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午前中、睡眠。今朝は寒さのせいで、眠りが浅かった。ラジオ。「ビバリー」。半分寝ぼけながら聴いていたら、小沢昭一が亡くなったとの報に目が覚める。高田文夫先生、さっそく軽い調子でギャグにしていて、この軽さに今まで何度救われてきたかわからないけれども、第一報として知るには軽すぎな感じもちょっとした。そのまま「ビバリー」で12時台ゲストのデーブ・スペクターの話を聴いてしまったのだが、よく考えたらTBSに変えるべきだったか。小沢昭一の生の芸に接したことはどれだけあったか。今、ぱっと思い出せるものは、渋谷クラブクアトロでのOZディスクのイベント、横浜にぎわい座での吉川潮企画「西條八十を歌う」、そして、末広亭十夜。それぞれがぜいたくな体験として覚えているけれども、放浪芸、童謡、随談と、そのみっつともがばらばらで重複してないのだな。じつに豊かな芸の記憶を内蔵していたひとだと改めて感じ入る。ちょうど、今年の春ごろに「日本の放浪芸」のCDを聴き直したりしていて、ここにはなにか多くのヒントが詰まってるような気がして、刺激を受けていたところだった。童謡からストリップまで、「稚」と「痴」を兼ねそなえ、さらに、「知」も持っている。遠く及ばないひとつの理想かもしれない。梱包作業。外出。クロネコメール便、7点。日ノ出町へ。東京チカラめし、焼き牛丼。ついに290円から330円に値上がりしてしまったか。オープン記念価格といいつつ、ずっとこのままじゃないかと思っていたのに。クーポン券で生卵もつける。さて、先週金曜に間に合わなかった黄金町バザールに今日こそ。まず、黄金町アートブックバザール。ここで黄金町バザールのパスポートを販売しているというのでやってきたのだが、しかし、なかにひとがいるのは見えるんだけど、どうも様子がおかしい。入り口まで来てわかったのだが、月曜定休と書いてある。どうも思ったとおりにいかなくて、ちぐはぐになる。過去にきてだいたい様子はわかってるからと思って、今回は下調べをぜんぜんしないできてしまったのだが、パスポートがないとどこになにがあるのかさっぱりわからない。しかたがない。先に進めばどこかで売ってるだろうと思い、適当にぶらぶら歩いていく。それにしても、ひとがぜんぜん歩いてないんだな。街がすごくひっそりとしていて、こんなもんなのかなと最初は思っていたのだが、だんだんいやな予感に気がつく。アートブックバザールが休みということは、つまりどういうことか。かいだん広場から、高架下スタジオ。「プアン」というカフェがあって、ここにも月曜は休館日との貼り紙。さすがにこれはと思って、スマホから黄金町バザールのホームページを確認したら、やはり。月曜は休場日だとしっかり書いてあるではないか。いざ行こうとしたら間に合わないわ、間に合ったと思ったら休みだわ、どこまで間が悪いのか。会期はつぎの日曜までなので、再チャレンジできるかどうか。まぁ、気が向いたらというところだけど、時間的な余裕があるかはわからない。しかし、このまま帰るのも悔しい。建物内だけでなく、街のなかにもアート作品はあるので、それだけでも眺めながらぶらぶらしていこう。時間をもてあましたので古本屋めぐり。博文堂書店、バイアップ、なぎさ書房。順にまわるがなにも買わず。イセザキモール。田辺書店。ブックオフと目と鼻の先にあるお店だけど、ここに入ってみるのはものすごくひさしぶり。自分にとってはあまり用はない品揃えの店だと思ってたけど、ひさしぶりに入ってみたら意外とそうでもない。看板を見てあれっと思ったのだが、あとで検索してみたら、おなじみの古本屋ツアー・イン・ジャパンのブログによると、ここは以前は、今は馬車道にある「誠文堂書店」だったのだ。「誠文堂書店」が移転後、現在の店が大船から引っ越してきたのだと。芸能関係、文庫本なんかもあるので、これからはたまに寄ってみよう。小林信彦「日本の喜劇人」を400円で。ブックオフも。先週から短い間隔できているけれども、それなりに買うものあり。105円本、8冊。小沢昭一、篠山紀信、北野武、村上春樹、小田嶋隆、穂村弘、松田洋子、志穂美悦子。雑誌、3冊。「別冊カドカワ」を3冊。ベローチェ。雑務。歩いて、横浜東口まで。歩きながら「メルマ旬報」を読み進める。もう3号が送られてきたが、まだ2号が読み終わらない。そのあいだに増刊号もあるというのに。ほかにも読みたい本がいろいろあって、それぞれ、電車用、トイレ用というふうに、読むシチュエーションをわけている。歩くときは本は読めないのでスマホ読書としたのだが、この季節、寒くてポケットから手を出すのがつらいというのは誤算だった。明らかに読むペースが落ちてしまい、このままではたまってしまう。平沼。ブックオフ、もう1軒。せっかく閉店時刻前に通りがかったのだからここにも寄っていく。雑誌、1冊。「別冊カドカワ」。帰宅前に松屋、焼き豚めし。深夜0時、帰宅。部屋が寒すぎて、安物の電気ストーブじゃまるで歯が立たない。ツイッター。アマゾン登録作業。YouTubeで小沢昭一の動画を。「ザ・ベストテン」に小沢昭一、1985年8月15日、終戦からちょうど40年の終戦記念日の放送。今週のスポットライトのコーナーで歌う「ハーモニカ・ブルース」が圧巻の芸。ごく平穏な歌番組のなかで、不意打ちのようなスイッチの入りよう。冒頭から最後までずっと出ているのだが、この歌のとき以外は、ほぼくだらないことしか言ってないのも素晴らしい。◇12月10日のツイログ
2012年12月10日
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アマゾン・マーケットプレイスは、2週間ごと、金曜の15時頃に振り込み額が決まる。今日がその締めなので、ぎりぎりまで登録や値下げをがんばろうと、朝までは思っていたのだが、眠気というのは急にやってくるもので、結局、午前中は眠ることになる。まぁ、いつも通りだ。ここ数日は暖かかったのに、今日はまた寒くなる。ツイッターから、山口美江の訃報を知る。これは驚いた。まだ51歳だ。最後に目撃したのはいつだったろう。中華街で雑貨屋をやっていて、立ち寄ってみると、ときどき山口美江本人がいることがあった。しばらく遭遇する機会がなかったけど、Wikipediaを見たら「2011年閉店」と書いてある。山口美江といえば、「たけしのここだけの話」がいちばん印象深い。これ以降、90年代のたけし番組を支える主要人物のひとりだったといっていいと思う。「ドラキュラが狙ってる」にもよく出ていたし、「元気が出るテレビ」末期のレギュラーでもあった。なにしろバラエティ番組によく出ていたから、ぱっと思い出されるのがマヌケな場面ばかりだ。山口美江は催眠術によくかかっていた。Wikipediaで知ったが、岡村靖幸「だいすき」のPVに出演していたのだな。メディアに登場し始めたころの山口美江はたしかにこういうイメージだったかもしれない。午後、梱包作業。外出。雨。クロネコメール便、8点。なんとももうひと息が伸びない。送料を払ったら、財布の中身がほぼなくなってしまった。銀行へ。前に使っていた通帳に小銭が残ったままだったと思い、それを全額降ろした。この小銭でどう過ごすかということになる。郵便局。ゆうメール、1点。横浜西口。東京チカラめし、焼き牛丼。ダイヤモンド。有隣堂、新刊チェックなど。横浜はすぐ抜けて、ひと駅手前下車。そのまま帰れば金を使わずに済むところだったが、迷いに迷った末、プロミスでもう千円だけ借りることにした。昨日は利息の高さにどきどきしてしまったけれども、明細をよく見れば、期日は来年6月、15回払いを前提とした額が記載してあるのだと理解する。大急ぎで返済しようが、ゆっくり返済しようが、その額は変わるものじゃないのだろう。そうとわかったら、だいぶ気が楽になった。イタリアントマト。雑務。西友、買い物。早めに帰宅。アマゾン登録作業。梱包作業。昨日買ったCD。サニーデイ・サービス「東京」を聴く。1996年リリース。サニーデイのアルバムは何枚か持ってるんだけど、これはなぜか買ってなかったんだな。しかしこれ、大学のときに部室に置いてあって、何度も聴いてたんだ。あのころの部室の雰囲気をうっすら思い出す。もう16年前というのが不思議。90年代なんてついこないだのような感覚でいる。【送料無料】 サニーデイサービス / 東京 【CD】価格:2,753円(税込、送料込)「不忍ブックストリート」の一箱古本市の店主に応募した。22時からメールで受付開始で、22時からメールを書き始めたのだが、もしも応募者多数だとしたら今からメールのPRの文面などを考えていては間に合わないんじゃないかと、書き始めてから思う。結局、14分オーバーでメールを送ったんだけど、深夜にきちんと返信がきたのでほっとした。あとは参加費を振り込めば正式参加だ。◇3月9日のツイログ
2012年03月09日
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朝から午後まで眠る。梱包作業、昨日買ったCDを聴きながら。RESONANCE-T「YMO TRANCE」。YMOのトランスカバーアルバム。ライナーノーツにも書いてあることだが、企画モノなのに、聴いた印象は意外と原曲と変わらない。これは、ものまねタレントが本人以上に本人らしくなってしまう現象と似ている。このRESONANCE-Tというひとはまったく知らないけど、どういう経歴のひとなのだろう。【送料無料】YMO・TRANCE・A・MUSICAL・TRIBUTE価格:2,300円(税込、送料別)午後、外出。雨。クロネコメール便、8点。定期切れなので、ひと駅逆隣りまで歩く。チケットを買おうと思っていたローソンが、改装中でやってなかった。バーミヤン、蟹入り天津飯。雑務。非常にあたまがとっちらかっている。少し居眠り。雨上がる。ブックオフ。105円本、13冊。片岡義男、佐藤泰志、トルーマン・カポーティ、畑村洋太郎、原武史、大塚英志、安田登、こうの史代、東村アキコ、能町みね子、いとうせいこう、みうらじゅん、浅草キッド。ロッテリア。電波が悪くてなにもできず。帰宅。アマゾン登録作業。「情報7daysニュースキャスター」に間に合うようにと早く帰ってきたのだが、世界陸上の関係で、いつもよりも放送時間が遅くなってた。テレビの音声を消して、画面はつけたまま、ラジオを聴く。「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」。近田春夫をゲストに迎えてのアウトロ特集、これも楽しみにしていた企画。音楽の特集なので放送で聴かなければと思ったが、途中、テレビに切り換えてたのでちゃんと聴けない箇所があった。とても面白かったので、話だけでも、あとでまたポッドキャストで聴き直そう。「ニュースキャスター」。画面に紳助の顔が出たので、音声を大きくする。この件について、誰よりもコメントが聴きたかったのはたけしだ。この番組ならば、ノーコメントのままでつぎのVTRに移ることも充分にあり得ると思っていたけど、きっちりとコメントしてくれた。「漫才ブームのときぐらいしか紳助を知らない」と、紳助のことについて語るのを避けたのは賢明だろうが、ヤクザの話、慎重に表現を選びながらもけっこうぶっちゃけたことを言ってるなぁと思った。ことの本質は、市民社会における暴力団の問題だ。けして、イチ芸能人の引退騒動という軽い話ではない。(芸能ファンにとっては、それも軽くはないが。)深夜には、YouTubeにさっそくその映像があがっていた。◇8月27日のツイログ
2011年08月27日
