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別に見つけなくてもいつもヒマなのですが・・・・毎年この時期恒例の記事ですが正月に向けて庭木の剪定を続けています。まず、先日剪定したことを書きましたこの松なのですが・・・どうも恰好が悪いので・・・・・追加剪定をしました。中央に切った跡が見えますが・・・これだけの枝を切り落としました。・・・で、こんな形に!!それから香りの終わったキンモクセイは・・・・右半分剪定したあと撮ったbeforeがこれで・・・afterは こうなりました。その横のサルスベリは・・・beforeと・・・afterです。そしても次に剪定を待っているのが、向こうに見える剪定したサルスベリの横の・・・この松です。これは・・・剪定し甲斐のある大物です。ヒマを見つけて(笑) 正月までに仕上げないといけません。
2024.11.26
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庭の柚子が 今年何故か今年たった2ヶしか生らなかったことを過日書きました。そして、その貴重な柚子のひとつが・・・・こんなナマスに使ったことを書きましたが・・・ここからが本論です。残っていたもう一つの柚子はこの度? 大好きな千枚漬けに・・・・小さなかぶらしか売っていなかったので、小ぶりの千枚漬けになりましたたが、歯応えも味も問題なく美味しくって・・・暫くの間楽しめます。食事が終わって飲むお茶の量が増えそうです(笑)ついでながら廃物利用と言いますか、剥いた皮は皮で・・・薄緑はかぶらに残っいた短く切られた葉の茎です。
2024.11.25
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ストーブシーズン到来で過日11/20)に初窯をした事書きました。しかし数年使ったストーブが使い物にならない程老朽化していたことも書きました。・・・で、早速全く同じものをnetで購入しました。早速段ボールから出して組み立て・・・この前はシーズン入りの「初窯」でしたが、今度は買った「窯(ストーブ)」自体の「初窯」です。組み立てて、煙突の黒い部分は前のダメになったストーブのモノを使っています。焚き始めると・・・塗料が焼ける煙が出ます。塗料の煙が出なくなると、買った全てのサツマイモを投入・・・ついでに餅を並べて焼きます。サツマイモは焼けても・・・私の口に入るのは・・・・いつものことながら餅だけ。匂いを嗅いで寄って来たミツバチ? と配達して孫たちの口へ・・・「美味しい」「美味しい」と言う言葉が、次回への請求書で有ります。
2024.11.24
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昨日の続きです。・・・と言うより、昨日書きました孤高の紅葉の栄摂院へは出町柳から、今から書きます真如堂を通って行きました。紅葉は勿論、菩提樹や沙羅双樹で当ブログに何度も登場する真如堂ですが・・・・まだ見頃には少し早かったですが、これだけの紅葉の名所なのに人の数が少ないのが良いです。外国人に至っては殆ど見かけないのでは??? と思うくらいです。三重の塔で余計に紅葉が映えます。左に見える池に突き出した様な建物・・・行きますと、池の向こうにある大弁財天女の祠を遥拝?? する建物の様でした。正面の柵の上に・・・なんとなんとお賽銭を置くお皿が・・・真如堂の紅葉を堪能したのち、この本堂の横を通って・・・昨日書きました栄摂院へ行きました。因みに真如堂は正式に真正極楽寺と言うのですが、誰もそうは言いません。逆に真正極楽寺と言ったら、それどこ? と訊かれる可能性大です。このあと昨日書いた栄摂院の紅葉を堪能して、金戒光明寺の山門(ここは三門でなく山門) をくぐり・・・振り返ると・・・・この金戒光明寺(通称・黒谷さん) から今度は哲学の道へ・・・哲学の道から少し外れて安楽寺の紅葉の様子を窺いに行きましたが・・・この様に紅葉にはまだまだ早く、門前で通過・・・哲学の道を銀閣寺まで歩き・・・銀閣寺前の公衆トイレの前で、同じく高校の友達でゴルフ仲間とばったり。暫し立ち話・・・彼も近所の友達と紅葉狩りの途中でした。余談ながら・・・別れたあと数分歩いた後、三条へ出るバスに乗ると・・・・何んと何と、又今別れて来たその友達が手前から乗っていたのです。そのあと河原町三条でそのまま乗って行くその友達グループと分かれ我々は・・・・珉珉の餃子などで乾杯して、更に京都の名門喫茶店のひとつ六曜社へ。六曜社と言えば、今でも机の上に灰皿とマッチが・・・そのマッチが有名なので貰って来ました。これなのですが・・・ブログを書く為に「六曜社マッチ」で検索しますとこんなページが有りました。関心持って頂いたら覗いて下さい。 ここです。それから今回は友達に引っ張られて付いて歩いたのですが、家に帰りつくまでの歩数が・・・・良く歩いたものです。
2024.11.23
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高校同窓の友人が素晴らしい紅葉があるので案内すると言ってくれていたので今日行って来ました。京阪電車・出町柳駅で待ち合わせ・・・出町へ出たら・・・ここで・・・これを買うのが定番です。このあとアチコチに寄ってから目的地へ行ったのですが、まず最初に目的地のことを・・・友達の薦める紅葉は金戒光明寺の塔頭のここでした。「えいしょういん」と言うらしいです。場所は・・・金戒光明寺から真如堂へ向かう御影堂の裏、青矢印の場所でした。朱色の門に緑に映える紅葉の素晴らしかったこと!!!! 林立する紅葉も素晴らしいですが、孤高に存在感を示す巨木の紅葉もまた素晴らしいものでした。仏さんとのコラボ?? もまた素晴らしい!!・・・庭の奥に進むと・・・同じお寺なのにここの紅葉はまだまだ、緑いっぱいでした。ここが紅葉すると・・・後ろの竹藪の緑とまた映えることでしょう。更に奥には・・・紅葉の無い庭園も。真如堂他行ったところは、明日に続きます。
2024.11.22
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まず最初に・・・・ヤマボウシの花? と実はこんなので・・・ (以下3枚netで借りた写真です)沙羅双樹(ナツツバキ) の花はこんなのです。こんなことは広く知られていることですが・・・・こんな紅葉・黄葉ご存知でしょうか??実は右の紅葉はヤマボウシ、左の黄葉は沙羅双樹なのです。各々花が咲いたり、実が生っている時、少しは注目されますが・・・・この季節にはこれだけきれいに紅葉。黄葉していても・・・「あれ何の木??」程度の注目度です。モミジの紅葉の見頃にはまだ少し早い今、智積院にはこんな紅葉・黄葉も有ります。余談ながら・・・ついでにギンナンを拾いに行ったのですが・・・イチョウの黄葉も素晴らしい・・・と思いながら木の下に行きますと・・・先に落ちたギンナンの上にイチョウの黄葉が積もって・・・黄葉除けて下から拾うと言う様な拾い方を余儀なくされて手間がかかりました。前回(10/28) 拾いに行った時はこの様に一目で大きいのを拾うことが出来たのですが・・・。
2024.11.21
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11月も中旬になっても暑さこそ感じても「寒い」を実感することの無い日が続いて来ましたが、ここにきて急に気温が下がって来ました。・・・・で、待ってましたとばかり今季初めて薪ストーブを焚きました。何しろ廃材、端材、剪定枝が溜まっているものですから・・・ところが、組み立てていくと・・・煙突の蛇腹の部分がこんなになっていたり・・・先端部分がこんなになっていたり・・・4本ある脚の内1本が折れているので石を挟んだり・・・とにかく今シーズン使い続けることが出来ない程錆びて老朽化していたのです。・・・・で、このブログを書いたら、直ちにこれをnetで買うつもりです。さて、このストーブ今まで何台買って来ましたやら・・・・多分今度買うのが4台目では?? と思うのですが、早く買わないと・・・・。
2024.11.20
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連日、京都新聞記事の紹介ですが・・・外国人観光客の飛躍的な増大で京都では市バスが大混雑、市民の足の市バスに乗れないと言う問題がクローズアップされていますが、抹茶にまでも影響が出て販売制限もやむ無しとか!!茶道や寺社や愛飲家等元々の固定客への販売に影響すると言われては、それも仕方ないかと思われます。字が小さくて読み難いですが関心を持って頂ければ読んでみて下さい。
2024.11.19
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確か14日の京都新聞記事の紹介です。南禅寺参道横の對龍山荘が家具のニトリの所有になっていたことを知らなかったのですが・・・その對龍山荘が公開されていると言う記事です。入園料2000円となかなかのもの、そして公開は不定期で確認の必要ありと 制約は有りますが一見の価値ありと思います。私はこの向かいの料亭・菊水へは行ったことありますがが、この庭には行ったことは無いのです。関心持って頂いたら・・・ヤフーで「おにわさん 對龍山荘」と打ち込んで検索してください。実に詳しく紹介されています。(リンクしようと思いましたがセキュリティがかかってリンク出来ないのです)
2024.11.18
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かなり有名になったとは言え、11時頃撮ったこの写真ですが、紅葉もさることながら本当に斑な人影です。まだまだマイナーな智積院の紅葉ですが・・・・今日(11/17) 現在ここまで進みました。陽の当たり難い場所はまだこんな状態です。さて、見頃は・・・・11/末辺りでしようか???
