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皆さん、こんばんは 今年も、残すところ数時間になりました では、恒例の一年の総集編の日記を書きます 例年なら、1月から順番に振り返るんだけど今年はあまりにも東北大震災という大きな出来事があったことから、自分の周囲の出来事など、いかに小さなことかと感じさせられ、震災から感じたことなどを中心に振り返ってみたいと思います ★3月11日、予想もしていなかった東北地方で大震災が起こりました 3月の日記です 震災だけども大災害なのに、そのすぐ後に、今までの防災で予想していなかった大津波が発生し、海沿いの街を、街ごと呑み込んで行きました ヘリコプターや高台から撮影された津波の猛威に対し、なすすべもない人間の無力さに、僕たちは、ただただ恐懼するしかありませんでした 更には、福島県で原発が電源を喪失し、放射能が拡散するという最悪のシナリオが展開しました 家族を亡くし、家を無くし、大事にしていたペットや家畜を見捨てて避難せざるを得なかった人たち 数年前、全国民の期待を背負って出てきた政権与党は迷走を繰り返し、対策は後手後手に回りました その一方で、地震発生直後から、地元の役場や消防、警察の方々が、自分の身の危険を顧みず、住民の避難誘導や水門の閉鎖に奔走し、多数の方々が尊い命を落とされました また、自衛隊、全国の警察や消防、米軍など平和なときは一顧だにされなかたった勇者が駆けつけ、黙々と救出、復旧に尽力されました 僕は、自分が何も出来ないことに一時期落ち込みましたが、今京都ですべきことを黙々とこなすこともまた重要であると気を取り直しました ★4月、次女が一人暮らしを始めました いつまでも子供だと思っていた娘も、知らぬ間に大きくなり旅経ちました ★5月 その次女は、震災のボランティアとして街の復興のイメージを絵にするため、東北に向かいました ★6月 その様子は、後日テレビで紹介され、貴重な学びをしている娘を誇らしく思いました ★7月 女子サッカー日本代表「なでしこJapan」がワールドカップを制しました 試合前、監督さんは選手に大震災のビデオを見せ、自分たちが元気を与えなくてどうすると諭されたと言います この小さな選手たちの大きな勝利は、被災地のみならず、日本の全国民をどれくらい元気づけたかは、計り知れません グレイト、なでしこ!! グリストブラスバンドライブ「世界でいちばん熱い夜」 ★8月 思い出すのも、胸くそ悪い事件ですが、この情けない出来事もまた京都で起きた真実でした 陸前高田市矢作町の高田松原の被災した松に、被災者の皆さんが亡くなった方々への思いを書き込み、京都の大文字五山送り火で焚くという、思いの込められた行事が、京都人の「放射能の拡散」という懸念で中止でなりました 大多数の京都人はこの出来事を深く恥じ、世間に顔向けが出来ない気持ちでした(今もそうです) 京都は、1200年に渡り、日本中の方々に支えられてきた街です それが、こんな時にささやかな恩返しさえ出来ないのか! 自分たちだけでなく、世の中のすべてを愛し感謝することが出来ること そういう意味で、京都はまだまた発展途上であると認めざるを得ません ★9月 今年のもう一つの大きな自然災害「台風12号」 僕の故郷の奈良県吉野郡や和歌山県に大きな被害をもたらし、多くの死者や行方不明者が出ました ここでも、自衛隊、警察、消防の皆さんの献身的な働きが目立ちました 東北でもそうでしたが、台風でも家族を亡くされた首長さんが、自分が悲しむのは後回しにして、住民の救出、救難に尽力されたことは感動的でした(永田町のお偉いさんも見習いなさい!) ★10月 グリストブラスバンドでは今年2度目の街頭ライブを行いました ライブの度に新たな仲間が増えました ★11月 ブラスのレパートリーに加えるまでは、興味がなかったAKB48 YOUTUBEで見てみると、心の底から元気が出てきます 恥ずかしながら、いい歳こいて、ファンになりました ★★九死に一笑的結婚披露宴★★ 友人の披露宴の日取りを勘違いしていて、気付いたときは開宴時間 大急ぎで駆けつけました あ~、間に合ってよかった ★12月 亡き父が、生前一緒に仕事をしていた方が亡くなったとの報せ お礼かたがた訪ねて来ました 私たちは、一人一人不思議な縁で結ばれている 深く信頼しあって仕事が出来た父がうらやましく感じました 老人福祉施設依頼演奏 戦後、ゼロからこの日本を作ってくださった先輩方に感謝を込めて精一杯演奏しました クリスマス本番 そして、もう少しで、この大変な一年が終わろうとしています 楽器を吹いていてもいいのかと、真剣に葛藤した一時期もありました しかし、この家族がいて、音楽があったお陰で、何とか自分が壊れることもなく年を越します 今朝、職場に向かう途中に、西本願寺に参拝してきました 本山には今も、大震災の義援金箱が置かれていました 御影堂、阿弥陀堂と2つの大きな本堂は僕の貸し切り状態で(多分元旦は満員でしょうね)ゆっくりと手を合わせてきました マイミクの皆さん、またいつも応援してくださった皆さん 今年一年、お世話になりました 新しい年が、被災地の復興復旧に拍車がかかり、一人でも多くの方の笑顔につながるように祈ります では、皆さん、よいお年をお迎えください。
2011年12月31日
