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2004年の「スマトラ島沖地震」と昨日の「ミャンマー 地震」、7年の間もあるが、一つ、すごく進化したのはやっぱり情報発信のことでしょうか。2004年の地震の時、朝方の時間帯で私はたまたま母乳の為に起きていて寝ようとしていた時だった。近所にあるお寺にいる犬の泣き声が今までの泣き声と違って、人間がすごい苦しんでいるような泣き方だった。しかも、一匹だけじゃなくて一斉に10匹ぐらいだったからすごい大きいな大騒ぎ。次は壁からの音や強い風の音(しかし外を見ても風吹いていない様子だったのが不思議だった)が気になった。壁の方をちゃんとみたら壁がバイブレーションしているのも目で見て、その時私はもう目眩してなにが起きているか分らなくて、音で起きて来た旦那に大声で、「このビル壊れそう!逃げよう!」その時はバンコクでもまさか地震あるって信じられなかった。関東大震災が怖くて我々はタイに住もうと思ったのに、ここで地震が来ると思っていなかった。とにかく、当時が原因が地震だと頭の中に全くなくて、川沿いのコンドーだからもう10年以上の建物だし地盤が緩くなっていたことしか考えられなかった。避難のため、私は生後5ヶ月の息子を抱っこし、旦那はパスポートと現金、お姑さんは紙オムツの大きなパックを持って4人で18Fの階段を降りた。途中、エレベーターを見たらタイ人やインド人で満員!みんなエレベーターで避難していた、全くものタイ人たちだ!とにかく、車に乗ってその川の近くから移動。サトーンを通って行くとある高層ビルの下に人々が集まっていてビルの方を指してなにか話している姿もいた。まさか、そこのビルも揺れた?それでも「地震」と言う言葉は私たちの頭の中にもまだなかった。車を街の中を走らせても違う雰囲気はそれ以上なくて、道路の屋台などは普通通りだった。車のradioをつけてもなにも新しい情報得られないままだった。そのまま、ある新築のサービスアパートにチェックインすることにした。ホテルのテレビをつけて情報を求めようと思ったが、どんなタイのテレビも普通の番組ばかりで、CNNやBBCもイラクのことしかやっていなかった。インターネットで最新ニュースを見てもなにも情報はない。不安が続く、揺れの原因知りたい。でも世の中は普通なので、やっぱり我が家のコンドーだけが揺れたと、信じるしかなかった。4時間後にやっとCNNでちょっと情報が入って来てインド洋側で地震と津波のことが伝われた。それでも規模がまだ明確じゃなかったし、情報が少ない上、混雑だった。きっと幅広い範囲だったし、通信が遅れている地域、アクセスも難しいところだったからだろう。それでもその地震と我々が感じた揺れが同じだとまだ半分信じられなかった。不安が続く。夕方になればもっと情報がニュースで流れて来て、津波による死者の数が数十人から何百人に突破し始めた。死者が千人を超えるにも時間の問題だけだった。でも私たちの情報収集はやっぱり外国のテレビばかりで、伝われるのが遅いと感じた。毎日ニュースを見ながら大規模な被害になってしまったことが明らかになってぞっとするだけだった。地震の2日後にコンドーに戻り、着替を取りに行くことにした。実は、壁が揺れ過ぎて余震が来たら建物自体に入るのが恐ろしくて、、、10日間経過して不安を感じながらでもコンドーでまた生活をすることにした。当時、地震があったこと自体の情報が入りにくくて、あまりにも情報が少なくて不安が続いた。しかも、タイのテレビを見ていてがっかり、、、情報が殆どゼロ!今回の地震では、揺れを感じてすぐTwitter を開き、早速チェンマイで大きな揺れを感じた人からの発信があった。、次から次に他の情報が流れて来て不安はあるけど原因が分るだけで自分たちも冷静に行動できた。MAG7.0の地震、津波の心配ないことをすぐ分るような時代になってありがたい。もうテレビの情報を待たなくてもTwitterで情報を監視することができる。細かいことは後でニュースとかを見て分ることもあるだろうけど。今回だって、我々はNHKのstreamを見ていたけどミャンマーの地震のこと一切報道されなかった。ちなみに、旦那は「ニコニコサイト」のコメントのところにミャンマーに地震起きたことを書いたら、誰かが「ミャンマーってどこ?」って書いてくれた人がいた。日本人は全く興味なかったような、、、CNNのサイトに短い記事だけあって、アメリカの親戚からすぐメールが来ただけだった。他のニュースでは詳しい情報なかったけどTwitterでは現地の状況は少しでも伝われていて、被害の状況も書いてあって、誰よりも細かい情報を手に入れることができたのはTwitter のお陰。やっぱり大感謝して上げなくちゃ!
