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稲荷山の仙人さんが、毎年貰うのが恒例になっている、竹筒貯金箱と手水鉢用の柄杓とほうき草で作ったほうきを持って来てくれました。毎年恒例と言っても、さて何年前から貰っているのか記憶が無いほど・・・少なくとも20年近く前から貰っていて、我が家の風物詩として完全に溶け込んだものなのです。竹筒貯金箱は、又今年1年頑張ってお金入れてと、子供や孫の声が聞こえるようで・・・・柄杓は昨年貰ったものが1年でこんなに変色しているものが・・・こんなに綺麗なものに替わり・・・柔らかいほうき草のほうきは砂利の上に散らばった落葉を掃くのにピッタリなのです。仲でも柄杓の台の竹を結わえている黒いシュロ縄の結び方はプロの結び方を調べて、その方法で結んだ手の込んだものなのです。年が変わると、何も言わなくてもちゃんと作って届けて貰えるなんて、感謝感謝です。
2018.01.18
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神戸の小磯良平美術館で行われている藤島武二展に行って来ました。小磯良平は藤島武二の弟子なので、藤島武治の作品はよくこの美術館ら出品されます。この美術館はよく行くのですが、それは当ブログに時々コメント頂く東京の「東の料理人」さんが招待券を送って下さるからなのです。今回も2枚貰ったので、神戸在住の「いつもの後輩」さんを誘って行ったのでした。JR神戸線の住吉駅までマイカーで迎えに来てもらったのですが、そこまでの京阪電車とJR乗り継いで行くのにプレゼント(?)を約束していた重たく柄の長い『掛矢』を持って行ったのです。少し格好悪い移動でしたが・・・・(笑)掛矢プレゼントのいきさつはここを。六甲アイランドにある小磯美術館では・・・この複製画の前だけは撮影OKだったのですが、他は勿論ダメで沢山観た絵は報告出来ません。藤島武二の生涯を追うような形の展示でしたので大変分かりやすい鑑賞が出来ました。そのあと、震災を挟んで、9年間勤務した三ノ宮の事務所のビルや周辺を見たいとリクエストして20年ぶりに回ったのですが高層マンションなど林立して昔の景色から程遠いものになっていて浦島太郎の心境でした。奇しくも今日は阪神淡路大震災の日ですが、自宅が全壊した社員、半壊した社員や事務所ビルが半壊して事務所再開まで半年かかった事や、神戸への交通遮断で苦労したことが走馬灯のように思い出されました。往きは京阪電車から環状線と乗り継いでいったのですが、帰りは神戸から大阪へ、そして社会見学(?)に大阪の街を少しぶらぶらしたのですが・・・神戸以上に新しい高層ビルがニョキニョキと立ち並び・・・高さ制限のある京都にいる者には、こんな景色を見ていると目がくらみそうで・・・私の昔から知っているビルは相対的に目立たない低いビルと化したため完全に土地勘が狂う景色となっていたのですが、この市役所と大川の風景は・・・・昔ままでホッとして、淀屋橋の京阪電車に乗るため地下に潜ったのでした。
2018.01.17
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『国際観光都市』と言うのが有ります。正式には『国際観光文化都市』と言うのだそうですが、ウィキペディアによりますと・・・「国際観光文化都市とは、日本において、日本国憲法第95条に基づく個別の特別法又は国際観光文化都市の整備のための財政上の措置等に関する法律(昭和52年法律第71号)により、国際的な観光・温泉等の文化・親善を促進する地域として指定された都市をいう」と言うことらしいです。京都は国際観光都市である事には間違いないのですが最近は国際民泊都市と言っても良いほどに民泊が雨後の筍様に増えています。そんな中で問題になるのが、騒音とルールを無視したゴミ捨てです。その現実に向き合ったものを見かけましたので撮って来ました。上の黄色い方は通常見かけるゴミ出しのルールを書いたものですが・・・その下にもう一つ貼ってありました。電柱に巻いた形なので2枚に分けて撮りますと・・・黄色い看板に書いてあることを中国語で書くとこのようになるようです。今まで見た事がない看板ですが、列記としたお役所製のもの。多分地元住民の要望でお役所がこんな紙を作ったのだと思います。・・・と言うことはこれからこんな看板をアチコチで見る事になるのでしょう。国際民泊都市?? の問題を象徴するような看板でした。
2017.12.28
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12/12のブログに書きましたデジカメの故障修理の件ですが、既に書いていました通り販売店に交換の新品を取りに行って来ました。店の人は詳しい事が分からなかったのですが・・・・中に入っていた修理伝票に依りますと・・・『本体交換対応機種』と書かれていますので何か欠陥があったのでは?? 買って2年程で偶々5年保証に入っていたのでこのように新品に換えてもらいましたが、メーカー保証の1年経過後2年経っての不具合なら、大体修理より買い替えをするケースが多いのではないかと思います。因みに元の機種名は PowerShot SX610HS でしたが代品は SX620HS と変わっていました。WIFIでの画像取り込みが元のままで作業が進んでいくので、そのまま進めて行くとどうしても画像が取り込めず、メーカーの窓口に相談すると・・・リモートサポートで新しいソフト?を入れてくれてめでたしめでたしとなりましたが、機種が変わるとホント苦労が始まります。
2017.12.21
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父の50回忌と母の23回忌を併せて行いました。(昨日買ったおけそくさんはこの為のものでした)50回忌は最後の法要として、行えること自体がおめでたいとの思いから、「南無阿弥陀仏」の掛け軸にプラスして「寿」の掛け軸を掛けました。法要に『寿』の軸が適切でないのかも知れませんが、この軸は今お参り頂いている住職の先々代の住職(おじいさん)の書をご本人から何十年も前に頂いたものなので、披露するのもまた供養かと掛けました。お参り頂いた、ご住職はこの寿の軸を見て、お寺には無いのでと記念に写真を撮られていました。因みに、先々代は92才で亡くなって今年33回忌をされたとおっしゃっていました。(南無阿弥陀仏の軸はどなたの書ですかと訊かれたのですが・・・昔からあるので分からないものなのです)私が子供の頃はそのご住職が、私が成人してからはそのお子さんが、私が老齢になって下の写真のお孫さんの住職がお参り頂いていることになります。余談ですが、この軸からおじいさんの話になったのですが、ご住職から『検索するとその著書など色々出て来ますよ』と教えて貰い、早速そのお名前『川島真量』をyahooで検索してみると・・・・何となんと、何件も出て来るのです。そんなに偉いお坊さんとは知らなかったのです。一本の掛け軸を掛けたお蔭て子供の頃可愛がってもらったご住職の知らなかった面を知る事が出来たのでした。この度は五十回忌、回忌を重ねると、赤ローソクを使えると言うことなので大手を振っての赤ローソクでした。『五十回忌 めでたい証の 赤ローソク』お参りは・・・50回忌ともなると・・・『五十回忌 主役を知らぬ 人多く』・・・と言うことは至極当然なことでした。
2017.12.17
