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2014年11月16日
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私は今と同じことを、常に蟹があぶくを吹くように、繰り返し申し述べていることを

知りました。当たり前のようで、さにあらず、と申しましょうか……、一種

感無量でありますね、実際。

 さて、世の中は、当然の如く「銭、銭、銭!」と血眼になって、東奔西走を

繰り返して倦む事を知らないようであります。しかし、世の中全体としては

一向に良い方向に向かっている様子が見えない。誰か、一部の人間だけが 不当に

得をして 大部分は、これまた理不尽にも苦痛や不幸を強いられている。世の中

どこか狂っている、間違っている。根本からの 世直し が必要なのだ、云々…。



論の立て方が 適当ではない、とでも今は申し上げるだけに止めておき、話を

先に進めさせていただきます。

 得をしているのは、全体であり、損をしているとすれば、これまた全体が損を

しているのでありましょう。この世は緊密に 組織された 有機体なのでありますから。

そのような全体感を欠いた、損得勘定は、それこそ一種の 感情論でしかなく

生産的な、あるいは積極的な意見とは見なすことが出来ないのでありますよ、実に。

 経済を論じるならば、部分の利益では無く、全体の利益を正しく見積もらなければ

いけませんね。そこで、部分とは何、全体とはどこ、という事が正しく問題に

なってきますが、従来の経済論には総体的に、受益者としての全体像というものが

正しく把握されていない。もしくは全く欠落している。

 経済の専門家でもない私が、偉そうな新経済論を開陳して、世の中を啓蒙しようなどとは



申し述べているにしか過ぎません。それでとても気になること、誰もが儲けのこと

利潤の事しか関心がないような様子であることに、異議を申し立てたいだけなのでありますね。

その場合の「儲け」や「利潤」は極めて微小な「部分」の もうけ であり、利潤

なのでありますから。

 地球はすでに「地球村」と化し、ボーダーレスの時代に突入しているのに、



ある意味では仕方のない事でありましょうが、それならば人類はもう少し謙虚に

ならなくてはならないでしょうよ、部分としても、全体としても。

 そして従来型でない、新時代の 新しいリーダー を待望したいものであります、権力オンリー

の War king では無く、真の叡智を備えた Sacred king を!









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最終更新日  2014年11月17日 05時44分05秒
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