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カテゴリ: 本の話
シズコさん、それは「 100万回生きたねこ

母と娘の、数十年にわたる相克の回顧録。今年、たくさんの書評を目にした本でした。

「私は母を好きになれないという自責の念から解放された事はなかった」

四歳の時、つなごうとした手をふり払われた記憶。虐待に近い厳しさを受け止め続けた末の、強烈な反抗期。歳月と様々な経緯を経て、晩年の母親を施設に入れ「私は金で母を捨てたのだ」と言い切る著者。

私も今は、それなりに人生経験を重ねたおかげで、著者が書く
「家族とは、非情な集団である」
という言葉も、
「ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ」


そして、自分が受けた傷を告白しながら、そんな自分もまた人を傷つけてきたことを、著者はごまかさないのでした。
完全な人間なんていなくて、誰にでも美点と欠点があることが、徹底した客観性を持って描写され…
だから読んでいて、会ったことのない佐野家の人々が濃密に立ち上がってくる。そして著者の視点の公平さが、誰もが懸命に人生を歩いていることを教えてくれるのです。

この本は、母、そして家族の物語を紡ぎながら、
「ごめんなさい」

「ありがとう」
この二つの言葉について、長いながい時間、著者が考え続けたことの記録にもなっています。

家族。時に厄介で切ない人間関係において、この二つの言葉が示す思いは、シンプルだけれど“究極”なのだと、思わずにはいられませんでした。

老いて、すっかり呆けてしまった母と向き合い、ついに

「私はゆるされた、何か人知を越えた大きな力によってゆるされた」


終盤のこの場面の描写で、私は嗚咽をこらえきれなかったです。

こんなにも美しく深い情に満ちた「ごめんなさい」と「ありがとう」。
私は自分の人生で、誰かに言ったことがあっただろうか、これから言うことがあるんだろうか。

最後のページ、七十歳になった著者が、彼岸にいる母に送る静かなつぶやき。
それを読んだときに自分の胸によぎったものを、私はうまく文章にまとめられません。これほどまでに深い余韻に満ちた読書体験は、久しぶりでした。


シズコさん





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最終更新日  2008.12.19 00:59:48
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