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日本人は平安時代の昔から、「いまどきの若い者はなっていない」と、年若い世代に頭ごなしの批判をぶつける悪しき「伝統」がありました。精神年齢10歳を自称する私こと「草加の爺」は、この「美風」に逆らって、このブログでは敢えて親世代に対して注文をつけ、辛口の批評やボヤキを縷々(るる)書き綴ろうとおもっています。と、申しますのも、毎日教育者のはしくれとして小学生から大学生までの若い人々と接しておりますと、彼らは昔と変わらずに、純粋で、真剣で、正直で、等々本当に素晴らしいのです。しかし、例えば新聞紙上を賑わしている様々な事件等では真逆の現象が露呈している有様です。これは一体どうしたことか?ここで私の以前からの持論である、大人が悪いのだ。経済も、政治も、教育も、何もかもがそれをリードし、指導してきた大人たちが元凶なのだと思い当たるのです。野球の野村監督の「ボヤキ」ほど辛らつで物事の核心を的確に射抜くようなそれではありませんが、老いの繰言に堕さないよう十分注意しながら、少しは皆様方のお役に立てるよう、せいぜい頑張りたいと決意しております。なにぶん宜しくお願い致します。
2011年08月31日
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前回、この世に生まれてきた人は皆が皆幸福への必要十分条件を備えているという文章を書きました。すると直ぐ、打てば響くような反応が返ってきました。誠に嬉しい限りであります。あなたのご意見は本当にその通りかも知れないと思うのだが、世間を見渡してみるとその大半が不幸せそうな顔々。幸福や満足とは程遠い様子が見て取れてしまうのだが、一体どうゆう訳なのか、納得がいかない。その辺のところを易しく簡潔に説明してもらえないだろうか。大体、こういった趣旨のもの。それにお答えする形で今回は書いてみる事にしました。実はこれ大変に難しい質問でして、人によって意見が分かれるでしょうが飽くまでも私・草加の爺の私見というお断りをした上で、大胆な断定を致します。家庭での躾けを含めた教育が適切に機能しなかったためで、その「下手人」は誰かといえば日本の場合に最大の影響力を保持している母親が悪いのだし、父親や家族・地域社会のメンバーの悪しき「教育」が「元凶」。次には保育園その他で始まるそして大学院を含めた公教育の歪みが最大にして最悪の「下手人」である。教育が足りなかったのか。いいえ、その逆で余りに恣意勝手に「いじり過ぎ」たと申しておきましょう。もう少し人間は謙虚にならなければならない。今、わたくしはそう強く思うのであります。誰に対しての謙虚さかと質問されたなら、神とか仏とか呼び習わされている存在に対してです。己という生者を「そのように在らしめている」大いなる、偉大なるものへの無限の信頼。人類に共通して不足しているのはこの敬虔なる感情であり感謝の念であり、絶対的な尊崇でありましょう。井の中の蛙に譬えられる人類にこの大海に比せられる「存在者」に想いを馳せることは理屈上では不可能な事ですが、理屈抜きで感じたり、直感的な理解を十二分に発揮すればそんなに難しい事ではない。つまり、小賢しい「才知」などという笑止千万な小道具に頼る事を止めさえして、本来備わっている生きるための本能と呼んでよい叡智を活性化するだけでよいだけのこと。しかし、しかし末世も遥か遠い、混濁と混迷の極致とも形容すべき今日では、やはり非常に「難しい」、難事中の難事なのでありましょう。わたしは断るまでもありませんが、皆さんを説得しようと努めているわけではありませんでただ、有りの儘に解説し、説明しているだけにしか過ぎません。何故そんな出すぎた事をするのかと訊かれたら、この世への恩返しをしているだけと、お答えしましょうか。とても幸せな人生でした。今も最高な毎日を送ることができています。感謝、感謝でありますから、幸せの「おすそ分け」の心算で駄文を綴っておりますが、それも何者かに背中を押されるような感じなのが、自分としては幾分不思議な、また有難い事と、またまた感謝なのですね。もう手が付けられない「三昧境」に入ったようなもの。どうぞ、これからも宜しくお願い致します。ご意見をお聞かせ下さい。
