2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全13件 (13件中 1-13件目)
1
小学校の頃、夏休み最後の日に 「あ~あ、もういっぺん夏休みのはじめに戻らへんかな?」 なんて言っては、母親に 「あほなこと言うてんと、宿題せんかいっ?」 って怒られていた僕 でも、本気で願えば、もしかしたら時間が後戻りするんじゃないかと本気で思っていました 学校の夏休みは今日で最後 実はグリストブラスバンドも8月は練習が夏休みでした で、今度の日曜日は、いきなり京都でもう一つのブリティッシュバンドのコリーズさんと合同公開練習 夏休み中、あまり練習していない僕としては、このままでは不安なので夕方から練習場へ(夏休み中も練習場は確保されています) すると公民館のおじさんは 「グリストさん、今週は部屋取ってられませんよ」 そうだった 月に4回しか部屋は使えないので、今月5回目の日曜日の今日は確保できてないんだ 泣く泣く帰宅して家で練習しました 明日は月の初日で仕事も忙しくなります 9月になったけど、今週は1日でも夏休みを取りたいな
2008年08月31日
コメント(3)
今し方、地下鉄で格好よく、翼のバッヂのついた帽子を被った老人に「この電車は京都駅に行きますか?」と声をかけられました 京都駅で降り、これからどちらへと尋ねると「新都ホテルへ海軍航空兵時代の仲間が集まるんです」とのこと 僕はホテルへの経路を案内しながら、亡き父も海軍軍人だったことをお話し、「お気を付けて、お元気で」と言って別れました 元軍人さんは、航空兵であったことを誇りに思っておられるようでした 厳しい戦地を渡り、戦後は復興に心血を注がれ、残ったわずかな戦友と再会される 戦争という過去は本当に不幸なことでしたが、生死の境目で育まれた友情は、他にない強いものなのでしょう! 戦争はあってはならないことですが、軍人さんが自分の命を捨ててまで護って下さったこの美しい国を、美しいまま子孫に継承するために、我々は享楽にかまけることなく、真剣に生きて行かなければならないと思いました 軍人さん、本当にありがとうございました 今夜はどうか戦友と京の夜を満喫して下さい
2008年08月28日
コメント(1)
今朝の新聞に北、核無能力化を中断という見出しが… それ見たことか! アメリカさんよ! 北が普通に話の通じる国だとでも思っていたのかい? 十や二十歳の若造じゃあるまいし、いい加減学習しろ! まず火種を作っておいて、それをやめとこかな~なんてそぶりを見せて、自国に有利な交渉をするのがかの国のやり方だってことは、誰だって分かっている なのに、交渉の段階で確認の有無に関係なく制裁を解除するようなことをいうのは、かの国の思うつぼだ アメリカは日本と友好国でありながら、拉致の解決よりも制裁解除を優先しようとした挙げ句がこのていたらくである 日本よ! 国交正常化というまでに、相手が「正常な国」になったとを確認して、初めて国交を持って大丈夫なんだと言うことをゆめゆめ忘れるでないぞ!
2008年08月27日
コメント(0)
今日は、重たい仕事があり、なんとか無事に終わりましたやれやれ、と…早めに仕事を切り上げ帰る途中、電話がかかった表示は春までの仕事の相棒、おKさん「はい(*^_^*)」「キムチ、みんなに届けてくれてありがと!早速お礼のメールをもらったわ」「こっちこそ、美味しいのいただいて、おおきに!」「それより、やっと見たわよ、ママの作品のページちび2ちゃんの才能は、パパ譲りとちゃうねえ。ママ譲りやとはっきり分かったわ(^o^)」「当たり前やん、僕が絵を描ける訳ないやん」「それに、毎日ブログ楽しみにしてるんよ」「ありがとう(^o^)」「あ~あ、今日も更新されてない。次の日も、あ~あ、まだやん、と思ってるんよ。頑張って更新してくれなあかんやん」「しぇ~ッ、厳しいなあ(/_;)」でも、毎朝楽しみに見てくれているなんてうれしいおKさんは、どうやらおだてに乗りやすい僕の性格をしっかりつかんでいると見えます強力な読者がいる限り、パパは張り切って更新しますね明日は、夏休みにしようかと思っていたら、月に一度の重要な業務の日夏休みは来週回しかな?
