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2012年07月24日
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仏教でも、禅の方の言葉でしょうか、自分の物などと


言うけれども、そもそも「自分の物」などと言えるものは


何一つ無いのだ。それが証拠に人間は、赤ん坊は丸裸でこの世に生まれてくる。


例外無しにですね。第一に、自分等と言う存在も、徹底して考えを


突き詰めていくと親や祖先に、解体してしまい、実体などはない存在。


預かり物、借り物。そう言った方が正しいようですね。そして、何かを



得るという事は、何かを失う、何かを捨てる事を意味している。実際のところ。



そうしてみると、逆転の発想を使って、上手に捨てる術を磨く方が


何かを、つまりはお金を、上手に儲ける方法を工夫するのではなく―、







捨てる。流し去る事に工夫を施す方が遥かに得策なのではないか?


そんな風に愚考する次第でありますね。「徒然草」を読んでいると


北条時頼の母・松下禅尼がわが子に、時の権力者・執権に倹約の大切さを


自らの行動で教え諭すエピソードがありますが、今の政治家や


世間の指導者にはどの様な作用を及ぼすのでしょうか。恐らく、その様な


考えは時代遅れの「たわけ」者の世迷い事と映るのではありますまいか。


しかし、兼好法師の説く「聖人の道」は万古不磨の真実ですよ。奢るなかれ


世々のエリートたちよ、権力者達よ。又彼らに盲従している軽佻浮薄な



度し難き者達よ。天に唾するとは、如何いう行動なのか、一度ご自分の胸に


手を当てて、じっくりと考えてみて下さい。そのための時間はたっぷり


ある筈。如何でしょう、人はパンのみにて生きる者にあらずと教える聖者もいますね。








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最終更新日  2012年07月24日 11時43分54秒
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