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実は自分でも今日が誕生日だとは忘れていました 土曜日の朝、のんびりした電車の中で文章能力検定の問題集を読んでいると、マイミクさんからのメッセージが届き、今日が誕生日だったってことを思い出しました メッセージを下さった方々、ありがとうございました 今日で僕はとうとう49歳 いよいよ40代最後の1年になった 自分の40代を振り返ってみると、実に実に得るものが多く、思い出しただけでも泣けてくる色々な出会いや気付き、大切な人との出会いや永遠の別れ、そして中学卒業以来離れていた楽器との再会、ブラスとの出会い… よく、昔は良かったと言う人がいるけど、僕はそうは思わない 10代より20代 30代より40代の方が、比べものにならない位、感謝することが起こる 感動の涙が出てくるような事が起こってきた ということは、これからの50代60代 更には70代、もし寿命があったら80代 今よりも比べものにならない位、感謝することが起こるんだろう、感動の涙が流れることが起こるんだろうと僕は思っています そんな風に思いながら朝の電車は京都駅に着きました 降りて外に出てみると、ターミナルに献血車が停まっていました こないだの献血では比重不足で不合格になった僕 今日はしっかり睡眠摂ったので大丈夫かも…と、思って献血車へ行きました 受付でこないだ会社の献血で不合格だったことを告げると 「失礼ですがどちらの会社ですか?」 「○○(株)です」 「あ~っ!毎年たくさんの方にご協力いただいてありがとうございます」 って、深々と頭を下げられ、恐縮しまくり 今日の比重を検査してくれたのは、吹石一恵そっくりの看護師さん 「あっ!パパさんって今日が誕生日なんですね。そうなんや~おめでとうございます」 と言いながら僕の血液を検査液の中に落とした 僕の血液は沈むでもなく、浮かぶでもなく微妙な感じ 「パパさん、もう一回やってみますね」 ポチャンと落とすと 「沈め~、沈め~!」 と二人で血液を応援しました すると僕の血は、まるで「分かりました」とでも言うように、スーッと沈みました 「パパさん、今日は大丈夫みたいですね!では400ccお願いしていいですか?」 「もちろんです」 という具合で、年に一度の社会貢献のまねごとが出来ました 血を採ってもらっている間、僕は大変難産で生まれ、母が命がけで生んでくれたことや父が電車で大病院へ輸血用の血液をもらいに行ってくれたという話、毎日の僕の活力源であるワイフや子どもたちの顔を思い浮かべました 会社に着いて仕事の真っ最中時計を見ると午後3時 僕が産まれたのは午後4時と聞いている 49年前の今頃、母は死にかけてまで頑張ってくれたのだ 僕は母の携帯に電話をかけました 「お母さん、僕を産んでくれてありがとう。それを言いたくて電話をしたんやで」 「わっはっは、お前とないしたん?それよりみんな元気?」 「うん、元気やで。ほんまに産んでくれてありがとう」 「わっはっは、はいはい」 ってな具合で用件は済みました この歳になって思います 誕生日は、祝ってもらうものじゃない 自分が、そこにいることを周りに感謝する日なのだと… 夜家に帰った僕は、家族に 「お父さんは今日無事に誕生日を迎えた。それもこれもお母さんや可愛い子どもたちのお陰や。ほんまにありがとう」 と、頭を下げました すると、ワイフが 「どうしたん?」 と心配そうな顔をしながら、包みを差し出しました 包みには、ニットの帽子と春物の服が入っていました みんな、ほんまにありがとうね
2009年01月31日
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去年の12月に受けた京都検定3級 今日合格通知が届きました 前回は不合格だったので、今回も落ちたらもう京都を語るのはやめようとさえ思っていました 成績表はこちら 合格ラインは70点 自己採点では77点だったけど、通知では81点でした 今回の平均点は66点、合格率は43%だったそうです ちなみに今回の問題はこちら やっぱり「合格」という響きはええもんどすえ さあ、そろそろ京都を語ろうかな