2008年08月26日
コメント(2)
今日、昼前におKさんが訪ねてきてくれました「パパさん、はい、これ!キムチ」「これって、もしかして…」去年までは、おKさんも僕も、パワフルさんのお世話で、大阪の鶴橋から本格キムチを取り寄せてもらっていましたおKさんは退職し、パワフルさんは転勤し、もうあんな美味しいキムチは食べられないだろうなあと思っていました「パパさん、あの美味しいキムチ、私が家で頼んだの!みんなに食べてもらおうと持って来たんよ」おKさん、あなたはどうしてそんなに人に優しいんですか?家に持って帰り袋を開けると、僕の大大大好きな、イカきゅうり~っあまりのおいしさに写真を撮るのを忘れていましたほんまに本場のキムチって美味しいよなあ僕がこの会社を卒業した後、どれ程のものを後進に残せるだろう?後に残る人が、ああ、一緒に仕事を出来てよかったと思えるような存在でいられるだろうか?おKさん、今日もごちそうさままた、ゆっくり食事しながらお話したいですね本当にありがとう
2008年08月25日
コメント(3)
会社のご近所に住むあるご婦人 この方は、京都生まれの京都育ち、お歳は70代半ばかな? よく、お土産持って訪ねてきてくれる この方は、去年の重役さんの人柄に惚れ込み、重役室に訪ねて来られていたので、自然に僕やおKさんと親しくなった 先日来てくれたときのお土産は、京都の老舗「鶴屋吉信」の銘菓『京観世』 ご婦人曰く 「パパさん、子供にどんな店で食べさしておいやす?」 「そやなあ、なるべく安上がりでお腹一杯になる店かなあ」 「パパさん、滅多に行かれへんでもええさかいに、『ほんまもん』のお店で、おいしいもん食べささな、あかんえ。特に女の子には上等のええもんをな。ほんまもんを戴いて大きいなった子は、大人になった時に自分がほんまもんを作るようになる。似せたもんしか知らん子は、それが本物やと思うてしまう」 確かにそうだなあ 食べ物に限らず、本物に接することは、ほんまに大事ですよね 「パパさん、何も遠いとこ行かんでも京都にはなんぼでもほんまもんが、おすさかい(ありますから)、子供さんには『ほんまもん』どっせ」 そう言って笑顔で帰られました 滅多に食べられなくても、高くても本物を。 いいことを教えて戴きました おKさん、ご婦人はあなたに会いたがっておられましたよ! さあ、電車は間もなく京都に着きます 今日も元気に過ごしましょう(^O^)/
2008年08月20日
コメント(3)
◎おことわり 今日の日記については、賛否両論があると思いますしかしながら、僕はこのブログを論争の場にするつもりはありませんので、反対意見のある方はご自分のブログで発信されるようお願いします 今年も、日本が史上初めて敗戦した日、8月15日がやって来ました敗戦後、今日まで日本は戦争に至った本当の理由を子どもたちに伝えることをしてきませんでしたというより、ある種の勢力がそれをすることを許しませんでした東京裁判では、インドのパール判事がそれについて十分に検証を重ね、意見書を提出しましたが、連合国はこれを無視し、マッカーサーによる徹底した言論・報道統制により、それが日本国民に知らされることはありませんでした「南京事件」についても、当時二十数万人が居住していた南京で、どうしてそれを上回る30万人を虐殺できるのか、また事実ならほとんど市民が死滅してしまった南京で、どうして翌月には人口が増えているのか国際的なジャーナリストが多く駐留していながら全く報道されなかったのはなぜか全く謎だらけですというよりも、そのことについて説明しようとすると、口を開いた途端に『人殺しのくせに嘘をつくな。責任を逃れるな』 と後ろ指を指され、その機会を奪われてきました例えばこれが現在の犯罪についてならどうでしょうか?誰もが犯罪を憎み、犯人に対する処罰を望みますしかし、その一方で、その行為に至った経緯は被告人はしっかり説明する場があり、それは国民に広く知らしめられますその上で、二度とそのような犯罪を起こさせないために皆が冷静に考え、社会として真摯に反省すべきは反省し、改善すべきは改善していきますところが、東京裁判ではいかなる弁護も報道されず、また情状証拠は全く採用されませんでしたつまり、戦争に至った本当の理由をほとんどの日本人は知らず、やれ戦犯が悪い、靖国が悪いと簡単に片付けられます靖国神社には、先の大戦の戦士だけではなく、戊辰戦争、西南の役からの日本の礎を築いた方が祀られています僕は、個人的には死んだ人が「神」になったとは信じていませんしかし、いつか靖国に還ってくると信じて出撃された方々の「心」、靖国に祀ると彼らと国がかわした約束を反故にしていいとは思いません靖国神社に参拝した閣僚に対して「公人か私人か」という馬鹿馬鹿しい質問と報道か性懲りもなく行われています僕は、戦争で命を落とした方を祀った神社を参拝するのに公人も私人もあるかと思います参拝したくなければしなければいい、しかし参拝した人を戦争犯罪人の如く追いかけ回る日本のマスコミのレベルの低さには辟易します僕は、絶対に戦争は反対です将来、この世から戦争をなくすためには、なぜ戦争になったのかという冷静な分析と、国民がそれを聞く耳を持つべきです重たい日記でごめんなさいm(_ _)m
