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雀のチュン介は朝になると、何時も決まって遊びくるパパが餌を与えると、家族を呼んで食べている。チュン介に子供ができた時チュン介は自分は食べずに子供の口に餌をやっていた。親が子供を思う気持ちは、すべてに共通するものだと僕は思う。今日もチュン介親子が遊びに来ていた、子供はすごく大きくなっている。僕はチュン介に聞いてみた「チュン介何時も親子で行動するの?」するとチュン介は「リュウ君は、すぐに、両親から離れたでしょう僕達は親子何時も一緒なの」「子供は大きくなってから独立するけど、夫婦は100まで一緒よ」「そうかリュウ君はまだ独身だったね、夫婦のことは解らないよね~」「今家庭内離婚とか、家庭内別居などと良く聞くけど僕たちにはそんなことは全くないね」「ところでリュウ君パパは来ないねパパはお出かけなの」「だったらリュウ君パパに云ってよね~出かける時はチャンと餌を置いていくようにね」「解ったよチュン介パパに云っておくからね」「有り難うリュウ君餌が無いから又出直してくるからね」パパがチュン介親子に餌を与えて3年になる、インコのチイコーがいなくなってから餌をあげているインコのチイコーは自分の名前を言えて、パパが出かけるときは、必ずチイコー行ってきますといってパパを送り出したとパパは僕に云ったことがあるそのチイコーがいなくなったので、僕が里子になったのだから雀のチュン介を可愛がるのはキット、いなくなったチイコーを思い出していると思う。パパっておセンチね~
2005.11.30
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今日はパパがお仕事なので、朝が早かった、そとは小雨が降っていたで、パパはすごく急いで散歩したの~だから僕は物足りなかったが、パパは雨が嫌いなので、仕方がないね~。気温は昨日より8度も下がって大変寒かった。マリー・アントワネットを僕が、書いているが、少し疲れたので、パパに話すと、リュウの体調が良くなってからでも、いいと云われたので一休みしているの雀のチュン介も、僕が外に出ると遊びに来てくれたチュン介と話をするのは久ぶりなので大変話が弾んだ。あ~あ何もしないと本当に気持ちいい~なあ~。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
2005.11.30
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レオナルドは日に日にヴェルサイユ宮殿を取り巻く環境は悪化の一途をたどり、平民の中でも過激な人たちが、氾濫を起こしていることを耳にしていた。自分の子供達に、それぞれに使命を与えておかなければ、ならないと思い忠犬の使命と責任を子供達に話した。レオナルドはこの時すでに50代になっていたのである。長男のアーノルドには王妃夫妻をお守りするよう次男のミッチュルには王太子をそして王女にはエリザベスを充て三男には後のルイ17世をお守りするようにそれぞれの分担を子供達に与えた。妻のジュリアンは何時も子供達を逞しく育つよう毎朝晩散歩に連れて行っていた、ヴェルサイユ宮殿は秋になると朝晩の冷え込みが激しく、母譲りのエリザベスには早朝の散歩は苦手であった。母のジュリアンもまた寒さに弱く風邪気味の状態が続いていた、だが気丈なジュリアンは子供のために一日も散歩を休む日は無かった。レオナルドはこの母にしてこの子があるのだと心の中で妻に感謝した。子供達にシッカリと使命を話し終へレオナルドはこの時自らの死を決意したのである。
2005.11.29
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1777年8月18日、結婚してから7年後マリー・アントワネット21歳の時国王夫婦は晴れて本当の夫婦となり、マリー・アントワネットは翌年の4月に身ごもり、1778年12月18日に王女マリー・テレーズの誕生となった。マリー・アントワネットはその後1781年に王太子を出産する。王太子の誕生は国王夫婦にとってこのうえない喜びであり、王太子の誕生を祝うためパリからさまざまな代表者たちがヴェルサイユ宮殿に赴き宮殿内の中庭でさまざまな催しが昼夜にわたり行なわれた。レオナルドはマリー・アントワネットが王太子を出産したことで、心から喜び、子供達を連れて、お見舞いに覗ったのである。マリー・アントワネットの子供達とレオナルドの子供達は良く遊びまわった特に王女マリー・テレーズはエリザベスを可愛がり自分のベットで一緒に寝ることが多かった。エリザベスは生まれた時からの寒がりで王女マリー・テレーズはエリザベスのために特注の毛布まで揃えてあげた。王女マリー・テレーズが行く所は何時もエリザベスがついて廻っていたようである。レオナルドは娘エリザベスがこれから先王女マリー・テレーズを必ず守っていくであろうと確信した。
2005.11.29
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マリー・アントワネットが初めて美貌のスウェーデン貴族に会ったのは、ルイ15世が無くなる数週間前のオペラ座の仮装舞踏会で共に18歳のときだった。4年後の1778年フェルセン伯爵がヴェルサイユ宮殿に赴いたとき、マリー・アントワネットはすぐ彼のことを思い出していた。彼女はすでに王妃となっており始めての子供を身ごもっている時期だったが、フェルセンの来たことにより今までの単調な生活は一変する。王妃の顔色ばかり覗っている、他の取り巻き連中と違って自分自身をもつ人物であった。そして出産後に健康が回復すると王妃は、プライベートな集まりの仲間にフェルセンを加えた。マリー・アントワネットは彼と一緒のときは胸の高鳴りを押さえることはできなかった。マリー・アントワネットの心は常にフェルセン伯爵のことで一杯であった。マリー・アントワネット取って異性との恋は初めてのことであり、彼女の恋心は日増しにつのっていった。しかしフェルセンはこれ以上王妃の寵愛に深入りすることを避け1780年アメリカ独立戦争を援助すべくフランス軍に志願してアメリカに行くことを決意した。マリー・アントワネットは別れの日が近づくと王妃は彼から目を離すことはできず目には涙にぬれていた。
2005.11.28