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ブログの更新も訪問も休ませて頂いております。カメラがダウン、そして旅行から帰って来るとパソコンまでダウンで悪戦苦闘しています。カメラは2年前買ったキャノンなのですが1週間ほど前に全くオンしなくなったのです。取り敢えず古いカメラを使ってしのぐ一方、5年保証に入っていたので修理に出しますと・・・今日販売店から『マイナーチェンジした機種に変わるが新品に換えるので了承して欲しい』と連絡が有ってあとは新品が届くのを待つだけとなりました。画像取り込みをWIFIでやっているので又設定など余分な苦労が予想されますが、まあ良いか・・・良くもまあ、5年保証に入っていたものと得をした気分です。カメラはこれで一見落着したのですが、次にパソコンがダウン。電源が入ったまま先へ進めず、かといって電源のOFFも出来ずフィックスしてしまったのです。伝家の宝刀、コードを抜いたり、バッテリーを外したりしてもどうにもならず・・・・購入後まだ9ヶ月なのにです。書けばこれだけのことなのですが、本当に弱り目に祟り目、色々復旧努力したのですが、らちが明かず購入先へ持ち込むことにしました。回復するまで更新と頂いたコメントへの返事を休ませて頂きますがよろしくお願いします。
2017.12.12
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予て、五山の送り火を当日、高いビルではない場所で全部見る場所探しについて数回書いて来ましたが、まだ見つかりませんでした。それで思いついたのが、出町柳周辺で大文字と妙法を見て、次に前に書きました、船形、左大文字、鳥居の3つが見える豊国廟の中腹に移動する方法はどうかと言うことでした。今日は自ビール作り同好会で出町柳に行くので良い機会と、試してみることにしました。折り畳み自転車でのスタートはここ出町柳。名所のデルタ地帯では橋脚工事の為、水替え工事がなされてこんな光景でしたが・・・その出町柳からは勿論大文字は正面で問題ないのですが・・・見えると思っていた妙法が法の字しか見えないのが想定外でした(もう少し場所を移動すれば妙の字も見える場所かあるかも知れませんが、今日のところはここまでとして・・・)以上を確認して、直ちに鴨川堤に下りて一路南へ・・・(緑の〇がスタート地点、赤〇がゴールです)五条大橋で堤から地上へ上がり、五條通りから渋谷通りの坂道を登り、京都女子大を左右に見ながら豊国廟(赤〇)へと休憩なしに一気に走りました。スマホアプリのランタスティックに依るのですが、距離が 5.49km、所要時間28分でした。そして、着いた場所が前に何度か書きました船形、左大文字、鳥居の見えるこの場所なのですが・・・大文字が点火され、5分後に妙法が点火され、その火を確認次第走り出して約30分走った後まで、その5分後に点火される船形の火がまだ残っていたら、妙法の片方だけと言う欠陥がありますが、一応、五山全部見たことになるのですが・・・問題は 1.大文字の当日鴨川堤を今日の試走のように走れるかどうか、2.船形の火が点火後約30分灯っているかどうかなのですが、1及び2とも可能性は少なく・・・この案も多分だめな気がします大文字と妙法をもっと南で見られる地点を探し、走る時間を短縮出来るようにしないといけないと思うのですが・・・段々期待薄になって来ました。五山が見える場所探しの旅?? はこことここなどに数回書いています。
2017.11.15
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過日、自ビール作りの為に中味いりのビール瓶を1ケース頂いたことを書きました。思えば、自ビールつくりのその後のことをブログに書いていませんが、第一次の仕込みを終わり、タンクの中で熟成中でもう間もなく2次発酵の為にその瓶に瓶詰する予定です。(作っている時は作り方を見ながら必至でブログに書くことを考える余裕がなく、当然写真も撮っていないのです)今日の本論は、その中身入りビール瓶を貰った事でなく、その後も頂きものが続いていることを書こうと思い自ビール作りの方へ横道逸れましたが・・・・昨日ブロともさんからこんなものを頂きました。ご自宅で綺麗に咲いた「シンテッポウユリ」の種を送って頂いたのです。一つの実の中に無数に近いタネが入っているのです。(タカサゴユリかも知れないらしいです)これだけ有れば、気前よくどこにでも蒔けそうです。こんなのが咲けば良いのですが・・・(グーグル画像から借用)昨日種を貰ったら・・・今日は高校同窓生の女性からご実家で採れたスダチをこんなに沢山貰いました。我が家ではスダチではないですが、柚子が初めてほんの数個採れるようになって喜んでいるのですが、こちらのスダチは巨木でとてもとても採り尽くせない程生っていました。こんな事で貰い物の事を書いていると・・・そうだ先日貰ったこれも書かないと・・・軽いアルミパイプの屋外用の椅子が4脚です。これはいつも廃材、端材を貰う大工さんから良かったら使ってと貰いました。・・・と言うことを書いていると、また別の貰いものを思いたしました。 芝生や枝切り用のバリカンです。 我が家には芝生は無いのですが、生垣が有るので便利な品物です。因みに今迄は植木ハサミでチョキチョキやっていました。 これはいつも燻製用のチップを作る為に桜の木を貰っている高校同窓生の仲間がご兄弟がもう要らないと言ってたのでと私の為に貰って来てくれたのです。
2017.11.12
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今日はカメラを忘れて帰ってしまったので写真無しのブログです。京都の隠れ家の前に何気なく立っていると、コインパーキングに車を駐車した老齢のご夫婦が、この辺りにコンビニは有りませんかと訊かれるのです。もとより住宅地ばかりで商店すらない地域なので、無いですね答えると・・・博物館の国宝展に行こうとしているのですが渋滞の中、駐車場探してここまで来てしまったのです。コンビニはトイレが行きたいので探している由。それならば、どうぞ拙宅のトイレを使って下さいと言うと、ご夫婦とも急いで用をたされました。ここまでなら普通の話なのですが・・・・何処から来られましたかと尋ねると宮津から来ましたと言われるのです。宮津は懐かしいです。若い時に仕事でN冶金工業へしょっちゅう行っていました。と言うとそのご主人が『実は私そこに勤めていたのです』とおっしゃるのです。私が行っていたのは、30年以上前の事なのですが、昔のお得意さんの元社員の方だったのでびっくり、話が弾んだのは言うまでもありません。数時間後、勿論お薦めした智積院を通って国宝展と三十三間堂まで行けましたと報告に寄られて帰って行かれましたが、何か清々しい気持ちになれた出来事でした。
2017.11.07
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京都市内の東大路とJR東海道線が交差する橋の少し南に新熊野神社があります。そのホームページにには『熊野信仰の盛んな平安時代末期 、永暦元年(1160年)、後白河法皇によって創建された神社云々』と書かれています。この神社のシンボルは樹齢800年余の大楠です。神社自体は小さく余り目立たないのですが、東大路を通過していると、嫌でもこのご神木が目に入ることで神社がそこにある事が分かります。グーグル画像をお借りすると、この木なのですが・・・子供の頃からずっとこのイメージでいたのに・・・・昨日通りますとこのように涼し気(?)に剪定されているのでびっくりしました。枝を透かしたのは強風対策かも知れませんが従来のイメージがころっと変わっていました。そして良く見ると太い枝がバッサリと・・・これは境界からはみ出しているのを切ったのかもしれませんが・・・とにかく大胆に剪定されたものと思わず写真に収めました。所でこの木はご神木、これだけ大胆に枝を落とすにし、十二分なお祓いをされたのだろうと思いながらその場を後にしました。過日書きましたが新日吉神宮を「いまひえじんぐう」と読むようにこの神社も新熊野神社を「いまくまの神社」と言うのですが、地元では熊野権現の由来で『権現さん』と言っていました。多分今もそうだと思うのですが、果たして???と思いした。因みにこの辺りの住所は東山区今熊野〇〇町、△△町と言います。神社について詳しくはここを。
2017.11.06