2024.11.17
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今年、この柚子の木は11/12の記事で 2つしか生らなかったと書きましたが・・・他のものはと言いますと・・・レモンの木は苗木のあたりが元々悪かったようでかなり前に植えたのに大きくならず毎年1~2ケしか採れないのです。今年も1ケだけ生っています。 そして、スダチは去年数個採れたのに・・・何故か今年は1ヶも生りません。 逆に去年数個しか生らなかった伊予柑でしたが、今年は豊作で40ヶ程生っています。但し数が多い分小粒です。そして有難いのはミカンです。隣家との境の狭い場所で・・・・世の中裏年らしいのですが、わが家では・・・この生り方では200ヶ近くなっているのでは・・・・収穫が楽しみですが、先だって5ヶだけ試し採り。まだ青さが残っていますがまだ少し酸っぱさが残っています。
2024.11.16
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昨年は名古屋在住の同窓生が幹事で、岐阜の長良川の鵜飼いへ行った大学同窓会でしたが・・今年は関西組が幹事と言う事で、京の奥座敷・亀岡の湯の花温泉へ行って来ました。元は20名程いたメンバーも段々減って今年の参加は10人でた。それでも北は北海道札幌から、東は茨城県水戸市からなど遠隔地からの参加もあり旧交を温めて来ました。泊まったのは・・・パンフレットの写真ですが・・・朝起きたらガスが出ているような山の中でした。翌日は送迎バスでトロッコ亀岡駅まで送って貰いトロッコで嵐山へ出る予定なのですが・・・・行ってみてびっくり駅には殆どが外国人と思われる客で溢れているのです。10時半前に着いたのに、乗れるのは11時30分のしかも立ち席。嵐山からは混んでいることは予想していたのですが、反対の亀岡側から朝の早くにこんな状態だったのには驚き。 こんなことなら予約しておくべきだったけど後の祭り。構内の喫茶室でコーヒー飲みながら時間を潰しました。いよいよトロッコが入って来ると・・・スマホの凄い列が・・・そしてこの混雑です。やっとの思いで乗ったトロッコが動きだし・・・紅葉にはまだ少し早い景色を見ながら約25分の乗車でした。数年前同じ同窓会で、この保津川下りの舟の中からトロッコを見上げたのですが、今回はその逆,舟を見下ろしました。これは現在のJR山陰線の保津峡橋上駅です。そしてこれは今はトロッコ保津峡駅ですが、昔はこれがJRの保津峡駅でした。映画好きな方は観られた方も多いのではないかと思いますが、つかこうへいの「鎌田行進曲」の平田満演じるヤスの故郷(確か熊本県) の駅の設定で満艦飾の旗をセットして撮影された駅でした。更に進むとトロッコは保津川左岸を走り・・・トロッコ嵐山駅で下車。見下ろすし・・・トロッコ嵐山駅もこんな状態でした。あとは、外国人観光客で溢れる 大河内山荘~竹藪の小径~野宮神社~天龍寺の前を通り・・・・嵐電で京都市内へ・・・市内で、母校のキャンパスへ。びっくりする程安い学食で少し遅れた昼食をとり、昔の面影と結びつかないほど変わった校舎など見学したのち暫し昔話で談笑・・・そして現地解散しました。
2024.11.14
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我が家の柚子は植えてからそう経っていなくてまだ木が小さいのです。しかし、ここ数年10ヶ/年程は採れていたのですが、今年はたった2ヶしか生らなかったのです。その貴重な柚子のひとつを収穫しました。収穫してその日のうちに「なます」に。貴重なひとつなのに、たっぷりその半分以上を使いましたら、贅沢な柚子の香りが何とも言えず、ぼりぼりと沢山食べてしまいました。因みに、これも毎年数個以上採れるスダチなのですが、探しても探しても今年は1ヶも生っていないのです。今年はポン酢など自家製スダチ風味は味わうことが出来ません。ほったらかしの木だったのですが、今年は寒肥をやらないと・・・・。
2024.11.12
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数年前に短期間に沢山のもみじの木が植樹されて、今やかなり紅葉の名所になりつつうる智積院ですが・・・そろそろ、本当にそろそろ色づいて来ました。この分で行くと見頃は??? 大変気になるところです。と言うのは・・・中学の友達との京都疎水ウオーキングの下見に8/19に疎水に沿って山科から蹴上まで歩いたことを書きましたが、本番のウオーキングは11/末まで延期しているのです。何故かと言いますと・・・その時、下見に歩いたのが下のルートだったことを書きましたが・・・新たに赤矢印を付けた紅葉の名所・毘沙門堂へも行くことにした為、紅葉のシーズンまで延期しているのです。(毘沙門堂への往復で距離が増えるので、地図の神明山経由はカットするつもりです)ウオーキング実施日は紅葉次第と言う事で、場所は違えども (智積院では)紅葉がいつ頃見頃になるか関心もって見守ることにしているのです。目的に加えた毘沙門堂とは余りポピュラーではありませんが・・・netで画像を借りますと・・・こう言うところです。ついでながら・・・我が家の紅葉はと言いますと・・・これはまだまだ!!! なんです。
2024.11.11
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「カニ」と言いましても本物のカニではなくて、蒲鉾系のカニなのですが・・・色々売られているので一度食べ比べをしようと、同時に2種類のものを買いました。いわゆる「ほぼカニ」(左)と「カニカマ」(右)です。「カニカマ」と言うのは普通名詞みたいに沢山のメーカーが使っている名前だと思いますが、「ほぼカニ」はカネテツの商品名の様です。・・・で外観の見た目の違いは一目瞭然ですが、開いて見ると・・・本物のカニの様に身が斜めになっている「ほぼカニ」に対してカニカマは真っすぐです。表面の見た目と言い、肉(?) の構造と言い「ほぼカニ」に軍配でした。私は味も「ほぼカニ」に軍配と言いたいところですが、これは個人の好みに依るので評価はしません。それにしても「ほぼカニ」は「ほぼ」どころか本当のカニに見えると思いませんか???・・・・という事をまだ記事にしていない段階でこんなのも売っていたと買って来てくれたのが・・・何んと、「ほぼカニ」のメーカーのカネテツのこれ「かにかま」でした。色合いは「ほぼかに」と同じですが一本ずつのモノでなく、平たく作ったものを斜めにカットしたのでは?? と思える姿です。 味は「ほぼかに」と同じと思いましたが、この作り方だと大量生産に向いていると思いました。・・・で「ほぼかに」が一番高いらしいです。(高いと言っても高がが知れていますが)
2024.11.10
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毎年書いていることですが、毎年この季節にやる事なので・・・・自宅の門横の松の木の剪定をしました。低い木で道路に面していて目立つため、植木ハサミでバチバチと切る手抜きの剪定では格好悪いので出来ません。・・・で、ハサミで粗切りして、あとは手でむしる作業なので時間がかかります。今回も予想通り 半日×2日 いっぱいいっぱいかかりました。beforet がこれで・・・・(外から)(内から)afterはこうなりました。剪定クズは 細断してもこれだけ45L のゴミ袋が2.5袋になりました。
2024.11.09
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今日は素晴らしい秋空の下、各人が食べ物を持参しての定例の食事会(飲み会?) に参加してして来ました。今回はメンバーの豪邸で行われて参加者は老若々男女 否 老々男女10人の参加でした。趣味の広い方もおられて、ギターの弾き語りも聴かせてもらったり・・・(分かり難い写真ですが、中央少し右が奏者、ピンク色のモノが楽譜です)庭でお抹茶の接待まで受けて・・・4時間余、あっという間に過ぎ去ったワイワイガヤガヤの楽しい集まりでした。
