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日産サニー1000です。ネーミングを一般公募して大々的に宣伝しました。A型エンジンは、OHVながら高回転までためらい無く回りおそらく7000回転位まで回転したと言われています。二代目では1200ccまでアップしこのエンジンは向かうところ敵無しでした。このクルマに乗られた方は皆物凄く良く走ったと口を揃えて言います。また、燃費も抜群に良かったようです。私の知人が生産終了後も10年位所有していましたがしばらく会わないうちに、買い換えてしまいました。彼は旧車の値打ちが分からなかったのできっと安く下取りしてしまったのでしょう。解っていれば、私が引き取ったのに。
2007.02.28
いすゞべレット1600GTはベレGの愛称で呼ばれていました。独特なリアサスペンションが特徴で写真で見て取れるようにリフトアップされていると逆ハの字になり、沈み込むとハの字になり、癖のあるコーナリングのようでした。尻下がりのデザインとしては成功した部類だと思います。DOHCエンジン搭載のGT-Rが後に販売され、現在ではかなりのプレミアムが付いているようです。
2007.02.27
社名が二つまたぐモデルでプリンススカイライン合併後、日産プリンススカイラインだそうです。1500ccエンジン搭載の中型車だったスカイラインにグロリアの6気筒2000ccエンジンを搭載し、高出力を得た物です。当時、羊の皮を被ったオオカミと称されました。今では死語になった、ロングノーズ&ショートデッキのスタイルは大型エンジンを搭載している証しと言うことです。レースに連戦連勝したプリンスのエンジンがやがてスカイライン神話を産み現在も日本唯一のスポーツセダンとしてその名を継承しています。
2007.02.26
ダイハツ、コンパーノベルリーナをベースとしたオープンカーコンパーノとベルリーナ、名が二つあるみたいですがセダンの正式名称のようです。記憶では、TVコマーシャルの時ダイハツコンパーノとリズムをつけて歌うように呼んでいました。トヨタと提携する前はこのように普通車を製造販売していましたが、提携後、シャレードを自社開発するまでブランクがありました。中々スマートなデザインです。
2007.02.25
日野コンテッサ1300RR駆動、ヨーロピアンテイストの品のあるデザインだと思います。他に2ドア仕様もあり、クーペスタイルもさらに品のあるデザインでした。たしか、日野の乗用車はこれのみで撤退していると思いますが、残念です。現在も生き残れていたらきっと、まだ品のある高級車など生産していたでしょう。
2007.02.24
プリンスグロリアまだ、プリンスが日産と合併していない頃のフルサイズカーです。アメリカで、航空機の羽をモチーフしたデザインが流行、その流れを汲んで日本の規格に合わせうまくバランスされていると思います。現代でも充分通ようするデザインの一つと思っています。これが、アメリカンフルサイズとなりますとさらに魅力が増し、今の高級車など宇宙の彼方に消えてゆく感じです。
2007.02.23
アメリカ車のようなデザインです。当時プラスチック部品はあまり使用されていませんからフロントグリルなどもプレス製品です。なんとデコレーションの多いことでしょう現代、このようにプレス部品満載で車体価格はいくら位になるでしょうか。現在なら目立ち度、満点ですね。
2007.02.22
初代クラウンです。観音開きのドアは、文金高島田のお嫁さんが乗車し易い様にとの配慮だったと思います。クラウンは、外車のシェアが多い高級車打倒外車の目標を掲げ開発されたようです。何てたって、アメリカに販売しようとした位です。このど根性が、今のトヨタなのです。幼少の頃、長屋に住んでいましたがなんと隣家にあったんです。長屋に住む大金持ちだったんですね。
2007.02.21
ダイハツミゼット、大村コンさんがTVコマーシャルやっていて幼いながらも、車名は知っていましたし隣家にありました。三輪は税金が安かったのでしょうか小はミゼットから、大は東洋工業(マツダ)のトラックまで。中々洗練されたデザインだと思うんですが。
2007.02.20