2008年08月15日
コメント(0)
ミクシィの田舎の中学のコミュで、同級生が同窓会というかオフ会を呼びかけたことから、今日は夏休みをいただいて随分久しぶりに吉野に帰ってきます と言っても、オフ会は昼からなので、朝からは会社へ行き、自分が以内間の段取りだけしてから向かいます 今回は日程的にちょっと無理かなと思っていたら、先日マイミクのヌクヌクさんから 「絶対に来なあかんで!」 と有無を言わせぬすごみのある電話がかかり、それならってことで行くことに… 確か数年前は、僕は絶対無理だって言うのに 「つべこべ言わずに帰ってこい!」 とメール攻撃されたこともありました 今日は同級生が5~6人揃うはずです 楽しみです それと、今日からちび2とちび3が三重県の海の近くに住んでいる、僕の叔父さん叔母さん宅へ遊びに行きます さっきママが近くの駅に送っていきました 鈍行の旅行なので、4時間位かかります 僕は明後日車で迎えがてら行く予定です では、ひとまず会社へ行ってきます
2008年08月13日
コメント(3)
![]()
8月9日は、米軍が長崎市に原爆を投下した日でした広島と同様、鎖国時代わずかに外国に向かって開かれ、キリスト教信者が多く暮らすこの静かな祈りの街に、殺戮兵器が投下されたのです戦争を体験された方は、現在高齢で、僕たちは今のうちにこうした方々から体験を受け継ぎ、次の世代に語り継いでいかなければ、戦争は風化し、やがて同じことを繰り返してしまいかねないと思います残念ながら、敗戦は今や夏の風物詩に成り下がっていると感じます同級生のヌクヌクさんは、結婚後の一時期を広島で暮らしたことも相まって、原爆被害な戦争をなくすことについて、熱い発信を続けています9日の夕方、BSで東京大空襲に参戦した元B29の操縦士の現在の様子が紹介されていました彼は、アメリカの若者達を前にこのように語りました※ 当時私たちは日本人は悪魔のようなもので人間ではないと教 えられ、信じていた 大切な友人を日本との戦争で亡くした自分は、日本を心底憎 み、空襲するのは当然だと思っていた 戦争が終わって30年後、私は銀座を訪れた 車は一台も走っていなかった。休日で大通りは歩行者天国に なっていて、楽しそうに踊る人、歌う人、きれいな服を着て歩く 人、そこにいるのは決して悪魔ではなく、人間だった 私はこんな人が普通に暮らす街に爆弾を投下したのだ 私は思わず空を見上げた すると、高いビルの間の空に飛来した当時私が操縦するB29 から、現在の自分に対して爆弾が降り注ぐのを感じたそして、彼が最近来日した様子が映ります彼の息子は日本の女性と結婚し、日本に暮らしています息子の家を訪ね、孫を抱きます※ 私は、時々悪夢にうなされる それは、日本に住む孫が爆撃機に乗り空襲のためアメリカに向かう そして、アメリカに住む孫は日本を空襲するため飛び立つ そして双方が夜の空で行き違う彼は、東京都の慰霊堂を訪れ、そこで東京大空襲のために黒こげになり街中に転がる無数の死骸の写真を見ます※ 知らなかったんだ そして戦後もアメリカでこのような写真を見ることはなかった彼のまぶたは赤く腫れていました 知らなかった戦争の原因のひとつとして、この言葉ほど重いものはありません参戦した人は戦後まで、または戦地に赴くまで自分たちの行為がどういう結果を招くか知らされていなかった正しく知ること、これが二度と戦争をしないための第一歩です日本が戦争することになった背景には、理由があったはずなのですしかし、東京裁判以降、日本は戦争責任を問われることがあっても、それに至る原因はしっかり説明する場がありませんでしたひと言でも弁解しようものなら「あんなひどいことをしておいて弁解するな」と、内外から責められていますしかし、戦争に至った原因はしっかり国民にも諸外国にも説明すべきだし、我々もそれを真摯に聞く耳を持つべきです現在「証言」と「責任回避」が同一に語られているのが残念でなりません昨日BSに出ておられた元米軍軍人は、しっかりと証言されており、当時空襲に参加した自分について「弁解」されていましたそれを聴いた僕は、こうした方がもっと増えれば、そして「加害者」として追及するのではなく、今後の世界平和のため体験と反省を共有していくことが出来るならば、戦争が無くなる日が来るだろうと感じましたちょっと重い日記でごめんなさい戦争で命を落とされた方が、どうか安心できるような社会を作っていきましょう