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昨日載せましたこの写真の、私が『木槌』と書いた2本のものを欲しいと言う依頼を受けました。 燃やすにはもったいないし、1本でも残しておこうかと考えていた程度のものなので即座にOKしたのですが・・・・欲しい人は2人とも広い面積の貸農園で野菜を作っている、いつも当ブログに登場してくれる稲荷山の仙人さんと、いつもの後輩さんなのですが・・・お二人とも畑で杭を打つ時に使うとか。その話をしている時に、稲荷山の仙人さんから、私は木槌と書いたのですが、正しくは『掛矢(カケヤ)』と言うのだと教えて貰いました。聞いただけで字も不確かだったので検索しますと・・・確かに沢山の写真と共に次の様に書かれていました。『掛矢・・・樫(かし)などで作った大形の木槌(つち)。杭(くい)などを 打ち込むときや,物を打ち壊したりするのに用いる』そんな話を妻にすると、農家の娘の妻も、「そう言えば父がいつもそう言っていた」と言うのです。木槌は小さいもの、大きいものは掛矢、どの辺がその境界か分かりませんが、初めて知った言葉でした。この掛矢だけでなく、いつもの後輩さんから杭に使う為に角材と、仕切りに使う為に板も欲しいとの依頼を受け、燃料としてはたっぷり備蓄があるので勿論Okしました。と言うことで、燃料、工作用の木材が、農業にも役に立つことになりました。掛矢が本来の用途で使われる第二の人生(?)を歩むことになった事はを貰った大工さんに報告しないと・・・・きっと喜んでくれるでしょう。
2017.11.03
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台風一過の昨日(10/30)は前々からの予定でゴルフでした。過日の日光白根山、榛名山の登山同様に雨の続く中、しかも台風が列島に近づく中にもかかわらず、偶々好天の日にあたり、正に晴男が続いております。ゴルフ場ではティグランドにハロウィンのカボチャが・・・9月から10月にかけて2度雨で中止したゴルフでしたが、この時期にはゴルフ以外にもう一つの楽しみが有りました。それはプレイ中にムカゴを採る事だったのですが・・・生っていないのです。葉がまだ緑気味で少し早いかもしれませんが、生っていても良いくらいの色づきだったのですが・・・ムカゴはなっていなかったのですが、過日教えて貰って初めてこれがムカゴの種としった通称???『テトラポット』は生っていました。最近はイノシシがコースに侵入して芝をめくる被害が多発するので周りをこのように鋼製フェンスで囲っているので藪の中に行けないのもムカゴが採れない原因でもあるのですが・・・ということでムカゴの収穫なしのゴルフとなりました。また、フェンスの外にあちこち柿は生っていたのですが、カラスの被害も無いようなので渋柿なのでしょう。近づくことが出来ればも勿論確認(??)をするのですが・・・
2017.10.31
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昨23日のブログ『ご近所3景』の記事の内『鴨川も大河です』の写真撮影の日に誤りが有りましたので訂正させて頂きました。正) 23日午前中 誤) 22日午前中22日ですと台風が来る前のことになりますので、この1日の違いは訂正しないと・・・。
2017.10.24
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我が家の柿の木の落葉が余りにカラフルで綺麗なので、そのままゴミとして袋に入れるのがもったいなくて『記念撮影』しました。単に黄葉・紅葉でなくて模様のついたこんなのも『病葉(わくらば)』というのでしょうか??『病葉』と言えば若かりし頃、 仲宗根 美樹の歌の『川は流れる』が大ヒットしました。♪♪病葉を今日も浮かべ~て 街の谷 川は流れ~る ♪♪私もレコードを買い、今でも一番なら歌詞を見なくても歌える程のフアンでした。所でその『仲宗根 美樹さんは今?? 』 が知りたくて検索しますと・・・波乱万丈の人生を送られて未だにご健在とか・・・・。柿は実をつけて葉を落としますが・・・キンモクセイは良い匂いで楽しませてくれるのは良いのですが、匂いの後はゴミになり掃除が大変、そこそこ落花しだすと、掃く前に予め箒で枝を叩いて、落ちそうになっているのを、そこそこ落としてから掃除するのがそれでも何回も掃かないといけません。落ちるもの3つ目は・・・10/5のブログに、この写真を載せて「こんなに落ちている・・・」とその多さを書いた智積院のギンナンですが・・・・20日に通りますとまだまだ多く・・・台風もまだ来ていないのにこんな光景でした。これだけ落ちていると拾う気にもならないから不思議です。
2017.10.22
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京都新聞に京都についてのことが、全文でこの程度の字数のコラムが連載されています。10/13版にこんな事が書かれていました。私は住まいも勤めも京都を離れて大阪他の生活が半世紀近くなるのですが、この文章のように『思うたはる』『思ったはる』と言う風に『て』でなく『た』を使うようです。しかも断然『思ったはる』と言う方が多いと思います。そして『て』を使うのは大阪弁と言うことを初めてしりました。ついでながらこんなコラムも載っていて・・・・『確かに!!』と納得した次第です。
2017.10.15
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『かきつばた』を漢字で書くと『杜若』と思っていたのですが・・・違う字でも書く事を初めて知りました。話は長くなりますが、10/3からこの京都博物館で・・・・・国宝の特別展覧会が始まりました。入口の案内所でパンフレットを貰い・・・・読んでみると・・・博物館も国宝と言う言葉も誕生して120年とか。そのパンフレットの尾形光琳のこの『かきつばた』の屏風の説明を読むと・・・白い字で書かれている『燕子花図屏風』でなにこれ?? と一瞬考え始めたのですが・・・下の横書きの説明を見て『へ~ ! ! ! ??? かきつばたはこんなにも書くのか』と初めて知りました。アップしますと、これなのですが、『杜若』と『燕子花』、 『杜若』だけでもややこしい字なのにどう言ういわれか知りませんが、もっとややこしい『燕子花』なんて書く事もあるなんて!!!この国宝展、冒頭のカタログに書かれている様に4期に分かれて、展示物が変わるようです。もし行こうと思われる方が居られましたら展示物の時期を確認されてからの方が良いと思います。 ここです。因みに表示から見るとこの『燕子花』の屏風はⅣ期の展示のようです。
2017.10.06
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またまた智積院ネタで恐縮ですが、今朝通りかかりますと、こんな案内板が立っていました。初めて見た言葉だったのですが、『家庭』ではなく『寺庭』要はお寺に嫁がれる、或いは嫁がれて間の無い方への講習会なのだと思いましたが・・・お寺でのしきたりや心構えなどの講習会なのでしょうね??そして歩を進めると・・・綺麗な庭にとっては、これは正に『ゴミ』の山以外の何物でもありません。こんなに落ちていても拾いもせずに通過しました。何故かと言いますと・・・過去2日で拾ったまま放置していたのがまだこれだけ有ったからです。大量に落ちている『ゴミ』に促されて・・・、早速果肉を取り除く処理をしました。
2017.10.05
