、早朝5時前にスキーに出かけました。今日は一日、自分の好きなように時間を使えます。 暇を持て余して自分の昔のブログを読んでいましたら、2年前やはりこの時期に夫はスキーに出かけておりました。まあ、毎年のことなので当然ですが。 その2年前の夫、スキーから帰って来て私に話したのは、ゲレンデ見かけた熟年夫婦のこと。何組も、仲良く滑っているのを見かけてうらやましくなって、今度は一緒にスキーに行こうと言い出したんです。で、私はすかさずお断りをしたことが書いてありました。 悠愛さんなんかはコメントに、「私をスキーに連れて行かないで、ですな」なんて、過去にヒットし原田知世さん主演の映画「私をスキーに連れてって」をもじって書き込みをしてくださったんですよ。 夫は体育会系、私はスポーツ音痴、それでも出会ったころは互いの趣味に近づこうとそれなりの努力はしたんですよ。ダイビングも習ったし、何度もスキー場についていきました。我が夫、ことスポーツに関しては人のふり見て覚えてしまうタイプ。スキーも独習でどんどん上達したようで、上級者コースも難なく滑ります。 私と来たら、教えてもらっても出来ないタイプ。スキー靴を履くところでその硬さに躓き、スキーの上では立っていられず転倒。転倒したら、起き上がれないし・・・。 滑ることなんてとても出来ずに、立っているので必死! そんな私に業を煮やして、「なんで出来ないんだ!」とついにはスキーのストックで私の頭を叩いて、一人で滑りに行ってしまった夫です。私にかかわっていては、スキーを楽しむ時間がなくなると思ったんでしょうね。 ゲレンデに一人残された私が、どうやってスキーを脱いで宿に帰れたか、今となっては記憶にないのですがこれだけははっきり覚えています。「二度とスキーなんかするもんか!!!!!」と、硬く決意したこと。 それっきり、子供たちのためにスキー場に行くことはあっても、私がスキーを履くことはありませんでした。ですからすかさず拒否したんですね、スキーを一緒にすること。今もそれは正解だと思っています。だって夫がいない間、温かい部屋でのんびり時間を楽しめているんですもの(笑) mamatamさんから、郵便物が届きました。「伝統と文化」。ポーラ伝統文化振興財団発行の雑誌です。今回の特集記事は、「文楽人形遣い 二代目吉田玉男『新たな舞台へ』」。 表紙は、玉男さんが熊谷次郎直実の人形を遣う凛々しくも美麗な写真。中の記事は、襲名披露公演の写真や「足遣い10年、左遣い20年」という修行を経て「主遣い」となられ、二代目玉男の名跡を継がれた過程。 「凛として演じる」と題して、玉男さんが文楽を演じるにあたっての思いが、「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」を通じて語っていらしゃるコーナー。「後進を導く」と題して、弟子たちへの思いと指導の様子。「その先の道へ」では、名跡を襲名して決意されたこと。 などなどが、たくさんの写真とともに掲載されており読み応え充分な本になっていました。 mamatamさん、今月19日に文楽を観賞されたときにこの本がパンフレットのラックにあることを発見され、2冊もらってきてくださり、その1冊を送ってくださいました。13日に私も一緒に文楽鑑賞を楽しんだのでしたが、その時にはこの本に気が付きませんでしたので、とてもありがたくって!! 隅々まで読んで、楽しませていただきます。ありがとう、mamatamさん!!
2016年02月26日
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2016年2月13日(土) 今日は暖かくなるとの予報。期待して、まず歯医者さんへ。月に一度の、歯のお手入れ。 その後中央線で四谷まで移動して、半蔵門の国立劇場まで歩きました。国立劇場小劇場で6日から始まった二月公演を、鑑賞します。チケットは、何時もブロ友のwakkoさんに手配をお願いして、とても大変なのに取りまとめていただいて感謝です。 また今日は、やはりブロ友のmamatamさんと二人での鑑賞。久しぶりにお会いするので、2時半開演ですのに1時50分に会場前で待ち合わせて、ベンチに腰をかけながらおしゃべり。仕事を持ちながらのmamatamさんなので、こうして鑑賞の時間を取るのも大変のようですが、何とか都合をつけていらっしゃいます。 最初の演目は、「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)・鰻谷の段」主家へ大金を工面する夫のために、妻がわざと嫌われて縁切りされ、持参金の婿を迎えてその持参金を夫のために使おうとするのですが・・・。妻と義母に裏切られたと思いこんだ元夫は、幼い娘の目の前で二人を切り殺してしまいます。妻は文字が書けませんので、娘に口伝で本意ではない縁切りのいきさつを伝えてありました。娘の口から今は遺言となってしまった妻の思いを聞いて、元夫は慟哭するというお話です。 次の演目は、「関取千両幟・猪名川内より相撲場の段」。八代豊竹嶋大夫引退披露狂言として演じられます。まず嶋大夫の引退披露の口上が述べられ、会場から割れんばかりの拍手を持って迎えられます。 お話は、人気力士「猪名川(いながわ)」がライバルの「鉄ヶ嶽」を伴い帰宅。そこに廓から錦大夫の身請けの残金二百両の督促が、参ります。猪名川の人形は、吉田玉男さん。 今回は舞台にほど近い席でしたので、人形遣いの方の動きや表情をとても興味深く拝見させていただきました。 猪名川は錦大夫を他の客に身請けされたくないのですが、お金が用意できません。ところが、錦大夫を身請けしようともくろんでいるのが、誰あろう鉄ヶ嶽だと知ります。鉄ヶ嶽 は猪名川の思いをもてあそび、八百長をほのめかすのです。猪名川は悩み、命を捨てる覚悟までして取り組みに向かいます。二人の様子を伺っていた猪名川の妻「おとわ」は、夫の一大事を助けるために走ります。おとわの語りは、嶋大夫さんが演じます。 次は土俵の場面になりますが、ここで珍しい三味線の「曲弾き」と言うものが入ります。 弾き手は「鶴澤寛太郎」さん。珍しい、三味線のピチカート奏法・ギターの演奏では見たことがあるのですが、頭上に三味線を高く上げての演奏等々、観客を楽しませて喝采でした。 さて、土俵の場面になり激しい取り組みが始まります。猪名川は八百長を覚悟していて、鉄ヶ嶽が優勢です。そこにごひいき筋から二百両の華が猪名川に付いたと、声がかかります。それを聞いた猪名川、みごと鉄ヶ嶽を投げ飛ばします。 その二百両は、おとわが我が身を売り作ったものでした。 さて皆々様、人形浄瑠璃のお話には理不尽極まりないお話がたくさんあります。夫が主家のお金を用意するために、妻がわざと縁切りされ持参金付きの男と夫婦になるとか、夫が大夫を身請けするためのお金を、妻が自分の身を売って作るとか、これはもう理不尽の極みですね。でも江戸時代の大阪の庶民は、こういう物語に強い共感を持って泣いたんです。現代とは、まるで価値観が違うんですね。その当時の正しい行いが、現代の正しい行いとならないところが、時代の流れと言うものでしょうか。 私が高校生の頃、男子はみな丸坊主でした。生徒会役員をしていた私は、「長髪運動」をしました。その時の先生の長髪を否定する言葉、「長髪を許せば不良になる」と言うもの。今となっては、長髪=不良なんて誰も思いませんよね。 今の朝ドラ、明治の初めの常識は「女子は学ぶものではない」と言う時代を描いています。女史がそろばんを弾くことすら、非常識の時代でした。 このように、その時代の求める考え方は今となってはおかしなものが多いですよね。今の常識も、のちの時代には「変だ!」と言われてしまうかもしれません。 で、浄瑠璃の物語も理屈抜きで受け入れて楽しむのが一番です。 では、パンフレットから美しい写真を。 左から「鉄ヶ嶽」「おとわ」「猪名川」のお人形。 パンフレットには、 大阪相撲の資料も、挟んでありました。 それからパンフレットの裏には、 文楽クルーズのお知らせが。12月20日から22日の2泊3日。旅行代金は、101,000円から479,000円!!う~~~ん、さすがは飛鳥!!ずっと文楽の演じ手の方々との時間は、得難いものでしょうね。でも私にはむつかしいです。 長女が4月に育休明けになります。これからは、アリスちゃんを含めて4人の孫たちの育児応援の日々 。お金も時間も、きつくなります。今楽しんでいる趣味も、たくさん整理しなければならなくなると思います。得るものがあれば失うものもある、これは致し方ありませんね。