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レオナルドとアーノルドの訪問を受けた、ルイ16世は子供達にと云って、子犬の縫ぐるみを送られた。次男のミッチェル三男のエトワール長女のエリザベスは喜び勇んで、縫ぐるみと遊んでいる。特にエリザベスは、口に咥えながら、あたりを所狭しと、飛び跳ねいていた。これをみた、レオナルドとジュリアンは目を細めて子供達が喜ぶ姿をジット見つめていた。レオナルドはベルサイユ宮殿におけるマリー・アントワネットの評判が日増しに悪くなるにつれ自分達親子への風当たりが強くなることを危惧していた。あまりの嬉しさに、子供達3人は部屋を飛び出し、宮殿内を走り回っていた。一人だと宮殿内で走り回ることは、ありえないが兄妹3人だと、じゃれて走り回ることは予想された。案の定宮廷の礼儀作法にうるさいノワイユ伯爵夫人に見つかったのである。日ごろからマリー・アントワネットに対して悪意を持ているノワイユは王妃憎さも相まってじゃれてる子供達を激しく叱った。あまりの形相に、驚いた子供達は自分達の部屋に一目散に逃げ帰った。だが妹のエリザベスだけは、戻ってこなかった。レオナルドとアーノルドはエリザベスを探しに宮廷内を探し回った、だがいくら探してもエリザベスを見つけることはできなかったのである。レオナルドはまさかと思いつつ、宮殿の外に出たかすかにエリザベスの泣き声が耳に入った広いヴェルサイユ宮殿の庭である、泣き声を頼りに探し回った、この時のレオナルドは我が子を思う父親として必死の思いであった。やっとの思いでエリザベスを探し当てることができた、泣き叙繰りながらエリザベスは宮殿の片隅に身を寄せ、震えながら泣いていたレオナルドはエリザベスの涙を舐めながらシッカリと抱きしめたのである。予想してたとはいえ、これまで早く自分達親子まで、迫害されるかと思うとレオナルドの胸は痛んだ。おそらく逃げ遅れたエリザベスはノワイユ伯爵夫人に宮殿の外につまみ出されたのであろうと推察できた。今自分たち親子を守ってくれるのはもはやルイ16世とマリー・アントワネットの夫婦しかいないことをシッカリと認識することができたのである。レオナルドはこれから先、王妃を守りそして家族を守っていかなければならない自分をシッカリと胸に刻んだ。レオナルドの行く末は、茨の道ばかりかもしれない。
2005.11.28
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レオナルドはアーノルドを連れて宮廷内を廻った、最初に廻ったのはちょうどルイ16世の部屋で王妃も来ていたのでアーノルドを紹介した。マリー・アントワネットはルイ16世にレオナルドには4人の子供がいることも報告された、レオナルドはルイ16世とは初対面である、緊張した表情でマリー・アントワネットの傍に立っていた。アーノルドは人見知りすることなくルイ16世の傍に駆け寄ったのである。ルイ16世は笑みを浮かべながらアーノルドの頭を撫でた。レオナルドは安心すると共に自分にはできないことをする、アーノルドを頼もしく思った。
2005.11.27
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(アーノルドの肖像画)レオナルドは何時は自分達はいなくなり、後は子供達にヴェルサイユ宮殿のなかで、マリー・アントワネットをお守りしなければならないと考えていた。長男のアーノルドは一番レオナルドに似ており、子供の時から本当にレオナルドの幼少のとき彷彿させるような仕草をしている。顔形もレオナルドにそっくりで、マリー・アントワネットも4人の子供達の中では特にアーノルドに目をかけていた。レオナルドは今から、宮殿のさまざまな、しきたりや広い宮殿の中を連れて行き多くのことを教えなくてはいけないことを感じていた。長男のアーノルドは日増しに逞しくなり、よき後継者ができたことにレオナルドは神に感謝した。王妃マリー・アントワネットに対する宮廷内での批判中傷、ましてフランス国民からのヴェルサイユ宮殿への不満は日に日に強まっていた。マリー・アントワネットはこうした、事にはあまりにも無頓着であり、世論を無視することで悪評は国中に広まりつつあった。このことを一番心を痛め行く末を案じていたのはレオナルド唯1人かもしれない。レオナルドは急がなくてはいけないと思い子供達に、言い聞かせたのである。
2005.11.27
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レオナルドと結婚して4人の子供に恵まれたジュリアンは、こうして庭園を親子そろって散歩できることに、幸せを感じていた。広大な庭園をこうして、親子水入らずで散歩できる幸せ、そしてすくすくと成長する我が子を見たときに、母親として今が何ものにも替えがたい最高の幸福であるとしみじみ思ったのである。ジュリアンはこの幸せが何時までも続くことを願ったのである。まもなくマリー・アントワネットが愛したオランジェリーにたどり着いた。
2005.11.26
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レオナルドはヴェルサイユ宮殿に来たのはちょうど、我が子と、ほぼ同じ年であった。庭園内で遊びまわる、子供達を見たとき自分が、今こうして無邪気に遊んでいる事と錯覚した。マリー・アントワネットと苦しかった日々がレオナルドの頭の中を走馬灯のように駆け巡ったのである。
2005.11.26
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すごく晴れ割ったった、日にレオナルドはヴェルサイユ宮殿の庭園を親子6人で散策した。マリー・アントワネットとヴェルサイユ宮殿に来て庭園を散策する機会はあまり無かった。親子6人で散策できることは、レオナルドにとって夢のような心境である。こうして広大な庭園をマリー・アントワネットとルイ16世は夫婦で散策したことは皆無であった。レオナルドはマリー・アントワネットとこのヴェルサイユ宮殿来て、よく2人で庭園で遊んだことを思い出していた。まだあどけないマリー・アントワネットではあったが日の暮れるまで遊び戯れたことが、昨日のように感じられた。レオナルドは今自分の妻と4人の子供達とヴェルサイユ宮殿の庭園を散歩している。何時の日か、マリー・アントワネットも夫婦と子供連れで広大な庭園を散策することを願がわづにはいられなかった。
2005.11.26