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昨日の続き、仙洞御所、大宮御所の見学です。 途中で区切るのもなんですので全47枚の写真を一挙に載せます。京都の街の真ん中にこんなに大きく素晴らしい自然があるのには驚きでした。このガイドの方の案内で見学スタートです。仙洞御所見学となっていますが、建物が現存するのは皇太后の御所の大宮御所で、上皇の御所の仙洞御所は庭だけで建物は現存しないと聞きました。その大宮御所からスタート、外観はこのように昔のままですが中は現代風に改装されていて、迎賓館が出来るまではダイアナ妃などの国賓が泊まられたらしいです。ガイドの方が傘をさしていますが、曇っているのに・・・日傘です。その大宮御所に進みます。左近の桜、右近の橘かと思いましたが両方共梅で紅梅、白梅らしく・・・後の松と・・・・竹と併せ『松竹梅』を形どっているとか。大き池の周りはモミジが多く、さぞや紅葉に季節は・・・・と思いましたら、やはり紅葉の季節は凄い人らしく、事前申し込みが良いと思います。木が大きくなり過ぎてこの辺りからは東山の山並みが少ししか見えません。興ざめのクレーンは全面建て替え中の鴨沂高校の現場のクレーンです。確かこの橋の右が南池です。池の周りに敷かれた大きな丸い石は小田原藩から運ばれたもので11万余個あるらしいです。醒花亭です。屋根の上に・・・御所の撮影にドローンを飛ばした外人さんがいて問題になっていましたが、この珍客には打つ手なしなのでしょう。ボケてしまいましたが室内のこの額の中に李白の詩が掲げられており「醒花」と言う字がありそこからの名前とか。側面です。ぐるっと南池を周り元の位置まで帰り、進むと・・・又新亭(ゆうしんてい) と言う茶室です。これがまず控えの待合室と言うのでしょうか・・・その前の門をくぐると・・・・茶室です。周りは「四ツ目角垣」という見た事ない垣根ありました。四ツ目垣は一般的ですが、全ての竹に枝が残してあるのです。・・・・と言うことで、スタートして丁度50分、なかなか見ごたえのある庭に感心ばかりしてあっという間に見学を終わりました。紅葉の季節、素晴らしい景色が見られると思います。沢山の写真見て頂いてありがとうごさいました。
2017.09.21
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9/1のブログに書きました、妙法院の『仏教文化講座』で歴史の勉強 ??? をして来ました。いつもの通り門をくぐり・・・日頃は右の庭園へ進むのですが、今日は右のこの建物の2階へ・・・京都産業大学大学名誉教授で京都市埋蔵文化研究所所長の井上先生の講義です。先生の略歴など紹介に引き続き・・・参加者は50名余だったと思いますが、三十三間堂周辺の発掘調査から見えて来た、歴史の講義を受けました。昔の地図を貰ったのですが、見難いですが、今は細い通りになっている大仏正面の「正面通り」がメインで、その右の今の七条通りは細く三十三間堂で突き当りとなっており東大路まで繋がっていないのが分かります。これは三十三間堂の図です。いつも書いています、今ある法住寺は後白河法皇の法住寺殿があった所にあるので、法住寺と言うのだと思っていましたが、法住寺の敷地に作った後白河法皇の院政を行う御所なので法住寺殿と言ったことを知り、法住寺の方が古く歴史のあるお寺であることを知りました。他では京都の応仁の乱についてその背景を聴いたのですが、正直、応仁の乱のことについて詳しくは知らないので、教えられてこの本を読むことにして、今日早速図書館へ行ったのですが、古い本で、またまた取り寄せを依頼だけして帰って来ました。同じ内藤湖南の「応仁の乱について」は図書館に無かったのですが、ネットでA4で15ページのものをアウトプット出来ましたので、これから読もうと思っています。・・・と言うことで、またまた平家物語を読むのを休んで、応仁の乱に没頭することになりそうです。
2017.09.11
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8/17のブログに金箔師、箔押師のことを、 8/18には 截金師の事を書きました。その後、色々ある『師』の中のこの『師』の写真を撮ったままにしていたのですが・・・一昨日御所からの帰り、友人に会おうと町中を走っていますと・・・こんな『師』が目に入りました。装束師でもないし・・・まず『潢』の字が初めて見る字、「こう」と読むのか、何と読むのか、さっぱり分かりませんでした。当然どういう職種かの見当もつかずその場は退散しました。帰って『潢』の字を漢和辞典で調べると、やはり『こう』と読んで、その意味は1.「表具、紙を染めたりしたてたりする 2.ため池、たまり水とのこと。そして装潢とは・・・書画を表装することと書かれていますが、この修美のホームページを見ますと・・・『絵画、書跡等の指定文化財に加え、近年は歴史資料指定文化財の修理をさせていただいており・・・云々』と書かれており単に表装する人は表具師、文化財など価値のあるものの修理するのが装潢師と理解したのですが、正式には分かりません。それにしても色々の『師』があるものです。
2017.09.08
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今日は自ビール同好会の定例会でした。そのことは後日に書かして貰うとして・・・御所を清和院御門から斜めに横断しようとしますとこの光景が目に入りました。訊くと、仙洞御所の見学当日分の受付けでした。 仙洞御所は見た事ないし、折角だからと、この列に並ぶことにしました。丁度13時30分の受付け中でピッタリの時間、これはラッキー・・・と思ったのですが・・・所が、私の二組前で、13時30分枠の定員に達し、次は14時30分枠とのこと。他の駄目だった人にどうするか、訊ねると・・・遠方から来ている人や外国人で14時30分まで待つとの事でしたが、1時間待って参観時間50分、計約2時間も時間を潰す訳けにはいきません。訊けば今は毎日参観出来るとのことなので私は後日にと諦めることにしました。本来なら受付けを済ませて、ここから入って・・・と言うことなのですが、後日の楽しみになりました。帰って、ネットで調べると事前申し込み、当日申し込みがあってその方法が詳しく書かれていました。私の様な偶々前を通って、ついでに見て行くか・・・なんて不謹慎な者は門を閉ざされた形となったようです(笑)もし、関心がおありでしたらここを見て下さい。それにしても外人さんが多かったです。
2017.09.06
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昨日は四条大橋からの『床』の風景を書きましたが・・・・今日は七条大橋からのこの光景です。京阪電車の七条駅から地上に出ますと、まず目の前の鴨川の風景を見るのが日課になっています。いつもは、白鷺がいたり川鵜がいたり鴨がいたり・・・してもさっと見て横断歩道を渡ってしまうのですが今日は立ち止まり、場所を変え被写体(?)を追いかけてしまいました。網を打つのを数回見ていたのですが・・・成果はこのようにある様でした。獲物を取り出して・・・またここから次の投網へと繋がります。思えば子供の頃の鴨川と言えば友禅流しで色の付いた水が流れていたので、とてもとても鮎なんか居なかったのではと思うのですが、いつの頃からか友禅流しが禁止され、清流が戻りこんな光景を見られる事になったのです。しかし、行われなくなった友禅流しはこんな風景以上に絵になる風景なので、復活すれば観光資源になるのでは・・・とふと思いました。 本来の友禅流しをすれば水質汚染の公害を引き起こしますが、観光用に染め上がって、水洗も何もかも終わっている反物で形だけ『友禅流し』を再現すると言うのはどうでしょう???そう言えば、昔はアチコチに扇子の骨の竹を干している光景もありました。私の記憶では、京都博物館の七条通りに面した、三十三間堂の向かいの一段高くなっている所にいつも干されていました。勿論今どきそんな事が許可されるとは思えませんが、京扇子の製造過程をPR出来る良い方法だと思うのですが・・・全てコマーシャルベースでの話ではなく、『観光資源』としてのことですが・・。
2017.09.03
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京の観光地・清水寺参道近くに、こんなポスターが掲示される時期になりました。「もうすぐ秋」ではあるのでしょうが、観光客の方にはまるで「もう一度来てね」と言うサイン以外の何物でもないのでは??清水から四条へ出ますと・・・・日差しの強い14時頃だったのにこの景色です。日除けをしている所もありますが、そのまま日差しの受けている床もあり、とてもとても『涼』とは言えない世界です。それよりも暑い7~8月は昼の営業出来ない筈なのに??? と一瞬いぶかったのですが、そうかもう9月かと鴨川の床の「もう秋」を知らされました。昼の営業が始まった認知度の低さもあるでしょうしが、まだ疎らな客の数が暑さを示しているのでしょう。因みに8/27のブログに載せた昼の営業をしていない時の写真はこの通りです。