2016年02月14日
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2015年12月13日(日) 時折雨の降る中、半蔵門へ。文楽12月公演の真っただ中、この春『二代目吉田玉男』を襲名された元玉女さん主催の、忘年会に参加します。 文楽素人の私が、めったにない名跡襲名という時に出会えたこと、なんてラッキーでしたでしょう!それに加えて今日の忘年会、玉男さんがファンのために感謝を込めて開催してくださる場にいられること、なんてなんてラッキーでしょう。 場所は文楽本公演の行われている国立劇場に隣接する、「ホテルグランドアーク半蔵門」の「曙の間」で行われます。18時開場なのですが、少々早く着いた私はエレベーター前の椅子に座って時間調整。と、文楽の若手の方々が台車の荷物を運び込む姿を、見かけました。たった今本公演が終わったばかりなのに、忘年会の余興の道具のようです。 曙の間の前で、ブロ友でもあり私に文楽の楽しみを教えてくださったwakkoさん、それにmamatamさん、Hさんと合流して会場へ。 広い会場には、およそ百席ほどがゆったりとしつらえてあり、正面には簡単な舞台が。 残念ながら、忘年会の様子をお見せできるのはここまで。 「感謝の忘年会」の司会は、NHKの地域番組にも出演していらっしゃる、フリーアナウンサーの『竹澤 知位子』さん。彼女も、バリバリの文楽ファンとお見受けしました。 忘年会は、めでたい三番叟のお人形2体を遣って、二人の大夫さん、三味線方もお二人、それに笛まで入ってにぎにぎしく始まりました。最初は若手の人形遣いさん、そして次は中堅の方々、最後は玉男さん自らが主遣いとなられて、華やかに演じられ、客席を回っての大サービス。 次は、若手の方二人のマジック。失敗も成功も、会場の爆笑を誘い一気に和やかな雰囲気に。 あ、写真に撮ったからお見せしたいけれど、できないもどかしさ!!実に可愛らしい「バニーガール」ならぬ、「バニーボーイ」姿のお弟子さん。後の漫才の方が笑いにしていらしたんですけれど、通販で衣装が自宅に届いたとき、お母様は「息子がここまで来てしまったか」と、嘆かれたそうです(笑) 漫才が二組続きまして、「吉本さん、スカウトに来た方がいいよ!」なんて思うくらいな巧みな呼吸と会話。伝統芸を学ぶ方々は、芸達者!もちろんその陰には、精進の日々があってのことでしょうが。 忘年会の様子はお見せできませんが、お料理なら大丈夫だと思いますので、写真を。 先付けから、順番に。 愛らしい器の中には、 ピッカピカの、お刺身の盛り合わせ。後は、解説なしにず・ずずいっと。 冷たいものは冷たく、温かいものは温めた器に盛って提供されたおいしい料理の数々。ご馳走様でした。 この間、ビールをほぼ2本飲んで、熱燗のお銚子も2本空にしてしまいました、私。結構な酔っ払い状態です。 お弟子さん方の珍演芸が過激に続いて、玉男さんの奥様の三味が入り、壇上にずらりと紋付袴姿が並ぶと、玉男さんの襲名披露口上が始まりました。 春に行われた襲名披露公演での口上の時は緊張していらした玉男さんも、今日はリラックスして笑顔。居並ぶ方々の祝福の口上も、会場の笑いを誘うもの。こういう時、文楽は関西で生まれて、関西の感性で育て上げられた芸能だとつくづく思います。 あっという間に楽しい時間は過ぎて、お開き。酔っぱらいの私が無事に帰宅できたのは、奇跡かな? 頂いたお土産。クッキーに、 蒔絵の割りばし。もったいなくって、使えません! それに玉男さん襲名披露の時の、お人形を遣っている写真。玉男さん、気迫せまる表情です。 これもお見せできないのが、残念です。 mamatamさんからは、今回時間がなくて本公演に参加できなかった私に、たくさんのパンフレットをお土産にいただきました。錦の着物を着ているお人形さんの「奥州安達原」・お初と徳兵衛の物悲しいお人形さんの「曽根崎心中」 等々、見ているだけでワクワクするパンフレット。しばらく楽しませていただきます。 来年二月公演の配役表も、いただきました。早めに観賞できる日を決めて、wakkoさんに連絡しなくっちゃ!
2015年12月14日
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2015年9月5日(土) 時折雨の予報ではありますが、とりあえず頼りなげな青空。いそいそと半蔵門まで出かけます。 久々の文楽鑑賞。お世話いただくwakkoさんやブロ友のmamatamさんたちと、入り口で待ち合わせます。とてもお久しぶりでしたが、皆さん変わらずお元気そうで素敵な雰囲気で、一瞬で和やかな雰囲気に。 さて、今日は公演初日。席に座って太棹のべんべんという響きを聴くだけで、別世界へいざなわれます。そこに大夫さん方の声がかぶさってきて、舞台にお人形が登場するともう会場は大拍手です。 最初の演目は「面売り」。天狗やおかめやひょっとこの面を取り換えながら、面売りの娘と「おしゃべり案山子」が踊ったりやり取りをしたり、滑稽なしぐさが面白い舞踏劇です。 次に「鎌倉三代記」舞台を鎌倉時代にとりながら実は大坂夏の陣を描いた作品です。「三浦之助」を焦がれる「時姫」は、三浦之助の母が病にふせっている片田舎の地で、かいがいしく看病をしています。実は時姫、三浦之助とは敵方の北条時政の娘。父親の時政からは、何とか娘を取り換えさんと二人の局を差し向けますが、時姫はなんとしても三浦之助と夫婦になりたいと言い、父親のところには帰ろうとしません。時政の命を受け、藤三郎が百姓姿で時姫のところに現れます。実は藤三郎、佐々木高綱という武将。最初は百姓姿、実は凛々しくも猛々しい武将という人形を、吉田玉男さんつかって演じます。 そこに戦場から三浦之助が戻ってきますが、敵方の姫である時姫を疑っています。城に戻って父時政の首を取ってくれば夫婦になるという三浦之助に、時姫はついに時政の首を討つことを約束してしまいます。 話は複雑にいろんな登場人物と共に絡んでいきますが、父を打つと決意した時姫が槍を手に取ると、三浦之助の母が自ら槍先を自分の腹に突き立て果てます。実父時政を打つ決意をした時姫に対し、自分の命を差し出して義理立てをしたのです。 激しい立ち回りと、高綱の人形の大きな見えを切るポーズ。大夫さんの振り絞るような声と三味線のあおる音色、大迫力の舞台でした。 文楽公演の美しいリーフレットは、鎧を付けた三浦之助。 三番目の演目は、「伊勢音頭恋寝刀」。伊勢の遊郭が舞台です。幕が上がると、遊郭の表座敷。奥に暖簾がかかり、暖簾をくぐらんとして物思いにふけっている遊女お紺。このお紺のお人形が、何とも色っぽくってなまめかしくって美しくって!! 話の筋は端折りますが、最後は凄惨な10人切りの「奥庭十人切りの段」となります。