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午前中、睡眠。あてにしていたノーローンの審査に落ちてしまった。もう、無利息で借りることはできないのか。ラジオ。「ビバリー昼ズ」。東貴博らがいわき市でチャリティライブをやってきたという話だけれども、東家にいたお手伝いさんがいわき市出身という縁もあるそうだ。東八郎など、東京のコメディアンには東北訛りを得意にするひとが多いように思うが、その因果関係も気になる。テレビ。「いいとも」テレフォンショッキング、坂本冬美。「歌は楽しいですよ。」という坂本冬美に、タモリが「わたし、今まで、歌唄って楽しいと思ったことがないんですよね。」と言っていたのはかなり意外だ。あれだけ音楽好きのタモリが、本当だろうか。そのあと、和歌山の植樹祭で「君が代」を歌うことになったという坂本冬美が、どう歌えばいいんだろうという話になり、抑揚をつけたり、オペラ風にしたりして、タモリと「君が代」を歌う場面もなかなか珍しいものじゃないかと思う。午後、外出。ひと駅隣りへ。ヤマト運輸営業所。クロネコメール便、13点。量が多いので営業所に来てしまったが、厚さのジャッジが厳しい。ぎりぎりのものも、すべて2センチにされてしまう。どこの営業所もそうなのだろうか。試しに、つぎはほかへ行ってみるか。急な大雨。傘を持ってきて良かった。横浜西口。プロミス。また、3万円借りる。ついに利息ありに踏み入れる。すき家、牛あいがけカレー。マクドナルド。今日もマンガを1冊読もうと思っていたのに、家に置いてきてしまった。間が抜けている。ツイッターで、児玉清の訃報を知る。これには思わず動揺する。知り合いでもない有名人の訃報をいちいち悲しむのは悪趣味だと思うが、訃報に接したときに、このひとに関心があったのだと改めて気がつかされることもあるのだ。児玉清の訃報を伝える文字を目にしたときに、自分の手が震えてびっくりした。まさに、アタックチャンスのアクションのごとく。死に至る、その助走の短さにも愕然とするものがある。あれは3年前か、書店員がおすすめの文庫本を紹介するという小さい記事で、「女性自身」の取材を受けたことがあった。そのときに、小説を対象、というルールを無視して紹介したのが、文庫化したばかりの児玉清「負けるのは美しく」だった。僕が受けたことのある唯一の取材。その意味でも感慨深い。「負けるのは美しく」。半分は映画俳優時代のエピソードだが、最終章は娘の死についてつづられたもので、痛切極まりない。36歳の若さで、やはり胃癌で亡くなっている。再発後に病院がしでかした「あとにもさきにも、まったく信じられない事件」は、児玉の推測混じりではあるが、本当にひどい。博多華丸が児玉清のものまねで「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に登場したのが2005年、「R-1」で優勝したのが2006年のこと。結果的に、あれをきっかけに児玉清本人も脚光を浴びるようになり、「アタック25」のひとで終わらなかったのはとても良いことだったんじゃないか。【送料無料】負けるのは美しく価格:560円(税込、送料別)雨上がる。帰宅。ろくに仕事もせず、ツイッターに向かう。児玉清のことを書いたら、水道橋博士にリツイートされた!自己最高リツイート、自己最高ふぁぼられを記録、フォロワーがみるみる増えてゆく。
2011年05月17日
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朝から正午前まで睡眠。梱包。ぎりぎりまで粘るつもり。ダビング作業に異常に時間がかかる。ディスクに原因があるのかなんなのか、97パーセントまで録画できて、そこからフリーズするってどういう状態なんだ。1時間半かけて、ディスクを3枚無駄にすることになる。銀行に寄る用があるから、これ以上は時間をかけられない。ひと駅隣りへ。ヤマト運輸営業所。クロネコメール便、15点。昨日の返送品、もう出せるということなのでそのままお願いする。金もないし、ダビングをやり直したいので、すみやかに帰る。道を知っておこうと思い、歩くことにする。辰光堂書店。何の気なしにふらっと寄ってみたら、ドラッカー「マネジメント」があったので買ってしまう。別に安い値段ではないが、確実にすぐ売れるものだから損はない。帰宅。ブックオフオンラインからも良いものが届いていた。「岡本太郎 発言!」、内田裕也「俺は最低な奴さ」、梅佳代「ウメップ」の3冊。アマゾン登録作業。テレビ。「中学生日記」、柴幸男脚本「修学旅“校”」。修学旅行に行けなかった生徒が学校で過ごす3日間の物語。終盤、教室がセットだとわかるように俯瞰で映す場面があったり、やりたい放題。この番組自体、ものすごくひさしぶりに観たんだけど、ほかの回もこんなに自由なことやってるのだろうか。ツイッターで、団鬼六の訃報を知る。僕は、団鬼六の著書では、唯一、「真剣師小池重明」だけを読んでいるのだが、これを推すひとはずいぶん多いようだ。1995年刊のこの本、当時、「TVタックル」で本の特集のような回があって、そのときに清水ミチコがこの本を薦めていて、それをきっかけに興味をもった。余談だけれども、そのときのたけしの推薦書はコリン・ウィルソン「アウトサイダー」だった。数年前、志らく師匠の国立演芸場の会で、毎回、各界の著名人が会をプロデュースするという企画があって、そのときの1回が団鬼六のプロデュース。シネマ落語「タクシードライバー」のラストが映像に切り換わるという趣向で、志らく師匠の今の奥さまが縛られていた。無論、着物の上からですが。志らく師匠の会では、横浜にぎわい座でも以前はゲストを招いてトークするコーナーがあって、団鬼六が丸茂ジュンとともに出たことを覚えている。団鬼六は「立川鬼六」という名前で立川流Bコースでもあったのだが、改めて検索してみたら衝撃の事実が。なんと、初代立川キウイは団鬼六だった!?【送料無料】真剣師小池重明価格:1,835円(税込、送料別)早めに寝たら、深夜に目覚めてしまう。日記の加筆など。
2011年05月06日
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8時起床。注文が増えていて、朝から気分良し。もうひと息、売り上げを伸ばそうと価格調整をする。二度寝。正午過ぎに目覚める。ツイッター。太田光代社長のツイートによると、本日3月10日は佐藤の日だそうだ。長年、佐藤だけれども、初めて知った。なにかいいことあるんだろうか。目標以上に注文が増えて、梱包に時間がかかってしまう。遅めに外出。クロネコメール便、7点。ゆうメールは間に合わなくなってしまい、平日だけど中央郵便局で出すことにする。横浜東口。郵便局。ゆうメール、1点。ポルタ。ロッテリア、ハンバーガー。今まで気がつかなかったが、マックと同じく、ロッテリアでもハンバーガーが100円なのだな。日記更新など。ツイッター。坂上二郎の訃報を知る。一昨年の「したまちコメディ映画祭」で、「コント55号」としてコメディ栄誉賞を受賞したのだが、そのクロージングセレモニーに現れたのが、坂上二郎を生で観た最初で最後になってしまった。脳梗塞の影響なのか、きわきわなふるまいをしていた二郎さんだったが、欽ちゃんのフォローが絶妙で、見事に笑いに変えていたのが感動的だった。まともな舞台を観る機会をついに一度も作れなかったのは、ただただ後悔するしかない。今年1月の明治座の公演には出る予定になっていたのだが、それもなしになってしまった。それだってまともな舞台といえるものかはわからないが、一度も観ないよりかはいい。小林信彦なんかに言わせると、コント55号の全盛期の映像は残っていないということになるようで、残っている映像は、すでに全盛期を過ぎたころのものになるらしい。それらを観ても充分にすごいと思うし、面白いのだけれども、たけしやダウンタウンのすさまじい時期をリアルタイムで体感していれば、当時はこんなもんじゃないだろうなというのは想像できる。考えてみれば、リアルタイムで触れている坂上二郎は、ほんのわずかでしかないのだ。ふと思い出したのは、ユニコーンの「デーゲーム」だった。これは、今様の“リスペクト”とは意味合いが違う扱いだ。YouTubeで観た坂上二郎の出演CMを集めたもののなかに、大沢逸美と共演したインスタント麺のCMがあった。子どものころ、なぜか野球拳を知ってたのはたぶんこのCMのせいだなと、今、わかった。【送料無料】【セール_0519】TBS・フジテレビ・テレビ朝日合同企画::祝!結成40周年記念 コント5...価格:6,145円(税込、送料別)そごう7階。Loft。郵送に使う封筒を切らしてしまい、ここならあるだろうと思ったが、枚数の少ないものしか売ってなかった。これでは割高だ。つぎに、ルミネの有隣堂に行ってみるが、ここも枚数の少ないもののみ。東口ですべて済ませるつもりでいたが、うまい具合にいかないものだ。今夜にも使う可能性のあるものだから、明日以降にまわすわけにもいかない。西口、ダイヤモンド。有隣堂でようやく購入。映画を観るつもりでいたが、そうこうしてるうちに気持ちが萎えてしまった。封筒を買って、財布もかつかつになってしまったことだし、映画はやめることにする。近所の吉野家、牛鍋丼。帰宅。アマゾン登録作業。引き続き、CD整理。出品できるものがあまり見つからない。目標額は夜のうちにあっさりクリアした。しかし、よーく計算してみるとそれでも生活は苦しいようだ。
2011年03月10日
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昨日は、コロムビア・ライトと、予言ダコのパウルの訃報を、Twitterで立て続けに知った。コロムビア・ライトはいつまで現役だったのだろうか。Wikipediaによると、1991年に喉頭癌で声帯を摘出しているが、近年の様子は検索してもよくわからない。ずっと元気だったコロムビア・トップのほうが、2004年に先に死んでしまってるのも皮肉なものだ。そして、タコの訃報というのはまったく前代未聞である。演芸ファンなら誰もが思い浮かべるところだが、円生とパンダが同じ日に死んだ件があるから翌日の新聞の記事の大きさが気になっていた。朝日新聞、横浜地区13版。定規で計測したところ、「コロムビア・ライトさん死去」74.82平方cm、「予言ダコ・パウル大往生」87.29平方cm。わずかにタコの訃報がうわまわる。テレビ。「しゃべくり007」千原ジュニア。ジュニアとくりぃむしちゅーとは珍しい共演、くりぃむしちゅーのほうが1年後輩だとは盲点だった。「上田くん」「ジュニアさん」と呼び合う関係性が新鮮。「極度の人見知り」だというジュニア、友だちはあまりいないんですかと訊かれると、「向こうにガーッて来られたらいけますけど。だから僕、あのう、海老蔵と仲いいんですよ。あいつはもう、ガーッて来てくれるから。せいじもそうやけどそういうガーッて来てくれるひとが、すごいこう相性合うんやと思いますよ。」遅番。食事。米舞、おにぎり弁当。タイムサービスで200円引き。別にみたらし団子も。めっぽう評判の良い関口良雄「昔日の客」を買っておく。横浜西口。一蘭、天然とんこつラーメン。帰宅。特になし。
2010年10月27日
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仕事。ヒマだったのでPOP作り。昼休みに、ショッピングセンターの外まで遠征。デイリーヤマザキまで、谷啓の訃報を伝えるスポーツ新聞を買いに行く。ついでに昼食、デイリーヤマザキでパン3個。日刊スポーツ。1面を見比べ、これにしたけれども。ベローチェ。EXILEのライブの終わりにぶつかっちゃって、駅が大混雑。EXILEファンって、けっこう低年齢なんだな。横浜西口。吉野家、牛鍋丼。帰宅。犬の散歩。テレビ、あれこれ。◆録画した「ザ・サンデー」、谷啓の訃報、冒頭18分。冒頭、いきなり「ミチコ・オグラの見るがいいわ」! そして、「元気が出るテレビ」の「ガチョーン100連発」!植木等のときは小松政夫が出たんじゃなかったっけか。ジローラモや北村弁護士のコメントじゃあどうしようもない。でも、徳光和夫は、秋元近史の発言を引いたりしてけっこうていねいな説明をしてた。これはそうとうマシなほうだと思う。◆続けて、フジテレビの「Mr.サンデー」。「ひょうきん予備校」と「笑う犬の冒険」!うーん、ミヤネもクリステルも心がない。島崎俊郎にコメントを取ってたのはちょっとだけ良いところ。(あとで加筆修正します。でも、たいしたことは書きません。)
2010年09月12日
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朝、始発で帰宅。休む間もなく、仕事へ。出勤の電車で、また寝過ごす!たまたま早めに出たから遅刻はまぬがれたけれども、本当に危ない。仕事。昼食。アイダイニング、若鶏のグリル。眠くて眠くて、仕事がぜんぜんはかどらなかった。ユニクロ、買い物。横浜西口。トーヨー街。龍味、豚ネギ丼。帰宅。テレビ、あれこれ。◆「徹子の部屋」辻仁成。黒柳徹子と辻仁成がFAX仲間だとは知らなかった。◆「踊る!さんま御殿!!」。映画「書道ガールズ!!」から、成海璃子、山下リオ、桜庭ななみの3人が初登場。三段落ちパターンを要求するさんまと、その要求をつねに外した答えをしてしまう成海璃子。「タスマニアンデビルみたいやわ! かわいいのに獰猛いうやつやから。」少し前にTwitter上で、「メレンゲの気持ち」に成海璃子が出演したときに紹介されたCD棚のマニアックぶりが話題になっていたが、成海璃子に鉱脈があると少しの受け答えですぐに察知したさんま、さすが。さんまにそう思わせる成海璃子もさすが。mixi。中津川弦さんの日記「オザケンと私」がオモシロ!まず、前編。小沢健二の「ひふみよ」ツアーが行われる中野サンプラザへ、開演2時間前に到着し、メッセージボードを掲げてチケットを譲ってもらおうとする中津川さん。「私はこのコンサートのチケット争奪戦に惨敗した訳ですが、それでも当日は会場に行こうと固く心に決めておりました。会場に入れるのは、おそらく不可能。でも行きたい!それだけのオザケンへの想い、感謝の気持ちがずっとあったのです。思えば学生の頃から何度、この人の歌に救われた事か。」中津川さんがこれほどまでにオザケンファンだったなんて初耳!しかし、開演が迫ってもチケットは手に入らず、そろそろ帰ろうかと思い始めるところで、中津川さんに男女のペアが近づいてくる。というところで後編へ続く。後編。この男女、何者かと思ったら「SPA!」の記者だった。中津川さん、なんと、オザケン再ブームについて「SPA!」に取材を受ける!