2017.09.02
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三十三間堂の土塀に妙法院の『仏教文化講座』の案内が貼られる掲示板があります。この掲示板で講義の内容を見て、聴講に行くことがあったのですが、ここ暫く余り関心を持つような演題ない事が続いたので聴きに行くことは無かったのですが・・・・この度次回のこの様な案内が掲示されました。これは聴きに行かないと・・・と手帳の予定に書き込みました。三十三間堂周辺と言えば、吉川英治の新平家物語にも平清盛の六波羅と同様に後白河法皇が院政を敷いた広大な法住寺殿の有った場所として度々登場する場所です。にも拘らず、現在の法住寺は三十三間堂の横にありますが小さなお寺で三十三間堂に比べるまでもなく極めて小さな敷地なのです。広大な法住寺殿の敷地がどのようにして極端に狭くなり、広大な三十三間堂の敷地に変わって行ったのか? 常々疑問に思っている事の少しでも分かればと思って聴きに行くつもりです。・・・と言うことで『妙法院 仏教文化講座』の事をもう少し勉強しようとYahooで検索しますと・・・何と2番目に当ブログの記事がヒットするのです。と言うことは・・・この講座、長く続いているのに余り広く知られていないようです。
2017.09.01
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昨日に続いて又々古い話で恐縮ですが。。。現在では国内で唯一となっていた立山黒部アルペンルートのトロリーバスが2019年4月に電気バスに変更されると言うニュースを見ました。正式にはトロリーバスなのでしようが、『トロバス』と言われるこの乗り物、昔京都でも四条通りの大宮(当時緊急の京都側終点)以西はこのトロバスだったのです。私は中学の頃このトロバスに良く乗っていたので懐かしい乗り物なのです。 市電で四条大宮まで行ってトロバスに乗り換え西大路の少し西の四条中学へ行くことが良くあったのです。(四条中学は今はどうなっているか知りませんが、当時は野球が2面(4面だったかも)出来る大きな運動場があったものですから野球大会が良く行われたのです)今回国内唯一まトロバスが廃止されると言うニュースを見て、懐かしい京都のトロバスがいつ廃止になったのか調べていて、『なるほどそうだったのか・・・』と言うことがありました。まず、廃止の時期なのですが、ウィキペディアによりますと次の様に書かれていました。『車両更新時期が迫ったこと、ディーゼルバスが大型になり代替可能な輸送力が確保可能となったことなどの要因から、市電同様整理対象になり、1969年(昭和44年)に全廃されバスに転換された』ということで・・・・本論はここからなのですが・・・『京都市では四条通りの四条大宮以東に市電を開業させたが、以西については当時未高架だった国鉄山陰線と平面交差となるため、軌道線との平面交差を嫌う国鉄の方針から、四条通上の市電の敷設は許可が下りず、延伸が止まっていたが該当区間にトロリーバスを導入することとなった云々。七条通りにおいては、市電の線路を地下に掘り下げる形で山陰本線と立体交差にする手段をとったが、四条通地下には現在の阪急電車がが通っており、掘り下げることは不可能だった』七条通りでは市電が国鉄山陰線の下をくぐり一本で行けたのに、四条通りはトロバスに乗り換えなければいけなかったのは国鉄線と平面交差出来ず、さりとて地下に堀り下げて立体交差も出来なかったための窮余の策だったのか・・・と言うことが今頃分かったのでした。今は山陰線が高架となっているため市電は走らそうと思えば走らせることが可能と言うことになるのですが(笑)
2017.08.29
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既に書きましたように、映画『豚と軍艦』を見るべしと2回も京都文化博物館へ行ったものですから・・・折角ですので同館でやっているこの写真展を見て来ました。昔の京都の情景を撮った写真展なのですが・・・もちろん場内撮影禁止のの為詳しく報告できないのですが・・・場外に貼ってあったこのポスターだけ撮って来ました・この写真は戦前の干拓で農地と化した巨椋(おぐら)池の写真てす。京都の南、京都市伏見区と宇治市と久御山町にまたがる、下の地図の様に大きな池、否、湖があったのですが・・・今は、京都市内が産地で有った聖護院大根や九条ネギの産地になっている広大な農地となっているところです。・・・と知ったかぶりで書いていますが、私が生まれる前に無くなった池(湖)ですので詳しい事は・・・こことここを見てください。八郎潟ではないですが、京都市内にこんな大規模な干拓地があった事は今では知る人ぞ知るという時代になっています。
2017.08.28
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過日掲示板の小さなポスターで紹介した智積院の観月会ですが、今日通りかかりますと・・・この様に大きな看板が立てられていました。部分をアップしますと・・・宿泊パックが割安と思います。この催しを絡ましての宿泊京都観光に如何でしようか??前に早くに完売と聞いた事ありました。予約される方はお早めに ! !京阪電車の宣伝紙9月号に載った記事の紹介です。先日もまだ花の少ない段階で紹介した梨木神社の萩ですが・・・この頃が見頃のようです。上記の日程のうち23日、24日でしたら・・・・この下鴨神社・糺の森の森の手づくり市と同じ日です。梨木神社と糺の森は歩いて約10分の距離です。 二つの催しをセットに、そして御所を絡まし、休憩は下鴨神社傍の加茂みたらし茶屋で元祖みたらし団子を食べながら・・・と言うのは如何でしようか??
2017.08.26
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昨i日(23日)、いつもの京都府文化館のフィルムシアターへ昭和36年、日活作品の『豚と軍艦』を観に行ったのですが・・・。何故かと言いますと下の様に懐かしい俳優が沢山出ているので観てみようと思ったのです。長門裕之、吉村実子、南田洋子、大坂志郎、中原早苗、小沢正一、三島雅夫、東野英治郎、山内明、西村晃、殿山泰司、加藤武、丹波哲郎、菅井きん、武智豊子、佐藤英夫、城所英夫、高原駿雄ある程度の、と言ってもどの程度か分かりませんが(笑) 年齢を重ねられた方しかご存知ない俳優の名もあると思いますが・・・さて、場内が暗くなってタイトルが映ると・・・『彼女と彼』と書いてあるのです。何これ???? と思ったのですが、時すでに遅し、一日日を間違って行ったのでした。お蔭で、予備知識何もなく観ることになったこの映画、左幸子主演(岡田英次も)の昭和38年の作品でした。お蔭で左幸子の若い綺麗な時を観られたのですが・・・他に38年当時の世相を振り返る事が出来ました。びっくりしたのは、当時の『団地』の風呂の浴槽が小判型した木製の五右衛門風呂風のものだったのです。木製の角の浴槽ならその後も普通に使われていたのでびっくりはしなかったと思うのですが・・・・鉄筋コンクリートの団地に、五右衛門風呂風木製の風呂、隔世の感がありました。(東京の事は分かりませんが、百合ヶ丘の団地が舞台でした}それから、今は死語になった『バタ屋』と言う言葉が頻繁に出て来たことでした。 そんな言葉あったなあと思い、そう言えば『ニコヨン』と言う言葉もあったがこれも今は死語だなあと思ったのでした。最初に書いた俳優の名前で全ての顔を思い出される方はそこそこの年齢の方だと思いますが・・・『バタ屋』と『ニコヨン』と言う言葉をご存知の方は、そのもう少し年齢を重ねられた方だと思うのですが、如何でしようか???