誤って仲居の「万野」を切ってしまった「福岡 貢」は、恋中のお紺に裏切られたと思い込んでいます。お紺の新しい相手は「岩次」。実は岩次こそが、貢が主君のために探していた相手だったのです。 遊郭の2階に上がり岩次を探そうとする途中、客や遊女、まだ子供の子女郎まで切り殺してしまいます。舞台セットは、表座敷から遊郭の2階、そして見事なしつらえの奥庭へと途切れなく移り、舞台芸術の見事さにため息が漏れます。真っ暗な奥庭、貢は敵の岩次と勘違いしてそこでも遊郭の客を切り殺します。全身血まみれ、刀も血塗られてすさまじい場面です。 ところがこの物語にはモデルがあって、実際に有ったことなのだそうです。実は貢が遊郭に通っていたのは、盗まれた折紙(鑑定書)を探し出すため。なんとお家のためだったのです。ですから十人も切り殺しておきながら、忠義者の話として描かれているんですねこの恐ろしいお話。お紺は貢を裏切ったとみせて、実は貢のために岩次とねんごろになり、折紙を手に入れます。その折紙と名刀を手にした貢は、主筋に意気揚々と向かいます。 で、ここで幕なんですが「え!それでいいの?」なんて声が客席から聞こえました。十人も切り殺しておいて、そのほとんどがこの事件に何の関係もない遊女や客だったのに、子供まで切り殺しているのに、当時の観客は「なんて忠義者だ、あっぱれ!」なんて思ってみていたんでしょうね。現代に生きる我々には、何とも納得のいかない話です。 でも歌舞伎も文楽も、江戸時代の価値観で書かれた作品。その当時は親子や肉親の情愛よりも、主君に対する忠義が何より尊ばれた時代です。親殺しも子殺しも、忠義のためなら問題ないんですね。歌舞伎の先代萩なんかも、幼君の命を守るため我が子を殺して首を差し出す、なんて恐ろしい場面がありますね。 文楽や歌舞伎を見ると、「理不尽」だと思うことがたびたびあります。けれどもそれは現代に生きて、自己を大切にし肉親を大切にし、他人の命も大事にしなければいけないという時代に生きているからです。貴族の時代から武家の時代になり、命のやり取りは日常のことで、なにより忠義が一番求められた時代の価値観で描かれた作品は、作品として楽しむことですよね。 お人形さんならではの美しい所作と、大夫さんのいろんな登場人物を語り分けるテクニック、三味線の情景を写しだす音色の優しさと美しさと激しさに、三者が三位一体となって繰り広げられる舞台。ただただその世界に酔いしれてしまうのが、幸せなことです。 幕が下りて、少しの時間のお茶タイム。今日の舞台のあれやこれを思い思いに話して、玉男さんの凛々しいお姿にまたまたのぼせあがって、話は尽きません。また12月の公演の時の再会を約して、別れを惜しんだのです。
2015年09月06日
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2015年5月16日(土) 今日だけは、自分のために使う一日と、ずっと前から決めていました。8時過ぎ家を出て、半蔵門駅へ。駅でブロ友のmamatamさんと、待ち合わせて国立劇場へ。国立劇場の小劇場では、人形遣いの「吉田玉女」さん改め「吉田玉男」さんの襲名披露公演が行われています。お名前が「女」から「男」に代わったので、襲名披露公演も「転女成男(てんにょじょうなん)」という素晴らしいタイトルが、つけられているんです。襲名披露公演なので、会場は華やかな飾りつけがいっぱい!まず最初に目に飛び込んできたのが、 「剣菱」の菰樽の隣にあるのは、「一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)」の登場人物「熊谷次郎直実」の名を付けたお酒「直実」。襲名披露公演で、初代吉田玉男さんのはまり役「直実」を、二代目吉田玉男さんが人形遣いとして演じられます。 ポスターを撮らせていただきました。二代目吉田玉男さんが、「直実」のお人形を遣っていらっしゃる場面です。 さて、ロビーには襲名を祝ってたくさんのお花が飾られていました。 あら、あのタケシさんからも!! 舞台に大夫さんと三味線方が登場して、太棹のベベンと音が鳴ったら、もう体中の血が文楽の世界を「待っていました!」とばかりに騒ぎます。 最初の演目は「五条坂」。ご存知、牛若丸と弁慶のお話です。牛若丸のお衣装が、あでやかな女着物。ああ、写真が撮れたらいいのに!とため息。 次の演目は、「新版歌際文(しんぱんうたさいもん)」野崎村の段。これも有名な「お染久松」のお話。 ここで、二代目吉田玉男襲名披露口上。舞台には、揃いの袴姿の文楽の大夫さん・三味線方・人形遣いの方々がずらりと並んで、にぎにぎしいこと!!! 休憩をはさんで、いよいよ「一谷嫰軍記」の始まりです。時代は源平合戦も終盤、栄誉を極めた平氏は壇ノ浦の波に消え、落ち延びた平敦盛の母「藤の局」が熊谷の陣屋にたどり着きます。そこで、かって不義の罪を犯したのに、藤の局の計らいで宮中から逃された「相模」という女房に出会います。相模はその時の不義の相手、今は源氏の大将「熊谷次郎直実」の妻となっていました。直実は、我が子敦盛の首をはねた敵。藤の局は、相模に昔の恩に報いて直実を討つ助太刀をするようにと迫ります。 直実が現れ、敦盛の最期の様子を藤の局に話して聞かせます。藤の局の、我が子の最期を聞かせれた気持ちは、いかばかりでしょう。そこに「源義経」が現れ、敦盛の首実検が行われますが、それは敦盛の首ではなく、直実と相模の子「小次郎」のものでした。源義経が若木の桜を守護せよと命じた、「一枝を伐らば一指を剪るべし」との制札を直実は抜き、義経に「花によそへし制札の面。察し申して討つたるこの首」と首の実験をさせます。敦盛は後白河院の血を引く若木の桜、その命を救うために小次郎を身代りにするよう、義経が制札で至唆したものと察したのでした。驚いた相模の泣き崩れるありさま。大夫さんは、直実の太い声と相模や藤の局の女の声を巧みに使い分け謡います。太棹の音色が、一層の悲しみを誘うのです。 我が子を手にかけた直実は出家して、墨衣姿に。人の世の憐れを、切々と感じるお話でした。 さて、終演後劇場を出て隣にある「伝統芸能情報館」へ。今回の襲名披露公演を記念して、「文楽」をテーマに展示してありました。文楽の成り立ちから、お人形の仕掛けなど、なかなか興味深い展示です。 さあ次は大急ぎで白銀台の瑞聖寺(ずいしょうじ)へ、向かいます。今日から、写真家「渡邉 肇」さんの二代目玉男さんを撮った写真展が始まるんですって! 大きなマンションやビルに囲まれた空間に、その入り口はありました。参道をしばらく歩くと、 展示会場が見えてきました。 その入り口。 躍動する、直実と玉男さんの写真です。 会場には、人形浄瑠璃を撮り続けていらっしゃる渡邉肇さんの力作が、ずら~~りずら~~り!!写真の中の玉男さんは、真剣なあまり体中に力のみなぎるお姿で、良い男がまた一段と良い男なのです。 中でもおもしろかったのが、大きなモニターに映し出される映像。映像監督の「堀部公嗣」さんと渡邉肇さんとの共同制作のイメージ映像作品です。「直実」の人形と、たぶん「中納言知盛」の人形を遣う玉男さんを、動画で、しかも舞台では見ることのできない角度から撮影してあり、銀の鱗を光らせて舞い踊る白龍が絡むのです。ふと幽玄の世界に舞い込んでしまうような、迫力と美に満ちた作品です。 音楽も良く映像も素晴らしいので、受付や案内をしてくださったった方に「ⅮVDの発売はないのですか?是非発売していただきたい!」と迫ってしまいました。 たっぷり写真展を堪能して、mamatamさんと二人お食事のできる場所を探しました。mamatamさんのスマホのナビにしたがって探し当てたのは、「Shirogane La Boheme」。イタリアンレストランです。 三層になったお店は、今日は結婚式の二次会会場になっていて貸切。テラスでならどうぞ、とのことなのでテラス席へ。ワインと共に、こんなお料理をいただきました。 どれも、とってもおいしかったですよ。文楽を楽しんだ後で、あれやこれやお話する時間は至福ですね。mamatamさんも、今日の文楽三昧の時間をとても楽しんでくださいました。 直実のこと、写真展のこと、お互いの家族のこと。途中雨も降りだして、テラス席にパラソルが開き、その下で延々とおしゃべり。3時間ぐらいしゃべり続けたかしら?このおしゃべいりおばさん二人には、あっという間の時間でしたけれど。 一日中文楽を楽しんだ、文楽三昧の日となりました。