2009年01月29日
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今日は年に一度会社に献血車が来る日 以前交替制勤務をしてた頃は、しょっちゅう献血してたんだけど、昼間に外に出られないこの頃は、会社の献血の日が唯一人のために何かできる日ということかな で、今回も3日前からぜんそくの薬を休止して献血に臨んだ 初めに申込書を書いて、問診をしてもらって、血圧を測り…ここまではいつもどおりだった 次に採決して、血液の比重を計ってもらう いつもならヒューッと液の中に沈んでいく僕の地は落としたときは下がりかけたが、なんとその後Uターンして浮き上がった …と、係の女性は 「パパさん、せっかくなんですが、今回はご協力いただけません。誠にすみません」 「いえいえ、献血できなくてこちらこそごめんなさい。でも、どうしてなんでしょうね?」 「多分お疲れが溜まっているのではないですか?しっかりと睡眠を摂られることをお勧めします」 はぁ~っ 唯一出来る社会貢献だと思ってのに、残念 献血は高校時代からもう何十回かしているが、検査で不合格となったのは初めてでした でも、このまま終わるも悔しい(ちょっと変かな?) 体調整えて今度献血コーナーへ行ってみようと思います
2009年01月28日
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昨日、文章能力検定2級の受験要領が来た受験日は2月7日この季節は例年なら少し仕事が楽になる月で、この時期ならと思って申し込みをしていたが、ちょうど前日の6日がこれまでにないとんどもなく重たい仕事が入り、現在それに向かって頑張っている最中で、受検準備なんかあったもんじゃないでも、落ちたら悔しいどないせえっちゅうねん[m:246]では、今日も楽しく行ってきます(^^)/~~~
2009年01月28日
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一昨日は当直で、若いA君とペアでした 彼曰く 「社宅を出て民間のアパートかマンションに引っ越そうかと…」 理由を聞いてみると、社宅は湿気が多いから嫌だと奥さんが言っているらしい 「Aちゃん、ちょっとようく考えろよ。今は子どもさんもまだ学校に行っていないからそんなにお金はかからないだろうけど、今後10年後15年後におっそろしく金がかかるんだよ」 うちには3人の娘がいて大学生の長女、私立高の次女、高校受験を控えた三女にそれぞれいくら位かかるか、それが何年続き、総額はどれ位の見込みか 総額分の預金がなければ、借金するしかない その借金を返し終わるのはいつ頃になるか その他にも家財道具な車も何年かに一度買い替えないといけない 子供が小さい頃は、少ない収入でも経済的に余裕があり年に1~2度はリゾートホテルに行ったりしても預金は貯まるばっかりで、将来我が家に経済危機がやって来るとは思わなかった 君もマンション暮らしになれば今の倍も3倍も家賃がかかる 将来を見据えて貯蓄した方がいいと思うよ… 話しているうちに、ほんまに何でこんなに金がかかるのか、昔の日本は5~6人またはそれ以上の子供を立派に育てて来たではないか 僕らの世代は勉強したい人は大学へ行き早く収入を得たい者は就職した 中卒でも高卒でも、しっかりとした受け皿があったし、日本の経済はそうした人達によって支えられて来たと言っていい ところが今日では、大学を出ても先行きは暗く、中卒高卒に至ってはまともな雇用すらない 本当にこのままでいいのだろうか? 生涯出世率が2人以下では人口は減少する 国だけでなく社会全体として考えないとこの国は滅ぶんじゃないかと感じました 厳しい経済状況だけど僕には3人の子供がいてくれるからこそ頑張る力も湧いて来ます 今日は午後から冷たい雨になりました みんな風邪ひかないでね
2009年01月21日