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「昼寝用の小部屋」マリー・アントワネットが改装した当時の状況を比較的保っている部屋である。マリー・アントワネットは一人の人間として自由に振舞う事の出来ない毎日を不満に思う日々であった。王妃である彼女の生活はフランスと云う国家に束縛されて居たからである。自由なハンブルグの宮殿で育った彼女にとってみれば王妃にもプライベートな生活を営む権利が在るというのは当然のことかもしれない。そこで彼女は王権の象徴であるヴェルサイユ宮殿内に自分だけの空間を作ることを決め、着手したのである。公的な住居については改造が出来ず、プライベートの住居は思い切った、改造ができたのである。特に力を入れたのが「昼寝用の小部屋」だったのである。勿論レオナルド親子も、この部屋でマリー・アントワネットと暮らしていたのである。
2005.11.25
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1777年8月18日長い冬の時代が終わり、結婚してから7年の長い年月を経て国王夫婦は、晴れて、本当の夫婦となったのである。この知らせを聞いた、レオナルドはマリー・アントワネットの傍にいて7年間を振り返り、感無量の心境であった。レオナルドは、心の底から、喜びが沸き起こり暫らくの間、マリー・アントワネットの顔を見つめたままであった。懐妊の事実を知ったマリー・アントワネット自身もなんとも言いようのない、感激で、心が躍った。ルイ16世からも、宮殿に住む多くの人からも次から次えと祝福の言葉が寄せられたのである。とりわけルイ16世は天にも昇るような喜びで心からマリー・アントワネットの懐妊を喜んだのである。レオナルドはマリー・アントワネットの懐妊により夫婦仲が良くなり、王妃としてのマリー・アントワネットの立場がよりよくなることを望んだ。レオナルドは王妃と共に7年間針の筵にいる毎日であった。すでにこのときレオナルドは7年44歳になっていた。
2005.11.25
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この写真はヴェルサイユ宮殿銅像はルイ14世
2005.11.24
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レオナルドの子供誕生を祝って鯉の贈り物が王妃から子供達に届けられた。
2005.11.24
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(写真はヴェルサイユ宮殿の庭園)レオナルドとジュリアンに待望の子供が生まれた男の子3匹と女の子である。男の子は総てレオナルドに似てチョコレートの毛並み女の子はジュリアンに似て栗色の毛並みであった。王妃は大変喜ばれて、4人の子供達を、ルイ16世に報告した。レオナルドは自分に子供が授かったことで、マリー・アントワネットに子供が授かることを祈った。マリー・アントワネットはレオナルドの思惑通り母のマリヤ・テレジアに子供の必要性を伝えたのである。マリヤ・テレジアはもしマリー・アントワネットと国王が本当の夫婦になることがで、きなかったら両国の未来はどうなってしまうのか。そこでマリヤ・テレジアは息子の神聖ローマ帝国皇帝のヨーゼフ2世をフランスに派遣したのである。1777年5月、母の命を受けたヨーゼフ2世はヴェルサイユに行きマリー・アントワネットに王妃としての心構えと両国の同盟の重要性について教え諭したのである。このときマリー・アントワネットは母に隠していた事実をすべて兄に打ち明けた。だが妹が抱える心の傷を無視して、ひたすら妻や王妃としての義務をといたのである。そしてルイ16世に会い、王妃との夫婦関係について率直な話をしたのである。普段は口の堅いルイ16世ではあるが、このときばかりは羞恥心を捨て去り、夫婦の秘密を義兄に告白した。国王夫婦の寝室に秘められている悲しい真実を話したのである。「ルイ16世が云うにはベットの中では勃起はするものの射精する事は出来ず、いつもすごすごと引き下がりおやすみなさいですべて終わっていたのである。妹もこの営みには、諦めが先に走り、2人とも不器用そのものであった。ヨーゼフ2世は精神科医のようにルイ16世を励ました。その結果、ルイ16世は手術を受ける事を義兄に告げたのである。その後ルイ16世より「必要なことはしました、このような幸せを感じることができるのも、貴方の御蔭です」と返事があったのである
2005.11.24
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僕の親友麻呂君、麻呂君はすごく優しいワン公です。
2005.11.23
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朝早く散歩した、すごく寒かった。僕は何も着てないので、すごく寒さが堪えます。何時も僕が散歩していると、垣根から吠えるトミー君を書きました、これをあげて、吠えないようにお願いするの。水墨画を書き終えるのを、待っていたかのように「リュウドライブに行くよ」とパパから云われたので久しぶりにパパとドライブをした。パパは僕に絵を習いなさいと云うし、ママはお琴を習ったらと云うし、どちらを取るか、今すごく悩んでいます~。
2005.11.23
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盛装してパリのオペラ座へ行く マリー・アントワネット
2005.11.22
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写真はパリのオペラ座です
2005.11.22
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(写真はパリのオペラ座)マリー・アントワネットは夫に対する失望や、王室の人々への不満を解消するために、自分が愛する事の出来る人を探し求めていた。王妃である彼女にとって、スキャンダルを引き起こすことは論外であり、同姓の友人を見つけるしか、方法は無かった。やがて、彼女はジュール・ド・ポリニャック伯爵夫人に強い関心を覚えたのである。ポリニャック伯爵夫人は素晴らしい美貌と物憂げな気品で王妃をすっかり魅了した。マリー・アントワネットはポリニャック伯爵夫人と片時も離れてすごすことができなくなっていたのである。そのために彼女をヴェルサイユ宮殿内に住まわせたのであるこのように、特定の人物に行き過ぎた友情を示す王妃の態度に人々の非難の対象となったのである。ポリニャック伯爵夫人があるとき、自分が経済的に恵まれていない事を理由に宮廷を去ろうと決意した。そしてマリー・アントワネットに話したのである。「私達はまだ、お別れしても不幸になるほど愛し合ってはおりません。