2015年05月17日
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2014年12月7日(日)寒い、晴れわたった日です。5日に文楽鑑賞教室を楽しみましたが、さていよいよ今日は本公演です。ブロ友のmamatamさんと半蔵門駅で待ち合わせて、楽屋口へ。もう一人のブロ友で、いつも文楽鑑賞のお世話をしていただいているwakkoさんたちと合流しました。総勢10人くらいかしら?今回のメンバーには、タイから帰国されたやはりブロ友のラアシアさんもいらして、3年ぶりの対面です。もうすぐ「吉田玉男」を襲名される玉女さんの楽屋を、訪問です。先に、襲名披露公演のパンフレットを、お見せします。いい男だから、覚悟してみてね。これぞ日本男子という、渋みと優しさを持ち合わせた表情!お着物の楽屋姿、ほれぼれしますよ。今日はいつもは男性の人形を遣われる玉女さんですが、なんと女性のお人形を遣って素人の私たちに、目の前で説明してくださったんですよ!!泣く・笑う・恥ずかしがるなどの女性のしぐさを、人形を遣ってしてくださるのですが、もうそこにいるのが人形だとは信じられない、美しい滑らかな動きです。説明してくださった場所は、ここ。舞台の裏側ですこの向う側が、絢爛たるセットになります。本番前のお忙しい時間に、丁寧な解説をありがとうございました。最初の演目は、「伽羅 先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」竹の間の段と御殿の段を観賞します。このお話は、江戸時代に仙台伊達藩で起こったお家騒動を題材に、時代を鎌倉時代に設定して書かれたものです。大名の跡継ぎは、幼少の「鶴喜代君」。その乳母が、「政岡」。そして政岡の子が「千松」。政岡は、お家の乗っ取りを企む勢力から鶴喜代君を守るため男性の面会を絶ち、千松に毒見をさせ、食事の支度も部屋の茶道具で自らするというほど、神経を配っています。謀をめぐらせる者たちによって、毒入りの饅頭が鶴喜代君に差し出されたとき、千松がわざと横から奪い取り食べて、その無礼さを口実に刺殺されてしまいます。千松が目の前で刺殺されるときには、声も出さず顔色も買えなかった政岡ですが、一人になったときに母としての悲しみがあふれ出てしまいます。義太夫の泣きの語りと人形遣いの見事な動きで、切々と訴えられる母の苦しみと悲しさ。思わずこちらも涙があふれてきます。現代に生きる人間には到底理解できるものではありませんが、何よりも忠義が求められた時代の話です。歌舞伎でもよく上演される演目ですから、ご存知の方も多いと思います。お人形があまりにも美しいので、写真を。政岡が、打掛を脱いでいるときの姿です。文楽のパンフレットの表紙の写真です。右から、政岡・鶴喜代・千松・八汐。千松は、チンを見ていますね。八汐は敵役ですので、憎々しい表情ですね。30分の休憩を挟んで、次の演目は「紙子仕立両面鏡(かみこじたてりょうめんかがみ)」。大文字屋の段。「万屋」の息子「助六」が傾城の「揚巻」に入れあげ逃げてしまい、助六の妻「お松」は実家に戻ってきます。ここが現代人には何とも理解しがたいところではありますが、お松の兄「栄三郎」が万屋の苦境を助けるために、逃げた揚巻の代わりに廓勤めをせよとお松に頼むんですね。お松も実の母も、それを受け入れるのです。自分を捨てて傾城と逃げた夫のために、廓勤めを覚悟するお松と、その覚悟を褒める母。覚悟は決めたけれど、互いを思いやって泣く3人。この栄三郎とお松と母の三者三様の泣きを、大夫さんが一人で語り分けるわけです。これは、見どころ!!三味線も一緒に泣きます。そこに舅であり助六の父である「助右衛門」が登場します。助右衛門のお人形を遣うのが、玉女さん。息子のなさけない行動を恥じながら、けなげな嫁を思いやる舅。ここでも、義理と人情を特に重んじた江戸時代の庶民の感情に訴えかける語りが、続きます。滑稽味もあり、笑いをとる場面もあり、泣きもあり、どよめく客席です。なんと今日は、休憩を含み約4時間の長丁場でした。厚みのある演目ばかりで、心から堪能いたしました。さて、新春文楽のパンフレットがきれいなので。。。。
2014年12月09日
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2014年12月5日(金)美しい青空が広がりました。今日は半蔵門駅で、ブロ友のmamatamさんと待ち合わせて国立小劇場へ向かいます。劇場の入り口に着くと、制服の男女が大勢ならんで入場中。今日は文楽の本公演ではなく「第46回 文楽鑑賞教室」なので、学校単位で鑑賞にいらしているみたい。どうやら高校生のようです。小劇場の前半分の席は、高校生たちに埋め尽くされました。でも、行儀の良い子たちです。高校生らしい嬌声もなく、静かに座っています。演目の上演中も、文楽についての解説中も、私語もなく静かに聞いていましたよ。文楽の楽しみを教えてくださったブロ友さんのwakkoさんとも、ロビーで無事合流できました。そのほかの文楽のお友達とも、再会を喜び合いました。幕が上がって、最初の演目は「二人三番叟」。よく能や歌舞伎などでも上演されますが、正月興行などのおめでたい時に上演される演目です。手足を軽々と振る軽快な踊りと、大夫さんの語りと太三味線の響きが一体となって、目を奪われます。途中に滑稽な場面などもあって、クスリとさせられます。その後は、「文楽の魅力」の解説です。まだお若い大夫さん「豊竹希大夫」さんが進行役で、「大夫」と「三味線」・「人形遣い」の文楽を支える三本の柱についての解説です。「大夫」さんの役割と、使っている「尻引」と呼ばれる小さな椅子のようなものとか、「見台」という「床本(ゆかほん)」を置くための台と「床本」について解説してくださいました。高校生たちがきっと感心しただろうと思われるのは、大夫さんというのは一人であらゆる登場人物・お人形を演じ分けるという実演。若い女性・若い男性・老婆・猛々しい男性など、老若男女を演じ分ける大夫さんという役目を、実際にセリフを言って解説してくださったんです。私の身の回りの観客たちからも、思わず感嘆の声が漏れていました。次に「三味線」について「鶴澤寛太郎」さんの解説です。文楽では、太棹と呼ばれる大きな三味線を使います。使う撥の大きさや厚みについての解説に続いて、いくつかの弾き方の違い、情景描写の時の弾き方の説明など、なかなかに勉強になりました。これも、芸というものはすごいんだと思わせる説得力がありました。最後は、「人形」について「吉田蓑紫郎」さんの解説です。人形の首を使って、喜怒哀楽の表情を作る仕掛けについて、さらに3人の人形遣いのそれぞれの役割と人形の仕組み、着物を着た人形で3人の遣い手の気の合わせ方の実演等々、見ごたえのある解説です。