2011年08月30日
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「吾は唯、足るを知るのみ」という言葉がありますがこれは禅寺などの庭にある岩石に掘り込まれている場合があり禅的な最高の境地を表現したもの。難行苦行の末に漸く辿り着く事のできた「悟り」、それは、何のことはない、気づいてみたら自分は最初から何も不足など無かった。自分は必要にして十分な幸福の条件を身に付けてこの世に誕生していたのだ。足りない物は一つもない。堅実で確かな努力を積み重ねる事で、幸福をシッカリと自分の物にする。それだけが自分に残された課題だった。ざっと、まあ、こういった意味合いの事を表現した含蓄のある至言です。しかし、現実には十人のうちで一体何人の人が幸福を実感し希望に満ちた毎日を送ることができているでしょう、とても心配ですね。世界の最長寿国となって、人類の長年にわたる夢を実現したかに見える今日の日本ですが、実感としてはどんなものなのでしょうか?死という「恐るべきもの」から可能な限り距離を置き、生そのものを享受する。しかし、そこには数量のみがクローズ・アップされ、肝心な質や内容のほうが蔑ろにされている嫌いが無いだろうか。そもそも死は忌み嫌うだけの対象なのだろうか。そうゆう疑問が湧いてきますね。最近の医学は、細胞レベルでの死の効用を明確に説明しています。それは細胞の自殺という現象。そもそも二分割だけを繰り返して人体を完成させるためには、細胞自らが自分を消滅させるアポトーシスが不可欠だった。このように生は死を積極的に利用する智恵をもともと備え持っていたわけですね。生は死によってその健全なあり方を調節するものであり、死はまた生によってこそ保証されている。つまり持ちつ持たれつ、の相互補完の不即不離の円環をなして両立出来ている。私の申し上げたい事は、徒に死を恐れるだけでなく、この様な死に対する信頼を揺るぎない物とし、その時が来た時には安心して死に包み込まれる生者としての正しい心構えについて、皆様方の注意と関心を引くこと。それが限りある生を豊かに、有意義なものにしてくれる筈と信ずるから。
2011年08月29日
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こうでなければダメだ式の思考法は、一種の病気です。東大を出ていないから、高学歴でないから、イケ面でないから美人で無いから、背が低いから、日本人だからダメ。これは現代病とでも呼んでよい現代ニッポンが抱えている厄介な、実に厄介きわまる風潮ですね。嘗て、皆が皆中流意識を持っていたというお国柄は今も尚色濃く残っていて、陰に日向に、私達の思考の根底でマイナスの作用を及ぼしていると、私・草加の爺は考えるのですが賢明なる皆さん方はどのようにお考えでしょうか。自分自身に普通の自信を持ち、日本人である事に常識的な誇りを抱く。これって地球村化を急速に実現しつつある国際社会のスタンダード・常識から言っても、極めて当たり前な心理。であるにも拘わらず、私達は何か特別な根拠や理由がないと不安であり、落ち着かない気持ちに駆られる。何故?理由など少しも無いのでしょう。ですから、私はそれを称して生活習慣病と断定したわけですね。日本語はダメで、英語は素晴らしいと事も無げに言うが、その根拠はと聞けば世界中で大勢の人が使っていてビジネスにも便利だから、と答える。大勢順応の典型みたいなもの。母国語は大切ではないのと問えば、非論理的でダサイ言葉だからダメとオウム返しに答える。こんな恥ずかしい国民が地球むらの村民から尊敬を受けるとでもお考えでしょうか。篤とお考えくださいな、お願いです。極論をもうしましょう、バカでも木偶の坊でもよいのです、立派に胸を張って、他人から後ろ指を指されるような後暗い事さえしていなければ。世界中のどんな人間も、理由も無く自分にプライドを持ち、母国語に限りない愛着と敬愛の念を抱いて、立派に毎日を生きているのです。それで良いし、誰からも文句が付く筋合いのものでもない。正々堂々と生きるのに誰に遠慮が要りましょう。へんな劣等感や遠慮は必要ない。人と無闇に比較したり、無用な気遣いは直ちに止めようではありませんか。独立した一個の市民としての自覚と、それに見合う少しばかりの努力さえ惜しまないならば、少しくらい貧乏であったり、不利な立場に置かれているからといって、過剰な悲観は禁物。元気を出しましょう。元気を出すのに理由など入りません。あなたが少しだけ元気になれば、日本全体も元気を取り戻すキッカケをつかめるかも知れませんよ、嘘ではありません。ひとりは皆の為、皆は一人のためにある、と。つまりは、持ちつ持たれつというのが社会なのですから。及ばずながら、この老いぼれも何かお役に立てることがあるのでしたら、サポートなりアドバイスなりを惜しまない心算ですよ。改めてどうぞ宜しくお願い致します。