2024.11.08
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東寺のあと訪れたのは・・・西寺跡です。当時の都のメインストリート・朱雀大路を挟んで東寺と対峙していたのが西寺でした。netの地図が有りました。平安時代の京都の中心は今よりずっと西だったのが分かります。西の方は湿地が多かったので余り開発されず東へ東へ開けたと聞いています。・・・で、まず行ったのが・・・東寺から徒歩10分余の西寺跡です。広い敷地に小山の様です。折しも、歴史探訪グループの様な団体がいましたがそのグループが去ると無人、観光と縁のない世界です。次に向かったのが羅城門です。こちらの方は児童公園の中に、形だけ石碑が立ってるだけの更に貧弱な史跡です。・・・と言う事で、東寺のついでに二つの史跡を回って来ました。
2024.11.07
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天気は良し!! 東京への出張帰り ? の疲れも無かったので、貰った招待状を持って東寺の秋季特別公開に行って来ました。天気の良さはこの通り・・・東門より入ります。門の横の交番はさすがこんな造りでした。引き違い戸がアルミサッシだったのはちょっと興ざめですが、これは仕方無い事。紅葉と五重塔柳と五重塔名物・不二桜と五重塔です。何しろ内部や仏さんは撮影禁止なので・・・・これは金堂です。そして御影堂。金堂、講堂、宝物館で それはそれは沢山の仏像を拝観したのですが当然撮影禁止。その後、観智院へ向かいますと・・・アオサギが・・・アオサギは智積院にも良くいるのですが、真言宗の信徒と見えて東寺にも・・・(笑)これが観智院です。このお寺さんは初めての拝観でした。立派な写経の部屋や・・・庭は撮影出来たのですが・・・素晴らしい襖絵が沢山あったのに撮影禁止で残念!!このこじんまりした庭は・・・成る程 四面正面の庭でした。このあと、東寺へ来てブログに書くならばあそこも書かないと・・・と向かったのですが、明日に続きます。
2024.11.06
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昨日(11/4) はブロともさんに誘って貰って、男はつらいよの寅さんの葛飾柴又へ行って来ました。柴又の帝釈天へは今まで3回行っているのですが、全て現役の時東京出張のついで、最後は定年退職する時東京関係の挨拶回りに行った時だったのでもうウン年前のことでした。今回は昨年千葉のマリーンスタジアムへロッテの試合を一緒に応援に行った、naominさん、mamatamさん、あみさんと私の4人でした。待ち合わせ場所はこの京成電車・柴又駅でした。男はつらいよのラストシーンで毎回妹のさくらが寅さんを送るホームです。改札を出ると寅さんの銅像です。初めて行った時は無かったのですが、その後2回は見た像なのですが・・・寅さんを送る・さくらの像は初めて見ました。駅からは直ぐ帝釈天の参道です。ここからの散策は既にご一緒したnaominさんがブログに詳しく書いて頂いているのでそちらを見て下さい。ここです。・・・で、別に私の撮った写真も有りますので少し載せさせて頂きます。これは山本亭の廊下です。緋毛氈の使い方が参考になると思い取りました。こんな雰囲気の部屋で抹茶を頂きました。矢切の渡しへは・・・江戸川にこんな木柱だったか、石柱だったか??乗り場と・・・・松戸市側の対岸です。アップしますと・・・下が約4時間余散策したコースです。白丸が柴又駅 赤矢印が帝釈天 黄色矢印が山本亭 青矢印が乗りませんでしたが矢切の渡しです。
2024.11.05
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昨日のブログで阿闍梨さま頭を撫でて貰ったことを書きましたが、netにその写真が有りました。私も阿闍梨橋のたもとで この様に頭を撫でて貰ったのでした。私はこの様に珠数はしていなかったですが・・・。この独特の形をした笠? にびっくりしたものでした。何しろ千日回峰行達成者は 戦後で10数名しかいないと言う難行なので達成者は「仏さん」なのです。変わった形の笠のことが気になったので調べました。以下のとおりです。『未熟であることを示すいまだ開き切らない蓮の葉をかたどったという笠』でした。
2024.11.03
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今日は雨の中、岡崎の京都市美術館の、高校同窓生が出展されている絵画展に行って来ました。地下鉄東山駅から歩いて・・・疎水を渡ろうとして東を見ると・・・南禅寺方面の東山に雲がかかって幻想的な景色を醸しだしていました。この岡崎の市立美術館は・・・・ネーミングライツ制度の導入で京セラから50億円の支援を得て、今正式には・・・京都市京セラ美術館 と言います。私は大規模改修工事が完成したのちは前は通っても、中に入ったことがが無かったのです。絵画を見せて貰ったあと、館内を見学、ここからも雲がたなびく東山のこんな景色もられました。絵画展では入口で高校同窓の女性方とお会いして、暫し談笑、計5人の記念写真にも入れて貰いました。帰りは白川に沿って京阪電車・祇園四条駅まで歩きました。途中、前にも書いたと思いますがこの豪邸の塀の上の竹製防護柵には・・・・何といういう手の込んだ構造物と感心するばかり。(ピンボケになっていますが塀の下には犬矢来も見えています)白川を下がると私の好きな阿闍梨橋の光景です。しっとり雨に濡れた柳と相まって素晴らしい光景でした。ずっと前にブログに書いたと思いますがも、千日回峰を終えた阿闍梨さまがこの阿闍梨橋を渡られる場に遭遇したことがありました。橋のたもとに沢山の人が地面に座っているので何があるのか訊いてみると、阿闍梨様に頭を撫でたもらう為と聞いて、私も右へ倣えで頭を撫でて貰ったことがありました。
2024.11.02
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京都の街の中心地はいわゆる「碁盤の目」で東西と南北の通りがきっちり直角で交差しています。・・・なのに、京都のど真ん中、市役所の裏の寺町通りと二条通りの交差点はRが付いて明らかに変形した交差点なのです。下の航空写真に赤矢印を付けたところなんですが・・・・先日撮って来た写真が下の2枚の写真です。寺町から東へ向かって二条通りを撮った写真と・・・反対側、二条通りから西に向かって寺町通を撮った写真です。京都の中心・碁盤の目の街では見かけられない景色なのです。何故こんな変形した交差点があるのか? ずっとずっと疑問に思っていたのですが・・・この疑問に・・・既に9/21 9/24 9/28 と3回に渡って書いて来ましたこの本が答えを教えてくれました。この本のお陰で長年の疑問が解けて実にスッキリしたのです。その答えと言うのが・・・↓↓↓私も長年京都で生きて来て、市電は勿論、京阪電車や阪急電車等の昔の姿や路線は知っているつもりでしたが、こんな所を市電が走っていたのは全く知らなかったのです。いつまで走っていたのが調べないと・・・と又新たな研究課題?? が出来ました。
2024.11.01
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京都の地元を歩いてこれは凄い!!! 手間かけて作っている ! ! 琺瑯製の仁丹の住所表示板並み長く残っていく!! ・・・と思った表示板に出くわしました。これなのですが・・・・写真で見る限り、何の変哲もない小さなプレートに見えますが・・・・これ陶製なのです。今は減ったとは言え、清水焼の窯元が林立している街ならでは!! と感心しながら良く見ると・・・下の方に目立たない様に デザイン協力「京都女子大学生活デザイン研究所」 と書かれているのです。同じ地域に存在する学校と窯元のコラボの賜物でした。・・・・で、その「生活デザイン研究所をnetで検索するると、地元京都と色々なことで関わりを持って活動していることが分かりました。関心もって頂いたら覗いて見て下さい。 ここです。ふと思ったのですが、「地域の集合場所」と町名が書いてあるので、この陶製の表示板は他の町内にもあるのでは?? あればそれがこの表示板と同じデザインなのか一枚一枚違うのか?? 俄然気になりだしました。街歩きで探求しないと!!!!! です。