これだけでも面白すぎるのだが、そのあとの展開がいよいよすごい。同じくチケットを譲りうけようと待っていたひとたちから、これから当日券を出すという情報がまわってきて、中津川さん、ライブのチケットをついに手に入れてしまう。「…フムム、これは弦ちゃんの推測ですが、転売・営利目的の人への防止対策なのでしょう。人気コンサートの場合だと、事前に当日劵を発売すると発表したり、開場前に発売したりすると営利目的の連中がワンサとやってくるでしょうし、それを開演前にさばくことは十分可能でしょう。でも開演直前に受付でチケットを発行して、そのまま入場という形を取れば、純粋に見たい人だけが購入する訳ですからね。あくまでも推測です。でもたぶん当たってるはずです。」そして、完結編。あの中津川弦さんが1階席前方で小沢健二を観ることに。中津川さんに当日券の情報を教えてくれた女性を近くの席に見つけ、「「よかったですね」みたいな感じで軽く微笑んで会釈してくれました。なんていい人なのだろう。弦ちゃんバッチをプレゼントしたかった所だけど、持っていなかったのが悔やまれる。考えてみれば「SPA!」の人達に声を掛けられなければ、たぶん諦めて帰ってただろうから、この女性にも会えなかった訳で。「SPA!」にも感謝です。正直に言うと、今までは余り好きな雑誌ではなかったのだけれど、これからは心を新たにして、たまに立ち読みしようと思います。」肝心のライブの内容はどうだったのかというと、「これから行く人もいるのでそんなに触れられませんが」と前置きしながら、「触れられないと言ったばかりですが、これだけは言いたい。「愛し愛されて生きるのさ」という名曲があるのですが、この曲は間奏の所で語りがあるのですよ。「家族や友人たちと…」っていう。これが実にかっこいい語りで。ここの所で会場が13年間の思いを放つように地響きのような歓声。私は堪えていた涙腺をついに我慢出来なくなりまして、椅子にへたりこんでヒーコラ泣きましたとさ。変なオッサン。」「そんな訳で今日は家に着いてから、余韻に浸り、今までお酒を飲みました。もう夜明けです。ようやく興奮もおさまりました。長々と失礼しました。おやすみなさい。」
2010年05月26日
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1日中、自宅。週末になるとその週のニュースをまとめて観ることになるわけだが、タイガー・ウッズの愛人が14人というのはいったいなにごとか。「黒い十人の女」という映画があったが、タイガー・ウッズの場合は、女が14人で、本人が黒い。タイガー・ウッズは僕と同い年ということでも気になる存在なのだけれども、タイガー・ウッズ、ベッカム、ヤワラちゃんというのが、この年に生まれた3大スポーツ選手で、タイガー・ウッズが14人ならばベッカムにはおそらくそれ以上の愛人がいるだろうし、ことによると、ヤワラちゃんにだって14人の男ぐらいはいるかもしれない。われわれはメディアを通じてしかヤワラちゃんを知らないが、真実のヤワラちゃんがどれほど性的魅力にあふれていることか。それは柔道着が知っていることだし、畳が知っていることであろう。仮にそうであれば、タイガー・ウッズの14人の女と、ヤワラちゃんの14人の男で、せっかくだから集まってなにかしたらいいのにと思う。同じゴルファーでいえば、東尾理子もタイガー・ウッズと同い年だし、ゴルファーでないところでいえば、山本モナも同い年である。一見、当たり前のことのようだが、同い年のなかには、ゴルファーもいれば、ゴルファーでない人間もいる。もし、同い年にゴルファーがいないというものがいるならば、ひょっとしたら、そのひとがゴルファーなのかもしれません。タイガー・ウッズは昭和50年生まれ、ああ見えてウサギ年。午後、睡眠。片岡一郎さん、今ごろ、クロアチアの映画祭で小津安二郎監督「生れてはみたけれど」を口演していることだろう。今日はほかに予定もないし、本当は観に行こうと思っていたのだけれども、なんでも、京浜東北線が人身事故だというので泣く泣くあきらめることにした。京浜東北線が人身事故ではクロアチアへは行けない。テレビ、あれこれ。◆「笑いがいちばん」、三拍子、ナオユキ、柳家三三。やけに「三」が多い顔ぶれ。三拍子。15年ぐらい前に海砂利水魚がやっていたような漫才を、今、やっているのだが、もうちょっとひとの良さそうな印象に思えるのは爆笑問題の影響下だからか。◆「爆笑レッドシアター」。狩野英孝のスベリ芸、柳原可奈子の運動音痴、フルーツポンチ村上の音痴、はんにゃ川島の無知と、ダメなことを笑うコーナーが1時間のなかに4つもあるのは発想が貧しすぎるだろう。どれかひとつで充分。我が家谷田部の「ヤタッペ」だけはコントとして成立しているので良い。
2009年12月13日
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雨。午前中、日記更新。朝日朝刊。さすがに森繁先生の訃報はでかかった。今年ほど訃報の多い年もちょっと記憶にないのだが、そのなかでももっとも大きな扱いではないかというぐらい。しかし、それでも、イチハシのほうがでかいのだからなんとも淋しい。1面に小沢昭一のコメント。「伝統的な芸の世界のしきたりや“芸人の血”とは無縁のところから生まれた、新しい俳優の生き方を我々に示してくれました。いわば偉大なる素人のような人で、演技も過去の表現を踏襲しないで、具体的で自然だった。だからサラリーマンの世界の面白さや深さも自然に演じられ、多くの人々の共感を得たのでしょう。俳優の社会的地位を高めてくれた人でもある。巨星堕(お)つ、という気持ちです。」テレビのワイドショーの確認は徒労に終わりそうなので最初からあきらめる。どうせ、たいしたものはないだろう。YouTubeで森繁の動画を探す。「フラメンコかっぽれ」が楽しい。ラジオ。◆「ビバリー昼ズ」。昭和48年元旦の秘蔵音源でオープニング。高田文夫「昨日はねぇ、イチハシなんてやなニュースがわーってあったけど、もっと、森繁久彌の報道をいっぱいして欲しいですよね。」「やっぱり、戦後っつうか、戦前も入れて、大衆芸能史んなかでやっぱりね、ベストワンじゃない? 数ね、やっぱりね、質と量とすべてだよ。ねぇ、だって、お芝居ができて、テレビ・ラジオやって、朗読やって、名文家ですよ、文章が上手くて、歌まで作れて、歌えて。ねぇ? 語るように歌えと、歌うように語れと、芸は。これだよ。談志師匠も本で書いてたけど、やっぱり、どんなに歌舞伎の名優がどういようが、日本の芸能史で、最強は森繁久彌であると、いうふうに談志師匠ももうほんっとに。だから、ほんと面白いのは、のり平先生の葬式んとき、出てきたんだよ、ライバルのり平先生の葬式。もう、よれよれ…、ちょっと芝居掛かってんだまた、ちょっとね。『うっ!』ってつまづいたりして、絶対芝居してんだ、森繁さん。もう、杖ついて、『うっ!』ってつまってさ。もう、後光差してんじゃない。『あっ、森繁さんだ!』って。いちばん前、座ってんだよ。で、家元が、談志師匠来たから、『あっ!』っつって、談志師匠、すっ飛んでって、『ご苦労さまです!』って、もう、子どものようにさ、最敬礼してんのよ、談志師匠が森繁さんに。そういうすがた見て、また嬉しくてさ。談志師匠、ほんっと好きなのよ、森繁さんのことをね、うん。ほんっと、森繁さんてすごいと思うよ。うん。そんなこんなでね。これからねぇ、またね。まぁ、96歳。見事だと思いますね。」◆「大竹まこと ゴールデンラジオ!」。大竹まこと「いろいろニュースがありましたけども、今日はね、僕らなんにもできないですけど、曲を1曲おかけして、えー、ね、お亡くなりになったかた、ちょっと思い出してみましょう。」と言って、冒頭で「銀座の雀」をかける。「まぁ、偉大過ぎるし、まぁ、いい役者さんだったし、まぁ、あの、裏話も、有名な話も、たくさんお持ちなかたで、まぁ、それはほかのね、テレビとかね、ラジオがやるでしょうから、わたしたちはちょっと触れないで、曲だけをおかけしました。」朝日夕刊。小林信彦の森繁久彌追悼の談話「森繁久弥さんを悼む 演じ切った舞台人」。ネット上にはないようなので、以下、全文引用しておく。 森繁久弥さんとは、何十年か前に一度だけ会ったことがある。指定の小料理屋に行くと、森繁さんはカウンターにもたれて何か飲んでいたように記憶している。 怒りっぽい人と聞いていたのに、そんなことはなく、誰も見ていないことを確認した上で、物まねを見せてくれた。田中角栄は似ていた。「映画監督のマキノ雅弘が何とかという作品を演出したときの物まね」というのもやってくれたが、さっぱり分からなかった。 演じて見せるのが好きだったのだろう。笑わせるのも、しんみりさせるのも、好きだったのだろう。それゆえに、あらゆる観客に浸透してゆくような芸を持っていた。 私が森繁さんの存在を意識したのは、高校生のときだった。「ムーラン・ルージュ新宿座」などで名をあげたのを聞いていた。既に森繁ぶしの歌も歌っていたように思う。 1950年9月には、映画「腰抜け二刀流」を見た。B級映画ではあったが、「森繁は面白いよ」と友人に話したものだった。転機になったのは52年の映画「三等重役」。社長も部下もそろって軽薄という設定で、河村黎吉が主役、森繁さんは準主役だった。後に「社長シリーズ」があったが、サラリーマン物の始まりは、これだった。 「ムーラン」では人間劇を演じ、映画ではちょっと、あちゃらかな喜劇人だった。 イメージががらりと変わったのは、55年の映画「夫婦善哉」。ぐうたらなのに憎めない関西弁の男を演じた。これが森繁さんの評価をがらりとかえた。単なる喜劇人ではないと認められ始めた。 森繁さんは満州(現・中国東北部)に行っていたので、芸能界での開花は遅かった。すでに喜劇の人はいる、悲劇の人もいる。どこに自分が出ていくべきかをじっくりと研究したのだろう。自分の生かしどころを心得ていたともいえる。早稲田大学時代にはユージン・オニール戯曲を演じたり、親類には明治時代の新聞人・成島柳北もいたり。単なる喜劇人とは根本が違う。 そこから生み出されたのが、普通に芝居を演じているのに、どこかおかしい、まじめなのにどこかユーモラスという技だったのかもしれない。エノケン(榎本健一)やロッパ(古川ロッパ)とは違う笑い。自分が転がるような笑いは苦手だった。人には弱いところがある、そこを見せて笑わせる技術だった。 もう一つの特徴として「普通の人より一拍早い動き」というのがあった。人々の期待よりワンテンポ早い芝居だ。これが独特。それと、声。声が良かった。ラジオ時代に培った声で、絶対的な強さだった。声の魅力は歌でも発揮された。60年の映画「地の涯に生きるもの」に出演したことをきっかけに名曲「知床旅情」を作詞作曲した。 60年代前半からテレビに移る。64年からの「七人の孫」が代表作だろう。さらに舞台の方もしっかり固めて、67年からミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の上演が始まる。 とにかく多くのジャンルで活動し、幅広い年齢層に愛された。だが、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「佐渡島他吉の生涯」など舞台での声、姿の印象は、今でも強烈だ。森繁さんとは何者だったかと考えてみれば、根っこは、舞台人だったと思う。 (談)夜、池袋へ。次項へ続く。
2009年11月11日
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1日中、自宅。台風、接近中。風の音がひどくて、落ち着いてテレビも観られない。朝、ワイドショー。深田恭子と清水アキラの三男が半同棲という衝撃のニュース!清水アキラの三男が俳優をやっていることも初めて知った。あの清水アキラの息子が俳優であることにも違和感があるが、深キョンと半同棲だとはもってのほかだ。清水アキラの三男は、ミラクルひかるぐらいがお似合いだろう。朝から眠り、午後に目覚めたら、もう、静かになっていた。犬が入院することになる。母親が落胆。テレビ、あれこれ。◆「いいとも」テレフォンショッキング、多部未華子。台風の影響で、観覧のお客が遅れて入ってくる珍しい光景。◆「徹子の部屋」、2本。◇オノ・ヨーコ。途中から息子のショーン・レノンも加わる。コーネリアスの名が出たけれども、この番組でコーネリアスの名が出たのは、15年ほど前にマヒナスターズが出演した回以来か? たしか、小沢健二出演時にはコーネリアスのコの字も出なかった。 ◇香山リカ。新刊のタイトルでもある「しがみつかない生き方」を提唱。番組内では触れてなかったが、帯に「勝間和代を目指さない」と書いてある本だ。この番組、ほんのひと月半前に勝間和代が出たばかりだけれども、黒柳徹子が同調していたのは明らかに香山リカのほうだったな。
2009年10月08日