それらの解説を踏まえて、「絵本太功記」を観賞しました。これは、信長を暗殺した明智光秀の苦悩と一族の悲劇を、秀吉を絡めて描いた作品ですが、あくまでもフィクションです。文楽の中では、「武智光秀」と「真柴久吉」と名がかえてあります。この演目は、光秀が謀反の目を抱くところから、本能寺の変、大詰めの久吉の台頭までの13日間を描く長いものですが、今日は「尼崎の段」。光秀の母の尼崎の家で描かれる、一族の悲劇。光秀の息子「十次郎」と許婚の「初菊」、そこに登場する旅の僧の姿の「久吉(秀吉)」。ここで繰り広げられる悲劇には、不条理としか言いようのないものがありますが、これが江戸時代の民衆の涙を誘ったのですね。でも私が心配したのは、見ていた高校生たち。試験に戦国時代が出てきたときに、秀吉のことを「久吉」って書いてしまわないよね。明智光秀のことを「武智光秀」って書かないでね。さて、文楽を観賞した後は、wakkoさんのご案内で楽屋へ。今日のプログラムには出演していらっしゃいませんでしたが、われらが応援する人形遣いの「吉田玉女」さんに会いに行きます。玉女さんは、もうすぐ「吉田玉男」を襲名されますので、我々も力が入ります。楽屋で玉女さんにいろいろ説明していただき、その後写真を撮らせていただきました。お人形たち。文楽鑑賞教室でも解説のあった、人形遣いの履く「舞台下駄」。役によって、高さの違うのを履きわけます。太鼓の皮を、乾燥させていました。何度も楽屋に案内していただきましたが、初めて見ました。玉女さんから全員にいただいた、お土産。中身は、岐阜の高山の老舗料亭のお豆。すぐに、あの人にさし上げましょうと思い浮かんだ方が!高山出身で句会のお仲間の女性、体調の良くない中いつもお世話を進んでしてくださるその方に。彼女は、わざわざ買ってきたものは受け取ってくださらないので、「玉女さんからのいただきものです」と言ってお渡ししたら、ふるさとの味ですもの喜んでくださるでしょう。劇場を出てもまだ日が高かったので、近くのティールームでお茶タイム。文楽の余韻を楽しみながらの、会話。mamatamさんとwakkoさん、すぐに打ち解けた雰囲気。mamatamさんは大変博識で、好奇心が至る所に及んんでいらっしゃる方なので、初めての文楽もとても楽しんでいただけたようでした。今度は7日に本公演をご一緒します。美しいお人形たちとの出会いも、楽しみですよ!!
2014年12月06日
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2014年9月22日(月)晴れました。お洗濯やら、夏用品を日光に当てたり。栗ご飯を食べたくなり、買い物に出かけました。大きめの茨木産の栗が手に入り、ホクホクと帰宅。今年は、栗がお安い!今日も立派な栗が1キロ入って、398円!!例年でしたら、500円以下では買えないのに。おいしいおいしい栗おこわに、変身しました。毎日のように報道されるのが、多摩市の連続放火事件。新築中の物件ばかりを狙って、6件も起きてしまいました。一つの救いは、人的被害の出ていないこと。でも住宅地の中の放火ですから、まかり間違えば大きな被害を生むことになりかねません。各テレビ局では、犯罪心理学の専門家や評論家たちがいろんな推測をしているんですが、私は別の見方もあるんではないかと思っています。放火が、多摩市内に限定されているところにひっかるのです。多摩市の地図を広げてみると、意外とすぐ近くが市境であることが分かります。日野市・稲城市・八王子市・町田市・神奈川県川崎市と、ほとんど道一本で接しています。多摩川を渡れば、府中市です。放火された現場の地名を地図上で追ってみますと、一之宮・聖ヶ丘・東寺方・和田・また聖ヶ丘・貝取と、他の市と非常に近いところもあります。放火された時間帯を見ていきますと、午前1時から午前3時ごろの、いわゆる深夜帯が5件。最後の貝取だけが、午後9時ごろです。この時間帯のことでは犯罪の専門家が、「近隣に住んでいて深夜帯の警備が厳しくなったのを知って、時間帯を変更したのではないだろうか」と言っていました。確かに各建築現場では、ガードマンを配置するなどの対応措置を取り始めたようですので、その点は私もそう思います。そうすると、それでも放火を繰り返す犯人の並々ならぬ放火への強い意志が、くっきりと見えてくるのです。道一本で多摩市外となるところにも、新築現場は至る所にあります。私の散歩コースにも、あちこち新築現場がいっぱいです。でも他市は、被害にあっていません。犯人は、あえて多摩市にこだわって放火している気がしてなりません。多摩市、あるいは多摩の警察、または多摩の消防署や消防団に、とんでもない逆恨みを持つ人ではないかと、推察するのです。犯人は、新築住宅のあえて2階に上がって、燃えやすいように空気の流れを確保して、灯油をまいて放火をしているようです。単なる愉快犯とか放火魔とか、そういったものとはちょっと違う雰囲気を感じるのは、私だけでしょうか。いずれにしろ素人の、報道されたものだけで受けた印象からの推察ですので、見当違いとは思いますが。一刻も早く犯人逮捕となりますように、関係している方々を応援したいと思っています。読売新聞に、文楽九月講演の評が出ていました。第一部の評は、主に配役と演目の紹介、評としては「切れ味鋭く人物の心の動きを描写した」と好評。第2部は、「玉女の盛綱が分別を増し、文雀の微妙(みみょう・盛綱の母)は風格充分」とこれまた高い評価。第3部のシェイクスピアを文楽にした「不破留寿之大夫(ふぁるすのたいふ)」については、「発案・監修・作曲に当たった鶴澤清治の熱意が感じられ・・・」と、以下大夫さん方や人形遣いさん方の演技が溌剌としていたとの、評でした。ただ長い長いシェイクスピアの作品を1時間20分に抑えたこともあり、「原作のフォルスタッフの破天荒さは再現しきれなかった」とのこと。小さなコラム、文字数も大変限られた中の評ですが、読むのがむつかしい演目や専門用語に振り仮名を付けていただき、素人の私でも読むことができました。演劇評論家の富岡泰さんの評でしたが、この方は「文楽ハンドブック」も書いていらっしゃるようなので、それも読んでみたいと思っております。
2014年09月23日
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2014年9月20日(土)ひんやりとした、曇り空です。朝からワクワクそわそわと落ち着かない私に、旦那さんは呆れて出かけてしまいました。久しぶりの文楽鑑賞、それにブロ友のwakkoさんに会えると思うと、落ち着いてはいられません。wakkoさんは、「文楽勝手連」を中心的にお世話をしてくださる、とても魅力的な女性。やわらかな感性と美しい心!!お友達の片端に加えていただけたこと、我が身の幸福です。さて今日はすべてを省いて、文楽のみをお伝えします。今日は三部に分かれての公演です。第一部は11時から始まって15時30分終演という、長調場。「双蝶々曲輪日記」ほとんどの勝手連メンバーがこの一部から鑑賞されたのですが、わけあって私はあえてパスしました。15時35分、楽屋口でwakkoさんや勝手連の方々と合流しました。wakkoさんのお世話で、楽屋裏を見せていただきます。私たちが黄色い声援を送る人形遣い吉田玉女さんの楽屋にお邪魔して、その人形を拝見させていただきました。いつも驚くのですが、大きい!ほとんど、小柄の女性くらいの大きさです。30分の休憩時間に次の公演のお支度もあるので、お邪魔にならないよう早々に辞しました。それでも玉女さんから、こんな素敵なお土産おいただきました。