2011年08月25日
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子供達の良きお手本になるような生き方は誰にでも出来ること、本人がその気にさえなれば、ですが。他人と「比較」する悪癖さえ止めて、ベストを尽くす毎日を送っていれば、自ずから輝く未来が開けてくる。これが私・草加の爺の人生に対する信念でありますし、紛れも無い真実でもあります。呆然自失している貴女・貴方腐っている君、不貞腐れている、または不幸続きに呻吟し苦悶している善良なるあなた様。諦めたり、絶望したりする必要など少しもありませんよ。必ず、必ず、明るい希望に満ちた明日がやって来るのですから。心配など何もいらいないのです、本当に。この私の一見は「独断」と思える揺ぎ無い信念は、先人の貴い誠に有難い教えの賜物なのですから、安心して下さい。私達が誰もがしなければならないこと、それは銘々が自己の持てるものを全部出し切って生きること。今現在にベストを尽くしきるよう努力すること。この一事につきますね。それ以外のことは、いわば余分な計らい。他人や社会に対する諸々の不平・不満を一時的に中止して、只管、ただただ只管ベストを尽くすにはどうしたらよいか、或いは、何が可能なのかを考え、行動に移してみて下さい。そうして毎日、毎日を工夫し努力して生きているうちに、あら不思議、何だか生きる事が苦しみ、悶えていた生活が、いつの間にか変化して、楽しく張りのある充実したそれに変化していたことに気付く筈ですから。ほんとうです。一度、騙されたと思って実行してみてはいかがでしょう。何も失うものなどありません。そして、メールを下さいませんか。いえ感謝を強制しようというのではありませんで、納得できない方や相談したい事などが出てきたときには、アドバイスなどさせて頂きたいと思ったまでです。念のため。
2011年08月20日
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何か謎掛けクイズの様で恐縮ですが、皆さんは一体どの様にお考えでしょうか。答えは至極簡単です。大人一般ですよ、と答えたら、バカにするなとお怒りになられますかね。もっと言えば、両親です。高学歴でなくても良いのです、そして、高邁な思想などとは無縁な方でも一向に構わない。ただ、人の子の親でありさえすれば良いのです。親の生き方が、子供の生き方の殆ど全部を決めている。そう勝手に断定したらあなた様はどんな反応を示されるのでしょう。私・草加の爺が言いたいことはとても簡単な理屈なので昔の日本人なら十人が十人、諸手を挙げて賛成してくれたに違いないごく常識的な考え方に基づいたもの。「生」という重荷を息も絶え絶えに「引く摺って」生きている親を見て、子供が生きる勇気を与えられると思いますか?どんよりと濁った眼力なくすぼめられた両の肩、精彩の無い言動、屠所に引かれていく動物のような足取り……、どれ一つを取り上げてみても、これがわが子に良い影響を与える筈もない。百歩譲って、反面教師ということも世の中にはまま見られる事ですから、このような半分以上死んだような生き方をしている親から、嘘のように素晴らしい子供が育ちあがるケースもありましょう。が、それは親の大きなマイナスを補って余りある立派な大人が、その子供の身近に偶然に存在していた幸運に助けられての事に相違ありませんね。私が申し上げたい事は唯一つ、極めて簡単な事柄。生き生きと、己の持てるもの全てをフルに発揮して、毎日を前向きに、肯定的に生きる事。それに尽きる。何も、傍から見て「立派」でも、「模範的」でなくても構わない。