しかしそうなるように感じられます。暫らくすれば、もはや私は、王妃様のお傍を離れることはできなくなるでしょう。そのときが来る前に、お別れいたします」話を聴いた王妃は涙を流し、婦人を抱きしめ、彼女の手を強く握り締め、思いとどまるよう懇願したのである。人々は王妃に異性の愛人ばかりか、同姓の愛人もいると、面白おかしく、噂を流したのである。このときすでに、王妃が友人達に法外な特典や年金を与え莫大な国費を浪費している声も高まっていた。ルイ・16世は王家の代表的な娯楽である狩猟に強い情熱を抱いていたが、マリー・アントワネットにとっては狩猟よりも気晴らしだったようである。彼女が本当に楽しめるのは気心の知れた人たちと散策や舞踏会や祝宴だけであった。パリへ出かけ、オペラ座の舞踏会に行く回数も日増しに多くなっていったのである。パパから話を聞いて、ここまでブログを書いた僕はなぜ、マリー・アントワネットがこのようになっていったかを、考えてみた。夫婦生活ができないマリー・アントワネットにとって快楽に身を任せるよりほかに生きていくうえで方法が無かったのでは、ないだろうかもしルイ・16世と夫婦生活が巧くいってたらとしたら・・・悲劇は起こらなかったであろうか。あれこれ思案してるときパパから大きな声で「リュウなにぼやっとしているの、ブログを止めてオヤツの時間だよ」と云われた。
2005.11.22
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即位直後は幸せな時期もあったが、国王夫妻の気持ちは、日増しに離れていくばかりであった。夜毎、宮殿内の鏡のまで、舞踏会が開かれ、親しい人を集めては、遊びにふけっていたのである、したがって国王とは顔をあわせる機会さえ、次第に少なくなっていった思慮の浅いことばかり熱中するマリー・アントワネットは自分の楽しみばかりを追いもてめ国王に対して関係修復の努力は皆無であった。この若い国王夫婦には共通点が一つも無く、むしろ彼らは全く対照的な人物だといえるだろう。背も高く、女性らしい豊かな胸を持った、マリー・アンワネットはその優雅な歩き方を誰からも賞賛された女性だった。一方ルイ16世は妻に気に入れられるためにレッスンを受けたにもかかわらず、体をみつとも無くゆすって歩く癖が直らず、風采も一向に上がらなかったのである。そのような国王を、王妃は容赦なく批判した。時には「可哀想な人」と呼び、国王として尊敬する事は全く無かった。彼女にしてみればそうするだけの、理由があったのである。ルイ16世には肉体的な欠陥があり、何時までも妻と本当の夫婦になることが、できなかったのである。そのためマリー・アントワネットは国王の子供を身ごもる事が出来ず、そのことに対して、長い間屈辱を感じていたのである。夫婦のベットは王妃にとって屈辱を耐え忍ぶ場所と化したためマリー・アントワネットはできるだけ夫と寝ることを避けようとした、夜になって国王が眠ると、王妃は陽気な取り巻き連中とパリーにでかけ、オペラ座の舞踏会などで、楽しいひとときをすごし、明け方に宮殿に戻ると云う生活が続いたのである。レオナルドは考えた末にまず自分が、嫁を取り、子供を造れば、国王夫妻にとって、いい刺激になるかもしれないマリー・アントワネットにとっても、子供がいれば状況も変わってくると、思った。レオナルドは早速マリー・アントワネットにこのことを話した、彼女は自分のことのように、喜んでくれたのである。マリー・アントワネットが唯一心を許せるランバル公爵夫人にレオナルドのよき伴侶をお願いした数日後ランバル公爵夫人より20歳になったばかりのチワワで栗毛のジュリアンを紹介された。レオナルドはこのとき28歳であった。レオナルドとジュリアンとの結婚を期に国王夫妻にも子供が授かるよう願って、結婚を決断したのである。
2005.11.21
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王妃とは、国王の一番の臣下として、故郷を思う気持や自分の気持ちや意見を心の中にしまい、常に慎み深く行動をしなければならない存在だった。だがマリー・アントワネットは宮廷の古臭いしきたりを嫌い、自分流のやり方をどんどん取り入れていった。それまで王妃と食卓を共にすることが許されていたのは国王一家の人々だけであったがマリー・アントワネットは国王と共に取る夕食にも、自分で選んだ客を招待した。ルイ16世から宮廷の娯楽に関する、一切の権限を与えられた彼女は、係りに命じて毎週芝居を3回、舞踏会を2回開かせた。16世との愛のないはけ口を、新しいドレスや宝石で身を飾り遊興にふけっていたのである。王妃となってからのマリー・アントワネットは、浪費家であり1年も経たないうちに、彼女は少しずつ王妃としての義務を忘れていくようになったのである。宮廷内においても、彼女には、お世辞は言っても、注意する人も無く、まして国王であるルイ16世も夜を共にすることも無く、まして対話などは皆無であった。まだあどけなさが残り、幼稚な彼女は、遊び、着飾ることが唯一の生きがいでもあったと思われる。レオナルドは王妃になってからのマリー・アントワネットの変貌に、心を痛めていたのである。広い宮廷内で心の底から心配しているのは、もはやレオナルドだけであった。日増しにマリー・アントワネットの悪評を聞く度にどうしたら良いものかと、思案に明け暮れる日々が続いた。
2005.11.20
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1774年4月27日フランス国王ルイ15世は突然天然痘にかかり、2週間後の5月10日にこの世を去った。その結果王太子ルイ・オーギュストがフランス国王ルイ・16世となり、マリー・アントワネットは18歳で王妃の座につくことになった。60年に及ぶ前国王の長い治世は、民衆にとって失望の連続であり、新しい国王は若く、王妃もその地位にふさわしい美しい女性であったため人々は素直に喜びあったのである。民衆は新しい国王に自分達に幸せな生活を保証してくれることを待ち望んでいたのである。一方、公的には何も持たない王妃に人々が求めたのは美徳に溢れ、あらゆる女性らしさを備え、立派な息子を生むことだった。民衆は無意識のうちに王妃は社会が繁栄してるときは幸福のシンボルとして又国家が不幸に襲われたときは母のように慈愛に満ちた存在であってほしいと考えていた。だが民衆は、ほとんど不可能なことを望んでいたのであるマリー・アントワネットは、歴代の王妃と同じように振舞うことなど少しも考えは無く王妃としての立場と責任を理解するには、あまりにも若く又無経験過ぎたのである。