日本初の量産型オープンスポーツです。当時まだ日産ではなくダットサンと呼んでいました。シャーシー、エンジンはブルーバードの物を流用して、コストを下げています。信頼、実績のあるパーツを使用したことで普通に使用できたスポーツカーと言えるでしょう。これまで紹介してきたスポーツカーは私が実際に街で見かけ、普通に使用されていたクルマです。その時点で生産終了後10年以上経っていましたがスポーツカーは何年経っても魅力的す。
2007.02.19
1963年発売です。この年、T360が先行発売されているようです。当時エンジンは、2ストロークか4サイクルOHVが主流ですからDOHCはレーシングエンジン波と言うことでした。FRの場合エンジンから後輪に動力伝達するには通常シャフトが使用されていますが、S500はコストの面か、使い慣れた技術だったのかバイクと同じようにチェーンが使用されていたようです。この後、S600、S800と排気量アップして行きます。世間はまだ、スーパーカブでさえ高嶺の花でした自動車は、まだ憧れの存在でそんな時代にオープンスポーツです。ホンダにとっても4輪は憧れの世界だったのでしょう。
2007.02.18
この時から今日までずっとスポーツカーを作り続けている、日本では日産と並んで唯一の自動車メーカーです。この小さなメーカーには現在2車種もあるんですね。ロータリーを絶対にあきらめないこれこそが日本の技術の真骨頂ではないでしょうか。若い頃勤め先の先輩に、サバンナロータリークーペを所有している方がいて助手席に同乗した事があります。その、かすかな音と共にフワリと加速する感覚を今でも覚えています。マツダには頑張って頂きたいです。
2007.02.17
シルビアと同じ1965年登場フルネームにトヨタが付くクルマです。2000GTではスカイラインになってしまいます。生粋のスポーツカーなのですが、GT(グランドツーリング)としたことが私には今なお、謎です。エンジンはクラウンのM型のヘッドをDOHCに換装した物でヤマハ発動機が担当しました。ホイールにはなんと、超軽量のマグネシウムが使われています。いくつもの国際記録を樹立しトヨタと言うより、トヨタが日本の自動車メーカーを代表し、日本の自動車産業の実力を世界にアピールした。そんな功績があるんではないでしょうか。写真のタイヤに注目してください細身のタイヤですがサスペンションがタイヤの性能をフルに発揮させていたのでこれでも充分な性能が確保されていたと想います。クルマのタイヤはまだ、バイアスタイヤの時代でした。
2007.02.16
1965年発売だそうです。私はまだ子供でしたから、高価なクルマとカー雑誌を読んで知った次第です。生産も極端に少なく、家から少し離れた民家で1台だけ見た記憶が有ります。もう、その頃で懐かしい名車でありました。現代で言う高級スペシャルカーのカテゴリーに当たり日産が先陣を切ったわけです。3年後に117クーペが発表されています。写真はトヨタ博物館所有の物です。
2007.02.15
自衛隊専用車では御座いません。普通に注文できた、超ど級の4WDです。全長は5メートルを越え、車幅は4トントラック並で御座います。私は自家用車にマイクロバスを所有したいとつねずね考えていますがそれに匹敵する、魅力があります。あほちゃいまんねん、パーでんねん。これくらい大きくなりますと、スピードを出すこと自体、無意味になります。まぁ、あおる奴もいないでしょうが。燃費?、駐車場?、維持費?そんな細かいこと気にしたら夢がなくなりますよ。写真は、先日行って来ました、トヨタ自動車博物館の入り口に展示してある、JAFのメガクルーザー何故JAF何でしょう。生産車は残り尽かさず売ってしまい慌てて、JAFにお願いしたのでしょうか。
2007.02.14
いすゞが、コンセプトカーをそのまま市販したと思われるSUVです。此のクルマは当初より、少量販売の目的で計画されていたようで雑誌の記事によりますと、噂では金型の一部をコンクリートを使用したとありましたが事実は、定かではありません。しかしいすゞは、個性たっぷりのクルマを販売してくれる、稀に見る会社で御座います。べレット1600GTクーペ、117クーペ歴史に残る名車達です。此のビークロスもきっと後世に残ることに違いありません。トラック販売で得た利益を、また自動車マニアに還元していただきたい物ですね。
2007.02.13