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1日中、自宅。外は雨。午前中、睡眠。日記更新など、その他の執筆も。パソコンに向かう時間が長いわりにはほとんど進まない。mixiのアプリにいろいろと手を出してしまい、ついつい時間を浪費する体たらく。「お笑いナタリー」。なんと、爆笑問題・田中裕二が離婚のニュース!これはショックだ。ウーチャカに「バツイチ」という言葉はあまりにも似合わない。なんだか、マコーレー・カルキンくんが離婚したときにも似た、なんともいえないイヤな感触がここにはある。よく知られるように、田中には金玉がひとつしかないわけだが、本来は非常に切実なことであるこの身体的欠落は、くり返し語られ、笑いに転化されることで、ある種の神秘性を獲得しているかのようにすら思える。ここで注意しなければならないのは、田中の金玉はつねに周囲からいじられるものであり、田中が自ら金玉をいじることは少ない。これはつまり、田中という人間が自慰行為以前の段階にあることを象徴的に示していると考えられるのだが、かと思えばそのいっぽうで、田中というひとには、ウンコをもらしたエピソードを積極的に語る一面もある。金玉よりも肛門を愛でる、言わば、永遠の肛門期である。フロイトが提唱する肛門性格とはすなわち、几帳面、きれい好き、倹約、頑固、強情ということであるが、これらは田中裕二に当てはまる部分も多々あるのではないだろうか。少し前にも書いたことだが、爆笑問題の本質は未成熟さにこそある。「バツイチ」の響きは未成熟な男にはなんとも不釣合いなもので、爆笑問題が思いっきり未成熟でいられた「検索ちゃん」の終了を待つようにしてこの離婚が発表されたのは、けして偶然とは思えないタイミングではないか。ラジオのような密室的な錯覚を与える場は別とすれば、田中がウンコをもらしたエピソードを気兼ねなく語れるような場は「検索ちゃん」しかなかった。「検索ちゃん」の終了は、おそらく、田中裕二の肛門期の終わりでもある。
2009年10月02日
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午前中、睡眠。テレビをつけっぱなしで寝ていたら、山城新伍の訃報が。「この退屈な時代のテレビで異彩を放ったのは、かつて東映映画で本筋と関係のないギャグを演じていた山城新伍の、関西風ソフィスティケーションあふれる司会ぶりであり、日本人離れした話術の鮮やかさだった。」とは、70年代の山城新伍を評した、小林信彦「日本の喜劇人」のなかの一節だ。僕がこの本を読んで、“喜劇人”として山城新伍を意識するようになったのは90年代半ばからだが、山城新伍を本当に面白いと思えるまでにはもう少し時間がかかる。しかし、その面白さに気がついたときには、もう、観る機会は減っていくときだった。テレビがダメなら舞台だとか、もっとなにかやりようがなかったのか。なんとも、もどかしい晩年になってしまった。2003年、横浜にぎわい座での「志らく一門会」に、山城新伍がゲストで出てトークをした。それが、山城新伍を生で観た最初で最後となった。それにしても、今年はなんと訃報の多い年か。テレビ。「博士の異常な鼎談」、大川豊総裁と、「金正日の料理人」藤本健二。将軍様を笑わせたという芸があって、その芸で大川興業のライブに出演させたというのもすごい話なのだが、それをこの番組でも披露する。サム・テイラー「襟裳岬」にあわせての“エアサックス”とも言うべき芸なのだけれども。総裁「これはね、『あらびき団』に行けるなと思いました。」博士「ちょっと、『レッドカーペット』は無理かなと。」ラジオ。「キラ☆キラ」。水道橋博士「ペラ☆ペラ」、桜庭一樹と結婚した友野英俊の話。桧博明とコンビを組み、ダウンタウンの付き人のようなことをしていたひと、という程度の認識はあったのだが、吉本興業以前の、浅草キッドとの関係は初めて知ったなぁ。午後、入院しているXXの見舞いに行くつもりでいたのに、主治医が留守で外出許可が下りなかったと。残念。また、日を改めて。夕方、新橋へ。日比谷シティ。こちらのビアガーデンでは、吉本興業のタレントによるステージがこれから始まるようだ。便意をもよおし、トイレへ。おっと、開演ぎりぎりになってしまう。日比谷野外大音楽堂、「東京ダイナマイトサマーフェス」。次項へ続く。
2009年08月14日
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当ブログ、5周年。ここしばらくはアクセス数を全然メモってなかったけれども、最近は、1日400から500といったところ。仕事辞めてからは、たくさん書いてるので100ほど増えた。仕事を再開すればこのペースは維持できないだろうけれどもなぁ。総アクセス数、今日現在、約483000。50万もそろそろだ。1日中、自宅。日中、睡眠。日記更新。ラジオ、あれこれ。◆「清水ミチコのミッチャン・インポッシブル」、ゲスト・スチャダラパー。「ヒップホップは怖くない大作戦」という、先日の「ウィークエンド・シャッフル」と同様のテーマをこの番組でも。飯田浩司アナとスタッフが、スチャダラにすら怖いイメージを持っているのはちょっと不思議な気がする。一般的には「ポンキッキーズ」かと思っていたのだけれど、もう、そうでもなくなってるのかな。しかし、最近、世の中に主張したいことを訊かれたBOSE、「ラジオなんで、僕が普段言いたいようなことはだいたい言えないことらしく…」というのは、BOSEのブログを読んでると納得のこと。そういう意味ではやっぱり怖いかもしれない“反骨のひと”だ。◆「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」。オープニングで、忌野清志郎の告別式に行ってきた話。リスナーからの情報で、K DUB SHINEが行列のところを行ったり来たりしていたと。何度も書くようだが、僕はけして熱心なファンではないので、忌野清志郎の告別式には最初から行くつもりはなかったのだけれども、ネットやテレビでその様子を確認すると、もっと軽い気持ちで行っても良かったのかなという気もする。なにしろ、「青山ロックンロールショー」だ。テレビのニュースで、ズボンのもものところにバックステージパスとおぼしきステッカーを貼ったひとを目にしたが、プロモートする会社が入っていたのだろうか。葬儀ではあるけれども、本格的なロックイベントでもあった。mixi。忌野清志郎コミュの「著名人からの追悼コメント」に、さっそく、弔辞が載っている。MSN産経ニュースにリンクが貼ってあって、竹中直人、大竹しのぶ、甲本ヒロトの弔辞が全文読める。昨年のタモリのあの素晴らしい弔辞をきっかけとして、有名人の弔辞を全文掲載することは、これからはひとつの決まりごとになるのかもしれない。3人の弔辞を、文字で読んだあとにニュースで映像を確認したのだが、文字と映像とでは、若干、印象が変わる。まず驚いたのは、弔辞を読む人間を、前からカメラが撮っていることである。こんな映像は今まで観たことがない。つまり、祭壇のなかに小さいカメラが仕込んであるということで、ここでもまた、この葬儀がイベントに徹していることがよくわかる。竹中直人と大竹しのぶは、誰がどう観ても熱演だった。いや、“熱演”と言ってしまうと悪口のように聞こえるかもしれない。実際、ネット上では、芝居がかっているというような悪口をいくつか目にしたのだが、しかし、芝居を職業としている人間に対して、“芝居がかっている”というのも言いがかりに近い話ではないか。俳優がここぞというときに芝居がかるのは必然である。芝居の巧拙、好悪の問題はあるだろうが、それぞれの芝居のスタイルで、最大限の熱演をしてみせたのは、俳優としてはじつに誠実な態度と捉えるべきだろう。甲本ヒロトは甲本ヒロトで素朴な良さがあった。特に良いと思ったのは、この葬儀を“ひどい冗談”と表したところだ。「片棒」という落語があるけれども、イベント化されたこのシチュエーションは、やっぱり、“冗談”だと思うのが自然のことに違いない。忌野清志郎だけにふさわしい、異様な葬儀をやってみせたのだと、プロモーター側が自覚してのものだと願いたい。テレビ。録画しておいた「情報7daysニュースキャスター」。たけしが清志郎についてなにを語るかは、やはり、確認しておきたかった。同時代に同じような位置にいた、ビートたけしと忌野清志郎には重なる部分がある。その証拠に、たけし軍団には清志郎ファンが多い。そういえば、20年ぐらい前、たけし軍団が「ものまね王座」に出演したときに、柳ユーレイが清志郎のものまねをしていたのを思い出す。いろいろなひとのものまねメドレーのなかのひとネタで、柳ユーレイはタイマーズの扮装をしていた。僕の記憶が正しければ、くしくもそのとき、大森うたえもんがものまねしたのは甲本ヒロトと竹中直人ではなかったか。どうでもいいといえば、どうでもいい話ではあるけれども。YouTubeに亀有ブラザーズを発見。ブログ、あれこれ。◆マキタスポーツのブログ「清志郎の恐さ」。「ふざけた振りしておっかねえこと言う奴がいるが、正にそれで、絶対に捕まらない運動体、怖い清志郎の本質はここにあった。」「ビートたけしと全く同質だが、誰も本当の清志郎なんか知らない。絶望的に。」◆水道橋博士「博士の悪童日記」。「RC解散後に清志郎とチャボが共演した日比谷野音、ワンナイトライブ、その日、俺は、ニッポン放送で『奇跡を呼ぶラジオ』の生放送があったが、ずっと野音の横に車を止めて、本番前まで聴いていた。」このときの「奇跡を呼ぶラジオ」は覚えてるなぁ。番組内でもこの話をしていて、すごく印象に残っている。博士がRCサクセションのファンだと知っているのはこの放送を聴いていたからだ。
2009年05月09日
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1日中、ほぼ自宅。午前中、睡眠。日記更新。ネットでニュース。asahi.com「1人で全裸「何が悪い」 草なぎ容疑者、急行した署員に」。ネットと新聞では見出しが若干違うのだが、朝日夕刊では、「深酒「裸何が悪い」」となっている。「裸何が悪い」ってのは、いいセリフだなぁ。これはもう、今年の流行語大賞候補でしょう。今日は家でパソコンに向かっている時間が多かったのだが、なんとまぁ、ネット上でのニュースの更新速度のすごいこと。ポータルサイトに、次から次へと続報がアップされていく。それにしてもこの大騒ぎ、たかだか酔って裸になったくらいで、という論調はさっそく出てくるのだが、しかし、何故、この事件がこれだけの騒動になるのかといえば、こういうことをはっきり言うひとはあまりいないのだが、それは、この事件が「滑稽」だからでしょう。おそらく、この事件を善悪で捉えると本質を見誤る。よく考えていただきたいが、「SMAP」が「裸」で「逮捕」なのである。となれば、まず「滑稽」だと思うのが正常な判断というものではないのか。はっと我に返り、罪の善悪を考えるのはそれから先のことで、ものごとの善悪をいちばんの問題とすると、話はだんだんと、とんちんかんな方向へと進んでいく。そもそも、マスコミには善悪をジャッジする権利はないのだ。大衆の好奇心に沿うものを掻き集めてくるのが、マスコミの本来の仕事ではないかと思うのだが違うのだろうか。いや、ほかにもっと報道すべきニュースがあるだろうというのはごもっともな意見であるが、しかし、もし扱いが小さいとなれば、むしろ、また、ジャニーズ事務所に対して腰が引けてるんじゃないかと、それはそれで情けなく思うだろう。ただし、警察は善悪で動いてもらわないと困る。ちょっと滑稽なやつだから家宅捜索しようなんてことは、あっていいはずがない。もうひとつ気になったのは、地域の問題である。六本木の東京ミッドタウンの裏、檜町公園周辺をGoogleのストリートビューで散策してみると雰囲気がわかるが、まぁ、あんまり僕みたいなもんには縁がないような高級住宅街です。通報をした男性というのは、おそらく、きわめて常識的なひとで、ごく当たり前の行為として当たり前に通報をしたのだと思うが、この、“当たり前”はなんなのだろうか。いや、そんなの当たり前だろう、と言われてしまうと話は平行線をたどるしかないが、これが、特別に正義感が強いひと、という感じだったら、たまたまそういう特別なひとに見つかってしまった、という話になるのだけれども、強いて言うならば、通報したひとがどうということではなく、地域全体に特別な常識が働く地域なのではないか、という気がする。端的に言えば、もっと寛容になれないのかと。まぁ、無駄話はこのくらいにしてそろそろ本題に入るが、地デジ懐疑派としては、これは、文明を脱ぎ捨てて原始に帰れ、という草なぎ剛からのメッセージだと受け止めたい。「なぎ」という字が変換されないのがなんとも象徴的で、こんなにも、事件の当事者の名前が正確に表記されないニュースが氾濫することは未だかつて見たことがない。ここには、ただひたすら、デジタルの限界がある。つまり、草なぎ剛は、アナログのアナロジーとしてアナルを開放したのではないか。 ネット。金谷ヒデユキのブログ。「草なぎ2:50」と題したエントリーで、ひさしぶりに替え歌を作ってる!深夜、外出。マクドナルド。読書。筒井康隆「短篇小説講義」、読了。岩波新書。1990年刊。先日読んだ、阿部昭「短編小説礼賛」と合わせて読んだのでより面白かった。岩波文庫の古典作品から厳選した7作を分析。実作者による「講義」とはいうものの、短篇小説の“お稽古ごと化”には批判的な、書きたい人間をねじふせるかのような内容。短篇、ナメるな、とでも言ってるかのような。