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このところ家計のやりくりにきゅうきゅういってる我が家ですが先日ちょっとうれしいことがありました それは、秋に眼の手術をした保険金 以前足の指を骨折したときは、わずか6000円あまりの保険金だったので、保険というものは、掛けた分の何百分の一しか支払われないんだとあきらめていました それで期待もせずに請求したんだけど、初めに問い合わせたときは、 「2口加入されていますが、2口めは昨年6月増口ですね。この眼の病気は多分その前からあったと思われるので一口しかお支払い出来ないと思います」 と言われていました 足指ポッキーであんなに痛い目で6000円だったんだから、今回は3000円位かと思っていました ところが、手術保険金はなんと驚きの二口支払われたとの通知が来た ひゃっほーーっ 痛い思いを我慢した甲斐がありました 二口も出たので一口はお小遣いとしていただきました 保険屋さんありがとう
2009年01月18日
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ヒロママの大事な愛犬リキが去年の末に虹の橋を渡り、苦しみも不自由もない世界へ旅立ちましたリキは愛妻モモと一緒にいつも「笑うわんこ」だった初めてヒロママのブログを見たときは、(犬が笑う訳ない、コラージュしているに違いない)と思ったものでしたでも、毎日ブログを見ていると、このワンコの夫婦は本当に笑ってるんだと分かり、驚くやら感動するやら…ワイフのモモは数年前にこの世を旅立ち、リキが後に残されたんだけど、妻を見送った男ががっくり来るのはどうやら人間だけではなかったようでしたリキは寝たきりになり、ヒロママの世話になることに…そのあまりにも人間っぽい生き様に僕は感動さえ憶えたものでしたそのリキも立派に天寿を全うして旅立ちました僕はまた「お気楽無責任ゴーストライター」として、リキから預かった手紙をヒロママに届けましたその「リキからの手紙」をヒロママがブログにアップしてくれました是非一度読んでみてくださいね京都は今日は異様なくらいの冷え込みですみんな風邪ひかないでね(^^)/~~~
2009年01月13日
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今日の我が家の夕食は「すき焼き」 正夫はすき焼きが大好きだ 何よりリッチになったような気がする 今でこそ牛肉は一年中食卓を飾り、すき焼きなど珍しくも何とも無くなった しかし、正夫が子供の頃は、すき焼きというものは滅多なことでは口に入らない代物だったのだ すき焼きを食べるというのは、お正月か秋のお祭の晩と決まっていた 今夜がすき焼きだと思うと、正夫は朝からそわそわ落ち着かなかった すき焼きを仕切るのはなぜか日頃は家では疲れて寝てばかりの父だった 父が食事の準備らしきことをするのは、すき焼きを除いてない 夕食近くになると、父は底の浅いお鍋をコンロにかけ、まず脂身をジュージューと炒め始める 子どもたちは、年に二度しか食べられない「すき焼き」を作る父を尊敬に満ちた眼で見ている 肉が焼けてくれば、ネギをのせ、砂糖と醤油を加える えもいわれぬ甘い香りが食卓に満ちる ああ、生まれてきて良かった 正夫は感涙にむせぶのであった 「そろそろいけるぞ!」 父の合図で正夫と2人の姉はまるで強力な磁石に吸い寄せられるように食卓につく 「いただきま~す!」 父の前にはビールに熱燗 父は酌をされるのを嫌がり、自分でちびちび注いでは飲んでいる 「あ、正夫がまたお肉ばっかり食べてる」 姉が怒っている 愚か者め(^o^)弱肉強食とはこのことぜよ! いつもはちょっと気むずかしい父も、今夜はにこにこ笑っている 正夫は、腹が張り裂けそうになるほどすき焼きを食べる食べる…食べる 玉子のお代わりをしても許されるああ、幸せだ 毎日が正月とお祭ならいいのに… ------------------------- 40年の歳月が過ぎた あの頃に比べれば、毎日が正月かお祭かというほど豊かになった しかし、その毎日に父はいない 20年も昔に死んだのだ 今どき、すき焼きをしても、狂喜乱舞する者はいないだろう お正月だといって、朝から夕食を待ちかねる少年もいないだろう それだけ豊かになったのだ あの頃はそれだけありがたい、スーパープレミアムな時間だったのだ 「ごちそうさま」 あの頃と同じように、両手を合わせて言ってみる やはり、うれしい食卓である 後何年家族とすき焼きが出来るだろう すき焼きの珍しさがありがたいのではなく、縁があってこの家族と一緒になり共に笑いながら卓を囲む… 何十年後かに気付くのではなく、今この時こそ「スーパープレミアム」な時間なのだ 湯気の向こうに、父の姿が見えたような気がした