苦しみに満ちた世の中であっても、それにめげることなく、また臆することなく、悪びれずに毎日を只管生き続ける。そんな人が今の世の中では少数者となり、極端に数が少なくなってしまっているようですが最大の「教育者」と呼ぶべき、貴い存在なのです、実に。子供達は驚くほど鋭敏に、その辺の機微を捉えているのです。誓って嘘などではありませんよ。この親達の教育に比べたら、所謂「教育者」が施す教育など高が知れている、実際のところは。その辺の所をもう一度よくよく考えてみて下さい。お願い致します。貧乏はそれ程には怖くはないけれど、最悪の「教育者」ほど始末に終えず恐ろしいものはない。これから人の親になろうとしている若い人たちには特に注意を喚起して置きたいと思います。老婆心ながら……。
2011年08月16日
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死を恐れる感情 ― 死に対する恐怖の感情は恐らく生物(動物だけでなく植物も含めての)が持つ本能の中で最も強く、本質的な衝動の様な本能でありましょう。何故なら生命を失ってしまえば、もう「生命体」とは呼べない、単なる物質と化してしまうからです。ですから生あるものは、もう無条件に理屈など抜きで死を恐れる。徳川家康は人の世を譬えて、「重き荷を背負いて、長き道を行く」様なものだと言ったそうですね。現代の日本人の大多数は、「重い荷に、息も絶え絶えになりながら、苦しげに喘ぎ喘ぎ、生かされている」かの様に生きているのではありますまいか。何しろ家康の頃からすると四百年以上が経過して、「長旅」も大分長くなり過ぎていますからね。― これはキツイ冗談などではありません。残念ながら厳しい現実、紛れも無い「憂き世」に生きている私達の生き方のありよう。何故こんな風になってしまったのか?乱暴に断言すれば経済に行き詰まったから、つまり貧乏生活に逆戻りしたから。エコノミック・アニマルなどと呼ばれ、軌跡の繁栄などと評されて、営々と青息吐息をつきながらやってきた結果がこれですからね、足元がふらつき、呼吸が激しく乱れるのも当然でしょう。国民が背負っている借金の総額が、なんと人類史上に類例を見ない、実に気が遠くなるような天文学的数字と聞かされては、生きる気力も勇気もどこかに消えていってしまう様に感じるのも無理からぬ事でしょうが、そもそも、これってどこか、根本的な所で間違っているのではありませんか?胸に両手を当ててじっくりと一度、考え直してみようではありませんか、如何。私・草加の爺は最初、アルベール・カミュの「シジフォスの神話」からこの文章を書き起こそうかと考えたのですが、止めにしました。何も欧米の知識人の力を借りなくても、偉大な行動家であった武人の言葉が、もっと切実に、重く私達の胸に迫ってくることを考えたから。何事にせよ、自分自身の身の丈にあった、そして頼りになる思想を生きる上で本当に役立つ「考え方」を身に付けたいものです。如何でしょう。
2011年08月15日
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前回、「お化け・幽霊文化の衰退」というような一見すると意味不明な文章を書きましたところ期待通り(?)、そんなクダラナイ事を心配するよりもっと大切・重要な事が世間には一杯あるではないか、何故そんな瑣末な現象に関心をしめすのか。余程の暇人なのではないか云々と言う反響を頂戴しました。私は・草加の爺は、確かに暇人ですが徒に駄弁を弄している訳でもありませんで、それなりに深い、深い理由や根拠があっての事。例えば、前回の例で言えば「社会全体の生命力の衰弱」という極めて重大かつ切迫した喫緊の問題を提示したいが為。恐怖はあっても、人間らしい恨み・辛みというとても切実な「感情・情感」が欠如していて、まるでこれでは「生命体」ではなく「機械」が蠢いているにしか過ぎないではないか……、と心の底から慨嘆しての発言だった。チャップリンが鋭く風刺して見せた機械に振り回される人間、どころの話しではなくなってしまっている! 「生命」などという「面倒な」また「厄介な」からくりは、もはや地上には必要ないのだ。精巧な機械があれば、そう、人間の命令に忠実・従順・正確無比に従い、動く素晴しいメカニズムさえあれば。機械万歳!