2009年04月23日
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1日中、自宅。午後まで睡眠。ネット。ブログでたどる北野誠事件。先週の週刊誌でようやく具体的な原因、バーニング社長・周防郁雄という具体的な名前も出てきたので、素人目にも、だんだん、話が見えるようになってきた。◆山田真哉のブログ、「北野誠タレント廃業へ!?」。僕が目にした範囲で、いちばん早くリアクションをした有名人はこのひと。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」の著者として知られる公認会計士だけれども、“サイキッカー”でもあるんだよね。この時点ではまだ理由はさっぱりわからなかったが、問題が問題だけに、芸能人や、芸能界、放送業界に関わっている人間からは、なかなか発言が出てこない。◆GO!ヒロミ44’のブログ。このひとも早い段階でリアクションしていた。“お笑い芸人”でも、いわゆる芸能界や放送業界とは関係がない位置にいるひともいるということを、世間のひとはあまりわかっていない。「【北野誠・不適切発言で芸能活動自粛の謎】」。某宗教団体説に基づいて、実際に、糾弾を体験しているひとの意見。「【やっぱネット情報じゃ北野誠不適切発言の真相は分りませんな】」。実際に、抗議によりラジオが打ち切りになったことがあるひとの意見。◆マキタスポーツのブログ「北野誠問題の味わい」。うーむ、かなり手厳しいが、北野誠を責めつつ、自分を律しているような部分もあるのだろう。マキタのような芸風のタレントにとっては、けして対岸の火事ではない。安全地帯からの物言いとは違う、生々しい嫌悪がある。神格化、とまではいかなくとも、この事件によって北野誠を過剰に評価するのもおかしなことで、それに対するカウンターとしてはじつに貴重な、芸能界のなかからの堂々とした批判。◆枡野浩一のブログ「北野誠さんの本」。「何の根拠もない想像ですが北野誠さんをいま 追いつめているらしき力ある人は、 病気等で寿命が尽きつつあるのを自覚しているかなにかで 焦っているのではないでしょうか。」という独特な見解を。◆「BUBKA」編集部のブログ。「北野誠騒動でバーニングプロ・周防郁雄社長の名がついに!」。「後ろ盾のシフトチェンジで芸能界のパワーバランスが再編成されている中、周防郁雄社長のようにしっかりとした調整役がいないと、今後後ろ盾になる筋に、芸能界自体がいたずらに喰い物にされてしまう気がしまして。健在をうたうための生け贄になった北野誠さんは、ホントに可愛そうでしたけど。」「北野誠さんコラムも終了」。「ネット上でのバーニング系列情報って、けっこう間違っていて、ケイダッシュ系なんかも入ってしまってますね。」など、こういうところも素人には判断がつかないところ。◆村西とおるのブログ「北野誠氏の追放劇の真相とは」。これは決定版。書かなくてもいい余計なことが全部書いてあって傑作! この世の中で誰よりもいちばん強いのは、ひょっとしたら、村西とおるのような人物かもしれません。 テレビ、あれこれ。◆「談志の格言」、ゲスト・福田和也。家元「最後は福田が持ってくからね。前にも言ったけどね。いちばん、優れてる。で、書いてるところに人間が感じる。そういう意味で、前にも言ったことあるけど、『あなた、大事なひとですよ』って言ったことがあるけどね。各界にいるじゃないですか、その、ボスみたいなのが。きっとそれになるよ。」吉川潮「師匠、僕はね、けっこう褒められてんですよ。」家元「あのォ、ものごとっていうのはねぇ、ずーっとこの、けなしたりなんかしてるとひとりぐらい褒めないとバランスがつかないんだよ。」◆「笑いがいちばん」、桂歌丸、バカリズムというよくわからない組み合わせ。「歌丸さんに「一度でいいから聞いてみたい!」」という企画で、歌丸師にみんなで質問をするのだが、当然、かみあうはずがない。バカリズムからの質問、「「一度でいいからみてみたい」モノは何ですか?」に、歌丸師匠、「生きてる恐竜かなぁ」と、なんにも面白くない答えを。◆「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」、「THE YES MEN」前編。これはとても面白かった。後編も楽しみ!「カルチャー・ジャミング」という言葉は初めて知った。パフォーマンス・アート、お笑い、社会運動を混ぜ合わせて、政府や大企業を皮肉ったりする活動のことを言うらしく、日本で言えば、若いころのオノ・ヨーコなんかがやっていたと町山智浩の説明だが、「THE YES MEN」を観た印象では、大川興業や越前屋俵太、かつてのテリー伊藤などを連想する馬鹿馬鹿しさがあった。しかし、日本の場合はいずれも90年代で、このような笑いに取り組んでいるひとはほかにもいたはずだが、今ではほとんど見かけない。もはや、あきらめムードなのか。長いものに巻かれるのが正しいかのような風潮で、北野誠ぐらいのことでつぶされてしまう社会では、このような笑いは育ちようがないのだろうか。◆観そびれていた、元旦放送「新春お笑い大賞」を今ごろ。視聴者投票のコーナーで、NON STYLE、ナイツらを抑えて、オードリーが優勝していたのは先を予見していたんだなぁ。深夜、転職サイトであれやこれや。廃業はひとごとじゃないんだよ、まったくもう。
2009年04月20日
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早番。昼食。Goody、ビーフカレー。気がつけば、所持金が小銭のみ。買いたい雑誌も買えず。帰宅。睡眠。ケータイのニュースで、筑紫哲也の死去を知る。テレビ、あれこれ。◆「NEWS23」、トップニュースで筑紫哲也の訃報。肺癌、73歳。「NEWS23」のキャスターを務めたのは、1989年10月から18年半か。少し意外な気がしたが、「TBSは死んだ」と言ってからのほうが長いのだ。筑紫哲也の発言でもっとも印象に残っているのは、やはり、この、1996年の「TBSは死んだ」であり、足跡をたどるVTRでは、上祐史浩が出演する場面は流していたが、このセリフは出てこなかった。阪神大震災の現場をレポートする映像も流れていたが、被災地を温泉地に例えて顰蹙をかった名言ももちろん出てこない。ネット用に収録していた最期の「多事争論」、「この国というのは、ひとことで言えば、癌にかかっている。」とは、なんとも陳腐な表現で苦笑してしまった。肺癌を公表したのは、去年の5月14日放送の「多事争論」。日記を読み直してみれば、うちの父が癌だとわかったのはその1週間後のことだった。 ◆「いいとも」テレフォンショッキング、大杉漣。2年ぶり。年に2、3回、全国の、シネコンの影響で閉ざした映画館を会場にして、ライブ活動をやっているそうで。「俳優の田口トモロヲさんという、あの、『プロジェクトX』の声をやってらっしゃるかたですね。映画監督でもあるんですけど。彼が、もともと、ばちかぶりというパンクバンドをやってまして。そいであのー、漣さんもじゃあ、イベントでなんか、歌、歌ったらどうですか、っていうことがきっかけだったんです。そいで、バンドを組んだんですよね。」「今は、わりとこう、ちょっとあのー、猫かぶってるわけではないですけど、少しあれですよ、舞台立つとわりと、あの、えぇ、はじけちゃったり…、するんですよ。意外でしょ? なに、このオッサン、て感じになってますが、あのー、ちょっととめどなくいっちゃったりすることもあるんで。去年やったやつはですね、予定2時間のライブが、終わったら11時半だったんですよ。お客さん、どうやって帰っていいかわかんないってくらい。僕的には2時間しかやってない感じだったんですけど、気がついたら、えーと、4時間半ですか。うち、3時間はしゃべってたと思います。」◆「タモリ倶楽部」、定番の飲み企画「刺身のツマをつまみに呑む」。浅草キッド、なぎら健壱。ほかのメンバーのときもあるが、浅草キッドとなぎら、または、井筒監督というのが断固としてベスト。とにかく、玉袋筋太郎は欠かすべきではない。玉袋筋太郎の魅力がもっとも発揮される番組だと思う。◆「爆笑問題の検索ちゃん」。清水ミチコ、初登場。爆笑問題と清水ミチコ、「冗談画報」から「TV Bros.」まで、つねに近いところにいる関係ではあるが、共演はそんなにないような。
2008年11月07日
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いつもは早番だが、病欠ありのため、通し。休憩時間も抜けられず。昼食。コンビニでサンドイッチ。横浜西口。浜虎、醤そば。帰宅。日記更新。テレビ。「サンデージャポン」。泰葉の記者会見、初めて観る。評判だけを断片的に知っていたが、これは想像以上にすごい。そりゃあ、いろんなひとがリアクションするはずだ。しかし、こういう常軌を逸したひとがいると、なんでもかんでも心の問題で解釈したがるひとがいるが、それはどうもあやしい。会見のなかで、「すいません、低血糖なので砂糖なめさせてください。」といって角砂糖をほうばる場面があったが、原因はここにあるのではないか。ウィキペディアの「血糖値」の項によると、血糖値が約65から70mg/dLに低下すると、血糖値をあげるためにアドレナリンが大量に放出されるそうだ。そのために、交感神経刺激症状が起こり、手足が震えたりする。また、アドレナリンとは、「攻撃ホルモン」とも呼ばれるホルモンで、それが大量に放出された状態でしゃべっているのがあの会見だということは前提にしておきたい。以下、メルクマニュアル家庭版から引用。太字、引用者。「低血糖に対する体の最初の反応は、副腎からエピネフリン(アドレナリン)を放出することです。エピネフリンが蓄えられている糖を放出するよう刺激しますが、同時に不安発作に似た症状をもたらします。それは発汗、神経過敏、ふるえ、失神、動悸、空腹感などです。さらに重度の低血糖になると脳への糖の供給が不足して、めまい、疲労感、脱力、頭痛、集中力の欠如、錯乱、酩酊(めいてい)と間違えられるような不適当な行動、不明瞭な話し方、眼のかすみ、発作、昏睡などが起こります。」つまり、精神よりも健康の問題であると思われ、そもそも、小朝師というひとは擬似心理学を好むひとだから、泰葉のこのような部分が見えていなかった可能性はないだろうか。もし、仮に、「ためしてガッテン」の司会が志の輔師でなく小朝師であったならば、また違う展開が起こり得たかもしれない。
2008年11月02日
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朝、ワイドショーなど。月亭可朝、元交際相手にストーカーで逮捕のニュース。手元にある「SHOW WA! ハレンチ・パラダイス」というCDに収録されている月亭可朝「歌笑曲 嘆きのボイン」を改めて聴き直してみれば、すっかり忘れていたが、冒頭、いきなり、「下品な男、月亭可朝です。」のセリフで始まるので笑ってしまった。「下品な男、月亭可朝です。こんなやたけたな歌、ぎょうさんぎょうさん歌うてすんまへんなぁ。ほんまにわたしも後悔しておりまんねん、いやほんま。しかし、このレコード買いはったおたくも、まぁ、たいがい、やたけたなおかたでんなぁ。」とセリフがあってから、イントロ、そして、「ボインはァ~♪」と始まる。上品な人間がストーカーなんてことをすればそれは大変な汚点だけれども、もともと「下品な男」って自称してるんだから、じつに首尾一貫しているとしかいえないじゃないか。吉川潮が可朝の評伝を書いてる最中のはずだが、きちんと出版されるのだろうか。という心配よりも、むしろ、余計に面白くなりそうで期待する。 遅番。お盆で配本がなく、ややヒマ。POPを描いたり。昼食。小法師、和風冷やしラーメン。横浜西口。モスバーガー、テリヤキチキンバーガー。読書。高田純次「適当教典」、読了。河出文庫。2002年刊「人生教典」を、2007年に改題して文庫化。よくもまぁ、こんな馬鹿馬鹿しい本を文庫化したものだ。どうってことないタレント本でしかなかったものが、“適当”というキーワードを得て息を吹き返したなかなかに稀有なケース。しかも、けっこう売れているはずなのだ。表紙も素晴らしい。これを企画した河出文庫編集部に感服。内容はといえば、高田純次が一般のひとの人生相談に応えるというもの。どこでこんな質問を募集していたのかと思えば、「高田純次氏秘密のボランティア活動団体・千駄ヶ谷生活総合研究所にこの10年間寄せられた老若男女の人生の悩み」と書いてあるから、つまり、要するに、すべて架空の人生相談。さらっと読んでしまうと、これに気がつかないひとはけっこういるんじゃないだろうか。もともとは“適当”というキーワードを得る以前に出された本にもかかわらず、一貫したくだらなさに貫かれている点は驚愕に値する。企画先行ではないからこその、深みのあるくだらなさ。そのくだらなさのなかに、高田純次の人生観のようなものや、知性を垣間見ることもできるが、そのような俗っぽい価値観で区別してもあまり意味があるまい。渾然一体となっているからこそ、「教典」の名にふさわしい。電車、ひと駅、寝過ごした。逆方向の電車はもうないので、降りて、歩いて戻る。深夜0時半、帰宅。特になし。