2024.10.31
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京都新聞の記事の紹介です。あの「哲学の道」を舗装する計画浮上して、地元民の方々から反対の声が上がっていると言うのです。既に舗装されている部分もある様ですが、その舗装工事の時も反対運動があって中断された経緯があったとか。余りにも有名な観光名所!! 京都にお越しになった方はまず歩かれたのではと思います字が小さくて読み難いですが、関心持って頂ければ拡大して読んでください。部外者の私でも反対したい計画ですが????
2024.10.30
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夫婦共関西出身で、一度も東京に住んだことが無いのですが、噂に聞く「もんじゃ焼き」がレパートリィになりました。何しろ本場の店で食べたことが無いので正に見様見真似の作り方なのですが・・・キャベツと豚肉の混ぜたもので周りを囲い、その中に天かす等を混ぜ出汁で薄く溶かしたメリケン粉のといだものを入れて・・・かき混ぜたあと青のりや・・・チーズを散らして・・・(これで2人分です)。更にキムチや紅ショウガも加えて食べて行くのですが・・・こんなモノがもんじゃ焼きと言えるかどうか分かりませんが、ビール好きの私にはお好み焼き以上にビールにぴったりなのです。
2024.10.29
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毎年この季節の定番記事で恐縮ですが・・・10/15に智積院のギンナンのこの写真を載せました。この時はまだ少し早くて落ちている数も少なかったのです。頃も良しとレジ袋を持って、上の写真の場所と違う私のギンナン畑へ拾いに行きました。私のギンナン畑と言っても智積院の中なのですが、そこの方が粒も大きく、沢山落ちているし、一番良いのが当分掃除されてしまうことの無い目立たない場所なのです。これを「ごみ」と言わずして何と言うのでしょう?? と思うくらい、浜の真砂の様に落ちているのです。拾い放題なのですが、大きいのをこれだけ拾って帰りました。素手で果肉を除去して・・・更に、ごしごしと水洗いして種にくっ付いている果肉を取り除き・・・一日置くとこの様に乾いて、いわゆる食べる「ギンナン」になりした。無料の自然の恵みですが、欲しいと言う人が余りいない自然の恵みです。
2024.10.28
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昨日の続きです。3日目は東北温泉から八甲田山ちの近くの蔦七沼の紅葉・黄葉を目指しました。今回の青森行きは、まずその蔦七沼の紅葉を観に行こうと言う事がきっかけでしたのでメインの目的地で有りました。蔦七沼を目指していると八甲田山の雄姿が・・・(今回は登りませんが)程なく蔦温泉に到着。ここの駐車料が何と2000円には、びっくり。しかし駐車しないことには!!!!七沼巡りはこんなレトロな温泉の建物の横から・・・この赤い線を歩きました。沼は6つしかありませんが、もう一つ赤沼と言うのが有るのですが、少し離れているのです。ここでびっくりしたのは鄙びた温泉地のつもりて行ったのに、観光客の多さ、中でも中国人の多さは、去年行った山形の銀山温泉と同じでした。その中国人観光客もほとんどが七沼の2~3つ目の沼で引き返すので、あとは静寂の中の山歩きが出来ました。沼と紅葉・黄葉そして遠くに山が見える小径の連続は本当に心癒される思いがしました。野鳥を撮っているのか、紅葉を撮っているのが分かりませんが、長靴を履いた女性カメラマン二人に遭遇しました。こんな景色を見ながらランチや休憩をとって蔦七沼の山歩きを終わりました。所要時間は2時間14分、186mのアップダウンでした。駐車場に戻り、八甲田山方向へ・・・八甲田山登山の前線基地・酸ヶ湯温泉で一休み。仙人風呂と混浴で有名です。私は八甲田山に二度登っているのですが、2度ともここで泊まりました。今回は小休止して通過です。空港に向かいここに寄ったのですが・・・飛行機の時間に余裕が無かったので見学はパスしました。・・・と言う事で、雨で縫道石山の登山は断念せざるを得ませんでしたが、仏ヶ浦の景勝、日本一黒い温泉、素晴らしい蔦七沼の紅葉・黄葉、そして何処までも追いかけて来る八甲田山の雄姿を堪能できた、今年の紅葉。黄葉を迎えに行く登山でした。
2024.10.27
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昨日の続きです。昨日載せましたこの写真の木製階段と木道を下る事、標高差120m ! !海岸まで下りると、右も左も自然のなせる技、今まで見た事のない様な侵食された大規模な奇岩が続いていました。これなんか鷲がとまっているみたいです。これはローソク岩とでも言うのでしょうか!?普通の観光地なら岩に名前など付けた案内板があると思うのですが、ここではこの石碑がひとつ立ってるだけ、実に素朴な観光地?? でした。綺麗な画像はここを。 是非見て下さい。『神のわざ 鬼の手づくり 佛宇陀 人の世ならぬ処なり』と書かれていました。昔はここを「仏宇陀」と言ったそうです。遠い遠い下北半島の西の端まで行った甲斐があった仏ヶ浦を後にして、又山また山を越え・・・東北温泉へ東北温泉の名前に少し引っ掛かりが有ったのですが、「東北町」にあるとう事を知って納得でした。ここ泊りに来たのは前に書きましたが「日本一黒い温泉」が目当てでした。「日本一黒い」というのでタオルも真っ黒になるのかと思っていたのですが、透明で黒い温泉だったのです。温泉は思ったより黒くなかったのですが、「日本一黒い」と言う根拠は下記の赤線の部分でした。思ったほど黒く無かった温泉に対して、夕食は黒づくめ!!何から何まで「黒」でした。・・・と言う事で、2日目を終わり、翌日は八甲田山近くの「蔦七沼」へ向かいました。明日に続きます。
2024.10.26
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毎年恒例の紅葉を迎えに行く登山2022年は東吾妻山など福島県へ、去年2023年は銀山温泉等山形県へ行きましたが、今年は青森県、しかも陸の孤島の様な下北半島の最西端まで行って来ました。青森空港に着くと天井にねぶたの絵が・・・お迎えです。そして壁には、明日行こうとしている仏ヶ浦の写真が・・・。青森空港からレンタカーを駆って赤丸印のむつ市のホテルまで・・・・実に長いドライブでした。10年前に恐山行って以来のむつ市(赤丸印)です。 恐山のブログはここを。因みに青丸印は翌日目指す、縫道石山、仏ヶ浦です。泊まったホテルはこれ、プラザホテルむつ でした。翌日は・・・予報通り雨が降ったり止んだりの天気。まず東北100名山の縫道石山(ぬいどういしやま) へ向かいました。途中は紅葉、黄葉の山です。目指すはこの縫道石山(netで借りた写真) なのですが、雨天の為ホテルをスタートする時から登山ば断念していました。・・・が、取り敢えず登山口まで行きました。登山口に木や竹の杖を置いているところは沢山有りますが、貸出用の鈴が置いてあるのは初めてでした。開けてみると・・・成る程、沢山ぶら下げて有りました。次の目的地の仏ヶ浦に向かう道中で縫道石山の頂上が見えていたのですが・・・残念 ! ! !登山口から暫く走って仏ヶ浦の駐車場に到着。なんと駐車場から仏ヶ浦の海岸線までこんな下り階段と・・・下りの木道で標高差120m とはまるで登山でした。(階段は帰りに数えると190余段ありました)長くなりますので仏ヶ浦の景勝は明日に。