そして、その偉大なる機械を創り出した「過去の遺物・人間」にも、ついでに万歳……。― これ現代の恐ろしい「怪談」ですね。そうです、私が問題提起したいのは過去の遺物にならないために、厄介でも面倒でも、生きるに値する、真実に価値ある私達ひとりひとりの掛替えの無い人生を、健全なる生命を慈しむ心を、もう一度、取り戻す為の方策について。日頃、若者達と接していて感じる事、それは大人たちが「その背中で」示している、人生に関する本音(人生なんてくだらないよ。生きてる価値なんて、何も無いんだよ、実は)の、本当に重大な「教育効果」の空恐ろしさについての事なのです。それが無意識の内に、日々、繰り返し、執拗に繰り返されている意味合い。無意識の恐ろしさを私達は十二分に意識しなければならないでしょうよ。
2011年08月14日
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今から半世紀前の日本、それは忌まわしい原爆投下と敗戦と言う歴史的事件が起きてから、それほど月日が経過していない昭和の初期から中期になりかけていた時代ですが、子供だった私の周囲・東京の下町には、例えば江戸時代のような「幽霊やお化けの文化」が色濃く残っていた。何も懐古趣味を披瀝しようと言う魂胆などは少しも無いのですが、それが僅かばかりの間に急激に衰弱した裏側には一体、何が起こったのでしょうか?戦争や原爆の惨禍の記憶が薄れ何もかもが時の彼方にと流れ去ってしまう。それはそれで、致し方無い事なのかも知れませんが、何だかとても空恐ろしい現実の反映のように感じられて仕方ありません、少なくとも私・草加の爺には。お化けが居なくなったからといって、また、幽霊などという物騒な存在が人々の記憶から完全に消え去ったからと言って、何も困る事は無い。いや逆に好ましい傾向ではないか、と至極楽観視される向きも有ろうかとも推測されますし、恐らくは現代日本人の大多数が、その様な意見に与するのでは、とも容易に想像できますね。しかし、本当にそうでしょうか。お化けとは何者?また、幽霊とはどの様な存在なのでしょうか?過去の人の恨み・辛みが結晶した物 ― 一応その様に回答しておきましょうか。過去の人は死んであの世に消え去っても、この世に生きている人が居る限りは「人々の恨み・辛み」という負の感情は無くなりはしない、決して。そして、金輪際! 無意識の中に閉じ込められたこの恐ろしい感情の蓄積は必ず、爆発して私達に、今を生きている生者に強烈な復讐をせずには措かないでしょうよ、きっと。何も、訳の分からない理屈を付けて皆さんを、悪意の無い善良なる皆さんを理由も無く恫喝しようと目論んでなどおりません。ただ、忠告したいだけです。この世は「あなたがた善良にして、無自覚なお人善し」が安易に断定し得るほどには、簡単でも単純でもないのですよ。人の心ほど複雑、怪奇な在り方をしている物はこの世には二つとはないのですね。例によって例の如く、「心の浄化・カタルシス」が大変に重要なことは、幽霊・お化け問題一つを取り上げても極めて重要なポイントなのです。怨み辛みは「本当に、恐ろしい!」と叫んで全身を震わせて「厄払い」してしまわないと、いつ何時「化けて出て」私達に思いも掛けない復讐をしないとも限らない、いや、必ずやこの「恐怖の負の感情の堆積」は悪さを仕掛けてくるのです。だからそれを十分意識下に取り込んで「飼い慣らす」知恵が、大人の成熟した生活の工夫が、必要不可欠なのでして、これは賢明なる先人たちに謙虚に学ばなければならない事柄。昔は無知で、蒙昧でなどという根拠もなにも無いデマや迷信に惑わされていてはいけません、本当ですよ。
2011年08月12日