2008年08月13日
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弔辞8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きに渡る闘病生活のなかで、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された、第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、わたしたち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は、赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、わたしがお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然、わたしの眼前に現れました。そのときのことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。わたしを見ている。この突然の出来事で、重大なことに、わたしは、あがることすらできませんでした。終わってわたしのところにやってきたあなたは、「きみは面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むとこがないから、わたしのマンションにいろ。」と、こう言いました。自分の人生にも、他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、このひとはこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長いつき合いが始まりました。しばらくは、毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたがわたしに言ってくれたことは、未だにわたしにとって金言として、こころのなかに残っています。そして、仕事に活かしております。赤塚先生は本当に優しいかたです。シャイなかたです。麻雀をするときも、相手のふりこみであがると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべてのひとを快く受け入れました。そのために、だまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから、後悔のことばや、相手を怨むことばを聞いたことがありません。あなたはわたしの父のようであり、兄のようであり、そして、時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎)の葬儀のときに、大きく笑いながらも、眼からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のとき、たこちゃんの額をぴしゃりとたたいては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって、物事を無化していったのです。あなたの考えは、すべての出来事、存在を、あるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、そのときその場が、異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事にひとことで言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。今、ふたりで過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かばされています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして、海外へのあの珍道中。どれもが、本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりの素晴らしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。あなたは今、この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、にこにこと眺めていることでしょう。そしてわたしに、「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と、言ってるに違いありません。あなたにとって、“死”もひとつのギャグなのかもしれません。わたしは人生で、初めて読む弔辞が、あなたへのものとは、夢想だにしませんでした。わたしはあなたに、生前、お世話になりながら、ひとこともお礼を言ったことがありません。それは、肉親以上の関係であるあなたとのあいだに、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。わたしも、あなたの数多くの作品のひとつです。合掌 平成20年8月7日 森田一義※ YouTubeにあった4点の映像をもとに文章を起こし、MSN産経ニュース「赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文」を参考に修正を加えました。・タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞 6:21 追加日:2008年08月06日・赤塚不二夫さんの告別式 森田一義氏の弔辞 6:56 追加日:2008年08月07日・森田一義「弔辞」 7:49 追加日: 2008年08月07日・8/7 <追悼、赤塚不二夫>タモリが弔辞、これでいいのだ!! 4:39 追加日:2008年08月07日
2008年08月09日
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休日。午前中、睡眠。テレビをつけたら、また、タモリの弔辞が流れていた。一昨日、最初に聴いたときには、まず、その文面に感動したが、あとで、読んでいた紙が白紙だったと知って、二度、感動した。もちろん、アドリブでしゃべったからというようなつまらないことにではない。弔辞というシチュエーション自体をギャグにしていることに、心底、感動したのだ。そんなことをやっていながら、「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」などと、しれっと言ってのけるタモリもまた、ギャグに生きるひとであり、“死”をひとつのギャグにしたのである。検索してみると、この弔辞の全文を載せているブログがけっこうある。よくよく調べてみたら、ネットのニュースに全文が掲載されているのだな。YouTubeに映像がない部分もわかって非常にありがたいのだが、しかし、YouTubeで、自らの耳で聴くと違うと思える箇所もある。多くのブログでは、「あなたはギャグによって、物事を動かしていったのです。」と書いてあり、ネットのニュースでも、テレビのテロップでもそうなっているのだが、自分の耳で注意深く聴いてみれば、 「あなたはギャグによって、物事を無化していったのです。」と言っている。何度も聴いたから、たぶん、こっちが正しいと思うけれども。 コピペではなく、なるべく耳で聴いて全文を書き起こしてみたので、それは別項で。「キングオブコント」。BOOMER、プリンプリン、意外や、1回戦突破ならず!1回戦通過者の名前を見ても、このふた組がそれよりも劣っているとはどうしても思えない。もしこれが吉本興業所属タレントだったら、はたして、このような傷のつけかたをするだろうか。これはちょっと憤慨ものだな。と思っていたら、1回戦通過者のなかに、それをはるかに上回る驚きの名前を発見する。エントリーしていることすら見落としていたが、なんと、あの、にゃん子・金魚が1回戦を突破しているではないか!まったく、なにがどうなってるんだ。どう理解すれば良いのだ。「別冊大人の科学マガジン」、シンセサイザーを組み立て。 テレビ、あれこれ。◆「たけしの誰でもピカソ」。清水ミチコ、友近、柳原可奈子。◆「爆笑レッドカーペット」。ハム。初登場。ただ滑舌が悪いだけのネタだが、かなりくだらない。松村邦洋の貴闘力みたいな。Wエンジン。どことなくひと昔前な、“ボキャブラ世代”のようなトーンを感じる。観ていると、なにかひとつ、ボキャブりそうな気がしてならない。友近×アジアン。ヘアーサロンでの友だち同士の会話。このレベルの芝居を、まるで自然に、なんでもないことのように見せてしまう。友近周辺のあるグループは、文脈を完全に共有しているのだろう。アップダウン。何故かこの歌ネタに定着しつつあるが、そんなに良いものだろうか。初期のころにやっていた、ナンセンスなコントはもうやってくれないのか。チョップリン。刑事の張り込みで、手が離せないから、アンパンと牛乳を指示通りに食べさせてもらうというだけのコント。「中笑い」だったが、このコントは圧倒的に素晴らしい。チョップリンには、ミニマリズムの作法が身についている。◆「タモリ倶楽部」。七叉路を上から映すだけのことから企画をふくらませてしまう、こんな番組を成立させるのは「タモリ倶楽部」でしかありえない。登場した八百屋の奥さんが、大山のぶ代の声にそっくりだったのだが、誰もそれを指摘してくれなくてもどかしかった。(あとで加筆修正します。でも、たいしたことは書きません。)
2008年08月09日
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遅番。芥川賞・直木賞、発表。芥川賞が楊逸「時が滲む朝」、直木賞が井上荒野「切羽へ」。どちらも在庫のない本が受賞。本屋にとってはけして悪い結果ではないのに、つくづく、配本をなんとかしてもらいたいな。 昼食。なか卯、牛丼ミニ、すだちおろしうどん。雑誌。「週刊文春」。「北野武 「拉致映画」構想をTVタックルが封殺する」という気になる記事。横浜西口。すき家、五目あんかけ丼。深夜0時過ぎ、帰宅。ラジオ。「ストリーム」コラムの花道、勝谷誠彦。「これね、正直言って、今日、ここであったことはしゃべらないでくださいねって僕、あのー、言われたんですよ。局のひとだか、たけしさんの事務所だかに。」「僕は一応、たけしさんの事務所のひとにそう言われているから、ということはまぁ、たけしさんに対する義理があるから、それじゃあまぁ、しゃべらないでおこうと思ったけども、えー、それともうひとつ、テレビのオンエア前にテレビのスタジオであったことをしゃべるというのはこれはルール違反だから、だから僕は黙ってようと思ったけど、ただその21日なんですよ、オンエアはね。21日のオンエアでそこが切られていたら、僕は発言しようとは思ってたんですよ。」「2時間スペシャルなんですよ、21日のオンエア分はね。で、2時間半収録したわけ。2時間半収録して、その収録の最後のときですか、夕方の午後の7時くらいに、東国原知事が来てくれて、途中から来てて、東国原知事をたけしさんが宮崎へたずねていくっていうむちゃくちゃ面白いVTRがあるのね、それがなかで流れてんだけど、それでわーっとそれをいじってみたり、しゃべって、それでいちばん最後にですね、東国原知事が胸にあれをつけててくれてたんですよ、ブルーリボンのバッジを。それで、国会議員で嬉しそうに、目立ちたがってつけてるひとってけっこういるけれども、あのー、首長でつけてくれてるひとってなかなかいないんですよ。やっぱり首長っていうのは、地元にですね、朝鮮総連だって抱えたりなんかしてるわけだから、在日のひとが多かったりするわけだから、非常に勇気がいることで、それを堂々とつけてテレビに出てくれたから、ああ、男気があるひとだなと思って。で、僕はこれ、最後に、こっちからカンペでまとめに入ってくださいって言ってて、たけしさんもまとめに入ってたわけよ。だけどこれ、このことだけは言って、彼がつけてるってことをアピールすることでまた拉致問題に、観てる何百万人てひとが、少しはこころに留めてくれると思ったから、俺、介入しようと思ったわけ。これね、ほかの芸人さんが聞いたら、たけしさんがまとめに入ってるところに横から介入するなんてのはたいへんな勇気がいることだって言ってたけど、ここで今言わなきゃダメだと思って、介入して、東国原さんありがとうございますと、そういうひとなかなかいないんですよって、言ったら、突然、たけしさんがしゃべり始めたの。これね、『週刊文春』の記事が、たぶんVTR入手してんじゃないかと思うくらい、正確にこのとおりです。読むよ。『おい東、宮崎で映画撮らしてくれよ。オイラ、拉致問題の映画作っちゃおうかな。今年はまだちょっと大きなプロジェクト入ってるけど、来年は大丈夫だし、マイケル・ムーアとか5人ぐらい監督使っちゃって、外国版を作って、世界の映画祭で上映すれば、世界中のひとびとが拉致問題を知ることができるしさ。』 