2024.10.25
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ブロともさんから、「藤袴にアサギマダラが来てますよ」と教えて貰いました。そうかそんな季節だったのかと、早速下御霊神社や革堂(こうどう) 周辺で行われる「藤袴祭」を調べると・・・なんと10/11~14の開催でもう済んでいたのです。一時は諦めたのですが、祭は終わっているけど藤袴やアサギマダラは見られないかと今日(10/21) 行って来ました。京阪電車の神宮丸太町駅で下車、丸太町通りを鴨川を渡り、御所のある寺町通で左折すると直ぐ下御霊神社です。入口から境内まで鉢植えの藤袴が並んでいるのですが・・・これなんか奇麗な方で既に盛りを過ぎた花が多く、境内を探し回ったのですが・・・こんな蝶が藤袴に止まっていましたが目指す? アサギマダラはいませでしたここに居なければ・・・・と直ぐ下(しも) の西国19番札所の革堂(こうどう)へ・・・・革堂の方が藤袴の鉢は多かったのですが・・・ここでも盛りを過ぎて茶色系に変色した藤袴も多く・・・こんな蝶はいましたが、ここでもアサギマダラを見ることが出来ませんでした。今年のアサギマダラは諦めて寺町通りを下がって行くと・・・蕎麦屋さんの店先にも・・・綺麗な町家の格子にも時代祭のポスターが・・・そうか、明日は時代祭だったのです。帰って、中学同窓の女性に下御霊神社、革堂へアサキマダラを見に行ったけど見られなかった・・・とラインすると・・・何んと、藤袴祭初日の10/11に同窓生の女性数人で見に行かれたのでした。その時は元気のないアサギマダラが居たと写真を送って下さいました。これです。・・・・と言う事で今年は現物のアサギマダラは見ることは出来ませんでしたが、この写真やブロともさんのブログで沢山のアサギマダラを見させて貰いました。来年はもっと早く行かないと・・・・!!
2024.10.21
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最初に・・・昨日書きましたゴルフ場の名前を書いていませんでした。「奈良高原カントリークラブ」でした。さて、本論ですが、前に書きましたこの本を読んでいると・・・淀君が秀頼を産んだ「淀城」は現在石垣が残っているいわゆる淀城でなく別の場所にあった、現存する淀城と区別する為「淀古城址」言われているという記述が有ったのです。そんなこと知らずに毎日の様に京阪電車の窓から見ている「淀城」で淀君が秀頼を産んだと思っていたのに・・・です。これは「淀古城址」を探索しなければ・・・と京阪電車を淀駅で途中下車して行って来ました。行った順は逆なのですが、話を進め易いようにあとで行った淀城のことから・・・京阪電車の高架から間近に見えるのがこの石垣です。丁度特急電車が走り過ぎましたが、いつもこの電車から見ている身近な淀城なのです。今は四面陸ですが、当時はこんな水の中に有ったとは・・・この石垣を残している現存の淀城は江戸時代に築城されたものだったのです。・・・で、冒頭に書きました淀君が住んでいた時の「淀城址」に向かいました。京阪電車の駅から直ぐの納所(のうそ) の交差点からこの様に古い町並みが残る千本通りを北上・・・(駅から10分ほど)目指す妙教寺が有りました。思ったより小さいお寺でした。この辺りがいわゆる「淀古城」のあった辺りとか。この立札を読んで、更に近づくと・・・ところが・・・・ギャフン!!! 中に入れないので門から中を覗くと・・・鐘楼の右に立っている石柱、何か彫ってあるのですが、肉銀では見えません。カメラの望遠をいっぱいまでアップしますと・・・淀古城址、戊辰役砲弾貫通跡云々と書かれています。この辺りに秀吉の時代に淀君が住むお城があり、明治維新の戊辰戦争の時は幕府軍と明治新政府軍が戦った激戦地です。砲弾貫通跡と言うのはこのお寺にその時砲弾が貫通した箇所が残っているのでしょう。よく似た話で、同時期の鳥羽伏見の戦いの時の刀傷や弾痕が京阪電車伏見桃山駅近くの料亭魚三楼の格子に残っています。話が逸れましたが・・・門の外から覗いただけで諦めて、キビスを返すと・・・正面が桂川の堤防です。上って見ると・・・振りかえると遠く真正面が今、行って来た妙教寺桂川の向こうには先日歩いたポンポン山の山並みです(どれがポンポン山か分かりません)こんな標識も有って淀城と言うのは新も旧も攻められ難い河川に囲まれた低地にあったことが分かります。・・・・と言う事で毎日の様に見ている淀城は淀君が住んでいた淀城ではなかったと言う事を初めて知るウオーキングでした。
2024.10.20
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昨日は元の会社のOB会のゴルフに参加しました。いつもプレイするマイコースは30分程で行けるのですが、今回は奈良の柳生の里の奥で片道1時間30分程かかる遠いゴルフで集合が早くて7時40分。初めて行くゴルフ場なのでカーナビが有っても心配、早めにライトをつけて出発しました。お陰て夜はゴルフ疲れと睡眠不足が重なって8時前に就寝、目覚めると5時25分、途中一度も目覚めること無くぐっすり!!! こんなに寝たの何十年ぶり!! でした。そんなことで夜はPCも開かず、ブログ更新も休ませて貰いました。さて、タイトルの「変わった」ゴルフ場と言いますのは・・・・長年ゴルフして来て初めて経験する変わったところが3つもあったのです。その一つは・・・各ホールの幅が無茶苦茶広いのです。広いゴルフ場は幾らでもありますが、2つのホールを1つした程の広さで広さのスケールがけた違いだったのです。それがショートホールを除くほゞ全ホールなのです。巾が広いとカート道の反対方向へボールを飛ばすと歩いての横移動が長くなる・・・という心配は無用なんです。他では見たこと無い、カート道が全てのホールでこの様に真ん中を走っているのです。良く飛ばす人は心配ですが、私らの様に距離の出ない者にはOBの心配はほゞゼロ。事実、18ホール同ボールでプレイしました。それからもう一つ変わったところと言うのが、コースのアチコチに大きな岩がゴロゴロしているのです。大きな岩の名所笠置山に近い土地柄、造成で出て来た岩を景観に使ったのだと思います各ホールこんな状態でした。更に変わっていたのが、大きな岩をフェアウエイの真ん中に置いているホールが沢山有ったことでした。例えばこのホール、向こうの方に写っている岩、この写真では分かり難いですが・・・・近付きますともこんな感じです。岩にホールが当たって変な跳ね方をすると、普通ならOBの心配しなければいけませんが、ホールの幅が広いのでその心配もありません。さらに近づくと、数本の横の線が・・・これは間違いなく丸い岩を二つに割るためにドリルで彫った跡です。こんな岩が数ホールの真ん中に立っていたのです。これを見て、ここは柳生。柳生石舟斎が一刀両断に断ち切ったという伝説が残っている柳生一刀石を思いました。ひょっとするとその故事に合わせて敢えて置いているのかとも思いました。柳生一刀石はnetで借りるとこんな岩です。それからもう一つ変わったところと言うのは・・・・画像はありませんがホールとホールの移動が各ホール間とも無茶苦茶長いのです。ホールアウトして、次のホールへ行くのが全員ゴルフカートに乗ってまるでドライブするのです。広大な比較的アップダウンの無い敷地なので、どうにでもコース設計出来たと思うのですが、これも不思議なことでした。先日は二人でのプレイ、ハーフだけのプレイと長いゴルフ経験で初めての経験をしまたが、今回はこんな変わったゴルフ場でのプレイでした。
2024.10.19
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10/14のブログで東福寺近くのお寺の鬼瓦を載せました。これですが・・・余り関心を持っていなかった鬼瓦だったのですが、何と言っても魔除けと言う重要な役目を担う?? 瓦なので、ちょっと関心事項になりました。そこで智積院の鬼瓦や如何に?? と、鬼瓦を見ようとすると 余り真下過ぎて見えないので通路から離れて見上げると・・・有りました高い高い所に。この前見た鬼瓦は低い門の屋根だったので間近に見られましたが、この鬼瓦はかなり離れて望遠で撮った写真なので大きさが全然違います。下ろして間近に置くと、どれだけの大きさなのか想像もつきません。ついでながら我が家のものも撮ってみましたが、用途は同じも「鬼瓦」とは言えなシンプルなモノでした。これなんですが・・・