第二部、「近江源氏先陣館」時は鎌倉時代、北条時政の軍師佐々木高綱とその兄盛綱の身の上に起きた、悲しい出来事のお話です。京方と鎌倉方に兄弟で別れてしまった二人、悲劇の始まりです。「和田兵衛上使の段」盛綱の子「小三郎」は、初陣で手柄を上げます。敵方の名のあるものを生け捕りにして、連れ帰ったのです。その捕虜は、弟高綱の嫡男「小四郎」でした。盛綱の母「微妙(みみょう)」は、孫の小三郎の手柄を喜びつつも、もう一人の孫小四郎の縄を打たれた無残な姿に平静ではいられません。「盛綱陣屋の段」盛綱は、小四郎の処遇に窮します。小四郎を人質として生かしておくのは、弟の高綱を味方に付けようとする時政の陰謀と考えた盛綱は、高綱が二君に使えるという不忠者にしないためにも小四郎を生かしておけないと結論します。この段は、我が子を思う母の思いと、孫を思いながらも武家の立場で懊悩する祖母、父の命のために自害する孫、文楽ならではの涙涙の太夫の語りが続きます。不条理、それが当たり前の時代でした。忠義を尽くすためには、親子兄弟の命さえも捧げる時代の、悲しい辛いお話でした。玉女さんは、盛綱の人形を遣っていらしたのでほぼ出ずっぱり。ファンにはたまりません。迫力の演技で、舞台がびしりと引きしまいました。もう一つ、これぞ文楽という演目「日高川入相花王」。舞踏にも歌舞伎にも演目になっている「安珍・清姫」・「娘道成寺」として名高い下りです。日高川のほとり渡し場までやってきた清姫は、思い人「安珍」のもとに一刻も早く行きたい。けれどもそれを阻む日高川。清姫の怨念が、我が身を蛇に変えてしまうのです。折あしく雨で増水した川を渡る、清姫(蛇の姿)。歌舞伎などでは、うろこの模様の着物に早変わりして蛇を表しますが、さて文楽では、美しい清姫の顔が一瞬に恐ろしい顔に!「ガブ」という手法なんだそうですが、この恐ろしい顔の清姫が流れを増した日高川を泳いで渡る、すさまじい場面になります。これは歌舞伎でも舞でも表現できない、人形ならではの世界です。第三部、「不破留寿之大夫(ふぁるすのたいふ)」。文楽の新作です。イギリスの歴史に残る大戯曲家「シェイクスピア」の「ヘンリー四世」と「ウィンザーの陽気な女房たち」に共通して登場する人物「フォルスタッフ」を、文楽には珍しい喜劇として作り上げようとす意欲作。では、文楽ではフォルスタッフ(不破留寿之大夫)は、どのよなお人形になるんでしょうか?舞台の装置デザインと、人形と衣装のデザインをされた「石井みつる」さんのお人形を、ご覧下さい!以上、パンフレットから流用させていただきました。今までの文楽にはない、太っちょ!大酒のみの小心者。悪者ではあるが、どことなく憎めない小者。シェイクスピアの描く、狂言回し。酒のためなら何でもする、呑兵衛。酒の入った瓢箪が空になると酒を飲みたい一心で、居酒屋の女房と蕎麦屋の女房に同じ付文をするという、その安易さ!!対する領主の息子「春若(ハル王子)」は、京極正樹さんのような凛々しい美しい姿の、正義そのもの。まず、大夫さん四人、三味線方四人と琴二人、間に胡弓奏者というラインナップに、どんでん返しも裃もシェイクスピア仕様!!三味が演奏するのは、「Greensleeves 」!!胡弓の哀愁漂う音色と琴のポロポロポロリンと響く音色の、何とも和なこと。同じく「石井みつる」さんの絵コンテです。パンフレットから写したのですが、ぶれちゃいました。枯れ木の大木と星空が、一瞬で満開の枝垂桜の大木に。居酒屋さんの場面には、屋台崩しもあったりして。フラッシュが激しく点灯する、演出も!いたるところに、新しい文楽を作るんだという心意気!!文楽を観賞にいらしたお客さんたち、最初は遠慮勝ちに笑っていらっしゃいましたが、随所にクスグリのきいたセリフや場面についには大爆笑!!観客席には外国の方も多く、報道陣とみられる方々も多く見受けられました。皆さん肩を震わせて笑って、声を出して「いいぞ!」なんて言葉を発したり、新たな文楽の世界が開いた気がいたしました。今や古典と言われる文楽の演目も、最初は新しい演出や工夫が随所に有って成り立ったはず。「ガブ」もその一つですね。今までなじみのなかった「喜劇」。これからは、古典の知恵を生かした新しい演目として定着してゆくとよいですね。素晴らしかったのが、大夫さん方の語り。「真の武勇は分別にあり、戦をせぬことこそ分別なり」「名誉など所詮浮世の泡沫。名誉にこだわって戦なんぞして、手足を失ったらだおうする」「やがて時が来れば、戦など愚かしいとわかる時代もやって来よう。(中略) 空しい名誉のためにあくせく生きるなどまっぴらごめんじゃ」シェイクスピアがフォルスタッフに語らせたこれらのセリフが、大夫さんの口を通じて、三味の音を通じて反戦の強いメッセージとなりました。私のつたない文章では伝えきれない文楽の魅力、機会があれば是非皆様も劇場に足をお運びになって、エンターテーメントをお楽しみくださいね。
2014年09月21日
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2014年2月20日(木)まだ雪の残る道を、気を付けながら歩きました。目的地は、半蔵門。国立劇場小ホールです。ブログのお友達wakkoさんに文楽の楽しみを教えていただいてから、病みつきになっています。今回は東京での新年初公演ということで、大変おめでたい「七福神宝の入船」が最初に上演されました。舞台右手には、「文楽廻し」といわれる床が設けられており、そこには浄瑠璃を語る太夫さんと三味線方が座られるのですが、今回の演目には七人の太夫さんと七人お三味線方が並ぶという豪華さ。なんと珍しく、琴も用意されています。舞台には大きな宝船が、波に乗っています。その宝船には七福神が乗り込み、酒盛りがたけなわ。酒の余興に、それぞれが芸を披露することになりました。寿老人は琴。ここで琴が用意されていたわけがわかりました。布袋さんは立派なお腹を叩いて、腹鼓。何ともユーモラス。大黒天は、胡弓。なんと三味線方、三味線を縦に持ちヴァイオリンの弓のようなもので弾きます。観客は、その見事さにどよめきます。紅一点の弁財天は琵琶。このお人形がまことに美しく、華やか。天女の羽衣のような薄衣が風にたなびくように、弁財天を取り巻いています。福禄寿は、その長い頭に獅子頭を乗せて踊ります。恵比寿さんは、船を打って太鼓。さらに海に釣り竿を垂れて、なんと鯛を吊り上げます。すると、他の神様が恵比寿さんにメダルを進呈。「そち」と書かれた金メダルです。時事性もばっちりです。毘沙門さまは三味線。にぎにぎしく、大変楽しい舞台でした。これは写真に撮っておきたい!なんて思ったほど美しい舞台でした。次の演目は、『近頃河原の達引』文楽お得意の、世話物です。ストーリーは省きますが、「猿廻し与次郎」の人形を使うのが、私たち「文楽勝手連」が応援する「吉田玉女(よしだたまめ)」さん。今回は2匹の猿も登場して、悲劇なのに滑稽味のある動きが入って、一瞬も見逃せません。見逃せませんが、なんでいつもこんなに心地よくなってしまうのかと思うほど、時々眠りに落ちてしまいます。浄瑠璃の語りの波長が心地よいのか、太棹のベンベンと響く音色が心地よいのか、一瞬眠ってしまうんですね。それでも気を張って、舞台に集中!猿廻し与次郎が、二匹の猿を踊らせます。人形遣いの玉女さんは端正な顔立ちの方ですが、与次郎のお人形は武骨で滑稽なひょうきんもの。その落差が面白くって、別な楽しみ方もできました。幕が下りて劇場の外に出ると、ゆるキャラちゃんが観客に取り囲まれていました。「くろこちゃん」です。愛らしいキャラクターでしょ!大人気なんですよ。私も一緒に写真を撮ってもらっちゃいました!!wakkoさんの後ろにくっついて、楽屋へ。並んでいるのは、人形遣いさんが使ういろんな高さの下駄。これを履いて、お人形を遣うのですね。玉女さんが出てきてくださり、みなさんとお話ししていらっしゃる間に、私はお弟子さんに頼んでお猿の人形を見せていただきました。お弟子さんと一緒にパチリ。可愛らしいお弟子さんです。文楽の世界は、歌舞伎と違って世襲ではありません。まったく別の世界から入って、厳しい修行をして一人前になっていきます。いつかこの若者の名前を、パンフレットで見ることができるでしょう。楽しみです。次女からメールが来ていました。亡き愛犬と、雪の中を散歩する夢を見たから、カステラをお供えしてほしいというもの。亡くなる直前は、何も食べ物を口にしなくなった愛犬。点滴で命を保っていましたが、ご近所の方のアドバイスでカステラを食べさせてみましたら、とてもおいしそうに食べたのです。亡き愛犬が最後に嬉しそうに食べた、「福砂屋」さんのカステラ。東急東横店で手に入れました。帰ったらさっそくお供えしましょう。