これはもう、鳥肌立ちましたよ、俺は。あ、これだぁと思って、それをここで言ってのけるたけしさんの大きさとその度量と勇気っていうのはすげぇなぁと思って。そしたらもう、みんな立ち上がって、ほとんど国会議員ですけど、民主・自民、両方とも拍手して、そいで、もうあの拉致議連の渡辺民主党議員なんていうのはもう、なんでも言ってくださいと、なんでも協力します。俺も、とにかく俺の書いたものからなにから資料から全部あれしますから、なんでもやらしてくださいって言って。そうだなぁって言いながら。あとで聞いたら、たけしさんから楽屋のほう行きながら、まわりを取り囲んでるスタッフに、勝谷さん本気だなぁって言ってたって。だから、彼も本気だったわけですよ。勝谷さんも本気だなぁって言うんだから。ところが、そっから帰るまで5分くらいだけど、外に出たらなんか空気が変わってて、なんか、まずいことが起きたかのような空気で、テレ朝の人間も、たけしさんの事務所の人間も、でぇ、まだあれは決まってないことですから決まってないことですから、このへんから後ろから僕に言ったり。クルマ乗ろうとしたら、事務所のひとから、ちょっと今日のことは御内聞にしてくださいって、言われたのよ。だから、どういうことなのかなぁと思ったんだけど。」テレビ、あれこれ。◆「いいとも」テレフォンショッキング、半田健人。初登場。24歳、昭和歌謡と、昭和のビルの話。「自分のなかではベストワンは、京王プラザ。やっぱ、オフィスビルじゃない理由としてはね、オフィスビルって関係ないひとが入ると追い出されるんですよ、今は。セキュリティの問題で。あのー、霞ヶ関ビルとかね、特に官庁街のほうだと厳しいので。ホテルはお客様として迎えてくれる。」 南館ができる前とあととどちらがいいかタモリが訊くと、「前に決まってるじゃないですか。」と即答。最近のビルには意外と興味がなく、ラグジュアリー性がありすぎて不満なのだと。◆「爆笑レッドカーペット」。ナイツ。みのもんた、マイケル・ジャクソン。あまりにも絶好調で、磨耗してしまわないか心配になるほど。「マスコミ」を「益子直美」と間違えるのはそうとうくだらない。モエヤン。「ヌーブラヤッホー」から「ノーブラヤッホー」に。急場凌ぎのネタでしかないだろうが、「ノーブラ」では「ヤッホー」の度合いが強過ぎて、笑いにはなりにくいと思う。もっと、マヌケな要素が必要。キングオブコメディ。初登場。ある種、初期アンガールズの受け入れられかたにも似た、たたずまいの不気味さ。天津木村。すがすがしいほどに馬鹿。当初は、詩吟の技術のなさが気になったが、もうそれはどうでもいい。馬鹿馬鹿しさが技術を凌駕している。
2008年07月16日
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中番。昼食。はと屋、ナポリタンセット、トンカツ。横浜西口。モスバーガー、テリヤキチキンバーガー、オニポテセット。「へうげもの」4巻、読む。左介が織部に、宗易が利休になる激動の巻。帰宅。ネット。産経ニュース。「王監督、二岡に「野球選手が9800円のところに行くな!」」。さすがは世界の王というべきか、モラルや品よりも、スター選手としての格のほうにこだわっているのがかなり可笑しい。長嶋茂雄にくらべると真面目で面白みがないイメージがする王貞治だが、なんのなんの、王貞治だって、もちろん、昭和史に輝く大スーパースターなのであり、そりゃあもう、その時代のスターであるから、それなりのことはしてきているに決まっているわけで、グラウンドでは1本足でも、ベッドでは3本足でホームランをかっ飛ばしていたに違いない。この騒動でも、五反田のラブホテルではなく、これがもう少し高級な、スターにふさわしいシチュエーションであったならば、二岡にとってはむしろ、武勇伝になっていた可能性だってあろう。二岡に欠けていたのは、おそらく、このような劇画的なストーリーテリングの才だったのではないか。せっかく、さいとう・たかをか池上遼一の劇画に登場しても違和感がないような、ハーフの美人ニュースキャスターを相手にしていたというのに。じつにつまらない失敗としか言いようがない。
2008年07月15日
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朝日朝刊。「「蟹工船」はまる若者」。小林多喜二の「蟹工船」が売れてるとの情報はあったのだが、うちの店の客層には関係ないだろうと思ってあまり気にしていなかったのだけれども、新聞記事にまでなると発注したほうが良いかな。記事によると、上野駅構内のブックエキスプレスの、28歳の書店員が企画して仕掛けたようだが、「格差社会」や「ワーキングプア」の流れがあるにせよ、よくここに目をつけたものだと驚く。だって、「蟹工船」なんて普通は売れると思わないでしょう。それに応える新潮文庫もさすがで。ほかの出版社の文庫だったら、ここまで大きな動きは作れないんじゃないか。中番。今日は猛烈に忙しかった。棚にすぐ隙間ができるので、こまめに補充する。売り上げ、かなり期待できそう。昼食。バルチックカレー、角煮豚骨カレー。東京スポーツ、1面「ダウンタウン松本 自殺アホ発言 吉本厳重抗議」。 うちの店ではスポーツ新聞も取り扱っているので、売りものだから広げて読んだりはしないけれども、1面ぐらいは仕事の合い間に読むことができる環境にある。で、読んだのだが、ラジオ番組「放送室」での発言が、問題発言だとしてネット上で盛りあがっているらしく、それも知らなかったのだが、それを報道した「J-CASTニュース」に対して、吉本興業が抗議をしたというのが東スポのこの記事。世間一般の認識はどうだかわからないが、これを読むかぎりでは、J-CASTニュースのようなポータルサイトに配信されているニュースよりも、東スポの感覚のほうがよっぽど真っ当なものに思える。倖田來未の一件や、その他、そこまで大きくはないものにせよ、誰それがこんなことを言っていたなどとネット上で叩かれて問題になっているとする“ニュース”に対しての違和感のもとを、吉本興業のこの毅然とした対応によって気づかされたような。もちろん、有名人の暴言がネット上でチェックされている状況は、ある面では非常に風通しが良く、歓迎されるべきものなのだけれども、それが“ニュース”となると、持っているちからが変わってくるだろう。倖田來未のケースでは、エイベックスが、過去に「のまネコ騒動」などもあったために、ネットに対して腰が引けてたのではないかというような話もあったが、戦う相手はそちらではなかったのではないか。ネットが馬鹿、いや、マスコミのほうが馬鹿、などと、決めつけてしまうと話が見えなくなる。もっとも警戒すべきは、そのあいだでああだこうだやっている、ネット上のマスコミかもしれない。一時、小雨。帰宅。日記更新のみ。
2008年05月13日
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午前中、睡眠。ワイドショー。昨日の「サンデージャポン」での、中川翔子の発言が波紋を呼んでいる。イージス艦の事故について「これは絶対に避けられるべきだった事故ですよね。ほんとに、ふたりとも、絶対に避けられた、死ぬこと…、死ななくて済んだはずなのに、こんなことになるなんて…。もうほんとに、こんな寒い時期に、まだ23歳でね、これからの、もう…、ほんとに、希望の光だったはずなのに…。許せないですね。」ところが、番組最後に「イージス艦のところで感情が昂った発言をしてしまいました。一刻も早く、行方不明のかたが見つかることを願っています。申し訳ありませんでした。」と謝罪。「行方不明」の段階で「死ななくて済んだはず」と語ったことに苦情があったようで、もちろん間違えてはならないところだが、まぁ、ここに悪意があるはずはないし、無知というのともちょっと違う。なにより、番組内で迅速に謝罪した点はとても良い対応だったと思う。発言、人物、番組、放送、またはニュースそのものと、さまざまな段階で論じられるべき話が、未整理なまま、ヒステリックに進行していくというのは倖田來未のときにも感じたことと同様で。芸能人の軽率な発言に対する、非難もまた軽率なものが多数ではないのか。そもそも、「サンデージャポン」は報道番組でもなければ、ワイドショーでもない。新聞で言えば「東スポ」と同じことをテレビでやっているようなものなのだが、それを観ている視聴者の側には、下世話なものを観ているという自覚がどこまであるのだろうか。番組の存在そのものに対する非難の多くは、「朝日新聞」の読者が「東スポ」の編集方針に文句をつけているようなもので、非常に奇妙な感じがする。余談ですが、高橋ジョージが「漁師」を「ぎょし」って言ってたけど、それは訂正しなくて良かったんでしょうか。夜、横浜ヘ。ジョイナス。新星堂。「東京かわら版」、購入。寄り道。栄松堂、あおい書店、東急ハンズ、タワーレコード。鶴屋町。ペッパーランチ、サービスステーキ。すぐ帰宅。なんだか、あんまり外出した意味がなかったな。ラジオ。「こちら山中デスクです」。鳥居みゆき、出演。ネタもさることながら、トークでの瞬発力もなかなか。「ふぅふぅ~」という口調のほうに、むしろ、鉱脈ありのような。テレビ、あれこれ。◆「ガキの使いやあらへんで」、「山崎邦正コソ泥裁判」。小島よしお「そんなの関係ねぇ」と、永井佑一郎「問題ないから」をパクって、「関係ないから」という自分のギャグに。ただパクるのではなく、ふたつのギャグを組み合わせて自分のものにしている大胆さに、むしろ、感心する。これは、デビュー当時のORANGE RANGEを思わせる手法ではないか。ちなみに、山崎の初期のギャグに「イェイ、イェイ、イェイ~!」というものがあるが、これなどは、松本人志が「ガキの使い」で“パクった”ことで認知されたという経緯がある。当時はまだ、“パクリ”という概念はそれほど否定的な意味では浸透していなかったのだ。◆「やりすぎコージー」。小笠原まさやの助言で、水玉れっぷう隊が「バイキング」に改名。占いの信憑性はさっぱりわからないが、細木数子と違って、小笠原の挙げた名前は芸人の生理を理解したものに思えた。バイキング、悪くないんじゃないか。◆「人志松本のゆるせない話」。松本人志、千原ジュニア、木村祐一、たむらけんじ、光浦靖子、ピース・綾部祐二。「すべらない話」の特別編的位置付けだが、そのプロトタイプは、2007年放送、テレビ朝日「ダウンタウンがキャスターやります」でのワンコーナー「松本人志のキッチリ委員会」と見るべきだろう。怒りを笑いの源とする松本の、笑いの嗜好をもっともシンプルに見せることができる仕掛け。エッセンスにポイントを置いた構成は、話術の比重が増していった「すべらない話」からの反動にも思える。真っ当な正論や、共感を呼ぶ“あるあるネタ”よりも、論理に飛躍があるもののほうに目を見張るものがあり。燃えないゴミの日が火曜日であることに、何故、わざわざ、「火」の字が入った日にしているのかという千原ジュニアの怒り。笑いとしてはけして浮かばない発想ではないが、これが怒りに結びつく強引さが可笑しい。「すべらない話」や「やりすぎコージー」ではすっかり楽屋話のひとになっている感があるが、千原ジュニアが松本人志フォロワーであることを再認識させてくれる斬り口。番組最後に、木村「これ観て、あいつのあれはなんやらとかもう、言うなよ!」 松本「僕らは変人ですからね。」と、先回りしておく周到さもまた賢明ではないか。ネット。印鑑が見つからないので、買うことに。履歴も送信。ずっと足踏み状態だったが、やるべきことがようやく片付く。なだぎ武のブログ。あるブログで知ったことだが、「R-1」優勝報告に対するコメント欄を見て愕然とする。「ややこしや~」は野村萬斎のパクリだと主張する書き込みがあり、それを発端に、議論ともいえないようなやり合いがしばらく展開されていて、なかにはもちろん、呆れてるひともいるのだが、なだぎ側に立っているなかにもわかってないひとがけっこういたりして、なんとも、もどかしいものになっている。僕は別に、なだぎのファンではないし、このネタを評価する気もないのだが、このような見当外れな解釈をしている視聴者はけして少なくないのではないかと思うと暗澹たる気持ちになる。“パクリ”ということばを広めたのは、おそらく、ダウンタウンということになるだろうが、いつからこんな都合のいい使われかたをするようになったのか。まったく、奇妙な著作権意識としか思えないのだが。小谷野敦「すばらしき愚民社会」、読了。新潮文庫。小谷野敦を読むのは初めてだったが、全体を通じてものすごく面白かった。さまざまな論客に対する容赦ない批判。特に最終章、「禁煙ファシズム」に対してのキレっぷりはすごい。僕は非喫煙者だけれども、非常に痛快。ほかの著書も読まなくちゃと思う。
2008年02月25日