2024.10.17
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今年の暑さは色々な面で影響が出ていますが、紅葉の遅れもその一つです。今日も夕方のニュースで日光の華厳の滝の紅葉の遅れを同じ時期の例年の紅葉の画像と今年の画像の対比で紅葉の遅さを報道していました。私も前に書きましたが毎年恒例の東北地方へ紅葉を迎えに行く登山を予定しているのですが、まだ迎えに行くには早いのかも知れません。前置きはさておき、我が家では早くも紅葉が・・・・。数年前に豊国神社の「なんでも市」で買ったことを書きました掛け軸に替えました。写真の中央少し左に先日「京町家歳時記」で教えて貰ったことを書きました「狆(ちん) くぐり」も写っています。ところで9/26のブログ にこの新しく知った狆くぐりと海老束と筆返しを床の間のパーツ一覧表に付け加えないと・・と書きましたが、付け加えた最新版を作りました。 9/28のブログはここを9/28に載せたのはこの写真ですが・・新たに12海老束 と13筆返しを付け加え・・・上の写真には写っていない狆くぐりの説明の為にこの写真で14を加えました(写真の床の間の違いは紅葉の掛け軸の床の間は1階、一覧表の床の間は2階のものです)
2024.10.16
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ブロともさんのブログでギンナンの落ちている写真を見て、もうそんな時期か!!と私の庭の(と言っても智積院の庭ですが) の様子を見に行きました。例年書いている定番記事ですが・・・早や紅葉は少し始まっていました。イチョウの木の下を見ると・・・確かに落ちていました。見上げると葉はまだ青々としているのに・・・ギンナンだけはちゃんと黄色く鈴なりに生っていました。今日のところは下見だけで、改めてレジ袋を持って収穫に行くつもりです。この木のある所は観光客が通るメインルートなのでギンナンも掃除されていつゴミとして捨てられるか分かりません。そしてこの木に生るギンナンは小粒なので・・・・毎年書いていることですが、目立たなくて掃除もなかなかされない場所にあるギンナンを拾いにつくつもりです。掃除はされない、粒は大きい・・・私のギンナン畑なのです。
2024.10.15
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今日はいつも降りる京阪電車・七条駅のひとつ手前東福寺駅で下車しました。それは駅前の寿司店で客人のリクエストのこれを買う為でした。久し振りに買った鯖寿司 4500円+税 でしたが二人で食べて残してしまう量でした。京都で鯖寿司と言えば祇園・切通しの「いづう」ですが、祇園石段下の「いづ重」とこの「いづ松」は名前からして「いずう」ののれん分けだろうと思います。 さば寿司を買って歩いていると、お寺の門に・・・成る程、年寄り向けの言葉だと思いましたが???!!! 更に歩を進め、別のお寺の門の上を見上げると・・・これぞ「鬼瓦」と言える程の立派な鬼瓦が鎮座? していました。なかなか立派なので暫し見上げていました。そして、JR東海道線に面した大谷高校の校門の前を通りますと・・・良寛さんの言葉とか。高校生だけでなく、おとなへのうんちくのある言葉でした。
2024.10.14
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10/4に書きましたこの本ですが・・・詠めば読むほど目からウロコの内容が次々なのですが、その内のひとつを!!!枕草子を書いた清少納言が仕えたのは一条天皇の定子(ていし)皇后だったのですが、源氏物語を書いた紫式部が仕えたのは同じく一条天皇の彰子(しょうし)皇后 で有ったこと、そして定子皇后と彰子皇后はいとこで有ったことを知りました。 枕草子と源氏物語がそんな狭い世界で書かれていたとは夢にも思わなかったのでした。さて、ここからが本論なのですが・・・・その定子皇后の御陵がホン近くの今熊野観音の横にあって「鳥戸野陵」であると書いてあったのです。鳥戸野陵と言えば昔訳も分からず一度お参りはしたけど、それだけで、その前をしよっちゅう通りながら関心もなかった御陵だったのです。その読み方も「とりどの」と思っていたのですが、「とりべの」と言うのも初めて知ったのです。・・・・で早速その鳥戸野陵へ行って来ました。みなさんご存知の東山トレイルの泉涌寺を過ぎ、今熊野観音を過ぎて直ぐの山側です。(この写真は通り過ぎて逆から撮っています)この石碑はいつもいつも見ながら通っていたのですが、階段を登ってお参りしたのは今までたった一回だけです。階段と石畳を歩くこと3分ほどで御陵です。確かに一条天皇皇后定子 の名前が・・・・・お参りを済ませて引き返そうとすると・・・何んとこんな景色が・・・そう言えば、ネタ本の「女人京都」にも御陵から京都タワーが見えると書いてあったのです。ついでながら、一条天皇陵の所在地を調べると、嵯峨の天龍寺内に、彰子皇后陵を調べると宇治にある事が分かりました。さて、紫式部のお墓は前に数回書きましたが堀川通り北大路下ルにあるのですが・・・清少納言のお墓を調べると、何と四国は徳島の鳴門にあるとか。定子亡き後数奇な運命を辿ったようです。
2024.10.13
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今日は高校同窓ま友達が天然の鮎とヤマメを持って来てくれました。彼が川魚釣り名人の友だから貰ったもののお裾分けです。私はその川魚釣り名人は知らないので正に友達の友達から貰ったことになります。鮎は福井県の九頭竜川で釣ったもの、ヤマメは名前は聞きながら忘れてしまったのですが滋賀県の朽木村辺りの川で釣れたものとか。一尾ずつラップして冷凍され、二重に手間のかかった貴重品です。もったいないので今日は各2尾ずつ塩焼きに。ヤマメのはらわたは食べないようにと言われたので除去して焼きました。鮎は骨抜きをして美味しいはらわたは勿論まるかじり・・・。美味しかった!!!! まだ残してあるので後日も楽しめます。・・・・で、「友達の友達は友達」の言葉に感謝の日でした。
2024.10.12
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登山録をみると、前回は2021/3に登っていました。(勿論ブログにも書いていました)今回いつもの3人のメンバーで歩いたのはブルーの線で・・・丁度桂川、宇治川、木津川の三川合流散地点の山側、天王山の奥です。歩いた時間と距離は上の通りで、かなりの強行軍でしたので、帰った夜はパソコンを開く元気も無くバタンキューで寝てしまいました。拡大しますと・・・スタートはJR向日町から路線バスで登山口の善峰寺へ行く予定だったのが、スタート地点でトラブルでした。下調べしていたバスの時間が10/1から運行削減のダイヤ改正で乗車予定のバスがなくなっていたのです、止む無くタクシーで登山口へ。登山口は善峰寺の横、善峰寺は前回も寄っているのでパスして釈迦岳に向かって直ぐ登山開始。 暫くの間はぐんぐん高度を上げる急登です。何度も分岐を通過して・・・釈迦岳(631m) に到着。眺望はほゞゼロたけど大きな机とベンチがあり、時間が11時45分だったので昼食とコーヒータイムをとりました。その後24分の歩きでポンポン山頂上に到達。目的のひとつでもある 京都、大阪、滋賀の2府1県の眺望。これが為広い頂上の人がいっぱいでした。東北東は手前が京都市内、その奥の低い山並みは東山、そしてその奥が山科区、更に山の向こうが滋賀県です。前には三上山まで見えたのですが今回は霞んて見えませんでした。京都市内をアップしますと・・・手前に桂川とJR東海道線、そして向こうに京都タワーも・・・南東方向は伏見区、宇治方向です、そして南には、これは分かり易いあべのハルカス!!小休止と眺望を楽しんだあと、今度は高槻方向へ下山開始。程なく「高槻の古木・天狗杉」で小休止。そて名刹・本山寺へ。この階段を下ります。下ったあと、振り返ると・・・間違いなく紅葉の名所です。本山寺を後にすると又あべのハルカスが・・・そして生駒山も・・・。ダラダラの長い道を下って、ここもモミジの名所・神峰山(かぶさん)寺へ・・・・そして、ピッタリ予定通り丹羽高槻市営バスの停留所に付き、約30分の乗車でJR高槻駅へ。行きはJR向日町駅で集合でしたが、帰りはJR高槻駅で無事解散しました。