2017.08.24
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昨日壊されて行く町家の風景を載せましたが、厳密に言うと昨日の家は『町家風の家』で奥行きがそうありません。町家と言えばやはり鴨川以西、碁盤の目の旧市内に多いのが、本来の町家です。中庭があり奥に蔵がある所謂『鰻の寝床』の家です。今日、又々、昔の映画を見ようとその碁盤の目の街を走っていますと・・・こんな光景が目に入りましたた。 鰻の寝床と言えば失礼に当たる程、間口が広い豪邸で、奥行きの長い、外から見ても(中央の板塀のある個所に) 中庭の有る事が分かる本来の『町家』です。その隣が取り潰されて更地になっている土地と並んでいるのが、正に今の京都の現実を如実に表している光景です。この豪邸・・・町家の構造を説明するのにピッタリの様に・・・間口が広いので余り見た事ないような長い虫籠窓に、窓格子・・・ 駒寄せに・・・立派な忍び返し奥の蔵と思しき建物辺りは隣が取り潰された後遺症(?) で仕舞いがちょっと残念な気がしますが・・・(瓦の上にトタンを被せる方法は)今どこでも行われている一般的な工法です。
2017.08.23
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高校同窓生の男女お二人が出展されている岡崎の美術館別館での絵画展に行って来ました。何とも言えない佇まいで・・・元の京都会館、今のロームシアターの隣です。世話役さん(いつも当ブログに登場してくれる稲荷山の仙人さん)の計らいで、同窓生で観にいく人は一緒に行こうと言う案内があったものですから、何と13人(女性8人、男性5人)が入口受付けで合流してこの絵画展を鑑賞しました。そのあと、居酒屋で会食があり、ミニ同窓会で盛り上がりました。その中に、高校卒業以来50余年、初めて会った人がが3人おられ、初めは顔を見ても分からなかったのですが、喋っている内にすっかり昔のイメージと今が合致して、和気あいあいの時間を過ごすことが出来ました。高校卒業以来50余年ぶりと言えば、去年お墓参りが縁で遇った女性、過日自ビール作りに誘って貰った女性、そして今回絵画展で3人の女性と会ったことになり、きっかけはバラバラですがすっかり高校生気分になれる事が続くことになりました。
2017.08.20
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昨日のブログで金箔師、箔押師のことを書きましたが・・・・偶々、今日、京都新聞を見ていてこんな記事が目に入りました。タイトルの字、分かり難いのでアップしますと・・・きりかねと読むらしいのですが・・・金箔を貼り付ける仕事に、こんなのもあるのですね。初めて知ったのは勿論、この漢字を転換出来るとは思わなかったのですが・・・それが出来たのでびっくりです。上の記事の主要な部分をアップしますと・・・・・・・と言うことらしいです。同じ金箔を貼る仕事でもこれだけ細分化されて、それぞれに職人さんがいるとは何と奥の深い仕事と、唯々感心するばかりです。偶々箔押師さんの表札を見て、関心が有ったので、この記事に気が付き、興味深く読みましたが、そんな事が無ければ無意識に読み過ごしていたと思います。截金についてこの方のブログで詳しく説明されていますのでご参考まで。ここです。
2017.08.18
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京都では表札に『〇〇師 △田△△男』などとその人の仕事を書いた表札をよく見かけます。伝統的な仕事に携わっいる方なのですが宣伝の意味もあるものの何かそこに特殊技能があるぞと興味を惹かれるものです。思い付きだけでも、装束師 釜師 弓師 金箔師など珍しいものは当ブログで書いたことがありますが他にも仏師 表具師などなど色々の『師』を名乗る表札を見る事があります。先日街を歩いている時、新しい家が建っているのに気付き、よく見て見ると・・・こんな表札が上がっていました。金箔師ではなく箔押・・・早速帰って調べてみると・・・箔押師とは・・・塗師さんで仕上がったものに一枚一枚金箔を押していく、それが箔押師さんです。 金箔押しは、木地に直接金箔を貼っていくのではなく、塗師さんが漆を何回も塗った後に、漆を接着剤として押していく(貼っていく)作業です。私はそんな仕事をはするのは金箔師だと思っていたのです。 そこで金箔師を調べると・・・適切な解説がなく、ちょっと見る限り箔押師と金箔師の区別がつかなくなりました。ひょっすると同じ仕事をする人の表現の違いかも?? なんて思ったりしているのですが。この記事を書こうと思い、ずっと前にも載せた事あると思いますが・・・近所のここへ行って撮って来たのが左側のこの家です。この家の左端に上がっている表札が・・・・ これです。箔押師とどう違うのか分かりません。ただ金箔師の方がカッコ良い気がしますが・・・。
2017.08.17
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昨日は清水寺の子安の塔横にある今は亡き高校友人のお墓参りでした。 例年だと仲間と一緒に我が家のお墓と別の友人のお墓などをセットで回るのですが、今年は別々に行くことになり、過日書きました通り我が家のお墓及びその近くにある別の友人のお墓参りは済ませていたので、今日はひとつだけのお参りでした。そのお墓のある清水寺は、地元民しか知らないような山越えの近道を行くことは常々書いていますが、明日16日は五山の送り火の日ですので、去年に続いてそのことを。去年は送り火が見えると新しく発見したこの場所から見るべしと行ったのに強い雨で全く見えなかったのですが・・・・今までの調査で真ん中矢印の左大文字と、右矢印の舟形、そして左矢印のこの場所からは見えず少し場所を移動して見える鳥居の3つが見える事は分かってるのですが、大文字は絶対に見えず、妙法もまず見えないであろう位置なのです。幸いにも今日は見晴らしも良く、金閣寺近くの左大文字も・・・上賀茂の舟形も・・・ちょっと場所を移動して、さすが一番遠く小さくて見難い嵯峨の鳥居も・・・ついでながら京都タワーも良く見渡せましたが・・・・さて16日の天気はどうなるでしょう?? 今のところ16日の天気予報は13時~18時までは小雨、19寺からは曇りなので、昨年見られなかったリベンジに見に行くつもりではいるのですが・・・・過日新聞記事で載せました清水寺舞台の工事用覆いですが・・・・子安の塔から眺めは (いつものアングルですが) こんな風でした。アップしますと・・・なるほど舞台に立った感じを体験出来るように上手く切り込みを入れています。これなら舞台に立つ人も、遠望する人も舞台の雰囲気だけは分かるようです。去年の関連記事はこことここ
2017.08.14
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当ブログで、我が家の猫の額の畑のキュウリがそろそろ終わること、そして見落として巨大化したキュウリの活用法、冬瓜の料理などについて書いて来ましたが・・・・そのブログを見たいつもの後輩さんが、今からでも間に合うと『加賀太キュウリ』なるもののタネを送ってくれました。巨大キュウリだとか。喜び勇んでもらったタネ9粒を撒いたのですが・・・・発芽率が9分の4で、あとは待てど暮らせど発芽せず(これから発芽するかも知れませんが)新たに植える場所がないもので、トマトが終わった後に植えたのですが、土も休む間もなくまた植えられて・・・・土がくたびれたり、時期が遅かったりの条件で、果たして順調に育ち、生りますやら???
2017.08.13
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終戦記念日が近づいているからではないですが、戦争の悲劇づいています。その1. 樺太稚内旅行がきっかけで行きついた『氷雪の門』のことなのですが、過日、松山善三作の小説は読んだ事を書きました。ただ、樺太の電話交換手の悲劇は松山善三の小説より金子俊男の本の方がベースになっている事を知り探してもその本が無い事を書きましたところ・・・当ブログにいつも登場してくれる、いつもの後輩さんが、わざわざ兵庫県の図書館で見つけ、借りて、宅配便で送ってくれたのです。1972年発刊の本なので、小さい字の2段印刷、400ページの手ごわい本ですが・・・今読んでいる新平家物語を中断して読みにかかります。その2. インパール作戦また、いつも登場してくれる稲荷山の仙人もどきさんからこんなメールを貰いました。 『NHKスペシャル8月12日~15日必見です。時間がいろいろなので要注意です。特に話題の件は13日樺太です』 調べると4日連続で樺太、インドでのインパール作戦、本土空襲のなどを取り上げる由。樺太の事は勿論ですが、 インパール作戦も牟田口中将の無謀な侵攻作戦、結果として大量の飢餓、病気による戦死者を出した無残な敗退を読んだことありますので興味があり、特に無謀な作戦が無謀とされるか、正当化されて報道されるかどうかが楽しみです。見忘れたりしてはいけないので・・・4日分録画予約しました。
2017.08.12