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バイト。昼食。富士そば、冷肉富士うどん。ドトール。版元さんにいただいた本。松橋利光・神谷圭介「生き物の持ち方大全」、一気に読了。「バカドリル」以降、ひとつの定番のスタイル。ギャグと事実が混在しているのだが、事実と思われる部分まで嘘臭くなってしまっているのが惜しい。自宅近所で。コンビニの駐車場にパトカーと警官が数人。しかし、コンビニ近辺はいたって平穏で、なにがあったのだろうかとすぐにはわからなかったのだが、もう少し歩いていったところで、中年男性が警官ふたりに両腕を挟まれていた。万引きだろうか。往生際悪く、もがき、わめきちらしている。そこには切実なムードがあり、娯楽ではなく病気、もしくは、サバイバルとしての万引きのように思え、若者の万引きのように腹立たしい気にはならなかった。警官も中年男性も、どっちも頑張れ!帰宅。テレビ、あれこれ。◆「いいとも」テレフォンショッキング、宇崎竜童。タモリにトランペットをプレゼント。◆「太田光の私が総理大臣になったら」、「選挙で過半数割れの内閣は総辞職を義務化します」のマニフェスト。参院選の結果をさっそく受けて、「TVタックル」よりも、はるかにエキサイティングな議論。品川庄司、初登場。反対席に座ったのはなんだったのだろう。なにか番組上の計算があってのことかと少し期待したが、日頃の“ヒナ段芸人”としての有能さはかけらも見せず。特に品川、タレントではなくコメンテーター的にふるまってしまう危うさがあり。むしろ、木下優樹菜のほうがぶれのない活躍を。◆NHK「ありがとう阿久悠さん」。出演、堀尾正明アナ、都倉俊一。阿久悠の作詞家デビューは1967年で、30歳のとき。尾崎紀世彦「また逢う日まで」のレコード大賞受賞が1971年。ピンク・レディーのデビューが1976年。阿久悠がヒットを連発した時代は、70年代とまるまる重なり、それが続いたのは、せいぜい、80年代前半までと考えて良いだろう。 ちなみに、1979年には、たのきんトリオと松田聖子がデビューを。1981年には、ピンク・レディーが解散している。僕は1975年生まれだが、僕が子どものころには、すでに歌謡曲は劣性だったと思う。僕なんかは、これらの曲をなにで覚えたかというと、90年代のものまね番組を通じてだったりするのだ。しかし、さすがはNHK。阿久悠のヒット曲を集めると、ほとんど、「紅白」名場面集のような趣に。追悼番組ではあるが、めっぽう楽しい。「もしもピアノが弾けたなら」を歌う西田敏行の衣裳が、もう、これ以上の西田敏行はないというくらいの西田敏行。 都倉「あの当時はね、例えば、阿久さんにね、あのー、曲を渡すときにはね、ピアノでカセットかなんか入れて…、今ほどあまりいい設備がないころだったんでね。で、スキャットで歌うんですよ、僕は。曲先行ですからね。『タタター、ウタター、ウタウタター♪』ってね。『あなたと、会ったー、その日からー♪』とか入ってくると思うじゃないですか。入ってこない。原稿用紙、詞が届いたら、最初は『ウララー、ウララー、ウラウラで、ウララー、ウララー、ウラウラよ』。なんにも考えてないわけです。」「僕も三十何年の付き合いで、あのひとが、鼻歌歌ったことすら聴いたことがない。『阿久さん、知ってるんですか? あなたの歌がいかにカラオケで歌われてるか』『それは知ってるよ』と。でも、1回もカラオケのマイクを手にしたことはないですね、あのひとは。」◆「たけしの誰でもピカソ」、特集「神の目を持つ女神たち」。ゲスト、友近。梅佳代。ほのぼのとした部分だけがピックアップされていて、馬鹿馬鹿しさ、意地悪な視点、または、本人の天然ぶりも含めて、梅佳代独特のユーモアが十二分に伝わっていないのが、なんとも歯痒かった。柳原可奈子。人物描写の精度はたしかに高いかもしれないが、芸としてはまだまだ発展途上段階でしょう。素とコントとのスイッチの切り換えがないように見えるのだが、本人の容姿のインパクトが強いので、結果的に、そこはたいした問題ではなくなっている。もちろん、友近の場合はめりはりがあるのだが。友近「最初、テレビ観たとき、うわーって前のめりになって。完璧にできてんなー、このひと、って思って。やっぱり、たぶん、あのー、わたしと似てる性格というか趣味かなって思ったんですよ。その、ちょっと、自分にはないキャラを演じる、ちょっと苦手だなとか、気になるキャラを演じてんだろうなー、と思ってて。」「確かに今まで、こういう感じのかたが居なかったので、おっ、と刺激は受けましたけどね。」最後に、阿久悠追悼特集をこちらでも少し。
2007年08月03日
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休日。朝日朝刊。遅ればせながら、松本竜助の訃報をここで初めて知る。セントルイスに続いて、漫才ブームの立役者がまたひとり。やはり、恵まれていない状況が死期を早めてしまうのか。それにしても紳助、昨日生放送の「オールスター感謝祭」を、そんな状況で司会をしていたとは。テレビ、たくさん。◆「サンデージャポン」。松本竜助、トップニュースで。紳助、会見。B&B洋七など。この訃報から爆笑問題はなにを感じたか。テリー伊藤に訊かれた太田、「うーん…、だからほんとに、ああゆうふうになってみないと、自分がどうゆう気持ちになるかってのは、想像ができないですね。」と、ことばに迷いながら。おそらく、田中よりも太田のほうが思うところがあるのだろう。◆矢沢永吉ライブハウスツアー。これはエネルギーもらえる。ツッパリ漫才の時代背景にも矢沢あり。◆「爆笑問題のススメ」最終回。太田光「死ぬまでに読め!のススメ」。太宰治「晩年」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、J.D.サリンジャー「フラニーとゾーイー」、カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」を紹介。これで最終回だが、毎回、この形式で観たかった気もする。読書遍歴は人間を物語るとつくづく。◆「Mr.&Mrs.スミス」DVDのCMにバカリズムが。映画の内容とまったく関係なく「トツギーノ」を。◆「爆笑問題の検索ちゃん」。番組出演歴の少ないおぎやはぎ、番組の独特なテンションに戸惑いを。◆「人志松本のすべらない話5」。また、吉本のみに戻ってしまった。文脈が統一されていたほうが良いとの判断か。◆「松本紳助ゴールデン」。大半の時間は観るほどでもなし。上沼恵美子。紳助と同い年、初共演とは意外。ともに、建前を悪、本音を善とする庶民的正義観が芸風の根幹。話術は文句なしに達者なだけに、それがからくりの役目を果たしているような。倖田來未。“エロかっこいい”で重要なのは、“エロ”よりも“かっこいい”のほう。すなわち、かっこよければすべて良し。“かっこエロい”にすると、ただただ格好がエロいだけになってしまう。◆「松紳」最終回。ゴールデンの未公開シーンであっさり終了。この番組を貫いていたのも、おそらく、本音を善とする思想で、それは主に、紳助の資質によるものに違いない。松本人志は、以前はけして本音をアピールするようなひとではなかったはずだが、ある時期から、たがが外れたように本音をこぼすひとになってしまった。喋りかたを比べてみればわかることだが、昔のほうが明らかにガードが堅い。これは、話芸を生業としているひとにとっては重要な問題に思えるが、ひょっとしたら、今の松本にとっては、話芸そのものがさほど重要ではないのかもしれない。
2006年04月02日
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朝日朝刊。「黒ひゲイ危機一髪」に同性愛団体が発売中止要望。どうやら、同性愛者を連想させる人物を剣で突き刺す点を問題視しているようだ。レイザーラモンHGの芸風に対して、その手の団体が今まで黙認していたことのほうがむしろ不思議だったのだが。まず、HGについてきちんと認識できているのかが心配。鳥肌実の演説会でときおり客席に混じっている、鳥肌の発言に対していちいちうなずきながら拍手を送る本物のひとのような美しき誤解もあるわけで。いずれにしても、トミーもTBSも吉本興業も、大企業のくせに認識が甘いような気がしてならない。万が一のときに、きちんとタレントを守れるのだろうな。バイト。昼食。富士そば、かつ丼。ドトール。先週、風邪をひいてから、鼻水だけはひどいまま。ほかはいたって元気なので、なにか別の病気にシフトしていったのだろうか。とにかく、のどが乾く。御茶ノ水、寄り道。ジャニス、中古CD2枚。須永辰緒、ハービー・ハンコック。帰宅。テレビ。「徹子の部屋」浅草キッド。今からちょうど10年前、かのナンシー関は週刊文春の連載で、「徹子の部屋」に招かれる有名人と招かれない有名人について分類をしている。「蛭子(能収)さんは『徹子の部屋』に招かれるが、みうら(じゅん)さんは招かれない」「EAST END×YURIは招かれるがスチャダラパーは招かれない」「猪瀬直樹は招かれるが佐高信は招かれない」「ホンジャマカは招かれても爆笑問題は絶対招かれない」などなど、実際の出演経験の有無とは関係なく、ニュアンスとしてナンシーは書いているのだが。にしても、当時の爆笑問題のイメージとしてはとても正しいのだが、それが特番時には司会までやってしまうことになるとは隔世の感あり。ましてや浅草キッドである。今日の放送をナンシー関が観たら何を思うだろうか。浅草キッドが「徹子の部屋」に出ることの違和感は、「玉袋筋太郎」という名前を、徹子が抵抗なく紹介したことであっさりと氷解する。世間が思っている以上に黒柳徹子はプロフェッショナルだ。そのような部分をきちんと認識して踏み込んでゆくのが、浅草キッドは本当に上手い。僕は「徹子の部屋」をけっこう観ているが、これほどまでに真摯な態度でこの番組に臨んでいるタレントをほかに見たことがない。もちろん、黒柳徹子についても綿密に予習してきたのだろう。序盤、共通の共演者である草野仁の話題から。そして、弟子志願からフランス座修業時代の話をみっちりと。浅草キッドファンとしてはすべて知る話ではあるが、いやぁ、この辺の話はすさまじく壮絶で、何度聴いてもじーんときちゃうね。浅草キッドにほかの芸人にない迫力があるのは、このような経験によるものだろう。間違えてはならないのは、同じような経験をしても大抵のものはつぶれてしまうはずで、成功者となったふたりは希有な例だということ。だからこそ感動的なのだ。それにしても、35分じゃ短い。「アメトーク」よりも、こっちを恒例行事にお願いします。
2005年12月22日
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二子山親方、死去。息子さんはふたりとも、やけにがっしりとした体格をしているが、スポーツか何かやってたんでしょうか。雨。バイト。健康診断。どんな病気が見つかるか期待していたが、特になし。つまらない。昼食。らんぷ亭、牛たまとじどん。昼には雨あがる。桜木町へ。宇宙人に連れ去られ、人体実験を受ける。なか卯、親子丼。みなとみらいを歩いて横浜東口へ。西口。閉店時刻間際のタワーレコードへ入って、bounceだけ取ってすぐ出る。帰宅。何もなし。
2005年05月31日
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バイト。仕事が多くて片付かない。昼食。吉野家、牛カレー丼。湘南海童社「めしどきの繁盛店」、購入。帰り、東京駅のキオスクでスポーツ紙の見出しが目に入る。ポール牧、飛び降り自殺。いったいどうゆうことか。思わず、東スポを買う。僕にとってのポール牧とは、「元気が出るテレビ」であり、「お笑いウルトラクイズ」であり、ダッダーンボヨヨンボヨヨンであり、何よりも指パッチンであり、キザでスケベで見栄っぱりでホラ吹きでインチキ臭い魅力に満ちた人であった。後年、出家してからのポール牧はあまり好きではなかった。数年前に、ゆーとぴあのライブにゲスト出演したのを観たことがあるが、そのときも、ありがたい言葉を色紙に書いて観客にプレゼントしたりして、笑いよりも感動を売る押しつけがましさにうんざりしたものだ。まだ詳しいことがわからないので、何も感想は持てない。ただやはり、少しうんざりしてしまう。コメディアンが自殺は良くない。帰宅。テレビ、こまごまと。◆先週の「爆笑オンエアバトル」。5番6番がとにかく良い。いずれ大化けするかも。◆「徹子の部屋」、ピンクの電話・竹内都子。「旅サラダ」で10年もの間、毎週毎週、温泉に入り続ける仕事。気がつけばかなり特殊なことになっている。ちょっと気になる存在。◆「ドラえもん」。「のろのろ、じたばた」、言うまでもなく落語の「長短」だろう。滑稽噺がとにかくきちんと笑える。脚本も演出も優秀。一新されたキャラクター画も素晴らしく、描線がぐんと原作のテイストに近くなり、クールで可愛く、とぼけ味が増したのがとても良い。◆「タイガー&ドラゴン」、「饅頭怖い」。阿部サダヲ、大活躍。竜二の兄で竜平、そんな名前でリアクション芸人とはよくできた設定。小太りのウディ・アレンこと林屋亭どん吉の真打ち昇進もめでたい。30歳まで山手線の職員だったとは納得。
2005年04月22日
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