2011.03.25
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嘘ではない、今日夜9時ごろにウチのコンドーが揺れた!タイで地震を感じたのはこれで2回目。1回目は2004年の「スマトラ島沖地震」で、当時は18階のコンドーに住んでいたけど、チャオプラヤ沿いで揺れが結構大きくて壁に皹までも入った。建物はその当時、15年ぐらいだったと思う。川沿いだから地盤は柔らかいには違いない。今回は26階のコンドーで、一昨年出来上がったばかりの建物。でも新しくて川沿いじゃなっくても安心はできない!壁から出る音、不思議な音で、天上に小さな石が投げられているような音で、最初はネズミが走っていると思った。でも風がないのにブラインダーが随分揺れていた。すぐ今回の東日本大地震のことを思い出して、玄関で子供たちの靴を用意してみんなで非常階段を降りる気持ちでいた。でも30秒以内に揺れが収まって、旦那は早速ネットを調べ始めた。ちょっとたったらあちこちから情報が入り、タイの北部、チェンマイの人のTwitterであっちの方が中心だと分った。ここのサイトではMyanmarで、最初MAG7.0だったが、今はもう既にMAG5.0まで下がっている。バンコク市内の高層ビルに住んでいる人は殆ど揺れは感じられたと思う。しかし、地震を感じても地震だと分らない人が多いだろう、特に高速の近くに住んでいる人は重いトラックが通るだけビルが揺れることが多いからだ。バンコクの一軒家の人、殆ど感じなかったと言うけど地震発生地に近いなくと一軒家の人でもよく感じられたそう。今度もし引越を考えるならコンドーより、場所が不便でも一軒家を考える必要があるかも知れない、ここタイでも。。。
2011.03.25
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実は去年書くつもりだった日記。年中さんになった長男の友達の親たちによく小学校のことを聞かれていて、まだ少なくても1年以上はあるのに、考えるのが早いと思っていて適当に答えていた。しかし、タイ人にとってはこれは大事な選択で皆さんは子供を産む前からもうだいたいは選んでいることらしい。でも私たちにはどう考えてもあまり選択肢がないことに気がついた。確かに最初からインターや日本人学校は考えていなかった。折角タイにいるから幼稚園、小学校まではタイのに入れるつもりだった。一度インターに入れたらもうタイの学校に入れなくなるので逆ならいつでもできる。はい、そうしようと、旦那との意見があった。しかし、旦那の親はどうしても将来、アメリカの大学行かせたいからインターを進められていた。おいおい、「幼稚園のことが先じゃないの?」って、私はへそに向かっていたつぶやいていた。でもタイ人たちはよく留学しても欧米のトップの大学に入れるから心配ないと、なんとか納得してくれた。でもタイの学校なら誰でも簡単に入れられると、勘違いしていた。実は、タイの有名学校、タイ人たちがもっとも自分の子供を通わせたい学校はSatit関係。だけど、これにはコネと$,$$$,$$$バーツの寄付金が大事で、この大きな壁にぶつかってしまった(Satitと言うのは大学の付属学校で、チュラやカセサート大学などのこと)。チュラにどうしても子供を入れたい親がいて、金額を聞いたら1-bedroomのコンドーを買えるぐらいのものだった。毎月寄付を上げていて、そのレシートをもって入学試験の申し込みの時に他の資料と一緒に添付するらしい。更に王室関係の色々な施設に寄付金を納める必要がある。うちはそう言うことはするつもりなかったので一応経験としてSatitの試験だけを受けさることにした(この試験には幼稚園の殆どの子も受けるらしい)。Satit Chulaの入学試験の申し込みに行ったら、我々はタイ国籍ないのであちこちの担当者に回され、最後に特別扱いにしてもらい、受験を認めてくれた。万が一合格してしまっても入学出来るかどうかは別の問題になっていただろう。息子はまだ5才なのに試験当日、緊張もなく、全く知らないところで、全く知らない大勢の人たちに混ざって指示通りに他の子たちと行動して試験会場に入って行った。きっと息子よりママの方が緊張していただろう。試験が終わるごろに迎えに行っても普通の顔で、試験終わってしばらくテレビで漫画を観ていたと、余裕な顔ぶりで言う。