2024.10.11
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9/10のブログにもらった子芋に混ざっていた小さ過ぎて捨てるしかなかった子芋をダメモトで埋めておいたものを美味しく食べたことを書きましたが・・・ 別に2つのプランターに植えているモノがあると書いていました。 (9/10のブログはここ)9/10に抜いたのは大きな毛虫が沢山発生したので抜いたのですが、今回は植えているプランターが必要になったので子芋の収穫時期と関係なく抜いたのです。その9/10に書いた時ブロ友さんから「水盤に植えて お部屋で 葉っぱの涼しさを楽しめば いかがでしょうか?極小サイズだからこそ 最適です」・・・・と教えて貰っていたので今回はまず水盤に適したのを選んで生けました。こうして見るとなかなかのものです。・・・・で、これだけ残ったのですが・・・・採って来た土筆やイタドリなどの野草同様に下処理は私の仕事です。小さい子芋の皮むきは大変でした。・・・調理されたのはズイキの部分はチンしただけにカツオと牡蠣醤油をかけただけ。これなかなかのものでした。そして・・・左下が空揚げした子芋てす。更に・・・・子芋ご飯まで。ゴミから生った少しの子芋でしたが、美味しく頂けました。
2024.10.09
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前に書いたことと重複しますが・・・元々「京町家歳時記」を読んでいるところへ、友達から「女人高野」を教えて貰ったので早速図書館で借りて来て読み出すと、これがなかなか面白いので手元に置きたく思って同じ本をアマゾンの古本を発注したことまでは書きましたが・・・その本が今日届いたのです。配送料込みで820円でした。 (新品の定価は1600円+税)古本と言っても新品同様です。・・・で今日は同じ本が2冊手元に・・・となりました。そんなことで「京町家歳時記」と「女人高野」の蔵書が出来たのですが、どちらか言うと先に読もうと思うのは「女人高野」の方です。「読書の秋」・・・この2冊の本以外に今借りているのがもう一冊、写真の五木寛之の「歌の旅人びと」も読まないといけないところへ、申し込んでいた瀬戸内寂聴の「やっぱり、嵯峨野に行こう」も予約確保済のメールが図書館から入ったし・・・8/6に申し込んでいた黒井千次の「老いの深み」もそろそろ順番が回って来そうだし、「読書の秋」は忙しいです。この老いの深み」は当市のアチコチの図書館で4冊の蔵書が有るのですが、8/6に申し込んだときは確か20数番目だったと思います。年寄り本は人気が有ります(笑)
2024.10.08
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まず最初に・・・・昨日書きました柿の被害ですが・・・太陽光のせいでも、高温のせいでもなく・・・・犯人は・・・・これ、触ると臭いカメムシでした。画像はnetで借りました。きのうのブログに今年大量発生してるカメムシではないかとのコメントを頂いたので調べますと、柿の被害の状態が正にカメムシの被害そのでした。吸汁摂食と言うらしく要は果汁を吸うらしいです。ただ、凹んだ中の白くなっている被害の部分を取り除けば他は食べられると言う事なので少し安心しました。調べていくと全国的にカメ大量大量発生しているらしく、わが家では何十年も柿を収穫して来ましたがこんな被害初めてのことなのです。来年のことが心配です。カメムシは見ていないのですが観察してみます。さて、タイトルに戻りまして・・・・我が隠れ家の近くはお寺さんも多いですが、実は清水焼の本場で陶器屋さんが多いのです。この家は元々陶器屋さんだったのですが・・・・家の前に置いてあるりんご箱に目をやると・・・廃業されるのか、デットストックの処分なのか・・・こんなことが書かれた紙と沢山の湯のみが置いてあったのです。自由にお持ち帰り下さいと書いてある紙が実にくたびれているのいでかなりの日数置いてある雰囲気だったのです。多分陶器の本場のご近所の方は見向きもされないのでは・・・・。手に取って見ると薄くって軽くって実に待ち易い形なのです。・・・・で、遠慮なく自由に?? 頂いて来ました。「捨てる神あれば拾う神あり」 否、「捨てる人あれば拾う人あり ?」を地で行きました。赤い方は遠慮しました(笑)
2024.10.07
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9/14のブログで 庭の柿の実をカラスの被害から守る為、今年もこの様に稲荷山の仙人さんに貰ったハヤブサをぶら下げた事をに書きました。まだ青いのも残っているのですが、カラスがうろうろし出したのと、スズメもつつきに来たので少し早めですが、今日脚立に乗って青いのを残して・・・・これだけ収穫しました。例年より見るからに小粒なのは下から見て分かっていたのですが・・・・下からは見えなかった実の上の部分が酷いアバタと言うか、凹凸が付いているのです。しかも一つ残さず全てがこんな状態なのです。これは中までやられている筈と試しに切って見ると・・・・やはりこんな状態でした。外観の悪さは勿論のこと、悪い部分を取り除きながら食べないといけないので とてもとても人様にお裾分け出来るようなものでないのです。原因は今年の高温と強い直射のせいだと思うのですが、全てが全てこんな状態なので、ひょっとすると病気かも知れません。何しろこんなこと初めてのこと、折角ハヤブサで守ったのに残念で残念で・・・・柿の木はあと2本あるのですが、両方ともまだ青いのでまだそのままにしていますが同じ現象が起こっている可能性がある上に、1本の木は少ししか生っていないのに明らかに太陽光線にやられたようで青い内から部分的に黄色く変色しているのです。いずれにしても今年の柿は散々な状態なんです。プロ野球はシーズンもあとはクライマックスシリーズと日本シリーズを残してはいますが、ほゞ終わりました。私事ですが、ほゞ毎日出かけて、夕方帰ると毎日毎日試合のある限りパソコンのnetでロッテのナイターでの試合の応援にかかりきりでした。試合が終わったあと自分のブログの更新だけで精一杯でなかなかブロともさんのブログの訪問が出来ないことが続いていましたがこれからは元の様なブログ活動をしますのでよろしくお願い致します。
2024.10.06
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京都新聞記事の紹介です。長くて字が小さいので読み難いと思います。関心持って頂ければ読んでください。9/29のブログで大文字のことを書いたばかりですが、10/1の京都新聞にこんな記事が載りました。上の保存の会の長谷川英文理事長は 先日妙法院で大文字についての講座の講師でした。どちらの言い分が正しいか否かではなく、私個人としては飛行を規制して欲しいと思うのですが・・・。それから寺院拝観料の相次ぐ値上げと、外国人観光客に対する二重価格の是非についての記事です。普通の観光地ではなく、たてまえは宗教活動で有ると言う事での「拝観」ですので、宗教活動について外国人だからと言って二重価格を儲けるのはどうか? という意見が妥当だと思うのですが・・・果たして??