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昨日の続きです。墓参りのあと、急いで向かったのがいつもの京都府文化博物館のフイルムシアターでした。昭和35年と言いますから今から57前のこの映画『日本の夜と霧』を観るためでした。大島渚監督の60年安保闘争がテーマの映画です。と言いましても安保闘争に関心を持っているからではなく・・・・桑野みゆきが出演しているから観にいったのです。何故観に行ったかと言いますと・・・話が長くなりますので、昨年のブログを見て下さい。 ここです。桑野みゆきが見られたのは良かったのですが、映画の内容はさっぱりでした。もし、少しでも関心持って頂ければここを見て下さい。映画のあと、急いで行ったのが・・・・寺町御池下ル・本能寺前でした。昨日のブログで寺町を散策したことを綴りましたが、その時、あれっと思い撮りながら、一度確認してからと・・・・敢えてブログに載せなかった写真があったのです。その写真がこれなのですが・・・・本能寺の前のこの店の雨戸が閉まっていたのです。まさか閉店??? と気になったのです。その気になった事を確認のため足を延ばして行ったところ・・・虫籠窓に、ばったり床几に積まれた超古書籍・・・京都の有名景観のひとつの古本屋さんは元の通りの姿で・・・ホッとした気分で家路を急いだのでありました。竹苞書楼(ちくほうしょろう)というこの店詳しくはここを。
2017.08.11
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長い間迷走して、全国各地に大きな爪痕を残した台風5号でしたが・・・今日8/8の10時過ぎ、鴨川を通りますと・・・日頃鮎も住む清流も濁流が渦巻くこんな状態でした。鴨川も今は河川改修で河床が掘り下げられたため下流の伏見地区辺りでは氾濫することはあっても市内中心部ではまず氾濫すること有りません。私の知っている限り、多分昭和26年に確かまだ木造の橋だった正面橋と塩小路橋が流失したのが最後かと思います。しかし元々はあばれ川だった鴨川です。昔、と言っても大いに昔の事ですが・・・ 院政で権勢誇った白河法皇が自分の意のままにならないものが3つあり『鴨川の水、双六のサイの目、比叡山の山法師』であると嘆いたと言う逸話があるくらい常に氾濫していたようです。因みに、鴨川の規模が大きく河床を掘り下げるなどの河川改修のきっかけになった洪水は・・・さすが私にも伝聞ですが・・・市内が広範囲にわたり浸水し、多くの橋が流れた昭和10年のものです。 詳しくはこことここを見て下さい。私が生まれる前のことですが、当時鴨川の近くに住んでいた我が家族も被災者になったのでした。 (子供の頃祖母などから被災当時の恐ろしさを良く聞かされたものでした)そこで家族は・・・・ 現在、東北の津波被災者の方が海から離れて、高い所に移住されているように、この洪水がきっかけで我が家も高い、当時はまだ郊外的な場所だった『山腹??』『麓??』へと移住したのです。・・・と言うことで、鴨川大洪水がきっかけの一つで、私は坂道の上の不便な場所で生まれ、育つことになったのでした。
2017.08.08
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迷走台風が本土を縦走して行きましたが被害はございませんでしたか?最近は風よりも雨による被害が多いようですがお見舞い申し上げます。その台風で一日中籠の鳥で、ブログネタも無いため過日の京都新聞の記事の紹介です。清水寺の舞台の屋根の葺き替え工事の記事です。確かこの事をブログに書いたのは下の3月の状態の写真だったかと思い、ブログを遡って見てみますと3月1日に同様の写真を載せた記事を書いていました。ここです。それが今はこんな姿で・・・。オリンピックの年までこの姿です。普通足場は鉄骨で組まれるようになっていると思いますが、木材足場でと言うのは多分昔からの工法へのこだわりなのでしよう。
2017.08.07
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私は、最近人と話していても、ブログを書いていて『もうウン年』とか『早や何年』と言う風に『もう』とか『早や』と言う言葉が常用語になっています。ふと、思ったのですが、反対に『まだ』と言う言葉を余り使わなくなったと思うのです。考えるに・・・何か目標を持っていると『まだ』と言うのが自然に出て来るが、目標もなく過去を振り返る時に『もう』とか『早や』と言う言葉を多用するのではと言うことでした。齢とると『もう』とか『早や』をよく使い、若い時は『まだ』と言うことが多いのではと。前置きが長くなりましたが、上に書いた事わ思い知らされる事があったのです。今日京都でこの『五山の送り火の写真のチラシ』を見たのです。五山のうち、大文字を除く四山が見えると言う大谷高校の屋上が解放されると言う内容なのですが・・・私の目ががひきつけられたのは右下の部分なのです。 ちょっと見難いですが拡大しますと・・・この『昨年は雨天で見えませんでした』と言うくだりです。昨年私は、四山が見える、この大谷高校からでなく、新しく発見した豊臣秀吉の墓の有る豊国廟から、見る事を選んで、豊国廟から清水寺に抜ける地元の人間しか知らない道から見ようと雨の降る中、孫たちを引き連れて見に行ったのですが・・・雨と霧で全く見えず意気消沈して帰ったのですが・・・去年のブログの記述はここを。そしてその翌日のここもあれから『もう』『早や』一年 ! ! やはりついつい『もう』や『早や』が・・・・。何か目標を持って『まだ』と言う言葉を使ってみたいものです。
2017.08.06
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今日は校区の盆踊り、世話役(雑用係)の拝命を受け、朝の9時から中途準備、正午から午後4時までの休み時間が有ったのですが午後9時までかかりました。テント、机、椅子の準備など意外とやる事が多く、プラス模擬店の準備などなどやる事はいっぱいあるのですね。模擬店は焼き鳥、おでん、ポップコーン、綿菓子、飲み物など10店程を各地区が担当し・・・私の地区の担当は・・・・赤い機械がふたつ見える綿菓子でした。提灯、やぐらなどはリースで、やぐらはリース業者が組立てました。2台の綿菓子機だったのですが240ヶ程売れててんてこ舞い、どの店も行列ができる盛況で、子供達は踊りより食い気、何分にもみんな安いものですから・・・因みに綿菓子は50円でした。そんな事で綿菓子の作り方は分かったのですが、綿菓子を英語で言うと・・・こんな和製英語???なるほどと 初めて知りました。準備が整ったあと、バケツをひっくり返したような夕立があり、地面に水溜りが出来て、水の処理や土を入れたり余分な作業が増えましたが、本番が始まる前にはすっかり雨もあがり・・・・予定通り実施できてやれやれでした。
2017.08.05
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昨日は酷暑の中汗だくゴルフのつもりで・・・・ペットボトル3本、タオル3本用意して行ったのですが・・・清々しい青空(?)で日差しはそこそこきつかったのですが・・・台風の影響か、風があり、湿度が低くカラッとしていました。お蔭で、持って行ったペットボトルも半分は残り、タオルも使ったのは1本だけ、昼休みの着替えもなくこの酷暑の中最高のコンディションでプレイ出来たのでした。枚方市内を見下ろし・・・京都の愛宕山を遠望、写真は撮ってませんが比叡山も・・・・・・と言うことで、ブログネタがないもので、ちょっと古い話でのクイズですが・・・過日、東北登山で泊まった岩手の旅館の床の間に、こんなものが置いてありました。客の利便性を考えての事となのですがさて、何のためでしよう??? 関西では考えられず、東北ならではのサービス (?) なのですが・・・答は・・・・そうなんです、少し前に触れたことが有りましたが、東北に行けばあの臭いカメムシが無茶苦茶多いのです。 (私の記憶では特に多かったのは青森、秋田にまたがる白神地方) たまたま当日は季節的にか一匹もみませんでしたのでこのガムテープは使いませんでしたが・・・。
2017.08.03
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友人から、祇園祭のちまき(粽)をあげようと言う電話があり、貰いに行って来ました。街は前祭り(さきまつり)を終え、折しも、後祭り山・鉾がアチコチで建てられているさ中でしたが、その景色はあとに記すとしまして・・・(後祭りの山鉾巡行は7/24)ちまきについて・・・ちょっと読み難いですが・・・貰ったちまきの袋の裏にこの様に詳しく書かれています。そして、「蘇民将来子孫也」についてはいつも紹介している京都新聞連載のここを見て下さい。そして、福聚海無量(ふくじゅかい むりょう)については、私も分かりませんのでここを見て下さい。難しい言葉は別にして、冒頭の「さまきについて」に書かれているようにこれから1年、疫病災難除けに門口に吊るすことにします。後祭り山鉾建ての景色は明日に。
2017.07.21