2009年01月04日
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おはようございます長かったお正月休みも今日で終わり父ちゃんは1日早く会社へ行き、休み中にたまっているであろう仕事をさばいてきますこれをやっとかないと、明日かなりしんどい父ちゃんをのぞく家族は間もなく京都の北野天満宮(以前僕が取材したページです)へ初詣に行くそうですこの神社は学問の神様、菅原道真公を祀っていますちび3の入試の成功をお願いしてくるそうですそれと今日の話題その2この楽天のページも昨日無事に20万アクセスに達しましたいつも見てくれる方、コメントを下さる方、ありがとうございますぼちぼちの更新なのでアクセス数はあまり伸びませんが、これからも自分なりの速度で愉快な日常を発信していきたいと思います今後も、どうぞよろしくお願いしますさて、では父ちゃんは間もなく会社へ出発します皆さん、佳い1日を!
2009年01月04日
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みなさん、あけましておめでとうございます 1日遅れの新年のごあいさつを申し上げます 旧年中は、ブラスにワンコに我が家の超おもろい日常に、またオヤジのぼやきに付き合っていただきありがとうございました 今年も、ブログを強力なアイテムとして活用し、面白おかしな僕自身を発信していけたらいいなと考えています どうぞよろしくお願いします さて今年は久々に仕事中に年が明けました 写真は京都東山八坂神社のちょうど年が明けた頃の様子です 大晦日から元旦にかけての京都は本当に冷え込みました とうちゃんは、随分久しぶりに『ももひき』をはいて仕事しました こんな夜に仕事なんて大変ねと慰めてくれる人もいましたが、僕はむしろ全く逆で、こんな夜まで仕事があり、帰る家もあることに本当に感謝をしています 数年前までは、ホームレスといえば家庭や決まり切った社会が嫌で自らホームレスになった方が多いと聞いていて、そのような生活を選ぶということはそれはそれでいいのかななんて考えていました しかし、現在の日本は誰でも明日から路上生活を強いられる可能性があります 僕は現在決まった定職があり、住むべき家があります しかし、それは単に「運がいいだけ」なのかも知れません 「どんな出来事にも必ず意味がある」というのは僕の持論です ならば、現在自分が定職があり、家庭があるというのは、単なる運がいいのではなくて、職があるからこそ、家庭があるからこそ、自分のことだけ考えるのではなく、社会のために何らかの役に立たなくてはならないのではないのか、毎日の生活に不安を感じることなく何らかの貢献をするため、職と家庭を与えてもらっているのではないだろうかと思っています それにこのブログという手段も、今年は何か人の役に立つために使いたい そんなことを思った新春でした 元旦は夜明け前に帰宅しました 未明であっても、世の中の人のためにきちんと電車は走っています ありがたいなと感じました 帰宅して一眠りし、10時頃に起きるとちび1はいませんでした 彼女は、持ち帰り&デリバリーのお寿司屋さんのアルバイトで、大晦日から3日まで休みはありません 夜も11時頃疲れて帰ってきました きっと娘の作ったお寿司が、多くのお客さん家の笑顔につながっているのだろうと思います ちび1よ、ご苦労さん 皆さんが今年1年幸せに包まれますことをお祈りいたします
2009年01月02日
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