2005.11.19
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太陽王ルイ14世が造らせたこの壮麗な宮殿の中で、国王一家は朝おきてから夜寝るまで、厳格な礼儀作法にしたがって、1日を過ごさなければならなかった。彼女は宮廷の礼儀作法にはほとんど意味がないと考え、又国王一家の暮らしに関するあらゆることが、宮廷で重要な話題になってしまうと言う、現実を受け入れることは、出来なかった。宮廷に集まる4000人もの人は時間をもてあまし悪口や、スキャンダルに飢えており、彼らのおしゃべりは、王太子夫婦の日常生活のことが何時も話題の中心であった。王太子夫婦の結婚が完全には成就してないことが噂は噂を呼び、人々は王太子妃に批判的な目を向け始めていったのである。レオナルドは夫婦仲は次第に良くなってはいたが周りの、心無い中傷批判を聴くにつれ心を痛める日々が続いた。まだ幼さが消えていないマリー・アントワネットはすでにこの頃から人々の反感を買うようになっていたのである。それに加え、彼女は気持ちの上で未だに祖国オーストリアと縁を切ってないのでは無いかと思う人たちによって別の不満が渦巻いていたのである。レオナルドは噂の根源であり不満分子である内親王たちから王太子を遠ざけることに成功したのである。マリー・アントワネットにはこれから幾多の受難が待ち構えていたのである。
2005.11.18
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今日は僕はすっかり下痢も治り寒さは厳しかったがパパと散歩した、色々な人から心配していただいた事をパパから聞いて、感謝の気持ちで一杯でした。遅れたブログも始めようと僕は心新たに決意した。レオナルドは、アントワネットと王太子の仲が巧く行くように、宮殿内を歩きい、又色々な話を聴いて廻った。マリー・アントワネットの心の中には、義父であるルイ15世が母マリア・テレジアの言うような立派な人物で無いことはいち早くきずいていたのである。ルイ15世は、子供や孫を愛すること無く、愛情の総てを若い愛妾に注いでいたのである、国王が30歳も年下の卑しい身分の女性を公然と愛していることはマリー・アントワネットにとって激しい衝撃であり国王に抱いていた好感は、嫌悪感に変わっていったのである彼女は国王の娘で3人の内親王に近づいていった。だが内親王たちは陰ではマリー・アントワネットを「オーストリア女」と呼んで軽蔑していたのである。このことを知ったレオナルドは、一日も早く王太子との仲を改善しなければと思いアントワネットに告げたのである。レオナルドの献身的な働きにより、王太子夫婦の間の緊張関係は次第にほぐれ始めていった。「私達は親しく好意的に生きていかなければならないのですからお互い信頼しあって、総てのことに話し合わなければなりません」とマリー・アントワネットは夫に告げた。王太子はこれからは彼女と共に夫婦らしく生活することを約束したのである、レオナルドは今までの苦労が報われたと思い感無量であった。
2005.11.17
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パパがお友達と話しているとき僕はお友達の奥様の部屋に、入った。化粧室に入り色々な化粧があり置いてある総ての化粧を嗅いで見た。どの化粧もパパについていた化粧は無かった。ここのダイビングルームでパパはワルツを教えて貰った、だがパパについていた、化粧は見当たらなかったのである。やはりパパの云うとおり、ワルツを踊っていてもお化粧の臭いはつくものだと思った。パパは僕に似て真面目人間、だからもてないのだと僕はパパの一面を知ることができた。魅力を感じるのは、やはり遊び人間がいいと思った真面目より非真面目、非真面目とは不真面目とは違い真面目にあらず、まあ~融通の利く人かもしれないと僕は理解することにした。パパは友達と色々話しこんでいた、僕はこの際色々なお部屋に行って、探索してみようと、変な誘惑に駆られた。
2005.11.16
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今日の散歩は朝が早かった、パパのお仕事の時は散歩も早いの、パパは僕のウンチを確かめたいの思いでしたが昨日あまり食べてないので、散歩の時は出なかった。お腹の痛みはないし、下痢もしていない、僕はもう大丈夫と思うけど、パパは心配そうにしていた。僕はパパに昨日のことを尋ねた。「パパ僕のパソコン触ったでしょう」 「リュウがお腹の調子が悪いので、パパがブログのお手伝いをしたよ」と無にも無かったように答えた「パパね昨日のブログの写真は上、下に同じ写真が載ってたよ」 「そうかな~、パパは気がつかなかったがね~」「パパが出かけていないとき、ロゼお姉さんから電話があったのリュウチャンお腹が悪いのにブログをするから、同じ写真を上下の載せて、駄目ね~」といわれた僕はお腹の悪いのをこらえてブログを開いてみるとロゼお姉さんの云うとおりであった。「パパね僕が具合が悪いからお手伝いすることは嬉しいよ、だけど僕が直すのに一苦労したのよ」「ロゼお姉さんがパパに云ったでしょう、リュウまでなるには2~3年かかるって」 「パパお願いだから、僕に世話焼かせないでね僕はまだ病気なのよ・・わかった~」 「・・・・」「パパ用にノートパソコン買ったでしょう、それを使ってよね~」パパはバツが悪そうに、僕の話を聴いてくれた。「リュウ、ご免ね、そのお詫びに、リュウが行きたがってたパパのお友達の所に連れて行くからね」といわれた。僕は前々から一度パパのお友達の所に行きたかった。例のお化粧の臭いが今でも気にかかっていたからである。僕の疑惑を晴らす為にも、僕は少しぐらいの病気でも行かねばならないと思った
2005.11.16