2014年02月20日
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2013年12月13日(金)国立劇場小劇場では、文楽の12月公演が行われています。ブロ友のWAKKOさんにお誘いを受けて、文楽の魅力に取りつかれた私ですが、まだまだ数回しか観たことがなく全くの素人です。いつもなんですけれど、560席は満席なんです。12月4日から16日まで、鑑賞教室と本公演がすべて満席となる盛況ぶりです。こんなにも文楽ファンが多いとは、知りませんでした。でも一度観ると、よく考えられ構成された舞台にはまること請け合いです。浄瑠璃の語りと太棹それに人形が三位一体となって、美々しくも迫力の舞台となります。今日は「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)」と「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう」を鑑賞します。「大塔宮曦鎧」は、なんと120年ぶりの幻の作品の上演となりました。国立劇場は、伝承が途絶えた曲を、文楽で上演することを目指して復曲する作業をされているのだそうです。台本は文字として残っているのでしょうが、録音技術のなかった途絶えた曲を、いったいどうやって復曲するのでしょう?依頼を受けた野澤錦糸さんは、「きれいに朱(譜面)が残っていた。これは復曲できると思った」と語っていらっしゃいます。それでも想像を絶する困難な作業であったろうと思いますが、今回私たちはそれを堪能させていただきました。物語は「太平記」に描かれた後醍醐天皇の皇子が、鎌倉方に命を狙われその刺殺人として選ばれた斎藤太郎左衛門の悲劇の物語です。『六波羅の段』皇子の母・三位の局と六波羅の総大将との贈り物のやり取りが、恋の歌の授受のように描かれています。贈り物は美々しい紙でできた燈籠。中に火が入り舞台にそれが並ぶとそれはなまめかしく、総大将が三位の局にすっかりのぼせ上ってしまったのがよくわかります。でも三位の局の狙いは、総大将の気を惹いて隠岐に流された後醍醐天皇を帰還させることと、わが子の皇子の命を救うこと。しかしその願いもむなしく、斎藤太郎左衛門が刺客として送られます。『身替り音頭の段』後醍醐天皇の若宮は、「永井右馬頭(ながいうまのかみ)」の屋敷に預けられています。幼い若宮にせめてもの楽しみをと、近所の子供たちと一緒に踊りを楽しませている右馬頭夫妻ですが、ひそかに若宮の身替りにわが子を差し出そうと思っています。この段は、右馬頭の屋敷の夜の庭が舞台となります。燈籠に火が入り、編み笠をかぶった大勢の子供たちが音頭に合わせて回り踊っています。このシーンは、まさに幽玄の趣。舞台美術と音曲の美しい効果の中、大勢の子供たちの踊りがまことに雅なのです。太郎左衛門は、どの子が若宮か一人一人の顔を覗き込んでいます。我が子を身替りにしようとする右馬頭夫妻の胸は、いかばかりでしょうか。大夫さんと太棹は、「冥途の旅に往く鳥と、娑婆に残れる親鳥の、涙に絞る神の露」と謡います。そしてきらりと刃が光り子供の首が落ちます。切られたのは若宮でもなく、右馬頭の子でもありません。それは刺客太郎左衛門の孫でした。町の子供たちの中に、忍ばせておいたのです。わが孫を身替りに切るだなんて、現代の倫理では考えられませんね。けれども歌舞伎の世界でも、わが子を主君の子の身替りに差し出すという話はたくさんあります。主君のためならわが身を殺すのもいとわなかった時代の、話です。現代の倫理観は通用しません。観客の涙を誘う大夫さんの謡と、それをもっと盛り上げる太棹の音色、そして人形遣いの細やかな演技。ハット息をのむほど美しい美術。それらが相まって、観客は不思議の世界にいざなわれます。今回の右馬頭の人形は、吉田玉女(よしだたまめ)さん。実に動きの少ないなかで、親の心情と武士の意地を表現しなければならない、むつかしい役どころです。私のような初心者が口幅ったいのですが、これぞ日本の男子という演技ではなかったでしょうか。「恋娘昔八丈」は、人形浄瑠璃によくある世話物です。恋する娘「お駒」が実に愛らしくいじらしく、大店である家を守るため罪人となって、鈴ヶ森の市置場まで後ろ手に縛られて引き回される姿は、とても人形とは思えません。竹本千歳大夫(たけもとちとせだゆう)さんの表情豊かな語りが、恋する乙女を可憐に、とんでもない勘違い野郎の番頭を滑稽に、お駒の思い人の才三郎をかっこよく、大勢の人を声だけで演じ分けるものすごさに圧倒されます。14時から休憩を挟んで18時までの長丁場でしたが、時間を忘れさせてくれる世界でした。終演後は、WAKKOさんの案内で楽屋に。吉田玉女さんとしばし歓談と記念写真。見れば見るほど渋い、いい男!!なんて下世話で下品な私で申し訳ありません。そこで玉女さんからいただいたのが、これが超お宝なんです。飴の入った可愛い袋。でもただの飴ではありません。はい、中身をお見せします。わかります?文楽の人形遣いさん等が、愛猫を抱いている写真がパッケージになっています。裏側にも、猫ちゃんがポーズをして写っていたりして。もう一つには、猫ちゃんたちの似顔絵と名前が。左から「KURO」・「RAMU」・「NANA」ちゃん。カンロ飴さんの制作です。「RAMU」ちゃんを抱っこして、「毎度!おおきに」と言っているのが玉女さん。「RAMU」ちゃんは「文楽観に来てね~」って言っています。いい男でしょ!!是非、文楽以外でもメディアに露出してほしい!!なんてミーハーな私は、思ったものです。
2013年12月14日