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京都の最大手のヤサカタクシーグループが全タクシーに付けている三つ葉のクローバーのマークを少し変えた車を数台走らせていることについて当ブログで今までに何度も取り上げてきました。約1400台の保有車のうち4台だけ四つ葉のクローバーにして、乗ると幸運が来るとしたり、上賀茂神社の第42回式年遷宮を記念して双葉葵のマークの車を2台だけ走らしたりしていました。その両方を見た時に、慌てて写真を撮って当ブログに載せて来ましたが・・・もう一つ大丸百貨の創業300年記念に大丸とタイアップして「デッチ―くん」のマークの車を3台走らせていることも当ブログで取り上げてのち・・・・ずっとそのマークの車を探して来たのですが・・・さぼっている訳ではないのですが今までまだ見る事が出来ていません。さぼらずにヤサカタクシーの車のマークを見ている証拠として、今日またまた四つ葉のマークの車を見つけることが出来ました。信号待ちで止まっていたので前に回って・・・何とかデッチ―くんマークの車を見たいので、まだまだ街中でのきょろきょろは続きます。話は全く変わりますが18日のブログに載せました、ゴーヤの佃煮のレシピの要望を頂きましたので、かなり古い物ですが添付します。
2017.07.20
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この前も同じ様な写真を載せましたが、智積院の蓮のふうけいなのですが・・・大きなカメラに三脚を持った向こう向きの男性二人は・・・既に朝の撮影を終わり、帰り支度中。蓮を撮る為に早くから来られたのでしよう。私の目についたのが。この綺麗な蕾でなく・・・こちらの方でした。何か詰まっているジョロに見えたのです。と言いますのも、私の今日のミッションは (2枚の網戸の網の取り替えと) 5ヶのノズルのうち 2ヶが詰まってミストを放出しないのを直す事だったからです。まず、先に 2枚の網戸の網を取り替え・・・試行錯誤とばかり、ずっと前にジャパネットたかたで買ったこのケルヒャーを持ち出し・・・詰まっている 2つのノズルを外し、両方から水を噴射すること暫し・・・・取り付けてみると・・・なんとなんと5ヶのノズル全てからミストを出しているではないですか ! !色々の方法を考えていたのですが、最初にやったケルヒャーで簡単に解決したのでした。(実はケルヒャーで噴射している水でノズルが飛んで行ってしまい、探すのに要した時間の方が長かったのです)余りに簡単に問題が解決したので敷石の汚れを落とすことにしました。beforeがこれで・・・左がbefore、右がafterで、あまり分かりませんが・・・全体のafterと比べるとケルヒャーの威力が、一目瞭然です。別にジャパネットたかたの宣伝をするつもりはありませんが、その威力は大したものであり、目詰まりまで解決できたのは有難い『武器』でした。と言うことで、あと2枚、追加で網を買って取り換えれば、取りあえず目論見通りの仕事が完了と言う目途が立ちました。
2017.07.16
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7/6は前泊のため利尻島で泊まり、翌7日、旅館の車で利尻岳登山口まで送ってもらい朝4時40分に登山開始しました。この北麓野営場の標高は205m、利尻岳 の標高は1720mなので標高差は約1500m、300m登るのにざっと1時間かかりますので登り5時間、下り3時間半と言う、北アルプスの主峰並みの厳しい山です。標高を上げていくとフェリーターミナルのある香深港が見えてきて・・・・汗を拭き拭き、八合目近くに到達しますと・・・頂上がこのように見えるのですが・・・この辺りで両太ももにこむら返りが起こり、小休止、登頂断念するかと思ったのですが、間もなく、こむら返りが引いたので、登山続行することに・・・・。そして、ほゞ9合目と言う辺りで、こむら返りではないのですが、両足に疲労が溜まり、先々が不安に・・・そして、この九合目で休憩しながら再度、思案したのですが・・・『ここから登り1時間余、ここまで下りて来るのに1時間弱、そしてここから登山口まで約3時間』を要すのです。 さて、その行程に足が耐えうるか・・・・考えたのですが・・・万一他のメンバーに迷惑をかけてはいけないと、この九合目で私は登頂を断念しました。この山は14年前の2004年に問題もなく登っているのですが、14年の年月に依る体力、脚力の衰えはやはり予想通りでした。天候悪化や、河川増水で渡渉出来ないことなどで、途中で登頂断念したことはありますが、体調不良での登山途中での登頂断念は初めてのことでした。断念した後は九合目で、そして、少し下って八合目で仲間の下山を待ったのですが・・・・そのお蔭で良い事も有りました。長い休憩中に、利尻島の固有種で八合目より高い所でしか生息しないと言われる『リシリヒナゲシ』を見る事が出来たのです。太陽光線が強くて、風も強くゆらゆら揺れて上手く撮れなかったのですが、これです。さて、頂上付近の厳しい登山を諦め、その分長い休憩をとったので下りは長かったですが、順調に歩行出来て・・・越えて来た長官山を見下ろし・・・もっと下ると・・・下山後、フェリーに乗る香深港も良く見えてきました。下山後、港近くでビールでうがい(?) をしながら満足感は無しながら、頂上を振り返り、フェリーで稚内に渡りました。(ちょっと見難いですが頂上直下に薄く見えている峰ず前述の長官山です)そして稚内で、もう一泊、翌日は私のリクエストの氷雪の門の像を見るため、早めにスタートしたのですが、明日に続けます。
2017.07.11
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日本最北端の稚内に来ています。13年振りです。 明日は礼文島、明後日は利尻島です。 と言うことで4日程更新を休ませて頂きます。
2017.07.04
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今日は暑い中、ゴルフだったので通常ならバタンキューなのですが・・・教えてもらいたい事がございまして・・・それは、ゴルフ―スに沢山散らばっていたこれなのですが・・・何のフンか ??? 分からないままに、メンバーの結論は少し違う気もするけど、鹿のフンと言うことに落ち着いたのですが・・・ふと横を見ると・・・こんな実が沢山生っているのです。これだ・・・と訂正はしたのですが、誰も何の実か分からなかったのです。葉っぱはこんな形で・・・見上げるとこんな大木だったのですが・・・・今日のメンバー誰も分からなかったのでブログで教えて貰えるはずと良いカッコして帰って来たものですから・・・・。よろしくお願いします。
2017.06.19
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暖かい一日だった今日、仲間と急に『会議???』をすることになったのですが・・・・ 暖かいと言っても長時間会議??をするには、やはり火の気があった方がと、冬場でもないのに薪ストーブを囲んで、ワイワイガヤガヤいつもの通り取り留めもない議題 (話題?)を討議????しました。 正に井戸端会議ならぬ、『炉端会議』でした。下の写真は散会後、ある程度片づけをしたのち、気付いて撮ったので人影はないのですが、まだ消す前だったので煙突から煙が出ている状態です。『薪を焚く ストーブが触媒 友集う』久しぶりの集まりもストーブあればこそ、燻製作りだけでなく効用はあるものです。
2017.03.19
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今日、いつもの淀川堤防でこんな光景を見ました。そろそろ終わるセイヨウカラシナを採っておられるのだろうと思い、遠かったので、何気なくかなりの望遠で撮って帰ったのですが・・・ 帰って、写真を見ると・・・採る姿勢が違うのです。セイヨウカラシナなら立ったまま花を摘むのですが、この方達は・・・腰を90度に曲げて背丈の低いものを摘んでいるようなのです。 この辺りには土筆は生らないし・・・何を採っておられるのか分かりません。 一体、何を採っているのでしょうね ? ? このことに気づいていたら何を採っておられるのか訊いたのですが、残念なことしました。 ついでながら、こんな気持ちの良さそうな光景も見られました。 このタイプの自転車に乗らなくなった身としましては、極めて羨ましい光景です。 過日この句を載せましたが・・・『古希を過ぎ 気付けば手で立ち 声で立つ』 そのあとこんな句も詠みました。 『座るにも よいしょこらしょの 声がいる』 体力的にはこれが現状で・・・年齢的にはこの年齢・・・ 『還暦を まだ若いと言う 齢になる』 自転車はホコリをかぶって寝ています。
2017.03.18
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今使っているパソコンが余りに遅くなったので買い換えたのですが・・・8.1から10への無料バージョンアップをしなかったもので、今回初めての10への挑戦です。 やっと画面が開き・・・取りあえずインターネットへの接続とウイルスソフト月額版のインストールまでは出来たのですが、あとは試行錯誤の繰り返しでなかなか前に進みません。典型的な文系人間なので取説見ながら分からない事を進めるのは大の苦手。明日PC持って仙人さんに教えてもらいに行く事にしました。何かモヤモヤだけが残っているのですが・・・・・明日スッキリすることを願いつつ・・・・と言うことでこのブログは元のPCで打っています。頭がモヤモヤなら心臓もモヤモヤ、今日病院へ定期検診に行ったのですが・・・そこで一句『胸がきゅん 昔は恋で いま病』
2017.03.10
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