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昨日の朝散歩前にお腹が痛くって、庭に下痢と、食べたもの総て吐いた。散歩の途中お腹が咳き込み、僕は歩くことが出来なかった。少しやすむと、治まったので、お家まで帰ることが出来た。パパは僕が胃腸が弱いので、病院から前もって買っていたので、くすりを飲まされた。夕方の散歩でも下痢は止まらず、パパが明日の朝もし悪ければリュウ病院に行くからねといわれた。夜パパがタバコを吸いに、外に出たが、僕は小屋から出ずにいた。何時もパパの様子を見守っている僕が小屋から出ないので、すごく心配していた。心配のあまりリュウと呼ばれたので、僕が小屋から出るとリュウポンポンが痛いかい、起こしてごめんねもう小屋に入って、寝なさいと、言って部屋に入った。今日の朝僕は下痢と昨日の食べたのを吐いた。散歩のとき、プリン・メロン・カールの3人の友達とあったが、いつもの元気が無いので、トマトお姉さんが、早くリュウチャンを病院に連れた行った方が良いよと、パパに話していた。パパは家に帰ると僕を病院に連れて行った。お医者さんから、「リュウ君また下痢なの」といってパパにリュウ君はすごく、神経が敏感なので、ストレスからも下痢をする事もある、良く気がつくワン公ほど、ストレスがたまり安い、と話していた。栄養剤点滴と下痢止め胃腸の注射を打ちました。パパは帰りがけ、リュウブログは今日はお休みして元気になれば書けば良いからねといってくれた。リュウ気分転換に今から、ドライブしょうといって、僕が好きな海に向かって車を走らせた。
2005.11.15
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僕は見知らぬ所に来ている、周りの景色は見たことの無い景色ばかりであった、凄いお部屋の中である。僕は一体どうなっているのか、僕自身もわからない。暫らくして、リュウ君がブログで書いてた、ベルサイユ宮殿であることが、解った。あたりを見渡すと、僕に瓜二つのワン公がいた段々近ずいてきた、みればみるほど、僕そっくりチョコレートの毛並みは僕以外にいないはずだがこちらに来るワン公は、チョコレートの毛並み僕は尋ねてみた。 「How do you do?] [What your neme?][My neme is Reonarudo.I'm delighted to know you.][May I introduse myself? I'm cyokopi-][I'm happy to meet you here]レオナルド君は僕に「チョコピー君ワン公同志は英語でなくても話は出来るよ」といわれ、外国だと思ってカタコトの英語で話した、僕自身大変恥ずかしかった。僕は思った250年前も現在もワン語は変わっていないんだと~僕はレオナルド君に「今が一番大変な時期だね~」と聞いた。「そうだよ、これからいろんな人にあって、どうして王太子がアントワネットに会いに来ないかを調べてみたいの」「君も一緒に行くかい~」 「僕は行かないよ~だがせっかくベルサイユ宮殿に来たのだから、マリー・アントワネットに一目逢って帰りたいな~」 「僕のママはアントワネットの子孫と思っているからね~」僕はレオナルドにお願いしてアントワネットの部屋に行くことが出来た。僕が部屋に入ろうとしたとき、誰かが僕の頭をと小突いた。痛いと思わず、声を上げた。「チョコPI何時まで寝ているの、もう散歩の時間でしょう」とママの声がした。朝6時であった。リュウ君のブログの影響で僕はすっかり、夢を見ていたのである。周りはいつもと変わらない、風景であった。レオナルドは王太子とマリー・アントワネットのなかが一日も早く修復するようにその原因を探った。王太子は宮廷では影が薄く教養はあったが、早熟で内向的な彼は外見には全く魅力が無かった彼自身そうした欠点を自覚していたため、他人を愛そうとはせず、彼自身の殻に閉じこもっていたのである。また彼は自分が国王の器で無いことも、強い確信を持っていたのである。さらに両親を早く無くし、視野の狭い養育係りの手で育てられていたことが、問題を深刻化させていったのである。養育係りは常々、王太子に、女性こそが公私共にあらゆる不幸の原因だと教え込まれていた。祖父であるルイ15世の堕落した生活もあって、彼は女性に対する恐怖心を抱くようになったのである。レオナルドはたとえ時間がかかったとしても、王太子の心をほぐす事が、一番大切なことであると、思った。
2005.11.14
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レオナルドは王太子がベットを共にしないのは、自分が何時もアントワネットの傍にいるからでは無いかと、思いすごく気にせずには、いられなかった。王太子イ・オーギュストは未だに新妻に指一つ触れていなかったのである。オーストリアの大使シュターレンベルグ公爵は「最初の夜もその後も、興味深い出来事は起こりませんでした。王太子殿下のの「異常な無気力」の原因だと思われますと母君であるマリア・テレジアに当てた手紙の中で書いている。王位継承者の妃にとって、子供を生む可能性が無いと云う事は、きわめて重大な問題である。この後7年間にもわたって続くこうした不完全な結婚のなかでマリー・アントワネットは多くの屈辱を味わうことになるのである。レオナルドは主人アントワネットの心の悩みを少しでも和らげようと、アントワネットに頼み宮殿内を探索することに、したのである。宮殿内はすごく広大であり、レオナルド自身も、どこをどう行けばいのか、検討もつかなかった。それと同時にレオナルドはなぜ王太子がマリー・アントワネットの所に来ないのか、その原因を調べなくてはならないと思った。レオナルドは一日も早く円満な夫婦生活が訪れることを望んでいたのである。
2005.11.13
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昨日チョコピー君と約束をした、一度遊びに来てねてェ~!僕の散歩のとき、パパからリュウの親友チョコピー君が尋ねてくることを知らされた。初めて会う、チョコピー君僕は本当に嬉しかった。一度会って見たかったチョコピーである。「リュウ君来たよ~、僕チョコピーです」「チョコピー君本当に来てくれたのね、有り難う」「ここまで来るのに、すごく時間がかかっただろう」「何で来たの、疲れたでしょう」「ウン~リュウ君少し疲れたよ~、電車と新幹線で来たの」「6時間はかかったと思うよ、リュウ君のお家遠いね~」「田舎だもんね~、ママと来たの?」「そう~ママと朝早く家を出たの、朝が早いから21時には寝たのよ」「向こうにいるのがリュウ君のパパ?」