2024.10.05
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9/21 9/24 9/28 と3回に渡って書いて来ましたこの本ですが・・・・三月から始まる「春」を読み、まだ「夏」から「秋」の十月までしか読んでいないのですが・・・・高校の友達から紹介されたこの本を早速図書館に申し込んで借りて来ました。帯にはこの様に書かれていて・・・内容は・・・・単なる観光本ではなく、この様に歴史上の女性の史跡を辿るガイドブックのようなのです。借りて来て1. だけ読んだばかりなのですが最初に出て来たのが、我が庭同様の清水寺の「子安の塔]でした。いつも前を通り、遠くからも眺めている塔ですが私の頭には単に「子安の塔」でしかなかったのです。読んで見ると、この塔に聖武天皇の妃光明皇后が安産祈願したと言う話が伝えられていたのです。私は全く知らない事でした。聖武天皇、光明皇后は平安京が出来る前の平城京の時代の人。清水寺、子安の塔は平安京が出来る前から存在したらしいですが、 平城京から「わざわざ京都まで来たの?」と言う疑問もある様ですが・・・聖武天皇、光明皇后と言えば、大仏さんを建立した天皇、皇后です。今年の1/10に「大仏さんに鼻の穴が6つあると言う事の究明」と、その建立をした聖武天皇、光明皇后陵に参拝に行ったばかり。子安の塔がその光明皇后に繋がる史跡であることを知ったのも何かの縁。そう言うことを知った上で又、子安の塔へ行こうと思い、更に読み進むと、今の子安の塔は明治時代に移築されたもので元は仁王門の側にあったらしく、今は仁王門の手前の警備室を囲む植え込みの中に「光明皇后 念持観音 子安塔址」と刻まれた碑があるとか。ならばその石碑を見つけに行かないと・・・。・・・そんなことでなかなか面白そうな本なので、蔵書の「京町家歳時記」は後回しにしてこの本を先に読むことにしました(笑)・・・・と、ここまで書いて、netでこんな解説を見つけました。関心を持って頂いたら読んでください。
2024.10.04
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今日タイヤ4本交換しました。走行距離がこの数字なのですが、2度目の交換、標準的だと思うのですが???どうなんでしょう???新規登録から6年6ヶ月なので年間走行距離が丁度 1万km。まあ標準的な走行距離と言う所でしょうか??
2024.10.03
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今日はいつものコースで 昨年10/19以来ほゞ1年ぶりのゴルフでした。1年も空いたのは、私の腰痛とその後の今年の酷暑のためでした。10月の中旬に元の会社のOB会ゴルフにエントリーしているのですが、上に書きました様に1年のブランク!!!それまでに一度は行っておかないと・・・と言うのが動機でした。ところがいつものメンバーが集まらず、さりとてプレイしたいので都合の付く高校の友達に付き合って貰って・・・急遽プレイしたと言うのが今回のゴルフです。そんなゴルフで長いゴルフ人生で初めての体験3つとは・・・その1は・・・・ 二人でプレイ (ツーサム) したことでした。割り増し料金を取られて・・・。それから2つ目は・・・ワンランド回らずにハーフで終わったことでした。ハーフを終わった時どちらからでもなく、これであがろうか!! と意見が一致したのでした(笑)ゴルフ場の従業員からは「身体の調子が悪いのですか??」なんて話しかけらましたがお陰て体力の消耗?? を随分抑えられました(笑)そして3つ目はこのクールカートに乗ったことでした。去年までは無かった新兵器です。4人分ついていてプレイヤーが近づくとい風が出て、ボールを打っため下りるとストップする人感センサーがついた優れものでした。このカートに乗るのは割り増し料を取られるのですが、今回は無料券を持っていたので割り増し無しで乗れました。・・・・という1年ぶりのゴルフ、どうなるか心配しながら行ったのですが、まあ無難にプレイ出来て一安心でした。但し、二つ目に書きました様にハーフであがろうかという体力が気になるところです。
2024.10.02
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9/22のブログにこの坂本龍馬住居跡のことを書きましたが・・・(前にも書いたことありますが)三十三間堂南門の直ぐ側の塩小路通りに面したひっそりとした街にこの石碑が有ります。案内板にこの様に書かれています 。(一部を拡大して赤線で表示)これが案内板の全体です。 もし関心もって頂ければ読んで下さい。あと、中岡慎太郎と共に暗殺された河原町四条上る西側近江家跡にも暗殺場所を示す石碑がありますし、霊山護國神社内にお墓が、そして円山公園の東の端にこんな大きな銅像も有ります。この画像はネットで借りました。
2024.10.01
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三十三間堂裏のこの仁丹の住所表示板について・・・前に下記のことを書きました。ここは間違いなく東山区ですが、下京区と書かれています。下京区から分離して東山区が出来たのが昭和4年ですのでこれはその以前のモノ、今年は昭和99年ですので少なくとも95年以上前のモノです・・・と・ところが、この表示板からさほど離れていない場所でこれを発見したのです。東山区と書かれていますので、上に書きましたことによってこれは昭和5年以降のものと分かります。更に昭和5年から戦争が始まる昭和16年までのものであることが分かりました。それは、この前買いました本「京町家歳時記」に戦争中の事情が書かれていたからです。それと私は地元柄、下京区から分離した東山区のことしか頭に無かったのですが・・・上京区から分離した中京区でも同じように、今は中京区なのに上京区と書かれたものが有ることも書かれています。
2024.09.30
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