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「四つの幸せ塾」で 詩人としてのイエス・キリスト を題材としました。今更らしく「言葉はとても大切」などと表題にも掲げてみました。「ペンは剣よりも強し」と言う言葉もありましたね。今の時代にこんな時代遅れで、反時代的なことばかり口にしているからでしょうか、今ひとつ 熱狂的な 人気が出ません。しかし、それでも私・草加の爺は頑なに、老人らしく、繰り返し本当に心の底から「言いたいこと」、「物申したい事」を縷々と書き綴るつもりであります、バカの一つ覚えかも知れませんね。第一キリスト教徒でもないくせに、本家の欧米でも廃りきってしまったように見える「キリストやキリスト教」を話題にするなんて、一体全体、どんな魂胆があるのか、気が知れないね……、という非難の声無き声が聞こえないわけではありません。しかし、人生において大切な、本当に大切な事柄はそんなに沢山あるわけでもありませんので、声を限りに大声で叫ばしていただきます。「言葉を大切にしようよ!」と。 祈る時には、徒に同じ言葉を 繰り返してはいけない。 信無き者は 言葉数が多いほど、願いが叶えられる そう思っている それを真似ては いけない。天上の父は あなたたちの必要なものを 前もって知っていらっしゃる、だから ただ このように祈りなさい。 天にいらっしゃる私たちのお父様 お名前が讃えられますよう あなたの御国がやって来ますよう ご意志通りになりますよう この地上においても 理想が実現するよう望んでいます 今日の日 食べ物をお与え下さい そして私達の罪をお許し下さい 私たちも罪びとを心から許しましょうから また 悪しき道に迷い込まないように お導き下さい 邪悪の道からは お救い下さい あなたこそ理想の天地です そして 力の源 輝く栄光 永遠に アーメン もしあなた達が周囲の者が様々な過ちを犯したのを見逃すなら 天の父も、あなた達の過ちを許す事でしょう。そうでないなら 天の父も、同様の処置をなさるでしょうよ。(古屋・草加の爺の仮訳)如何ですか。どんなに拙い訳し方をしても、素晴しい言葉は飽くまでも素晴しいではありませんか。どうか、バイブル・聖書を手に取ってください。きっとあなたの人生に役立つ事になるでしょうから。お願い致します。
2011年08月05日
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先日、道を歩いていて「ハタ」と思い当たった事があります。私の主張が、余りにも「当世風」でなさ過ぎるため大部分の人にとって、本当は何を目的に、何が言いたい、のかトンと理解出来ない。それがつまり、本当のところではあるまいか?と、まあ、漸く思い当たったのです。私・草加の爺が相当の迂闊者であるのは今に始まった事ではありませんので、本人はそんなに驚いたり、ビックリしたりはしていないのですが、皆様方の方では「何だ、今頃やっと気づいたのか」と呆れていらっしゃるかも知れませんね。「奴隷」といったり、「借り物を捨てろ」などと何か大仰な物言いが多いので、さぞ目の玉を白黒させて、困惑され続けの方も少なくないのではありますまいか。済みません。私が悪う御座いました、以後は心を入れ替えまして、読者の心理を無視するような「独りよがり」な態度はきっぱりと改めます。奴隷というドぎつい表現は、それ以外に適当な表現が見つからなかった為に、止むを得ず使ったまでで全く他意はありません。つまり「心の状態が」まるで奴隷のようだ。御主人様には「世にあるあらゆる思想・思惑・思考・感情」が君臨しているかのよう。そして、その御自分の心的在り様を無自覚のままに毎日を送られている。ですから、幸せな人生を掴み取る為には、そのような不自由な心の状態から抜け出して、「心の自由人」としての自己を取り戻す必要があるのでは無いでしょうか?と、老婆心ながら忠告を、あるいは警告を発したつもりで居りました。そして、もしかしたら奴隷状態に慣れきってしまった人にとっては、そのままの方が却って都合がよく、余計なお世話は焼かないで欲しい、そう素直に思っていらっしゃるお人も、案外と大勢いらっしゃるのかも知れません。しかしです。草加の爺の「老婆心」はそう反省した途端に、反転して、それなら尚のこと「余計なお世話」を執拗に繰り返そう、と決意を新たにしたのですから、どうぞその心算で、覚悟を決めて私とお付き合い下さい。ペテンや詐欺では金輪際ありませんが、諦めが悪いといいますか、一筋縄ではいかないひねくれ者と、申しますか。兎に角、バカは死んでも直らないのですね。どうぞ、今後とも宜しくお願い致します。質問、ご意見、その他どんなことでも構いませんので、どしどしメールしてみて下さい。
2011年08月02日
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