「そうだよ、君と積もる話があるだろうからと言って席をはずしているの」「リュウ君が言ってたように、ダサイ格好してるね~」「チョコピー君僕が言ってた通りだろう」「僕のママは散歩のときは綺麗にお化粧してくれるの」「それはチョコピーがスカットしてるから、ママは君に合わせてるのさ」「そうかもしれないね、リュウのブログの影響で」「最近ママは洋服を買ってきたら、僕に着て見せるの」「そしてチョコピーどう~、ママねマリー・アントワネットに似てるでしょうと何時も聞くの」「僕はママが喜ぶためにママ本当に似てるよといってあげるの」「最近ママはアントワネットになりきっているみたい」「チョコピーのママはアントワネットなら僕のパパはルイ・オーギュストだね」「近眼でさえなくて、おまけにダサいもんね~」「僕のママは最近お化粧は念入りにしてるみたい」「病院に行くときも、買い物に行くときも散歩のときもよ~」「チョコピーのママは手を入れるだけ美しくなるからイイジャン」「僕のママは手を入れるだけおかしくなるのよ~」「だからパパが何時もママに無駄な抵抗はしない方が良いよといってるの」「パパはママは素顔が一番美しいよ~といってるのにね~ママは気がついてないみたいよ~」「ママは僕にさえないパパに耐えてると言ってるの、そのママにパパは耐えてるみたい」「それはそうと、チョコピー服を着てると暑いだろう~」「ここは暖かいね、来るときは寒かったのでママが着せてくれたの」チョコピーがわざわざ来てくれて今日ほど嬉しいことは無かった。ブログに出てくる、レオナルドの子孫チョコピーの毛並みは本当に美しかった。チョコピーとかなりの時間2人で話した、話尽きることはなかったがママと次のところに行かなくてはといって帰っていった。チョコピー何時までも元気でなア~といって、チョコピーの姿が見えなくなるまで見送った。チョコピーさようなら~
2005.11.12
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マリー・アントワネットにとってベルサイユ宮殿ほど住みにくい所は無かった。思い起こせば、床入れの儀式のとき無邪気にも微笑んでいたアントワネットであった、ランスの大司教が夫婦の寝室に入り初夜のベットに聖油をまいて祝福しフランスの王位継承者が神聖ローマ帝国皇帝の娘とベットを共にすることを世界中に知らしめることまで用意されていたのである。だが結婚式の翌朝、王太子の自分の日記に「なにもなし(リヤン)」と書いている。一方のマリー・アントワネットもベルサイユに同行したヴェルモン神父に夫から一度もキスされず、手も握ってもらえなかった事を打ち明けた。その翌日も、さらに次の日も、状況はほとんど、変わらなかった。このような日々の中、アントワネットにとって唯一の安らぎは、レオナルドと遊び戯れることで心が癒された。ベルサイユ宮殿に来て初めて庭園にレオナルドと散歩した。広大な庭園であり、まずは宮殿の傍の庭園から散歩した。今までアントワネットの寝室でしか、遊んだことの無いレオナルドであるが、初めてチョコレート色のチワワがベルサイユ宮殿の庭園のにその勇姿を見せたのである。僕はレオナルドをみて全くチョコピーをみているような錯覚に落ちいった。まさに230年前のチョコピーの祖先である。確かに今の食生活と、当時のものとは違いがあるだけど、受け継がれた遺伝は後世まで残るという事がレオナルドをみて核心を深めた。
2005.11.11
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ヴェルサイユ宮殿では、アントワネットは夫のルイと過ごす時間より、レオナルドと遊ぶ時間が多かった。15歳のアントワネットにしてみたら、当然の事かも知れない。アントワネットは1770年フランスのルイ・オーギュストに嫁ぐため、住み慣れたシェーンブルン宮殿を後にしたのであるライン川の中州に特設された花嫁引渡しの儀式では身に着けたもの総てを脱ぎ捨ててフランス製のものに着替え無ければいけなかったのである。パリー郊外ののコンペーニュウの森で、未来の夫ルイ・オーギュストに初めて会った.ルイは近眼でデブそしてのろまの三拍子そろった王太子アントワネットにときめく物は、感じられなかった。したがってひと目で恋に陥る事は無かったのである。母によっての政略結婚、アントワネットとってまだ15歳むなしいものに感じられた事は否めないであろう。この時のアントワネットはあまり宮殿内を行き来するよりも広い寝室内で、チョコレート色の愛犬レオナルドと遊び戯れることが日課となっていた。パパの話を聞いて、チョコピーの祖先は、今のチョコピーより幸せであったかどうか・・。子孫のチョコピーの方がはるかに幸せかも知れないと思う王太子のルイは、デブだけ除けば、僕のパパに良く似た人かも知れないと思った。パパのもてない原因も解るような気がする。王太子ルイは読書家でもあり天文学や科学にも興味を持ち数か国語を自在に操る知的な面も持ったルイでもある。趣味の違う二人が本当に愛し合うのにはかなりの時間が要するのであろうか
2005.11.10
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今日は散歩から帰っても、食事はしなかった。すごく胸やけして食べる気がしなかった、パパが心配した胃腸の薬を飲ませたくれた。僕はパパに友達の話をした、すごく可愛くて甘えん坊何時もママの傍にいて、散歩のときも寒いときはママに抱かれ散歩してるチョコピーのことをパパ、チョコレート色をしたチワワを見たことある~」パパは暫らく考えていたが「そんなワン公はみたことが無いね~」僕もパパから散歩に連れて貰っているが会ったことは無いぱぱチョコピーはフランス生まれのワン公じゃないの~」「それはどうかな~、」だって、僕が知っているチワワのサリーちゃんやリサ君は毛並みは、白と黒だよ」「リュウの言うとおり、白いチワワか、黒いチワワだね」だからチョコピーの祖先はフランスのベルサイユ宮殿に住んでいたのと、違うかしら~」「それはどうかな~」「だけどワン公には家系図がないから、解らないね~」「リュウがそう思えばそれで良いんじゃないの~ロマンが在っていいかもね」「今のチョコピーをみていると、キット王女様のベットで寝ていたかもね」「王女様ってマリー・アントワネットのことかい~」知らないけどそうみたい」パパマリー・アントワネットってどういう人」 パパはすこし思案してから話してくれたマリー・アントワネットはオーストリアの女帝マリア・テレジアの娘として生まれた。その美しさは折り紙付である。アントワネットは性格といえば母いわく「善良・親切・ぴちぴちとした明るい賢さ・純情な人間味」その反面「未熟・軽率・遊惰・散漫」「やんちゃで甘ったれのアントワネットである。アントワネットは1770年フランスの王太子(ルイ・オーギュスト)に嫁いだそのときはアントワネット15歳である。母はアントワネットが嫁ぐとき何時も可愛がっていた、チョコレート色をしたチワワ・レオナルドを持たしてやったベルサイユ宮殿でのレオナルドは片時もアントワネットの傍を離れなかった。勿論寝るときは何時もアントワネットのベットで寝ていたのである。パパがここまで話したとき、今のチョコピーをみていると250年前から受け継いだ遺伝を知る事が出来た。これから先アントワネットとレオナルドのみに数奇な運命が待ち構えて居たのである。