大規模なことだと分っていなかったんだろう。。。一週間後に結果が発表されたが、息子はもちろん外れ。Satit系経験はそれで終わり、3ヶ月後から本格的に小学校を探すことになった。実は時期を過ぎてしまったら受け入れ学校がだんだん減って行くと言われた。園長先生と相談して二つの小学校を進めてくれた。今度は入学試験の申し込みの時期を待つだけだけど、その前にその学校が外国人の息子を受け入れてくれるかどうかの問題があると言われた。結局"A"小学校は試験を受けさせてもいいと言われ、手続きに入った。その時、また園長先生に相談され、寄付金はどれぐらいにするかっと聞かれた。タイの学校って子供の実力より親の金力だなって、改めて思った。逆にこちらはなにも知らないので園長先生は同じ小学校に申し込む他の親たちに相談してもらい、我が家からの寄付金を決めた。これは、我が家の子はタイ人じゃないから特別扱いになるので金額は他の子よりちょっと多めにと言われた。その金額、もちろんSatitに比べても桁数が一つ少ないが、少なくはない。しかも、ウチの場合、外国人として特別扱い以外にバイリンガルを希望したから普通のプログラムの子より多い。仕方ない、来年は次男のことを考えれば、その金額を2で割ればいいとする(兄弟の場合、二人目から寄付金必要無いそうだけど、これも時代によってかわりつつあるだとうと)。入学試験はあるが、形だけなのか、その成績によって落とされる子いるかどうか分らない。でも子供が試験中に親の試験のようなものと面接もあり、試験は5つの質問に対して答えを書かなきゃ行けなかった。私のタイ語はゼロなのでなににも役に立たないが、旦那はポー6を受けた事あるのでなんとか読みは出来た(英語で答えを書いたけど)。面接はバイリンガルの場合、2つに別れていた。タイ語の面接の時に付き添いに来てくれた園長先生が殆ど答えてくれて助かった。英語の面接は子供もも合流して、旦那と私だけで、外国人の先生とお話をするだけだった。おそらく、タイ語の面接で殆どの入学が決められるでしょう。色々質問され、特に我々はなぜタイの小学校を希望しているとか、親はどの商売で将来外国に戻る予定あるかとか、親はどれぐらいお金を出せるのか。このような質問がピンポイントだろう。我々の答え、と言うか、殆どは園長先生が答えてくれたが、嘘よりちょっとオーバーだった。だって、将来について、いつまでタイに住むとか、インターに切り替わるかも知れないから本当のことを言ったら落とされるかも知れない。その後の結果、一応合格。今度は手続きを進められ、ビザのことなど、住民票のようなものまで、色々聞かれて書類の準備を会社の人に頼んでなんとか揃えた。子供たちはタイで産まれているし、タイの幼稚園を通っている形跡もあり、タイの文部書に登録されているから正確的にタイ人じゃなくてもあまり文句言われなかった。小学校までタイの学校、後からインターに変わったハーフの友達が結構いるのでインターとタイの学校の一番の違いとは、と聞いたら、インターだと自分で答えを考えることが大事だと教えられる。タイの学校では、まずみんなと一緒じゃないと行けないところがあるらしい。先生が質問してもほとんど誰も手を上げない、積極的じゃないこと、多くの外国人の親からきいた。でもそれも時代で変わりつつあると思い、4年生までタイの学校の様子をみることにする。6月ぐらいまで次男の小学校を考える必要があって、お兄ちゃんと同じ学校にするかまだ悩んでいるところ。確かに同じ学校の方が寄付金のこともあるし、送り迎えや学校のイベント、PTAなと楽だろう。でもうちは年子兄弟なので双子とあまり変わらない状態なので違う学校を通わせた方がそれぞれ独立して歩んで行く道を作って上げたいし、友達も、全く違う方がいいんだろうか。私、一つだけタイの学校について違和感がある。それは「共学」が少ないとこ。家は男兄弟なので共学に入れたかったが、どう探しても近くにあまりなくて男子校の二つに選択が絞られてしまった。。。だって、幼稚園の発表会を観ていて改めて思ったのは、小学校では女の子とペアで踊れなくなり、男の子ばっかりで踊っていたらあまり可愛くないような気がする。。。どうかな?それでタイでオカマちゃんが多い?いや~それなら遠くても共学にすれば良かったかも???
2011.03.23
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