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今週の土日も気合いを入れて休んでいます( ̄▽ ̄) 昨日の土曜日は、楽しいこと盛りだくさんでした まず、朝から宇治田原町で開かれた「ズーラシアンブラス」のコンサートへ、ワイフと出かけました このバンドは、ご存知の方も多いと思いますが、横浜動物園ズーラシアのバンドで、その名のとおり、指揮者も奏者も全員が動物のかぶり物で演奏するのです プロだけあって、演奏が素晴らしいのは勿論ですが、子どもを惹きつけるショートコントや、笑わせる動きなどパフォーマンスもま素晴らしい ワイフも大笑いで、良い時間を堪能しました 演奏会が終わればお昼、二人でイタ飯食べて、ふと気づいた 12月にコストコが開店するってことだったけど、もしかしてもう開店しているかしらん 行ってみると、車の列 早速探検に 店内はとても広くて、客は大きなカートを押して買い物をします 品物は販売単位が全て大きく、例えば玉子は30個パック、食用油4リットルまたは一斗缶 と言った具合です 商品は、日本の製品も多く、ただユニットがでかいのは同じ ポテトチップスは、ランドセル位の大きさ お味噌も2kg入り だから、日頃気に入って使っているブランドを、ここで箱買いするのが正解でしょう 僕は、自宅のプリンタが調子悪いのと、スキャナードライバが、Windows7用が提供されてなくて使えないことから、Canonの複合機MP493を、たったの3700円で買いました はっきり言って、インクカートリッジよりも安い! いい買い物をしました そうしていると、京都で一人暮らししている次女からメール 「明日バイト先までアコースティックギターを持って来てもらえませんか?」 また、急なことを! 明日(つまり今日)は、僕は近所の老人福祉施設で本番があるので動けません よおし、それなら京都で持ってってやるわい 帰宅してから、でかいギターケース背負って自転車に乗り、5時半の電車に飛び乗った 娘は改札まで来ていて無事に渡し完了! 「夕飯でも食べるかい?」 「バイト先に戻らなあかんから、またにしとく」 「風邪ひくなよ、また、帰って来い」 「うん」 娘はバンドをやるみたいで、アコースティックは友人に貸すのだと 楽器は音を出すために生まれて来たんだから、家で寝かせておくのは、楽器に失礼なことです でも、手元にギターがなくなるのはちょっと寂しい 帰りの電車から娘にメール 「ギターはいつになってもいいから、返すように」 「うん、私も帰った時に弾くものないと寂しいから、友達には早く自分の買えって言っとく(^O^)/」 こんな風に休み一日目が終わりました コンサートチケットをくれた楽団の仲間、楽しんでくれたワイフ、楽しい食事をさせてくれたイタ飯店さん 愉快な買い物させてくれたお店 元気な顔を見せてくれた次女 娘の友達にバンドの面白さを教えるであろうギター 全てに感謝します
2011年12月11日
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27年前に死んだ父 その当時の会社の人とは、今でも年賀状のやりとりがあります その中の一人Oさんの奥様から、11月にご本人が亡くなったと年賀状欠礼の挨拶状が来ました Oさんは、父の部下であった方ですが、父は生前とても彼を信頼してた様子で、よくOさんの話を聞かされたものです 僕がOさんと初めて会ったのは、父の訃報に急遽駆けつけてくださった時でした それから、彼は、一人残された母のために時間を割いては、いろいろな行政的な手続きをしてくださったり、親身に面倒をみてくださったと聞きました 挨拶状を受け取り、僕としても、ひとつのけじめとして、お礼のご挨拶に行きたいと思い、先週の土曜日、母と一緒に奈良市内のご自宅まで訪ねて来ました 奥様は、車のところまで迎えに来てくださり、家に案内されました その後、部屋に案内され、遺影と対面しました 最後にお会いしたのは、父の49日が過ぎて父の会社にお礼の挨拶に出向いたときでした 父は、この方を心から信頼して仕事をしていたんだ… そんなことを思うと、心の中から熱い物があふれてきました そのあと、奥様とゆっくりと話をすることができました ご主人は、去年にがんと診断され、入退院をくりかえされました なくなる前は、ほとんど意識のない状態が2週間くらい続き、その後突然、正気が戻り、見舞いに来てくれた一人一人に 「ありがとう、本当にありがとう」 と、相手の頭髪がくしゃくしゃになるくらい抱きしめてお礼を言われたそうです その後、静かに息を引き取られたとのことでした 父が死んだときはそんなに泣かなかった僕の両眼から涙が溢れました 「実は、主人ばかりでなく、私もあなたのお父様の部下だったんですよ」 と、父のことを話す奥様 「厳しい方でした、周りにも自分にも。今は、上司にはへこへこして、部下には偉そうな人が多いでしょ?でも、あなたのお父様は、上が間違っていれば身体を張ってでも修正させる、素晴らしい人でしたよ」 まさか、生前の父のことを聞けるとは思っていませんでした 奥様とは、まるで昔からの知り合いのように、心を開いて話をすることができました その場には、きっと姿こそ見えないけど、無くなった父もOさんも同席して笑っていたのではないかと思いました お別れに車の窓から僕は奥様の手を両手でしっかり握りました きゃしゃだけど、暖かい手でした こういう方に囲まれて、死んで27年経っても思い出してもらえる父は幸せだなと、少しうらやましく感じました 帰宅して、果たして自分は、会社の同僚に対して、愛情を持って接しているかと深く考えました 考えれば考えるほど、答えは「×」でした こうして、Oさんのご自宅を訪ねたのも、深い縁があったのだと思います 感謝を忘れず、明日から生きていきたいと、思いました
2011年12月08日
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