2005.11.09
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パパ好きな人がいるでしょうと、僕が言うとパパはリュウのお友達は皆好きだと言った。ルーシーにアイちゃん、それにラッキーそれに何時もリュウを可愛がってくれる、小学生のお姉ちゃん達僕は違った答えを期待したが、僕の質問を理解してないらしい。その時僕は思った、パパは僕に似てもてない事は良く似てるこんな質問は、パパには愚問であったと思った。何時もパパに言ってるが、未だにパパはズンダレている僕が小さいときはよかったが、成人した今、パパと一緒に散歩するのは、恥ずかしくて気が引ける。少しは身なりをきちんと、すればいいのだが、相変わらず洗濯したものを又着る、だから何時も同じものをきている。僕の友達のパパやママは何時もスカットした服装で散歩してる、なのにパパだけはズンダレている。だからパパとは気がつかない人が多い、僕を見てリュウのパパさんねと言われる、僕が一緒だから解るようである。だからパパは僕よりもてないのかも知れない。今度パパと友達のお家に連れてってもらうことにした、ぱぱの行く所を知っておきたく、なったからである。
2005.11.08
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今日も朝から上天気、誰も散歩で会わなかったのでパパからクサリを外してもらい、自由に散歩が出来た。やはり、自由は心地がよかった。昨日はパパに聞くことがあったが、話の途中に、お客さんが来たので、中断した。今日こそパパに聞いて見たいと思っている。「パパ僕はすごく臭いに敏感なの~」「知ってるよ、リュウはお鼻と耳はすごく発達してることは・・・」「真実の口って知ってる~、ウソをつくと、手首が喰われるの」「パパね~この前遅く帰ってきたでしょう、タバコを吸いに出てきた時、パパの臭いと違う臭いがしたの」「髭剃り後のクリームの臭いでなく、お化粧の臭いがしたの」「パパは仕事関係の人と、お酒を飲みながら、話をしてただけだよ~」「お話だけでどうして、お化粧の臭いがつくの」「そうだね~、女性の人もかなり、いたからね」「お家に女性の人はかなり見えるよ、パパの同期生やご近所の方がだけど、タバコを吸いに出て来ても、お化粧の臭いはしないもんね~」「パパ本当のことを言わないと、手首を喰われちゃうよ~」「あ~あ、リュウ思い出した、カラオケが始まって皆はダンスを始めたの、パパは踊れないから、お酒を飲みながらみてたの」「みてるだけで、お化粧の臭いがつくの~」 「パパが僕に教えてくれたでしょう、隠された窓はいけないって」「そうだ!親友のカズさんが、リュウにワルツを教えるだろうダンスの上手な人が来てるから、習ったら・・」「リュウ思い出したよ、そしてワルツを習ったことを・・」「ワルツを踊ると、お化粧がつくの?」「ワルツじゃなくて、チークダンスじゃないの?」「そうか確かワルツの基本はブルースの変形からといってな~」「パパ僕が書いたブログをみて、アン王女とジョーが、船上パーテイでチークダンスをしたことを、思い出して、日ごろもてないパパだから、ジョーの気分で踊ったと違う?」「・・・・・・・・」僕はパパの「隠された窓」から「開かれた窓」にするため色々と聞いた、パパはお惚けが上手だから並大抵のことでは無いと、思った。
2005.11.08
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今日は朝から秋晴れの上天気、パパは昨日のミスを忘れたかのように、僕と散歩した。パパは本当にいい性格をしてるみたい、あれだけ迷惑をかけたのにすっかり忘れているみたい、反省しているのか、僕は疑問に思った。散歩の途中に、プリン(柴のMIXオス)・メロン(柴のMIXオス)カール(コーギーオス)の3匹とあった。3匹のママは最近中国語を習っている、家で発音練習してるとき、突然カールが吠え出した練習を止めると、吠えるのを止める。又発音練習をすると、吠え出した、だから発音練習はできなかったとパパに話していた。僕はトマトお姉ちゃんの発音が犬の啼き声に、似てるから、おとなしいカールが吠えたと思う中には、豚の鳴声や、馬の鳴声に似た人もいるといっていた。中国語の発音は難しいな~と思った、パパ豚の鳴声は止めてよね。僕はパパに聞きたいことがあった、3日前のことであるパパの友達が迎えに来て夜出て行った、友達のお家で飲み会があるとのことその日はかなり遅い時間に帰ってきた、少しお酒の臭いがしただがお酒の臭いとは別の臭いもしたのである。
2005.11.07
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パパの電話でロゼお姉さんが、来てくれた、僕が困った時は何時も飛んできてくれる。最近サマンサお姉さんは、ちっとも来ない。忙しいと云うことですが、理由は僕には分かるように思えるパパがパソコンを始めたと聞いて、恐怖を感じていると思う今日もパパのために、僕は本当に苦労した、僕は、ロゼお姉さんやサマンサお姉さんのために、パパにサジを買ってくるようにお願いした、今日のロゼお姉さんは、キットサジを投げたかったと思う、僕だけなら良いものを、パパまでが世話をやかせるからね~。サジも相当多くいると思った、来た度に、サジを投げたとして、相当な量、これからは僕が玄関でロゼお姉さんと、サマンサお姉さんが、パパに投げたサジ拾いが、始まるものと、覚悟しなくてはね~本当にせわを焼かせるパパだこと。
2005.11.06
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今日ほど僕はあわてたことはなかった、パパがパソコンを2週間前から始めた、ロゼお姉さんから、習ったことしようと、ブログを開いたパパはブログは初めてで、ものめずらしそうに、見ていた。僕が目を離した隙に、ブログのログアウトを押してしまった。僕が、ブログを書こうとしても、かくことが出来ず、又最初から登録のしなおし、パパには困ったものである。何をしても失敗だらけのパパだが、まだパソコンは無理みたいロゼお姉さんにパパに頼んで電話した、お姉さんは、リュウチャンパパにパソコンを扱わしたら、いけないと、言ったでしょと言われた。だって勝手にパパが扱ったんだもの、どうしょうもないパパである。パパ僕の許可なくして、パソコン触らないでね。お願いよ!(≧ヘ≦) ムゥ
2005.11.06
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