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2013年9月11日(火)ブロ友さんのwakkoさんから教えていただいた、最近の私のお楽しみは文楽。今まで縁のない世界でしたのに、初回から夢中になれた日本の古典芸能です。今日は「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」という演目を、鑑賞しました。残念なことにwakkoさんは同行されませんでしたが、彼女を通じて文楽という趣味で知り合った方々とご一緒です。国立劇場のホームページから、写真を拝借いたしました。今回は一部と二部に分けての通し上演ですが、私は二部から見せていただきました。このお話は、一言で言いますと仇討ものです。実際にあった事件に題材をとり、それに文楽らしい男女の愛や親子の情、忠義というようなものを彩りよく織り込んで、一編の大河ドラマのように仕上がっています。第二部の始まりは、「藤川新関の段」から始まりました。関所の門前の茶屋には、お袖という娘がいます。仇討相手を探している「志津馬(しづま)」は、助太刀の「政右衛門(まさえもん)」と落ち合おうと待っていますが、関所手形を持っていません。お袖は志津馬に一目ぼれ、力になりたいと思っているところに奴の助平(すけへい)が通りかかり、茶屋で一休み。この奴名前の通りすけべえでお袖に言い寄りますが、お袖に遠眼鏡を見せられて、その見える世界に夢中になります。その間に、志津馬は助平の通行手形を盗んでしまうのですが、その間の遠眼鏡でみえる光景がこれが楽しい三河万歳で、なるほど夢中になってしまうと思わされる面白さです。「すけべえ」という言葉は、この奴の「助平」から出たのかしらん?後で調べてみます。「竹藪の段」関所に、敵の股五郎が現れます。その警護をするのが、股五郎の伯父の「林左衛門(りんざえもん)」。林左衛門は、政右衛門に恨みを持っているのです。二人が関所を通り向けた後に、政右衛門がやってきてその後ろ姿に一足遅かったと悔しがります。通行手形を持たない政右衛門は、竹藪を分け入り関所破りを行います。「岡崎の段」お袖の家。お袖の父親の「幸兵衛(こうべえ)」は、百姓ながら関所の下役人。お袖が志津馬を連れて戻り、泊めてくれるように頼みます。お袖には、親たちもまだ会ったことのない股五郎といういいなづけがいます。茶屋で奪った通行手形と一緒に入っていた手紙の宛名が幸兵衛と知り、志津馬は手紙を渡します。そして自分が股五郎だと偽ります。見目優しい志津馬が、娘のいいなづけと信じた幸兵衛夫婦は喜んで二人を迎えます。そこに政右衛門が登場して、幸兵衛と同じ神影流の使い手の師弟関係にあると分かり、敵と命を狙われている股五郎の力になるよう頼まれます。この時点では、まだ自分が力添えをしている志津馬が股五郎と偽っていることを知りません。このお話の中にはこのような行き違いが随所にあって、はらはらさせられます。雪が降る中政右衛門の妻の「お谷」が乳飲み子を抱え巡礼姿でやってきます。そして・・・・。いろんな行き違いや何やかやがあり、政右衛門は乳飲み子の我が子を刺殺してしまいます。この段は、心底恐ろしい!現代の人には到底理解できない、当時の侍の思考。夫婦の愛より、親子の情より、忠義が優先された時代です。歌舞伎にもよくある題材ですが、現代人には到底共感はできませんが、そういう時代であったということです。「伏見北国の段」「伊賀上野敵討の段」と話は進み、見事仇討は果たされます。文楽の人形は、見事に見得を切り立ち回りをします。巡礼姿のお谷の凄絶な悲しさ!お袖の可憐さ。何よりも、吉田玉女(よしだたまめ)さんの使う「政右衛門」の豪快な武士ぶりと、忠義のために妻を雪の道に追い出す悲しみ、わが子を刺殺す無残さが、それはそれは見ている人の胸を打ち、恐ろしさすら感じるのです。どんでん返しでかわるがわる舞台に上がる、大夫さんと三味線方の大きな力!その浄瑠璃の文言や調べに、胸をわしづかみにされます。あ、政右衛門の姿です。こちらも国立劇場のホームページからお借りしました。先の写真は、政右衛門とお谷です。とても大きなお人形を、人間とは違うけれどより人間らしく表現する文楽。まさに目で見て耳で聞いての、世界のどこにもない総合芸術。たくさんの人たちの熱演は、会場の人たちの涙を誘うのです。このような世界に私を導いてくださったwakkoさんには、感謝感謝です。ぜひまたご一緒させてくださいね。
2013年09月12日
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2013年5月25日(土)曇り空ですが、4時にウオーキングに出発。今日はお休みですので、少し遠くまで。多摩川沿いの道を下って、思い出の多い場所を歩きます。亡き愛犬と散歩した道。保育園児だった次女と遊んだ公園。12,000歩のウオーキングでした。家事を大急ぎで片づけて、電車に飛び乗りました。目的地は半蔵門駅。そこから徒歩すぐに、校倉造をイメージして建てられた国立劇場があります。今日は文楽の五月公演。ブロ友のwakkoさんとご一緒です。「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」今、吉川栄治さんの「新平家物語」を読んでいる私には、ズズズズと胸に響く作品でした。隆盛を極め、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われた平家は壇ノ浦に沈み、源氏の世となりました。源氏の武将「熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)」の須磨の陣屋に、妻の「相模(さがみ)」が、子の小次郎の身を案じて訪れます。そこへ、かって相模の主人であった「藤の局」が落ち延びてきます。藤の局は「平 敦盛(あつもり)」の母。敵方の藤の局を、恩義ある相模はかくまいます。ところが直実がその敦盛の首を持って、陣に帰ってきたのです。まだ少年の敦盛の首を討ったのは、直実でした。ポスターの写真は、直実の人形です。人形遣いは、吉田玉女(よしだたまめ)さん。このお人形、とても大きくて重いのですよ。さて、話は意外な展開を見せます。それは史実とは違うのですが、文楽ならではの胸に迫るお話となっています。双葉(嫩)とは、敦盛と小次郎という、二人の若者のことを指すのだそうです。人形、義太夫、三味線、三位一体の迫力ある場面がクライマックスへと続きます。「曾根崎心中」ご存じ近松門左衛門の世話物です。手代の徳兵衛は遊女お初と恋仲ですが、主人筋から縁談話が起こり、それにお金の問題が絡んで身動きが取れなくなります。そして心中への道行き。「この世の名残、世の名残。死にに往く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えて往 く、夢の夢こそ哀れなれ」なんと美しい言葉でしょう!この言葉が大夫さんによって語られると、一段と情景が浮かび上がります。さすが近松門左衛門。シェイクスピアのようです。「あれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘の響きの聞き納め」と続きます。遠くに鐘の音。そして、徳兵衛の刃がお初の首を貫き、その刀で自分の首を切って果てる徳兵衛。大夫さんの語りが重なります。「哀れをさそふ晨朝の、寺の念仏の切回向4(きりえこう)。。。略。。。南無阿弥陀仏を迎へに て、哀れこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の雫と散りにけり」最後は五人の大夫さんと、太棹五本の、大大迫力の演奏でした!!!さて、夢のような時間を楽しんだあとは、楽屋訪問です。これはwakkoさんあっての、とびっきりのおまけ!直実の人形と玉女さん。あ、ピンボケもいいところですね。誰かが前を横切っているし。。。。愛らしい若い二人のお弟子さんと。隣に並んでもらうと、人形の大きさがよくわかりますね。今回のパンフレットの表紙の写真です。お人形さんが生きているようです。九月公演のチラシの写真。目で見て耳で聞いて、五感で楽しめるのが文楽の世界です。そして胸の奥深く、誰もが持つ父や母に対する思い、子に対する思い、愛しい人に持つ思い、そういう情に真っ直ぐ訴えかけてくるのが文楽です。是非機会がありましたら歌舞伎とも西洋劇とも違う、文楽の世界もお楽しみになってくださいね。
2013年05月26日
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