2008年08月09日
コメント(0)

昨日仕事中、春に定年退職した元相棒のおKさんから電話がかかった 「あと3分で着くから外に出てて」 そとに出て待つと、見慣れたバイクがやって来た ヘルメットを取ると彼女は 「はい、これちび3ちゃんに『銀賞おめでとう』って!」 と、くれたのが写真のケーキ これは会社の近くの「ポアン・プール・ポアン」っていう人気のケーキ屋さんのものです そのあとちょっとオフィスに寄って、例によって世間話に花を咲かして、帰らはりました おKさんは、いつも僕のブログを読んでいて、時々感想やアドバイスの電話をくれます 仕事を離れてもこうして親しくつきあいの出来る先輩がいるってうれしいことです 帰宅すると妻子は、大喜び 本当にありがとう
2008年08月08日
コメント(2)
おはようございますまた1年が経ち、広島が原爆の惨禍にさらされた日がやって来ました朝のFMはいつもと同じようにポップな音楽を流し、新聞は仕方なく原爆特集を少しだけ載せている程度です僕は今年、スコットランドの人達と合同演奏会をし、その後の交流で、かつて敵国同士であった人達と手を取り抱き合い、歌いました考えがまとまらず、とりとめのない文章になりそうですが、戦争というものは、本来友人になるべき人と殺し合い、その後何十年も憎み合うことになるスコットランドのみんながその後に広島を訪れた映像を見て、涙が出ました戦争のおろかさを後世に伝え、二度と繰り返すことのないよう我々の世代がしっかりしなければならないと感じますあ~っ、時間がない会社へ行ってきます
2008年08月06日
コメント(1)

昨日、京都会館で京都府吹奏楽コンクール中学B組が開催され、うちのちび3も出場してきました僕も先週に同じ舞台で吹いたばかりです午後の4番目の出演でした聴いて非常に驚きましたちび3からは、なかなか全員が練習に揃わないなどと聞いていたので、あまり大したことは無いのかなと思っていましたしかし、結果は予想の倍も三倍もいい演奏でした音は良く出ていて、バランスも取れているし、強弱もよくとれている打楽器も持ち味を活かしている他の学校と比べても劣っていない演奏直後は生徒達はみんな満面の笑顔でしたきっと自分たちの持つ力を出し切った満足感だろうちび3は「お父さん、どうだった?」って声をかけてきたちび3が、外で友人もいるのに僕に声をかけるなんて滅多にないことです「お前、めっちゃめちゃ良かったぞ!」と言うと、満足そうに記念写真を撮りに行きましたその集合写真をカメラマンの横から勝手に撮ったのが上の写真最上段向かって左から3番目が娘です僕ら家族は多分「金賞」だろうと思って先に帰ってきました夕方ネット上でも発表が同時に行われ、結果「銀賞」でした自分のコンクールの時にも書きましたが、音楽は競うものではなく、楽しむもの、感動させるものですちび3達は十分に楽しみ、僕らを感動させたと思いますきっと金賞以上のものをつかんだ、中学最後のコンクールだったと思いましたでは、父ちゃんは会社へ行ってきます
2008年08月04日
コメント(9)
今日会社の飲み会の帰りに後輩の青ちゃんが、「先輩真っすぐ帰ります?」と声をかけて来た こういう時の彼は、を飲んで話をしたいという合図である 「ちょっと寄ってくか」 始めに彼は自分の馴染みの店に電話をかけたが出ない 「ええよ、今夜は僕の店に行こう」 言ってみたが、このところ外で飲む機会が無くなった僕に馴染みの店なんてない 携帯のアドレス帳を見るとなんと20年位前に通ってた店が入ってた 「いくら何でもつぶれているだろう」 ダメ元で電話すると繋がり記憶を頼りに行ってみた 当時40位だったママさんは当然60歳のご婦人に… 僕のことは始めは、てんで覚えてなかった そりゃそうだろう 当時はいつも満員で流行りまくっていたから… 少しずつ昔の話をすると「あなたあの頃あそこにあったギター弾いてよく唄ってくれたじゃない」って思い出し、当時の話に花が咲いた 僕がもし自叙伝を書くとしたらこの店を抜きには出来ないだろう いつかワイフを連れて出直したいと感じたパパでした ってところで電車は駅に着きました! 皆さんいい週末を
2008年08月01日
コメント(4)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