いつの間にかカタログから消えてしまいました。やはり二人乗りと言うことで販売が思わしくないと。スマートKもやはり日本を撤退しました。まぁ、あちらは元々Kの販売には乗り気ではなかったようで日本の販売会社に押され、いやいや車幅を詰めて軽自動車の規格に合わせたわけで仕方ありません。ベンツいわく、安全性の確保にはスマートの車幅が限界との事でしたからベンツが珍しく、思想を曲げたんです。ツインもスマートも新しいクルマのあり方の提案の一つで理想では、自宅と最寄の駅を往復、または日常の買い物程度に、レンタカーとして利用出来たらと言う発想です。乗り捨てと言うことです。昔、アメリカに軽自動車のホンダZが輸出された時アメリカの自動車ジャーナリストがもし通勤用のクルマが全部Zに変われば今の渋滞は無くなると言っていたようです。これは、現在の日本こそ当てはまることで今、軽自動車が売れている考えようによっては、大変良いことです。
2007.02.12
きょう朝はやく出て、トヨタ自動車博物館に行って来ました。追々展示車両を紹介して行きたいと思います。此のクルマのコンセプトは日本の路地裏に米屋、酒屋さん等が配達するのに丁度良い大きさの自動車を提案してくれたのですが。時代はもう、配達を頼むことも無くなり皆さん量販店に米、酒を買いに行く時代です。チョット遅すぎた感ありと言うことでしょうかただ、軽自動車の規格にとらわれない考え方は共感します。特に、農家の方達には旧規格軽自動車の車幅の方が使いやすいと言う方もおられます。走る場所が農道ですからね。ミゼットは幼い頃良く見かけました。当時そんなに小さく見えませんでしたがミゼットは其のままで私が大きくなり随分小さな三輪だったんだとトヨタ自動車博物館にて認識したしだいです。
2007.02.11
見たことある人?私は、今までに旧規格のモデルを1台見ました。その時知ったんです。その存在を新規格のモデルにも用意してあるんですね。このタイプのトラックは、2トンクラスのを良く見かけます。工事現場まで、作業員と道具を積んで朝早くコンビニ等に停車しています。コンスタントに販売があるのでしょうか採算が取れれば、スズキなどからも参入があると思いますが、今まで私の目撃が1台ですからこいつを、フルオープンに改造すれば私の理想のクルマの一台になります。バーモスダイハツなんて言う名で。追伸、ヤフー検索、自動車カタログの見出しにダイハツの名が無いこんな貴重なクルマを生産するメーカーを忘れるとは。
2007.02.09
セルボをベースにピックアップに改造商用ではなく、二人乗りの実用車としてオシャレに使用してくださいとのコンセプトはバンとは違い屋根が無いと言うことは長尺物も積載できまた、トラックとは違い乗用車としての見栄えも兼ね備えていた中々にくいコンセプトでした。使い方が貧乏くさくなく私は共感したのですが。アメリカなどではハイラックスなどのピックアップが若者の足代わりに使用されていたようです。男らしさの象徴だったんですね。日本では最近、一次流行したソアラ、シルビアなどの象徴が無くなりました。各々バラバラの様な気がします。あれはあれで、その時代の若者像を反映したのでしょう。
2007.02.08
スポーツカーの王道で御座います。リヤミッドシップエンジン搭載ガルウイングドアマツダもだいぶ思い切ったことをしたもんです。夢がそのまま形になったんですね。ビート、カプチーノ、AZ-1御三家の中で(販売台数順)最も希少価値があり、生産終了後に人気が高くなったと言っても良い位です。当時、雑誌のドライブインプレッションはどの雑誌も、その独特な走りの表現をゴーカートのようだと。実用性でいいますとカプチーノ、ビート、AZ-1になります。理由カプチーノは、トランクがあり窓が開くビートは、窓が開くAZ-1は、小窓しか開かない、有料道路のチケットを受け取れる位のようです。3車共大した実用性ではありませんが普段の通勤には充分耐え注目度満点ですから、特にAZ-1は。
2007.02.07
標準ボディーの屋根をオープンに改造し販売するのはさほど珍しくもありません。我が家のマーチのコンバーチブルもあったほどです。オープンカーとコンバーチブルの違いは座席の数で呼び名を変えているようです。2座はオープンカーで、リアに座席がある場合はコンバーチブルと言っています。このコンバーチブルはテリー伊藤氏も所有していたこともあり氏は、オープンカーが好きで他にも何台か所有されていてオープンは粋に乗るもんだと雑誌ナビに投稿していました。なんと、ピンクに塗装してカルタスコンバーチブルこそ粋な乗り物とアピールしていたようです。私はちなみに、ブルーなら似合うと思っています。ここで取り上げた理由は当時スズキの量産車で使用していないCVTを採用していたからです。わざわざミッションを新規搭載してまで販売したスズキが大したもんだと感心したしだいです。この後、フルモデルチェンジした最終モデルにはラインナップされています。リタイヤ後の足として、オープンを粋に乗るのも良いかもしれません。
2007.02.06
軽自動車のヴィヴィオをベースに数量限定販売した、2座席オープンです。オープンと言っても屋根の部分だけを脱着式にしてあり、このような方式をタルガトップといいます。古くは、トヨタS800等がありました。このクルマ良く見ると、リアウィンドウが開閉式になっているんですね。昨日紹介したX90にも似ています。こんな可愛い格好をしていますが1000台限定でエンジンをスーパーチャージャー付き7速マニュアルで使用出切るCVT仕様も販売しその気になれば、チョットしたスポーツカーも顔負けの走りをしました。世はバブルでした。
2007.02.05
スズキの4WDX90です。始めて見る方もいるでしょう。当時の2ドアエスクードベースの2シータークーペ4WDよく4WDをオフロードカーと言いますがオフロードと言ったら道なき道と言う意味です。日本では、本格的に走れるのはジムニー位でしょうアフリカのような広大な草原、砂漠を走るのならヘビュウ級の、ランクル、サファリ、パジェロ等です。日本でこのタイプはパジェロミニと同じで林道仕様、または、雪国仕様に当たります。スズキの4WDはアメリカではそこそこの販売はあるようですが、このクルマ日本での販売はさっぱりで私は、新車の発表すら知りませんでした。どうゆうシチュエーションで使えば良いのかいっそタイヤを小さくすれば昔の、マツダR360クーペのレプリカになるのですが所有しておられる方すみません。
2007.02.04
バブルの頃、日産からマーチベースの四台のパイクカー(私は隙間商品と訳している)が販売されています。エスカルゴ、商用車として販売されたこのクルマは、パイクカーと言うより自動車メーカーとして、オシャレに使って欲しいそんな、訴えがあるように思います。資料によりますと1万600台の販売があったようです。採算が取れたかどうか疑問ですが街の景色を変えるには充分な効果はあったでしょう。やはり、日産は自動車屋でした。商売上手な会社ならもっと販売したかもしれませんがそのような会社は、先ず考えないでしょう。現在も引き続き販売されていれば良いと思う自動車の一台です。
2007.02.03
これから何回か、小量生産のクルマを紹介したいと思います。まずトップバッターは、トヨタがよく作ったもんだセラというクルマ、跳ね上げ式ドア(ガルウイングドア)元来このようなドアは、車体の低い特殊なレーシングカー、スポーツカーなどサイドのフレームが太く真横から乗降しずらいクルマの為のドアなんですが、まぁ注目度満点ですから、それも意義があると。このクルマ、流石トヨタの作りですからこの手のドアの中では使い易かったようでおまけに、屋根がガラスと来ていますから開放感があったようです。しかし、エアコンの能力が日差しに負けたようですし車庫の屋根が低いと車内に閉じ込められます。こういうクルマを所有したらビートの雨漏りと同じで細かいことは気にしない、そうゆう類のクルマです。
2007.02.02
自動車生産の技術の多くはヨーロッパから来ているのは御存知ですね外国のクルマを日本で生産し、その技術を吸収しそのノウハウを自社生産のクルマに活かして来たんです。いすゞはヒルマン、日産はオースチン、日野はルノーというように、ヨーロッパです。ですから、部品の名前などは英語を共通語として現在でも使われているんです。もちろん部品を成型する金型なども英語の名称です。所が、トヨタは独学で海外の生産技術を学び独自で純国産の乗用車を開発しました。それが写真のAA型乗用車です。その伝統、プライドがあるのでしょうトヨタだけは金型の呼び名を日本語にしています。ここにトヨタの底力があるのかもしれません。
2007.02.01
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